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December 31, 2012

路面電車がこんなにあったんだ


娘に万年筆を買ってあげたく銀座の伊東屋へ。大晦日の銀座は驚くほど人が少ない。そして伊東屋にも人がいない。こんな伊東屋を見たのは初めてである。万年筆売り場はアネックスに移動していた。10本近く試し書きをしてイタリアのスティピュラを購入。
帰りがけ、教文館書店の店先で東京の古地図の複製が売られていた。明治から昭和まで数十種類。明治40年と昭和2年の二つを買ってきた。これを見て一番の驚きは路面電車網がすでに明治時代からかなり整備されていたこと右が昭和二年、左が明治40年。どちらも赤い線が路面電車である。今はご存じのとおり荒川線しかない

December 30, 2012

建築生態学


今日は朝から大掃除。しかし我が家の大掃除は不思議なもので、私、娘が、配偶者から分担場所を言い渡され、(もちろん配偶者自身の分担場所も大いにあるのだが)それを好きな時に勝手にやるというもの。僕は今日、朝から一人で勝手にベランダと風呂場を掃除した。娘は昨日自分の分担である壁を掃除してどこかへ消えた。
夕方事務所で平瀬さんに会うまで山本紀夫『梅棹忠夫―「地の探検家」の思想と生涯』中公新書2012を読んでいた。先ずこのブログを読んで梅棹忠夫を知らない大学生は同じ中公新書の梅棹忠夫『知的生産の技術』を呼んでほしいと思う。僕は高校生のころこの本を読んで目から鱗だった。そして古典的名著だけど単なる古典ではない。今読んでもおそらく新鮮だろうし、実際2012年の段階で90刷140万部のロングセラーである。とはいえなぜそこまで勧めるかというと、学校では知識を教えてくれるが知識の獲得の仕方を教えてくれず、そういうことがここには書かれてあるし、おそらく僕はここに書いてあることの8割をその後実行し有効だと実感しているからである。
さてその著者梅棹さんのことを描いたこの本を読んでまた目からうろこである。知の巨人とはこういう人なんだとつくづく感じ、尊敬の念が一段と高まった。彼が言う生態学という言葉に再度注目してしまう。死んだ昆虫を集めても得られることは少なくて、生きている全体系を観察するのが生態学だと言うその認識が数十年たった今でも新鮮である。建築もつくづくそうのだと思う。建築とその周辺を含む全体系の中で観察することが重要だ。つまり「建築生態学」である。生態学はecologyなのだが、いわゆるエコという響きとここで言う建築生態学はなんの関係もない。

いつもの忘年会今年は鎌倉で

今日は年賀状をやっと全部書き上げて(と言ってもプリンタが宛名をしてくれるのですが)それをもって東京駅の中央郵便局へ。料金別納なので枚数を聞かれますが、わかりません。すると10枚だけ重さを量り後は重さで値段を決めるのが面白いです。結局2万円払ったので400枚ということです。そのあと東海道線から横須賀線に乗り継ぎ鎌倉へ行きました。
毎年12月29日に渋谷でやっている忘年会があります。坂本研のOBである僕、奥山さん、塚本さん、柳澤さん、木島さん、小川次郎さん、貝島さん、篠原研の武田さん、石田さん、はたまた竹中の萩原さんなど、いつも柳澤さんが段取りしてくれるのですが、今年は柳澤邸ができたので鎌倉でやろうと言うことになり今日ははるばる鎌倉で飲むことになりました。しかし鎌倉だと帰りが気になってとてもじゃないけれど酔えません。というわけで9時くらいにはさっさとお開きで静かに帰宅しました。健康的ではありますが少々静かな忘年会でした。帰ってドアを開けたらかみさんが娘の帰宅と思ったようで「誰?ふみ?」と娘の名を呼んでいました。「僕だよ」と言うと驚いていました。帰るのが早いし、酔っていないし。明日は家の大掃除。

