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院生やレネを我が家に招待した頃から体調が悪いが、さっぱりよくならない。今日の予定をまとめてキャンセルしようかと思ったが、まだ少し元気が残っているのでやっぱり頑張る。2時に青山の表参道テラスの地下で北村明子さんのソロパフォーマンス。北村さんが一人で踊るのを信大時代には見たことがあるけれど、オフィシャルな場で見るのは恐らく初めてでは??表参道テラスの地下にそんな場所があるのだろうかと疑心暗鬼だったがバーの横にドアがあってそこに小さなホールがあった。
入るときに単語が書かれたカードが配られ、それを壁に貼り付けろと言われ指示通り壁に貼る。パフォーマンスが始まると例によって北村さんの語りが始まる。貼り付けられたカードを1枚1枚取りながらそれにまつわる話をしているのだが、基本は昨年旅行したアジアの記憶である。語り、踊り、語り、踊る。ラスト10分くらいの低音ビートの中でのスローダンスは痺れる。
その後青山ブックセンターで欲しい本をまとめ買いしようと思ったが、まだ3月なので一冊で我慢して八潮へ向かう。今日はほぼ完成した八潮駅前公園を、小川、曽我部、寺内先生たちと見学。
リレーショナルアートという言葉のリレーションの元になったのはニコラス・ブリアードの書いた『Relational Aesthetics』1998 ,2002による。と飯尾さんが教えてくれたので読んでみると以外な事実にぶつかる。それは90年代アートの「関係性」を哲学的に裏打ちしていた思想はアルチュセール後期「偶然の唯物論」であるということである。そのあたりを抜粋して訳してみよう。
関係性の美学を裏打ちする哲学的伝統はルイ・アルチュセールによって注目に値する方法で規定された。それは彼の最新の論文である「偶然の唯物論」においてである。この唯物論はそのスタート地点において世界を偶有的で、既存の起源や感覚を持たない、まして理性も持たないものにしてしまった。・・・よって人間の本質は純粋に個体間にあり、個体を常に歴史の産物である社会体に関連付ける紐帯によって形作られるのである。(Bourriaud1998 p18)
なるほど世界が偶有的になればなるほど、どこかに確かなるものがあるというのは妄想のようなものでしかなく、よってすべてが関係性に還元され始めたということか。となればこのアルチュセールの言説は罪なものである。世界がすべて関係性に還元されるなんてそんなことはありえない。あって半分である。
朝から家に缶詰で原稿を一気に8000字書いた。先日編集のIさんと話をして1章書き足すことにした。それは1月のセルバンテス文化センターでのシンポジウムのテーマであったソーシャル・アーキテクチャーについてである。すでにこのシンポジウムのためにかなり資料は読み込んでいたので、書きたいことは山のようにある。
ソーシャルデザインといえば一昨日香川の親戚のところに行っていた配偶者からお土産で紙でできたお財布をもらった。これは「香川県内で拾い集められたダンボールで作られている」。
ソーシャルデザインについてMITのエイミー・スミスはこう言う。
①適正な技術をつかうこと、仕事につながる技術であること、地元の原料を使う技術であること。地元の人が使いこなせる技術であること。
② デザインのプロセスに住民が参加すること。地域の課題を特定する際に住民が議論に参加すること。資源を探す際にも住民が参加すべき。そうすれば技術が地元に根付くことになる。
③ 解決策を住民とともに実行すること。単に専門家が答えを持ち込むのではなく、一緒に解決策に取り組むこと。解決策を提供するのではなく、解決策を生み出すのに必要なスキルを教えるべき。
なるほどこれに当てはめれば、この財布は地元の原料を使い地元の人が手で折って簡単に作れる技術に立脚している。そして恐らく地元住人たちの参加によって可能になった製品なのであろう。
昨年秋にデンマークのウッツォン・センターで行ったレクチャーはウッツォンレクチャーシリーズの一つでした。それがネット上ですべて閲覧可能になっていると知りました。興味のある方はご覧下さい。
