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カタカナの批判精神


松岡正剛が平仮名は日本人の唯一にして最高の発明だと『日本という方法』の中で書いていた。それはそうだと思うのだが、ではカタカナは?とふと思う。本日水戸への往復で網野善彦『日本の歴史を読み直す(全)』ちくま学芸文庫2005を読んでいたら文字についてという章があった。そこでは日本人の識字率の高さや女性が平仮名をあやつり文学を作ったことなどは世界に類をみないと指摘され、加えて片仮名の世界について語られている。現代では片仮名は擬態語、外来語、発音などの表記にぽつぽつと登場するのだが、時代と内容によっては文章全部片仮名だった。片仮名はそもそも口頭で語られる言葉の表記に使われそれは神仏とかかわりを持つ場合が多かったそうだ。
辞書には平仮名は万葉仮名の草体化、片仮名は略体化と説明されているだから片仮名には字の美しさの追及が欠如しているのかもしれないし、それはまあ明らかではあるが、しかしこんな片仮名だけの書というのもいくらでも芸術化可能に見えてくる。昨今ではなんでもかんでも全部カタカナで書く流行があるようだが、それは中世の落書きのようなある種の批判精神の現れなのか?なんだかこの文字は何時の時代でもちょっと異種な内面の現れを伝える道具なのかもしれない。

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