December 28, 2012

リドー住吉ビルの設計者は梵寿綱のようである


●リドー第二
毎朝のジョギング探検を日課として半年。寒さにも強くなってきた。さて今朝発見した不思議なビルをFBに載せたらいろいろとご意見をいただいた。みなさん気になるビルだったようで、ネットで調べてみた。建物の名前はりリドー住吉ビル。その隣の隣が第二リドーと呼ばれている。どうもこれは僕の記憶が正しければ土岐新さんの設計である(間違っていたらごめんなさい」。それでリドー住吉ビルはネット情報では下記の通り。

「リドー住吉についての発見:-日本のガウディとして知られる梵寿綱設計の建造物。まだ、梵寿綱と名乗る前のもので、以後の作品よりすっきりとしたデザイン。-1969年当時(おそらく建設年)、賃貸で千葉真一さんと谷隼人さん、他に当時の流行歌手ひとり住んでいた」
http://cm-song-movie.blogspot.jp/2010/07/blog-post_28.html

なるほどね。こんなビルを設計しようと思って設計できるのはやはり梵さんしかいないということか。しかし確かに梵を名乗る前の梵さんは秩序ある古典的な作風だったんだ。これいいよなあ。本当に。

●リドー住吉ビル

December 27, 2012

電子媒体の波


今日の朝日の夕刊にニューズウィーク紙の発行これが最後(Last Print Issue)と報じられていた。すでに知ってはいたが改めて新聞で見るとショッキング。これからは電子版だけとなる。それは、しかし雑誌新聞のこれからの宿命とも感じる。僕は朝日新聞の紙もデジタルもとっているがそれは双方を体感したいからである。その結果、正直言ってどちらがいいとも感じてない、風呂とトイレではデジタルだが食卓では紙である。外出してまでニュースを知りたいとは思わないが、読みたい人はデジタルの方が便利だろう。まあいずれにしても両方必要だとは感じない。そうなると省資源、速報性から言って、電子版が残るのだと思わざるを得ない。
さて建築界にもその波はもちろん来ている。図書館から来年の雑誌定期購読の件で電話が来た。『2G』は来年紙媒体は無いですよと言う。本当?何度も問い直してもらったが正しいそうだ。この状況が『2G』で終わるわけはない。よほどの理由がない限り、おしなべてほとんどの雑誌も同じことになると思う。さて紙媒体がなくなると一体どういうことになるのだろうか?そもそもニューズウィークのようなテキスト媒体と異なり、視覚情報がメインの建築電子媒体の情報は売れるのだろうか?その情報を買う買わないはその希少性と質にかかわっている。つまりそこにしかない情報かどうかということと、その情報の質(写真ならその解像度やアングルの)である。さてその希少性だが建築の場合その視覚情報がそこにしかないということがもはやほとんどなくなっている。設計者のホームページに行くまでもなく、どこかの建築HPで手に入れることができる場合が多い。もちろん雑誌の電子媒体の情報の方が若干質が高いことは確かだが、あえて雑誌の電子媒体を個人が買うだろうか?となると雑誌電子媒体の生き残る道は二つ。ひとつは写真、あるいは動画の個性と質、今までのような客観的写真ではもうだめなのかもしれない。そして次は思想である。それを生み出すのは評論であり、編集方針である。すなわち雑誌全体の個性が建築思潮を語っているかどうかという点である。そうした骨のある電子媒体が登場することを皆が期待しているのだろう。

Iphoneのダヴィンチメモ

朝ジョギングしながらIPHONEで面白メモを取る。ダヴィンチはつねに小さなメモ帳を携帯し発見をメモっていた。と梅棹さんの『知的発見の方法』に書いてあった。現代版ダヴィンチメモはアイフォンとなる。とはいえしょっちゅうアイフォン片手に歩いているのもなんだか格好悪い。そこで朝のジョギングの時だけはこれを持って面白発見する。最近はシンメトリーにはまっている。

