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October 31, 2009

バロック音楽の楽しみ

昼ごろバス一台を借り切り、学生を乗せて塩尻にある柳沢潤設計の図書館の工事現場に行く。彼は大学の用事で来られなかったのだが、コンテンポラリーズのスタッフの方と現場副所長、市の藤森さんに案内していただいた。3階のスラブが部分的に打ち終わった状態だった。コンペの時に提案された11メートルのプレキャスト壁柱100本近くが現実に出来て建っているのを見るのはちょっと感激だった。60個の免振装置も日本では初めてのようだ。5層の建物にそもそも免振をつけなければならないのは活断層の上に乗っているこの場所で難しい構造を評定で通そうとしたからのようである。しかし見るからに大変そうなこの現場を設計する方も大変だったろうと思うが、それを面倒みている市も偉いものである。
夕方研究室に戻り『西洋音楽史』の続きを読む。読みながら出てくる曲をずっとyou tubeで聞き続けてみた。この本はグレゴリオ聖歌に始まり、ルネサンス、バロック、古典、ロマンと続く。グレゴリオ聖歌、ルネッサンス、バロック音楽を聴くと小学生のころ住んでいた2DKの公団の団地の部屋のシーンが蘇る。今でも「名曲の時間」と「バロック音楽の楽しみ」というNHKラジオのナレーションが昨日のことのように聞こえてくる。両方ともラジオ番組タイトルでこの時間になるとラジオが鳴っていた。「バロック音楽の時間」では歴史的にちょっと前のルネッサンス、グレゴリオ聖歌も流れていたのだろう。僕のクラシック音楽の知識はこの時についてその後全く増えていない。しかしこれも今でも鮮明に覚えているが小学校の音楽室の壁に貼られていた音楽史年表に書かれていた作曲家はすべて知っていたしその人たちが作曲した有名な曲は流れてくればほとんど曲名が言えた。そのくらいそのラジオの威力は大きかった。だからこの本を読んでいてもデジャブという感じだが、その中で一つだけ以外な事実を発見した。それはバロック音楽とは「王の祝典のための音楽」でありそれはドラマでありその代表はオペラだという指摘である。「バロック音楽の楽しみ」ではきっとそんな曲も流れていたのだろうが、弦楽器をやっていた僕にとってバロックは自分で弾いた経験のある、バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディ、コレッリ程度である。しかしバロック音楽の中心はあくまで声だということを再認識させられた。そしてこの声の舞台はヴェルサイユ宮殿であり、そこで行われる宴の情熱は彫刻で言えばベルニーニだと書かれている。いままでどうしても音楽のバロックと造形芸術のバロックが繋がらなかったのだがやっと分かった気がした。

October 30, 2009

M君の編集

昨日はいい波が来なかったが今朝起きると少し頭に浮かぶものがある。『単純な脳、、、』によれば考えたことが一日たつと醸造して良いアイデアに繋がることがあるとの実験データーがでていた。なので最近は前の日上手くいかなかったことを朝起きたら思い出すことにしている。研究室で早速スチペで形を作る。9時からゼミで1時間設計をやらせている間にも少し形を作る。2コマ目講義の後昼をとってからその形を写真とって事務所に送る。午後3、4、5,コマ目と製図。終ったら夜。研究室に戻りメールを開くと、ロンドンの友人が出張で東京にいるので赤羽で飲もうと日本の友人から。「大宮で下車ください」とのことだが、今日に限って明日は学生を連れて塩尻の現場見学で帰京せず。こういうことは重なる。飯を食って学生の留学のために相手大学のホームページを読んでみる。一語一語辞書をひき覚えたてのスペイン語をたどる。翻訳ボタンで出てくる日本語は理解不能なので仕方ない。ポイントの箇所だけ発見したのであとはここを読めと学生に伝える。
岡田暁生『西洋音楽史』中公新書2005を読む。先ずはあとがき。中公新書の音楽関係は必ずと言っていいほど編集長自らが編集担当になっている。編集長の名は松室徹。そして彼の名は必ずと言っていいほど著者の称賛を浴び、尊敬の念を持って語られる。彼は中高の同級生であり、音楽にはうるさく、もちろん文学の見識を備えた人物だった。大学時代はまったく交流がなかったが、10年くらい前から、数回会い建築の話をする。最後に会った時は書いてみたらと言ってくれたものの、新書向けの題材にどうしてもならず、まあもう少したって角が落ちたら書いてみようなどと思いつつ何もしていない。というよりまだ角が落ちていない。「新書は教養好きのサラリーマンが好んで手に取るようなものでなければいけない」と言いつつしかし、「適当」は許さない信念の持ち主である。と、編集者のことなどどうでもよいのかもしれないが、彼が担当した本は確実にレベルが高いのを僕は良く知っている(正直言うとレベルが高すぎるて彼が言う新書の域を超えている)。楽しみである。

いい波

早朝の電車で松本へ。さすがに冷え込む。9時から会議、10時半に終えて長野へとんぼ返り。帰りの電車で久しぶりにT先生といろいろ話す。大学に着いて昼をとってm2のゼミ。論文は少し形が見えてきた。設計は筋が通ってきたように思う。しかしいかんせんここまで来るのに時間がかかり過ぎ。終わって4年生の進路相談。ご飯食べて、北村ダンスワークショップのオブジェ計画を聞き、八潮の模型を見せてもらう。さあこのあたりからエネルギーが切れるが、がんばって事務所からの模型写真を見る。うーんと唸りスケッチブックに向かうがしばし描いて雑用を思い出す。給与査定の自己申告書を作りメール。再びスケッチブックに向かいしばし描くが名案浮かばず挫け、書架に向かい本を引っ張り出しては眺める。再度、机に座り今度は折り紙をしながら考えるが形がどんどん捻じれ上手くいかない。学生の名前ロゴ考えたりしてついに逃避行動にでる。仕方なく「名案浮かばず」と事務所に返信メール。
昨日読みかけの『単純な脳複雑な私』を読み終える。ルビンの壺をじっと睨み、壺に見えたり、顔に見えたりするのは、脳の電気信号が揺らいでいるからだという。人間は見ようとするものを見ているのではなく揺らぐ脳に身を任せている。外界の刺激がニューロンを通る経路は数多あり、そこで脳に落としていく知覚なるものは刺激に対して一義的に決まらない。この揺らぎのいい波に乗るといい結果が出せて、悪い波に乗ると結果を出せないなんていうことがあるそうだ。今日はいい波に乗れないのか、いい波が来ないのか?

