ライン
ティム・インゴルド工藤晋訳『ラインズー線の文化史』左右社2014は世界の文化あるいは表現とは線を描くことであるという認識から言語、詩、音楽、地図、素描、書道、建築まで含めて分析する。モダニズムは直線でポストモダンはフリーハンドという分析は少々イージーだという気はするがおよそ表現とは時間がかかわっている以上線であることは間違いない。
さまざまな表現者の線を説明する中で書家のそれが面白い。たとえば中国の大家、王羲之は漢字を描くためには自らの腕を雁の首のごとくしなやかな流れを描こうとしたこうとした。また宋代のこれまた大家である黄庭堅は長江の船乗りの櫓を操る姿にヒントを得たという。つまり書家とは書くことを装いつつ自ら観察する字とは別の何かを描いていたのだという。この話はどうも書道に限らないのではないかと思えてくる。おそらく建築もそうではないか?その建築が発する意味とは関係なくぼくらは僕らが観察する何かを描いているのではないかと思う時がある。実は詩も音楽もそうなのではないか?それらが発すべき何かを作ることを装いつつ、それとは関係ない何かを描いているのではないかと