●倉庫の立面のシンメトリー、シャッターがポイント

●星条旗のシンメトリー、よほど好きなのですね、アメリカ

●現代版長屋もシンメトリー

●このタイプは本当に多い

December 26, 2012

カタカナの批判精神


松岡正剛が平仮名は日本人の唯一にして最高の発明だと『日本という方法』の中で書いていた。それはそうだと思うのだが、ではカタカナは?とふと思う。本日水戸への往復で網野善彦『日本の歴史を読み直す(全)』ちくま学芸文庫2005を読んでいたら文字についてという章があった。そこでは日本人の識字率の高さや女性が平仮名をあやつり文学を作ったことなどは世界に類をみないと指摘され、加えて片仮名の世界について語られている。現代では片仮名は擬態語、外来語、発音などの表記にぽつぽつと登場するのだが、時代と内容によっては文章全部片仮名だった。片仮名はそもそも口頭で語られる言葉の表記に使われそれは神仏とかかわりを持つ場合が多かったそうだ。
辞書には平仮名は万葉仮名の草体化、片仮名は略体化と説明されているだから片仮名には字の美しさの追及が欠如しているのかもしれないし、それはまあ明らかではあるが、しかしこんな片仮名だけの書というのもいくらでも芸術化可能に見えてくる。昨今ではなんでもかんでも全部カタカナで書く流行があるようだが、それは中世の落書きのようなある種の批判精神の現れなのか?なんだかこの文字は何時の時代でもちょっと異種な内面の現れを伝える道具なのかもしれない。

December 25, 2012

前傾チェアの効力は?


午前中現場、今日は長野で使っていた山用のロングダウンコートを着て靴にはホカロンをそれぞれ2つずつ入れて行った。さすがにこれだと耐えられる。いっしょにいたスタッフは足先の感覚が麻痺したと言っていた。いつもはこの現場を終えると駅まで歩けないほど足首が痛くなるのだが、今日は余裕。西荻で昼をとり研究室に行き打ち合わせ。夕方神楽坂で会議を終えて四谷に戻る。駅ビル「アトレ」で明日の施主への手土産を買い、ついでにワンパック900円の大きなイチゴを家族へのX‘masプレゼント。事務所へ戻り久しぶりにインターオフィスとアクタスの方とお会いして昨今の家具の話を聞く。インターオフィスでも一脚2万円台のかわいい椅子が結構たくさんあることを知る。例えば写真のもの、Edward Barber & Jay Osgerbyという若手二人組のデザイン。ポリプロピレンン製で若干前に傾く。この前傾チェアが最近の流行らしい。コンピューター操作など、少々前傾すると骨盤から背骨、頭蓋骨の位置が理想的なS字カーブの上に乗るそうだ。一脚二万円台ならちょっと試してみたい。

December 24, 2012

歴史の中で出会う言葉に現代の意味をあてはめてはいけない


昨日、配偶者に「日本」という名前がこの国の名称となったのはいつか知っている?と聞いたら日出る国の後だから700年台と言う。あれいい線いっている。僕より歴史センスありそう。正解は689年。天武天皇が編纂を開始して死後その皇后の持統が施行した浄御原令(きよみはらりょう)に記されていたとされるそうだ。僕にはそんな知識は全くなかった。網野善彦の『歴史を考えるヒント』新潮文庫(2001)2012に歴史の言葉は今持っている意味を挿入してはいけないという教訓の最初の事例として取り上げられていた。
この教訓は例えば『言葉と建築』にも当てはまる。ここで書かれていることはまさにそのことなのである。例えば形、例えば空間、例えば機能。これらが今僕らが知っている意味になったのはたかだか100年前くらいのことである。それまでは建築を説明する言葉として存在しないか違う意味だったわけである。歴史の中で出会う言葉、いやそもそも言葉とは常にそういう目で見ていないと危ない。

江戸の荒木町を知る資料


江戸名所図会で有名な斎藤月岑が描いた荒木町の絵のコピーがとんかつ鈴新のマスターから送られてきた。絵の上の文字を配偶者に解読してほしいとの依頼である。こんなものすぐできるのかと思いきや、そうでもなさそうで悪戦苦闘中。
絵の方は荒木町策の池(むちのいけ)あたりの江戸の様子が忍ばれる。それにしても松平の屋敷内の様子をこんな風に描いてしまってよかったのだろうか?

