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March 31, 2007

またミッドタウン

ROPPONNGI.jpg

今日締め切りの大学に提出しなければいけない書類作りが昼に終わった。アーよかった。高木徹の『戦争広告代理店』に次ぐ力作『大仏破壊』を読んでいた。ふと昨日訪れた東京ミッドタウンに散歩に行きたくなった。かみさんを誘いふらり出かける。近くのスタバでサンドイッチを買いタクシーに乗る。そんな混んでいるでもなく。なんでもない芝の広場を見ながらサンドイッチを頬張る。ああ気持ちいい。と思っていたらまた来たテレビのインタビュー。最近よくつかまる。前回はTBS。今日はフジテレビ。「今日はどちらから?」「家からです」「ここミッドタウンはどうですか?」「六本木ヒルズよりいいですね」「どこがですか?」「庭がいいですね。桜も」「東京の桜の名所になりますか?」「ええたぶん」。この何も無い芝が好きである。サンドイッチ食べてちょっと中に入り帰宅。

オープニング+退社

朝一のバスで帰宅。事務所に法政大学の学生が来てレモンの展覧会のインタビューを受ける。25年前の卒制を思い出してのあれこれを語る。もうそんな昔のことは忘れてしまったのだが、、、、。その後打ち合わせ。5時に東京ミッドタウンで神成、吉野、日建の同期と会う。神成は日建のチーフとしてこのプロジェクトを設計から現場まで見た人であり、この仕事をもって日建をやめる。そのお祝い会が今日になってしまいそれが偶然オープニングと重なった。建物を案内してもらう。somや、青木さんや、隈さんや、坂倉など様々なアーキテクトがからみ日建がまとめたようである。しかしデザイン監修としてはいりこんだこれらのデザイナーの面影はあまり残っていないようである。そんな中で確固たるデザインを残していったのは安藤忠雄だけだと神成は説明してくれた。確かに安藤デザインはしっかりと存在を示していた。いろいろ聞くと本当に安藤さんという人は凄い人のようである。その後西村が加わり神成の退社を祝う。9年前に僕の退社を祝ってくれたメンバーである。あの時神成もすぐやめると言っていたのが早9年である。

March 29, 2007

朝方研究室で雑用を片付ける。昼会議のため他の先生と車で松本へ。途中姨捨でそばを食う。高台にあるインターから見る姨捨の景色はすばらしい。かすんだ空気に春を感じる。会議には他学部の先生が多数いる。言語学の先生や医学部の先生は視点が異なり発言が面白い。これも総合大学の楽しさか?長野に帰る車中、坂本先生から電話。論文届いたのこと。久しぶりに読んでみたい論文だと言われほっとする。長野もだいぶ暖かくなってきた。やっと長野にも春が来た。

pr

3月28日
午後急遽入所希望者の面接をした。最初もらったメールにはこれから2級建築士をとりたいと書いてありなぜだろうと思っていたのだが、出身が多摩美術大学の情報デザインというところで建築士の試験資格には関与しない学科だからとのこと。将来は独立して建築事務所を開きたいのですかと聞くともっと広い分野でデザインを考えたいということを言っていた。なるほどそうなのだろう。聞くと面白い先生がごろごろいる。久保田晃弘、港千尋、伊藤俊治、などなどこちらが授業受けたいくらいである。
夕刻バスで長野に。車中高木徹の『戦争広告代理店』を読む。この本は先日読んだ池内さんの本に書評が載っていたもの。ボスニア紛争の話。こんなことはよく考えればありそうなことなのだがびっくりした。戦争におけるPRの実態である。PRとはpublic relationのことであり適訳はないそうだ。
内容のあらましはボスニア対セルビアの戦いにおいてボスニアはアメリカの支援を受けるためにアメリカのPR会社を使い世論をボスニア支援に誘導したというものである。その世論誘導のためのPR会社の手練手管はなんとも巧妙でありさもありなんというところである。世界はこうやって動く部分が多々あるという虚構のような事実である。

March 28, 2007

夕刻日建に行きその後九段下から秋葉原に行く。3年くらい前にアメリカイギリスと駐在して帰ってきた友Aに会う。それが開口一番夏からまたロンドンと言う。この年になって海外となると子供の学校とか両親の健康とかいろいろ考えなければならない問題が多いようだ。別の友人Bはふぐ屋を経営しているが長女は就職、次男は大学生となり下宿。5人家族が3人になる。もう店は貸して悠々自適に暮らそうかと言う。この歳でそりゃないだろう。C銀行の友人Dが同期のE君を連れてきた。このE君さっさとC銀行を辞めて世界的な証券会社に転職し、2転3転してこの春C銀行に戻ったそうだ。僕もよく古巣から戻って来いと言われるがそんなものは冗談としか受け止めていなかったが、世の中では本当に起こっているようだ。

