メタ合理性
朝から現場に張り付いて階段取り付けの調整を見守る。今日はひどく寒い。8時間くらいたちっぱなしで寒くてもうエネルギー切れ。現場を見回りながら合理性ってなんだろうかとふと思う。というのも車中読んでいた『日本史の終わり』の中で著者の一人池田信夫氏が「メタ合理性」ということをしきりに主張していたから。曰く「愛情や信仰などの感情は不合理に見えますが、進化の過程ではメタ合理的だったはずです」。つまり宗教も突如カリスマが現れ意味もなく伝播したわけではなく、人間が進歩していく上で最終的(事後的)にはそうあるべきだったという理由が見つかるというわけである。建築も一見非合理に見えながら、この建物が生きながらえていくためにはこうあってよかったのだという理由が事後的に理解されるということもあるのではないかと思うわけである。たとえばリダンダンシーなんていう概念も一見非合理だけれど、数十年たったらああそうしておいてよかったねと思うのである。