« February 2009 | メイン | April 2009 »

March 31, 2009

建築を面白がる

平川克己『ビジネスに「戦略」なんていらない』洋泉社2008を読む。先日読んだ鷲田さんの『「待つ」ということ』では未来から現在のあり方を効率的に想定する現代社会の側面が批判的に描かれていたが同様な視線がここにもある。加えて著者は仕事における「戦略」的思考が仕事の最も大事な別の枠組みを排除しているという。そしてそれは仕事を「面白がる精神」だと言う。設計事務所のようなところではそれがなくなったらもはやおしまいであり、この言葉は敢えて言われるまでもないと思いこんでいるのだが、少し反省する所もないではない。それは次のようなことである。設計という仕事は相手があるわけで、こっちだけ勝手に面白がるわけにもいかないものである。相手といっしょになって面白がらなければならない。しかし一緒に面白がるためには面白さのツボを共有せねばならない。「坂牛のツボならなんでも面白いですよ」なんて言ってくれるクライアントが登場すればまあ楽ちんであるがそんなケースは殆どない。となるとこれは共有できるツボをとにかく探さなければならない。しかし設計とは時間的に有限なのだからさっさとやらないと時間切れとなり、どっちか面白くないか、双方つまらないか、という最悪の事態も招きかねないのである。しかし恐ろしいことに建築とは双方面白くなくてもできてしまうものなのである。なぜなら建築は面白がるために作るものではなくて、雨風しのぐために作るものだということになっているからである。そうである。その通りである。「建築は面白がるために作るものである」なんて大学で言おうものなら、まあ他の先生からは冷たい視線を浴びるだろう。「建築」というものは社会常識上そうなっているのである。だから僕らは必至で時間内に笑えるツボを見つけ出すと言う努力をせねばならないのである。この本を読んで改めて建築を面白がらねばと痛感した次第である。

信州共生住宅研究センター発表会

%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E4%BD%8F%E5%AE%85.jpg
朝のアサマで長野、そのまま長野電鉄で須坂へ。今日はとある研究センターの発表会。「とある」と言ってもひとごとではなく、建築学科のメンバーで作っている「信州共生住宅研究センター」なる研究所の発表会。しかしもちろん教員は兼任であるからして、一年の総括まとめ発表会は勢いこんな年度も押し迫った時期に追い込まれるのである。僕は総合司会なのだがいったいどのくらい学外からの聴講者に来ていただけるか気をもんだが、高専、企業、市などから30名近い参加者があり、学内も含めて7~80名程度の会となった。まずまずの盛況である。さていったい何と何が共生するのか?これは研究者それぞれであるが、意匠系は今年は風景・産業・生活との共生がテーマだろうか?歴史系は「信州と民家」、構造・設備は「エネルギーおよび材料」「森林資源および県産材利活用」をテーマとする。もう少し共生symbiosisの生物学的な意味にまでつっこんで来年度は考えてみたいところだ。帰りはシンクタンクに勤めた卒業生と東京へ。昨今のシンクタンクの調査内容などを教示いただく。社会に出ると皆立派な人になるなあと感動することしきり。

March 30, 2009

大友の音

ニューヨークで芸術監督をやっている友人と駅のパン屋でブランチ。話題はダンス、音楽、などなど。彼女が最近親しくつきあっている大友良英の話になる。僕は会ったことはないけれど著書『musics』には感銘をうけた。この本に高橋悠治のワークショップの話が書かれている。そこでは都会で聞こえてくる音を分節化してネーミングするという一般の音の聞き方をしない練習をするという。つまり美的に対象化する普通の音の受容をやめるのである。こうした方法に感化された大友の音を彼女はsoaking yourself(どっぷりつかる)の音だと言う。つまりさあ聞くぞと対象化する何かではなく身の回りに自然と形成される周辺音である。
午後、東戸塚に後輩のオープンハウスを見に行く。東戸塚という駅に初めて降りたが駅前に高層マンションが何本も建ち、デッキでつなげられその途中に商業施設が張り付いている。この巨大スケールには馴染めない。往復の道すがら竹内薫の2冊の新書を読む。『理系バカと文系バカ』PHP新書2009『知的思考力の本質』ソフトバンク新書2009。文系バカか理系バカかというテストが載っているがやってみると僕はどちらかと言うと文系バカのようだ。とはいえこうしてブログを、まめにするのは理系バカに多いとか。

March 29, 2009

坂本ファイナルゼミ

k-projectの引き渡しを午前中行う。ほんの少しダメ工事が残ったがどうにか工期内に引き渡せてほっとした。昼食後渋谷で時間を潰して3時に坂本研へ。最後のゼミとか?大学教員になったかあるいは研究室で設計担当となったobが集まった。なのだが肝心かなめの先生は風邪で寝込んで欠席(だいじょうぶですか?)。しかし集まった顔ぶれを見ると、あらためていろいろな大学に行ったobが多いと再認識。日本全国20大学くらいで頑張っている。篠原研は10くらいだから教員になった人間は倍はいる。やはり坂本先生の教育者としての功績をしみじみ思う。
北斎コンペでファイナルに残った柳澤、石黒案を拝見する。ほーなるほど、残るだけのことはある力作。しかし冷静に比較しても僕らの案は遜色ない。ただスロープにしたのが美術館として厳しかったような気がする。反省。最初は先生もいないで何するの?という集まりだったが、最後は自由が丘のびっくり寿司。終わってみれば12時。建築談義は尽きない。