October 28, 2009

記憶

朝方のあずさで松本へ向かう。車中池谷裕二『単純な脳複雑な「私」』朝日出版社2009を読む。以前少し読んであまり興が乗らなかったのだが、最近心理系の本を読んだところだったので興味再開。著者は薬学部で脳の研究をしている方。脳の中でも記憶が専門。この記憶の話が滅茶苦茶面白い。人間の記憶がいかに当てにならないかが書かれている。当てにならない理由の根源は、人間が意識上に上ることだけを覚えているのではなく、意識下のことも覚えているという点にある。それって恐ろしくないだろうか?僕があることに対して何を感じようと、無意識というもう一人の僕がいて、それがその現象を勝手に意識下で記憶して、ある日突然意識上の僕の上にその記憶を送り出してくるのだ。そして何よりも一番恐ろしいのは、意識上の僕はそのことに気づいていないという点である。
まあそんなことが書かれるこの本の中に「直感」のことが書かれている。直感とは理由なき勘のようなものではない。僕が直感で何かを選ぶような場合、それは僕が僕の人生経験の中で培ったものに基づいて無意識化で計算し尽くしたうえに選ばれた極めて論理的(かどうかは別にして)な思考の結果なのである。ただそれが意識されていないというだけのこと。さてこういう直感力がつくのが40くらいだそうで、それを論語では40にして惑わずと言ったと書かれている。30にして立ち(そう言えばその頃結婚した)40にして惑わず(確かにその頃直感的に独立した)50にして天命を知る。(さて今年はその年なのだが今のところ天命には出会えていない)。松本で年に一回の1年生への講義。終わって長野へ、研究室で科研資料の最後のチェックなどなど、、、、明日早朝また松本行くなら今日は松本に泊まれば良かったか???

October 27, 2009

インフルエンザ

C型インフルエンザのワクチンは学生・教員などには割り当てられないのだが、少なくとも季節性インフルエンザワクチンについては各自接種するようにと大學からメールが来た。そのことをかみさに言うと早速行きつけの医院に電話をしたが、もう売り切れと言われた。そこで僕の行きつけの医者に電話をすると未だ残っていたそうだ。無くならないうちにと思い、すぐに行って打ってもらった。2800円。後で人に聞いたら結構安いようだ。ところでこのお医者さん曰く、昨今のテレビも新聞もウソ報道ばかりだという。c型ワクチンの副作用の可能性はとんでもなく高いのに、テレビ、新聞は全く裏を取らない報道なので、さも安全であるかのごとく言う、あれはかなり危険だとか。季節性の100倍くらいの副作用の可能性だという。で、一体どういう副作用ですか?と聞くとショック性のさまざまなこと、、、、、だそうだ。では、接種優先順位の高い妊婦とかまずいでしょう?と聞くと、まずいと思うよと答える。わが事務所の該当者はどうしたらいいのだろうか????近くの定食屋で先ほどの医者の話をしたら、隣の客が、だから一番いい予防法はタミフルがあるうちにさっさとかかってさっさとタミフル飲んで直す。これだそうだ。受験生には特にこれがお勧めとのこと。本当かどうかは知らないが。

継ぎはぎ写真

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この緑の連続性はなかなか都心じゃあ貴重

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丹下さんの代々木はこんな角度もいいよなあ

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竹中のタワーのガラスは奥の方にも同じようなカーテンウォールが見える
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米田さんの建物の印象はまさにこの隣地に挟まれた時の両側の侵入感なんだよなあ

今日は珍しく、じっくりと、長々とスタッフと打ち合わせをした。午前中から飯を挟んで夕方まで、久しぶりに基準法とにらめっこしながら法の隙間をくぐりながらの何が問題化をディスカッション。自分でもあいまいだった点が明らかになったので良かった。いまだに補助金のプロセスは五里霧中だが、設計としてやらなければいけないことは分かっているつもり。でも何が良いかは別問題、、、夕方はまた研究テーマを進化させるべく考え事。フォトショップで写真を合成しながら、一体何が建物とその周りで起こっているのだろうか。こうやって写真を継ぎはぎしていくと普通の建築写真よりはるかに自分が見てきた印象に近いなあと思うのだが、、、

October 25, 2009

隣地の壁でできてます

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朝の雨が止んだ昼ころ、自転車で米田明さんのオープンハウスに行く。家から外苑西通りを外苑の方に行き、右に曲がって原宿の駅前を越えて代々木公園の脇を富ヶ谷の方へ下る。後は地図の能楽堂を目指し進む。昔のモモコマーシャルがあったあたりだ。閑静な高級住宅街。外壁なるものが見当たらず、黒い塩ビ管がf分の1揺らぎモードでワイヤに止められている。2階に上がると米田さんがいた。一体これは住宅?と聞いたら、セカンドハウスだそうだ。なんと贅沢な、犬と過ごす庵だとか。しかしこの揺らぎ格子を通してみる隣地はこの写真の通り打ち放しのかちっとした壁で、あたかもこの家の壁であるかのごとくである。最近周辺環境要素にこだわって建築を見るようになったのでこういう家はとても気になる。自分の家が周辺環境要素で出来ているということである。そして正面の道路からみると、これも当たり前だが、やたら中が透けて見えるわけで、これはこれでこの建物が他の建物に対して周辺環境用としてインパクト係数が高いという感じである。いいものを見せてもらった。現場で植田実さんにお会いした。自らばちばち写真を撮られていた。
オープンハウスを後にして、文化村にちょっと寄ってベルギー幻想美術館展というのをちょいと覗きhttp://ofda.jp/column/来た道をまた戻る。途中ちょっとしゃれた照明、家具屋発見。コンクリートで出来た家型の照明器具がなかなか素敵で(まるでケレツの建築のような)買いたかったが、こういう時に限って、あまりお金を持っていない。また今度にしよう。

October 24, 2009

翻訳って難しい

昨晩、四谷から自宅の間で道路工事をやっていた。明るい風船が白く光るような照明器具が使われていた。何度か車の中から見たことがあったが、歩きながらすぐ近くで見たのは初めて。これが、とんでもなく明るい。オラファーのアートみたいだった。
今日はA0勉強会。やっと第4章「機械的誤謬」に入った。僕らの担当の最後の章。この章はHo君が最初に訳して、誰かと読み合わせて修正し、次にHi君のチームがその訳を再度読み合わせ修正し、そして現在僕らが三回目の読み合わせを行っているわけだ。そして、こんなに丁寧にやっているのにもかかわらず、未だ修正が数行おきに入るのである。翻訳って本当に難しい。こういう状態ならチームを変えてまた読み合わせすればまたきっと何かが見つかるだろう。完全なものにするなんていうことはほとんど不可能とさえ思える。そう考えると世にある翻訳書の陳腐な文章のほとんどは、まあ考えられていないか誤訳であり、それをいくら読んでいても原著者の真意など分かるはずもない。原文を読めという人の気持ちはよくわかる。