https://vimeo.com/118112417
このレクチャーシリーズ1回目が2014年の8月、5回目が今年の2月この調子だと1年間に10回くらい行うのでしょうか?世界の大学は日常的にこういう知的交流をしています。見習わないと僕らはアジアの辺境に置いてきぼりになりますね。
#1 プリンストン大学 Sigrid Adriaesnessens 「形態発見への対話」
#2 東京理科大学 Taku Sakaushi 「フレームとしての建築」
#3 ロイアルアカデミー Thomas Be Jensen 「レンガの言語」
#4 ETH Tobias Bonwetsch 「ロボットによるレンガ施工」
#5 ETH Matthias Rippman 「形の発見」
1998年にフランス出身の理論家・キュレーターであるニコラ・ブリオー(1965-)によって書かれた『関係性の美学』によればリクリット・ティラヴァーニャ、リアム・ギリック、フィリップ・パレーノ、ヴァネッサ・ビークロフトなどの作品を「関係」を創出する作品として評価している。その関係性をウォーカーアートセンターのキュレーターであるAndrew Blauveltが時代の推移として表化している。この表はおそらくモダニズムを第一段階として、ポストモダニズムあたりを第二段階に置き現在を位置づけている。
それによれば、時代は左から右に次のように変化している。
統語論⇒意味論⇒語用論
形⇒内容⇒文脈
役割
デザイナー⇒作家⇒編集者
制作者⇒消費者⇒自給自活者
哲学
構造主義⇒脱構造主義者⇒プラグマティスト
文化
誰でも知っている⇒地方の⇒つまらない
図像的⇒語法的⇒散文的
論理
美学的⇒文化的⇒社会的
正式の⇒象徴主義の⇒プログラムの
過程
線状の⇒人工頭脳の⇒網状組織
反復の⇒可変の⇒生成的な
無限の形態⇒可変の解釈⇒偶然の解決
現在を語用論の時代とするのは分かりやすい言い方だろう。つまり同じデザインでも文脈が違えば意味も見え方も違うという認識である。しかしそれはそういうこともあろうが、建築は今でも形だったり、美学だったり、そんなこともなくなるわけではない。
昼から学会で建築論・建築意匠小委員会 西垣先生、岡河先生、小林克弘先生、奥山先生、市原先生、入江先生、岸田先生、白井先生、富永先生と集まられ、少し熱の入った議論を行った。話が少し展開しそうな気配である。それにしても、建築論と、意匠論とはどう異なるのか、その差とそれぞれの定義付けにはどんな歴史があるのだろうか??
卒業式謝恩会。毎年ちょっと寂しい時期である。学位授与式では君たちは眩しいほどの可能性があると言ったのだが謝恩会では、とはいえどもその可能性を開花させるのはそんな簡単ではないと言った。
・よくこれからは君たちが主役だというけれどそんなわけがない。まだ60代の人が首相をやって50代の教授がいて40代のボスのしたで働くそんな社会が明日からなくなるわけではないのである。そして社会は新しく社会の構成員になる君たちにレッテルを貼りたがる。これは人間の分類本能に近い。たくさんあるものは使いやすいもの、自分の得になるもの、不要なものなどに分類したくなるのである。このレッテルは1年以内に貼られそして一回貼ったレッテルはなかなかはがせない。つまりこの時不用品のレッテルを貼られた人はほとんど一生不用品になってしまう。それを剥がして新しいレッテルを貼るためには最初の努力の数倍の努力が必要になるだろう。だから最初に努力しないといけない。毎日少しでもいいけれどとにかくスケッチを書いて本を読む。建築家になるにはこの二つしかない。とても単純なことだけれどそれを続けるのは簡単なことではない。
さてスランプに陥ったらどうするか?旅に出るといい。自分を刺激する何かに触れるために日常を離れるしかない。そうであるこれまた単純な行動である。しかし非日常の遠くに長く社会を離れるのは簡単なことではない。皆が社会の主役になるための準備はすべて単純な3つくらいのことをするだけである。しかしどれもがそう簡単なことではない。そしてそれをやった人がこれからの社会の主役になるのだと思う。