March 26, 2007

イスラム

先日読んだ池内恵さんに感化されてイスラムに関する書を5~6冊アマゾンに頼んでいたのだが、それらが今日届いた。その中に阿刀田高の『コーランを知っていますか』がある。阿刀田氏はコーラン以外にも『新約聖書を知っていますか』『旧約聖書をしっていますか』『ギリシア神話を知っていますか』というよな著書もある。皆文庫本になっているのでついでに頼んでみた。面白そうである。コーランを読み始めた。どうも宗教の信者たるもの一神教か多神教かというところに決定的な差があるようである。イスラム教徒はキリスト教徒とは結婚できても仏教徒(仏教が多神教かどうは議論の分かれるところだそうだが)とは結婚できないと言う話があるようだ。それは一神教か多神教かということによるそうだ。
確かにその差は大きいだろうなあ。やはり一神教は原理的だろうし、多神教は価値観の多様性がありそうな、、、、?なんて早合点してはいけないのだろうが。

コル

3月25日
昨日の五一c批判には間違いがあった。五一cが2DKという言葉を生んだかのごとく書いたが、かの本を読んでいると正にそうした誤解を生んで困っていると書いてあった。すいません。
さて近代計画概念を考えるついでに最近(2001)出版されたアレクサンダー・ツォーニスの単独によるコルジュジエの本『ル・コルミュジエ 機械とメタファーの詩学』鹿島出版会2007を読む。この手のコルビュジェ本はたくさん読んでいる気になっているが読んでみるとまたいろいろな発見があるものである。たとえばコルビュジエの思想がニーチェのそれになぞらえて語られることはあるが、コルビュジエ自身がニーチェやルソーを「下線や書き込みを入れながら」読んでいたという事実などはそうした発見の一つである。

March 25, 2007

nLDK

五一cが現在のnLDKの元祖だと言う誤認に対する反論として書かれたのが昨日紹介した鈴木成文『私の建築計画学戦後史』である。その反論の主旨はこうだ。五一Cは2DKでありそのDKは小さなもので夕食となったら隣接する寝室を合体させ大部屋とし使用する。つまり寝室の一つは兼用部屋なのである。一方nLDKの発想はこの兼用部屋を無くし、publicとprivateを完全に分離するためにpublic部分を大きくするというものなのだという。そう聞くとなるほどそうかと言う気もするが、五一CをnLDKの元祖と見たくなる発想の一つはDとかKとかDKとか機能を記号化するその習慣のことなのかもしれない。しかし五一Cが○○DKというような言い方の嚆矢なのかどうかはこの本を読んでもよく分からないのだが。

March 24, 2007

成文先生

昨日は坂牛研2回目の卒業生、修了生による謝恩会。嬉しいなあ。この日だけは教師冥利に尽きるときかも。できてありがとうと言われるそのときのために汗水たらす建築家と同じである。今朝は朝から某市のプロポーザル審査で8時に迎えが来た。10時から15時まで7社のヒアリングを行い1社を投票で選ぶ。公開である。票が割れるかと思ったが、1回の投票で決まった。帰宅のバスで鈴木成文『五一白書 私の建築計画学戦後史』住まいの図書館出版局2006を読む。そもそも計画学というものが大嫌いだった私が計画学に興味を持つようになったのにはいくつかの理由がある。一つは成文先生が高校の先輩であり、ある飲み会に延々と付き合ってくれたから。まあこれは下らん理由なのだが、二つ目は、僕の研究室の院生が成文先生の計画学から順応型と規定型とうい概念を引用しそれを使って現代住宅を分析しているのを知ったから。つまり成文先生の計画学の中に現代住宅を解くキーワードが潜んでいることを知ったからである。だから計画学に興味が湧いたというよりは成文先生に興味を抱いたと言うほうが正しい。
そんなわけで先日あまり行かない建築本の売り場を通り過ぎたときにこの本が目に留まった。読んでみると実に面白い。彼の自伝のようなもの。あの温和な成文先生の人となりがプランに浮き出てくるその昔の状況が鮮やかに描かれている。父親が仏文学者だそうだが、彼もその風貌とキャラクターは建築学者というよりは文学者というほうがあっている。そしてその文章もやさしく惹きつける。