October 23, 2009

出張と翻訳

午前中ゼミと講義。午後は大学祭の準備で休校。製図のあるべきに日に製図がないと気分がゆったり。だがその時間に自分が司会の会議を入れる。終わって雑用していたら夕方。お腹が空いてきたところに学生のご飯の誘い。食べずに帰ろうかと思ったが食べてから帰ることにする。車中、村山久美子『視覚芸術の心理学』誠信書房1998を読み始める。なんだか日本語がこなれていない翻訳本だなと思って奥付を見たら著者は立派な日本人。と分かったら読む気が失せて眠ってしまった。買わなきゃよかった。タイトルに騙された。四谷の駅から自宅の間にサラリーマンで賑やかな飲み屋がある。ビールケースをひっくり返した椅子で気楽な感じ。そう言えば今日は金曜日。楽しそうだなと思いながら飲み屋と反対側の本屋に立ち寄る。山形浩生の「翻訳本の解説ばかり集めた本」が新刊コーナーに平積みである。本のあとがき(まあ正確には解説だが)ばかりあつめて本にできるなんてこの人くらいだろう。その本の、そのまた「あとがき」を立ち読みする。彼は何十冊という本を翻訳しているがそれを常に出張先(彼は立派なサラリーマンである)のホテルで仕事がオフの時にしているそうだ。外国出張を羨ましがる人もいるが、旅行で行くのとは大違いで行きたくもないところ、見たくもないところを見ざるを得ない。だからこの仕事は羨ましがれる様なものではないという。そして翻訳という作業もそれに近く、書きたいことを書けるわけではなく著者のいやなところも馬鹿なところにも付き合わざるを得ないのだという。しかし出張で外国に行くのも、翻訳で著者に付き合うのもどちらもいやなところもある一方、自分の知らぬ世界に連れて行かれる魅力もあるのだという。短いあとがきをそれなりに読ませてくれるのはさすが山形。しかし一言言えば、出張で外国にいくのはなんたって楽しい。飛行機乗れば電話も来ないし、土日は休みだし、それが証拠にあなたはオフの時間にこれだけの楽しい翻訳ができたではないか。言葉の上手な人はどうも上滑る時がある。

October 22, 2009

浮き出ることまとまること

午前中クライアントと打ち合わせ、中国の可能性など話す。事務所に戻り昨日の続きを考える。昨日は環境心理だったが、今日は視覚心理の本(大山正『視覚心理学への招待』サイエンス社2000)を読む。ここでまた面白い概念に遭遇して目から鱗である。それは「見えのまとまり」という概念。似た者同士は一つのまとまりに見えるというごく当たり前のことである。そういう話はどこかの心理学の本で読んだ記憶があるが、忘れていた。つまりⅰ同じものなら近くにあればまとまる。ⅱ距離が同じなら同質なものがまとまる。ⅲ閉じた形を作るとまとまる。ⅳ連続性があるものはまとまる。ⅴ単純で規則的で左右対称な形はまとまる。などなど。今まで建築物と周囲の馴染みは図と地だけが鈎概念だと思っていたのだが、このまとまりの概念の方が遥かに使えそうである。つまりある建築物が周辺環境要素とどの様に郡化するかということをこれらの既知のルールが教えてくれる。例えば、伊東さんの葬祭場のように真っ白い建物は周囲の緑からは図化しやすそうだ(図化がおこる最大要因は図と地の輝度差だそうだ)一方で流れるような曲線の屋根は周囲の山並みの曲線と連続することでその部分は形のまとまりを作るわけである(なんて見たことないから想像上の話だが)。あるいはこの間ブエノスアイレスで見せてもらったロベルトの設計したビルは隣の古いレンガビルをレスペクトしてレンガでできている、一方この街並みにはレンガビルはこの二つしかない。ロベルトのビルの形は少々暴れているので形の図化が起こりそうなのだが、隣の古い歴史的なビルと同質なまとまりを見せている。つまり図として浮き出ようとする建物を周辺環境要素につなぎ止める役割としてこの見えのまとまりは貴重な手法だろうし、こうした図化と郡化の同時現象はある種の緊張感を生み建築にエネルギーを与えているようにも思うわけだ。

October 21, 2009

退屈したら、、、

朝のアサマで東京へ。スペイン語を聞いていたら心地よく眠りに入った。東京長野10分という感じである。丸善で視覚心理と環境心理の本を買って家に寄ってから事務所に。UBA(ブエノスアイレス大学)のロベルトからメール。質問していた大学院の学費の返事が来た。us$200だそうだ。まあただと同じだ。大学の学務から国際大学間協定の雛型を送ってもらったのでこれをロベルトに送る。早いところ協定を結びたい。
補助金の関係で事務所の仕事が少々スローになっている。チャンスとばかり、昨日来の研究テーマの続きを考える。環境心理学の本(羽生和紀『環境心理学』サイエンス社2008)を読むと面白いセオリーに遭遇。人はどのような気分の時にどの様な環境に好感をもつかというセオリーである。それによると人は退屈している時は(覚醒水準が低い時)おっと驚くような環境を好み、興奮している時は(覚醒水準が高い時)落ち着いた環境を好むという仮説である。このおっと驚くは正確に言うと4つの要素があって①不調和②新奇制(見たこともない)③驚き(予想とかけ離れている)④複雑だそうだ。なるほど、今まで僕の知る限りの定説では、建築は環境と調和することのみにポジティブな価値が付けられていたがこの説はそうでもないところが面白い。ちなみにこの理論は「バーラインの対比の特性と覚醒モデル」という名前である。何かに使えるかも?

