« December 2015 | メイン | February 2016 »

January 31, 2016

コンペをやりながら

kakusakakusa.JPG
syu-zu.JPG
jitennsya%20.JPG
池田利道『23区格差』中公新書クラレ2015を見ると高級住宅地の系譜には二つあり、一つは私鉄整備でできた田園調布、等々力、上北沢、浜田山など。もう一つは都心の山がつく高台の場所、御殿山、白山、池田山などである。そして今では緑が多く坂が多い(景色かよい)場所が高級化される条件だそうである。
昨日シューズの靴ひもを選択して乾かして入れ直す。この靴のカッコいいのは靴ひもの穴が半円なこと。
事務所でコンペ。まだ冷蔵庫がないので昼にかってきた果物は外で保管。提出まで後3日。

January 30, 2016

年をとるということ

FullSizeRender-47160130%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA.jpg
コンクリートを自らの設計に多用し広く普及させた建築家として有名なオーギュスト・ペレは言った`architecture is what makes beautiful ruins`(建築とは美しき廃墟となるもの)。レザボローやムスタフィは建物は風化によって完成すると言う。ヘルツォークはコンクリート壁面に雨水を垂れ流して風化を誘発している。ヨーロッパの教会は100年立って真っ黒になっても誰も気にしないし、汚れが付着することを醜いこととは考えない。年をとっていると考える。しかるに日本はそういう風化を良しとして廃墟に哀愁を覚える感覚は少ない。
例えばモニュメントのような自然の巨石が雨ざらしで汚れるから屋根を掛けようと言う人はいない。公園のブロンズ彫刻が錆びるから屋根の下に置こうとは思わない。しかしこと話が建築になると汚れる、傷むと言い始める。メンテナンスにお金がかかるのを避けたいというのはわかるとして汚れるからという理屈は日本人にとって建築が彫刻とは決定的に違う何かであることを物語っている。それは公園の彫刻は所詮人のものであり、建築は自分のものという所有の意識である。そして所有している自分のものは常にクリーンに保ちたいのである。
このことから思うことは二つあるのだが、日本人はこの強い所有意識を希釈して共有意識を高めるべきであろうということ。そして二つ目は古びた建築の中に時間の蓄積を見出しそれを美的水準に高めるものの見方を鍛えること。
モダニズムが始まるころにしかも新しい材料を発見したペレが新しいから古いを見出したこの慧眼に我々は習わなければいけない。理科大のコンクリートもいつまでもこんな無垢な状態ではない。でも自然の垢がこびりついてもそれは年をとるということなのである。

再開発侵略

FullSizeRender-461601111.jpg
今四谷の駅前ではURが再開発をする。道を一つ廃道にして高層ビルと足元商業ができる。その開発エリアと道を挟んで逆側にこんな素敵な原っぱがある。どうしてこんなまとまった土地が空き地になっているのだろうか、都心のしかも駅のすぐそばに。地上げされて再開発でもしない限りこんな土地があるとは思えない。そうしたら、ここも再開発だと教えてくれた人がいた。えええええ?えきからまるで敵が攻め入るように我が家とわが事務所に接近してくる。地価が上がると喜ぶべきかいやいや、この辺りのスモールスケールの界隈を破壊する侵略のようなもの。もう来ないでほしい駅前だけで勘弁である。

January 28, 2016

宇宙的

国際化推進機構の会議が大学であった。私もこの機構の委員のひとり。この会議は理科大を横断してやっているので委員の皆さんは自分のいるところからネットを使ったテレビ電話で登場する。そもそも神楽坂、野田、金町という3つの場所はデフォルトである。加えて先日は歩きながら現れた先生がいた。今日はフロリダから参加した先生がいる。なんとも国際化推進にふさわしい国際的な会議である。会議の委員長の向井先生(元宇宙飛行士)がおっしゃるには、NASAではテレビ会議はしょっちゅう。といってもNASAの中で。時折、「話がややっこしいからこっち来てよ」というと相手が「今宇宙ステーションだから地球に戻ってからね」という返事が来たりするそうだ。宇宙ステーションからの声も地球上と全く変わらないらしい。なんとも宇宙的な話。

January 27, 2016

建築と白とファッションと

IMG_7935%EF%BC%91%EF%BC%8C%EF%BC%96%EF%BC%90%EF%BC%91%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF.jpg先日中国のシンポジウムでお会いしたヴァージニア大学の教授であるリーシーチャオが僕の内の家の黒いリビングルームが興味深いという。理由を聞くと、今時何でも白くするのにその逆だからという。ちなみに中国では葬式に着る色は白だそうだ。そして色に関して言えば建築家はファッションに影響を受けているということをマーク・ウィグリーが書いているという。聞いてみたら建築の白とファッションの関係を本にしたという。早速アマゾンに頼むと今日大学に届いた。近代の白は意味を剥ぎ取る白だけれど昨今の白は被覆としての白なのだという。そしてファッションの影響を深層で受けているはずだと。さてその深い意味はまだわからない。ぼちぼち眺めてみよう。そういえばその昔岡崎が白の研究をしたのを思い出した。あのときこの本を読ませれば良かった。

January 26, 2016

中野豪雄デザイン

IMG_7928.jpg
中野豪雄デザインのインフォラフィクスがブックカバーになった。それが母校武蔵美の学祭でイベントに参加した人に配られた。佐河君がそこで二つもらったので一ついただいた。ストーンペーパーという紙に印刷されている。しっとりして手になじむ。手持ちの新書をくるみ机に置いてお茶をいれたカップがittalaで期せずして兄弟のようなデザインである。中野豪雄デザインの方がはるかに鮮明である。印刷技術の差?

