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September 30, 2015

SANAAスタディー

大学の会議と夜の打ち合わせの間に時間ができたのでGAギャラリーに来た。SANAAのスタディーモデルとゲーリーの写真が1階と2階に分けて展示してあった。最後に気がついたのだが、SANAAのところに展示してあったものを最後までゲーリーの作品かと勘違いしていた。そのことはとりあえず置いておいて、スタディーモデルの量はみな知っていることなのだが膨大である。展覧会には説明が無いので、PLOTを買って読んでみると、より具体的にその模型で何をスタディーしているのかが分かって納得した。
山本さんが、SANAAの建築がより多様に、オープンソースになってきていること、より関係性を考えるようになってきていることを指摘していた。今回の展示ではその辺りの多様な模型が展示されていなかったように思う。本当はその辺りが見たい、何を根拠に、こっちに進んだのか?恐らくそれはプロジェクトの最初期段階なのだろうが。PLOTで言うと、大倉山の解説がとても面白かった。

September 29, 2015

ニーマイヤー展

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一度は行くのをやめようかと思ったニーマイヤーの展覧会だが、数名の方からぜひ見てきてほしいと言われたので行くことにした。さて行ってみるとなるほでお賛否両論あるのがわかった。私としてはニーマイヤーという巨大な建築家だけに、、、展示がその偉大さを示すには少々、、力不足と言わざるを得ないと感た。
助手のSくんも同感のようなのでこれは僕の極めて主観的な意見というわけでもないだろう。
さてそれはなぜかと考えてみるに、展示されている建物の半分以上を見たことのある僕にとって、ニーマイヤーの建築はブラジルだからできる、コンテクストなどは無視した、驚くようなスケールと空間の大きさなのである。これはおそらく気候も関連していて、寒い地方でこんなことはできない。加えてサンパウロ大学のウゴ先生も言っていたが、ブラジル建築の凄みはとてもつもない構造計算能力で生まれるとんでもない形を滅茶苦茶な施工精度(もちろん悪い)で作り上げるそのギャップにあるというわけである。

つまり構造の緊張感、ブルータルなテクスチャー、そしてアウトスケール。
この三つのどれかでもあの展覧会にあっただろうか?と考えてしまうわけである。

この写真は素敵だったが。

September 28, 2015

珍しいペルシャ絨毯

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自宅そばにペルシャ絨毯屋があり、ショーウィンドウにその時々の売りの商品がぶら下がっている。この商品がいつもなかなかいい。特に今日見たものは色も柄もなかなか珍しい。そもそもペルシャ絨毯の柄としては幾何学模様が多いのだが、花柄もないわけではない。しかし植物柄の場合でもある幾何学的なルールが根底にあってその上に植物柄があしらわれているのが普通である。比較的ランダムに花びらが並ぶこういう柄はかなり現代的なものなのかもしれない。

September 27, 2015

活字漬け

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読まなければならない本。今週末は2冊を課しているのだが、昨日は寝てばかりいたので今朝は早朝から読み始める。昼までになんとか1冊。昼食後2冊目にとりかかる。しかしこれが分厚い。少々飛ばしながら夕方読み終える。ああ疲れた。風呂に入って好きな本を読む。今日は本当に活字漬け。ニーマイヤー展に行こうかと思ったのだが時間がない。加えて、FBで信頼できる友人の評があまりよくない。一緒にやっているヨーガンレールなしでここまで来るのは辛いと書いてあったので、行かなくてもいいのかなという気になって彼女のFBにそう書いたら実物見た人に是非この展示を見てもらいたいと返信が来た。うーん実物をしのげるわけないしやっぱり行く時間が惜しいかも。

疲れ

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どういうわけか今日は朝も昼も夜も寝たり起きたりして24時間の半分以上寝ていた。風邪をひいているわけでもないし、お腹を壊しているわけでもないから、これは出張疲れなのかもしれない。配偶者も先週展覧会の作品を出し終わり一息ついたところでたまった疲れがでたようである。夕方二人で夜の散歩兼食事に出かけると防衛省の電波塔が冷徹に光っていた。この塔はたまに白く光るのだが今日は赤である。いずれにしても不気味である。

