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July 31, 2014

non-commercialな公共空間は可能か?

今年からの研究室の論文研究項目として都市の公共空間を挙げることにした。そして3名の学生がそのテーマで論文を書いている。ただ重要なのは公共空間という言葉が単なる公の保持する公共空間を意味しているのではない。所有者が公であれ私であれそこにおいて精神的にも物理的にも何かを強要されない場所をここで公共空間と呼んでいる。そしてこうした興味の連続で年末の国際ワークショップをしたいと思っていたところワークショップ指導者であるバルセロナのエンリクよりメールが来た。
For the workshop I wanted to deal in some way with public space, which we can say that in Japan doesn't exist as a social space detached from commercial purpose. My initial idea is to stress the fact that after Fukushima people gathered in public spaces to protest, so there is a possibility to use public space in Japan in a socio-political way. The question is: can architecture help to improve and enhance this existing dynamics in Japanese society, so that public space becomes charged with more layer of meanings other than commercial? In order to do that the workshop perhaps would be not so much a specific project but to find and generate the right conditions for this new purpose to happen. Perhaps we end up with a action I a public space.
曰く、日本には商業目的と切り離されたパブリックスペースが乏しくて、建築がこの状況を乗り越えて商業性以外の多層な意味をパブリックスペースに加味できるかを問いたいというのである。
なんと僕が考えていることに実に近い。これには驚いた。これはかなり世界的に普遍的な問題意識なのかもしれない。

July 30, 2014

良書を読むべし

先日コンピューターが熱暴走してバックアップを取り忘れていた10個くらいのファイルが他界した。その一つに蔵書リストがあった。前のコンピューターに2011年春までものがあったので、ブログを見ながら復旧作業をした。夕刻2013年の春までの2年分を復旧し、残りは週末やることにした。
復旧しながら思うのは「あれ?こんな本読んでいたっけ?」と驚く本が多いということである。タイトルを見ても内容が思い出せず、ブログに書き記していた荒筋を読んでおぼろげにその本のことが思い出されるのである。そしてそういう印象に残っていない本に限って大したことが書かれていない。いや、正確に言うと「自分にとって」大したことが書かれていないものである。となるとそんな本を読んだ時間はほとんど無駄だったということにもなる。これが名著であれば自分にとって大したことが書かれていなくてもそれを手に取って目次を眺め著者の文字の流れを追うだけでも意味はある。しかしそうでない本であれば本当に時間の無駄である。そういう目で二年分の本を振り返ってみると実に時間の無駄となる本をたくさん読んでいたことに気づかされる。そしてその種の本は新書が多いということも分かった。
本屋に行くと分厚い単行本はつい忙しさにかまけ敬遠し、とっつきやすい新書を手にすることが多いのだが、これは気を付けた方がいい。長い目で見れば新書はかなりの良書でなければ体には残らないようである。残りの人生本読む時間も貴重である。乱読は避けるべし。
コンピュータークラッシュのおかげで大事なことに気づかされた。

July 29, 2014

公共空間は私的空間に生まれるのだろうか?

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年初のシンポジウムで「公共性」について考えた。スペイン語圏の建築家と広場について語った。スペインの建築家は「広場はすでに使われていない。重要なのは駅や空港だという」。一方アルゼンチンの建築家は広場の重要性を訴える。同じ町の構成を持ちながら考え方が違うのは二つの国における町の使われ方の違いによるのだろう。
公共空間において重要な言説を残しているアーレントによれば公共空間とは「現れの空間」だという。その意味は公共空間とは単に人々が共に集まる場所ではなく、人々の相互行為(ともに会話し行為する)によって顕在化された空間だということである(篠原雅武『公共空間の政治理論』人文書院2007)。アーレントの言葉を尊重するならば、駅や空港は共に集まる場所ではあれども、相互行為が生まれている場所とは言いにくい。交通空間は時間に追われているからである。時間に追われる場所に相互行為は起きにくい。さて駅や空港はたくさんある日本だが、広場も公園も少ない東京のどこに公共空間は生まれるのだろうか?それはもはや私的空間の中に求めるべきものとなるのだろうか?

