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日本の相対的貧困率(平均所得の半分に満たない人口の比率)は16.1%でOECD中悪い方から4番目だそうだ。絶対値にすると2000万人が貧困層である。ということをこの本(中川雅之『ニッポンの貧困—必要なのは慈善より投資』日経BP社2015)には書いてある。
その中に日本学生支援機構の遠藤理事長のインタビューがあるのだがこれがなかなか大学人としては身につまされる。
奨学金受給者は2.6人に1人年間の貸与額は1兆円を超えている。そして返済の延滞も問題になっている。理事長曰く、人数をしぼってでも返済を前提するのではなく給付にするべきであるという。教育費のGDP比率がOECD中下から2番目というこの国は大学での費用がかかり過ぎという理事長の認識は同感である。
返済の延滞を防止するために来年から大学名を公表するという。延滞イコール就職先が悪いという目で見られるので延滞者の多い大学は就職が悪いというレッテルを貼られるようなもの。延滞が最も少ないのはなんと高等専門学校なのだそうだ。着実なそして全体にいきとどいた教育をしているということなのだろう。分かる気がする。
ところで大学支援機構は英語でJapan Student Services Organizationというそうである。支援だからSupportでもよさそうなのだが創設当時の有識者の一人ドナルドキーンが我々はパブリックサーバント(公僕)であるという認識粉をこめて命名した結果だそうである。
なぜ建築には様式があるのだろうか(もちろん建築だけではないのだが)?そしてなぜ様式は次の様式に移行するのだろうか?例えばバロックはなぜ新古典主義に移行したのだろうか?なぜポストモダンの歴史主義は終わり、少々モダニスティックな箱様式が登場したのだろうか?そもそも様式はどうやってできたのかを考えるとそれはその前の様式を誰かが壊したからできたということになるのだが、壊したから次が一朝一夕にできるわけはない。それができるには時間がかかる。それをつくるには時間と人が習慣的にある形象を模倣するということが必然となろう。つまり様式とは一つの習慣だろうとう私には思える。となると次の様式をつくる人はその習慣に違和感を覚えその習慣を止めて自分のやり方を考えるわけである。ではなぜその人はその習慣に違和感を覚えるのだろうか?それは社会が変わったからであり、自分も変わったからなのである。何かが変わって習慣も変わらざるを得なくなる。との時様式という形象が変わらざるを得なくなるのだと思う。
さてその習慣とは何に支えられているのだろうか?別の言い方をすると習慣は何を生み出しているのか?それは倫理である。人々が安定した行動を行うところに倫理が生まれる。それは倫理が習慣を作っていると同時に習慣が倫理を作っているのである。つまり様式は倫理によって作られ倫理に違和感が生まれる時様式は変わらざるを得ないのである。
創造とは常に新たな様式を求める行動でもあり、ということは常に倫理のほころびをみつけて繕うことでもあるのだ。
昼大学で会議。夕刻学会で著作賞の審査委員会。3時間は覚悟していたが、比較的スムーズにことが運び2時間半で終わった。
自分の書いている本を仕上げるのに編集者からいろいろな指導を受けているし、そうして書き直した原稿を見ながら、思うことは何を最終的に言いたいのだろうか?それが固まったとしてそれを言うにはどういう構成が一番適しているのだろうか?その構成が固まったとして、それを言う一番いい言葉はこれなのだろうかと?そういう悩みが尽きない。そして一応仕上がっても、結局時間のある限り書き換えて結局時間切れで原稿を送る。設計をするのと同じである。
そんな身分で人の文章を評価するなんて本当に僭越である。誰かがやらなければいけないからやっているがやはり腑に落ちない。
村上春樹はこれまで一度も賞の審査をしたことがないそうだ。それは無責任と言われるかもしれないが、やはり文章というものの個別性を考えれば、人の文章を、しかも若い人の文章を、それによって人生が決まるような賞の評価をするわけにはいかないと言っている。村上春樹にしてそうなのに、私にそれができるわけがない。本当に困ったものである。