March 22, 2007

おめでとう

卒業生修了生に贈る言葉
先日読んだ大前研一の本にこう書いてある。社会での活躍と学歴には相関関係が無いと。昨今は入社のエントリーに大学名を書かせない会社も登場してきており、所属より人を見るということも徹底してきてはいる。しかしそうは言っても僕の感触では高い偏差値の大学を出た人は総合的に見て仕事が上手にできる確立が高い。その一番の差はどこにあるのか?
二つあると思う。まず一つは粘り強さ。決して諦めないことと徹底した探究心である。そして二つ目はその粘り強さで得た知識や知恵に裏付けられた自信である。
実は粘り強さはこの自信を生むための経過に過ぎないから、結果的にもっとも重要なことは自信なのである。社会とは若気の至りではあっても自らの主張を通し自己実現していく場である。路傍の石のように暮らすのが性に合っている人もいるかもしれないが、大多数のひとは何かをやり遂げる達成感を得ることが生きがいとなっていくものだ。そうした主張を通していくときに最も重要モノは自信だと僕は思っている。もちろんスカな自信など世の中は相手にしない。いやそれ以前に自分自身がそんな自信を持てるわけも無い。そのためにはその主張が自らの中で徹底して考え抜かれたという充実が不可欠なのである。さてしかしではその粘り強く探求するその限界をどこに設定するのかというのが次なる問題である。
大学という閉鎖的な社会で暮らし(特に信大は他大学との交流が少ないので)た学生はそのグループのレベルにいる。そして君たちはそのレベルとは様々な意味で異なるレベルの人間とこれから接していくことになる。そしてそうした場で君たちは必死でがんばっても打ちのめされる時が必ずやあるだろう。そしてそれが実に重要である。その打ちのめされたときに、自分の粘り強さを考えて欲しい。今まで考えていた自分の粘りや探究心の限界がまだ限界ではなかったことをそこで学ぶのである。新たな粘りの限界をそこで設定していって欲しい。
よく言われることだが、褒められたり、賞を取ったりという経験はあっという間に忘れてしまう。それにそのことが本当にすばらしいことなのかはよく分からない。たまたま上司の気まぐれで褒められたのかもしれないし、たまたま審査員と波長があって賞を取れたのかもしれない。しかし、本当に間違っていて怒られたことや本当に力不足で賞を取れなかったことは実に学ぶことが多い。そしてずっと記憶のそこに沈殿している。そうした沈殿量を次のばねにできる人が本当に伸びていく。長い人生において持続的な粘りを自信につなげること。これが君たちに贈る言葉である。

2冊の本続き

3月21日
『クオリア降臨』の続きを読む。数日前にこの本のビジュアルな展開が鼻につくようなことを書いたがやや修正である。クオリア(質感)という言葉は僕にとっては建築を考えるうえでとても重要な事柄であるせいか、その言葉が上手に解説されている本と勝手に決め込んで読み始めたのが鼻についた原因だった。しかし内容はさにあらず。とてつもなく広範囲な文化評論である。ただそのキーワードとしてクオリアがあるだけである。とにかくその知識量には圧倒される。しかしやはり最終的にクオリアの核心には迫れていないような気がする。それは僕の読解能力のせいだろうか?
続いて『書物の運命』の続きを読む。この本も著者のとてつもない活字読破量という点では共通するものを感じる。しかしその筆致はまるで異なる。前作が様々な話題に突如展開していくのに比してこちらは同じシーンがゆっくりと展開するような書き方である。この本は中東研究家の著者の読書の歴史のような本なのだが、その中には当然だが中東関係の本に対する書評なども含まれている。サイードやその論敵バーナード・ルイスを含むイスラム問題への視座を解きほぐしてくれるあたりはなるほどなるほどとただただ感心しながら読んだ。イスラム入門書でもないのにイスラム問題に関心を持たせてくれる本だった。

March 21, 2007

今日の読書

行きの電車で読もうと思った本があったのだが、さすがに5時起きで電車に乗ると読んでいるそばから寝ている自分がいる。気が付いたら終点である。朝昼と会議があり、5時の電車に飛び乗る。帰りはゆっくり本が読めた、ゲーリーのMITでのステイタセンターの記録である。室内構成をスタディするのにオラウータンの巣作りを参考にしているというのは面白い話だった。どこまで本当かは別としても素人には分かりやすいスタディの見せ方である。それからMITでは先端の科学者たちが建設委員会のメンバーのようであり、こういう人たちには逆にゲーリーの形が理解されやすいのだろうと感じた。大宮あたりでこの本を読み終わりもう一冊鞄に入れておいた池内恵の『書物の運命』を読み始める。小さいときからテレビ無しで書物の山の中で育った人の書物との付き合いの話である。感じることが多々ある作品。この感想はまた明日。