September 26, 2015

美術建築家

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日本の最初の建築家は辰野金吾。日本銀行と東京駅を設計した人である。この人の新しい自伝を読んでみた。分離派で建築が工学が芸術かを議論する前に辰野は美術建築家を目指していた。僕たちはもう一度辰野の状態から考え直してもいいのではないか。

September 24, 2015

残りわずか

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千葉の現場にラテンアメリカから帰ってきて行った。内装板張りの目地がかなり複雑だし、ドアまわりのディテールをかなり新しい試みをしたが完璧にできていてありがたかった。若干塗装が、、、、という感じだが、全体的にはいいでき。なのだが進みが遅く少々イライラする。玄関入ってすぐのキャラリースペースもいいプロポーションである。残り頑張って。

September 23, 2015

おっと

%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%99%EF%BC%92%EF%BC%93%E3%82%BC%E3%83%9F.jpg久しぶりにゼミをやってちょっと焦る。というか学生たちが焦っていないようなので焦る。数週間時間があったのにこれだけしか進んでいないのかと思うとがっかりである。①怠惰なのか?②論文の書き方が分からないのか?③論文を書く楽しみにたどり着いていないのか?
① の場合の処方箋は簡単である。真面目にやれ。
② の場合の処方箋も簡単である。巷に氾濫している論文の書き方ハウツー本をさっさと読め。
③ の場合が一番厄介である。真面目にやっていて、論文の構成や書き方も知っているが何が楽しいかわからないやつ。この場合はとにかく自分の獲得したデーターを上から下から斜めから見つめるしかない。例えばりんごの研究をしているとする。この集まったデーターをどう並べたらこの赤いりんごが黄色いと言えるか考えることである。自分の味方を提示することで今まで見えなかったりんごの側面を提示することが論文なのだから。

September 22, 2015

本漬け

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朝から書評やら審査やらで山積みの本から3冊読んだら疲れてしばし寝る。起きてもうそっちの本に飽きたので読みかけの藻谷浩介『デフレの正体—経済は「人口の波」で動く』角川2011を読む。なるほどと思うこと多し。経済のことは本当に分からないことだらけなので、ここで納得していることが功をそうするのかも分からないが、今まであまり聞いたことがなくてでも的を射ていると思うことがいくつかあった。その一つは人口変動と経済の関係。すなわち今の日本はものを生産する人口が毎年減る。つまり定年する人が多い。それは消費する人が減ることを意味する。よって内需が減少する。内需が減少するのに一生懸命GDPを増やせば作ったものは外に売るしかない。売るために価格を下げるべく生産性を上げ、人件費を下げる。消費人口が減るのにその消費者の消費能力を下げるのだからさらに内需は減少するというこの悪循環が起こっている。この理屈はその通りと思わざるを得ない。著者の対策は3つある。
① 高齢富裕層の持つ資産を生前贈与で若者へ
② 女性に就労を
③ 外国人観光客の増加
一聴するとどうしてと?聞こえるが全ては上記の悪循環を断ち切り内需を拡大するものとなるのである。

September 21, 2015

快調

いつもは外国から帰ると時差ぼけで夜寝られないのだが、今日は快眠で昼も快調である。こんなこともあるもんだ。朝から新しいダイアリーノートを作り(いつもダイアリーは手作りなので)午後から溜まっていた本を読むのに必死。読んで、読んで、読んで、そのうちお腹すいてきたので終わり。
ところで日本ついたら結構暖かい。飛行機の中が地獄の冷蔵庫だったので結構気持ちいい。それにしても欧米系の飛行機の中はどうしてあんなに寒いのだろうか?特にユナイテッドはひどい。