「今の若者たちは『新卒一括採用』というルールに縛られて、そこから脱落したら『人生おしまい』というような恐怖を植えつけられています。でも、ほんとうはそんなことないんです。・・・それを限定してみせているのは企業の人事と就職情報産業の『仕掛け』です。・・・『新卒一括採用』以外にキャリアパスは存在しないと信じ込ませようとしている。
そんなわけないじゃないですか。
若い働き手を求めている職場なんか日本に無数にある・・・でもそういうところについての適切な就職情報はだれからも提供されません・・・サラリーマン以外に無数のキャリアパスがあるという情報を若い人たちが知ることは、企業の人事にとってきわめて不利な事態だからです。だから情報が遮断されている。それは国策でもあるのです」
そうだよなと最近実感します。富士吉田の斎藤さんに会ったり、福島の小松さんに会って話をしているとつくづくそう思います。国内だけではなくアルゼンチンで、チリで、コペンハーゲンで、バルセロナで建築家たちと話をしていると世の中には色々な生き方があり、そして色々な生活があると。
大学人としては、新卒一括採用のヴィークルに乗っかって、そういう会社にいくことのためにこの大学に子息を入れた親というものの期待に応えるべきでしょう、という理屈もあります。私立大学の中には(もちろん国立系の大学も)そういうヴィークルに学生を載せることに莫大なエネルギーをかけ、大学のセールスポイントとして大学の存亡をかけているところもあります。それはそれで仕方のないことかもしれませんし、そういうところで働くことにもそれなりのメリットはありますから。しかしそのためにそれ以外のチョイスを隠蔽するのはフェアではありません。今の大学という場所はそれ以外のチョイスにはまったく蒙昧であり蒙昧であるからその価値を隠蔽するという状態にあります。職を得るということをすべて大企業への就職率で測るというこの状況はどこかおかしい。本当に学生のための生き方にはこのようなチョイスがあるということを掘り出しその情報を学生に与えるのが大学のあるべき姿なのだろうと思います。僕としてはなるべくそうした可能性に触れられるように、様々な機会を研究室の中で作れればと思っています。内田さんの言うことに多く賛成だからです。
しかし最後に一言付け加えるなら、大学も国もそっぽを向いて、乗り心地のいいヴィークルを用意していない場所に行くには、自分でヴィークルを作って乗っていかなければならない。その自律の精神がない場合は今の所そういう場所に行くのは難しいということです。
(内田樹『困難な成熟』夜間飛行2015)
我が家で飲む酒類は自分で買ってくる。ついでに食べたい食材も買ってくる時がある。今朝は朝一でジム行ってティラピスをやり帰り道にある最近できたマルエツで刺身をたくさん買って来た。その後カクヤスに寄ってビールの宅配を依頼。最近ビールは(高いのだが)恵比寿の琥珀という赤い缶にしている。これを食事の2時間くらい前に冷凍庫に入れて凍らしてシャーベットにして飲む。ちょっと異常に聞こえるかもしれないが配偶者も美味しいという。その後イオンリカーでワインを4本買って宅配を頼む。最近の好みはチリのマルベック。が、先ほど刺身をたくさん買ったので一本だけ白を買う。カリフォルニアのシャルドネ。今日はじとっと家にいてゲーリーの原稿をだいたい仕上げた。その後主体性の原稿を仕上げこれは編集者にメール。その次に男女性の章をかなりリライト。でもまだ送れないかな?ゲーリ−は明日もう一回読んで送ろう。さてご飯。
