建築生態学
今日は朝から大掃除。しかし我が家の大掃除は不思議なもので、私、娘が、配偶者から分担場所を言い渡され、(もちろん配偶者自身の分担場所も大いにあるのだが)それを好きな時に勝手にやるというもの。僕は今日、朝から一人で勝手にベランダと風呂場を掃除した。娘は昨日自分の分担である壁を掃除してどこかへ消えた。
夕方事務所で平瀬さんに会うまで山本紀夫『梅棹忠夫―「地の探検家」の思想と生涯』中公新書2012を読んでいた。先ずこのブログを読んで梅棹忠夫を知らない大学生は同じ中公新書の梅棹忠夫『知的生産の技術』を呼んでほしいと思う。僕は高校生のころこの本を読んで目から鱗だった。そして古典的名著だけど単なる古典ではない。今読んでもおそらく新鮮だろうし、実際2012年の段階で90刷140万部のロングセラーである。とはいえなぜそこまで勧めるかというと、学校では知識を教えてくれるが知識の獲得の仕方を教えてくれず、そういうことがここには書かれてあるし、おそらく僕はここに書いてあることの8割をその後実行し有効だと実感しているからである。
さてその著者梅棹さんのことを描いたこの本を読んでまた目からうろこである。知の巨人とはこういう人なんだとつくづく感じ、尊敬の念が一段と高まった。彼が言う生態学という言葉に再度注目してしまう。死んだ昆虫を集めても得られることは少なくて、生きている全体系を観察するのが生態学だと言うその認識が数十年たった今でも新鮮である。建築もつくづくそうのだと思う。建築とその周辺を含む全体系の中で観察することが重要だ。つまり「建築生態学」である。生態学はecologyなのだが、いわゆるエコという響きとここで言う建築生態学はなんの関係もない。