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November 30, 2008

線の数

ひっきりなしに下着を替えつつ水を飲み、そして熱が徐々に下がる。それでも頭がぼーっとしており、これは初めて大学を風邪で休むか??と思い関係する先生に電話をしようと覚悟を決める。しかし覚悟は決めつつボーっとしながらテレビでラグビー観戦していたらどういうわけか少し気分がよくなってきた。あの無敵関東学院も弱くなったものだ。東海大に負けちゃった。
行くなら明るいうちに家を出なければ。アサマの車中藤森さんの『建築史的モンダイ』でまたまた素敵な発見。あのタウトが称賛した桂をコルビュジエは評価しなかったそうだ、その理由がふるっている。「線が多すぎる」だそうだ。これは期せずして僕が去年から学生とやっている町並み装飾度調査の調査指標である。のっぺりしたモダニズム建築に対して、昨今のっぺしりないざらざらした建築が多くそのざらざら度を調べる指標は何かと考え行き着いた調査項目の一つが線分の数なのである。しかしそうした指標設定がはたして的を射ているのかというのはなかなか確信が持てなかったのだが、あのコルビュジエが桂をそう批判したというのならこれは線分の数=ざらざら度と考えて間違いない。

風邪悪化

11月29日
明け方ひどい下痢に襲われて5回もトイレ。これは何か悪いものを食べたに違いない。吐き気もあったがそちらはなんとか食い止める。起きてすぐに荒木町の内科に行く。「悪いもの食べたんですかねえ」と聞くと、ちょっとした検査をして、「いやあ違う」という答え。まあ風邪なのだろうが、ちょっとひどい。
「点滴していってください」と言われ小一時間眠る。少し回復し、午後からA0勉強会。意識が朦朧となりながらアルファベットを追いかける。体調が悪化しているのを感じる。皆に風邪をうつしてないか心配。夕方、帰宅。おかゆを食べてベッドへ。凄い汗とともに発熱。39度を突破して40度に迫る勢い。これインフルエンザじゃないの?と思ったが、少しづつ熱は下がる。が8度前半で止まる。

November 28, 2008

オフィス

早朝大学に向かう自転車をこいでいると携帯に電話。無理な体勢でとろうとしたら転びそうになった。大学について積もった雑用を片付け2コマ目の講義。昼食をとって製図に行こうとしたら電話がかかってくる今日は電話に呪われている。製図は後半課題のオフィスビルである。敷地は自分の設計した長野県信の前。敷地に学生を連れていくと県信の職員の方が出てこられて少し歓談。こうして長い間設計者とクライアントのいい関係が保ているのはありがたいことである。
藤森照信『建築史的モンダイ』ちくま新書2008を読む。何事も具体的に、抽象論を極力排除する。ゲニウスロキ批判は傑作だ。大事なのは理屈ではなく、モノ。建物と地面のつながりこそが地霊なのだとか。どこかでくしゃみをしてそうな建築史家の顔が頭に浮かぶ。なぜか文体が東海林さだおに似てきたような?
スーザン・ジョージ著 森田成也、大矢貞晴、中村好孝訳『アメリカはキリスト原理主義・新保守主義にいかに乗っ取られたのか?』作品社2008を読む。先日朝日の書評にアメリカ右傾化の本2冊が載っており思わず注文。『サブカル日本、、、』『歴史の始まり』などを読むとどうしてもアメリカの右傾化の内実を知りたくなる。

November 27, 2008

Done is beatiful

8時台のアサマで研究室へ。長野はかなり寒い。修士のゼミだが、残すところあと2か月である。と言っても毎日の地道な努力でしか進まないのだから60日を無駄にしないで終わらせて欲しいものである。毎年この時期になると思いだす言葉がある。Uclaのスタジオで頻繁に聞かれた学生の言葉「Done is beautiful」。まだちょっと早いのだが。
夕食後は読みかけの『歴史のはじまり』大澤真幸、北田暁大の対談を読む。この対談は二人の著作にある程度精通していないと理解できない。特に社会学の門外漢には厳しい。僕は二人のファンで大半の著作には目を通しているつもりだが、いい加減に読んでいるからか?忘れっぽいからか?重要概念がわからない。「アイロニカルな没入」とか「ロマン主義的シニシズム」など、、、ネットで調べなんとなく思い出す。社会学者は命名の達人と感心しながら読み進む。

