Diseneyization
午前中はずーっと会議。午後は推薦書を書いて、コンペのドラフト見て、構造、設備の意見を聞いて、レポート採点して、コンピューター入力。などなど。その後アラン・ブライマン能登路雅子監訳『ディズニー化する社会』明石書店2008を読む。ディズニーに関する書籍は数多くある。僕自身新書を数冊読んだことがある。日本に多くあるならアメリカでは言うに及ばず。そうしたディズニー研究はディズニー物語の作られ方に関するものが主流だと言う。つまりは残虐な童話がいかに無菌化されて現代のお子様向けに作り直されているかという視点である。著者はそれをDiseneyficationと呼ぶ。一方彼の狙いはディズニー文化が単にディズニーランドを作る手法に留まらず経営管理などのビジネスの手法として汎用性を持つことを検証する点である。こうしたディズニー文化創作手法の汎用化を著者はDiseneyficationと区別してDiseneyizationと呼ぶ。そしてその手法としてあげられるものが4つ。テーマ化、ハイブリッド消費、マーチャンダイジング、パフォーマティブ労働である。ディズニーに絡む仕事をした時のことを思い返すと、これらの手法に思い当たる。ディズニーランドの横に建っているイクスピアリはホテル・シネコン・物販・飲食なるハイブリッド。マーチャンダイジングとはロゴやキャラクター管理を徹底化して、それらを商品化販売することだそうだが、そのためのキャラクターの形状管理はとても厳しい。そしてパフォーマティブ労働。彼の地では働く人を役者に仕立てキャストと呼ぶ。つまり役者である。そうやって働くことの意欲を掻き立て人気を高め倍率ををあげて人を厳選する。などなど。そう言えばそうだと思い当たることしきりである。
夜、とある会合。そのまま東京に帰るつもりだったが、忘れた携帯を大学にとりに行っていたら帰れなくなった。夜中、中国のナカジからコンペドラフトの実にきめ細かなチェックがメールされてくる。ありがたい。