January 25, 2016

あれあれ

一部3年生の研究室配属の希望者の書類が届いた。先日のガイダンスでとても厳しいことを言ったせいか。3名の定員に対して希望者が2名となった。2名の二人は女性で残りの男性はみな違う研究室の希望となった。
第一希望で入れないと下手をすると第三希望の研究室にも入れないこともあり、競争率の高い研究室は事前にやめてしまうケースがあるらしい。僕のところも7名の希望者が最初はいたのと、他大への進学希望者は取りませんと宣言したのと、海外への意気込みを聞かせてくださいと言ったのので一気に辞退者が増えるということになったようだ。
ちょうど定員まで減ってくれるとうまくいったのだが、少し減りすぎた。ということは残りの1名は設備希望者や構造希望者の可能性もある。さてどうなるだろうか??

January 24, 2016

黒磯でコンペ

IMG_7913160122%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%84%E3%81%9D.jpg
コンペの敷地を見に黒磯に行った。敷地は駅前の4000平米の新幹線沿いの土地である。敷地そばのカフェで昼飯をとった。栃木県なので大谷石の建物が多い。このカフェも大谷石でできた黒磯銀行を改装したもので素敵な建物である。昼食後黒磯の街中交流施設コンペの公開ヒアリングを聞きに行く。藤原さん、柳沢さん、坂本さん、岩崎さん、中村一平さん、御手洗さん、がプレゼンをしてから公開審査。審査員は古谷さん、小島さん、など。なんだかあっさり藤原さんに決まったが果たして何が決め手だったのかよく考えるとよくわからない。けれどまあコンペなんてこんなもんだろうな。藤原さんおめでとう。

January 23, 2016

理科大二部卒計、卒研発表会

IMG_7896suzuki.jpg
IMG_7890masuda.jpg
IMG_7893kasai.jpg
今日は理科大工学部二部建築学科の卒業設計、卒業研究の発表会である。二つの教室で研究と設計の発表が同時並行進行中である。僕の研究室では一人を除いて全員卒業設計を行なっている。いつも言っているが卒計の取り組みには3種類あって、①原理を追求するもの、②現状を否定してなんらかの制度批判をした上で提案するもの、③現状を許容してその中で何ができるかを問うものである。今回は①を行ったものが一人、②を行った人と③を行った人は同数である。例年そんなものだろう。そして①を行うのはとても力が必要で毎年すごく力がある人がこれにチャレンジしていい作品を作るのだが、今年はもう一息。また②を行うのにはテーマが重要でテーマを探すのがとても難しい。いいテーマを見つけられるかどうかは常日頃の問題意識による。今年はそういういいテーマを見つけられた人は少ない。とういわけで相対的に③現状を肯定しながらその中で可能なことを考えるという地道な作業が今年はいい案に結びついたようである。

アーキテクチャラル・インクルージョン

PA043881%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD%E5%A4%A7%E5%AD%A6.jpg
今朝の朝刊に障害児の息子を持つ菊池桃子さんが一億総活躍国民会議メンバーとして発言していた。その中に社会から排除するものを作らない概念としてソーシャル・インクルージョン(social inclusion)という言葉が提示されていた。昨日僕が紹介したサンパウロ建築の見所としての公共性はまさにその建築版だと感じた。それは言い換えればアーキテクチャラル・インクルージョンである。排除するものを作らない建築。サンパウロの建築は自由である。そこで起こるリスクとおおらかさは常に天秤にかけられ、おそらく日本では難しいだろうことがかの地では受け入れられている。例えば写真のサンパウロ大学建築学科にはドアがない。教室に入るドアが最初のドアである。今でも日本の大学は関係者以外入構禁止という看板を出しているところが多い(理科大はその点塀もないしカード管理もしていなく素晴らしい)。セキュリティは人の目が行き渡るような建物の作りや使う人の相互監視意識によってかなりの程度実現できるのではなかろうか。

January 22, 2016

ブラジル大使は建築のプロ

IMG_7852%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E5%A4%A7%E4%BD%BF.jpg
IMG_7864%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E3%81%AE%E6%9C%AC.jpg

「パウリスタから学ぶ」と称してサンパウロ建築を学ぶ連続レクチャーをブラジル大使館で行った。レクチャラーのトップは駐日ブラジル大使のアンドレ・コレア・ド・ラゴさん。彼は去年のベネチアビエナーレのブラジル館のキュレーターなのである。大使が建築の専門家というのは意外である。次はブラジル人建築家ルイスの作ったサンパウロの歴史を中川君が代読。そして次に塚越君が若手サンパウロ建築家の建築について語り、最後に僕がブラジル建築から学ぶことと称してブラジル建築の公共性について話をした。
大使とはイベント始まる前にお話しをして私のアーキテクチャーアズフレームをプレゼント。そのお返しに大使が監修した名写真家の撮るブラジル建築という本をいただく。今後ブラジルとの交流を深めるために協力を惜しまないと言われ、国際交流基金に今後の展開のための助成金申請をする予定である。