午前中『建築プレゼンテーションのグラフィックデザイン』出版打ち合わせ。来月12日入稿だいぶいい本になってきた。これはいいと思っているのだが、これを卒計、修士設計前に出版しないと意味がない。12月初旬には店頭に並ぶ、、、、、、はず、、、、、、。この本のユニークなところはグラフィックデザイナー中野さんとの共著で彼が建築家の作ったプレンボードを作り変え、なにをどう変えるとどう変わるかを実践してみせるところ。これは今までにない。午後日本女子大の卒計の中間発表のゲストクリティークに伺う。篠原先生、宮先生、ゲストの塚田先生にゲラをお見せしたら、「僕らが見たい」とのご意見をいただいた。確かにそうだ。グラフィックデザイナ中野さんがプロのうででつくっているのだからむしろ学生よりプロの建築家が学ぶ本なのかもしれない。中間発表は2時から始まって5時間。終わったら7時半。なかなか充実していました。学部生も修士生も理科大よりだだいぶ進んでますね。懇親会でまたもや新刊本の説明をすると、是非買いたいとのこと。嬉しいね。
今はとあるメジャー新聞社の九州の編集局長をしている親友Mがその昔まだW大学の学生だった頃(だったと思うが)村上春樹の『風の歌を聴け』が群像新人賞を取った時にこの小説は抜群だと言って僕に読めと持ってきた。それ以来僕は村上春樹のファンとなった。当のMはその後村上春樹が有名になるともはやメジャーには興味が無いと言って気にも留めてい無いようであった。伸びそうな人間を見つけ出すのが彼の趣味であった(そういうのがジャーナリストなのかもしれ無いが)。
と言っても彼の作品をやみくもに全部読んできたわけでは無い。立ち読みして面白そうなものだけ読んできた。最近は実はあまり読んでい無い。でも好きである。世界観が僕とあっている。単純に文体も好きである。文壇というところと絶縁しているのもいい。
というわけで最近出たこの本を読んでいて面白い事だらけなのだが、一つ紹介したい話がある。
僕は自分が感じた面白い話を勝手に(相手が聞いていようがいまいが)一方的によく配偶者や助手の佐河君に話す。話すとすっきりする。誰かに話さないと忘れてしまいそうな気がして心配なので話す。話した事はだいたい自分の記憶に残る。これが結構重要である。そんな話の一つである。
これは村上春樹『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング2015の第四回オリジナリティーについての章に書かれていたことである。村上によれば「特定の表現者を『オリジナルである』と呼ぶためには」3つの条件がいるという。
1) 独自のスタイルがあること
2) そのスタイルを自らの力でヴァージョンアップできる事。同じ場所にとどまらない自己革新力を内在していること。
3) そのスタイルは時間の経過とともに人々のサイキに吸収され価値判断基準の一部として取り込まれること。
この話はとてもとても納得させられたのである。実は村上がこんなことを考えているというのはとても意外でそんなことを考えながら表現していたとは思えなかった。自らを頭の回転が遅い人間で早い人間は評論家向きだといいつつ、ここに挙げた三つの視点はまさに評論さながらであるから。
この3つのうち1)は誰でも思うオリジナリティであろう。そして3)はとある著名な美学者が述べていたことに近い。曰く真の芸術家はハビトゥス(習慣)を変革しうると同時にその変革されたハビトゥスは規範性を帯びる。なので僕にとって重要だったのはこの2)なのである。なんとなく思っていた言葉「ヴァージョンアップ」を村上が言ってくれて頭がすきっとした。そうなのである。ゲーリーのヴィトンがなぜいいかということをこの言葉が解きほぐしてくれたのである。ヴァージョンアップする自己革新性というのは本当にすごいエネルギーと努力がいることなのである。いつもおぼろげに感じている創作のエッセンスなのだと思う。
千葉の家の最終検査。やっと最後のテラス手すりのポリカが差し込まれた。犬がテラスから落ちないようにという配慮から手すりの下部にポリカを入れた。なるべくスッキリと思い手すりこの縦桟(FB 15✖️60)に 10ミリのスリットを入れてそのスリットの中をポリカを抜きのように通してFBとポリカの隙間をシールした。一切のビスの類を使っていないなので透明感が半端ない。写真を撮ってもポリカが透けて見えないのでこの写真は明るさコントラストを加工し
ている。犬用の衝突防止マークをつけるべきか?