ってな話を4時まで寝ずにやっていた珍しい。久しぶりの朝帰り。
菊池成孔『服は何故音楽を必要とするのか―「ウォーキングミュージック」という存在しないジャンルに召喚された音楽たちについての考察』河出文庫2012のこの長い副題に惹かれて読んでみた。菊地成孔同様僕もファッションショーの大ファンである。と言ってもそんなにたくさん見たことはないし、TGCに行ったこともなければパリコレも見たことはない。何度かトライしたけれど、そんな都合よくパリに行ける訳もなく、、、
ファッションショーはモデルとウォーキングと音楽とライトの総合芸術だと思っている。さらに言えば年に何回か勝負をかけたデザイナーのエキスが発露する一発勝負の瞬間芸でもあるから興奮するのだと思う。
ところでここで菊地が書こうとしていることはそういうようなこととはあまり関係なく、ファッションショーではモデルが音楽のリズムを無視して歩くそのズレの構造を問題視しているのである。実は僕にとってはこのズレもまさにこのファッションショーが芸術であることの証であるように思える。そもそも芸術における美とは古来完全性に宿っていたのだろうが、ある時からそこにズレを内包した不完全性にこそ宿るという感性が受け取る側に生まれてきたと言える。そのズレを美的なるものとして感じられる閾値は時代によって異なるのだが、ある時代からそれは確実に生まれてきた。
菊地が言うにはパリやミラノはずれているのだが東京(TGC)ではモデルは音に合わせて踊りだしているという。つまりズレがない。それはエレガンスのないゴージャスであり、シックのないセレブだと菊地は言う。今の感覚で言えばズレのないストレート表現は浅はかということなのである(菊地の観察を聞いてTGCは行く必要がないという結論に至る)。
午前中に市場に行ってつまみ食いをしようとタクシーにのったら運転手さんが近江市場は昔はよかったけれど新築したから家賃が上がり、高くなって地元の人は誰も行かなくなったという。単なる観光スポットだよと言われて行き先を一路港に変えて港の食堂に行くことにした。どうせ港の方へいくのだからシーラカンスの港未来図書館に行ってみる。水玉状に窓がついた外壁がカーテンのようである。中は均質な光が心地よい。その後港の厚生食堂に行く。ここは港で働く人のための食堂なので海鮮丼が1000円で近江市場の2.5分のⅠである。しかし味はまあまあ。午後は県立美術館で九谷焼きをじっくり見る。九谷をこれほどきちんと見たのは初めて。こういうものは東京ではなかなか見られない。古九谷もいいし現代作家の腕も素晴らしい。久しぶりに陶芸に感動。
今日は新竪町商店街の古本屋に入ったらミサワホームの大島さんに会い、大島さん曰く21世紀美術館に若松均他数名の建築家がいると言う。その後、21世紀の手前にあるくずきりのお店にいたら、4月から理科大の助教になるKOUさんが入ってきた。構造の小西さんが来られているようですよと言う。21世紀に行ったらその言葉通り小西さんに会う。小西さんは金沢出身なのだそうだ。その後館内で栢木、濱夫婦に会う。美術館を出ようとしたら金沢工大の先生になっている戸田 穣君から電話。今晩飲みますかという。このところ3連ちゃんで飲んでいるので明日にする。夫婦で主計町を歩いて長屋でコーヒーを飲む。それにしても今日はいろんな人に会う日でした。
彰国社から本が届いた。昨年頼まれて部分執筆した本。その名も『14歳からのケンチク学』ついに建築関係者は誰も買わなくなった建築書を中高生に売ろうという試みである。帯にはこう書いてある。中学・高校の18科目から、建築の面白さを体験してみよう。というわけで教科ごとにいろいろなケンチク関係者が執筆している。数学:藤本壮介、政治経済: 山形浩生、生物:平田晃久、課外授業:永山祐子、国語:私、英語:木下庸子、体育:石田 壽一、化学:今井公太郎、歴史:後藤治、算数音楽:菅野裕子、地理:中川理、倫理:南泰裕、美術:武藤隆、情報:本江正成、修学旅行:五十嵐太郎。皆さん1万字くらい書いていると思う。さて売れるかな?