September 20, 2015

WS 終わり

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3年ぶりに海外での学生を連れたワークショップを行った。今回は午前中建築を見て、午後人と会い、レクチャーをして夜エスキスチェックという学生も教員もへとへとになるタイムテーブルだった。さすがロベルトだんだん日本人みたいになっているのかな。後半のチリはストライキで足止めを食い、レクチャーはキャンセル。行ったら地震があって日本のみなさんにご心配をかけ(サンチアゴは幸いたいしたことはなく)独立記念日で色々な建物がお休み。タイトスケジュールと事件で同じ日数行っているのだが、バルセロナに比べて疲れた。
スペイン、ラテンアメリカを連続的に行くとよくわかるが、やはりスペインの方がブエノスアイレスより建築や文化の厚みがある。ブエノスアイレスの方がサンチアゴより深みがある。深みがある分しがらみも多いということかもしれないが。

September 19, 2015

子の心親知らず

日本を留守にしている間に安保法案が可決された。これは様々な思惑の絡み合いのなかで生まれたのだろうが、アメリカの防衛戦略の餌食にされたと僕には見える。まるでラテンアメリカでおこったキューバ包囲網と同じである。戦後ラテンアメリカではキューバ包囲網をしくためにアメリカの諜報活動と支援がほぼすべての国に軍事政権を作り、反対勢力を強制収容所に放り込んだ。その結果おそらく相当の人が拷問、虐待そして何処かへ葬られた。そんな恐るべきことを仕組んだアメリカは憎い。
 サンチアゴからヒューストンまで来た。ここまでくると言葉の問題もあるが少しリラックスする。それはかって知ったる場所だということもあるが僕がアメリカと親和性を持っているからだと思う。アメリカの国民性が嫌いではない。憎いアメリカと好きなアメリカが同居している。この感覚はなんだろう?
 当たり前なのだがここでいう憎いアメリカはアメリカ政府あるいはその中でも一握りの政治ゲームの判断をしている人々のことである。言えばビッグアメリカファミリーの一握りのお父さんお母さんたちなのである。彼らの子供あるにその罪の原因はない。彼らはその罪を忘れていいわけではないが、その罪を責められる立場にはないだろう。つまり僕の同居している感情とは子は好きだが親は憎いということである。
今の日本でも同じようなことが起こっている。一握りの政治家の判断が民主主義というシステムをくぐり抜けことを前に進めている。子の心親知らずである。
帰国の飛行機で見たビリギャルという映画はビリっかすのギャルが頑張って慶応大学に入学するという実話をもとにしたものだった。そのなかで父親はそんな娘の努力を気にもかけず、相手にもせず、鼻から無理と決め込み子の心をへし折っていた。子の心親知らずである。しかし最終的に父親は自らの非を認め。この気持ちを分かち合った。家族で起こることが拡大して国家規模でも同じことが起こっている日米の親たちが映画のように子の心を分かち合うことを切に望む。

September 18, 2015

サンチアゴ駆け足

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本当なら昨日学生とディエゴと見るはずだった建築を見に出かける。スミルハンの民族美術館はディテール、空間、展示が完璧なまでに作り込まれていた。昨今見た美術館でここまでの完成度は数少ない。展示も素晴らしい。世界の5大文明は嘘で実はここに6番目の紀元前の文明があったと昨今は常識化したけれどその本物を見られたのは嬉しい。昨日はスミルハンのレストランでディナー今日はスミルハンの美術館でランチ。
午後はカトリカ大学の建築学部に行こうと思ったが上手く入れず、諦めて少し離れたキャンパスにあるアラベナの二つの建築を見学。とても大胆なデザインである。
スミルハンとアラベナを比べると、前者の大胆さ、後者の繊細さが際立つ。夕刻国立美術館に行ったが閉まっていたのでぶらぶらしていると公園で民族的なダンスをするグループがあり、しばし見惚れる。

