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俺が俺が

うーん、Architecture as Frameの見本が出来たのだが、この製本が悪い。落ち込むなあ。落ち込む製本持って大学へ。研究室で探していたジャン・リュック。ナンシー編の『主体の後に誰が来るのか』を発見。どこかに捨てちまったかと諦めていたのでこれは嬉しい。会議を終えて帰りのアサマでアンダーラインの部分を読み返す。主体無き後の主体(矛盾?)とは「俺が俺が!」の自己中心的主体ではなく、他者との差異の中に、あるいは他者との関係性の中に浮かび上がる主体ということだろうか?それは何となく納得。俺って君がいるから俺と言うことだ。俺ってその程度のものなのだ。でもこれは人間の本質が変わってきたと言うことではない。その昔、例えば僕の親父たちの時代は社会が親父たちに「俺が俺が!」を要求していたのだ。「俺が俺が!」の無い奴なんて「一人前の男の子ではないよ!」と檄を飛ばしていたわけである。しかるに今の時代、社会は「皆と上手くやれるように」「協調性を持って」を要請している。だから社会が主体を作り上げていると言えなくもない。「言える」と言うと100%社会構築主義に加担していることになるのでそうは言わない。すべてが社会で作られていると言うつもりもない。事務所に戻り打ち合わせ、不満な見本を持って帰宅。

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