December 23, 2012

理科大工学部建築学科一部二部合同講評会、長い一日でした


●二部3年後期 多田 脩二スタジオ優秀作品(構造をデザインしたオフィスビル)

理科大工学部建築学科一部二部合同の講評会を行った。11時から1時まで二部の二年生、三年生の優秀作品発表。常勤の教員に加え、非常勤の先生、(柳沢さん、上条さん、手島さん、新堀さん、高橋堅さん、木島さん、塩田さん、川辺さん、多田さん、青島さん、長谷川さん、古見さん)から様々なコメントをいただいた。昼食後1時半から一部の二年生、三年生の優秀作品発表。こちらも常勤教員に加え、非常勤の先生(坂口さん、井坂さん、山野さん、栃澤さん、内海さん、長崎さん)が来られた、一部二部を一日に一度に見るとプレゼン力の差が目立つ。聞くと一部は今日のためにかなり練習しているとのこと。こちらも少しやらせないと駄目かな。

December 22, 2012

いいと思うものは理屈じゃない


今日は長い日。9時から教室会議。10時から大学院の製図講評会。日建山梨が非常勤で見てくれたスタジオ。午後からゼミ、講義、そして夜は二部3年生のスタジオ。川辺、多田、青島、亀井スタジオでゲストは伊藤博之さん。今年は低調とは思いつついい作品もちらほら。最優秀賞は飯田橋の立体交差。不思議なものでいいと思うものは結局理屈じゃない。山梨もそう言っていた。これが今日の結論かな?

December 20, 2012

論理学入門


どこかの大学で一番売れている新書だと言う野矢茂樹『入門論理学』中公新書2006を思わず読んでみた。高校生か中学生の高学年でやった論理学の基礎がとてもわかりやすく書いてあった。一番面白いのは排中律。AはBであるか、Bでないかのどちらかである。という命題がいつでも正しいというのが排中律である。中間を排除するということである。確かに僕は日本にいるかいないかのどちらかであるというのはいかにも正しい。しかし僕は富士山にいるかいないかのどちらかであるとなると富士山とはどこまでかがそもそもよくわからないのだからこの命題は正しいだろうか? と迷ってしまう。しかしそんなことを認めずどこかに富士山の領域がありそこにいるかいないかは半ば自動的に決まるという上から目線でこれを肯定してしまうのが排中律である。こういうのを実在論的立場で神の論理。一方証拠不十分でよくわからないという状況を認めるのを反実在論的立場で人間的論理だと著者は言う。
なるほど世の中おかしいことだらけだということを認めるのが人間的である。建築をそうやって排中律で切り崩していくときっとそこに人間的なグレーゾーンが見えてくるように思える。排中律が成立しないだろう事象はおもしろそうだ。

December 19, 2012

アルゼンチン留学から帰国した信大生


連続会議を神楽でやって夜は四谷でアルゼンチン留学から帰国したばかりの門井と食事。真夏のアルゼンチンから帰国したせいか日焼けして逞しい顔になっている。アルゼンチンへ一緒に行った理科大生も集合。昨日アルゼンチンワークショップの記録でもあるあ『αスペーシス』をやっと入稿できたからその軽い打ち上げでもある。とはいえ院生たちは明後日が製図の締切ということで全員ソフトドリンクだけ。飲んでいるのは僕と門井だけ。

今日は事務所の忘年会


今日は事務所の大掃除と忘年会。僕は終日大学の会議で夕方事務所へ。すっかりきれいになっていてびっくり。ありがとうごぜいます。その頃大工さんに作ってもらった模型材料を入れる箱も到着。スチボを立てて入れられる木の箱。
夜は事務所の忘年会。曙橋にある平井研の先輩である結城さんのお店を貸切。その名もChez Yuuki。OBが5人来て全部で15名。結城さんがメンドーサ(アルゼンチンの一番有名なワインの産地)のマルベック(ぶどうの種類)を大量に用意しておいてくれていて感激。アルゼンチンワインはどこで買ってもあの味に出会えなかったが、これは美味い。