October 20, 2009

新たなテーマ

あーやっととりあえず書いた科研書類。一日かかるものだ。科研書類をいやだと思わず、自分の建築論を徹底して考える紙だと思ったら急にやる気が湧いた(今朝のことだが)。まあこれでお金をもらえるとはあまり思っていない。お金とれそうな路線は敢えてとらなかったから。やはり興味のあることを突き詰めたくなる。そしてそれを徹底してやってみるととこんな風になるという書類になった。まあできることなら、お金出そうな書類と、やりたい書類の二本立てというのがいいのだろうが、それはお上が許してくれない。そりゃそうだ。
まあしかし徹底して考えてみるのはいいことだ、装飾論と山岳建築をそれぞれ一歩超えた少し面白いテーマと概念が生まれたぞ。「視覚的周辺環境対話型建築の設計指標の研究」というテーマ。建築の図像性と地像性という二つの概念も生まれた。これは修士論文のテーマで誰かにやらせたい。のだが、、、みな設計やりたがるからなあ。来年の4年生にしようか??

October 19, 2009

さっさとやらないと

朝一のアサマで大学に。午前午後とゼミ。夕方教員会議。今日は出席者がなぜか少ない。そのあと教授会。終わってから週末の上越でのトークインの話を聞いたり、博士課程へ行く人間と話をしたり、技術報告集の論文の検討をしたり、来月頭の北村さんのワークショップの話をしたり、なんやかんやで夜。学食は終わったので近くの中華で学生と夕食。食後急に頼まれた奨学金の推薦書を3つ書いて、明後日締め切りの科研の書類を書き始める。書きながら10月末に締め切りの書類がちらつく。加えて気になって手をつけなければいけない雑務もちらちら、そんで持って頼まれている原稿が二つ全く手がついていないことに気づき胃が痛む。まあさっさとやらない自分が悪いのだが、やる気が起きないことはつい後回しになってしまう。

October 18, 2009

伊藤君の新作

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朝早くかみさんが義姉と四国に出かけた。間もなく娘が英検の試験に出かけ、僕は大学の書類を作ったりしていたらマンションの管理人さんがやってきた。下の階の機械室が水浸しなのだがその水が僕の部屋から垂れていると言う。確かに見てもらうと我々の家の機械室のとある部分から水が出て床が60センチ四方くらい濡れている。いや参った。パイプのバルブを閉めてもらい水は止まったのだが、、、、
午後伊藤君のオープンハウスに出かける。駒場東大前の住宅街に建つ5階建ての集合住宅である。各住戸は薄いこげ茶色の広間に面して少し天井の低い白い水回り諸室が洞穴のようについている。この関係性は面白いもので天地を90度回転してもその前後で空間性が維持される。写真を見よ。家に戻り書類の続き。風呂に入りながらコリンズの『脱常識の社会学』を読む。第一章は合理性の非合理的基礎。稲葉振一郎の書いていたネタ発見。稲葉さんの本は新書だからまあ註なしでもいいだろうけれど全く同じことがここに書いてある。社会契約論が国家の基礎だとホッブスは言ったわけだが、世の中を合理的に考えたら契約は成り立たない。なぜなら契約を破る方が儲けを理とすれば、合理だからである。だから社会が成り立つのは合理性によるからではなく、道徳性という非合理なものによるのであると説く。なるほど、それが脱常識ということである。

October 17, 2009

ローマを思い出す

6時に起きて大学に行き、一つ雑用を終わらせてから7時半のアサマに乗る。ちょっと寝不足で車中熟睡。東京駅から日暮里に出て、モノレールにのって二つ目でおりて赤の家に、10時の約束がモノレールを降りてから迷った。行けば分かると思っていたが、右も左も前も後ろも同じ光景である(に見える)。1時間ほどで用事を終えて上野に行く。知っている人(の知っている人)がキュレーションしている「ローマ帝国の遺産」展を見る。結構な人出である。アウグステゥスの話が沢山登場。中学の世界史の時間を思い出す。世界史はローマから始まるから中一の中間テストはローマであった。今でも忘れない、試験はたった一問。しかも確か問題は事前に提示されていたように思う。「ポエニ戦争はなぜ起きたか?」これだけである。正解は忘れた。展覧会を見終わりミュージアムショップに行ったら、山川の世界史図解年表が800円で売られていた。ミュージアムショップで高校の参考書が売られているというのもすごい。昔の世界史年表に比べたら隔世の感がある。カラーで写真も豊富で実に分りやすい。家で見せたら、皆に羨ましがられるほどの見やすさであり娘にとられてしまった。帰宅後ランドル・コリンズ (Collins, R)井上俊、磯部卓三訳『脱常識の社会学』(1982)岩波書店1992を読み始める。前に読んでいたコリンズの『社会学の歴史』の約10年前に書かれた本である。これも稲葉さんの本の読書案内に出ていたものである。目次とあとがき読んだところでやることをいろいろ思出す。原稿の修正してメール、レクチャーシリーズのメール、、、、、

October 16, 2009

シュート板に向かう能力

朝一でゼミ、1時間の即日設計は徐々に皆の力になっているような気がする。まあこういうことは慣れと練習である。インステップキックを蹴れるようになるには1時間でも2時間でもシュート板に向かってキックするしかないのである。2コマ目のデザイン論の講義を終えて昼飯。研究室の院生が新建築の住宅コンペに佳作になったと喜びの報告。この間は新人生優勝。先日も何かのコンペで一次を通り二次審査に残ったと連絡があった。徐々にこういうのにも入るようになってきたようである。社会構築論者であり、ヒュームが言うように社会は習慣で動くと考えている僕にとってはこうした現象は伝播するだろうと楽観的に考えている。つまりどんどん次の学年に伝染するだろう。教育や、慣習などが、学生を作り上げていく、決して才能などではない。才能があるとすればシュート板に向かう才能だけである。午後の製図のエスキス。夜夕食を食べながら技術報告集のチェック。ラーメンが口から飛びそうである。終わって八潮のポスターを見る。まだまだ。もう少しやらないと恥ずかしい。明日は上越のトークインに真理さんに呼ばれて参加する予定が、急遽クライアントに呼ばれ東京に、、、、、