January 21, 2016

成田久さんの展覧会

IMG_7816.JPG
素敵なハガキが着たと思って差出人を見ると成田久さん。成田君は資生堂のアーティストなのだが、会社の仕事とは別に自分のアート作品を作っては素敵な場所で素敵な展覧会をする。さてこれは何を展示するのだろうか、ファッションなのか?プロダクトなのか?ただの布なのか?でも見ると食事も出るらしい。衣食である。そのうち住もやるかもしれない。

January 20, 2016

IMG_7808%E6%82%AA%E3%81%AE%E5%8A%9B.jpg
姜尚中(『悪の力』集英社新書2015)曰く、悪は人間の自由から生まれると考える考え方がある。しかしこれだと自己責任論に帰着するという。カント的に考えれば、自由を律するのが理性だということになり理性があるから人間世界は無茶苦茶にならないということになるのだが、どうも現代はこの理性が頼りない。そこで違う考え方として、人間は常に死への願望とは破壊衝動があるという。破壊や死への願望とはある意味自暴自棄である。自暴自棄が悪を導くというのは理解しやすい気がする。この願望を食い止めるのは、では何なのだろうか?

中国アカデミズムの仕組みを見る

IMG_7793.jpg
昨晩は上海に移動して同済大学の支教授、東南大学の郭准教授と会食だったが三菱地所設計の中国総経理(社長)も来られた。なんと彼は大学のスキー部の後輩の樋口だった。僕が院生の時に一年生、今では運転手付きの社長である。懐かしい。ぜひ現地法人で日本語が話せる中国人の設計者が欲しいと言っていた。うちの研究室に候補がいるのだが、、、、、

会食の話題で大学ランキングの話となる。試験の国中国は日本以上にはランキング付きである。中国の建築学科にはクラシック4というのがあってこれは他の大学を圧倒しており、それらは清華大学、同済大学、東南大学、天津大学。この4つに入ると給料が違うそうである。
その次にニュー4というのがあってこれらは華南理工大学、西安科学技術大学、ハルピン工業大学、重慶大学。そのあとに浙江大学、南京大学、大連理工大学などがあるそうだ。ふーんという感じだが、今回のシンポジウムに中国国内で呼ばれている教授はこのクラシック4だけである。この4つの権威を守るためにこういう会議を行い世界から著名人を呼んで格をあげているという風にも見えるわけである。

さて二日間の会議を終えて素直に思うことは二つある。
1) 歴史、建築論VS建築意匠という構図
この二つのシンポジウム(現代建築論シンポジウムとアジア建築センターオープンシンポジウム)は東南大学の建築学科の中の建築歴史、理論研究所(Institute of Architectural History and Theory)の主催なのであるが、実は建築学科には以下のような3つの部門と4つの研究所がある。
建築部門(Department of Architecture)
ランドスケープ部門(Department of Landscape Architecture)
都市デザイン部門(Department of Urban Cesign)

建築アルゴリズム研究所(Institute of Architecture Algorithms and applications)
アート、デザイン研究所(Institute of Art and Design)
建設技術、科学研究所(Institue of Building Technology and Science)
建築歴史、理論研究所(Institute of Architectural History and Theory)

学生は一学年170人いて大きく3つの部門 建築、ランドスケープ、都市デザインに分かれて入学し2年生までは皆同じ基礎教育を受けて3年から専門に分化して、さらに5年の卒業研究では細分化された研究所に行くことも可能となる。マスーターに学生は540人、ドクターに178人おり学生総数は1568人(中間部の数)。教員数は教授32、准教授52、助教45で全部で129人のフルタイムスタッフがいる。教員一人当たりの学生数は日本の国立大学よりやや多いくらいである。

さて話を元に戻すとこの建築歴史、理論研究所が自らの行事としてこのシンポジウムをやっているのだが、建築部門の先生(だいたいが建築家なのだが)彼らは比較的このシンポジウムを外から冷ややかな目で見ている。というのも建築論といいながら彼らの視点は基本的に歴史であるという認識だからである。歴史で意匠は作れないと言いたげである。このあたりはやや日本と似たような感じがするわけである。