September 17, 2015

ストライキと地震

150916sumiruhanresutaurant.jpg昨日サンチアゴ空港のストライキで1日ブエノスアイレスで足止めを食った。1時半のフライトが3時となり4時となりサンチアゴに着いたのは7時。ここは空港で円の両替ができるのでびっくり。しかし日本の1万円札には英語表示がなく、これはYENなのかとなん聞かれ、なんともドメスティックな紙幣だと改めて思う。
ホテルに行くのは諦めて、学生たちとディエゴが待つスミルハン・ラディック設計のレストランMESTIZOに向かう。あらあらとても高級そうなレストランでこんなところで学生たちがご飯食べて払えるのだろうかと心配したがまあ居酒屋程度の値段で最終的はほっとした。
本当は今日ディエゴの案内でたくさんの建築を見るはずだったしカトリカ大学でレクチャーをし彼のビデオインタビューを受けるはずだったのができなかった。少なくとも夕食ぐらいは彼といろいろ話をしようと思っていたのだが地震が来て、奥さん思いの彼は妊娠中の彼女のためにすぐに帰宅。なんと彼とは乾杯するだけで終わってしまった。1かヶ月以上前から、今日の予定を練っていたのが、二つのアクシデントで飛んでしまった。まあセラビということか。

September 16, 2015

Santelmo

1509santelmo.jpgさあチリと意気込んでエセイサ空港に来て出発便の掲示板を見るとキャンセルの文字がならんでいて、なんだか嫌な予感がしたら案の定、サンチアゴへ飛ぶ便はすべてキャンセル。理由は空港ストライキ。ディエゴにメールをすると、バスもあるよということで夜行バスの予定を調べたが満席。メンドーサまで飛行機で行きそこからバスという経路も調べたがそれも満席。
もう可能性は0。しょうがないブエノスアイレスに戻る。佐河君が見られなかったスルソラールの美術館を見る。僕は数回目だが、何度見てもなかなか啓発される。その後アルゼンチン建築家協会の本屋に寄る。ラテンアメリカの建築雑誌は日本に入ってきてないものが数種類あるがこれがなかなかいい。スペインとはまた少し違う土着性がある。ホテルは今回時間がなくて行けなかったサンテルもにとり夜ぶらぶらして昔を懐かしむ。

September 15, 2015

amigos amiga

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バリロチェからブエノスアイレスに戻り、宿で一人メールの返信をしたり、明日からのチリの見学ルートを確認したり、チリでアテンドしてくれるディエゴとメールのやり取りをする。出かけようと思ったが、そんなことをしているうちに夜。ロベルト、フロレンシア、フェデリコとブエノスアイレス最後の夕食をとり別れを告げる。来年のワークショップは、エクアドル、バルセロナ、ウィーン、ブエノスアイレス、東京。さてどこまでできるだろうか?予定があるのはいいけれどどんどん増えてしまってパンク寸前。

September 14, 2015

Nature

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Navel Huapi 湖の周りを周遊するアンティークボートで2つの島を歩く。静かな湾に突き出た小さなピアの先端で水の音と風の音と鳥の声に耳を傾けて空を仰ぐ。旅をすると建築しか見なかったが、ロベルトのおかげで初めて自然が素晴らしいと思える経験ができた。

September 13, 2015

バリロチェ

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ハードな1週刊を終え、ロベルトに連れられバリロチェに来た。こんな場所にかつて来たことがあるだろうか?美しすぎて声が出ない。。

September 12, 2015

UNSAMAの教育

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国立サンマルチン大学(UNSAM)の建築学部アカデミックセクレタリーとお会いする。この大学は22あるアルゼンチンの国立大学のひとつ。建築学科ができたのはさらに新しく2年前。だからこそみな新しい試みに熱心である。ロベルトは建築学科の教授であり技術部門のディレクターに数年前に就任した。ここのプログラムがすこぶる面白い。サンマルチンは工場とスラムの街。工場の廃材でリアルに貧困地域を改善するのが学生課題。バーチャルなプロジェクトはしない。毎年そうしたテーマのワークショップに諸外国から150人人が集まるそうだ。