事務所の役割分担

午前中ののぞみで大阪へ。夕方日建の集まりがあるのだが、せっかくなので国立国際美術館と弁護士会館を見る。美術館は全面地下化されエントランスが巨大彫刻となっている。ペリの設計である。エントランス周りから差し込む光が地下3階まで落ちていくような設計である。ちょうど長澤英俊の展覧会が行われていた。この建物は東工大の同級生だったキースが卒業後ペリ事務所にはいり担当していたもの。ディテールはたいしたことないが、大きな作りはやはりうまい。美術館を後にして車で弁護士会館へ。これは日建大阪の江副さんの設計。彼は日建の中ではもっとも上手な設計者の一人。スレンダーな柱梁のフレームの裏にガラスの箱を置く設計は僕の長野県信と同じスタイルだが、その細さ、薄さは見事である。またマテリアルがとても凝っている。それでいていやらしくない。思わずうなる。
全日空ホテルへ向かう。年に一度行われる日建のOB会である。300名近い懐かしい顔ぶれ。全役員も出席する。不況のこの時期に未だにこういう催しをし続けられるこの会社は怪物である。久しぶりに会長、社長とも会い比較的ゆっくりとお話ができた。しかし日建をやめて早10年。少々空気の違う世界で生きていると、懐かしいとともに別の世界にきたような不思議な感じもある。
そもそも日建のような会社は社会のエスタブリッシュメントを相手にし、そのクレビリティを売りに生きている。エスタブリッシュメントとは一般的にやや保守的だし、慣習的である。当然その依頼もそうしたものにならざるを得ない。その意味では原理的に日建の役割とは新しい何かを作ることではなく、すでに確立されてきた何かを洗練して、確かなものとすることなのである。今日見た弁護士会館がまさにそれを表している。一方アトリエ事務所とはエスタブリッシュメントから仕事を頼まれることは少ないし、築き上げてきたクレディビリティなど比較的少ないわけで、その意味では自由であり、新しいチャレンジをしやすい。あたりまえかもしれないが、そうしたずれを久しぶりに会って話をすると感ずるのである。しかし一方でアトリエの自由さ革新性は常に可能かというとそうでもない。ランドルコリンズの『社会学の歴史』の闘争理論を読みながら思うのだが、革新的なことをする人たち(革命家)はどうも貧困の闘志などではないのである。彼らは裕福な余裕の人間たちだろうと思われる。マルクスもエンゲルスと言う富裕な友人の支援があったからこそ闘争の思想に没頭できたのである。建築もしかりだろう。食うに追われて革新的なことなどできるわけもない。のぞみ、あさまと乗り継ぎながら車中そんなことをつらつらと思う。

October 14, 2009

技術報告集

昨晩は研究室の技術報告集にひたすら赤を入れ、今日は人の技術報告集を一生懸命読んでいた。たまにこういうものをきちんと読むのも頭をクリアにするのには悪くない。しかし改めて技術報告集の応募規程をきちんと読むと、実際に建築をした中で新たな技術や、計画について報告することがうたわれている。黄表紙一歩手前みたいな言い方をする人がいるが、主旨はかなり異なる。新たな技術の報告なのである。少し自分の設計を振り返り、新たな技術について報告してみるのも悪くない。そう考えると一体新しい技術とは何か?はたと考えてしまう。午後アルゼンチンの展覧会レポートのゲラチェック、100字意見を加筆してほしいとの要望、こういうのが実に難しい。たった100字しかないわけで、、、、終わってひたすら書類作り。結構骨が折れる書類である。3種類作るのだが、文言が分らない。頭をひねる。夜になると突如雷雨。

October 13, 2009

ルネサンスの知的活動

8時半の「かいじ」で甲府へ向かう。補助金の出る時期が少し遅れそうなので、設計のペースも少しスローになった。うまくやらないと気が抜けたビールのようになってしまうので、少しずつきちんと進めていかないといけない。ぺースの保ち方が結構難しい。
行き帰りの車中ランドル・コリンズ (Collins, R)友林敏雄訳『ランドルコリンズが語る社会学の歴史』(1996)有斐閣1997を読み始める。この本は稲葉振一郎の本の『社会学入門』の読書案内に出ていたものである。第一章「社会科学の誕生」の中でルネサンスのヒューマニストたちの知的活動について記されている。当時は書籍のマスメディアはもとより印刷技術も発達していなかったので、彼らの活動は「生で見る一種のスポーツとして普及した」という話が愉快である。つまり彼らはエンターティナーだったということだ。そして科学は娯楽であったとさえ書いてある。最近科学エンターティナーのような方がいるが、ダヴィンチなんて言う人もそういう感じだったのだろうか?

西沢大良氏の林業センター

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8時に朝食をとり、まずO君の設計した住宅を見学させていただく。家族3人で暮らす家が約50坪というのは東京と比べるとゆったりしている。ディテールも骨格も面白い。北海道に居ながらにして(O君は北大の先生)九州の仕事をするのはかなり大変だろうがディテールもきちんとできていた。延岡から熊本へ。産業遺産の水道橋(通潤橋)を遠目で見てから、西沢大良氏の林業センター(実質的には体育館)を見る。熊本アートポリスの一環のコンペ作品。外装のカーテンウォールが汚れて透明感が無くなってしまっているが、木構造のしなやかなデザインは昨日の内藤さんを圧倒している。力の流れが想像できないところが形の非慣習性を生んでいる。見事である。今回の建築見学旅行の中で最も刺激的。車の中でメールチェック。槻橋さんから全国学生設計新人戦の結果が速報でメールされていた。信大の3年生が最優秀新人賞に輝いたとのこと。嬉しい限り。めでたい。
さて後は一路福岡空港を目指すのだが、こともあろうに20キロ先で工事渋滞のサイン。連休の最終日の昼間に工事はないだろうと思ったが、一か月続いている大工事。まあ仕方ない。あるところでピタッと車が止まった。まったく動かない。飛行機は6時、時間は迫る。空路をあきらめ陸路「のぞみ」へ。7時頃発の最終で約5時間。幸運にも座れる。
車中スチュワート氏と建築談義。ヨーロッパ、アメリカ、日本の建築論から、ゴシップまで。スターン、シザ、ペリ、マイヤー、篠原、原、磯崎、槇、などなど。1年分の建築の話をし尽くした(ような気分だった)。気がついたら品川。そして東京。家に着いたのは12時ちょっと過ぎ。とりあえず帰れたことに感謝。

