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August 31, 2014

ウィーンの建築家Delugan-Meisslのフィルムミュージアム

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今日は土曜日。仕事はせず、一日美術館巡り。午前中はアムステルダムスクールと呼ばれるミケル・デ・クラークのヘットシップ(ソーシャルハウジング)を見に行く。ここは一応ミュージアムとなっており、入場料7.5ユーロで一部部屋を見せてくれる。午後は国立博物館でレンブラントを堪能。「夜警」がこんなに大きな作品とは知らなかった、英語名がNight Watchということも初めて知る。次に市立近代美術館に行く。世界中近代美術館においてあるものは大体同じである。まさにモダニズムは世界を平らにしたということか?夕方フェリーで北(Amsterdam Nord)にわたりフィルムミュージアムを覗く。Delugan-Meisslというオーストリアの建築家の作である。岩石を割ったようなカンチレバーの大きな形態。南から見た時の北の目印になっていいのだろうか?オランダの建築は南の建築に比べて歴史も浅いからかもしれないが、合理的にそして軽く、悪く言えばちゃちにできている。そこがいいと言えばいいし、つまらないと言えばつまらない。

August 30, 2014

パトリシア・コパンチンスカヤあっぱれ

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コンセルトヘボウで聞ければいいやくらいに思っていたけれど、いやなんと今日のヴァイオリニスト、パトリシア・コパンチンスカヤあっぱれの演奏だった。モーツァルトのヴァイオリンコンチェルトの5番はモーツァルトのヴァイオリン曲の中でも最も有名な曲。ヴァイオリンを弾いたことのある人なら知っていると思うがこれはヴァイオリンソロがややゆっくしとしたスピードで始まり、一区切りついてから一気に快活に主旋律が始まるのだが、その出足が嘘だろうと思うくらい、のったりと始まった。音程はぎりぎりまで落として、ヴィブラートをかけずに、そしてボーイングもわざと滑らしてかすれ気味の音にしている。一体なんだ?と思わせておいて、主旋律で一気に音程を合わせ、細かいヴィブラートをかけてきた。こういう表情のコントラストが随所に付けられ、ついでにアクションも楽しげだった。こんな演奏家が旧ソ連から登場しているというのには驚いた。最後はスタンディングオベーション。思わず口をつく「ブラボー」。

August 29, 2014

自転車レーンの整備

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今日は朝からレンタル自転車で走る。宿の主人には自転車に乗るときは気を付けろと言われた。何を?と聞くと皆飛ばすので急に止まると追突されるしいきなり方向を変えるのも事故のもとだという。ビビりながら走り始めたがバルセロナと異なり、アムステルダムは自転車レーンがかなりしっかり整備されており、ある程度コツをつかむとうまく流れに乗れる。ただ周囲をよく見ないとだめでこれはサッカーの練習によいと感じた。IPHONE片手に次から次とMIMOAに載っている建物を見て回った。このアプリはよくできていて、ある建物から近い順に建物がリストアップされそのうちのどれかを選んでrouteを押すと道順が出てくる。その道で自転車レーンの無い道は無かった。そのくらい整備されている。
数字で見ると、面積1平方キロ当たりの自転車レーンの長さは、東京、0.03㎞、ニューヨークはその20倍で0.61㎢、バルセロナは東京の50倍余りで1.6㎞、アムステルダムは東京の約120倍で3.6㎞である。

アムステルダムの自転車密度はかなり高い

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昼の飛行機でアムステルダムへ移動。ここに来るのは15年ぶりくらいである。スキポールから市内までは電車で15分。バルセロナ同様飛行場からの距離がとても近い。そのわりには飛行機の騒音が小さいのはルートのせいだろうか?
バルセロナも人が多いと持ったが、アムステルダムはそれよりはるかに人口密度が高い。さらに自転車密度も滅茶苦茶高い。今日早速自転車に乗ろうと思ったが、雨が降って来たので、トラムとバスに乗ってみる。これが結構高い。バスでもトラムでも一回乗ると2ユーロちょっと。300円以上する。これはなるべく自転車に乗れと言う行政の意識的な値段設定なのだろうか?町が小さいので端から端まで1時間である。新たにできた集合住宅を見て回る。よくできている。前に来た時も思ったが、彼らはリビングルームはパブリックスペースと思っているのかまる見えである。
夕食はホテル近くのイタリアンの惣菜やで買ってホテルで食べる。アムスのホテルはキッチン、ダイニング付きのプチホテル。食後に中庭で一服。至福の時間である。