2) 中国とアメリカとイギリスで世界を語るのか?
東南は中国の建築トップ校としての自負から彼らの地位を海外のエリート校との連携を作ることで中国内にその権威を誇示している。そこで彼らは学部教育のトップを海外に送り出し帰国後教授にして連携をつくるのである。この戦略は昔の東大と同じである。辰野金吾がイギリスに送り出されたのは戻ってきて教授にするためであった。
そうして送り込まれたのが、AAである。AAのマークカズンズがその人脈でバートレット、MIT、コロンビア、プリンストンから人をかき集めこうしたシンポジウムを企画して、中国内のクラシック4の教授を呼び、彼らの権威をつくるのである。しかしそうしてできた枠組だからそこには世界的な視点があるわけではない。たまたまそうやってできた英語圏の組織であり、それが大国中国と組んで文化的ヘゲモニーを確立しようと言うことにどうもなっているというわけである。まあそれほど意図的で断固たる意図があるわけでもないが、結果的にはそんな風になってしまっている。
僕としては、なんで建築理論を中国語圏と英語圏だけでやる必然性があるんだ?と疑問に思う。そういうわけでおまけのように日本から、インドから、スイスから人が呼ばれているようだが、たった一人ずつである上、僕らはみな建築家であり現代建築ヒストリアンの論客はいない。意図しているのかどうかは知らないけれどもう少したくさんの人をUK US以外から呼ぶべきである。そうしないと彼らは閉塞した建築議論を続けることになると思われる。
し、しかし、何もしないで指をくわえている日本の建築的状況に比べればよほど彼らのやっていることは素晴らしい。見習わねばと反省することしきりである。
彼らに英語圏と中国語圏で閉塞しているというのなら自分の立場もスペイン語圏で閉塞しているのではと反省せねばなるまい。スペイン語、英語、中国語、アラビア語圏の人を一堂に会することができればなと思う。共通語を英語にすればそれも可能である。そんなチャンスを考えてみたい。


January 19, 2016

完璧なサポート

3日間海外から来たゲストには大学院生が朝から晩まてアテンドする。朝ホテルに迎えてに来て会議でコーヒーが欲しくなったら頼めて、ランチの場所に連れて行ってくれ、薬が欲しくなれば頼めて、ネットが繋がなければ器具を買ってきてくれて、、、、加えてこういう風に写真を撮ってくれる。信じられないサポートである。僕のサポートをしてくれたチンピンは最初に会ったときは、アメリカに留学して帰国後研究職につきたいといっていたが帰るときは僕の研究室のドクターに入りたいと言ってきた。2回のレクチャーで見せた作品が効果的だったのだろうか?何れにしても東南から来るならウエルカムである。

東南大学のプライド

IMG_7800%EF%BC%91%EF%BC%96%EF%BC%90%EF%BC%92%EF%BC%91%EF%BC%99%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%93.jpg
今日はアジア建築センターの開所式ということで一応日本代表としてスピーチをした。いったいアジア建築センターとは何なのか?ここに集まったのはわたしとインドのスニハル、MITのラディ・シーガル以外はみな中国人である。ということは中国建築センターではないのか?と思いたくもなる。中国人の新聞記者にインタビューされたので、そのようなことをやんわりと言った。こんごあなたはこのセンターにどのような貢献をするかと聞かれたので、アジアのアイデンティティーを欧米に訴えるだけではなく、アジアと欧米が何を共有できるのかを考えたいと述べた。またプレゼンではαスペースと題して、いかに建築、都市における公共性が大事かという話をして先日ベレンと見て回った建築を紹介した。これらの建物には実は全てアルファースペースが入っているのである。最後にパインギャラリーを見せて終えたのだが、このレクチャーはとても評判が良く。終わったらみなからとても刺激的で面白い話で勉強になったと言ってきた。MITのラディは主体ではないもの(α)が一番大事なものになるという逆転が素敵であると。リーはスタイルを追っていないところがいいねと言っていた。短時間のスピーチは焦点がはっきりしていることが大事であるということがよくわかった。勉強になった。いい気分で東南大学を後にした。
それにしても、昨日のシンポジウムと言い、今日のアジア建築センターといい東南大学の建築ファカルティは自分たちが中国建築を背負って立つという恐ろしいほどのプライドがある。中国一古い大学という誇りからだろう。東南という大学名の字はなんと王羲之が書いたのだそうだ。

南京の朝

IMG_7739.nankinnjpg.jpg
IMG_7737nannkinn.jpg
IMG_7734nannkinn.jpg
南京の朝はおそらく−4度くらいだろう。6時前だけれどすでに屋台が出ていて食事をしている人々がいる。オートバイや原付が歩道と車道を無茶苦茶に走る。自転車道が整備されていないけれど公共自転車があるのには驚いた。それなりに世界標準へ近づこうとしている。東京みたいである。
SOMのスカイスクレーバーが屹立している。
中国風のミドルライズは中国のトップエリート校である南京大学。昨日ここの学生が僕の研究室の研究生になりたいと日本語で言いに来たのには驚いた。
朝朝食をリーシンチャオととっていると僕のhouse houseの黒に興味があるという。いろいろ話しているとマークウィグリーはホワイトネスという本を書いているので読んで見たらと言われた。面白そうである。