December 17, 2012

左官屋さんいい腕だなあ


午前中現場へ。今日もえらく冷える。道路側のけらばの納まりがあまり良くない。そもそも施工図もないうちにできてしまったのが不満。それを直すべく雨の中、外でいろいろ指示していたら体が芯から冷えた。毎度毎度凍えそうである。外部は塗装が始まったところ。外断熱の上の平滑なしごきは素晴らしい。金鏝仕上げの真骨頂。塗装屋さんもまた腕がいい。銀を塗るのに下地にまず白塗って、その上にグレー塗ってその上に銀塗装。なかなかのできである。午後研究室へ。最後の校正。最後はもう間違いがないと思いたいところだがまだある。もう一回やったらまたあるんだろうなあ。夕方院の講義をして、夜二部4年生の卒論、卒計を見る。あと3週間弱。最後の追い込み。

December 16, 2012

どうして投票率下がるの??????


午前中配偶者と選挙へ行く。今回は家族で誰に入れるべきか議論になるほどの盛り上がりである。ノンポリのかみさんと政治嫌い(ノンポリとは違う)の僕と普通の娘が政治の話を家族の話題にするのは超レアである。それも言い出しっぺは配偶者なのだから驚く。投票所も列ができるほどだし、これは投票率上がるだろうと思ったのだが前回よりも低そうでがっかりである。さすがに今回の選挙に行かないのはまずいと思うのだが。昼前に研究室行って校正。やってもやっても終わらない。午後翻訳勉強会。この本、本当に面白い。きっと売れるな。夜はマンションの理事会。久しぶりである。

荒木町のクリスマスライティング


研究室紹介ガイダンスを行3年生に対して行う。一部と二部両方に一回ずつ計二回。それぞれ15分ずつ。その間に校正したり、打ち合わせしたり。夜は事務所の元スタッフ平井君の結婚パーティー。小石川の住宅街の不思議なレストラン。大きなテラスに大きな熱風機おいてあり気持ちよかった。帰路荒木町を通り抜けると荒木公園がクリスマスライティングされていた。何時までついているんだろうか?一晩中?

December 14, 2012

レイアウトを学べ

二部3年の製図の提出日、僕のスタジオはもとより、他のスタジオもやや低調。3年の製図は手書きもいればcadも多いのだが、大きなプリンターがないせいか貼りあわせのような図面が多い。そうなるとコンピューター上でレイアウトを検討できないせいか、出来上がりのレイアウトがめちゃくちゃである。
そういえば一部4年の卒計の中間発表でA3二枚40人分くらいが廊下に貼りだされているのだがこのレイアウトもまたひどい。
日建に入った時図面で一番重要なのがレイアウトだと教わった。その頃は手書きだから書き出しを間違えるともう直せない。だからまずは図面の通り芯とおおまかな輪郭を描いたら青焼きして(コピーのようなもの)図の部分をはさみで切ってA1の紙の上に置いてみるのである、それを壁に貼ってレイアウトを見てからその位置にしるしをつけて図面を描き始めたものである。そのくらいレイアウトは大事なのである。
プリンストン大学の建築学部出版会が出しているレイアウトの教科書がある。実に論理的にレイアウトのルールが書かれていて最後に美しいポスターなどのレイアウト分析がある。トレペのページをかぶせるとレイアウト原理が分かるようになっている。しかしなんていうことはない、レイアウトで重要なのは読みやすいことと、オブジェクトのラインをあわせること、加えて少し修辞的には目を引くポイントを創ることなのである。

森永さんの服は建築に通ずる





パルコ美術館でアンリアレイジの森永さんの個展をやっています。現代の日本のファッション界では最もコンセプチャルなデザイナーの一人。もっとも有名な作品の一つは身長2メートルのマネキンと1メートルにつぶしたマネキンに着せる服。あるいは玉に着せる服など。バランスのとれた人間を前提としない彼の服には可能性があります。対象を変えてしまう森永さんの発想には建築も大いに学ぶところありでしょう。

December 12, 2012

ドレミファソラシドは何色?