August 28, 2014

エンリクと会う

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朝10時にエンリクの事務所に自転車で行く。かなり北の方なので途中から傾斜が厳しい。エンリク曰く、バルセロナは北に向かってダイアゴナルまでが2%勾配。そこから5%勾配、そして山が近くなるとどんどん勾配が大きくなる。だからレンタサイクルも北のステーションの自転車多くかりられて南のスポットに返され、慢性的に北のステーションには自転車が不足する。
エンリクと年末行うワークショップの打ち合わせをする。彼から思いがけない提案があり驚く。これはまだここにも書けないのでゆっくりお互い考えることにする。午後ストリートカフェでランチをとってから電車でサンクガットの彼の作品を見てから、自転車で海沿いの彼のハイライズを見に行く。これはコンペで勝った建物で素晴らしい。この建物が坪50万くらいでできているのには驚く。自転車に今日は何時間乗っただろうか。昨日と異なり、エンリクの後をついて走るとどうやって街中を走るのかがよくわかった。
夜は海沿いの古いバールで一緒に食事をし海岸を歩きながら砂浜でモヒートを飲む。彼のカタランの話には少々驚いた。彼らは本気でカタランの独立を望んでいる。彼らのカタランに対するアイデンティティ意識は強く、小学校では国語としてスペイン語ではなくカタランを教えているのだそうだ。町中の家にはためく国旗はスペイン国旗ではなく、カタランの国旗なのである。

August 27, 2014

バルセロナ自転車事情

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●bicingと呼ばれる地元の人だけ乗れるレンタルバイク
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●私はオランダ型自転車を借りて乗り回す。後ろに見えるはカサミラ。外装工事中。
今回の渡欧の目的の一つは自転車によるまちづくりを調べること。自転車先進国のオランダ、デンマークには明後日から行くが、それを比較する意味で、レンタルバイクの量が急激に増えた街バルセロナも見てみることにした。市内にはbicingと呼ばれるカタルーニャ在住の方が乗れる真っ赤なかわいい自転車がある。これの利用には事前の年間契約(要35€ )が必要で、最大2時間までの連続利用が可能。2時間を超えると一時間毎に3€の罰金が課され、複数回2時間以上の利用を重ねるとメンバーシップが剥奪されるらしい。この自転車はスポットが多数あり、乗っている人も多く見かけ便利そうである。とは言えそれとは別のレンタルバイク屋も多数あり、観光客が多く利用している。乗ってみるとバイクレーンがあったりなかったりしてここで乗っていて良いのか悪いのかそのルールが分からなくなる。そこで赤い自転車を探し彼らをお手本に乗っていた。何せバルセロナは日差しが強く脱水症状気味であはあるが、風が爽やかで地下鉄乗るよりはるかに安くて楽だった。駐輪スペースはコの字型の鉄パイプが随所にありそこにチェーンでロックするルールである。一日16€。地下鉄8回乗車ぶんだから高くは無い。これで今日はガウディを見て回った。

ウッツォン連続レクチャー第10回

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来週デンマークのオルボー大学で行うレクチャーのポスターが届いた。オルボーはウッツォンが育ったところでウッツォンセンターというウッツォン最後の建物がある。そこで行っている連続レクチャーの10回目に呼ばれて行うものである。う

August 26, 2014

ミースの壁

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●ミースの壁―無垢に見える
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●ミースの壁端部―厚みのある無垢
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●ミースの壁逆の端部―30ミリの貼物
無垢と見せて貼物というのは鈴木さんからお聞きしたことである。
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●ロジャースのハイテクは徹底している
朝九時にバルセロナの建築家で、理科大理工のOBであり、付属82回の先輩でもあるYuichi Suzukiさんの車でカイシャフォーラム、バルセロナパビリオン、ミロ美術館を回っていただき、闘牛場がコンバージョンされてできたショッピングモール(ロジャース)で昼をとる。イベリコ豚の本当に美味しい店で足と背中と両方味試し。美味しかった。午後は丘の上にあるフォスターのテレビ塔を見てバルセロナの街を見下ろす。バルセロナモデルとまで言われる街づくりの規範とすべき点はどこにあるのか教えていただいた。簡単に言えば、フェリペから受け継がれた伝統ではあるものの、セルダによるグリッドはスケールとその活用術が詳細に検討され、それが旧市街とマッチしていたこと。加えてボイガスの3つのプロジェクトが有効で、特に旧市街地の復活が大きかったようだ。これは今日一日でも実感することだが旧市街の観光客の量には圧倒される。そしていたるところで車が遮断され歩行%E