January 18, 2016

タフなシンポジウム

IMG_7710.jpg
写真手前からマーク・キャンベル(us)、ビアトリス・コロミーナ(us)、マーク・ウィグリー(
us)、ワンシュー(中)、クリスチャン•スミ(スイス)、スネハル・シャー(インド)
東南大学でやるこの建築理論シンポジウムはなかなかタフである。というのも出席者はビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリーをはじめほとんどが理論家か歴史家で。彼らの操る言語やそのレトリックは建築家のぼくらとはその文脈が異なる。建築家で出席しているスイス人のクリスチャンと僕らとてもアウエィだねとその悲哀をシェアしている。その上他言語なので頭が痛い。こんなことならいっそうこういう場所に来るのをやめるか、一生このハンディキャップを負いながらくらいつくか???やめるのは簡単だけれどそれでは面白くない。ぼくのポリシーとして建築はこういうところから成り立っていると思いたい。だからくらいつくしかない。
しかし、愚痴のようになってしまうが、、ここ中国で日本人は僕一人。大勢の中国人と大勢のアメリカ人と大勢のイギリス人でこのシンポジウムの議論の骨格が作られてしまっている。日本の僕の話を彼らはとても興味深く聞くものの、やはり舞台は中国である。どうしてそういう枠組みにアジアでは日本人だけがしかも一人だけ呼ばれるのかがやや意味不明(インド人のスネハルは明日の会議のために来ており今日はオブザーバーなのである)。
これをもっとグローバルな枠組みで行い、かつグローバルな同時通訳がつけばだいぶ違う。ワンシューは中国語で話し通訳付きでやっているから楽である。羨ましい。つまりは日本でこういう会議を開くのが手っ取り早いわけなのだが、、、

January 17, 2016

上海坂本展

IMG_7611shanghai160117.jpg
160117IMG_7601.jpg
IMG_7606160117.jpg
10時のANAで上海。迎えの車で現代美術館に坂本先生の展覧会を見に行く。美術館で東南大学の准教授に就任した郭さんとお会いする。食事をしてから展覧会を拝見する。去年はここで篠原先生の展覧会があったがそれに勝るとも劣らない素晴らしもの。未だ着工していないこの美術館に完成予定の図書館の模型が素晴らしい。この写真はオープンな閉架書庫。ぜひ完成したものを見てみたい。代田の町家の原寸のモックアップは素晴らしい。坂本建築はスケールにある。このモックアップで空間を味わってほしい。代田の町家のコートには入ったことがなかった気がするがモックアップだと入れる。日曜日ということもあるのだろうが見に来ている人が多いのには驚く。
見終わって6時の新幹線で南京に移動。夕食でビアトリス・コロミーナやマーク・ウィグリーらにお会いする。明日が楽しみである。

作られつつ生まれつつ

image.jpeg
前田愛『近代読者の成立』岩波1993を読んでいたらいつの間にか朝だった。観衆、聴衆、読者はどれもキノコのように生えてきたのではない。作られつつ生まれつつなのである。

January 16, 2016

人を生かす

IMG_7579160119%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%BC%E3%82%93.jpg
センター試験の監督で大学に詰めているのだが、予備なので待機中。というわけで明日からの中国出張の準備をしたり、読書したり。小布施に古谷さんの設計でできた1000平米の図書館がある。その館長さんが書いた本『はなぼんわくわく演出マネジメント』分屋2013を読んだ。この館長さんはその昔はテレビ局で映像作っていた人。そう言えば夏にお会いしたいわきでまちづくりをしている小松さんもテレビ局に勤めていた。マスコミの人たち特有のコミュニケーション力がまちづくりに生かされているのを感じる。彼らは人に会い人と話し、そして人から何かを引き出す力がある。まちづくりって実は人を生かすということなのだということがかれら二人の言葉から感じられる。

男女差別を無くすためには

IMG_7574160119senta-.jpg
日本の基幹産業に勤めている知り合いの女性が現在介護休暇を取っている。彼女は5年前には育休をとっていたそうだ。育休が2年、介護休暇ももうすぐ2年。それぞれ100%ではないが給与も支払われていた。40代の彼女は今年復職するらしく、その給与もかなり高い。
日本では1985年に男女均等法が施行され1991年に育児休業制度が法制化され、97年に介護休業が追加された。この時期、私は設計事務所を辞める頃でその頃事務所で頑張っていた女性は皆未婚だし、私と同年代で大企業の総合職についた女性の友人で子供のいる人は稀である。その理由は育休が法制化されたとしても、男性の働き方に歯止めが効いておらず、女性の制限された働き方では勝負にならないからである。これが欧米と決定的に異なることである。EUでは男女ともに残業をいれて週48時間が労働時間の上限と法制化されているのである。そういう状況では育休も、子供のための早退や遅刻が無理なく受け止められるのである。
というわけで、日本では女性が社会に出るには女を捨てて、男に張り合い、がむしゃらに働くしかないのか?と諦観したいたところだったので、知り合いの女性の話に驚いたわけである。
しかしこんなことは日本の基幹産業であるこの会社だからできることである。これは会社の方針というようなものではなく国全体の価値観の持ち方に関わることである。まずはデフォルトとしての働き方を変えなければいけない。そのためには国が目指す目標から変えなければいけないのではないだろうか?GDP最優先の国づくりをしている間は働き方のデフォルトが変わるはずがない。

January 15, 2016

ビルの谷間

IMG_757160112yotsuya6.jpg
事務所のそばのビルの谷間が煌々と明るく光っているので何事かと思って覗いてみると。壁面緑化みたいなことをしようとしているようであり、その場所をテラス的に使おうとしていた。まだ緑は少ないけれど春にはいい場所になりそうである。

January 14, 2016

トリプルダンボール

FullSizeRender%20%283%29.jpg
このトリプルボードはたかが紙だけれどかなりの強度。以前外国に模型を運ぶ時に特注でこのトリプルボードの箱をオーダーメイドしたのがきっかけで使うようになった。ピンナップボードとしてもハニカムのダンボールより強度があって軽いと思う。表面もかなりの硬度である。使える。タカムラ産業http://e-takamura.co.jp/