November 26, 2008

k-projectのスケール

午前中k-project現場。工務店との打ち合わせはスタッフに任せる。建て方が終わり構造用合板が張られた建物の内部をうろうろする。この段階になると建物のおおよそのスケールが分かる。今回の建物の特徴は1階では2メートルと2メートル70センチの二つの天井高の差。2階ではその逆で70センチの床の段差。この天井と床の形の変化が完成してどう感じられるのか?設計段階ではこの寸法にはかなりデリケートになった。これほどまでに「もののサイズ、スケール」に頓着したのも初めてである。圧迫と解放、低所と高所が何を生み出すだろうか??と考えながら、和室となるところでは荒床に座る。食堂となるところでは椅子の高さに板を載せて座ってみる。さらに建物内を彷徨いながら仕上がりを想像する。だが、まだ想像は完成形には至らない。いけているのかどうかは分からない。午後事務所に戻り事務的な書類整理と名刺整理。

慰労

11月25日
午前中事務所で打ち合わせ。午後リーテムに打ち合わせに行く。竣工まで残り2か月程度。日本なら仕上げに入るべき時期なのだが、まだそこまで至っていない。しかしスタッフも4000㎡を見て回り、不足な図面を描き、金をチェックし、スケジュールのコントロールまであやふやな通訳を介して行うのには限界がある。そもそも時間と金の管理は日本人が行うには限界があるから中国のプロジェクトマネージメント会社を雇ったのである。僕らは契約上はその補助を行う位置づけなのだが、どうにもこうにもこのpmチームが無能であるがために副であるはずの僕らが主の立場を引き受けざるを得ないというのがつらいところである。夜、スタッフと荒木町にジンギスカンを食べに行く。皆少し疲れがたまっているので労をねぎらう。2軒目はジンギスカンのそばにあるソウルバーへ。80年代ブラックミュージック(つまりはディスコサウンドである)が気持ちいい。

November 25, 2008

八潮ワークショップ

11月24日
今日は八潮市でやっていたワークショップの最後の市民プレゼン。場所は市内で一番大きな大ホールである。このワークショップ、正式には「八潮街づくり100年運動」という。学生は6時ころ長野を出て9時に着いたと思われる。僕らは10時半に到着。すでにホールのロビーには5大学のパネルと模型が並べられてある。市長、商工会長などと簡単な打ち合わせ、そして昼食。今日のシンポジウムパネラーの方々とごあいさつ。
12時半開会。われわれとは別に都市計画マスタープランを作成している都市計画家(埼玉大の窪田先生など)の基調講演の後、各大学のプレゼンである。先生も一言。僕、小川さん、槻橋さん、寺内さん、曽我部さん。作品のグレードはぐっと上がった。発表もだいぶ練れてきたようだ。市民も200人近くは来られていたのではないだろうか?
学生プレゼン後、パネルディスカッション。都市計画系の先生、市長、商工会長、市民、そしてワークショップ代表で私。たった40分でこの人数なのでディスカッションにはならず順番に一人ずつテーマに沿って意見を言うというようなもの。僕はこの間の青学でのシンポジウムの延長でルフェーヴルを例に出しながら市民のゲリラ的な都市への参加とそのゲリラ性を受容するグレーな制度の必要性を説いた。終わって学生の慰労会。先生たちも上野で夕食。とりあえず発表は終わったがこれをなんとかパブリッシュする話をしようと思っていたが、そんな話題は一つも出ずに建築四方山話で盛り上がる。

November 23, 2008

フィンランド

その指標の実態はよく知らないが、世界経済フォーラムによる国際競争ランキングで2001年から4年連続1位。OECDの15歳を対象とした学習到達度調査では科学的リテラシー1位、数学的リテラシー2位、総合読解力2位。その国はノキアで有名なフィンランド。そんな国の教師はなるのが大変だし給料はいいし尊敬されている。そして何より先生一人に対する生徒数が少ないそうだ。やはり教育の質が学力を上げるなんて当たり前のことである。堀内都喜子『フィンランド豊かさのメソッド』集英社新書2008を読んで感じた。
米田知子の写真展を原美術館で見てから蜷川実花の展覧会をオペラシティギャラリーで見ようと4時半ころ家を出た。結構暗い空を見てたら不安になってきた。原美術館はまだやっているのだろうか?電話をかけたら案の定4時半で終わり。仕方なくオペラシティへ。6時にかみさんと待ち合わせしていたので1時間カフェで本を読む。大澤真幸、北田暁大『歴史のはじまり』左右社2008。この二人の話は妙に図式的になりすぎるときはわざとらしさを感ずるのだが、さてこれはいかに?
蜷川の展覧会はhttp://ofda.jp/column/多くの普通の人たちが来ており、彼女の芸能戦略を実感するようなものだった。もちろん僕はそんなことまで含めて彼女の写真が好きであるが。

November 22, 2008

一年目検査

早朝のアサマで上野へ。上野から山手線で田端に向かう。赤い家の一年目検査。田端の駅は駅ビルアトレができ、こじゃれた店やスタバなどが入っている。なるほど「えきなか」とはこういう店のことか。検査までまだ少し時間があるので、この駅ビルで買い物。10時半に赤い家。1階の賃貸部を先ずチェック。実にきれいに使っている。吸気口周りが黒く汚れていること以外は1年前と何も変わらない。オーナー部分も本当にきれいである。一部塗装がはげたところの修復をお願いしたがあとは何もなかった。帰宅して一休み。夜は20年目の結婚記念日で外食。寿司を食べ、バー金魚に行きまたお腹が減って行った先が大阪王将(笑)。