July 28, 2014

今朝の空気は乾いていた

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このところの空気がのしかかってくるような暑さが今朝はなかった。空気が乾いているし空が透き通っていた。連日こんな調子ならいいなあと走りながら思った。
ドロップボックスを真剣に使い始めて結構な量をアップロードしていたらあっという間にポケットWi-Fiの速度制限に陥り月末まで使い物にならなくなった。仕方なく早朝から事務所に来て昨日考えた出張計画をもとに方々にメール。

出張計画

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午前中ジムで走り、午後来月末からの出張の計画を練る。ヨーロッパ3~4都市を回る。その間、6人くらいの方にお会いし、二つの大学でレクチャーをする予定。みたい建築もピックアップしながらいつ彼らに会うかの細かな調整をしないといけない。先日CPUがクラッシュしたのでレクチャーのデーターも0から作らなければならない。まあそれも新鮮でいいかもしれないが。

July 26, 2014

日本の写真

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栗生田弓・小林杏編著『1985/写真がアートになったとき』青弓社2014を本屋で見たときに1985に何があったのか?と気になった。読んでみるとその年につくば万博があり、その博覧会用に「つくば写真美術館」なるものが作られたということがわかる。そしてその美術館設立を契機に日本では写真がやっと美術品になっていったということのようである。
もちろんそれ以前に細江英公は70年代の初頭に銀座のギャラリーでオリジナルプリントを販売し75年には西武美術館が「日本現代写真史展」が開かれているのだが、まだ助走だったのだろう。それにしても写真家のオリジナルプリントが価値を持ち出したのが70年代以降だというのはちょっとびっくり。加えて写真に対しても先見の明があったのが西武だったというのにも改めて驚かされる。

July 25, 2014

創作の原点は自由

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三宅一生の自伝的ビデオがある(『三宅一生未来のデザイン』岩波書店2013)。このビデオの中にフランス5月革命(1968)の話がでてくる。彼がギラロッシュの店で働いていた時である。革命の熱に促され店を飛び出し自由の空気に酔ったという。その後ジバンシーの店に入り飛躍的に成長する彼にとって、クチュリエのスタート地点が五月革命の「自由」だったと言う。
80年代にはいり彼はデザイナーを辞めたいと思った時期があり、パリコレのあと何も持たずに一人でギリシアに旅をした。そこで再度感じた「自由」の空気に触発され何か新しい世界あるのではと感じプリーツへ行きついたのだという。
彼の服はプリーツを含め一枚の布というコンセプトから生まれており、体と布の間に多くの空気がはいっていている。とても建築的であり触発されるところが多い。加えてその創作の原点にあるのは自由であることを知り、創作の精神的原点はやはり自由なのだと再確認させられた。

July 24, 2014

ライン

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ティム・インゴルド工藤晋訳『ラインズー線の文化史』左右社2014は世界の文化あるいは表現とは線を描くことであるという認識から言語、詩、音楽、地図、素描、書道、建築まで含めて分析する。モダニズムは直線でポストモダンはフリーハンドという分析は少々イージーだという気はするがおよそ表現とは時間がかかわっている以上線であることは間違いない。
さまざまな表現者の線を説明する中で書家のそれが面白い。たとえば中国の大家、王羲之は漢字を描くためには自らの腕を雁の首のごとくしなやかな流れを描こうとしたこうとした。また宋代のこれまた大家である黄庭堅は長江の船乗りの櫓を操る姿にヒントを得たという。つまり書家とは書くことを装いつつ自ら観察する字とは別の何かを描いていたのだという。この話はどうも書道に限らないのではないかと思えてくる。おそらく建築もそうではないか?その建築が発する意味とは関係なくぼくらは僕らが観察する何かを描いているのではないかと思う時がある。実は詩も音楽もそうなのではないか?それらが発すべき何かを作ることを装いつつ、それとは関係ない何かを描いているのではないかと