March 27, 2009

爆音

帰宅して部屋の整理をしていると、爆音。この間の勅使河原の舞台の音のようだ。夜空にヘリコプターが爆音を響かせて旋回している。我が家は防衛庁のそばなので事件(だいたいは天災だが)が起こるとここから大型のヘリコプターが飛び立つ。管轄の大臣か副大臣が乗っている場合が多い。しかし今日はいつになっても飛び去らず、着陸もしない。と言うことはこのあたりで事件か?飛んでいるのは新聞社のヘリか?
スキー合宿に行っていた娘が帰宅。運動は全般的に嫌いなのにスキーだけはやれるようだ。そして書道の稽古に行っていたかみさんが帰宅。持って行った作品はどれも採択されずとしょげている。まあ仕方ない。最後は運。

バイオマス問題

昼間は事務所。夕方学会の「木質バイオマス資源の有効活用」特別委員会に出席。環境設備系の委員会のようだが、意匠も構造もいる横断的取組である。発表内容は実に参考になる。と言いたいところだが、とても大きなバイオマスの把握を前提としているので、理解はできるがそれをリアルな設計の世界に反映しようと思うと、経済、法、流通の問題などにぶつかりそうである。またこうした方向性は現象を客観的にとらえれば演繹的に出るものでもないということがよくわかった。つまり着地点(結論)をあらかじめ設定しないことにはその筋道が作りづらいようである。逆に少し乱暴に言えば、どのようにも結論を持っていくことができるということだ。つまりあらかじめある種の倫理感が問われることになる。なかなか難しい問題である。

March 26, 2009

箱根

箱根は朝から大雨。山が霞み寒い。このあたりは本当に山の中と言う感じがするが標高は450メートルに過ぎない。これに比べると一昨日訪れた小諸は市内でだいたい600メートルを超えている。やはり長野の町は高いし寒い。雨の中どこにいくでもなくぶらぶら。傘をさすのは億劫である。2~3軒骨董屋を巡ってカフェのようなところで昼をとる。女子大生が多い。平日の昼だから当然かもしれない。このあたりを散策しているのは外国の人か、引退した老夫婦か、おばさんか、女子大生である。巨大な工事現場がある。看板を見ると設計は観光企画、施工は鹿島、森ビルも絡んでいるようだ。200室のホテル。どうも仮設足場から推測されるヴォリュームはかなり風景に突出しそうで箱根ファンとしては気になるところ。午後のロマンスカーに乗る。箱根から小田原まではのろのろと山の中を走る。小田原からは突如東京郊外の平坦な風景で味もそっけもない。ロマンスカーも長野新幹線も1時間半くらいで山と東京を結ぶのだが、風景は長野新幹線の方が変化に富んで楽しい。長野を出て軽井沢までは山。トンネルを抜けると都会と山の中間の自然。そして高崎あたりから郊外である。夕方事務所。昨晩は面倒臭い問題がメールされ、ホテルから方々に夜も朝も電話していたが、その顛末を確認。月末までのコンペ案をチェック。

March 24, 2009

ond day trip

大学は公休。娘は合宿。1日旅行。箱根吟遊へ。道路わきのエントランスが5階。崖っぷちに建つ旅館である。露天風呂からの眺めが絶景と聞いたが本当である。飯がうまいと言われたが絶品。かつて泊った宿のなかでもかなり良くできている方だ。
温泉に入り鷲田清一『「待つ」ということ』角川選書2006を読む。現代社会が「待つ」ことを忘れ、一歩先を予測しそれを前提として現在を効率的に割り出すその姿を示す。著者が労働について考える研究会で仕事のプロセスを英語で考えていると多くの言葉にproという接頭辞が付くことに気づいた。Project profit program production progress promotion などなど。proはご存知のとおり「前に」「先に」「あらかじめ」という意味を持つ。これは現代社会において仕事が背負った宿命であろう。
ところがproのつかない仕事をしている人たちもいる。西村佳哲『自分の仕事をつくる』ちくま文庫2009ではおよそproとは関係なさそうな仕事ぶりが紹介されている。残念ながら建築設計という行為はどうあがいてもproかもしれない。つまりは設計という先を見越した事前の計画があり次にそれを形にするという二つ目の工程があるからである。一方彫塑のように作りつつ考えるものがある。こうした形式が仕事の中で成立すればそれはanti-proの仕事となる。「ワイアード」という雑誌を作った小林弘人氏は雑誌における建築的な(pro的な)側面を徹底して排除することを考えたという。つまり企画という設計図をあらかじめ考え、その後で組み立て、つまりコンテンツ作りや、デザインを外注して合体すると言うような方法を拒否したのである。だからデザインもエディションもすべて内注。作るそばから考え、考えながら作るのである。たぶんそうしたやり方には待つという行為、予測できないものに期待するという時間が必然的に生じてくるものだ。それを無駄と言うかどうかは作り方のかなり大きな別れめなのである。