9時半の中央線かいじに乗って今日は大月経由で富士急の下吉田へ向かう。製氷工場リニューアル計画の現地に金箱さんと学生チームと向かい構造的現地調査。僕も初めて現物を拝む。建物の朽ち方は想定内だったのだが、コンペの対象建物の後ろにつかず離れず(見た目はくっついているのだが)建っているRCの氷室だった建屋とその上に乗っかっている増築部分とがまるで北アフリカのメディナの増殖建築のようにアンコントローラブルに繋がっている姿は想定外。これはエキサイティング。今回手を付ける部分はコンペ要項上は道路に面した鉄骨部分だけなのだがこの全体系が魅力である。このアメーバーを全体として考えていくべきなのは見た瞬間思った。それは外観上もそうだし、内部空間的にもそうだと思う。久しぶりにワクワクする。NHKの取材もべったり朝から夕方まで張り付いていた。彼らも何か興味深いものがあるのだろう。この場所にどういうパブリックネスを埋め込めるのか?これは富士吉田のファーストステップである。
受賞のシーズンなので研究室で何か頂いた人は平等を期してブログ上でお祝いである。一部四年生の根本君は先輩たちからの賞はもらえなかったようだけれど、卒展で最優秀賞をいただいたそうである。デザインの審査はあるところから上は審査員の好み以上でも以下でもない。これは致し方ない。だから正直言えば審査員を選ぶ権利が学生にはあってしかるべきだけれどまあそうもいかない(審査員を選ぶというよりかは大学選ぶんだろうけれど)。ファッションの世界じゃあ先生の言うことなんか聞いていたらとてもじゃないけれどダメだと思う人はもうしっかり無視しているそうで、それを耐え抜いて(という言い方もなんだか変だけれど)卒業して一流になる人も結構いるとか、、、、
夕方第二部工学部長賞の表彰式があり、自分の研究室の4年生が二人受賞するということで出席した。大島駿は卒業設計一番、神藤のぞみは成績一番というのが受賞理由である。こう言ってはなんだが毎年工学部長賞、学科賞、学長賞、などなど誰かが何かを貰っているので指導教員は感覚が麻痺しているのだが、受賞者にしてみれば一生に一度のことであり賞罰にも書こうと思えば書けることでもある。自分も卒業設計賞という名前がついていたかどうか定かではないが、レモンに展示してもらった。まあ大学の先生の合計点で選んでもらってもさほど価値はないが、篠原先生一人に選んでもらえたことを今でも心から嬉しく思っている。何はともあれ建築学科で3人工学部長賞をいただきそのうち二人が私の研究室の学生で会ったことは喜ばしいし、受賞したふたりにはここらから拍手を送りたい。
岡嶋裕史『ビッグデータの罠』新潮選書2014を読んで、巷によく聞くこの言葉の定義を知った。①大量のデーターを②瞬時に③非構造的に整理する事象なのだそうだ。本の趣旨はそういうGoogleやAmazonやその他もろもろのビッグデーターに気をつけろというものなのだが、それより、興味深いのは人間にもビッグデーター型そしてその逆がいそうだという点である。ビッグデーターの逆をを仮にスモールデーターと呼ぶなら、それは①厳選されたデーターを②時間をかけて③構造的に整理する事象ということになる。それぞれの①②③以外の特徴はビッグは大量データーを瞬時に処理してシステムをダウンさせないために厳密さを問わず矛盾しそうなことは無視していい加減に処理する。一方スモールは正確で厳格だが、時間がかかりシステムがダウンしやすいのである。
さて大学のコリーグを思い浮かべるなら、主任のIさんはビッグの典型、そして学科長老のTさんは年寄りなのにビッグである。一方一部の先生にはスモールの人が多い。どっちがいいとか悪いとかじゃないんだけれど、僕はビッグの方がなじみがいい。ちなみにADHLがビッグでアスペルガーがスモールということではない。ビッグは瞬時に大量データーを処理できないといけないのである。逆にスモールは厳格に正確でなければいけないのである。