おもちゃのようなノート

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ついにVAIOは復活せず、泣く泣く新たなノートを手に入れた。さすがに熱暴走した同じVAIOはもう嫌だし、電気の先生が2年ごとに2回も壊れて泣いたレッツノートも勘弁。ということで消去法によりNEC。おそらくどれだって壊れる確率は同じなのだろうけれど。それにしてもこのノートは恐ろしく軽い。プラスチックのおもちゃのようである。

July 22, 2014

東工大3年生、理科大二部4年生講評会それぞれの味がある

140722tououdai%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG東工大3年生の前期後半課題の最終講評会を奥山先生の設計した緑が丘6号館で行った。午前中から行って45人全員の採点をしてから発表者15名を一緒に指導していただいた金箱さんとともに決めた。決めた後に発表できない人を短時間ではあるが一人ずつ講評して2時から選ばれた発表者が一人10分の持ち時間で発表クリティークを行った。クリティークには私、金箱さん、ゲストで竹中の萩原剛さん、金箱事務所OBの木下さん、アルゼンチン建築家フェデリコ、常勤の奥山先生、塚本先生、スチュワート先生、安田先生、が来られた。予想はしていたが図面の質は高い。ただ構造模型50分の1を課しているので全体模型200分の1が少々雑だった。それにしても全体のできはいいのではなかろうか。A1判8枚を仕上げた学生もいて殆ど卒業設計レベルの量をこなすガンバリ屋がいたりするのはとても嬉しい。
課題はテクトニックな側面に集中できるようにプログラムは比較的簡単なもの。僕の設計したリーテムファクトリーの敷地を少々大きくしてそこに現在の工場機能+ミュージアムとカフェを挿入せよと言うものである。課題の主旨は現在閉塞的なビルディングタイプも今後ますます公共性を帯びて機能ミックスが起こり閉塞性が除かれ周辺と相互浸透するような建築が生まれると言う期待と予見に基づいている。
坂牛賞に選んだ作品はテクトニックには無理が沢山あったが、ファクトリー機能とミュージアム機能とが数枚のHPシェルによって表裏に分けられているというものである。機能を構成で分けるのではなく表裏の空間で分けるアイデアを買った。
自分たちが3年生のころからするとプレゼンははるかにデジタル化して上手になった。ただ建築を奥の方から考える思考の次元はどうなのか?今回のテクトニックな課題ではちょっと分からなかったがその部分にも彼らの思いが行くことを先輩として深く願うものである。
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夕方神楽坂でマストミーティングがあり東工大を早々に出た。ミーティングの後、今度は理科大4年生のプレディプロマの講評会である。今年はコンテクスト、プログラム、エンジニアリングのどれか二つに注目しながら自由課題をこなすというものだった。プレディプロマなので形を作らずリサーチだけでも良いと言う要求にしたのだが、どうもできが悪い。リサーチだけならリサーチにそれだけの密度や思考が必要なのだがそれを満たしているリサーチは殆ど見られなかった。結局こういいうやり方をすると手を抜くだけだと言うことが分かり少々残念だった。ただ、いくつかの形にこぎつけた案には面白いものも見受けられた。また実験的な案として、カーンの光と闇をテーマに実験的空間を作りその断面模型を本のようにして見せるという提案があった。空間のコノテーションとしてチャレンジングで嬉しい案だった。
今日は腹いっぱいの日であった。お腹が空いたが頭は一杯である。ワインを飲んで眠ろう。