August 25, 2014

疲弊社会

年末に理科大でWSを行うエンリクが参考書としてあげている本の著者がハンビュンチョル(Byung-Chul Han)。ベルリン芸術大学の哲学の教授である。サウォル号が沈没した時に韓国大統領の言葉に反し、殺人者は船長ではなく新自由主義だと語り一躍世界に名を馳せた。彼の本は残念ながら英語も日本語もないのだが、ネットを渉猟すると彼の主著疲弊社会(Fatigue Society)のサマリーが転がっていたので読んでみることにした。

現代社会は病理学のアナロジーで語ることができる。病理学では細菌性の病、ウィルス性の病、そして神経性の病と病は進行し現代にいたる。細菌は抗生物質学が、ウィルスは免疫学が退治した。しかし精神性の病は特効薬がない。それは敵が見えないからである。社会も似ている。ここ100年、社会の敵は侵入者であった。侵入者は退治すれば社会の平穏は保てた、しかし現代は敵が見えない。退治する敵は実は社会に外在するのではなく、社会に内在するのである。ではその敵はどこにどのように内在するのか?
フーコーが言うようにこれまでの近代社会は規律社会であり、そこではしてはいけないことが決まっていた。一方で現代社会は達成社会(achievement society)であり肯定が前提にあり常に生産性を高め何かができることを重要視する社会である。そこでは肩書ではなく個人の人格と能力が重んじられ、それゆえに個の全人格的な熱情が解放される。そしてその解放が個々の精神を疲弊する。そして鬱病などの神経性の病理が蔓延する。

ハンはこう言う「「できることが何も無い」と鬱病患者の不満が生まれ得るのは「できないことは何も無い」肯定性を信じる社会においてのみである」

達成社会は個を孤立させて疲弊し、社会は疲弊する。そこから抜け出る可能性の一つは社会の無意識の中で駆動する生産性を克服し、何かをしない、見ない能力を向上することではないか?とハンは主張する。

このしない見ない能力の一つとして、例えばIPHONEに光る着信、着メールを無視する力などをハンは挙げていた。

疲弊社会というのは無意識に知らぬまに走り、止まるきっかけを感じさせないそういう社会のことであろう。話をWSショップに戻すと、つまり、僕らの周りは走る空間だけではないかという疑いの目を養うところから始まる。走らない、と公言して憚らない、走らないでも奇異の目で見られない。そんな空間はあるのだろうか?無ければ作ろうというのがこのWSの狙いになるということなのだろう。詳しくはエンリクに会って聞いてみよう。

August 24, 2014

何とかなる

いつも長めの海外出張の前はばたばたして本当に行けるのだろうかと焦る。去年の春は入試の書類を前に途方にくれた。しかし、まあ最後は学長会議を終わらした次の日に飛び立った。秋もコンペやなんだでまずいと思っていたが、まあ行けた。今回はコンペ、実施設計などの締め切りが4つあって本当にどうなっちゃうんだろうと気を揉んだが何とかなった。結局なんでもなんとかなるということだろうか?研究室の学生の卒業問題も、毎年今年は留年が出るだろうと思うのだが、いまだかつて途中でやめちゃった学生を除き、卒業、修了するつもりでそうできなかった学生はいない。事務所の図面作成も今回はやばいなと思っても現説に間に合わなかった試しはない。
まあなんでも何とかなると思えば世の中怖いことはだいぶ減る。後はその気を揉む試練の時を台風に耐えるかのごとく耐えればいいだけである。しかし耐えるのは耐えるだけのエネルギーと忍耐力がいるわけで可能なら避けて通りたいのだが、、、今年もまだ数回訪れそうである。

August 23, 2014

もうこうなるとほとんど詐欺

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ポケットWi-Fiが頻繁に速度制限に陥るので解約した。すると担当者はそもそもこれはパソコンに使うのは無理がありますからと言う。そう言うことは買うときに言うべきではないのか?売るときはPCとスマホ両方に便利ですと勧めていたのはなんだったのか?それじゃ詐欺でしょう。
同日新宿で薄いワイマックを手に入れた。これは新製品。曰く薄いものは厚いもに比べて待ち受け時間が短く500時間ですと言う。しかし今回の泊り出張で充電はあえなく切れた。
おそらく何かの条件下ではこうなるということなのだろうが、その条件は言っても分からないから言わないのか、知らないのか、言うように上司から言われていなのか知らないが、とにかく僕は知らない。