WS in UP

workshop%20in%20Up%202015.jpg1週間とはいえ、月曜日はクルチェット邸に行って、火曜日にはUSUMAを見て、水曜日はクリシュナ文化センターに行き数少ない時間しかないワークショップを文化が違い、建築が違い、言葉が違う人たちとワークショプをやることの大変さに日本の学生はフラストレーションを感じている。結構妥協したと思っている。一方アルゼンチンの学生は全くそう思っていない。彼らは心から日本の学生と共同したことを喜んでいる。言いたいこと言ってやりたいことやったと思っている。その上日本人の勤勉さと器用さを学べたことに感謝している。る。この感想の差がすでに日本文化を表しているのだという気もする。多勢に無勢という感もあるが、この差を無くすように努力しないと、それじゃあまるで日本の外交と同じである。一体どうしたらこれを解消できるのだろうか?いつか国外で、あるいは国外の人と仕事をすることが必ずやあるかもしれない君たちの課題である。

September 11, 2015

タイトスケジュール

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今回のアルゼンチンWSはスケジュールがタイト。というの今回は連日午前中に建築見学が挿入されていて午後はレクチャーしたり人に会う予定がはめ込まれるのでエスキスは毎日夜。というわけで夕食は連日10時頃となり寝るのが遅くでも朝は早いというわけである。体がもつかな。今日がファイナルプレゼン。

ベッカーの文化センターが驚きの空間

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午前中ロベルトの親友であるダニエル・ベッカーがコンペで勝ち7年の歳月をかけて完成し数ヶ月前にオープンしたクリシュナー文化センターを学生とともに視察に行く。昔の郵便局を改装してさらに新しい部分を加えた総面積15万平米でポンピドーセンターと同じ規模。とにかくでかい。周囲の古いファサードを残してこの規模をつくるので古いファサードの内側に重機をクレーンでつり込んで内側にRCのフレームを作りファサードを支えその内側に新しいシアターを置き、その上部に美術館がつり込まれるという前代未聞の構造である。
午後ビスマンと昼食をとり大学に行く。6時半からレクチャー。タイトルはコネクションズ。今日の通訳はプロの方。45分で終わらせるためにかなり駆け足。

September 10, 2015

アルゼンチンでesmaはマスト

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昨日の30度近い暑さから、今日は一転して一桁の寒さ。その上雨が強い。連日の寒暖差で皆参っている。僕はただ寒いのが辛い。その午前中にESMA 行く。ロベルトがコンペで勝ってやっと実現にこぎつけたプロジェクトである。軍事政権化にレジスタンスを拷問にかけて牢屋に閉じ込めていた建物をその姿で保存してその中に建物に触らず展示することを余儀なくされた建物である。ラテンアメリカの国々ではすべての場所で起こったアメリカが裏で工作した軍事政権のむごたらしさを展示している。
歴史に向き合う正しい姿勢が胸を打つ。コンペで勝ったロベルトに聞くとこれに関係する25の機関のうち、5つの機関はこの建物を作ることに反対したそうだ。軍と近い関係にある機関である。一緒に見ていたグアテマラのルイスはグアテマラにもこの施設が欲しいと言っていた。ラテンアメリカの国は例外なく対キューバ包囲網を形成するために軍事政権となり、国が荒れ果てたのである。だから彼らにとってアメリカは辛い存在である。
午後日本大使館にロベルト一緒に大使を訪ねる。アルゼンチンにとって日本の津波はスラムという説明に大使はとても感動していた。夜にエスキスチェックに大学に戻りつい興奮気味に話してしまった。明日が楽しみである。夕食はフェデリコとともにパレルモのステーキ屋に行く。3月にエクアドルでパビリオンを実際に作るワークショップをやろうということになる。できるかな?