July 21, 2014

美学会での新国立競技場をめぐるシンポジウム

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美学会が年に一度行う公開シンポジウムの今年のテーマが「都市と建築の美学―新国立競技場問題を契機に」というタイトルで本日東大文学部で行われた。司会は京大の岡田先生。基調講演を槇さんがされ、登壇者として東大の初田さん、早稲田の中谷さん、そしてスカイプでコロンビアからオリンピア・ニリオさんがそれぞれスピーチされた。この問題に関する槇さんの発言は既知の内容だったが、中谷さんのそれは初めて。彼の主張はいくつかあったが重要なことの一つは建築家の権利を擁護するというものだった。すなわち既に決定されている複数の建築家(デザイン監修者であるザハと日本側の基本実施設計者)の権利を守った上で彼らに意見すべきことであると言う枠組み設定だった。建築家の権利擁護には賛成であるが、そもそも不完全な要項によって選ばれてしまった建築家の案を妥当な案として擁護するのはおかしいと僕には思われた。
しかしこうした議論が建築界の外で行われたことの意義は大きいし、それを成立させるために中谷氏が尽力したとすればそのことには敬意を表したい。

July 20, 2014

日曜日

このところ毎週末土日ともになにか用事があり7月に入って一度もジムにいけてなかった。そこで今日はがんばって10時にジム行き、ヨガやって筋トレして走った。ちょっとやりすぎたせいか午後の翻訳読み合わせでは眠くて参った。終わったら雨が降り出し、仕方なく自転車を大学に置いて事務所へ。一仕事してから帰宅。残りのエビをガーリックでいためて食べよう。
昨日多田さんと話をしていたらブラジル建築の巨大なキャンチレバーはかなり硬いコンクリート、スランプ0くらいのコンクリートをそれこそ打つように型枠内に放り込むのではないかと言っていた。そうしないと長期的にはクラックがとんでもなく入ると言うのである。なるほど日本でもそういう打ち方ができないのだろうか?フォーティー曰く日本のコンクリートは木造だ(型枠の美しさが現れる)だそうだがそうでは無いコンクリート建築を日本でつくってみたい。

July 19, 2014

学生構造デザインコンペ、優勝首都大学高木研

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毎年行われている学会主催の学生サマーセミナーというイベントがある。実質的には斎藤公男先生が率いてやっている構造デザインコンペである。私も審査員の一人として午後各界へ。数十の応募があり書類選考して10余りのデザインを事前に決めて、今日朝から学会の中庭で作成。3時から一チーム3分のプレゼンをして審査員が投票する。審査員は構造デザイナー、構造の教員、建築家と豊である。構造では多田脩二さん、小西泰孝さん、佐藤淳さん、陶器浩一さん、和田章先生、斎藤公男先生などなど、建築家は中山英之さん、鍋島千恵さん、前田圭一さん、などなど。豪華な顔触れ、会場には日建時代の後輩の構造家たちも多く来ていて日建OB会みたいでもあった。
投票の末一等に輝いたのは「ゆらら」と題する直径1.5ミリの鋼線数十本で持ちあげられた揺れる構造体。クラゲのようでもあり、火星人のようでもあり、チャーミングな案だった。驚いたのはこのチームを指導していたのは首都大学東京の高木さん。誰かと思えば日建時代の後輩ではないか。聞くと日建をやめてアルプに行って6年前から現職だとのこと。いい指導してますね!

July 18, 2014

条件づけられた建築の彼岸を垣間見ること

昨日初めてゆっくりお話しした編集者のIさんが現代人は熟慮を避けて結果にいかに早く辿り着くかと言うある種プラグマティックな思想に傾いていることを危惧していた。それを彼は「ショートカット」と呼んでいたが同感である。世の中にはショートカットが蔓延している。その理由の一つはネット上の膨大な情報をかき分ける術の習得が必然となってきたからでもある。そして単に結果に早く行きつくプロセス(方法)を編み出すのではなく、建築の限界ラインの彼岸を垣間見ることが今必要なのではないかと言っていた。その意味で「建築の条件」はそうした限界ラインをおぼろげにでも見せてくれる重要な枠組みの提示だと評価してくれた。そうだと自分でも思っている。未だ書いていないところ。書いてはみたものの修正したいところ。頭の中をもう少し整理しよう。