岡田温司「宇宙の音・色」(東京都現代美術館監修『アートと音楽―新な共感覚をもとめて』フィルムアート社2012所収)の中にニュートンがなぜ虹を七色にしたかその理由が書かれている。なんとそれは一オクターブが8度だからという音階を参照したとのこと。図はニュートンが光学に記した図式で七色を表している。幅が違うのはスペクトルの幅に大小があるからだそうだ。音階も周波数の幅は一定ではないのと同じである。
さてここからは自問自答。ではドレミファソラシドの共感覚とはどんな色となろうか?僕の場合は決まっている。ドは赤、レは黄色、ミは緑、ファはオレンジ、ソは空色、ラは紫、シは白である。おそらくこの色にはかなりの賛同者がいるのではなかろうか。しかしそれは共感覚によるものではなく幼稚園の音楽教育の結果である。幼稚園の木琴や鉄筋にはだいたいこの色のシールが貼ってあったのでは?(と僕の配偶者は言っていた)。だから音を聞いて自然とこの色を連想するようになっているのだと思う。

卒業設計の最後の中間発表会

事務所の小改造をするので材料部屋の棚を全部出し、マップケースの中の原図を全部出し丸めて地下へ、その他いろいろあっちへ持っていき、こっちへ束ね、ひたすら働いたが終わらなかったのだがあとはスタッフに任せ大学へ。迫る校正を必死にやっていたのだがそれも終わらず、卒計の最終中間発表会。さて来年を超える作品はできるだろうか?5つくらいはいい作品ができそうだ。あとは皆の頑張り次第。

December 10, 2012

漏水の樋?


九段下の都営新宿線と、半蔵門線のホームをつなげる工事をしている。工事中の天井裏を見るとタコの足のように四方八方に銅版の皿が斜めにかかっている。これは一体なんだろうか?漏水を流す樋だろうか?

December 9, 2012

目で見る立体は平面にすぎないが手で触れる平面は立体である


午後現場でクライアントも交えて定例、そして打ち合わせ。長時間コンクリートの床の上に動かず立っていたら完全に体中がおかしくなってきた。弱っている足首が凍りついて動かなくなった。余りの寒さにかみさんと新宿で夕食をとり帰宅。四谷三丁目の地下鉄駅から地上に出るとおよそ100メートルくらいにだけツリーライトがつけられていた。日曜日で人通りも少なく風も強くライトが冷たく光っていた。
数日前から読み始めた佐伯啓思『隠された思考』ちくま学芸文庫(1985)の第一章は「演技する知識・解釈する知識」という表題。プラトンをヒントに著者は、暗がりで手探りでものを見極める触覚を直感能力とし、光の中でものを配列する視覚は論理的構成能力と呼んだ。ヘルダーは「目で見る立体は平面にすぎないが手で触れる平面は立体である」と言って。プランと同様手の優位を述べいている。
さてその後スコラ学ではこの直感能力が知性と呼ばれ、論理的構成能力は悟性と呼ばれた。そして近代は知性を無視し、悟性の上に科学を作り上げた。現代人は悟性を万能だと思うほどお人よしではないのだが、悟性が優先せざるを得ないことも知っている。だからこんな悟性優先で得られる知識を「演技する知識」そしてこの演技する知識から観照(テオリア)を通して直感能力の先で得られる知識を「解釈する知識」と著者は呼ぶ。近代の学問つまり○○科学とつくものは理系文系を問わず演技する知識であろう(いやそれを壊すためにこんな本があるのだろうが)。そうなると我々の建築は理工学なんていう○○科学のジャンルにありながら数少ないテオリアが有効な分野なのである。現場で凍てつきながらそんなことをふと思ったが、寒さのあまりとても知までは辿り着かなかった。

靴って顔みたい


今日は長い一日でした。博士論文の本審査と予備審査。本審査は学習院の話で娘が小中高といた場所なので興味深く読みました。読み物としてはとても面白いのですが、論文としてはもう一つ方法論が必要だと言うのが僕も含めた他の審査員の意見でした。もう一つは構造の論文。エンジニア系の博論はなかなか手ごわいものです。発表者はいつも身近に顔を合わす人ですが東工大の後輩だと後で知りました。
夜は非常勤講師の懇談会。今更ですが私大は非常勤を含めてファカルテイを構成しています。彼らなしでは私学は成り立たないようにできているのです。よろしくお願いします。夜中帰宅して玄関で玄関に散らばっている靴を見ながら家族を感じます。娘とは時間差があるのでめったに会わないし会話もしないのですが靴が彼女みたいなもの。妙に小さい娘の靴が愛おしいものです。