骨のある施主

一昨日の図面チェックで30項目ぐらいは未定のことがあると分かり、今日の打ち合わせはそれを1からつぶしていきたいのだが、クライアントのボスはそう簡単には決めてくれない。それぞれの思想的根拠にまで遡りそして判断を下す。さっさとその根拠にたどり着ければ問題ないが、それを探す作業から始まるので横道から横道へとそれていく。4つくらいきめるのにはや3時間。気が付いたら夜である。こういう彼の体質は別に今に始まったことではなく初めて会ったその日から彼の思想を滔々と聞かされた記憶がある。とは言え実施設計の詰めの詰めで9月頭に公告という状況を鑑み、こちらに協力的にものを決めてくれるのではという淡い期待もあった。でもそれは見事に打ち砕かれ、「今日決まらなかったことは現場でね」という軽いノリでとりあえず終わる。
焦りとちょっとした憤りもあるものの、何かをなす人ってこういうことだよなと思い、改めてこの施主を尊敬した次第である。

August 22, 2014

やっぱり泊まり

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1時のかいじで甲府。実施設計最後の打ち合わせ。今日は決めなければいけないことが山のようにあり、もしかしたら終電では帰れないと思っていたら案の定終わらなかった。施主ももう終わりにしたいという様子だったが今日決めないと公告には間に合わないのでお付き合願った。やっとのことで今日決めねばならないことはなんとか方がついた。予期してはいたが結局泊まり。トホホ、、、

荒木町―人間の街


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昨年のレネワークショップの教科書。ヤンゲール『人間の街―公共空間のデザイン』鹿島出版会2013。今年翻訳が出て再度読んでみました。改めていい本だと思います。大きすぎてはいけない。街路のアクティビティは人の数と滞在時間の積である。など本質をついていると感じます。そんな目で荒木町を見るとやはりここはいい街です。

August 21, 2014

図面作成スケジュール表と睨めっこ

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午後から山梨の児童養護施設の査図(図面チェック)。突如補助金の関係で1か月余り締め切りが早まり、T君の夏休みは消え去り加えてOBのN君に助っ人を頼み何とかオンスケジュールでここまで来た。とは言え詳細図は十分に描けないので言葉で書き込み見積もり期間中に書き足していくしかない。400平米程度の施設だけれど二棟なので仕事量はしっかり住宅二件分である。図面枚数は結構ある。出張を前にして、出張期間中が締め切りというプロジェクトが3つあるというのは胃が痛い。ところで今日締め切りだったアートイベントの作品は無事搬入できたのだろうか?

August 20, 2014

さてこれが何になるのか?

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午前中神田のクライアントのところへ。今日も朝からとても暑い。昼を食べながらランドスケープデザイナーの西田さんとコンペの打ち合わせ。その足で大学に行きコンペの追い込み。A1サイズ4枚の提出物に悪戦苦闘。まだボードがスカスカの感じである。どこまで密度が上がるか?隣の模型部屋ではアートイベントへの出品作制作中。なんと聞いたら明日搬入とのこと?いろんな締め切りが大学も事務所も迫りくる。ああ恐ろしい胃が痛い。一体このアートは何にどうなるのかよくわからないが健闘を祈る。頑張って!!さてこれから事務所に戻り今月で事務所をやめるK君と結婚したMさんのお祝いパーティー大幅遅刻!!

August 19, 2014

オランダ自転車文化

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少しずつ読んでいたけれどやはり5冊くらい残っている自転車まちづくりの本を端から斜め読み。この手の本は日本語のものは大体読み物かローカルな話題が多い。そもそも日本は自転車後進国だからそんな世界のデーターが蓄積していない。海外のものは、徹底したデーター集積した論文のようなもの。自転車レーンのタイポロジーと技術的アドバイス。そして建築家書いただろうまちづくりもの。そして今読んでいるのはなかなか面白くて社会学的枠組みで自転車文化を語るもの。Steven Fleming Cycle Space-Architecture and Urban Design in the Age of the Bicycle nai010publishers2013 著者はタスマニア大学の建築史の先生。世界諸都市の自転車文化を様々な視点から語る。たとえばオランダに自転車文化根付いたのは町が平らだからとか町がコンパクトだからとか埋め立て地で駐車場を地下に作れないからだというような理由ではないという。それはオランダ改革派の改革精神が根付いているからだと分析する。それは自転車施設の設計にも現れていて、かたやアメリカではかっこいいステーションを作って車利用者を自転車に惹きつけようとするが、オランダではたとえ中央駅の駐輪場でさえこれほど質素なのだと写真を示す。アメリカではリンカーンに乗れれば貴族だけれど、オランダでは自転車で雨の日も移動することがエリートの条件なのだとか、、、、面白いね国民性。