小諸

昨晩はちょっと遅かったのだが、簡単な原稿メールを送らねばならず早朝研究室へ。10時に大学の車で他の先生2人と小諸の商工会議所へ。とある建築相談を受ける。町づくりの延長ということで市内の散策。2時間ほどかけて城下町の歴史保存修景地区を歩く。新幹線ができるまでは信越線の特急がとまる駅だったのが、新幹線開通し小諸を通らなくなり一気ににぎわいが減ったようだ。東急デパートや大型スーパーが撤退、nttは無人化。なんとも淋しい。懐古園があり藤村記念館などがあるのだが観光客は軽井沢で止まってしまう。さてここで何ができるだろうか?夜40年務められた大学の技術職員の定年退職お祝い会。

March 23, 2009

卒業式

午前中卒業式、午後は学位授与式、夜は謝恩会。娘の卒業式も今日であり、もちろん長野にいる私はそれに出席はできないし、するつもりもないのだが、こちらの卒業式では親御さんも多く参列し数名の方とはご挨拶もした。時代は変わった。今年は4年生7人修士7人が卒業、修了。1月2月は胃も痛い状況だったがなんとか終わったというところ。ほっとした。

March 21, 2009

3つ目のダンス

このところコンペや竣工物件やらで自宅の部屋が散らかり放題。朝からその整理に追われ、そして午後からの勉強会の下読み。午後A0勉強会。ヒューマニスト・ヴァリューという章なのだが、建築はラインとマスとスペースが重要な要素だと言う。今日はそのスペースの主張なのだが、これを読んでいるとヒューマニスト・ヴァリューというよりは19世紀末モダニズム一般の主張と変わらない気がする。勉強会終了後シアターコクーンに勅使河原三郎を見に行く。http://ofda.jp/column/今月3つのダンスを見たが、完成度と言う点では一番だったように感じた。ただ、3つのダンスはそれぞれ劇場も異なり席も違う。クラウドゲイトの時はオーチャードホールで2階のバルコニー席。ダンサーの動きの迫力は伝わらない。レニバッソの時は横浜の赤レンガ倉庫のホール前から4列目。これはかなり近い。ただレニバッソの踊りはメディアとの一体性が重要であり、肉体感はさほど重要ではないようにも思われる。一方今日はシアターコクーン。ホールの大きさはオーチャードより小さく、赤レンガより大きい。今日も前から4列目。勅使河原の苦痛にゆがむ表情まで鮮明に見えた。見えたものと見るべきものがジャストフィットしていたと思う。まあそれを差し引いても今日のダンスは見ごたえあり。

日建の建物

今日は高校サッカー部対湘南高校定期戦の超ob戦に出る予定にしていた。しかし朝から雨。昼にあがってきたのだがこれだとグラウンドがかなり悪そうである。サッカーはやめにした。日建の新しい建物の内覧会がありそちらにいった。大手町の経団連ビルと日経新聞の2本の超高層である。両方とも70,000㎡程度だが階数は31階と23階。20メートルほど日経のほうが高い。2時から始まった内覧会だが2棟見るとゆうに3時間かかる。終わったら5時だった。随所に見られる日建っぽいディテールを見ると時間がワープしてその昔の思考方法や設計の気分を思い出す。それは多くお会いした旧友以上に懐かしい。次期経団連会長がどなたになるのか知らないが、その部屋も特別に見せてもらえた。天井高3.5メートルの眺めの良い部屋。特別に贅沢には見えないが心地よさそうである。
帰宅後読みかけの『60歳から家を建てる』を読む。老後の住まい方の例がいくつかあげられる。マンション暮らし、田舎暮らし、子供たちと同居、すなわち2世帯住宅もその一つ。著者はこの2世帯住宅を500件以上も設計したという。著者の設計歴は40年ちょっとだが、年に10件以上も設計している計算である。そういう人もいるんだ!!!夕食後、風呂で石田衣良『フォーティー40』講談社2006を読む。小説なんて読むのは久しぶり。人生の半分を過ぎた人間が様々に挫折して残りの半分をどう生きるかという話。今年50になる私としては10年前を顧みて、10年後を受け入れるための40と60。

March 20, 2009

5月の陽気

午前中大学に行き書類作り。今日の長野は5月の陽気。桜が咲きそうなほど暖かい。午後は今年度最後の学科会議。会議後、非常勤講師の川上恵一先生から頂いた『住み継ぐ家の物語 設計職人の仕事とその家族たち』オフィスエム2009を眺める。民家保存再生の実作がきれいな写真で紹介されている。藤森さんとの対談が入っている。楽しそうな本である。夕刻のアサマで東京。丸善に寄る。天野彰『60歳から家を建てる』新潮選書2007という本に目がとまる。僕も65歳になったら自宅を建てたいという淡い希望(希望で終わりそうだが)を抱いているので同じようなことを考える人の気持ちがちょっと気になる。