March 19, 2007

卒計展

レモン画翠の卒計展も30周年ということで過去の展示をまとめて展示するそうだ。と言うわけで今から25年くらい前に展示された僕の卒計を物置から探して引っ張り出してきた。今から見るとひどく古臭いけれどまあ仕方ない。展示の後はシンポジウムもするそうだが、この卒計をネタにやるのはちょっと気が引ける。週末に学生さんがとりに来てくれるそうだ。
ある雑誌からコルビュジエ特集をするのでコルビュジエの現代的価値について書いて欲しいと頼まれた。2ページで何が書けるか分からないが引き受けた。
夕方奥山が来所、某本の企画のブラッシュアップをする。少しずつだが進んでいるかどうか?9時ごろ終えて二人で夕食。明日が早いので早めに切り上げ帰宅。

March 18, 2007

無為な一日

今日は一日休養。一日何もしない日。こんなことが可能なのは一年に一日だ(と言ってもあながち大袈裟ではない)。天気もいいし空を見ているだけで気持ちがいい。しかしそう思っていたのだが、明日奥山が事務所に来てこれからはじめるインタビューの骨格を練る話をしなければならない。そのための資料が事務所にある。仕方なく夕方事務所に行き本をとって家に帰る。ぺらぺらめくっていたらスチュワート先生の巻頭論文が載っていた。そういえばスチュワート研の新年会をやらなければ。

夕食

3月17日
午前中事務所で雑務。午後A0勉強会。Geofry ScottのArchitecture of Humanism翻訳読み合わせ。2班に分かれて少しずつ進む。3ページくらいかな?夕刻タワープロジェクト室に。ofdaチームと夕食。ここにはナカジをはじめ芸大卒の人間が4人もいる。二人はofdaのメンバーであり、一人は元青木事務所、一人は芸大から慶応の藤幡正樹のところに行き現在はインタラクティブアートの研究をしている藤村君。今日は彼らのうち3人とと信大からバイトに来ている山田君、信大卒の深沢君そして僕の6人で食事。芸大の講評会には1年から4年まで通しの合同講評会というのがあるそうで、これは気合が入り先輩と勝負という意気込なのだという話を聞いた。それは面白い。信大でもやろうかしらん?

March 16, 2007

International Architecture Awards

去年の秋ごろTHE CHICAGO ATHENAEUM: Museum of Architecture and Design というところからメールが来た。内容は2007年のInternational Architecture Awards に応募してくださいというようなものだった。うーん出品料はしっかり取るし、、、と思ったがまあこういうものには出すべきだろうと思って出したら、先日congratulationsというファックスが送られてきた。まあ50くらい選ばれるので世界版学会選集のようなものだと思う(そんな価値があるのかよく分からないが)。2006年の例を見るとhttp://www.chi-athenaeum.org/intarch/2006/index.html日本からは国立新美術館や内藤さんの島根アートセンター、富弘美術館などが選ばれていた。まあ出品料は無駄にはならなかったと思おう。
帰宅のバスでクオリアを読み始めた。評判の書なのだろうが書き出しのあたりが「好かん」。内容はまだ分からないけれど、序で、ペンギンの進化論と漱石の哲学を並べて語り、次に松林屏風図や鳥獣花木図屏風を2時間見たとか毎週見たとか。テレビの特集番組のようなビジュアルイメージの展開が臭い。なんてきちんと読まずにいい加減な感想を書いてはいけないかもしれないが、だいたい最初の印象はあたるもの。

生きようとする意志

3月15日
製本した論文が60冊届いた。わーすごい量。中を見ると二ヶ所間違い発見。中表紙が入っていないのとカラーページが1ページだけ白黒になっている。時間がないのでどうしようかとコピー屋さんに聞いたら直すのにそれほど時間がかからないようなので全部持ち帰ってもらった。
打ち合わせやら雑用やら学会関係の連絡メールやらやっているうちに夕方。最終バス満席のためひとつ前に乗る。急に睡魔に襲われ横になって寝る。気がついたら横川。頭がすっきりしたので読書。保坂和志『世界を肯定する哲学』ちくま新書2001。半年くらい前に誰から聞いたのか忘れたがこの人の本をたくさん読んだ。これもそのとき買って放っておいたのだが今日鞄の中につっこんで出てきた。人間は言葉によって考えが制御されているので言葉になる前の「考え」をどうしたら掬い取ることができるかということを懇切丁寧に説明している。そう聞くと普通なのだがその説明はいろいろと「なるほど」と感ずるところが多い。たとえばリアリティのくだりはこうである。
リアリティとは何らかの事態に直面したときに「私」の中で起こっている、言語による処理能力を超えた事態という。つまりこれもこの本の大きな趣旨につながるけれど、言葉で言い表せるような事態というのは言葉という抽象性に絡めとられ「私」にとっての実感とならないということである。そこで彼にとって生きていくことの充実感とはこのリアリティの蓄積であるということになる。そしてそうした蓄積への人間の本能を「生きようとする意志」と呼ぶ。
これを一言で人間は好奇心の塊だからなあなどと言ってしまうともともこもない。この生きようとする意志のようなところをうろうろすることが大事なのだろう。少し時間をかけないとこういうことは腑に落ちないのだが。