August 18, 2014

風景の見方

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ピクチャレスク研究している学生がいるのでこんな本をチェックしてみた。ラファエル・ミラーニ深田麻里亜他訳『風景の美学』ブリュッケ2014。風景が近代絵画の中で確立してきた経緯が説明される。つまりは風景とは時代ごとに場所ごとにその視線の枠組みが(これを文化と言ってもいいだろうし、趣味という人もいるが)生み出してきた自然の(あるいは場合によっては都市の)見方なのであう。ピクチャレススクは19世紀の自然の見方の一つなのだということであろう。この物の見方が昨今研究対象として盛んなのだと書いてある。何故なのだろうか?20世紀へのアンチテーゼとして19世紀を再考しようということなのか?

August 17, 2014

神楽坂に煙が

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午前中原稿の草稿を練る。昼から神楽で勉強会。粛々と翻訳読み合わせ。神楽の坂の下から上を見ると煙が見える。これはボヤかと思ったらドライミストだった。今日はさほど暑くないが、やはりミスと周辺は少し涼しい。朝思いっきり走ったせいか3時ころ睡魔が襲う。5時ころ読み合わせを終えて秋葉原へ。カメラ周辺アクセサリーなど買い物して帰宅。

August 16, 2014

東浩紀も旅に出る

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『弱いつながり―検索ワードを探す旅』幻冬舎2014の中で東浩紀は概念も大事だけれどモノを見るのはもっと大事。そしてそうしたモノやら人やらとの偶然の出会いを彼は弱い絆と呼び、ネット上での人間関係などとは異なるという。またネットは様々な情報が転がってはいるけれど検索しなければ出てこない。だから知識を広げるには検索ワードを増やさなければいけない。そのためには旅に出よというわけである。なんでこの人がこんなことを言い始めたかというと、ネットにべったりくっついて情報を得るのに体力の限界を感じたというのが本音のようである。そもそもネットに張り付いて生きてこなかった僕らの世代としては最初から旅をしてきたのであえて東から教えられるまでもないのだが、旅に関して一ついいこと言っていた。それは「旅先では新しい情報に出会う必要はなく、新しい欲望に出会え」というものである。昨今旅の情報は事前に多く手に入る。しかし旅先のゆったりとした時間の中でその情報をモノとして見ることでそれが心からの欲望に変わる場合があるということである。これはつまり知っているから見なくてもいいということではなく、それでもモノを見ることの意味を言っている。面倒くさがりの僕には耳が痛い言葉である。また彼がネットから旅へという方向転換を始めているもう一つの理由は「ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないし皆自分が書きたいことしか書かない」だからそこに転がっている情報は真実ではないと述べている。これもかなり正しい。確かにネットから得る情報は欲しい情報を知らず知らずに探している。本屋に行く意味は意外な出会いや発見があるからである。

August 15, 2014

千葉雅也のバランス

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昼間大学に行く途中金町のマックでビッグマックセットを食べながら千葉雅也の新刊をペラペラめくる。千葉雅也『べつのしかたでーツィッター哲学』河出書房2014。本と言っても千葉雅也がツイッターでつぶやいたことが彼なりのアレンジメントで並べ替えられているものである。曰くツィッターは思考の断片であり、それは常に固定化されない輪郭線なのだという。その意味でこのつぶやきは分かりやすい。

僕は自分の仕事に対して「とりあえずこの立場を採っているけれど実は「~なんちゃって」かもしれない」という自己懐疑と、「これでいいのだ」という自己信頼を持つという二重性のバランスがうまい人が好きだ。このバランスが「うまい」というのはどういうことなのか、これは巨大な哲学的謎だと思う。

このつぶやきに90%賛成。このバランス悪い人世の中には結構たくさんいてそういう人が傍にいないように注意している。

August 14, 2014

システマティックな過剰はいつ終わる?