March 19, 2009

竣工写真

久しぶりに竣工写真撮影に立ち会った。今回はアングルや光の量にこだわりがあり、自分で指示したかった。こちらで先にデジカメでとってこんな感じとカメラマンの上田さんに見せ相談しながら決めていく。僕自身200枚以上撮った。8時から1時まで一気に撮り昼食後いつものことだが時間が空いたので渋谷で買い物。5時から再開で夕景撮影。終了後、某代理店の方と築地で飯を食う。上海万博がらみのコンセプトワークの相談である。がらみというのは相談対象自体は万博施設ではなく、それに合わせて発生する上海市内の開発だから。計画自体が世界中の建築家によって進行中でそれを束ねる軸となるコンセプトが不在とのこと。それを一緒に考えてほしいというのだが。なかなか良いと思ったのは、スクラップアンドビルトではなく、リノヴェーションであるというところ。それもかなり大規模なものである。川のあっち側は未来都市みたいに超高層が林立していて川のこっち側はぐっとレトロというのも上海ならではの都市風景かもしれない。

March 18, 2009

黄砂舞う

研究室にノート(パソコン)をおいてきてしまって、朝一でメールをチェックしに事務所へ。そこから丸の内線東横線を乗り継ぎ馬車道へ向かう。東横線の高架からは多摩川、川崎の広い空が見渡せるが一面黄色くぼやけている。黄砂である。これを見て恐怖におののく人も多いのだろう。新しくなった「みかんぐみ」オフィスへ。実に広くて明るい。大事務所である。八潮先生チームと学生と市役所の方を交え来年度の作業方針を議論。住宅の設計を前提においている活動だけに、議論は白熱。いかにしてそれを実現するのか?単なるペーパーコンサルと違い、その方法も新たに開発していかなければならない。会議を中座しk-projectの施主検査に向かう。2時からたっぷり2時間。最後につき物の追加工事のお金についても概ね両者了解。ほっとする。
夜自宅で絓 秀実『吉本隆明の時代』作品社2008を読む。こういう人:一番すごい時代が自分の小学生時代かもうちょっと前でなおかつ今も影響力があるような人というのはいろいろ読んでも実感には至らない。けれど、それでもいつもちょっと気になり何かあるとつい食指がのびてしまう。

March 17, 2009

無駄

昼のアサマで大学へ。午後の会議は案件が山積み。その上選挙などで終わったら夜。最終バスに飛び乗る。週間誌を眺めていたら椎名誠が書店のブックカバーは無駄だと書いていた。いつもカバーは頼む方なのでそう言われればとふと読んでしまう。彼の言い分はブックカバー自体が紙の無駄。こんなことをしている国は日本くらいだと。そしてさらに表紙というものは著者も装丁者も相当なエネルギーをかける部分でありそれを隠すのはそうしたエネルギーを無視することになるというもの。なるほど分からないではない。なんていうコラムを読んだあとに読みかけの『無駄学』を読むとさてこれは無駄なのかということになる。著者の定義では無駄とはその言葉の使われる対象においての目的と想定時間の中で、想定されるインプットとアウトプットの差が生み出す益が実際どうなのかによって判断されるという。つまり想定と実際の差がマイナスなら無駄という判定である。つまりブックカバーで言えば、カバーすることであがる売り上げ+がやめることでどう変化するかということである。
ふーん本屋というものはそういうことを考えているのだろうか?よく分からないけれどスーパーの袋をやめようという時代だからブックカバーをやめようと言えばレジはすくし、コストも下がり皆共感するようにも思うのだが。

March 16, 2009

オープンハウス

今日はk-projectのオープンハウスでした。朝から多くの方に来ていただきました。天気もよく昨日より温かく主催する側としてはほっとしました。来て下さる方にとっても気持ちが良い散歩日和だったのではないでしょうか。いずれにしてもたくさんの方に見ていただきありがとうございました。ご感想などお寄せいただければ幸いです。来訪者を案内しながら自らできている建築を反芻するといつもはいろいろな発見があるものですが、今回はそれが比較的少ないようです。それはあいまいなところが少なく全体が明快な図式の上にあるからなのだろうと思いました。それがいいことなのか悪いことなのか分からないのですが。

March 14, 2009

まだ寒い

昼から晴れるという天気予報だったが夕方までぐずついていた。かなり寒い一日。なので今日は家を出ずにじっとしていた。読みかけの『上海物語』を読み。西成活裕『無駄学』新潮社2008を読む。風呂に入り新聞を全部読み、夕刻家族でトンカツを食べた。

March 13, 2009

建築の脱制度化は可能?