March 15, 2007

金沢

早朝から金沢の街を歩き回る。金沢はその昔卒論を学会で発表するときに来て以来である。あれは25年以上も前で、とてつもなく時間がかかりその上梗概をどこかに無くすというドジを踏み発表したら鈴木博之先生になぜ今コルビュジェの研究をするのですか?という質問を受た。あの時は谷口さんの図書館を見て兼六園に行った記憶がある。今朝は主計(かずえ)町という風流な街を散策。兼六園を通り抜け、元の金沢美大を改装した歴史博物館を見る。そこからバスにのり21世紀美術館に行った。できてからずっと行かないでいたが、やっと行った。やっぱり良かった。これは一言では言いづらい。本当にいろいろなことがよくできていると思った。その後竪町という現代的なショッピングストリートを通り抜け香林坊を通りホテルに戻り荷物をとって学会の役員会に出席。終わり北陸線で福井を回り米原に出て新幹線で東京に戻る。北陸の遠さを実感した。

静山先生

3月11日
信州大学の教育学部の教授に私の中学時代の書の授業の先生だった方がいらっしゃる。雅号を市沢静山という。実は家内の師匠でもある。今年で退官ということで退官記念書展が信濃教育会館で行われており、午後拝見しに行った。上条信山の弟子であり、信山ばりという独特の書風の後継者である。実に味のある作品が50点近くあり久々に感じるものがあった。2年前に私がこの大学に赴任したのに一度も挨拶にいけずその非礼を詫びた。「設計の仕事もあるから大変でしょうと言われた」先生も東京でも指導していたので私と同じ行ったりきたりの生活を24年続けていた。それゆえ私の境遇もよく分かるようだった。
夕刻の電車で金沢に向かう。ホテルでメールなどしようと思ったらバッテリーを忘れていた。携帯のメールで対応。m2の中尾君から東京建築コレクションで塚本の審査員賞をもらったとのメールが入る。うれしいことである。

March 12, 2007

ちょっと気になるビジネス書

どうもビジネス書という類の本は好きではないのだがついネット広告に惑わされて買ってしまった。ダニエル・ピンク著 大前研一訳『ハイコンセプト-新しいことを考え出す人の時代』三笠書房2005という本である。これからの時代は次の6つのセンスが必要であると説いている。この辺の妙な分かりやすさがどうも怪しいのだが、1)機能だけではなくデザイン、2)議論よりは物語、3)個別よりも全体の調和、4)論理ではなく共感、5)まじめだけではなく遊び心、6)モノよりも生きがい
生活が豊かになり、知的労働がアジアの低賃金知的階層へグローバールにアウトソーシングされ、さまざまなことがネット上で解決される現在、今までの左脳的知性はビジネス上有効ではないというのが著者の分析であり、そこで求められるのがうえの6つということである。なるほど分からないではない、しかしその手の議論はすでに終わっているという気がしないでもない。まあそんなに気をせいてもいけないか?今まさに進行しているところかもしれない。もちろん著者はこの対比の前者が不要だと説いているのではなく、前者のうえに後者が必要だと述べている。2項対立を避けて中庸を探る議論はここにもあるというところだ。
ところで今日の長野は久しぶりの雪であった。ついに入試の日に雪が降った。しかしたいした混乱も無く終わった。ほっとした。

March 11, 2007

元気

朝事務所に行くと青弓社からジャンリュックナンシーの『遠くの都市』小倉正史訳(http://www.seikyusha.co.jp/kinkan/index.html)が届いていた。この本に私は若林幹夫さんとともに解題を書いている。思えば昨年の春頃この原稿を書いていた。読み返してみるとソージャの第三空間にかなり言及し、‘both and‘の思想を軸に語っている。丁度平行して博士論文を書いていたのだが、ソージャやソージャーに影響を与えたフーコーの筆致が博論の調子に影響を与えていることを改めて感じた。
午前中近美に行き皇居を見ながらコーヒー飲んでいたら晴れてきた。今日見た作品を反芻した。どういうわけか今日は雨も手伝って気分がすぐれなかった。いくつかの作品を見ていたらますます元気がそがれていく。事務所のある人がオープンハウスに行って元気の出る家と元気がそがれる家があると言っていたがそれと同じである。元気を与えてくれる作品がないものかとうろうろしたが今日は駄目である。と思って帰りがけにミュージアムショップに寄ったら、中川幸夫が大原美術館有隣荘で行った展覧会の小さなカタログがおいてあった。思わず息を呑む美しさでこの小さなカタログを買って帰ってきた。かみさんに聞いたらこの展覧会はテレビでも放映されたそうだが、これには少し元気をいただいた。