講評会

11月21日
午前中講義。午後は製図第二の講評会。今日のゲストは福屋粧子さん。妹島事務所の出身で現在は慶応のシステムデザイン工学科の助教を務めていらっしゃる。僕は塩尻のコンぺで彼女の案に出会い5つのヒアリング案に推挙した。その時以来いろいろな場所で実際お会いしたり、はたまた彼女の建築メディア論に10+1で遭遇したりである。
彼女のクリティークは的確だし意表をつくようなものありなかなか楽しかった。こうやって毎回違うゲストを呼んで話を聞いていると皆発言が少しずつ異なり面白い。当たり前だが建築に真実はないことがよくわかるl。夕方講評を終え2年生や坂牛研の学生を交えて駅前で懇親会。2年生にも意匠に熱心な学生がいることがわかりほっとするやら嬉しいやら。

November 20, 2008

90年代の始まり

午前中推薦入試。例年と同じくらいの受験者数だった。天気も良く特に問題もなく終了。午後はゼミ。途中で数回会議に顔を出す。試験官で神経を集中しその頭でゼミは少々つらい。夕食後作日から読み始めた接続詞の本を読む。なるほどと思うことしきり。本に飽きると研究室の本棚を眺める。その一角には恩師ディビッド・スチュワートがこの春退官した時に送ってくれた洋書が詰まっている。そこから特に意味もなく一冊引っこ抜いて眺める。‘COLUMBIA DOCUMENTS OF ARCHITECTURE AND THEORY`VOL1を手に取る。このシリーズの創刊号で1992年出版。目次は巻頭論文がジャックデリダ、二つめがエリザベス・ディラーとリカルド・スコフィディオ、ピーター・ライスはUNSTABLE STRUCTURE、マーク・ウィグリーはHEIDEGGER`S HOUSE そしてジョバンナ・ボリドーリはTHE ITALIAN HEIDEGGER;PHILOSOPHY,ARCHITECTURE AND WEAK THOUGHTという論文を書いている。タイトルだけ見ていても、ポストモダンんの終焉そして90年代の始まりを感じさせる。そして篠原一男のTHE NEW MACHINE;ABSORBING CHAOSという論文が目にとまる。論文と共にコロンビアでの展覧会風景写真が掲載されている。1991年篠原の展覧会がコロンビアで行われていたというのは知らなかった。論文はカオスについてのアンソロジー。`I`という主語がやたら目につく文章である。篠原らしい。カオスのアンソロジーといのも時代を感じさせる。90年代が現在につながっているのは確かであろう。そんな時代に篠原がいてハイデッガーが重要な役割を果たしているということを再認識する。この偉大な哲学者の息の長さに驚きを隠せない。

大寒波がついに来た。白馬ではすでに駅前が積雪20センチくらい。長野市内も小雪がちらつく。朝一で博士課程の論文予備審査資格判定会議。今年は建築学科で4名の博士論文を審査することになる。午後3年生m1を対象にした就職ガイダンス。就職委員の主の先生は交代するのだが、副の私は設計担当として当分この役を免れることはなさそうである。夕刻学会の卒業設計展(全国巡回中で現在信州大学で展示中)を拝見。京都の人たちの独特の表現力に目を見張る。cgばやりの昨今手の味を前面に出している。あまりの量なので内容をよく見る時間はない。その後製図第二の提出作品を並べてもらい金曜日の講評会の発表者25名を選ぶ。上位15名くらいは簡単に選べるのだが20番目から30番目くらいはどんぐりの背比べ。講評会には慶応の福屋粧子さんに来ていただく。塩尻のコンペでヒアリングに残った方である。妹島事務所出身でボス譲りの爽やかな作品だった。講評会が楽しみである。夕食後帰宅。風呂で石黒圭『文章は接続詞で決まる』光文社新書2009を読む。僕自身接続詞は最も重要な品詞であろうと思っている。それはアメリカに行った時さんざん接続詞の使い方を教えられ、日本語もそうあるべきだと思っていたからである。我意を得たりという気持ちで読み始めた。ただ僕は文章の論理性にとって接続詞が重要であると思っていたのだが、どうも接続詞にはそれ以外にも多くの役割がありそうである。