『建築ノート』に掲載される公開読書会の連絡を槻橋氏からいただいた。場所は伊東豊雄さんの新作「座・高円寺」。建物を案内していただけるのと、読書会(これは6人の方が6冊の本を読んできてその内容を紹介しディスカッションるというもの)出席者の一人に知人がおり行ってみることにした。鉄板捨て型枠RC構造の曲面の外観が中央線沿線のごみごみごちゃごちゃの中央線高架脇に現れた。色は濃いこげ茶。昔見た文芸春秋(竹中)の外壁を思い出す。その色も材質もなんだかこの高円寺には似つかわしい。内部のコンクリートは珪藻土で仕上げられ赤茶で色づけられている。そして圧巻は直径20センチくらいの丸い窓。ランダムに壁、屋根、手すりとあたりかまわ穿たれて光っている。松本芸文のソラマメのような窓が思い浮かぶ。円くなっているのは高円寺だからか?3つの劇場のうち一つを見せてもらう。縦横高さが同じスケールのキューブである。劇のやり方に沿って自由に内部の形式が変わるようにできている。これはコンペ後早いうちから運営側の芸術監督が決まったからできたことだそうだ。
続いてラウンドリーディング。3時間くらいで演劇、劇場の主要な文献の内容を鋭く深く紹介してもらい勉強になった。中世、劇場は場所とのつながりが深かった。アジールな場に多く生まれたというような意味において。逆に言えば建物という物理的な殻との関連は薄かった。近世、演じられるものの形式と建築があるつながりを持つようになった。歌舞伎でありオペラというような形式が確立され、それに適合した空間が確立する。そして近代、観る者と観られるモノの制度化が進行する。ステージあるいはプロセニアムによって両者が明確に分離されることとなる。これは演劇に限らず、音を標本化したコンサートホール、美の美術館、知の博物館、などにおいて発生した。それに対して現在の我々はそうした標本を再度身近な状況の中に置き直そうとしている。それらは場所とのつながりや身体を契機としてとらえなおされるべきものになってきている。そうなるとおよそ制度の産物である建築に一体何ができるのだろうか、制度から外れようとする、音や美や劇と言うものに対して、建築という制度には何ができるのだろうか?建築を制度から引きずりおろす手段とは何なのだろうか?そんなことを考えさせられた。

nikken quaterly

今日は大学の後期日程試験。今年度は理工系の志願者がぐーんと減った。信州大学も例外ではない。先日の先輩の話では今年度GDPが初めてマイナスとなったが来年末くらいからプラスに転じるとのこと。ということはそれが建設の実態に反映されるのは2年後そして志願者に反映されるのは3年後と言うことだろうか?試験後研究室で雑用。夕方のバスで東京へ。車中丸山昇『上海物語』講談社2004を読む。今頃読むのは遅い気もするが、モノを見てから読むと実感があっていいとも言える
帰宅するとnikken sekkei quaterlyという名の日建の広報誌が届いていた。20ページほどの小冊子だが読みごたえがある。今回の特集は宮内庁正倉院事務所。設計は同期の大谷弘明。日建をしょって立つ建築家である。少ない写真ですべては分からないが、格子梁のようなPC版大屋根を鉄骨柱で支えている。たかだか600坪の建物に設計に2年施工に4年かかったと言うから驚きだ。時間をかけながら設計図をさらに良くすることを考えたと言う。設計図は楽譜であり施工者と一体となってどう演奏するかが重要だとも言う。まったくそのとおりである。

March 12, 2009

世界は一つ?

このところ温かい日と寒い日の温度差が5度くらいあろうか。今日はひどく寒い。三寒四温である。こんな日に長野に向かうのは勇気がいる。寒くならないうちになるべく早く出たいのだが、なんやかんやと事務所の雑用に追われ結局乗れた電車は9時過ぎ。車中『鄧小平』の残りを読む。毛沢東とともに中華人民共和国建国の立役者であったのも束の間。毛沢東と対立し地方で労働者として教育される。そして3年後毛沢東に反省の書簡をしたため、それが認められ再登用。しかしそれも束の間、文化大革命で再び失脚。その後また復活。再度天安門事件で影の指導者と疑われ軟禁。毛沢東死後中央政権に戻り毛沢東派の華国鋒としのぎを削り勝利。不撓不屈の人生である。もちろん中華人民共和国の基礎は毛沢東原理の上に築かれているとしても現在の資本主義的社会主義路線を敷いたのは現実主義の鄧小平であろう。資本主義国がこの金融危機で社会主義化していると言われているが、残る社会主義国はますます資本主義化していくのかもしれない。そうなると世界の国の体制はある共通な枠の中におさまるような気にもなる。昨日の話が思い出される。

March 11, 2009

サッカーと金融

「サッカーと金融を語る」という会に誘いを受け行ってみた。演者はクラブの先輩で某銀行の頭取。年齢はちょうど僕の一まわり上。タイトルが不思議だが、サッカーに必要な技とメンタリティが金融を扱う上でも重要だということだった。多少無理やりと言う感もないではないが、、。この人の話によれば僕らの高校が日本サッカー創始の場所。だから当時は(と言っても我々と12年しか違わないのだが)都内でサッカーやっているところも少なく東京都優勝は当たり前。その上全国大会でも4位だったとか。素晴らしい。話が金融に転じ、今回の問題がかつての金融危機と異なる点としてグローバリぜーションを指摘していた。つまり今回の危機は世界が一つの国であるかのごとく発生し連動しているというのである。そこで、この危機を乗り切りるためには世界が一つのチームであり、各国が1チームのプレーヤーであるかのごとくふるまうことが必要だと説くのである。なるほど。
さてこの講演会は我々の高校obが毎月行っているとか。すでに884回めというから7~80年続いているようだ。こりゃ驚き。誰が企画運営しているのか知らないがその持続力に頭が下がる。加えて演じる人が尽きないというのも凄いものだ。しかも今日の出席者は100名近いのだが、年齢的には僕は下から5番目。年をとっても皆元気なのには驚かされる。

