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『住宅論』のアクチュアリティとは?

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10+1 web siteで隔月連載をしている「建築理論研究会」の第6回目で『住宅論』を議論すると言うことで今日はリクシルギャラリーに行ってきた。因みに過去5回は以下の通りである。▼主意文(南泰裕さんによる)
http://10plus1.jp/monthly/2013/09/post-81.php
▼第1回──レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』をめぐって(丸山洋志さんをお迎えして)
http://10plus1.jp/monthly/2013/10/-01.php
▼第2回──原広司『空間〈機能から様相へ〉』をめぐって(西沢大良さんをお迎えして)
http://10plus1.jp/monthly/2013/12/-02.php
▼第3回──コーリン・ロウ『コラージュ・シティ』をめぐって(鈴木了二さんをお迎えして)
http://10plus1.jp/monthly/2014/01/-03.php
▼第4回──槇文彦ほか『見えがくれする都市』をめぐって(若林幹夫さんをお迎えして)
http://10plus1.jp/monthly/2014/04/-04.php
▼第5回──アルド・ロッシ『都市の建築』をめぐって(田中純さんをお迎えして)
(6月後半掲載予定)
南さん天内さん飯尾さんを交え2時間『住宅論』の現代的意義を討論。いろいろな話がでたが、なぜ45年前のこの本に未だにアクチュアリティがあるのかと言うと、このアフォリズムは①建築家が本能的に欲することが書かれているから。そして②ここに書かれていることは真理だから。と私には思えた。こうして数名の方と話して相対化することで篠原一男の現代性がまた少し明らかになった。

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