October 11, 2009

武田&内藤

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午前中に湯布院から1時間程度のところにある藤森さんの設計したラムネ温泉なる炭酸のはいった温泉を見に行く。もちろん温泉にも入る。外観のディテールはほとんど焼き杉ハウスと同じだがスケールがとても小さく親近感がわく。近くのパン屋でパンを買って昼飯として、山を越えて宮崎を目指す。延岡を通過して高鍋へ向かう。ここには百年の孤独で有名な焼酎の蒸留所がある。設計は篠原研の先輩である武田光史氏。本社の焼酎工場を見学し、山の上にある蒸留所を見学する。ズントーと見まごうばかりの黒い杉でできた外観。鉄骨造の外側に木の外壁が張られ、外壁と屋根の間の隙間が屋根を浮かせて見せている。お見事である。そこから日向のJR駅に向かう。もうあたりは真っ暗である。日向駅は内藤さんの設計。駅の高架に伴い線路の両側を自由通路で接続をするとともに高架プラットフォームの木造屋根架構などがデザインされている。実に美しい。JRの駅舎設計にはいろいろな制約があるだろうがそれらをうまくかわし見事な成果を見せている。たぶん普通の条件をかなりはずすことでここまでできているのだろうから、デザイン以前の問題を解決したことがここに結晶化しているのだろうが、それにしても見事である。空腹のなかここまで来たかいがあった。

October 10, 2009

25年ぶりのゼミ旅行

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朝のスカイマークで福岡へ。スチュワート研究室の25年ぶりのゼミ旅行である。学部4年の時に西洋建築史の卒論を書きたくて当時外国人教師として英語を教えていたD.B.Stewart氏に指導教官をお願いした。しかしStewart氏は建築学科所属ではないので規則上は指導教官になれない。そこで当時の学科長である篠原一男にお願いしたところ快諾を得た。とは言えわれわれ同期3人、そして下の学年2人の後、篠原先生が学科長を終えたことでこの研究室もなくなってしまった。スチュワート氏はペン大を出てロンドンのコートルードでコルビュジエ論の博士を取り、パリでアルシテクチュールドジュードウィの編集をして日本にやってきた。その後英語教師をしながら日本の雑誌に多く寄稿し、the making of Japanese modern architectureを著した人。と言うわけでわれわれ同期は全員コルビュジエ論を英語で書いた。後輩は二人ともカーン論である。5人のうち2人はアメリカ東海岸に、僕は西海岸に、一人はオランダ、一人はイタリアと皆世界中に留学したり仕事に行ったり、今は大学で教えているのが二人、鹿島に二人、竹中に一人。久しぶりに会うと世界中の話題で楽しいものである。
今日は福岡で会ってグリングリンを見てから大宰府に向かう。大宰府にある菊竹さんの設計した九州国立博物館を覗いてから湯布院に。特にどこを見ると決めて来たわけでもなく、見られるものを見ながら進もうと言う適当な旅行である。昼はラーメン。チェーン店で東京にもある一蘭という店。初めて入った店だが味に集中するため(本当か?)に隣との間に敷居板がある。

October 9, 2009

アルファベットも覚えてこない人に英語を教える必要があるのだろうか?

毎年大学の健康診断を受けなければいけない。二日間しかないから講義やゼミがあると受けられない。受けられない人は松本の○○診療所に勝手に受けに行ってくださいねとメールが来る。今朝もゼミだったがゼミをちょっとさぼるしかない。友人の医者に聞くとあんなもので病気が発見できることなどない、ただの気休めだと言う。まあそうかもしれない。確かに全体がいい加減である。今年は身長が1センチ伸びたし。しかし気休めでも、いや気休めとして毎年やってくれるのはありがたいと言えばありがたい。
遅れてゼミに行く。この春からゼミの1時間を使って即日設計をしている。後期からは3年生でも出たい人はどうぞとオープンゼミとした。これは結構楽しい。3年からm2まで全員で即日設計である。先輩ものんびりしてられない。いつもは先輩風を吹かしているひとがこんなものかとバレテしまう。まあ1時間の即日設計はテクニックだから建築の本当の力が現れるとは思わない。言ってみれば受験のようなものである。でも受験勉強だってばかにはできない。僕らの(僕の)知識を形成している何パーセントかは受験時代のものである。若いころに真剣に覚えたことは忘れない。学生の頃に必死に身につけた力は一生残る。それにしても毎週やっているのに上達する意思のない人たちがいる。何も素敵なデザインをしろとは言わない。目を見張るような空間を作れとも言わない。せめて線はまっすぐ引いて、字は同じ大きさでで書くだけでいい。毎度同じ指摘をしてもそれをやらないのはもはやその人の能力の問題とは思えない。努力しないだけのことである。英語をしゃべるのにアルファベットを覚えてこないのと同じである。そんな輩にに英語を教える必要があるのだろうか?

October 8, 2009

ダーヴィニズムエレメント

朝起きたら雨は降っていないし風もたいしたことはない。台風はそれたのだろうかと思ったがニュースをつけるとほうぼうで電車が止まっている。加えて明け方近くにはとんでもない雨が降っていたようだ。そのせいもあって午前中に予定していた金箱さんの打ち合わせは夕方に。空いた時間に塚本さんから送られてきた『空間の響き、響きの空間』INAX出版2009をぺらぺらめくる。コスタリカでの壁のない外部とつうつうの吹きさらしの小屋のようなホテルの体験を描いている。ここではもののあり方(ホテルの物理的環境)がやり方(ホテルの運営の精神)によって支えられており、こうした関係性は近代的思考からは抜け落ちていた部分であると指摘する。そしてそこにこそ空間の響きがあるはずだというのが彼らの主張である。なるほどわからなくもない。いやよく分かる。しかし問題はそこからである。なんて考えていたら金箱さんが来られた。RC3階建の壁構造の壁位置を合わせる作業はパズルのようである。そもそも壁構造の経験は角窓しかない。あのときはほとんど平屋だから壁の位置は自由だったが今回は千㎡を超える3階だてだから上下階の壁の微妙な調整がデザイン以前に必要となる。
打ち合わせを終えて夜のアサマに乗る。ローティの参考書を読み終えたので再び『連帯と自由の哲学』を読む。その中にプラグマティストを自称するローティなりのプラグマテイズムの定義がある。曰く「プラグマティズムの核心は真なる信念を『事物の本性』の表象と見なすのではなく、うまくことをなさしめる行為規則とみなそうとするところにある」。つまり物事の正しさはその物事の本質にあるのではなくその物事がうまく進むためのふるまい方のうちにあると言っている。これは昼間読んでいた塚本さんたちの考え方にラップする。つまり「あり方」と「本質」、「やり方」と「行為規則」という概念がかぶると言うことなのだが、しかし問題は行為規則にしても、やり方にしてもそれらは常に試行錯誤の上でダーヴィニズム的に発展していくエレメントである。そうした変動要素を建築はどう捕まえられるかというところがポイントだ。僕にとっても建築において最も興味ある部分である。