翻訳読み合わせ会。最後の追い込み。日本語がこなれているかを読んでいるのだが、やはり読んでいるとこれはどういう意味なのだろうかと思うところが現れる。翻訳って終わらない。ところで今日は「政治」という章の読み直しをしていたのだが、前も読んでいるのに内容を忘れているせいか、今日初めて読むような楽しさと驚きがある。コンクリートは左翼的なイメージがこびりついているという話である。材料の先生に教えてあげたい。知っているかなあ?旧ソ連で大量に消費された理由。大量のセメント粒子も骨材も一つに結合されるというのが社会主義の目指すところに合致するのだそうだ。さらに言うと、スターリン時代の社会主義リアリズムは新古典主義的装飾に傾いておりそれはコンクリート生産に向いておらず、フルシチョフが後を継いでからは、新古典主義を排除し、経済効率を追求し、無装飾(というよりは無デザイン)のプレファブを追求し大量の集合住宅を作り、現在それが廃墟と化しているようである。スターリン以降の社会主義リアリズムのゴミの山を一度ぜひ見たいものである。
僕が岡崎京子を読んでいたのはいつだったのか?何がきっかけだったのかよく覚えていない。最初に読んだのはリバースエッジ、次はジオラマボーイパノラマガール、くちびるから散弾銃、そしてPink だいぶたってから椹木野衣の岡崎京子論も読んだ。一時期だいぶかぶれていた様に思う。何が好きだったのかは他の人とあまり変わらない。80年代後半から90年代のバブルとその崩壊の感覚の現れに共感したのだと思う。あれから20年くらいたったが、この崩壊感は未だに世界を覆っている。岡崎は交通事故によって今では絵を描いていないのだが、展覧会場は大入りである。一昨年の沢尻えりか主演、蜷川実花監督の映画ヘルタースケルターの余韻残っているのだろうか?
先週京都精華大学でファションを教えていらっしゃる西谷真理子さんからメールをいただいた。僕の教え子でファッションに興味がある学生がいると聞いていたのでお会いしたいとのことだった。西谷さんは『相対性コムデギャルソン論』フィルムアート社2012の編者であり、そこで私を呼んでアンリアレイジの森永さんとの鼎談を企画してくれた日本を代表するファッションジャーナリストの一人である。その鼎談の中で僕が信大のゼミでファション本を読ませていたら、装苑賞に出して最終まで残った学生がいると述べていたのである。それを覚えていてメールをくれた。というのも彼女は精華大学で建築家と組んで授業をしており、ファッションと建築の関連性にとても興味があり、私の興味と共通するのである。今日の話は面白かった。3時間半くらい教え子たちを交え話続けた。ファッション界にも建築界同様、上手いのと下手なのがいて、頭で考える奴と、手が動く奴がいるということが分かった。ファッション界は下手なのとか、頭で考える奴はいないものと昔は思っていたが、川久保玲はやはり頭で考える走りであり、森永さんもそうなのである。
大学で就職幹事をしているからではなく、単に著者が好きなので難波巧士『「就活」の社会史』祥伝社2014を読んでみた。一番の驚きは、就職難なんてこの100年間しょっちゅう有り、高学歴の方が職がないなんていうこともよくあり、バブルの頃くらいではないか売り手市場なんていうことが分かった。そんな時に就職した私は歴史的に幸運な人間だったということだ。驚きその2戦前の給与は学歴で分類されていたこと。例えば三菱ならば、①帝大40円 ②一橋、神戸38円 ③地方高商、早稲田政経科32円 ④慶応28円 ⑤早稲田政経専門科25円 である。帝大と慶応で3割違ったなんて今じゃ信じられない話であるがこれが事実だったそうだ。旧制高校をでればほとんど帝大に行ったのだろうから、この給料分くらいの学力差はあったのかもしれないが、、、
ファッションジャーナリストの西谷真理子さんから深夜のメール。アンリアレイジのパリコレがライブでネット配信されますよというお知らせ。しかしそのメールを開いた時にはとき既に遅し。その後style.comにレビューつきでアップされた。40枚のスライドショーを見て途中で気がついた。この服の真ん中の白はスポットライトではないということに。
森永さんの去年のコレクションは影でその時も妙にコンセプチャルでまるで建築の発想だとおもっていたのだが、今回もかなりそうだし、ある意味トリッキーでもある。と感じていたらレビューにもそんなコメントがあった。Fabric research, however, was absolutely outstanding: This was the kind of stuff that can really push fashion forward. Yet, the conceptualism seemed to dilute the innovation in a sea of black and heavy shapes.