November 18, 2008

知行合一

午前中は事務所で雑用を終わらせ、午後k-projectの現場週例。建て方も終わりサッシュもはいりガラスも付いて、トップライトがつけばもう雨の心配もない状態。だがこのトップライトはガルバリウムの板金。かなり慎重にやらないと漏水の原因となる。現場所長と施工図を見ながら心配部分の対策を話あう。夕刻事務所にもどる。ccのメールを見ていると中国の現場は変更工事の金の始末に追われ肝心の建築の指示がままならぬようで心配である。数回国際電話で様子を聞いたり指示したりである。今日は他のスタッフが休みなので早めに長野に向かう。車中『学問の下流化』を読む。著者竹内洋は佐藤優と対談し、佐藤の知行合一的態度に感銘を受ける。その上で丸山眞男、大内兵衛を例に出しこう説明する。彼らは東大教授というエリートではあったが思想を行動に移したがゆえに特高に逮捕された経験を持っている。だからこそ(知行合一)机上の空論を振り回す空虚な知的エリートとは一味違うと。つまり高等知識人は臭い飯を食うことで一人前になれるのだと説く。そして、それはヤクザとよく似ているとも。どっかの雑誌に軽く書いた一文ではあるがぼくはこう言う話は嫌いではない。つまり要領よく目先の利益に流されて生きるのではなく信念通して臭い飯食う方が最後に得るものが大きいということだ。そしてそういう人間の方が竹内同様僕も好きだし、信頼する。

November 17, 2008

下流化

市役所主催で景観賞受賞作品めぐりというイベントがある。20名くらいの希望する市民と半日建物めぐりをする。午前中そのツアーの講師を行った。建物は夏に現地調査をしたものですべて見たものである。5つの建物をめぐり12時に市役所に戻り、自転車で大学へ。昼食後八潮の打ち合わせや修士論文の相談など。その後教員会議。会議後アサマで東京。車中鈴木謙介『サブカル・日本の新自由主義』を読み終えた。しかしどうもこの本は何が言いたいのかよくわからなかった。こちらは新書のつもりで気軽に読んでいるのだが、いつのまにか社会学知のマップ上を右へ左つれていかれるのでついていけなくなるのかもしれない。ただ結論的に書かれていることは納得した。それは現代がチョイスの少ない時代になっているという点である。それを新自由主義と呼ぶのかどうかはよくわからぬが、いずれにしても合理的競争社会が前提化されていてそこから落ちるのかへばりつくのかという二者択一になっていることに問題があるという指摘は妥当な気がした。
その後竹内洋『学問の下流化』中央公論2008を読む。下流化という言葉が流行っている。まさかこの人までこう言う流行語に流されるとは思っていなかったが、出版社の意向なのだろうか?

中学の担任

今年の夏に中学時代の担任の先生が亡くなられた。とても個性的で人気があったため、先生に担任された13年間4つのクラスがいっしょになって新宿三井倶楽部で偲ぶ会を催すこととなった。先生の名は中川浩一。その名は知る人ぞ知る地理教育学者であり、鉄道学者でもある。我々の担任を最後に母校を離れ茨木大学の教員となった。
本日の最若輩の代の幹事である私とかみさんは受付などやりながら定刻に会場に入って司会の挨拶を聞いていた。周りは大先輩。隣の人の名札に目をやるとあの岩井克人氏であった。父親が経済学者であるにもかかわらず、数学嫌いの私にはどうもこの学問は馴染めないものがあったが岩井氏の著書は数冊目を通したことがある。著書のみで知る有名人が同じ先生に教えを受けていたというのは嬉しいような不思議な感覚である。出席者すべての名を知る由もなし、きっと著書やテレビで知る人が他にも多数いるのだろう。
各学年から先生の思い出話を聞くにつけ、恩師の面白さや人間臭さを知ることとなるのだが、先生は地理の教師であると同時に鉄道オタクであった。僕が信大に来て、とある先生に僕の母校の名を告げた瞬間に鉄道マニアのその教授の口から中川浩一を知っているかと問われたくらいである。彼の授業は今でも覚えているが、ヨーロッパの鉄道時刻表を渡し、一か月の旅のスケジュールを作れというものであった。地図と時刻表が彼の教材だったように覚えている。
しかし博学の彼についてさらに驚いたのは帰宅後wikipediaで彼の名を引くと夏目漱石研究者と書いてあったことである。本日のスピーチでそんな言辞は一言もなかったと言うのに。
偉大な先生に若き日に教わったことに感謝するとともに心から師のご冥福をお祈りしたい。