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ハル・フォスターの新訳2冊斜め読み。一冊は中野勉訳『第一ポップ時代』河出書房(2011)2014。もう一冊は瀧本雅志訳『アート建築複合態』鹿島出版会(2011)2014。
原書が同じ年に書かれているので内容の関係性もあるのだろうと読んでみると確かにある。著者の中ではポップアートあるいはポピュリズムは建築にかなりの影響を与え(ヴェンチューリなどのポストモダニスト)その(消費主義、増強された視覚、システマティックな過剰)延長線上にコールハース、ゲーリー、ザッハを見ているのである。一方ミニマリズムの延長上にヘルツォーグたちを見て、コンセプチャルアートなどの延長上にディラー・スコフィディオを置いている。多くのとは言えないけれど、世界のスター建築家のかなりの部分がアートと渾然一体の建築を作っているという分析をしている。
一方『第一ポップ時代』においてはポップアーティスト(ハミルトン、リキテンシュタイン、ウォーホール、リヒター、ルシェー)たちは世の中のゴミ(彼らの素材)を全面肯定もしなければ否定もしないアイロニカルな肯定をしていたのだと言う。
資本主義が建築やアートの境界を投資の対象としてメルトダウンさせている現状において、お互いが投資価値を求めて過剰なヴィジュアリティを奪い合うむごたらしい状況が露呈されている。たまさかフォスターの二冊の本を一度に読んでみて、せめて第一ポップ時代のアイロニカルな視線が現代のポップアーキテクトの中にあればと願うのは季節外れのたわごとなのだろうか?システマティックな過剰はどこまで続くのだろうか?

August 13, 2014

多孔質化と呼ばれるボイガスのアーバンデザイン手法

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●ミラーレスのサンタカタリーナ市場

再来週バルセロナでエンリクに会い日本で行うWSの話をするにあたり、バルセロナの都市計画とまちづくりを少々勉強してみた。教科書は阿部大輔『バルセロナ旧市街の再生戦略』学芸出版2009。19世紀末に旧市街からはみ出るバルセロナの町が113メートルグリッドで拡張されたのはよく知られたセルダの都市計画である。20世紀後半にそれを受け継ぎながら独裁政権(1940~75)後に大きなマスタープランを作るのではなく「ミクロの都市計画」を行ったのがオリオル・ボイガスである(年初のワークショップに来る予定だったが体調不良で来られなかった)。「ミクロの都市計画」とは100近い拠点プロジェクトを地域の個性を失わないようにサイト・スペシフィックに行う計画である。その中にスラム化した旧市街(面積は千代田区の半分人口は千代田区の2倍)の再生計画も含まれていた。その後その計画はより具体化し、密集し、老朽化し、麻薬、売春の温床と化した旧市街地が再生した。そのプロジェクトはスペイン語ではesponjamientoと呼ばれた。そのまま訳すと「スポンジ化」となるが一般的に「多孔質化」と呼ばれている。おおよその意味は部分的に建物を排除したり、リノベをして公共施設や公共空間を挿入していくというものである。つまり既存建築に公共の孔を多く穿っていくということである。ミラーレスのサンタカテリーナ市場やマイヤーのバルセロナ現代美術館やアルベルト・ビアプラナの現代文化センターなどはそうやって埋め込まれた多孔質化の産物である。この話を聞くと今年の年初に行ったブエノスアイレスのヴィシャ(スラム)の再生ワークショップを思い出す。ブエノスアイレスの建築家たちはおそらくボイガスの手法に多くのことを学んでいたのであろう。ワークショップ中はスラムという特別な場所の特別な話だと思っていたが、バルセロナ旧市街のような今では観光中心となっている場所がそうした手法で再生したのだと聞くと、日本でもできるという気になる。荒木町とか神楽坂とか日本の路地空間は多孔質化で再生しなければいけない場所なのだということを再確認する。大きな用途地域の無思慮な色塗りだけで都市計画が終わるわけではない。「ミクロの都市計画」が必要なのである。

August 12, 2014

今ムーミン?

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コンペのコンセプトを練るのにムーミンの本を読んでいたらムーミンパパは放浪癖があると知る。その上、なんだかとても暗い話が多くて面白い。家族なんて明るいことばかりで埋め尽くされているわけもなく、お父さんはいつも優しくて家族思いでいい人だとは限らないというリアリズムなのである。ヨーロッパの童話は残酷だったり、怖かったり、日本の童話とは大違い。小さい時から大人の世界をはっきり見せる文化なのである。
研究室の学生も一緒にムーミンを読んでいるのだが、彼女が最新号のユリイカはムーミン特集だと持ってきた。ムーミン哲学?ムーミン文化?ムーミンから学ぶこと?何?