March 9, 2009

k-projectそろそろ竣工

R0018524.jpg
プロポーションの違う場所
R0018529.jpg
トップライトから落ちる光FRPの床
R0018540.jpg
FRPの床らから落ちる光
昨日撮ってきた現場の写真を整理。そしてまたここでやっていることの自分なりの考え方の整理。15日(日)10時から6時までオープンハウスを予定しておりますのでご覧になりたい方は一報ください(sakaushi@ofda.jp)。案内をお送りします。

March 8, 2009

レニ・バッソ

elephannto%20rose.jpg
なんだかパッとしない天気である。降りそうで降らない。横浜にダンスを見に行く途中、K-projectの現場に立ち寄る。明日役所検査だがまあなんとかなりそうである。よかった。因みに15日(日)オープンハウスの予定。現場をあとにして横浜レンガ倉庫へ。レニバッソによるエレファントローズを見る。去年の10月公演の時は前日友人が10人以上我が家になだれ込み、泊まった一人と次の日のんびりと飯を食っていたら公演のことをすっかり忘れた。チケットは持っていたのに。その前に見た時はインプロビゼーションを方法的に確立していたが、今日の演目はそうした規則性は感じられない。しかし運動の相互関連性や、映像、音楽との合体であることは前回同様である。そしてその動きは先日見たクラウド・ゲイトの「緩」に対し、より「急」でありスピードによる緊張が感じられた。僕はどちらかというと後者が好みである。研究室の学生と会う。2人はレニバッソの主宰者北村明子(彼女は信大の准教授でもある)の講義をとっていた。僕の研究室の学生には北村さんの講義をとるように勧めているのだが人文は松本でちょっと遠い。しかし都会じゃ1時間かけて大学に通うなんていうのはざら。世界的なダンサーの講義を15回ただで聞けるなんて魅力的だと思うのだが。学生と中華街でビール。東京建築コレクションで研究室の神山君が古谷賞、木村賞を取ったと言う速報に盛り上がる。

March 7, 2009

陽気

7時に車でプードンに向かう。クライアントの中国支社長に送ってもらう。彼は北京出身なので北京に是非来いと誘われる。北京は文化の町、上海は商売の町。日本で言えば北京は東京で上海は大阪だと言う。しかし文化の町といえども中国共産党が北京を首都に制定して町づくりを行った時、歴史的町並みの8割は破壊してしまったとか。なんと残念なことか。その意味で歴史的街を残し新都市を作った中国都市が少し小さいが蘇州だそうだ。北京はもちろん、現場のある大倉からすぐ先の蘇州にも行っていない。上海にこれだけ通って、どこも見てないのはもはや忙しいでは許されまい。これは日程調整の面倒を回避する怠惰である。
機内、読みかけの竹田青嗣『人間の未来』を読む。近代社会の基本を作ったのがホッブス、ルソー、ヘーゲルであり、ヘーゲルへの現代的批判は十分承知した上であえて「自由の相互承認」というヘーゲル概念の有効性を説いている。年初にフランシスフクヤマの『歴史の終わり』を読んでからヘーゲルへの評価は僕の中では高く、竹田の意見も理解できる。
今日の東京はぽかぽか陽気。極寒の上海から帰ってくると日本は春。リムジンで東京駅へ。八重洲口へ着いたので八重洲ブックセンターによって帰宅。さっさと風呂に湯をはり湯につかりながら読書。中国行けば中国への興味が高まるわけでブックセンターで買った矢吹晋『鄧小平』講談社学術文庫2003を読む。

March 6, 2009

これ笑えませんか?

%E5%A4%A7%E5%80%89%E7%85%A7%E6%98%8E%E5%99%A8%E5%85%B7%E2%80%95R0018500.jpg
午前中現場を隅々まで見ながら気になることをナカジに伝える。言ってももうどうにもならないことからこれからやることまでいろいろあるのだがとにかく可能な範囲で反映してもらう。昼は初めて現場飯を食べる。いつも車で近くのレストランに連れて行ってもらっていたのだが、現場の昼食というものをいつか食べたいと思っていた。願いかなったり。そしてこれが実に美味しい。
午後は朝見てチェックした内容をゼネコンに指示。電気サブコンが食堂につける照明の提案器具をもってきた。大きな段ボール箱を開けてできたのがこの写真の器具。白熱灯の巨大ヴァージョン。フェイクだけど結構笑える。これが天井に24個ぶら下がる。居酒屋のようだろうか?今日は昨日までの長雨がやっと上がり晴れ、昼間は暖かだったのだが夕刻はまたぐっと冷えてくる。夜は北京名物の羊のしゃぶしゃぶを食べる。脂っこい中華に飽きたらしゃぶしゃぶはほっとする。夜メールを開くと事務所からメール。パートナーの伊藤君がとある建築賞を受賞したとのこと。やったー。