November 16, 2008

善光寺で中学生と建築の勉強

11月15日
午前中は研究室で読書、スケッチ。12時半に善光寺のとある宿坊へ。理学部による女子中高生に科学の楽しみを教えようという企画の一つを善光寺で行うことになった。谷口吉生の東山美術官、林昌二の信濃美術館を見て宿坊に泊まり二日目は善光寺を見て実測もしようというようなプログラムである。本当は夏休み中にやる企画なのだが、その時は応募者が少なく成立しなかった。今回はやっと参加者5名ありやることとなった。しかしふたを開けてみるとキャンセルが二人。結局3名の参加者。それでも宿坊でささやかなレクチャーをして二つの美術館を見て回った。参加者は中学2年生ということで娘の一つ下。そう思うと話はしやすい。建築の成り立ちを説明したがわかっただろうか?
4時過ぎのアサマで東京に戻り二子玉川に向う。恩師ディヴィッド・スチュワートの東工大での再雇用(designated professorと言っていたような)をお祝いして彼の新居にお邪魔する。奥さんが「図書館のような家」というだけあって本がきれいに壁、壁にはまっている。まあセンスがいいこと。建築雑誌というよりは女性雑誌に登場しそうなインテリアである。

November 14, 2008

撮影会

早朝雑務を片付け、デザイン論講義。今日が製図提出のせいか欠席が多い。その上徹夜明けなのかみな深い眠りに入っている。午後製図。先ずは図面提出。去年より図面の提出と模型の提出を1週間ずらして模型をきっちり作らせることにしている。提出確認後模型写真の撮り方講習会。taがパワポを使って説明。そして実践練習。どうも学生の持っているカメラはマニュアルモードがないので絞り優先で撮れないことが判明。これだとマクロな写真はうまく撮れないのだが、まあそれでもディライトの当て方、バックの作り方、三脚の使い方など、やらないよりはましだろう。デザインに飢えている子たちは率先して自ら撮りtaに質問している。いいことだ。研究室のコンペに勝つためには2年生のうちからとにかく教育あるのみと先日反省。全日本をワールドカップに送り出すためにJ1ユースを強化するのと同じである。夕食後事務所から送られてくるメールチェック。また設計変更依頼が来ているようである。日建時代もあった。ディクテーターオーナーの場合よく起こることではあるが、、、トホホ。
今日は金曜日だが明日も長野で仕事のため帰京せず。研究室で読書。鈴木謙介『サブカル日本の新自由主義』ちくま新書2008を読み始める。若くして5冊目の本を上梓し、名実ともに日本の第一線社会学者の風格あり。

November 13, 2008

7時半のアサマに乗る。眠い目をこすり『額縁への視線』を読み終える。著者の小笠原尚司は額装者。額を入れる対象とかけられる場所を見据え額のデザインをする。額は対象にとっては領域を確定するものだし、かけられる環境の中では家具のようなものだと言う。しかしそういう意識のお客さんはあまりいない。そうした中では書道家は額に対する意識が比較的高いと言う。なるほどかみさんと絵を見に行くとすぐに額を見ろ見ろと言うし額を観賞している。書家にとっては白い紙を限定する何かがとてつもなく重要なのである。7時半のアサマは長野に9時少し前に着き、大学に9時に着く。研究室でメールチェックして10時からキャンパスマスタープランの会議。今日で工学部の意見収集は終わりにして12月の全学部の意見を評価する総括会議へのまとめをしたい。幸い工学部長の意見を含めおおむね出し切っていただいた。こういうとき蛸足大学は楽といえば楽かもしれない。一キャンパス一学部だから利権争いが起きにくい。とは言え信大も本部キャンパスは学部が混在。ここは一筋縄ではいかない。
午後からm2のゼミ。笑って楽しいなあと言っていられる時期ももう終わり。でも今年も去年同様放任を貫き通す。学生諸君自力で頑張りたまえ。このあいだバートレットの校長先生も言っていた。学生は放っておいた方が伸びると。後は適度に意見するが手取り足取りやる気はない。
夕食後八潮のプレゼンへ向けての打ち合わせ。うちの学生はプレゼンがいつまでたっても上達しない。論文と違ってこちらは下手しても落第するわけでもなく、頑張れよと放っておくと彼らは本当に何もしない恐怖がある。そう思って一緒に考えていたら10時になった。

November 12, 2008

変更

昨日起工式を終えたというのに、設計変更の依頼がきた。今日杭工事だというのに通り芯の変更が必要になった。杭工事は一部ストップ。その昔日建時代、工事着工後に階高の変更を依頼されたことがある。この時は大変だった。ぎりぎり梁成は変わらなかったが建物高さは変わり、構造計算はやり直した。もちろん確認は出し直しだった。通り芯変更は幸い大スパンにかかわらなかったのだが、それでも計算をやり直し、プランのおさまりを考えていたら半日過ぎる。週末のパワポを作り、12月のシンポジウムのパワポを作り、そして明日の会議の資料を作り印刷。

