様式を変えるものは
なぜ建築には様式があるのだろうか(もちろん建築だけではないのだが)?そしてなぜ様式は次の様式に移行するのだろうか?例えばバロックはなぜ新古典主義に移行したのだろうか?なぜポストモダンの歴史主義は終わり、少々モダニスティックな箱様式が登場したのだろうか?そもそも様式はどうやってできたのかを考えるとそれはその前の様式を誰かが壊したからできたということになるのだが、壊したから次が一朝一夕にできるわけはない。それができるには時間がかかる。それをつくるには時間と人が習慣的にある形象を模倣するということが必然となろう。つまり様式とは一つの習慣だろうとう私には思える。となると次の様式をつくる人はその習慣に違和感を覚えその習慣を止めて自分のやり方を考えるわけである。ではなぜその人はその習慣に違和感を覚えるのだろうか?それは社会が変わったからであり、自分も変わったからなのである。何かが変わって習慣も変わらざるを得なくなる。との時様式という形象が変わらざるを得なくなるのだと思う。
さてその習慣とは何に支えられているのだろうか?別の言い方をすると習慣は何を生み出しているのか?それは倫理である。人々が安定した行動を行うところに倫理が生まれる。それは倫理が習慣を作っていると同時に習慣が倫理を作っているのである。つまり様式は倫理によって作られ倫理に違和感が生まれる時様式は変わらざるを得ないのである。
創造とは常に新たな様式を求める行動でもあり、ということは常に倫理のほころびをみつけて繕うことでもあるのだ。