March 5, 2009

中国現場

また1時間遅れ。10時45分上海プードンに着く予定の飛行機が着いたら12時。前回は2時間遅れ。現場に早く着くべく始発のNXで来ているのだから定刻通り運航しておくれ。機内でIker Gill ed. `Shanghai Transforming` New York 2008 を読む。読むと言っても内容はほとんどが統計グラフ。しかしこのグラフがデザインされている。加えて10名くらいの建築家、都市計画家などのエッセイがのっている。これを見ると上海の建設延床面積は2000年342,060,000㎡、2005年が641,960,000㎡と約倍、すごい伸びに驚く。そこから5年はどうなっているのか分からないが。そのうち住宅建設床面積は2000年が48,040,000㎡、2005年は82,570,000㎡とやはり約倍。一方登録人口はというと2000年が1320万、2005年は1360万と40万しか増えていない。2001年から2004年までの各年のデーターが無いので何とも言えないが、人口の増え方に対して建築の増え方が激しい。浮遊人口や外国人が大幅に増えているのか?作るのと同じくらい壊しているのか?いずれにしても都市の新陳代謝が激しい。ヴェンチューリのエッセイを読むと、彼はローマ、東京とともに上海は好みの都市。その理由は歴史的に異なる時間が並置されているから。これも新陳代謝の堆積の結果だろう。
空港から迎えの車で現場へ。上海は例外的な冬の長雨で現場はぐちゃぐちゃ。着くなり工場の床のコンクリートの伸縮目地の話で悩ましい問題。現場を見る。かなり冷え込む。体が凍りそうである。金箱氏に電話で幾つか質問。夕刻やっとつかまり方針が出て一安心。

March 4, 2009

雲門(cloug gate)

%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%88explan_pic4.jpg
早朝2時間仮眠、コンペ最後の印刷物に目を通し大学へ。鞄に入っていた週刊新潮の書評におもろい本を発見。斎藤由香、北杜夫『パパは楽しい躁うつ病』朝日新聞出版2009。早速東京駅の本屋で買ってアサマに飛び乗る。斎藤由香は週刊新潮に「トホホな朝ウフフの夜」という連載を持っている自称窓際OL。ただのOLのコラムにしてはかなり長く続くと感心していたのだが、、、北杜夫の娘とは知らなかった。この親子は相当仲良し。父が躁鬱になろうと娘はそうした父をまるごと引き受けている。なかなか素敵である。最後に、北杜夫の兄、精神科医齋藤茂太の言葉が語られる。「僕の病院に来る患者さんはみんな120%頑張った患者さん・・・60%で満足するかどうかが幸せな気持ちを充足するんですよ」確かにね。私のそばにも60%の人がいる。自称天才のこの人は努力と言う言葉を知らない。私に向って「努力型のあなたは偉いが、体を壊す」と警告する。こういう人がそばにいてくれてほっとする。週刊新潮では福田和也の時評もよく読むがこの号では『R25の作り方』が取り上げられている。しかし読んだらほとんど内容紹介。これなら僕のブログと大差ない。もうちょっと辛口で行っていただかないと福田ではない。手を抜くな。
大学で会議その他雑事を済ましてアサマに。Cpuを開くと学内gp採用のメール。ほっとする。睡眠不足の時に限って電車で眠れない。竹田青嗣『人間の未来』ちくま新書2009を読む。哲学でも読めば眠れるかと思いきやどんどん目が冴える。不思議なものである。東京に着いてオーチャードホールへ。台湾のダンスカンパニークラウド・ゲイト(cloud gate)を見る。マース・カニングハムらに師事した台湾の天才的振付師リン・ファイミン率いるカンパニーである。ダンサーに書道をやらせその呼吸を身につけさせているというだけあってタイミングが絶妙だ。しかし今日はあることを思った。久しぶりのダンスだから仕方ないのだが、かつて見たどれかとあまり区別がつかないということに気づいた。それは振り付けの言葉を知らないからなのだと思った。動きをネーミングして記憶できないでいるから動きの差を識別できないのである。僕らはだいたい、音楽でも絵でもまあもちろん建築でも技法をあるいは表現のヴォキャブラリーを言語として知っている。ダンスと同じ体を動かすことなら例えば運動を考えてみればいい。シュート、トラップ、パスなどやはり動きに名前が付いて言葉によって分類し、記憶している。ところがダンスは分からない、足を上げる、手を回す、首を振る、程度の識別だ。これでは微差は認識できない。今月はあと二つダンスを見るので、名前なしで何とか動きを比較できるようになれるかもしれないが。

提出前夜

6時に家を出て駅まで自転車。朝早いこともあって耳が凍りつきそうに寒い。6時37分の長野始発のアサマに載ってディズニーの本を読む。大宮で睡魔に襲われ終点まで熟睡。一度帰宅し歯医者によってから事務所に。コンペの最後の追い込み。文章を練りながら。全体にあてはめ、量を見ながら推敲。空いた時間に今月末行う研究発表会の報告書の表紙を作って事務局に送る。ファイルをダウンロード。その後は竣工間際の住宅の考え方を整理。文章にしてみるとやっとやりたかったことのもやもやしていたものに薄明が差し込む。先日お会いした女性社長からメール。予定していた敷地になにがしかの瑕疵があったとのこと。ショックを受けている様子だが、なんとか別の土地を探し、ゴールの時期は変えたくないと力強いお言葉。ガッツを感じる。久々に朝までコンペの最終稿に朱を入れる。