3月末で東工大を退職される篠野志郎教授からアルメニア研究の総集編の如き本を頂いた。タイトルはHistoric Christian and Related Islamic Monuments in Eastern Anatolia and Syria from the Fifth to Fifteenth Centuries A.D.(彩流社)と長い。日本語タイトルは東アナトリア・シリアの歴史建築となっている。しかし中を見るとアルメニアもグルジアも含んでいる。1998年から17年に渡り、この地域の建物を見て回り、単に実測を重ね歴史的検討を行うのみならず、崩壊の危機にある建物については構造検討まで行った。そうした功績を讃えられて彼の地の勲章を授与されたと聞く。
この書に示される調査は結果的に氏のライフワークとなり、ライフワークは様々な可能性をあきらめる中で成立していると氏は語る。まったくそうだと思う一方で、さまざまあきらめたモノの中にこれだけ素晴らしい光景や建築に出会えること以上の可能性があったのだろうかと問うてみたくなる。私だったら諦めに諦めがつく。
さてしかし、氏はまだ65であり80まで生きるとしてもこの調査を行った年月くらいは残っているのである。先日見た氏の肉体(裸を見たわけではないが)からすれば同程度の調査を行う余力が残されていそうである。しかし私としてはもう研究には終止符を打って、実は氏が諦めていた小説業に専念して欲しいと思っている。群像新人賞を受賞した30年前に戻り今はもはや行けぬ地となったシリアを舞台にラブロマンスを描き、爺芥川賞作家になってあとに続く凡人たちの目標となって欲しいと願う次第である。
夕刻一つ残った入研者枠の面接をした。つまり第一次希望者が定員に満たなかったということである。信大時代から含めて第一次入研希望者が定員より少なかったのは今回が最初。これは設計の人気が落ちたのか、坂牛の教育的態度が悪くて評判を落としているのか、新しく来た栢木先生の人気が絶大なのか、そのどれかだが、一部の学生の倍率が高いところを見ると設計人気が落ちているわけでもなさそうである。ということは坂牛の態度が悪いのと、それに反し栢木先生の教育が素晴らしいというこの二つの要因によるものと思われる。ここであまり態度をよくするとまた定員を大幅に超えて選択に四苦八苦するので少々態度を改善することに決めた。
というわけで面接を終えて空腹を抱えて帰宅。四谷三丁目から新宿通りを歩くと新宿通りの逆側に荒木町の入口から紅灯の巷がちらつく。おっと態度を改善すると決めたばかりなのでこの誘惑に負けず家路を急ごう。
三浦展『新東京風景論』NHK出版2014ではザハから、ゼネコンから、不動産屋から、十把一絡げにというか一網打尽にというかとにかく建築作る奴らはほとんど悪者になっている。建築ごときで国民が元気になるなんて言ってザハ案を密室で一等にするなんて国民を愚弄しているという調子である。最近こういう話はスペイン人建築家からも耳が痛くなるほど聞いてもう慣れっこになってしまった。
しかし読み進むと次に数少ない東京の素晴らしい町である神楽坂に新しくできたビル(おそらくポルタ)を六本木のディスコでしかもそれが理科大だと知って唖然としたそうだ。曰く「理科大には建築学科もあり、古い街並みを愛する研究者も学生もたくさんいるはずなのに、まったく残念、、、」と言いながら沖塩先生のことも挙げてこの人はペンシルビルの良さを理解したとして評価していた。