村上春樹が小説家になったのは神宮球場の外野の芝生でビール飲んでいたらepiahany(天啓)がひらひらと舞い降りてきたのだという。そして書いた小説が『風の歌を聴け』で群像新人賞になってしまったのだそうだ。僕は建築家になるのにまったくepiphanyは無かった。どうしてだろう、過度の自信家ではなくいろいろなことを諦める人生だった。野球の選手を諦め、指揮者を諦め、ヴァイリニストを諦め、陶芸家を諦め、残ったのが建築家だった。そしてそれをやることには何の迷いが無かったのは不思議としか言いようがない。
ところで村上曰く、小説を書くほど簡単なことはない。特殊な技術も特別な教育も不要。だから突如いい小説を書く頭のいい人がいたりする。しかしこの世界にずっと居続けるのはとても大変なことだという。居続けるには資格がいるのだという。その資格とはとても簡単で、小説世界の海に放り込んでみて沈まなければ資格があるということだという。なるほどとても簡単である。おそらく建築もそうだろうこの建築という海原に居続けるのには資格がいる。それは建築海に放り込んでみて沈まなければ資格があるということだ。
I`ll go to Dhaka next month to see a minister of a certain ministry who is just 39. I`ll see the site of a Eco industrial Park which is more than 100 hectares. Bangladesh is the country of cyclone-flood. I`m very much interested in architectural response to catastrophe.
Now I`m studying this country.
http://ofda.jp/sakaushi/diary/
神楽坂で卒計のエスキス。卒計って結局3つのタイプがある。
① 敷地もプログラムもほとんど関係なく建築の(空間だったり、構成だったり)原理を追求するもの
②①と対照的に社会の問題に即しながら、しかし世の中の制度に違反することなく制度の中で精一杯できることをしようとするもの。
③②同様に社会の問題に即し、それを積極的に解決するために世の中の制度の改革も含めてややゲリラ的に新たな提案をするもの。
さあ君はどれを選ぶのだろうか?
エスキス終えて四谷から我が家へ向かう三栄通りをぶらぶら歩いているとなんだか騒がしい。黒塗りが15台くらいずらりと並んでいる。しかも緑ナンバーではない。テレビカメラが3台とある焼肉屋に照準を合わせている。店の前、通りの両端がたいのいいあんちゃんが立っている。カメラマンに誰かいるのか聞いたら政治家さんですよという。また別の人に聞いたら安部がいるそうだ。へえこんな四谷の小路にもやって来るんだ。
足立力也『丸腰国家—軍隊を放棄したコスタリカ60年の平和戦略—』扶桑社新書2009を読んでびっくり。こんな国が世界に存在している。しかも中米なんていう恐ろしく政情不安定な場所に。しかしその歴史を知るとさもありなん。USの裏庭というこの場所で平和を維持するためにあえて彼らは万歳して「積極的永世非武装中立宣言」をしたのである。USにもどのこの国にもおもねることを止めたのである。そしてその後何度かこの憲法が覆されそうな危機の中で彼ら国民はこれを保持したのである。それを可能にしたのは彼らなりの努力があったから。それは軍事的な危機になった時、常にそれを外交問題として話し合いの場に持っていく巧みさがあったからなのである。
えらいではないか、しかるに日本はどうだ、、、せっかく戦後ここまで不戦の決意とその実行をなんとか進めてきたのに、それを手放そうとしているではないか。話し合いができないからなのか?少しはコスタリカを見習いなさい。
Tom Dixon のRethink は日常の事物を疑ってかかる。再考せよという本である。意図しないところ(unintended)に次なる可能性があるということを教えてくれる。
年末に行う国際ワークショップの課題をエルンストと練っているのだが、彼のテーマは意図しない都市(unintended city)の中に都市の可能性を見つけようというものである。東京という偶発的でカオティックな都市を捕まえるのには適切な概念だと唸ってしまった。そしてエルンストのunintended cityという捉え方とトムのRethinkの目のつけどころは同じ。WSの教科書にしよう。都市の中にこんなネコ(運搬用の一輪車)を発見できればしめたものということだ。