October 7, 2009

台風縦断

科研費応募の季節である。大学というところに来てからこれを出すことを促されて、まあ一生懸命書いているつもりなのだが未だに採択されたことはない。建築意匠系というのはどうにも社会のためになるように見られない、加えて研究と言う概念に当てはまりにくいせいか採択されない。さらに僕がやっているような建築でありながら社会学のようなこと(メディア論)や建築でありながら美学のようなこと(装飾論)はどうも相手にされない。残るは一昨年から始めたリノヴェーション論。これなら明確に建築の中に保存再生というジャンルがあるからひっかかりそうな気もする。とは言え、なかなか大きなお金をもらって行うほどの独創的な視点が見つからない。いやお金があればそれなりにやれそうなことはあるのだが、そうした研究は最終地点がずれる。研究は設計のためにやっているのであってそれ以外の何物でもない。研究のための研究を無理矢理作り出す気にはなれない。
恐怖の台風が速度を上げて予定より一日早く今晩本州を縦断予定。一日早まったのは総雨量も少なくて済むだろうから結構なことだが、加えて進路がやや西寄りに変わったのは不安である。信大に来てから初めて台風で休校のメールが送られてきた。そもそも長野は台風が来ない県であり、だからガラスの耐風圧計算も基準が低いくらいの場所なのだ。そのおかげで長野に設計した建物はかなりガラス代が安かった。にもかかわらず大学が休校になるほど確度が高い台風接近とはちょっと不気味である。

October 6, 2009

最初のクライアント

昨日の取りこぼし案件の会議が8時半から。というつもりで目覚ましもセットしてあったのだが起きたら8時半だった。昨晩ちょっと遅くまで研究室にいたせいか?着のみ着のままで会議室に直行。そうしたら僕が最後ではなかったのでほっとした。終わって研究室で数か所メールして、さあ出ようと思うと、やるべきことを思い出す。そしてまた出ようとすると、また思い出す。そして駅に着いてさあ電車に乗ろうと思ってそう言えば昨晩深夜に洗った洗濯物が洗濯機の中に入ったままであることを思い出す。一度マンションに戻り干してから駅へ。結局乗った電車は昼。2時に来る来客にお詫びして時間を遅らせてもらう。
車中引き続き『リチャード・ローティ』を読み続ける。なかなかヴォリュームある本である。昨日書いたとおり極めて馴染みやすい話が続く、しかしローティにしばしば向けられる批判がそうであるように、こんなにいい加減ではあなたの主張って意味あるの?って言いたくなりそうである。でもやはり強い思想性を感じるのは①「残酷さ」と「苦痛」の減少②私的自由の保護というこの2点を除いて思想の一貫性と呼ぶべき様なものを徹底して排除するその姿勢。この排除への執着に彼の強靭さを感ずる。弱さを強く表すことは魅力的である。
事務所に戻り僕の最初のクライアントと打ち合わせ。建物は別荘。日建時代に夜中設計し、20年前にSD REVIEWに入選した懐かしい作品。メンテナンスをはしょったところ雨漏りがひどくなってきたとのこと。20年たち当時の施工者は倒産し、地元の工務店を数社探し見積もりをとって持って来た。不思議なもので全く同じおさまりの屋根でもダメになったり調子が良かったりである。太陽の方向や、木の有無で変わるのだろうか?クライアントは僕の中高の同級生。同じクラブで運動していた仲である。飛行機の仕事がしたく航空学科に行ったのだが、中退して家業の河豚屋を継いで約30年。店を賃貸にしてさっさと隠居生活を始めた。3人の子供はみな就職。確かに残りは夫婦水入らずの時間だろうが少々早くないか?

October 5, 2009

鏡の否定

午前中学科会議。大した議題はない割には結構時間がかかる。もう少しさっさと議論できればと思うのだが。午後は修士2年のゼミ。後期になれば少しは、こう、ギアが高速にはいるかなと思っているのだが、のんびりしている。まあ自分の子供を見ていても思うのだが、とにかくのんびりしている。これは現代っ子のいいところでもあるのだろうか?神経質になって病的になるよりいいだろうと思って放っているのだが、、、、夕方M1と面接。就職や論文について方針を聞く。時間がたつのはあっという間。気がつくとM2になっているだろうからさっさと修論をスタートするようにアドバイス。
夕食後読みかけのローティを読むための参考書として読み始めた大賀祐樹『リチャード・ローティ――リベラル・アイロニストの思想1931-2007』藤原書店2009を読む。その中でローティの哲学史観における3つの転回が興味深い。一つはデカルトにおける存在論から、認識論への「認識論的転回」。二つ目は20世紀前半英米圏での言語哲学登場における「言論的転回」。3つ目は知識が相対化する中での「解釈学的転回」である。そしてその3つの転回を通してローティが到着するところは哲学が本来目指していた普遍、真理、存在といったものを映し出す人間の内面の鏡のようなものの否定である。そこにローティなりのプラグマティズムがある。そして重要なのはそうした一見ポストモダニスト的でありながらポストモダニストと異なる彼の特徴である。それは彼が厭世的なシニシズムに陥ることなくそこから建設的な参加、合意、希望へと向かう筋道を示している点である。そしてそこに示されるのは自文化中心主義という概念。ちょっと聞くと排他的に響くこの言葉だが、これは様々な価値観の並置を外側から傍観者的に眺めるのではなく、リアルに試行していく上で避けられない解釈の立脚点としての意味を持っている。現代の思想家のなかで彼の考えには比較的頷くところが多い。自分がおぼろげに思っていること:知識は相対的だとか、議論のスタートは現実にしかないとか、それでいて世の中を良くすることは可能だとか、こんな気持ちをローティは代弁してくれいているような気がする。