2年間横ばい

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九州も寒い。早朝の温泉につかり朝食後敷地へ向かう。小さな建物だが、起工式は本格的である。出席者も30名近かった。今年3つ目の起工式。起工式後、直会会場に移動。模型を設置。最初に一言あいさつ。木が低く少ない。でこぼこした山が多い。など感覚的な話だが九州の山は長野のそれとだいぶ違うこと。数十年前に一時働いていたスイスと似ていることなどをお話しする。
起工式、直会と今までお会いしたことのないご老人がいらっしゃっることに気づく。ごあいさつするとどうもこの建物の風水を見た方のようだった。風水師といわれる人に初めてお会いした。関係者はみな「先生、先生」とあがめている。その方が、どれ手を出してごらんと言うのでお見せすると3分くらいじっと見てからこう言った。「これから、、、、2年くらいは横滑り、、、、、(ゴホ、ゴホ)、、、、でもそのあと、、、、美術館のような、、、、建物を設計して、ク、ロ、カ、ワ、のように、、、」。2年間横滑りとは、まあ可もなく不可もなくということのようだ。その後黒川(黒川紀章)のようになるとおっしゃりたいようだった。もちろん僕にそんな力はないとしても美術館を設計する機会があるならそれは嬉しい。それはコンペだろうか??
午後工務店とサブコン、クライアントなどを相手に、12時半から5時までびっしり打ち合わせ。だいぶ話が明快になってきた。工務店の車で空港まで送ってもらい最終で東京へ。帰宅後メールチェック。研究室から「浅草ダメでした」というメール。月曜日連絡がこない時点でああだめだなと思っていたが、今回は悔しい。いままではこれが研究室の力と他人事だったが、、、、通った案を見たいものだ。研究室通算6戦全敗。何敗するまでやるか?風水師に言われた2年間横ばいとはこういうことか。

November 10, 2008

九州へ飛ぶ

事務所で施工図チェック。その後中国プロジェクトの状況報告を聞く。いよいよ佳境。未知との遭遇となりそうだ。竣工までに何回現場を見られるだろうか?冬休みの後は論文発表会後?午後リーテム打ち合わせ。明日の九州プロジェクト起工式のための大きな模型を抱えて出かける。タフな話になると思ったのだが、クライアントは現場進捗にある程度理解を示してくれてほっとする。中国経済の激変が影響しているのかもしれない。リーテムから浜松町経由羽田。最終の飛行機に乗るところ。明日の起工式が10時からなので前日に入らないと間に合わない。起工式の後は工務店との打ち合わせだが、こちらはこちらでタフな打ち合わせになりそうだ。

November 9, 2008

ネットの旧態的性格

かなり前からかみさんと上野でやっているウィリヘルム・ハンマースホイの展覧会に行く約束をしていた。今朝はチャンスで朝一で行くことにした。開館時刻を目指したが少し遅れ。上野についたのは10時半。内容はコラムに書いたのでそちらをどうぞ。静寂な絵に心洗われる。北欧の短い日中を象徴するかのように太陽が見える絵はほとんどない。すべてが曇天であり今日の空のようである。アメ横で買い物をして帰宅。昨日読みかけの本を読み終える。以前『場所間の喪失』を読んだとき、ネットはテレビより本的なメディアであると知ったのだが、『アーキテクチャの生態系』を読んでいると再びネットが本的である性格が記されている。それはテレビやラジオが同期的であるのに対して、本やネットは非同期的であるという性格である。つまり情報が発信されたその同じ時間でないと得られないラジオやテレビに対して、本やネットは後から得られるという性質を共有しているのである。うーんだからどうかというところはまだ考えていないのだが、研究室でも行っているネット上での建築情報がもたらす影響について、果たしてこの旧態的性格が何をもたらすのだろうか??夕方事務所で簡単な打ち合わせ。帰宅後夕食後小笠原尚司『額縁への視線』八坂書房2008を読み始める。

November 8, 2008

現代アート

昼からの勉強会の原稿読みが今朝になってしまった。今日は3章のロマンティック・ファラシーの残りの数段落。建築のロマンティシズムとしてのピクチャレスクが登場する。ピクチャレスクというのは本物に接したこともないし、概念的にも実感できるものではなく、相変わらず観念が浮遊している感じである。5時に終了して事務所の打ち合わせを少し。帰宅後昨日から読み始めた『アキテクチャーの生態系』を読み続ける。今日は2チャンネルの話。これは使用感がないのであまり分からない。他人事である。その後吉井仁美『現代アートバブル』光文社新書2008を読む。吉井氏が現代アートに確信を持てたのは自分のギャラリーに孫とおじいさんが来て二人が共有できる楽しみは現代アートだと言ったのを聞いた時だという。この話はよくわかる。美術館が大嫌いでウフィッチでは椅子に座って動かなかった娘がヴェネツィアではビエンナーレを見ながら、こんなものなら明日も見に来たいと言ったのを思い出す。現代アートは知識なしで伝わる何かを持っているのだと思う。