ケージは音痴

昨日の帰り塩谷とジョンケージの「音痴」話で盛り上がった。彼女いわくミュージシャンというものは自らの作り出す、あるいは引く音を評価する。そして普通はそれが「良い悪い」というような単純な二項対立の評価基準だけではなく、10個くらいのクライテリアを持ってそれを判断できるものだが、ケージにはそれが無いということだった。あっ、それって昨日僕が町に対して言いたかったことと同じである。意味の濃淡、表裏、特別普通というような複数のクライテリアに微妙な差を感じ取る臭覚が必要だというのが僕の言いたかったことである。そうしたセンスの欠如をデリカシーが無いというのだろう。そしてデリカシーの無いケージは音を操るのではなく概念を操って音楽を作った。
そしてモダニズム音楽がそうなら、モダニズムアートのたとえば平面抽象のケネス・ノーランドなどもデリカシーが無い部類かもしれない。それを超えるコンセプトで作ってしまう。
文学ならどうなのだろうか?言葉の綾を読み分ける能力は僕にはあまり無いけれど最近の若い女流小説家の文章は水のようにさらりとしている。まあケージのようではない。綿谷りさの『蹴りたい背中』の後の第一作『夢を与える』を読む。その昔『インストール』を呼んだ時彼女はまだ高校生だったがその後、早稲田にはいり、もう卒業の年のようである。

March 10, 2007

北仲WHITEルーレットトーク

3月6日
こういう日に限ってアクシデントが起こる。朝事務所に来て打ち合わせをし、ちょっと電話と思ったら携帯が無い。自宅においてきたかと家に電話したが家にも無いという。自宅から家の間の3分くらいのところをうろうろ探しまわるが無い。家に戻り自分の目で探し回るがやはり無い。これはちょっとまずいことになった。電話より転送されるメールが見られなくなるのがさまざま仕事に支障をきたす。
今日は夕刻より横浜北仲のシンポジウムがある。http://www.yokohama.urbanlab.jp/admc/03/少しトーク内容など考えようと思っていたところなのに、、、、、さてどうしよう。出てくるのを待ってうじうじ気を揉んでいるのは精神衛生上悪い。まあ3年使ったし壊れたと思おう。意を決し、近所のSoftBankに行く。Sumusungのぺらぺらの機種を買いその足で横浜に。本日午後にいろいろ準備しようと思っていたのがここで時間を取られ行き先もおぼつかないまま電車に飛び乗る。
シンポジウムは楽しかった。本当のルーレットを会場でまわしてもらいその番号の絵をプロジェクターで映しその絵を持ってきた人が話す。回りからもちゃちゃを入れる。さらに絵の変わる間も誰かが話すという妙な取り決めを小沢剛さん、塩谷さん、僕で行った。金曜日の夕刻ということもあり、来場者は40人くらいだった?場所は北仲WHITEという古いオフィスでありとても気持ちのよい場所である。少し寒いのが難点。天井がなく床も硬いので音が反響するなど性能的には厳しいものもあるが建築がよかった。これも壊されるそうだ。惜しいところである。
小沢さんのスライドでは都市的ななすび画廊ようなものから美術館的なものまでが写され、塩谷さんのものはニューヨークの古い橋の建築への転用や新しいアーティストの街チェルシーなど、そして僕はラオスからインドから、荒木町から、映し出された。僕としては都市の意味の濃淡、裏表、特別普通などと言う局面をお見せしたかったがそれはルーレットトークこちらの意図どおりいかないところがよいわけである。みんな持ってきたスライドの半分くらいしか見せられないで終わった。まあそれでもなんかこの異様な脈絡のなさが気持ちよいという変な感じであった。レクチャーとか、シンポジウムとかいう知の伝達形式を脱構築しようというのがルーレットトークの高邁な思想である。(なんて偉そうな意図は事後的に気付いたことで小沢さんが「ルーレットやろうよ」といったのに「そうだね」と軽くのっただけだというのが実体である)。
広範は佐々木龍郎さんも登場し、彼の横浜での長い仕事をからめアーティストの住む町に話が展開した。会場から木島、城戸崎さんの発言などもありそこそこ盛り上がる。街へのかかわりにおいて重要なのは「愛」という塩谷氏のくさいせりふが結構不思議とまとめの言葉となって終了。
皆様お疲れ様でした。プロデュースしてくれた入江君、来てくれたうちの学生、他の大学の学生さん、OFDAの皆さんありがとう。
面白かった??