January 13, 2016

観衆の成立

IMG_7555150112kansyu.jpg
五十殿利治『観衆の成立—美術展・美術雑誌・美術史』東京大学出版会2008に目を通した。近代日本美術の鑑賞者はどのように生まれたのか?美術という分野が制度として作られ、それを鑑賞する場所としての美術館がこれもやはり制度として生まれたことによって観衆は醸造されたのである。それは美を求む人々の欲望による自然発生的なものではない。世界関係と政治によって作為的に作られたものなのである。それは美自体がそうであるように。
著者がいくつか啓蒙を受けた書が挙げられている。前田愛の『近代読者の成立』渡辺裕の『聴衆の誕生』には強懿影響を受けていると述べている。前者は未読なので早速注文した。後者はだいぶ前に読んでとても影響を受けた。ここでは政治的な力が音楽の聴き方を変えたというよりも、文化的枠組みの時代的変化が聴衆の趣向を変化させているという説明が多かったと思う。
何れにしても、聴く、見るという欲求が単なる人間の自発的なものだけではないということは心しておいたほうが良い。

校正

IMG_75571601122%E6%A0%A1%E7%94%9F.jpg
数日前に届いたフォーティー翻訳の第二校380ページ。うーん重い。昔から間違い探しは得意ではない。それは自分の中にしょせん「間違い探し」だという侮りがあるからだと思う。同僚の先生にはこういう作業にめっぽう強い方がおられる。その方の爪の垢でも煎じて飲みたいものである。
中高の同級生で中公新書の編集長をしていたMが最近校正部長になりその仕事は奥が深いと賀状に記していた。その深さを教えてもらおうと思う。そうするとこの仕事がずっと有意義なものになるはずである。

January 12, 2016

ピンナップしたい

FullSizeRender-45160111.jpg
スケッチ描いて、少し話して、また描いて、また話して、このリズムはとてもいい。早くダンボール来ないかな。スケッチをどんどんピンナップしたい。

January 11, 2016

卒論指導

学部と修士と博士ともうすぐ締め切りの論文を見ていると当たり前だけれどそれぞれのレベルというものがある。人間は進歩するとも言える。一方でそのレベルは理想的には常に高みを目指すのだが、それは建築の設計と同じで常に彼岸である。
ところで、振り返って見ると僕が卒論を書いていた時スチュワート先生は30台前半だし、修論書いている時、坂本先生は40台前半だった。年のせいにするのはずるいけれど50代半ばの僕があの時の二人のような方法で教えることはできない、ポイントを抑え効果的な言葉をかけてやるしかない。年取った分だけそういう力だけは少しは増していると思いたい。

January 10, 2016

井上章一の京都

IMG_7519160110%20inoue.jpg僕は井上章一のファンである。ほとんど例外なく彼の著書は読んでいる。そして例外なく面白い。これはダメだと裏切られたことはない。新刊『京都ぎらい』朝日新書2015も面白い。
彼のものの見方は人と違う。人と同じ見方だが情報量と思索の密度が違うというような書き方はまずしない。多くの人が対象を昼間の陽光の下で見ようとするなら、彼は月夜に見るはずである。多くの人が正面から見るなら彼は背中から見るに違い無い。
しかし今回の書き方はそうでもない。彼の見方は正面であるだろうし、実は京都にいる人なら皆知っていることのようである。しかし京都以外の人はほぼ誰も知らないことを堂々と書いてしまったという書き方である。これは結構恐い話である。
彼は嵯峨生まれ嵯峨育ち、そして現在は宇治に住んでいる。こういう彼を京都の人と呼ばず何と呼ぼうかと東京人は思う。しかしこれは洛外であり、洛中の人間から言わせると洛外人は京都人ではなく、彼らがもし京都弁でも使おうものなら許せないということらしい。これは東京でも似たようなことはあり得る。港区、世田谷区住民からすると、足立区民、葛飾区民など東京人ではない。と言うようなことを言いそうな輩はいそうだが、全ての港区民、世田谷区民がそんな気持ちを持つわけはない。しかるに洛中の人間たちのほんとんどはそういう気持ちもを持っているように書かれている。そしてそれはおそらく正しいのだろう。おお京都恐い!!
こういう高度な優越性を感じる人間のグループは京都洛中人だけではないのだろうが、おそらく日本でも最も多く、強くそうした意識を持っているのが京都洛中人なのであろうと思わせる本である。

いい枯れ方

FullSizeRender-44160110%E3%81%A4%E3%81%AD.jpg
私が家庭教師していたTくんは私と配偶者の中高の後輩。というわけで私が結婚した頃この家に呼ばれてご馳走になった。そのときに配偶者がこの青山の古城のような和風の家の表札を書いた。約30年経って昨日見ると見事に枯れていた。新しく書いて欲しいと頼まれたが、この枯れ方がいいようにも思う。

January 9, 2016

美しき廃墟

IMG_7507160109%E6%B8%8B%E8%B0%B7.jpg
昼に大学の新年会。午後お年始に渋谷の知り合いの家に。知り合いというのは私の大学時代の家庭教師先。教えていたのは教育大付属中学の生徒。つまりは僕の後輩。ということもあってその家とは深い付き合いになり、あれから30年未だにこんな風に遊びに行く。この家は渋谷から六本木通りを青学の裏あたりまで行ったところにある。今日はタクシーに乗ろうかとも思ったが、昔懐かしく渋谷から歩いた。この通り沿いにはアンダーグランドのクラブがあったが、それがこの朽ち方。しかし聞くとこれがまだ元気に営業しているとか。おお美しき廃墟!!