March 3, 2009

Diseneyization

午前中はずーっと会議。午後は推薦書を書いて、コンペのドラフト見て、構造、設備の意見を聞いて、レポート採点して、コンピューター入力。などなど。その後アラン・ブライマン能登路雅子監訳『ディズニー化する社会』明石書店2008を読む。ディズニーに関する書籍は数多くある。僕自身新書を数冊読んだことがある。日本に多くあるならアメリカでは言うに及ばず。そうしたディズニー研究はディズニー物語の作られ方に関するものが主流だと言う。つまりは残虐な童話がいかに無菌化されて現代のお子様向けに作り直されているかという視点である。著者はそれをDiseneyficationと呼ぶ。一方彼の狙いはディズニー文化が単にディズニーランドを作る手法に留まらず経営管理などのビジネスの手法として汎用性を持つことを検証する点である。こうしたディズニー文化創作手法の汎用化を著者はDiseneyficationと区別してDiseneyizationと呼ぶ。そしてその手法としてあげられるものが4つ。テーマ化、ハイブリッド消費、マーチャンダイジング、パフォーマティブ労働である。ディズニーに絡む仕事をした時のことを思い返すと、これらの手法に思い当たる。ディズニーランドの横に建っているイクスピアリはホテル・シネコン・物販・飲食なるハイブリッド。マーチャンダイジングとはロゴやキャラクター管理を徹底化して、それらを商品化販売することだそうだが、そのためのキャラクターの形状管理はとても厳しい。そしてパフォーマティブ労働。彼の地では働く人を役者に仕立てキャストと呼ぶ。つまり役者である。そうやって働くことの意欲を掻き立て人気を高め倍率ををあげて人を厳選する。などなど。そう言えばそうだと思い当たることしきりである。
夜、とある会合。そのまま東京に帰るつもりだったが、忘れた携帯を大学にとりに行っていたら帰れなくなった。夜中、中国のナカジからコンペドラフトの実にきめ細かなチェックがメールされてくる。ありがたい。

March 2, 2009

R25

R25というフリーペーパーが世の中に登場した時は結構話題になった。とは言って実は中身をあまり読んだことがない。鞄が重くなるのがいやなのともらっても読まずに捨てたら申し訳ないと思ったからである。しかしどうしてこんなものをタダで配ることができるのか不思議ではあった。そうしたら最近『R25のつくりかた』という新書(日経プレミアシリーズ2009)を目にした。著者は編集長である藤井大輔さん。彼は1973年生まれ、2004年の創刊時には32歳と若い。しかし、R25はM1層と呼ばれる20歳から34歳までの新聞読まない、本買わない、テレビも見ないと言われる(あくまで言われる)層の男を対象としたフリーペーパーだからその層に含まれる年代の人が編集をするのは道理かもしれない。
普通、雑誌とはあるターゲットを決めて売るからせいぜい売れても7~8万部だそうだ。それに対してR25は50万部はけるのだからちょっと驚異的。もちろんただだからということはあるのだが、それでも街頭ティッシュだって選挙ビラだって欲しくなければ貰わないわけで、これは興味を持たれているということである。
さてそうなるとその内容が気になる。これまで「ゼクシイ」や「ダ・ヴィンチ」を作っていた藤井さんは200人以上のM1層にインタビューし回ったところ彼らは活字が嫌いなのではなく、読みたいけれど分からないのだということを知ったという。分からないというのはつまり新聞で使われている用語が辞書を引かないと分からないというようなことだそうだ。そこでこのフリーペーパーは速報性を捨てて、新聞読をむための基礎知識のようなものをさりげなく織り込むことにしたという。加えてブックレビューも新刊ではなく、M1が欲しい知識を与える本をじっくり選んで提示するバイヤーのような役目を担っていると言う。もちろんそれだけではなくスポーツ、IT、新製品などのM1好みのネタも入っているがそれはおまけ。そしてピアのようなエンタメ情報はむしろ入れないそうだ。
ところでなんでただで配れるのか?もちろん広告費があるからである。50万読者層があるとそれなりの広告がとれると思うのは素人。フリーペーパーというものがまだあまり信頼されていない日本では結構大変なのだそうだ。

March 1, 2009

夜中に、、、

朝一で現場。オープンデスクの西浦君も連れてきて現場を見せる。もう一息。最後にきて少しだが変更工事。クライアント強し。事務所に戻りコンペに挑む。OFDAからは坂牛チームと木島チームと両方出す。双方の形が見えてくる。12時頃帰宅して夕食。ちょっとビール飲んで寝ようかなと思ったら娘が「物理が分からん!!!」と部屋から出てきた。げっ、こんな時間に、、、「どんだけあるの?」「ここからここまで、、、」結構な量。力の3法則、慣性、加速度、力、仕事、位置エネルギー、運動エネルギー、力学的エネルギー。ノート見ながら問題解くのだが教えながら、「これの公式って何だっけ?」と例題の度に娘に質問。どっちが教えているのだかよく分からん。単位が頭の中で大混乱。やっと終わったら3時。