午前中に学会の仕事の見直しをして一応私なりの結論づけをする。それをしたらやっと肩の荷が下りた気持ちになりスッキリしてゲーリー展へ。まずはヴィトンに。ヴィトンエスパスにこれだけ人がいるのは初めて見た。店の人もプレスも客もすごい人数ですと驚いていた。僕としてはとにかくこの建物の空間性が知りたくて大きな模型を覗いて想像を逞しくしていた。すると山本力矢さんが来られた。話をしていると彼はここに来たことがあるというので色々と聞いた。
ヴィトンを出て2121へ。こちらもすごい人。2121にこんな人がいるのを見たのも初めてである。どうしてここまでゲーリーに人が来るのだろうか?こちらの展示はビルバオ以降を色々とある。うーんやはりヴィトンに比べると少しこれらは彫刻的だなあ。こちらにはゲーリー事務所の巨大な写真があった。まるでアンドレアス・ガルスキーの写真みたい。すごいねえこの風景。ゲーリーは形もすごいけれどこういうものを実現させるマネジメント力が尋常じゃない気がする。
乃木坂から上原に行ってHATRAの新作コレクションを見る。こじつけじゃなくHATRAの風を孕むような服はゲーリーの新作によく似ている。だからというわけではないが一つ欲しい服があったのだが、出来上がるのが3月ということで諦めた。3月に来たらもう暑くて着れないだろうから、、、
早朝ジョギング始めてから3年くらいたつので我が家の周り直径3キロ範囲の道路で走っていないところはないつもり。だったが,今朝四谷4丁目のあたりを走っていて和風の銭湯を発見した。これは見落としていた。銭湯はいくつかこの都心にもあるのだが、もはやただのビルみたいなものばかり。和風スタイルは珍しい。Although it was not unusual for a public bath to adopt the architectural style such traditional architecture as temple and castles, recently in the mid Tokyo it has become unusual,,,,,,,,,,,,,,,,,, but I found this traditional public bath near my house.
無味乾燥なビニールチャックのついた内側がアルミコーティングしてある封筒が事務所に届いている。封を切るとなにやら短冊型の3枚重ねのシートが出てきた。紙ではない。薄いビニールである。触ると粘着質である。その上に文字が印刷してある。Invitation HATRA。 春に西谷さんと足を運んだHATRAからのフレンズセールのご案内だった。ファッションデザイナーのインヴィテーションは森永さんもそうだけれどすごいこだわりである。
HATRAの服はフードが印象的。フードがとってつけたようなものではなく。フードが服全体の重要な一部となっている造形なのである。ということはかなり大きいということでもあり、かなり試着したが春は着れるものは無かった。秋はどうか?
ルイ・ヴィトン・エスパスからダイレクトメール。封を開けて知る次の展覧会はなんとフランク・0・ゲーリー。ついに3つのゲーリー展が都内で同時進行することになる。東京でこうならおそらく世界中で両手では数え切れないゲーリー展が行われているのだろう。一体どうやって誰がこれをマネージしているのだろうか?なんてことを心配するだけ野暮というものか?今年86歳を迎えるこの巨匠のエネルギーはどこから出てくるのだろうか?
スターアーキテクツの先頭を突っ走り世界中にゲーリーアイコンを作り始めた頃から少々彼の建築に嫌気がさしていたのだが、この最新作であるFOUNDTIION LOUIS VUITTONにはわずかな期待がある。形態的にはゲーリーアイコンを引きずっているのだが、今までのような彫刻的な硬さと閉鎖性がすっかり解き放たれて、開放感と透明性に満ちている。ゲーリーが昔建物に纏わせたチェーンリンクをMason Andrewsはシャドーストラクチャーと呼んで彼の重要な特徴とした。今彼はチェーンリンクを木とガラスに置き換えて透き通った表皮(クリアーストラクチャー)を纏わせている。
一人の建築家の一貫性を賞賛する必要はないがそこに通底する「纏う」というコンセプトには建築の本質的な意義があると思われる。というのも建築は服飾の延長だと私は常日頃思っているからである。服も纏うということを初期的な原理とするように建築も纏うものとしてデザインされ、構築され得ると思っている。それによって建築と人はインティミットな関係性を持ちうると思うのである。そういう関係性をゲーリーは40年前に産み初めて今また産み落としたのである。
リアルな体験をしていないので推量の域を出ないのだが、もしここに服を纏うような爽快感が流れているのであればそれは今までのアイコンゲーリーから出した今時の建築を実現していることになるのではなかろうか?