スイスの古い町並みは硬質だ

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研究室に届いたDiner & Dinerの作品集を見た。彼らの建築が硬質な表面をもっているのは街が硬質だからなんだろうと納得する。数十年前に住んでいたバーゼルの街は乾いた硬い街だったような気がする。この写真の街ルッツェルンには友達を訪ねて1泊2日で訪れた。ここも古い歴史の路地のような切れ目の無い石の壁が連なっていた。乾燥した硬さを感じた。この硬さが鉄の壁となって現れるのはとても自然なことだと思う。建物だけを取り出すとエキセントリックだが街には整合する。

建築の条件

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旧知の某編集者が私の早稲田で行っていた講義「建築の条件」をHPで知って興味を示してくれて時来所された。僕の「建築の条件」とはジェンダー、消費、視覚、主体、他者、倫理、階級、グローバリゼーションなどの社会の枠組みがいかに建築を条件づけているかを論じている。言えばカントの批判による人間悟性の条件付けのようであるしアーレントの『人間の条件』ようでもある。僕は小田部胤久の『芸術の条件』に大きく啓発されたのではあるが。
こうした条件付けは建築の限界境界線を提示しそしてどうやってその境界の向こう側へ渡れるかを探ることでもある。例えば事務所近くで真新しいビルが解体されているが、消費性に条件でづけられた建築の限界の向こう側を考えることの重要性を思うのである。

July 17, 2014

2年生の講評会

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2年生の製図講評会。今日は原田さんをゲストでお呼びした。非常勤は長谷川さん、上条さん、蜂谷さん、今村さん、水戸さん。課題は住宅。なかなか面白い案がありました。このまま後期もいい案を作って息切れせずい3年生になって欲しい。

July 15, 2014

バイオが起動しない!!昔のマックを引っ張り出す

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昨晩ノートパソコンのファンがかなりの速度で回っていたらしい。朝起きるとパソコンがかなり熱くなっていた。そしたら案の定OSが起動しない。トホホ。事務所に持って行って竹内君に見てもらったのだがやはり起動しない。しかたなく解体してハードディスクを取り出すことにした。しかしどうもこのバイオの造りは特殊なようでねじで開かない。万事休す。それにしてもパソコン運がないなあ。信大時代もよくこわれた。バイオの前に使っていたマックエアーを出して来て取りあえずリリーフ。生きたノートを一つ持っていることにしておいてよかった。でももう回復できないデ―タ―あるのだろうと思うと凹む!!

デンマークに留学していた太田君一時帰国

オーフス建築大学の院に留学していた太田君が一時帰国したので「海外で学ぶこと」というレクチャーをしてもらった。海外留学を考えている学生も多くいるので彼の話はためになったはず。毎セミスタースタジオがありコンセプチャルなモノからテクトニックなものまでいろいろあるようだ。教員の人気が無いとそのスタジオの希望者が減り希望者が減ったスタジオの教員はクビだそうである。その方法は良くも悪しくもあるだろうけれど。

July 13, 2014

篠原先生の愛鷹裾野の家を訪ねる

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○庇のせいか30年以上たったコンクリートが痛んでいない
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○天井高は頂点で6メートル
朝の新幹線で沼津へ。篠原先生1978年の作品愛鷹裾野の家を見せていただいた。竣工当時は周囲は何もなく荒々しいランドスケープだったそうで、その中にやはり荒々しい打ち放しの家が建っていた。当時としては珍しかった打ち放しコンクリートに周囲の人はいつ瓦を載せるのかと聞いたと言う。2年前に屋根に防水をかけ内装のペンキを塗り直したが外壁は当時のままとのこと。しかし30年以上たった外壁が全くいたんでいなかった。76年にできた上原通りの住宅のコンクリートと比べると雲泥の差である。庇の力が大きいということだろう。