August 11, 2014

ETHの先生とお話する

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鹿島出版会で午後ミーティング。少しずつ本作りのポイントに向かっている。終わって夜はETHのデザインの教授と構造デザインの教授と夕食。彼らは日本の折り紙学会にやってきている。初めてお会いするので当然スイス人かと思っていたがデザインの教授ホアンはバルセロナの人。構造家のピエルルイジはイタリア人である。ETHにはこんなラテン系の先生が沢山いるのかと聞いたらそんないるわけでもないらしい。いろいろ聞いていると北ヨーロッパと南ヨーロッパの差を強調するのでなんでスイスに来たのかと聞くと、いつかは南に戻りたく、今は南に仕事が無いので北に居るという。古来南北ヨーロッパの溝は埋まらないのだということがよくわかる。彼ら曰く南は不完全、カオス、スモールスケールを好み、言えば南はデュオニソスであり北はアポロなのだと言ってはばからない。なるほど!!
最近の日本の建築をどう思うと聞くと先日読んだ飯島洋一と同じようなことを言っていた。ブランド建築家が世界資本の思うがままに建築を作らせられている。これは世界の問題であり世界中にブランドスタンプを押して回るような建築はさっさとやめた方がいいと言っていた。同感である。

August 10, 2014

オールボーではウッツォンオーディトリアムでレクチャーすることに

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午前中クライアントと打ち合わせ。残り数週間で実施設計アップ。午後は出張の細かな計画を練る。だいぶ先方との交信もしてスケジュールがフィックスしてきた。余った時間の使い方を考える。デンマークではオールボーのウッツォンセンターのオーディトリアムでレクチャーをすることとなった。楽しみ。

August 9, 2014

デコン批判としては納得する

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飯島洋一の「「らしい」建築批判」1,2,3,4、をまとめて読んだ。モダニストが相手にしていた社会は革命が連続的に勃発していた社会であり、それと連動しながら建築家は社会を変革したいと考えていた。一方ネオモダニストの相手にしている社会というのは新自由主義のもとに投資された資本の言うなりの社会でありそこにおける建築家はブランド化され資本のなすがままに動く建築家でしかないと批判する。デコン建築家の多くがビルバオ以降、まさにそうした論理で建築を作っているということについては同感である。

August 8, 2014

LUMIXの白

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LUMIXのミラーレスを買った。今まで使っていたOLYMPUSが重くてかさばるのでミラーレスの一番小さいものが欲しくてこれにした。加えて誰かのLUIMXがとてもよく撮れるのに驚いたというのも理由の一つ。しかし昨今のデジカメは一段と多機能になっていてこれを覚えるのに一苦労である。毎日練習しているのだが覚えきれません。もっと機能減らしてくれた方がいいなと思うの。あるいは使うべき機能と特別な機能を区別しておいてくれるとありがたいのだが。白い皮ボディは汚れるだろうことは分かっているのだが、それでもやっぱり白がいい。」

金町カフェ

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昼からコンペの打ち合わせ。だいぶデヴェロップされてきた。しかし勝負はここから。コンペに勝つときは3分の1は最初の食いつき、3分の1はそのデヴェロップ、3分の1はプレゼンである。今僕らはいい食いつきをしてそのデヴェロップの途中。ということは半分終わったということである。夕方第二部の先生たちとの懇親会。金町キャンパスのカフェにて。広い空間に美味しい料理。

August 7, 2014

日本の住宅はやはり小さい

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午後「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家 」展を見に埼玉県立美術館へ。展覧会は16の戦後住宅の原図、青図に加え1/50,1/30の模型が展示されている。坂牛研でも白の家の模型を作成した。僕はこの16のうち7つの家に入ったことがある。それぞれの良さを体感したことがある。それらは本当に小さな家だった。日本の家は小さい、、、、
その小さの極地が中銀カプセルタワーである(なぜ住宅展でこれが展示されているのか謎だが)。その実物が庭においてある。この小ささはとても気持ちよさそうではある。