September 9, 2015

ついにVILLA20に入った

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アルゼンチンのスラムはVILLAという名で呼ばれる。ブエノスアイレスには30近くのVILLAがあり、それぞれ数千人から数万人の人が住む。今日の朝われわれのワークショプの対象であるVILLA20に日本チーム12人、ある全チーム30人がバスをチャーターして向かった。市の中心から約30分で到着。市の職員の方の説明を聞き実際にこのVILLAの中を大体一周した。VILLAの中は想像以上に劣悪な生活環境だった。大体のことは東京でやったWSで知っていたが、排水が悪くて水たまりが多く不衛生。そこにでかい犬が山ほどいて糞があちらこちらにほっとかれている。糞を踏まずに歩くのは不可能なくらいである。もともと平屋だった建物が流入す人の増加で2階、3階、4階、5階と積み上がりさらに小さな路地にオーバーハングしてしまいには全く光の入らない路地ができたりする。建物はすべてセルフビルドでほぼ統一的なデザイン。コンクリートの柱梁にレンガのインフィルである。これが最も安い施工法ということで自然と統一感のあるものになっているのが不思議である。残念ながら撮影は危険なのでできなかったが、見ると聞くとでは大違いとはこのことだった。予想外といえば、住んでいる住人は実に人懐こく合う人合う人「オラ」と声をかかけてくるのには驚いた。一緒に行ったロベルトはこんなことは市内では起こらない。VILLAの人間は作法を知らず危険だという先入観は破られた。彼らはもはや普通の人より礼儀正しい。と言っていた。
このスラムのエッジを改良して、周辺の一般街区と接続してスラムを社会化するのがこのWSの課題。大学に戻り最初のコンセプト作りを7つのチームにごとに行う。議論は夜まで続く。

September 8, 2015

ラ・プラタ大学にて

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今日は例によってブエノスアイレス近郊のラ・プラタに学生と一緒に行きコルビュジエのクルチェット邸を見学。なんというかとんでもなく寒くなってびっくりだし凍えそう(昨日は暖かかったので油断した)。見学後昼食をとってからラ・プラタ大学に向かいレクチャーを行う。なんと、英語からスペイン語への通訳ついたし全体を40分で終わらして質問入れて1時間というのでこれは焦った。150枚くらいスライドを用意して1時間半話そうと思っていたので一気に話すことを縮めざるを得なくなった。オーディーは満員で230人入ったそうである。海外で講演会すると本当に大体の場合多くの方来てくれるのでよほどきちんと準備してくれているのだなあと感謝の気持ちでいっぱいである。
終わったとに一人の学生がやってきて僕の作品が篠原一男と同じクオリティを持っているというので驚いた。僕が篠原一男に習っていたと言ったら驚き感激していた。そういうところが感じられるのか?レクチャー後でかいスタジオで即席講評会を行い。3年生の作品を見せてもらった。若い教師陣と話記念撮影。
ちなみにラ・プラタ大学は建築学科としてはアルゼンチン1だそうで南米ランキングで7番目だそうだ。そんなレベル高いところにお呼びいただき身に余る光栄。ちなみに南米ランキング1位はサンパウロ大学だそうだ。

September 7, 2015

さあスペイン語しか通用しないよ

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ジョギングして部屋に戻り、学生たちが集まってきた。地球の裏側のワークショップに10人来たのは嬉しいことである。英語もままならぬ学生に混じって一週間のワークショップをやろうと思う精神に拍手を送りたい。どうなるかわからないなんていう話をここですることも無意味だろう。どんなに優秀な大学でもそれは無理な話。とにかくほとんどスペイン語しか通用しないのだから。

街の触感

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2年ぶりのブエノスアイレスに到着。ロベルトが空港に迎えに来てくれた。今回の宿は大学の近くに自分で予約したのだが着いてみたら、その昔大学が用意してくれて塚本・貝島夫妻と過ごしたアパートメントホテルの真ん前だった。なんとも土地勘が希薄である。すでに到着しいる学生、今日着いた学生たちとランチを食べる。チョリソーを食べようと思ったつもりが、スペイン語だけのメニューに翻弄されて、とんでもないステーキが現れた。午後はホテルで一休みして、昔懐かしいこの辺りをジョギングしていたら迷子になった。いや焦る。それでも少しは勉強しているスペイン語が役に立ってなんとか帰れた。それにしても道が悪いのは相変わらず。走ってわかる街の触感。