朝事務所に行ったら『建築系で生きよう』という本が届いていた。これは建築系ラジオというインターネット配信のラジオ番組の中からいくつかを活字化した本である。主としてインタビューや鼎談がラジオでは流れていたので、この本も対談集という様相である。そのインタビュー集の最後が松田達さんと僕の対話である。2010年今から5年前まだ僕が信州大学にいた時に長野の駅前の居酒屋で飲みながらの対談。そんな場所なのに松田さんの質問は超まじでどうしようかと焦ったのを覚えている。興味があったら本屋で立ち読みどうぞ。この対談集の中では圧倒的に梅林克さんの話が面白く高松事務所での武勇伝が読める。前田則貞さんの強烈な建築論(?)しつけ論も必見。
ゲーリーがロサンゼルスに事務所を開いたのが1962年。最初の仕事はサンタモニカのアパートメント。この写真はゲーリーの最初のモノグラフ(Rizzoli 1985)に掲載されている。
敷地周辺にはメイベックやグリーン兄弟が産み出したカリフォルニアバンガロースタイルの建物が多く建っている。ゲーリーはそのスタイルを踏襲し多層にした。ゲーリーはその後15年比較的おとなしくカリフォルニアモダンスタイルで設計を行う。しかし彼を世界的に有名にする自邸で再度カリフォルニアバンガローに邂逅した。そこではバルーンフレームを一部露出させ今日的なカリファオルニアヴァナキュラーマテリアルであるチェーンやコルゲートをそのバンガローに着せた。彼がヴァナキュラーに対して持っている本能的な愛情はキャリアのスタート時点から既にあったということのようである。
東工大で早稲田、東大、東工大、の若手、おじさんが建築論を議論する。一つの切り口として、存在論的に見るか、現象論的に見るかという視点が浮かび上がる。
朝八潮市に行きマスターアーキテクトの仕事。ある規模以上の開発案件があるとその敷地に行って開発計画に助言する。緑化、騒音、景観、臭気、交通などの観点でコメントする。もう7回目くらいだろうか?この手の開発で毎回思うが都市の土の面がどんどん無くなる。駐車場を芝生にするなどして土の面を残して欲しいものである。可能な限り駐車場を取りたい気持ちはわかるのだが、、、、
午後大学で輪読ゼミ。今日は批評理論。夕方大成建設の方が来校。この前学生が作ったビールのオブジェを大成建設と共同して「スマートイルミネーション横浜2015」に出店することになりそのご挨拶。わざわざ恐縮です。夜から製図。」さああと少し頑張って。
千葉の家の事務所検査。とはいえまだ完全に完成していないのだが、、、大工仕事は抜群。塗装が最後のスピード工事だったせいかやや飛び跳ねはみ出しがあり少々修正を依頼した。今回の計画の特徴はクライアントが陶芸を趣味とするということもあり、エントランスホールがギャラリーとして建物の中心にありそこから様々な部屋へつながっている。その中心ギャラリーがワインレッドの特殊な塗装で仕上げられ、その他の部屋がダークグレー。そして各部屋にワインレッドの織り上げ天井がある。開口部は比較的少なめで僕の仕事の中ではダークな建築となった。ディテールはスタッフS君の粘りと施工者の大量の原寸図によって今までにない素晴らしいものとなっている。外構がまだ2ヶ月くらいかかるので撮影はその後である。
ひょんなことから今住んでいるマンションの理事長にさせられて早2ヶ月。今の所、月ごとにやってくる二つの書類に捺印している。未だかつてこういう捺印するような職についたことがなかったので、長がつく仕事は本当にやりたくないと改めて思うわけである。
その捺印する書類のひとつに資源ごみを区に買い取ってもらう書類があるのだが、それを見てびっくりした、ダンボール雑誌、新聞紙などの資源ごみは月1トン近い。一世帯20キロである。我が家からそんなに出しているかな?