August 5, 2014

人間の条件を読んで建築の条件を考える

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アーレント「人間の条件」の概説書を読んだが厚くてなかなか手ごわい本だった(仲正昌樹『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』作品社2014)。正直読破は諦めた。途中からかなりの飛ばし読みである。この本最初に驚いたことがあった。それはこの本は講義録なのだが、その講義が行われたのは連合設計者市ヶ谷事務所なのである。この事務所のことは名前しか知らないが、面白いことをする事務所もあるものだ。
アーレントが言うように、この人間の条件で書かれていることは人間存在に不可欠な特質を構成するものではないのである。そうではなく人間が生きていくうえで行わざるを得ない営為としての労働、仕事、活動をはじめ人間の生きていくための必要条件が描かれている。そうした点で言えば僕がこれから描こうとしている建築の条件におけるジェンダー、消費、視覚、主体、倫理、階級、世界性というような問題系はまさに建築存在に不可欠な特質を構成するものではないのであり、現代において建築を考える上での必要条件なのである。
先日そんな話を坂本先生として、そうした建築の条件の殻を突き破るのが僕らの仕事だと思うと言ったら頭から否定された。そんな条件を突き破れるわけはないだろうと言われた。そうではなくそうした条件と無理なく付き合うことが建築なのだとおっしゃるのである。うーん。

壮行会

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娘が明日から2か月旅行に行くというので壮行会。近所の行き着けのイタリアンへ。2か月で15か国回るという。行先は東欧。聞いた国名の中で僕が行ったことがあるのはチェコとオーストリアだけだった。後はニュースでたまに登場するような国ばかり。西欧とアメリカが文化の中心だという文化の枠組みの中で育てられてきた日本人はさっさとそういう幻想を捨てなければいけない。そういう意味ではこういう旅行の仕方はちょっと魅力的。大学辞めたらぜひやってみたいことの一つである。

August 3, 2014

伊東豊雄のダブルスタンダード

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スタッフの佐河君に借りたユリイカ7月号が机の上にあるのを思い出させてくれたのは昨日お会いした坂本先生。飯島洋一の「「らいし」建築批判5」が特別寄稿されている。5とついているのだからこれは飯島の連続寄稿の5回目であろう。この連載が最近の著名建築家の徹底批判であることは聞いていたが実際読んでみるとそれなりに筋の通ったわかりやすい批判だし、皆がすでに口にしていることでもある。この5号で批判されているのは伊東豊雄の被災地とその外での作風のダブルスタンダードについてである。被災地では作品は作らないと言ってクライアントを大事にして風土を貴ぶのに被災地の外では作品を作り個性を前面に出す。隈はこんな伊東の振れ幅の大きさをイクストリーム主義と呼び結局被災地でも作品創っているのだと喝破していた。つまり被災地の中であろうと外であろうとアイコン創っていることに変わりないということである。同じアイコン創るならザッハのように世界中に同じアイコン創るより場所と歴史を見抜いたアイコン創る方がましである。しかしそうなればもはやそれはアイコンではないのだろうか。

7月例の会、坂本先生ご健在

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●江古田の集合住宅のケーキ?
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●ご挨拶する先生
坂本研のOB会であり先生の誕生日会でもある7月の例の会が先生の設計した東工大蔵前会館で行われた。久しぶりの人もいれば、よく会う人まで100人くらいにお会いした。恒例の先生近作のお話があった。中国の3都市、日本の2都市でプロジェクトが進行中。その量と質に驚いた。大学やめてますます素晴らしい。2次会では私が勧めている「建築の条件」の話をさせていただき共感された。ユリイカの飯島さんの文章の話になりあれはまさに建築の条件問題だとおっしゃっていた。早く読まねば。この会も幹事が上のOBから初めて
一番若いOBまで行き着いた。というわけで初代修了生である私は来年の幹事である。


August 1, 2014

ワインを入れたカートが転倒

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家の近くにイオンがやっている酒屋さんがある。時折帰路そこによりワインをまとめ買いして宅配してもらう。数か月前からお手頃のアルゼンチンのマルベックがなくなってしまった。いつも行くたびに今日は入っているかと期待するのだがない。今日もそんな気持ちで行ったがやっぱりなくてチリのマルベックがあった。仕方なくそれを5本ほど3輪カートに乗せてさあレジへ行こうかなと動いた瞬間バランスを崩し、カートが転倒。さらに悪いことに転倒したカートはワインの棚の側に倒れ掛かった。倒れてからボトルが割れてワインが床を真っ赤に染めるまでまるでスローモーションのようにゆっくりと画像が網膜のスクリーンに映しだされていた。すぐさま店員さんが来てくれてモップでふき取ってくれたのがおそらく3本くらいは割れていただろう。
こんなことはもちろん生まれて初めてなのだが、なんで転倒したのだろうか?3輪というのがバランス悪いのだがそれにしても、、、、弁償しますといったのだが、、、、お気になさらずということだった。安いワインだからよかったけれど、、、ああ恐ろしい。