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建築を面白がる

平川克己『ビジネスに「戦略」なんていらない』洋泉社2008を読む。先日読んだ鷲田さんの『「待つ」ということ』では未来から現在のあり方を効率的に想定する現代社会の側面が批判的に描かれていたが同様な視線がここにもある。加えて著者は仕事における「戦略」的思考が仕事の最も大事な別の枠組みを排除しているという。そしてそれは仕事を「面白がる精神」だと言う。設計事務所のようなところではそれがなくなったらもはやおしまいであり、この言葉は敢えて言われるまでもないと思いこんでいるのだが、少し反省する所もないではない。それは次のようなことである。設計という仕事は相手があるわけで、こっちだけ勝手に面白がるわけにもいかないものである。相手といっしょになって面白がらなければならない。しかし一緒に面白がるためには面白さのツボを共有せねばならない。「坂牛のツボならなんでも面白いですよ」なんて言ってくれるクライアントが登場すればまあ楽ちんであるがそんなケースは殆どない。となるとこれは共有できるツボをとにかく探さなければならない。しかし設計とは時間的に有限なのだからさっさとやらないと時間切れとなり、どっちか面白くないか、双方つまらないか、という最悪の事態も招きかねないのである。しかし恐ろしいことに建築とは双方面白くなくてもできてしまうものなのである。なぜなら建築は面白がるために作るものではなくて、雨風しのぐために作るものだということになっているからである。そうである。その通りである。「建築は面白がるために作るものである」なんて大学で言おうものなら、まあ他の先生からは冷たい視線を浴びるだろう。「建築」というものは社会常識上そうなっているのである。だから僕らは必至で時間内に笑えるツボを見つけ出すと言う努力をせねばならないのである。この本を読んで改めて建築を面白がらねばと痛感した次第である。

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