March 8, 2007

学校格差

去年の2月から朝日新聞で42回に亘り連載された「分裂にっぽん」という記事がある。僕は3ヶ月ごとに新聞を変えているので2月の最初の2回くらいは読めたが、その後が読めなかった(最初の記事についてはhttp://ofda.jp/sakaushi/diary/2006/02/に記した)。その後の連載が読みたくこの記事を担当した友人に43回分のコピーを郵送してもらった。読みながら痛切だったのは教育にかかわる部分である。9月17日の「公教育『底上げ』思想薄れたー学校格差進む固定化ー」という表題の記事である。経済財政諮問会議の中で財界人らによって提案された人気の高い小・中学校に資金がより多く流れるように促す制度の話から始まる。98年のゆとり教育から一転して競争的な仕組みが小泉政権時代に確立された。そして平等から格差是認。個性重視は競争偏重へ変化したと語られている。
さてこれが痛切なのはまさに現在の大学がそうなっているからである。小中学校だけではない。昨日の帰り各大学の教師と話をするとその格差には空いた口が塞がらない。人気があるかどうか、努力しているかどうかではなく、スタート時点で差がつけられていたようである。走るのが速い子のスタート地点を後ろにしてくれとは言わないが、速い子のスタート地点をもっと前ににされたら差は広がる一方である。それは格差是認ではなく格差増強である。

March 7, 2007

アトリエワンのオープニング

午後タワープロジェクト室の打ち合わせに顔を出す。これだけ大きい仕事だととにかくプロマネの力が仕事の質を決定する。しかるに建築家はマネージメント能力の訓練をどこにおいても受けていない。僕は大学では建築家力と呼んで学生達にこの力をつけるように指導している。建築家にはデザイン力としての建築力プラスこの力が必要なのである。そんなことは他の分野では当たり前なのに建築ではそのことは教えない。それがおかしい。アンディウォーホールは「芸術家のなり方」を大学で教えたそうだ。プラグマティズムの国らしい。それを全肯定するつもりはないけれど、それを全否定することはおかしい。大学は大学時代に優等生ならそれでいい場所ではなく、一生涯の生き方を教えなければならないはずである。
夕刻ギャラ間のアトリエワン展のオープニングに行く。千葉さんの時にはいけなかった。1月2月はもう大学の先生は身動きできない。久しぶりのパーティーである。展覧会も見た。伊東さんがオープニングスピーチでアトリエワンは若手のリーディングランナーかもしれないが現状への怒りがないことを暗に批判したのが親父っぽかった。一方妹島さんはこれが本当に生き生きしているの?と率直な感想を漏らしていて共感した。美術評論家の小倉さんとナンシーの話。本は4月には出るそうだ。こうなったら少し遅らせて新年度のほうが売れるということらしい。塚本にお祝いを言ったら、今進行中のプロジェクトは僕の三窓の隣地とのこと。「牛さん軽井沢で白い家は駄目だよ。あそこは茶色でしょう」と言われた。「軽井沢は冬は雪で白いんだよ」と応戦。坂本先生に博士論文が無事終わったご報告。ミュンヘンは遅遅として進まずではなく遅遅として進んでいるそうである。デヴェが手ごわいとのことだ。柳沢は塩尻で戦っているとのこと。がんばれ。直後に鈴木明さんとお話。塩尻のワークショップに絡んでいるとのこと。僕も手伝えというから、僕はコーディネーターとして最後までやるように市から言われていると答える。塩尻で最後に残った福屋さんとご挨拶。とても印象的な案であったと伝えた。とてもいい勉強になりましたとのこと。きっといい建築家になるだろう。岩岡さんをはじめ東工大連中と雑談。奥山、若松、岩岡、足立、などなど。堀池さんが「長野にいるの」と言うから言ったりきたりですお答え。今村さんが「こんにちわ」と言って通り過ぎていく。南後さんはよくお会いする。出版関係もたくさん。新建築、10+1、エクスノレッジ、その他いろいろな方と挨拶。南さん、山本さん、理顕さん、その他ご挨拶できない人が大勢。すいませんでした。久しぶりのパーティーで友達の顔を思い出した。

March 6, 2007

常田キャンパス

4年生(次期m1)の卒業論文の学会梗概のチェック。締め切りが来週だから春休みだが仕方ない。お互い可哀想である。昼食後、常田の繊維学部にキャンパス計画のためのフィールド調査に行く。2度目であり全体の骨格がもっと見えてきた。このキャンパスは明治43年に開校した上田蚕糸専門学校が母体である。その意味では信大で一番旧く、歴史の香り漂う建物が多くある。そうした歴史の主張がここでのメインコンセプトであるがそれに加え、今回の新たな発見は中心軸のメインブルバールとそれを取り巻くサブの裏ストリートの2重構造である。そしてメインブルバールは車進入禁止となっておりサブの裏ストリートは車通行可であり駐車場が多く配されていた。やはり何度か来ると違うものが見えてくる。
夕刻大学に戻り、t先生の会議が終わるのを待って打ち合わせ、終わったら10時。その後「近代建築」に載せる学生の講評原稿を書く。力が拮抗している中で一人を選ぶのは苦しいものである。雑誌に載せるのは一人なのだから仕方ない。総合力の差で選ばせてもらった。他の学生も気にせず次の作品に取り組んでほしい。