January 8, 2016

佐藤万絵子ドローイング

FullSizeRender-43%EF%BC%91%EF%BC%96%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%97%E6%9C%9D%E6%97%A5.jpg
入江君に模型を作って欲しいと頼まれたのは何年前だったか?朝日アートスクエアで行うアーティストが自分の作品をシミュレーションするために会場の模型が欲しいというのである。結局僕らは忙しい時でおおむろ君を紹介して彼にやってもらった。それから予定の展覧会は1年延びて今日がオープニング前日。なのだが前日にライブをやって会場で作品を制作するのである。そのライブに来ませんかと入江君に誘われて行ってきた。アーティストは佐藤万絵子さん。どういう制作かというとコントラバス奏者の即興(たぶん)演奏に反応しながら、マシューバーニーのごとく、会場に敷き詰められた白い紙に極太のオイルスティックのようなものでドローイングするのである。1時間そのドローイングは続く。身にまとう白いシャツは最後にはオイルの色がつき、手足もどろどろである。かすかに見えていた白い足の裏と土踏まずがなまめかし。それも最後には見えない。そして1時間後に床には小学生のお絵描きのような、しかしもちろんそれとは異なる軌跡が刻まれていた。

January 7, 2016

石田さんありがとう

IMG_7489%20%281%29.JPG
暮れに木島さん経由で石田さんから『ぐんま建築ガイド』を頂いた。監修は前橋工科大学、発行は上毛新聞社、定価1500円、ページ数は96と多くはないけれど、データー、説明、地図がとても丁寧に作られ(書かれ)ている。また巻末には石田さん、妹島さん、星さん(前橋工科大学学長、建築史家)、渡辺真理さん、田中元子さんの座談が掲載されている。
これを見て3つのことに驚いた。一つ目はここに載っている作品は別にぐんまローカルというわけではなく、ばりばりの現代建築家のものが多い。そしてこんなところにみんな人知れず作っているということ。二つ目はぐんまくんだり(失礼)に、こんなに素敵な建築がたくさんあるんだという事実。そして最後は大学のおそらく建築学科の方が協力してこんな本作っちゃうんだということ。
石田さんありがとうございました。

January 6, 2016

パイレクス筆たて

160106%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9.JPG
やっと中国にレクチャータイトル二つとレクチャーサマリー二つを送った。一日遅れだけれど。サマリーはできているが細部がうまくいくものか??短時間でレクチャー作るって、短時間で原稿書くようなもので頭から湯気がでそうである。幸いオフィスはとても気持ちよく頭は冴える。いい気持ち。オフィスの引越して身の回りを整理していると良い鉛筆立てというものがないことに気づく。本当はそのへんに転がっている缶からとかをブリコラして使うのが良さそうなのだが、そういうものも落ちていないので、パイレックスの計量カップを買った。実はガラスは一番インクなどで汚れにくいものである。汚れても洗えば落ちる。それに取ってついていて持ちやすい。これは結構スグレモノ。

January 5, 2016

アンリアレイジの年賀状

FullSizeRender%20%281%29.jpg
もう全く降参で今年も年賀状は全く書いていない。いつからこういうことになったかというと、おそらく年末にワークショップをやるようになってからだと思う。その前までは12月の頭にはもう年賀状ができてさらにその年の作品を張ったアルバムを20冊くらい作っていた。今から考えると信じられない。年賀状を書かないことで仕事が減っているかというと毎年増えている。それは自分で仕事作っているのだから別に愚痴ではないのだが、事実として増えている。今年はついに最後の忘年会から酒も飲まずに目の前にうずたかく積もる仕事をかき分けているのだがさっぱり終わらない。この1週間が勝負だろうか?
自分は書いていないのだから人からいただく年賀状を楽しむ権利もない気もするが、それはそれ、今年の一番冴えているデザインはどれか??やはりこれでしょうか?アンリアレイジの年賀状。往復はがき風。切手のところに自社のロゴ。裏側に白の反転字で文言が書かれている。ほとんど読めず。ダビンチなみである。

January 4, 2016

Modernity and Domesticity

modernity%20domestisity.jpg
18日南京で話すことを考えていた。テーマはModernity and Domesticity直訳すれば近代性と家庭性とでもなる。なんのことかよくわからず、オランダの建築の先生Hilde Heynenが書いたModernity and domesticity Tensions and contradictionsを読んでみた. 内容は次のようなものである。西洋の住宅は19世紀に入り公私の区別が明確になり、家庭を守る母のための家となる。家は母が守り、男は仕事に行くという構図が作られる。しかし20世紀モダニズムの時代の建築(Modernityを内包した建築)は前衛と呼ばれ、新しい世界を戦いながら切り開くもので、それまでの母に守られた暖かい空間を破るものとなった。また女性の社会進出によって女性が母として家を守り男性が外で働くという構図が成り立たなくなってきた。つまり20世紀は二つの意味においてもはや家庭的な家(domesticityを内包した家)が成り立たなくなった。というものである。
というわけでこれは私が建築の条件で行っている男性性女性性と同じ問題系であることが分かったのでそれに沿って話をすることに決めた。しかし日本の場合はこのdomesticityを内包した建築が作られたことが無かったのではなかろうか?あるとすればモダニズムの初期であり19世紀ではないというのが西洋と少し違う。その辺りを説明しながら、縄文からはじめカワイイまでたどり着きたい。