July 12, 2014

茨城町ワークショップスタート

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茨木町の町づくりプロジェクト最初の打ち合わせで茨城町へ。町づくりの核として廃校になる小学校をリノベすることを既に決めていて、来年再来年に廃校になる小学校を6つ見た。六つ見ても仕方ないのではと思っていたが見てみると結構差があるものだと感じた。建物自体は全て北側廊下の南面の作りで建築自体は6つはほとんど変わらない。何が差になっているかといえば周囲の環境でしかない。しかし周囲の環境でこれだけ建築が変わると言うことがよく分かって面白かった。茨城町はアジサイ祭りがおこなわれていて谷沿いに未だアジサイが満開。紫のアジサイが素晴らしい。

講評会2連ちゃん

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藤原さん小西さんの院生の課題講評会
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学部3年生最優秀の増田案
1時から金町で大学院1年生の製図講評会、藤原さんと小西さんの課題。構造オリエンテッドな課題ではあるけれどプログラムと指導がいいのか、学生がいいのか分からないが、単に構造を重視したと言うだけの結果に終わっていない。とてもいい作品となって現れた。中間講評から様々な形で優れたデヴェロップメントが感じられた。とてもいい気分で夜は神楽で学部3年生の講評会。残念ながらこちらは見るべきものが少ない。京都から森田さんをお呼びして、日本にたまたまいるケン大島さん、これもたまたまJFの助成金で日本に来ているフェデリコもお呼びしたのだが見せるのがさびしい案が多かった。昼間院生を見ていると言うこともあるのだが今回の学部生の案は不作である。

July 10, 2014

年金機構

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年金事務所に行って事務所スタッフの年金、保険の打ち合わせをした(開設者として)。これは行く前から腑に落ちないと思っていたことだが年金、保険の額を決める算定根拠は4月~6月の給与をもとに一年分決めるのである。来年は来年で同じ4月~6月の額を算定根拠とする。しかし設計事務所のように忙しさで支払が変わる職種はこの時期たまたま残業代が多いと言うことがある。実際締切がこの時期有った人は算定根拠額が上がり年金、保険の支払額があがる。どうして1年平均にしないのかと聞くとそういう方法もありますでも申告が必要ですと言う。面倒くさいですよという顔をしている。1年平均をデフォルトにするべき職種もあるだろうにと思う。
打合せをしたのは天井高の高い大きなホール。こんなホール必要なのかしら?どうも昔の社会保険庁の負のイメージが大きくて疑心暗鬼になる。

オルボル大学の先生来校

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デンマークオルボル大学のピーターとハンス両教授が理科大に来校。オルボル大学はヨーロッパでは珍しく工学系の建築学部だそうだ。その意味では日本の建築学科と近い。デンマークの大学は多くの学生が国外から来るので院の授業は全て英語で行う。また春スタートも検討するととても協力的である。9月にコペンハーゲンに行くと言ったらオルボルでのレクチャーを依頼された。理事長、学長との食事も用意し日本大使館にも連絡すると話はどんどんヒートアップ。

July 9, 2014

神殿

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1981年にできた私の住むマンションは耐震基準を満たしていない。2005年に信大に勤め始める時に下高井戸から事務所のある四谷に引っ越してきた時に買った。下高井戸に住んでいたら長野と事務所と家の移動がもはや不可能と考え事務所の傍に住処を探したのである。賃貸でいいやと思っていたが都心は賃貸なら買った方が得だと言うのが当時の結論。たまさかすぐに売りたがっていた方がいて広さに対して値段が安かったし、事務所から近かったので購入を検討。耐震基準を満たしていない時期の建物だったが竹中が施工していて構造図を手に入れることができたので日建の構造に見てもらった。14階建だが私の3階の部屋は日影の関係で上部がルーフバルコニーになっており上が崩れ落ちつぶれる心配だけはないので決心した。最後にデザインを見ると80年代ポストモダンよろしく、神殿の如くドリックオーダーの門が二つ東西の入口の前に置かれている。なんだか今見ると滑稽だがこれも愛嬌である。

