建築対銀行
午前中出版社と打ち合わせ。結構最後の最後までgoが出せない。色やら装丁やら面倒臭い問題が次から次に湧いてくる。午後明日の打ち合わせのための打ち合わせ。明日は午前と午後で違うクライアントと打ち合わせ。やることが溜まる。なんとなく思っていたところまでたどり着かないもどかしさがある。夜LET`NOTEと格闘。先日LANに繋がったかに見えたが、昨日も今日もびくともしない。Windos7はXPで構成するLANに繋がらないのだろうか?どうもそんな噂もネット上には流れている。と諦めていた矢先、どこかをいじくったら繋がった。7のインタフェースは設定が細かすぎると感じるのは僕だけだろうか?
昨晩中学の旧友である根本直子さんから新著をいただいた。彼女は大学を出て日銀に入行しその後シカゴ大学でMBAを取得し格付け会社であるスタンダード・アンド・プアーズに入社した。現在はそこのチーフアナリスト。本のタイトルは『残る銀行、沈む銀行―金融危機後の構図』である。出版社は東洋経済新聞社¥1,890。値段から見ても、出版社から見ても、もちろんタイトルから見ても、売れる本である。彼女は以前にも、中公新書クラレから『韓国モデル』という本を出版している。これももちろん売れる本である。多分数万部は出るのだろう。僕の本などどう頑張っても数千。数十倍の差である。それは僕の知名度の問題ではなく建築と銀行の社会の必要度の問題である。自虐的に言っているわけではない。事実である。これは建築文化度の高いヨーロッパに行ったって五十歩百歩であろう。マルクスみたいな言い方だが、彼女たちが地球を回転させ僕らはその地球からこぼれ落ちないようにしがみついているだけである。だから建築なんて意味が無いとは言わない。しがみついているだけの価値はある。でもしがみつこうとしていないと落ちるというだけである。