September 6, 2015

ヒューストンダウンタウンに行ってみる

150905houston.jpg東海大で学会の司会を終えて成田へ。ヒューストンにたどり着く。いつかもヒューストン経由でブエノスアイレスに飛んだが、今回はトランジットの時間が少し長いので市内までバスで行ってみた。市営のバスは1.5ドルと格安。ヒューストンダウンタウンは実に殺風景で学生の頃に写真だけで知っていたポストモダンのスカイスクレーパーが数本建っていて懐かしい気分である。こうして写真だけで知っている建築の本物に偶然遭遇するということが最近よくある。実に僕らの建築の知識は場所と接続していない。
バスの終点は綺麗なボールト屋根。土日ということもあって人がまるでいないゴーストタウン状態。アメリカのダウンタウンはスカイスクレーパーが林立するだけでまったくもって人間の町ではない。

September 4, 2015

新自由主義を否定したい

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新自由主義を否定的に見る本は巷にあふれているが、もちろん肯定する人もいる。そういう人を鼻から受け付けないつもりはないしそういう人がいてもいいではないかと思っていたが、ことこの問題について、現段階においてはそういう人の立場を容認する気がなくなってきた。そういう人の立場とは自らの努力と競争力で経済力もつけて地位も得ているという人であろうと思う。そういう人の立場を20年前なら認めていたと思うが、今認めると、現状の社会がかなりの程度で崩壊すると思うのである。
そもそも国家がこの政策を遂行している理由のおそらく半分以上はアメリカの強引な世界戦略に巻き込まれているからだと思う。アメリカのヘゲモニーをそう簡単に崩せない現在、アホの安部と言っているだけでは済まないわけだが、それにしてもホイホイ言いなりになっていると完全に我々の社会は崩れていくだろう。それは教育や倫理や規律で改善されることではないのである。

September 3, 2015

査読量が半端じゃない

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連日の曇天にうんざり。先日軽井沢の現場所長が雨の現場でもう秋梅雨が来たというようなことを言っていたが、本当に何時夏が終わって梅雨になったんだと空を見ながら恨めしい気持ちになる。学会で著作賞の選考委員会の初日。去年より応募が多くてほっとした。しかし多ければ多いで査読する本の量が半端じゃない。5日で1冊ペースだが、そのうち15日は出張で使えないので(出張先で読む気にはなれないので)3日で1冊読まねばならない。これは時間に換算したら結構なことである。まあ仕方ないけれど。

September 2, 2015

澄明な文章

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私の学兄である日建設計の中分氏から一読を強く勧められた本である。中分氏は元いた会社の先輩であるから学兄というのも変だが、私にとってはどうもそういう風に感じられる。つまり会社特有の風土や気配をまるで感じさせず、酒を飲んでも、いや飲めば飲むほど哲学を語りだすようなひとなのである。その彼が読めという本は大体はずれないので今回も素直に読んでみてとても感銘を受けた。何にかというと、ここに書かれている廣松渉についてではなく、著者小林敏明の筆力にである。小林氏はドイツて哲学を学びドイツで大学教授をされていた人だが、日本語の文章をここまで明快にかけるのはドイツ語の論理性が身に染みついているからと思わざるを得ない。実に澄明な文章である。柄谷行人論を最近上梓しているので是非読んでみたい。

September 1, 2015

どこの国だろうか

このサイトどこの国なんだろうか?もはやウェッブサイトに国籍などないのだろうか?これはちょっと大きなデザイン。http://divisare.com/projects/297083-hiroshi-ueda-taku-sakaushi-pine-gallery