January 2, 2016

芸者遊び

IMG_7452160102%E6%96%B0%E5%AE%BF.jpg

紀伊国屋創設者の田辺茂一『わが町新宿』紀伊国屋書店(1981)2013は戦前戦後の新宿を知るのに最良の本だろうし、実に面白い。その実態をもう少し客観的に綴った早稲田の建築の教授だった戸沼幸一編著『新宿学』紀伊国屋書店2013は知っていたと思っていて知らなかったことがたくさん書いてある。
びっくりしたのは、その昔は新宿よりはるかに四谷が賑わっており、田辺も荒木町に夜な夜な遊びにきており、慶應を卒業したときも荒木町の料亭で祝賀会をしたそうだ。それから芸者遊びにはまったとか。
芸者遊びといえば、母の実家は東北一大きい料亭であり祖母はその女将。小学生のころは夏休みといえばその料亭、一心亭に行って夏を過ごす。そこには専属の芸者、テルさんとセツさんがおり、僕ら兄弟の遊び相手で、パチンコ、映画、銭湯と連れて行ってくれたのである。夜になれば、三味線と皷を叩き、僕は熱燗係りで人肌に酒を温めて部屋に運んだ記憶がある。店には東北の政財界の要人が来ていた。渋沢栄一の書生でその後十和田観光電鉄をはじめ多くのホテルの社長になった杉本さんはオープンのキャデラックでやって来てよく助手席に乗せてくれたものである。祖母が他界したとき。僕と杉本さんが弔辞を読んだのを覚えている。

January 1, 2016

来年は何人?

FullSizeRender-39160101%E3%81%8A%E5%A2%93.jpg
お袋が他界してから4年ちょっと経つ。もう10年くらい経った気もする。天国で元気に暮らしているだろうか?悲しくはないが、今会えればこんな話もあんな話もしたいなとたまに思う。親父も残念ながらだんだん口数が少なくなってくるのが寂しい。もっと話せる時に話しておけばよかったと思う。今日は初めて親父を車椅子に乗っけてゆっくりと移動させた。その間に色んな話をした。今読んでいる紀伊国屋の話もとても懐かしそうに聞いていた。
いつの頃からか兄貴の家族と僕の家族と親父お袋で大晦日、元日と過ごすようになった。その後お袋が他界しても今度はお墓参りをするようになった。最初は甥っ子も入れて9人いたのが、お袋が他界し8人となり、甥っ子二人が海外に行き6人となった。来年は娘も海外に行くと5人ということか。4人にならないといい。

元旦に思う

大学時代、正月は野沢にいた。競技スキー部におり3年の時は主将をしていた。1年間の100日はスキー場におりバイト代はすべてそれに消えた。
1月は7大戦という国立大学の試合をしていた。7大とは東大、東工大、一橋、名古屋、大阪、京都、神戸のことで。現在はそれに東北と九州が加わり9大戦になっている。僕らの頃はなかなかこの試合に勝てなかった。今年の様子を見ると9校中の真ん中くらいにいるようだ。明らかに30年前よりは強い。しかし、都会の大学のスキー部の強弱はその大学のクラブの伝統やOBの指導などよりも、いかに強い北国の選手が入部するかどうかにかかっている。僕も両親が北国育ちだったので都会の子供としてはスキーがうまかったけれど、同級生の富山や北海道の人間の足元にも及ばなかった。かれらにとってスキーは長靴のようなものである。走るように滑るのである。そんなわけで1年間の100日は合宿で禁酒禁煙である(名目上は)。なので都会に降りてくると飲んで吸っていた。しかし3年の時は主将ということもあり、都会でも禁煙はしていたように記憶する。もしかすると酒も絶っていたかもしれない。その頃から自分の意思で禁酒禁煙ができるようになっている。今年は健康と、倹約を目標に掲げているので禁酒禁煙の一年にする予定。とある有名な人が言っていた。お金は節約した分だけ貯まるものである。なのでさっさと畳屋に住む夢を叶えたく節約する。できることならニューヨークにもブエノスアイレスにも小さなロフトが欲しい。可能な限り早く英語圏とスペイン語圏と東京を移動しながら住みたいものである。

新年の祈

FullSizeRender-38160101%E5%85%83%E6%97%A6.jpg今年の誓い
⚪︎クライアント、先輩、友人に対して
失礼なく多くの知恵を共有して新しい一歩を踏み出すこと。
⚪︎教え子と家族に対して
人に頼らず自立した創造的な人間に育て上げること。
⚪︎自分に対して
健康、倹約、無駄を省いて楽しいことに時間をかける生活をすること。