December 7, 2012

ガウディビル

我が家のそばにガウディのような(と言うとガウディファンには怒られそうですが)ビルがあります。まあなんてことないRCラーメンビルの四隅が上から下まで細かなタイルでグニャグニャおおわれているわけです。1階は工房で二階から上は賃貸住宅です。ちょっと目立つ建物に住んでいるぞって優越感が味わえるかもしれません。誰が作ったかわからないけれど、ちょっと間抜けで、ちょっと一生懸命で、ユーモラスでいいですね。

December 6, 2012

大正を平成に読みかえる


とある企業の創業の建物が物置同然になっていたのできれいにして企業の歴史を残そうということになった。ちょうど3年前くらいだったと思うが、信大生を連れて実測調査をして図面ができたのだがそこで頓挫した。2年ほどしてまたやろうということになり今度は理科大に移った後なので、演習として研究室でスタディをした。すると本当に作ろうということになり事務所で実施設計をして春に着工してやっと足場もとれた。今日現れたファサードを初めて見ることとなった。止まったり動いたりしながらいろいろな場所でスタディが進み、いろいろな知恵が入りこんできたというのも楽しいことである。
大正時代の建物のもともとの色を復元し、実測図に則り建物の輪郭線を忠実に復元し、でも中の構造は全く変えた。ギャラリーにするので開口部もなくした。これはクライアントとかなり議論した末の結論である。大正時代をそのまま復元するのではなく、大正を平成に読み替えて継承しようというのがコンセンサスである。

December 5, 2012

限界建築にそろそろ飽きるか?


鶴見俊輔は芸術を純粋芸術、大衆芸術、そして限界芸術という3つに分類した(鶴見俊輔『限界芸術論』ちくま学芸文庫1999)彼がこの概念を最初に提唱したのは1956年なのだが、この概念は未だに有効だと本書を読みながら思うのである。
純粋芸術とは専門的な芸術家が専門的な享受者を対象に創るもの。大衆芸術とはやはり専門的な芸術家が創るものの、資本が制作の決定権を多く持ち俗悪と言われようと大衆に広く享受されるもの。そして限界芸術とは「くらしをひとつの領土とみて・・・くらしとも見え芸術とも見えるへりの部分」にある芸術と説明される。限界とはだからここではmarginalという意味である。例えば子供の落書きを想像してみてもいいだろう。
限界芸術がすべての芸術の根源であろうことは容易に想像がつく。そしてそこからの発展の終着点が純粋芸術であるものの、その純粋芸術が限界芸術のふりをしてみせているのが現代芸術と見えなくもない。
さて鶴見の概念を建築に置き換えてみるとどうなるだろうか?多くのThe建築家は純粋建築を創っている。そして多くの資本主義建築家(という定義はなんだかあいまいだが)は大衆建築を創っている。そして、では限界建築は? 建築家なしの建築なんていうものはこれに当たるわけで、ルドフスキーはこのことにいち早く気付いたのである。しかし昨今は現代芸術同様プロの建築家が生活のへりに建築を創ろうとしているようにもみえつつ、そんな時代にあきあきして純粋建築に目覚める若い人もいるのである

December 4, 2012

美しく使っていただき感謝


久しぶりに富士市のするが幼稚園に伺う。園長先生を囲み文教施設という雑誌の座談会を行った。この雑誌は竣工後月日をおいて、どう使われているかというようなことを丁寧に取材して報告するハイバー専門誌である。
竣工後8年たちその間いろいろとご相談を受けてアフターケアーをしているが、いまでも美しく使われているのがうれしかった。二階の吹き抜け廊下には手すりにプランターを入れる小さな丸いバスケットを設けたが、すべてにお花がきれいに咲いていた。感謝。

December 3, 2012

今どきの若い人はヴェルサイユなんて行かないのかね?