ところでこの理事長をしていて何だが、このマンションからいずれ出て中古のオンボロ屋を買って改造して住みたいと思っている。しかし四谷にはずっと住みたい。便利だし、こんな駅からの風景も好きである。緑の向こうに見えるビル群。
今日の会議は長かった。2時半から6時半まで。終わって食事。やることはだいぶ残っているのだが、さあみんなでなんとか終わらそう。そして年内に出そう、出せるか?出したいな、、、『建築プレゼンのグラフィックデザイン』
毎年のことだが、トークイン上越は行く前は面倒臭いと思う。一泊して話して帰るなんてちょっと勘弁と逃げたくなるのだが、帰る頃にはいつも来て良かったと思う。諸先生方(トム、真里さん、木下さん、宮さん、川口さん、山城さん、真さん、西澤さん、今村さん、安原さん、千葉さん)と飲んで話すのも楽しいが今回もゲストが素晴らしかった。小名浜でまちづくりをしている小松利虔(こまつりけん)さんである。今年のトークインのテーマは直江津の町づくり。そこで小松さんに来ていただいたのである。小松さんの町づくりの様々な手法はそれはそれで素晴らしいが、それよりも何よりもやはり100%使う側に立っているところが僕ら建築家とはちょっとちがう。常に相手の気持ちに立つスタンスは人格として立ち上がるのである。つまり職業が人格をいい方向へ変えていくのである。彼はとてもいい人である。
これに対して建築家というものは100%使う人の立場には立てない。立とうとしても、法律だ、技術だ、お金だ、クリエーションだといろいろなことが立ちはだかる。いい建物作るためにはクライアントのいいなりではダメだというハビトゥスは普通にまかり通っている。職業の限界である。町つくりする人に比べれば建築家はバッドマンである。
もうバッドマンやめていい人になりたいと思いつつもバッドマンのスリルというのも一度やるとやめられないところもあっていい人にはなれない。
しかし、、、、建築家にも本当にいい人は数人いる。僕の知る限りではチャールズ・ムーアと坂本一成は本当にいい人である。
小林敏明の『柄谷行人論』を直江津へ行く車中で読み始めながらふと親父の姿が浮かぶ。退院後元気にしているだろうか?何時だったか年に一度の暮れの家族での飲み会の時に、若い経済学者がまるでマルクスを理解していないと憤っていた。よく聞けば柄谷行人のことだったのを思い出した。
どこにでもある話だが、親父たるもの若者は何を考えているのだろうか?と不信を抱くものである。そしてこれもおそらく掃いて捨てるほどこにでもある話だが我家でも、そういう若者否定と、将来の日本論を親父が始めれば、長男は黙っちゃいない「親父は古いんだよ、何もわかっちゃいない、そんな事言っても誰もついては行かない」。
こう言う話の構図は家族を飛び越えて様ざまな社会の枠組の中でも発生する。先日もとある会議で親父格の長老が組織の行く末を案じて語りはじめると兄貴格が「親父は古いんだよ」と一喝。弟はこう言う場合、家族においても組織においても兄貴ほど急進的にはならず、まあたまには親父もいい事言うから聞いてやろうよというスタンスであるが会議の時間は限られており聞くまでも無く終了。
さて家族の飲み会はどう展開するかといえば、親父、長男、次男の次に登場するのは孫たちである。彼らは祖父を素直に尊敬している。そもそも長男が親父を煙たがるように、孫たちも親父が煙たいのは本能である。であるから祖父と長男の議論では祖父に軍配をあげるのである。そうやって家族のパワーバランスが保たれる。恐らく社会も普通はこういうどこにでもありそうな循環するパワーバランスが生まれ組織は安定する。しかし親父がよほど間抜けだとこのバランスが崩れ親父殺しがおきる。孫はもはや祖父にはつかないことになる。
さて日本社会はどうなるだろうか?