神殿

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1981年にできた私の住むマンションは耐震基準を満たしていない。2005年に信大に勤め始める時に下高井戸から事務所のある四谷に引っ越してきた時に買った。下高井戸に住んでいたら長野と事務所と家の移動がもはや不可能と考え事務所の傍に住処を探したのである。賃貸でいいやと思っていたが都心は賃貸なら買った方が得だと言うのが当時の結論。たまさかすぐに売りたがっていた方がいて広さに対して値段が安かったし、事務所から近かったので購入を検討。耐震基準を満たしていない時期の建物だったが竹中が施工していて構造図を手に入れることができたので日建の構造に見てもらった。14階建だが私の3階の部屋は日影の関係で上部がルーフバルコニーになっており上が崩れ落ちつぶれる心配だけはないので決心した。最後にデザインを見ると80年代ポストモダンよろしく、神殿の如くドリックオーダーの門が二つ東西の入口の前に置かれている。なんだか今見ると滑稽だがこれも愛嬌である。

July 7, 2014

スマホ機種変更2台で4時間 トホホ

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4年使っていたi-phoneを買い替えた。バッテリーが駄目になってきて一日持たなくなってきたからというのが主たる理由。かみさんもついでに機種変更すると言うことで二人で近くのソフトバンクに10時に行って終わったのは2時半でした。2台分あるから時間かかるとはいえ、、、、こんなに時間かかるってこっちの理解力が低いからか相手の説明能力が低いのかもう分からん。話が複雑なのはそれぞれ各社のシステムだから仕方ないとしてそれならそれを上手に説明できるように教育してほしいものだが、、、買ったスマホに大好きなオレンジのカバーつけたらついに手帳もスケッチブックもスマホもカメレオン3つ子状態。ちょっと気持ち悪い。

July 6, 2014

『住宅論』のアクチュアリティとは?

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10+1 web siteで隔月連載をしている「建築理論研究会」の第6回目で『住宅論』を議論すると言うことで今日はリクシルギャラリーに行ってきた。因みに過去5回は以下の通りである。▼主意文(南泰裕さんによる)
http://10plus1.jp/monthly/2013/09/post-81.php
▼第1回──レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』をめぐって(丸山洋志さんをお迎えして)
http://10plus1.jp/monthly/2013/10/-01.php
▼第2回──原広司『空間〈機能から様相へ〉』をめぐって(西沢大良さんをお迎えして)
http://10plus1.jp/monthly/2013/12/-02.php
▼第3回──コーリン・ロウ『コラージュ・シティ』をめぐって(鈴木了二さんをお迎えして)
http://10plus1.jp/monthly/2014/01/-03.php
▼第4回──槇文彦ほか『見えがくれする都市』をめぐって(若林幹夫さんをお迎えして)
http://10plus1.jp/monthly/2014/04/-04.php
▼第5回──アルド・ロッシ『都市の建築』をめぐって(田中純さんをお迎えして)
(6月後半掲載予定)
南さん天内さん飯尾さんを交え2時間『住宅論』の現代的意義を討論。いろいろな話がでたが、なぜ45年前のこの本に未だにアクチュアリティがあるのかと言うと、このアフォリズムは①建築家が本能的に欲することが書かれているから。そして②ここに書かれていることは真理だから。と私には思えた。こうして数名の方と話して相対化することで篠原一男の現代性がまた少し明らかになった。

July 5, 2014

土浦亀城の徳田ビル

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○土浦亀城 徳田ビル 田中厚子『土浦亀城と白い家』鹿島出版会2014掲載 