午前中助成金の書類の最終チェック。チェックしながら、次々と書き方の不備を発見し、加えて追加資料もいろいろと思いつく。午前中には終わると思ったのだが、結局終わったのは3時近い。助手に提出に行ってもらう。その助手と1時間後に某文化センターに行って館長さんとお会いする。助成金で呼ぼうと思っている建築家の展覧会を行いたい主旨を説明する。とても乗り気なのだが、加えてこれとこの建築家をぜひ呼びたい。ついてはその費用は出すので、彼らを入れて全体のプログラムを組みなおせないかと打診される。それは願ってもないことなのだが、呼ぶ人間が増えると全体の調整業務はどんどんしんどくなりそうでちょっと憂鬱でもある。でもなんとかその方向でよりグローバルな企画にしたいところである。
夜言葉と建築の講義、今日は「自然」の章。自然は不完全であり、芸術はそれを完全にする。それがヴェルサイユ宮殿でもある。という話をしていったことがある人手を挙げてと聞いたら0だったのにはちょっとびっくりした。

December 2, 2012

見事な松


朝、配偶者と配偶者の先輩の家を訪ねる。竣工後96年たったお家の庭には見事な松がたっている。まっすぐな松なら高いのはいくらでも見たことあるのだが、こんな曲がった松で背の高いのは初めて見た。この松を支えている柱は電柱である。その昔の東電から頂いたそうだが、東電の電柱をいただくにはそれなりの理由が必要で、緑地保存のためと言ってお願いしたそうである。そうしてここまで育てているのだからお見事である。

December 1, 2012

Keep locality in contemporary way!!


大学から戻り自室に入り思わず笑う。部屋が紅葉している。先日中高の同窓生がFBで教えてくれた柴山桂太『静かなる大恐慌』集英社新書2012を読む。世界は現在1930年の大恐慌と同じ状態ある。あの当時のグローバリズムが生み出したバブル崩壊が恐慌を生みそこからの復興の保護政策が戦争を生み出した。現在同様に第二次グローバリズムが起こり、さて世界はこれに対してどのような手段を持ちうるか?ハーバードの経済学者ダニ・ロドリックは『グローバリゼーション・パラドックス』の中で国家は論理的に次の3つの選択肢から二つしか選択できないという。①グローバル化、②国家主権、③民主政治。現在の日本やアメリカのとっている態度は①+②である。この場合TPPに象徴されるように民意が反映されない場合もある。その意味で民主政治が排除される形になる。一方欧州諸国はEUを作り国家主権を抑えているので①と③を選択している。しかしそれがこの欧州経済危機を迎えた。ゆえに、著者の選択は②+③なのである。つまりグローバリズムの抑制である。しかしそれが戦前と同じく国家間のぶつかり合いを生むのは明らかで、それゆえそこで極右かするのではなく、緩やかに国家の立場を尊重しようとするのである。
この意見に僕は賛成である。今時大きな政府という向きもあろうが、小さな政府が生み出した現実を見ざるを得ない。加えて文化的に考えれば、グローバル化からローカルを守るのが今の趨勢。
研究室で国際交流基金の応募のための書類をまとめていたがここでもポイントはKeep locality in contemporary way.であった。、

アリさんはすごい塗装職人


午前中現場で塗装のアリさんと2時間、ああでもない、こうでもないと言いながら打ち放しの上にのせる色を作る。EPを混ぜながら抹茶色とこげ茶とグレーを作る。シーラーを混ぜたものを塗ったり、シーラーを塗って乾かして塗ったりして欲しい透明感を確かめる。家具が作りつけられる壁で散々試してもう塗るところがなくなったので違う階に移ってまた塗る。アリさんのすごいのは色見本帳でこの色と指定するとものの5分でその色作っちゃうところ。絵描きも真っ青である。この透明感とむらはEPを塗ってからスポンジで叩くことで生まれる。その昔連窓の家#1を作った時にコンクリート打ち放しの外壁を白粉塗ったように仕上げたいと所長と相談していたら彼がコンクリート補修屋さんを連れてきた。すると補修屋さんはスポンジで白い塗料を叩き始めた。それ以来、外壁でも内壁でもこのスポンジたたきをよくスペックする。さすがのアリさんもこんなやり方はしたことがないと言っていたがあっという間に自分のものにしているところがお見事である。