オフクロが他界した時に実家の大掃除をして小学生の頃買って大事にしていたベートーベンの交響曲のスコアを発見した。理由は分からないが、5番と7番と9番があった。その頃はマジで将来は指揮者になろうなんて思っていたのである。それが長続きしなかったのは運動の方が好きだったからであり、自分が病弱な運動音痴だったら違う人生を歩んでいただろうなあと思う。自分にとってはもはや健康は価値だけれど、そういうわけで健康じゃない人は健康じゃないことで開ける人生もあるはずだなんて思ったりする。
4年前に発見したそのスコアは引き取って僕の本棚の上の方においていたのだが、最近建築グラフィックの図と地とかゲシュタルトかそのゲシュタルト間の論理性なんていうことを文章化していたら音のゲシュタルト(なんていう言葉遣いは僕が勝手にしているだけだが)があるだろうと思い運命を聞きながらスコアを開いて気がついた。なぜ運命は誰でも知っているのか日本人にとって最もポピュラーなクラシックのワンフレーズと言ったら運命ではなかろうか?その理由は何だ?もちろんあのたった4つの音の構成の迫力にあるといえばそうなのだが、これはそうたった4つの音。たった2小節なのである。交響曲はソナタ形式なので提示部、展開部、再現部という3つの部分があり最初に提示されるテーマはしつこく繰り返される。よって当たり前だがこのテーマは曲の背骨、心臓、脳みそなのである。それがたった2小節である。そんなソナタあるのだろうか?知っている人がいたら教えて欲しい。そしてこの強烈ながなり立てるような音量で演奏されるたった2小節は仮に絵画でいったら日の丸である。いやもっと小さな円でしかももっと輝度の高い色で塗られた絵画である。絵画で言えば強いゲシュタルトを形成するであろう。それは音楽でも同じで強い印象を耳に植え付けるわけである。
視覚にあり聴覚にあることは触覚や嗅覚にあるのであり、さて原稿を書かねば。
『AV女優の社会学』という本が青土社から去年出てちょっと売れたらしい。その著者が『身体を売ったらさようなら-夜のオネエサンの愛と幸福論』幻冬舎2014という本を出していた。さすが幻冬舎売れ筋に飛びつく能力は半端ない読んでみるとなかなか痛快であるし、ホントかウソかわからない児童文学者の母親灰島かりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0%E5%B3%B6%E3%81%8B%E3%82%8Aとの会話が母娘の会話としては普通じゃなくて笑える。母親はICUを出て資生堂でコピライターやって渡英。帰国後児童文学者となり法政大学教授の鈴木晶と結婚して産んだ子供が、上記著者の鈴木涼美である。そして鈴木は明治学院高校から慶応に行き大学院は東大にいき、学びながら夜はキャバクラで働きついでにAVにも出演していたという文武両道派(?)である。一応今の肩書きは社会学者。
こういう本を読むと(いつでもではないが)もしこの著者が自分の娘だったらどうするだろうかと想像したい欲求にかられる。あるいは娘ではなくても自分の研究室の学生でもいいのだが、、、つまりは私よりは7つも年上の父親鈴木晶あるいは9つ年上の母親灰島かりの立場にいたらどういう行動に出るだろうか?と。灰島さんほどざっくばらんに「今誰と付き合っているの?あんたの生き方はしょぼい」なんて全てを知って割と建設的な提言をできるほど大人じゃないだろうなあと思い、かと言って少々怒ってその一部退廃的生き方を否定する確信はどこにもなく、文武両道(笑)をどこまで続けられるものか(その意味じゃあスポーツ選手と同じなのだが)と真剣に考えた挙句結論が出ずに「まあ好きにしたら」というちゃちな発言をするのがオチなのかもしれない。いやそれ以上は理屈ではあるまい。状況のディテールから直感的に判断するしかないので今ここで思考実験することに意味がないということなのだろう。