ikea

昨日、曽我部が港北のイケアでの買い物の話をしたら三郷にもできたとイケア話題は尽きなかった。そしたら今日家族がイケアに行くと言うのでくっついて行くことにした。東京駅から30分。ちょっと遠いが行ってみれば確かにここは結構楽しい。巨大倉庫に並べられた家具、雑貨、食糧などなど。安いし、なんでもあるし、とにかく広くて順路に沿って歩いていくとディズニーランドのアトラクションのようでもある(最初だからだろうが)。アウトレットコーナーに並べられたステンレスの机や巨大書架などキズものだがとんでもなく安い。事務所にはまれば最高と思うようなものも多い。レストランでは種類は少ないが安く、ソフトクリーム50円、コーヒー80円。夜に行ったから2時間で閉まったが、時間があればもっといただろう。東京駅にもどり僕はそのまま長野へ。車中アレッサンドロ・バリッコ(Baricco, A)鈴木昭裕訳 『絹』白水社(1996)2007を読み終える。アルゼンチンでの日本建築展のタイトル「antipodas」はこの小説の中からとられたと聞いたので読んでみた。イタリアのベストセラー小説である。南フランスの養蚕農家のために良質の蚕の卵を求めて日本に行った男に刻まれる官能の記憶。帰国後受け取る日本語の手紙が妻エレーヌからのものであることを彼女の没後に知る。メロドラマだが美しい。高校生のころ一時凝った立原正秋のようである。それはいいとして絹を求めて向かった「世界の反対側にある国」は謎に満ちた美と官能の国であった。そのエキゾチシズムは典型的なオリエンタリズムのように思える。アルゼンチンの建築家にとってもやはり日本はそういう姿で捉えるのが分りやすいのだろうか?まあ展覧会のタイトルなんてものはどうやったって一面的にならざるを得ないのだろうが。

October 3, 2009

八潮

八潮のワークショップに朝から出かける。アルゼンチンに行っていたので会合を一回さぼった。槻橋さんは10月1日より神戸大学に移られたとのこと。ついにこの5大学合同街づくり運動も北は仙台から南は神戸まで。オールジャパン的な様相を呈してきた。天気予報は晴れだったのだが八潮は雨がひどい。午前中の家づくりスクールも残り一回。実際に作る可能性はいかほどか?昼食後市長が合流。明日各地で開かれる運動会の天気が心配なようだ。八潮は土地が低く水はけが悪いので前日雨だと次の日は土がぬかるとのこと。しばし市長と雑談。その中で市長曰く「日本の大学の建物は味もそっけもないマッチ箱、もっと勉強する意欲がわく建物でなければ」と。多くの大学の校舎は戦後新制大学が生まれた時に作られた安普請。そしてそのころできたであろう設計基準が改善されないので相変わらずマッチ箱が再生産されているのである。午後はモデル住宅の各大学のプレゼン。このモデルには八潮のエキスがたまってきたように感じられる。1年もやるとそれなりに諦めと、覚悟ができるということか?夕方解散して帰宅。帰って昨日のローティーの続きを読む。

October 2, 2009

マジな建築

後期の講義が始まった。前期に比べ、後期は非常勤がないのと講義時間が少ないので楽なのだが、時間割が悪い。金曜2コマ目は2年生のデザイン論。長野にやって来た新らしい建築学科生と初めて会う講義である。さて今年はいい学生がいるだろうか?楽しみである。今日は一回目でもありアルゼンチンのスライドを披露する。まあ寝ている学生も相変わらず多い。こういう輩は頼むから来ないで欲しい。選択授業だから取らないでほしいのだが、それでもとるのは授業のチョイスが少ないからだろうか?ああ先生が少ない。やれやれ。外国の大学の建築の先生が聞いたら、日本の大半の大学の建築学科なんて建築教育の体を成してないと思うだろうなあ。文科省の役人よ海外視察しておいで。あほみたいな電子黒板買う予算があったらもう少しマジな教育のこと考えてみたら?
この間面白い話がネットに転がっていた。スペインの事務所に就職しようとやってきた日本人が事務所のセクレタリーに大学の卒業証書を見せたところ、セクレタリーはその卒業証書にfaculty of engineering と書いてあるのを見て、「うちは建築の卒業生であることが条件だよ」と言って相手にされなかったという話。
午後は2年の製図「住宅」。学生とともに敷地見学。今年も場所は須坂。この敷地見学のころになると雨が多い。今日もかなりの雨である。
長野駅でたらふく夕飯を食べてからアサマに。車中、先日ブログで勝也君にサジェストされたローティ(Rorty, R.)富田恭彦訳『連帯と自由の哲学』(1988)1999を読み始める。前のブログで科学と宗教はどちらも人間社会の似たような現象だと書いたら、そういうことをローティーも言ってますよと勝也君に指摘された。それでこれを読んでみるとなんだか難しいのだが、確かになんとなくそんなことを言いたげである。プラグマティズムというものは宗教を科学のようにして、科学を宗教のように考えるのだと。はたまた自然科学に比べると人文科学なんてものは真理に到達しないぶんだけいい加減なものかと言えばまあどっちもどっちだというようなことも書いてある。へーまあ適当。こういうものの言い方はきっと戸田山さんのような科学実在論を信望する方からするとちょっと困るという感じなんだろうなあ。日和見な僕はどちらもいいような気がするのだが、というかそのどちらも許容するような考え方はないかと思ってしまうのだが。つまり時と場合によってということなのだが、そりゃあまりにいい加減か??

October 1, 2009

もの書きは大変

1時に塩山に着く。朝東京は涼しかったが塩山は快晴で暑い。テーテンス事務所の方3人と施設へ向かう。予算書の話を終わらせ、今日のメインテーマである設備システムの方向性の検討。ガスか電気か?1000㎡程度のこの施設ではGHPがイニシャルもランニングも有利との見解。GHPを使うのは初めてなのでちょっと不安。夕方の電車で皆は東京へ、僕は長野へ。今週は山梨から長野へ向かう日が続く。車中昨日の読みかけ本を読む。『日本の統治構造』は面白い本だが、後半部は少々細かすぎて僕には不要な情報が多い。新書は新書程度の書き方でお願いしたい。飽きたので竹内さんの本で知識のアウトプットの方法を読む。ものを書くときは先ずは誰に向かって書くかが重要であると記されている。先ほどの本を思い出し、新書は門外漢を念頭に置かなければと思う。次にプロのもの書きとは何かという話が書かれている。印税だけで食べていける人がプロと呼ぶにふさわしく、サイエンスライターでそう呼べる人は彼を含め日本に10人はいないそうだ。文学の世界でも今や印税だけで生きていける人は少なく、大変なので大学の先生との2足のわらじが結構いるらしい。確かにねえ。本当のプロはそれだけで飯が食える奴でなくては。昔、音楽をやっていた時。僕の先生が「私はプロとは言えない」と言っていた。その方はもちろんコンサートもやるような人だったが、「プロは人に教えている時間などない」のだと言っていた。
芥川賞を受賞してもその中で残れるもの書きは一握りだそうだ。建築学会賞受賞して建築やめた人など聞いたことがないし、大学の先生やっているから2流と言われることもない。いやーもの書き目指さなくてよかった。