November 7, 2008

金曜日

金曜日は講義と製図。製図の前に講義があるせいか眠りに入っている学生が多い。講義で眠るくらいなら家でしっかり寝てくればいい。もう出席とるのはやめるか?
僕の製図の授業ではエスキスの前に全員がその日作製した模型と図面を教室の最前列に展示し、皆でそれを鑑賞する。徐々に毎回がんばってくる学生とそうでない学生の差が明確になっていくように感ずる。製図の後に八潮の打ち合わせ。最終ひとつ前のアサマに乗る。車中、濱野智史『アーキテクチャの生態系』ntt出版2008を読む。ここでのアーキテクチャとはもちろん建築のことではなく、レッシング言うところのそれであり、規範が内面化されなくても遂行力を持つ管理能力のことである。つまり否応なく我々を規制する力のことである。この本ではしかしそうしたネット社会での規制力について論じているのではなく、ネット体系が生態系の如く進化している様を描いている。なるほどと頷くことしきり。

文化の差

11月6日
午前中に事務所の雑用。工務店に電話。図面の催促への釈明。こちらもぎりぎりであるという状況説明。数日遅れの現状を理解してもらう。締切があるのは設計の仕事の常ではあるが、今回は想定外の要素が多すぎる。午後はできたての構造図と意匠図、意匠図同士の整合性のチェック。
夕刻中国のナカジからメール。こちらも現場はアップアップ。日本のゼネコンのようには進まない。それは文化の違いで仕方ない部分もあるのだが、文化が違うから何でもアクセプトするわけにもいなかい。未知の世界で仕事をするためには判断のクライテリアを其の都度考えなければならず大変である。もちろん契約書というものがそのためにあるのだろうが、契約書を越えて、何がクライアントに有利に導けるのかは一種のゲーム理論のようなところがある。メールでは拉致があかないので国際電話で状況を詳しく聞く。話はそれほどややこしくない。一番の問題は、残りの施工期間で起こることの予測がつかない点である。

November 6, 2008

円復活?

11月5日
午前中八潮ファイナルプレゼンに向けての打ち合わせ。4グループに分かれてやっているせいか内容の密度と表現がばらばら。修正を指示。昼食後雑用を処理して、アサマに。車中昨日の新書を読み終え、
しばし眠る。東京駅で丸善により数冊宅配を頼み事務所にもどる。打ち合わせ後、朝からすぐれぬ体調悪化、持病の再発、東京女子医大に行く。少し回復したので約束どおり、仕事で帰国中のロンドンの友人と会う。彼の家はロンドン市中に7ベッドの豪邸。支払いが大変だったらしいが、昨今の円高に救われているとか。去年彼の赴任時260円だった1ポンドが、昨今120円から150円くらいを推移している。円の価値はやっと元にもどったようである。

November 5, 2008

駅広

11月4日
午前中は会議。午後市役所に行く。善光寺口整備計画検討委員会に出席。この手の委員会は昨今なんでも公開。テレビカメラも入ってきているようである。委員の方は大勢いて、タクシー、バス、商工会議所、区長、警察、などなど20名近い。駅前広場の計画だから様々な利害の調停をしなければならないのだろうが、計画をしたことはあってもこうしたかたがたの意見をいっぺんに聞いたことはなく、なるほど勉強になった。もちろん意見する立場として2,3申し上げたが、とにかく機能調整をすることが最初だろうか。大学に戻りゼミ。今日は4年生、m1。7時ころ終えてコンペの打ち上げを近くの焼き鳥屋で行う。

November 3, 2008

働きっぱなし?

午前中事務所で中国工場の照明について打ち合わせ。予算の関係で入れていたercoの器具が使えなくなった。加えて玉換えのことを考えると少々設計変更が必要になる。最終的に使用可能な照明器具がまだ見えてないので、概略の計画を決めて、来週中国に行くナカジが器具を決めてくる算段である。午後娘の文化祭を覗き、新宿で買い物をしてタクシーで事務所に戻る。車の中であくびをしたら、運転手さんに「連休中働きっぱなしですか?」と聞かれた。「いや、そんなこともないですよ」と言いながら、考えて見れが働いていたということか?でも楽しい仕事ではあったのだが。事務所に戻り九州プロジェクトの天伏せ、矩計図などチェック。このプロジェクトでは伏図が重要であることに改めて気付く。材料の目地が多いから。篠原研の図面には意匠図の中に平面図とは別に床伏図がある。これは床の仕上げを書いていく図面である。普通は平面図の中に書き込む内容だが、建具番号など入れていくと描ききれなくなる場合がある。打ち合わせ後帰宅して夕食をとって長野へ。車中大竹文雄『経済学的思考のセンス』中公新書2005を読む。世の中の動きが経済的インセンティブで説明される場合が多いことに驚く。なぜ大学教員の就労形態が任期制と終身雇用の併用型になっているか?任期制だけだとよい教員が集まらない。教授も任期制だと採用権のある教授が保身のために自分より質の低い教員を採用しようとする。などなど、なるほどそういう原理かと思うこといろいろあり。世の中経済原理で動いていることが多々あることを知らされる。

