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nLDK

五一cが現在のnLDKの元祖だと言う誤認に対する反論として書かれたのが昨日紹介した鈴木成文『私の建築計画学戦後史』である。その反論の主旨はこうだ。五一Cは2DKでありそのDKは小さなもので夕食となったら隣接する寝室を合体させ大部屋とし使用する。つまり寝室の一つは兼用部屋なのである。一方nLDKの発想はこの兼用部屋を無くし、publicとprivateを完全に分離するためにpublic部分を大きくするというものなのだという。そう聞くとなるほどそうかと言う気もするが、五一CをnLDKの元祖と見たくなる発想の一つはDとかKとかDKとか機能を記号化するその習慣のことなのかもしれない。しかし五一Cが○○DKというような言い方の嚆矢なのかどうかはこの本を読んでもよく分からないのだが。

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