会議

3月5日
朝一で会議、午後までなだれ込み、午後会議、会議の連続に閉口。会議の合間に昼食を買いに生協へ。鷲田小彌太の『大学時代に学ぶべきこと学ばなくてよいこと』という文庫本が並んでいたので立ち読み。こんな文章がある「大学という『社会』は、考えてみれば、日本の社会の中でもっとも『公正』さが行き渡っている場所ではないでしょうか」。これは学生にとってそうであると同時に教職員にとってもそうである。情報の開示および運営の点でそれは顕著。民間企業ならさまざまな情報はその内容に適した部署に流れそこで決済される。しかし大学というところはそうではないようだ。普く情報を浸透させる。そして運営面も皆参画。これはいいこともあれば悪いこともある。会議漬けはそのデメリット。

March 4, 2007

お寺で

今日は甥っ子の7回忌であった。甥は高校時代、メラノーマという脳の悪性腫瘍に襲われた。あの時あの病気がどういうものかよくわからずネットで調べ、きわめて珍しいものであることを知った。知ったときはすでに遅かった。お寺での読経や焼香を済ませ都ホテルで参会者とともに昼食をとる。小学校1年になったばかりの元気な姪っ子がいる。小学校1年にしてキモイとかエロイという言葉が普通に口から出てくる。それはませているというより微笑ましい。そのうえ「エロイはエロスだし、キモイはキモスとも言うよ!」と解説してくれた。これには周囲一同「へー」とともに大笑いである。

話を聞く技術

徹子の部屋は7200回やって(平成16年1月現在)徹子さんは収録を1回も休んだことがない。その間風邪を引いたことがなく、さらに言えば、父親の葬式の日にも収録したそうだ。母親が仕事に送り出したとのこと。この健康管理もすごいが好奇心の持続力もすごいものである。月曜と火曜で6本とって一週間分にひとつおつりを作る。打ち合わせは毎週金曜日10時間くらい6人分の情報をスタッフから聞くそうである。田原総一郎は徹底して自分の惚れ込んだ人だけにインタビューする。カビラは聞いて素直に感動する。などなど永江朗(ガエハウスの住人)の『話を聞く技術』を昨日の帰りのバスで読んでいた。彼にはインタビュー術という本もあるが人から物を聞きだす術というのはそう簡単なものではないはずでそれ相応の奥義があるだろう。

March 3, 2007

洋書2冊

朝の会議終了後、雑用をこなし大学を後にする。ゼミ旅行の予定だったがちょっと行けなくなってしまった。僕の予定に合わせて日程を組んでくれたのに恐縮である。
新宿で紀伊国屋に立ち寄り帰宅。AMAZONから洋書が2冊届いていた。1冊はダニエル・ビュランが2001年にKUNSTHAUS BRENGENZ(ズントーの設計で有名なスイスの美術館)で行った展覧会カタログ。ズントーのあのガラス天井の空間にグリッド状に鏡と原色のオブジェのインスタレーションは揺らぐカルテジアングリッドである。もう一冊はERWIN HAUERという建築スクリーンを作る彫刻家の作品集である。青木淳も顔負けのスクリーン彫刻は見事である。

March 2, 2007

図説終了

3月1日
t 邸図説。午前中1社午後3社。1社は遅れる。やっとなんとか終わる。タワープロジェクトのワークタイムを見るがとんでもない時間量になっている。多少のオーバーは仕方ないがこれは少し大変だ。夕刻論文の印刷でまた印刷屋さんに。いろいろと問題がおきて困ってしまう。夕刻最終バスに飛び乗る。車中松原隆一郎の『失われた景観』php新書2002を読む。大学の先生にしては私的な語り口である。景観のような話は私観から始めるしかない。というのが著者の考えである。

March 1, 2007

ばたばた

2月28日
朝一で博士論文の印刷チェック。なるほど白黒写真を白黒で出力するとひどく画像が悪い。かといってカラーにするとひどく高い。仕方ないので白黒画像を全部スキャンしなおして解像度を上げて貼りなおした。いろいろやっていたらだいぶ値段が上がった。その後明日の図説用の図面チェック。やっと一段落。ニューヨークの塩谷氏からやっとメールの返信が届く。あと5時間で飛行機にのるとか言ってるよ。まあ忙しい人だ(人のことは言えないが)。