継続的ではないのだけれど「戦間期の日本のモダニズム」が気になっている。そんな興味から土浦亀城の本が目にとまり読んでみた(田中厚子『土浦亀城と白い家』鹿島出版会2014)なるほど土浦は戦間期にはやはり敬遠されたインターナショナルスタイルではなく切妻の家を作っていたようだ。それは坂倉や前川と一見すると同じである。しかし土浦は日本的スタイルがあるのではなく世界の中での日本と言う地方のスタイルがあるのだと主張していた。そのスタンスは当時の建築家の中では珍しかったのではなかろうか?
土浦への興味はもう一つあり、ライトに学んだのになぜコルビュジエのような家を作ったのかと言う点である。これは結局よく分からない。しかし彼はタリアセンにいる頃から徐々に、ライトの装飾に疑問を呈していたようである。
とは言え土浦帰国後1932年に竣工させた徳田ビルは土浦にしては珍しく角丸であり、1939年にできたジョンソンワックスを予言するかのようなライト的デザインである。現代的だとは言わないけれど半世紀後にできも旬なデザインである。

この本川嶋さんが編集担当。いい本ですね。

July 4, 2014

古本100冊

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毎朝5時起きは夜の授業の次の日はちょっと応える。さすがに今日は起きて走ってからもう一度1時間ほど寝てしまった。午後一でコンペの打ち合わせをしてから輪読、1時間設計、そして製図。来週が講評会なので今日は最後。帰宅すると廊下に本が溢れている。何かと思って聞くと、ここ数年僕の本棚から溢れた本をbook offに下取りしてもらう前に娘が読むために自分の本棚に入れていたものとの。もう読んだからか読んでなくても不要となったからなのか処分したく仕分けしたようだ。100冊以上あるのだが見てみると結構また読みたい本があるではないか。でもそんなことしていると元の木阿弥。大学に送って学生にあげようかな?

July 3, 2014

借りの哲学

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人間社会はもともと贈与に対して借りを意識しそれに返礼をしていた。それに対して貨幣が生まれ資本主義社会となり人は物の等価性に重きを置き等価交換を行い等価性が崩れると負債を生む社会となった。ナタリー・サルトぅー=ラジュは(高野優、小林重裕訳)『借りの哲学』太田出版2014の中でこうした等価交換―負債の関係を批判し贈与交換―借りの関係を復活せよと言っている。その理由は、贈与に返礼をするとその価値は必ずしも等価ではないのでつねに借りの意識がどちらかに働き贈与返礼が継続的に続く。その結果そこにお互いの信頼の人間関係が生まれるのだと言う。柄谷行人も贈与による経済活動を推奨していたがその本質を良くつかめなかったが。要はこういうことなのであろう。人間関係を継続することに意味があるといいうことだ。

山岸さんの写真

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○コニカミノルタプラザ山岸剛写真展

午後神楽でゼミ。夕刻新宿のコニカミノルタプラザに山岸剛さんの写真展を見に行く。タイトルは「Tohoku-Lost,Left,Found」。撮り続けている震災後の東北写真の一部が壁面毎のまとまりで展示されている。解像度の高い写真が比較的ランダムに並んでいる。
彼の最も影響を受けた写真家がティルマンスであることを知り驚いた。そして風景も建築もすべては等価で建築写真を撮る時も建築を撮ると言うよりかその空気を撮りたいと言っていた。彼の撮った坂本先生の散田の家がベニスビエンナーレに展示されている。見てみたい。

July 2, 2014

少しずつ良くなることの意味

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午後東工大で3年生のエスキスチェック。自分で自分の案を見て何が良くて何が悪いのか。何が素敵で面白くて、何が面白くないのか判断する。自分で発見して削除したりデヴェロップする。そんな力をつけて欲しいと毎度言っていたら。少しずつだけれど変化していることが分かる。夜理科大で4年生のエスキスチェックをしても同じことが感じられた。少し嬉しい。