ラウンドテーブル

午前中は読書。午後から今日の青学でのラウンドテーブルで話すことを考えようと思ったのだが、どうも体調がすぐれず一休み。結局行く前1時間少しメモを作って青学へ。青学は文化祭。人でごった返していた。いいか悪いか別にしてここには日建の建物が多く懐かしい。しかしよくよく聞くと、レイモンドやヴォリーズの建物を壊して新しい校舎が計画されているようでちょっと悲しい。青学の中でもひときわ由緒ありそうな洋風建築が今日の会場でありそこに黒石先生の部屋もある。30分ほど今日のストーリーを話し合い会場へ。
4時から1時間ちょっとイアン・ボーデン(ロンドン大学バートレット校の建築学科長)のレクチャー。そして5時半くらいからシンポジウム。八束さん、今村さん、僕が順繰りにイアンへの質問をしたり、あるいはパネラー間での対話となったり。スケートボードという特殊な体験は都市体験の一般論としては個人的過ぎないか?あるいは都市体験としてのフィールドスタディから創作論は構築できるのか?などなどなかなか本質的で充実した議論だった。会場からもロンドン藝術大学教授のワタナベ先生や東大の南後さんなどの適切な質問があった。会場には日建時代の先輩のkさん。研究室のY君。早稲田の講義に聴講に来ていた学生数名も来ていた。面白かっただろうか?終わったのは予定をはるかに回った7時半。大急ぎで夕食の場所に移動。創作和食に満足し、再会を約し、解散。楽しい二日間だった。

November 1, 2008

青山から秋葉原へ

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ロンドン大学バートレット校の建築学科長を務めるイアン・ボーデンと講師のバーバーラ・ぺナーが来日し、明日のシンポジウムの前に今村創平さんと私で東京ツアーに出かけることになった。今日は快晴で温かく絶好の建築めぐり日和である。青学の宿舎に彼らを訪ね、その足でまずはプラダへ向かう。そこからコレッチオーネに行きまたプラダに戻る。やっと開いたので中に入る。まあ彼らはひどく感動して、1時間はいただろうか?お店にも英語のうまい人がいて話し込む。プラダの庭は改めて見るとなかなか素敵なのだが、なかなか日本人には使えこなせていない。これこそスケートボーディンぐに最高だろうという話を持ちかけるとそのとおりと喜んでいた。
プラダを後にしてランチをとりにmvrdvの建物に向かう。向かう途中で伊東さんにばったり出会い、今村さんがイアンとバーバラを紹介する。ランチの時にofdaが特集されたbobを差し上げる。これは英語で書かれているので都合がよい。早速興味深そうに見始める(上記写真)。ランチ後彼らはキディランドに行きたいと言う。息子、娘へのプレゼントを買った。その後キャットストリートで法政の矢部先生がジョイン。スケートボードショップへ向う。イアンはそこでdvdを買っていた。矢部先生は法政でメディア社会学を教えておりその学生も加わり秋葉原へ。そこでメイドカフェのおたく文化を、電子小物ショップで昔ながらの秋葉原を、そして超高層の新しいアキバを。この混合されたスーパー東京に彼らはいたく感動。
じゃんがらラーメンを食べ、明日のシンポジウムで会うことを約して別れる。楽しいリラックスした一日。しかし思い返せば、バートレットのエィドリアン・フォーティーが来た時も表参道ヒルズ、プラダ、六根。クリスティーヌ・ホーレィが来た時も、キャットストリート、プラダ、秋葉原だった。ついにこの二か所は押しも押されもせぬ世界的建築メッカとなってしまった。

冬到来

6時に起きて7時半のアサマで長野へ。このところ朝一とか最終とかで長野往復しているせいか突如やってきた冬の寒さをもろに受けている。昨晩は比較的しっかり寝たつもりだが、寒さのせいか風邪がよくならない。薬も飲み続けているのだが。
アサマの車中で『装飾/芸術』を読み続けている。分厚い本で読んでも読んでもなかなか進まない。面白いのできちんと読んでいるせいもあるのだが。9時に研究室について、書類を片付け(やっと終わった)2コマめ講義。午後技官の方から報告を受ける。一級建築士の単位認定申請していた学部の授業がすべて○だったとのこと。当然と言えば当然だが、これもまた面倒くさい書類を数回書き換え提出したものだけにホッとする。まったく大学も、役所も、無意味(と思われる)書類を山のように作らせるものである。書類は作る方だけではなく、見る方もいることを思うと、本当に日本のエネルギーが浪費されている。午後製図。まだまだ子供と思っていた2年生だが、突如爆発したような作品も散見される。