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出張と翻訳

午前中ゼミと講義。午後は大学祭の準備で休校。製図のあるべきに日に製図がないと気分がゆったり。だがその時間に自分が司会の会議を入れる。終わって雑用していたら夕方。お腹が空いてきたところに学生のご飯の誘い。食べずに帰ろうかと思ったが食べてから帰ることにする。車中、村山久美子『視覚芸術の心理学』誠信書房1998を読み始める。なんだか日本語がこなれていない翻訳本だなと思って奥付を見たら著者は立派な日本人。と分かったら読む気が失せて眠ってしまった。買わなきゃよかった。タイトルに騙された。四谷の駅から自宅の間にサラリーマンで賑やかな飲み屋がある。ビールケースをひっくり返した椅子で気楽な感じ。そう言えば今日は金曜日。楽しそうだなと思いながら飲み屋と反対側の本屋に立ち寄る。山形浩生の「翻訳本の解説ばかり集めた本」が新刊コーナーに平積みである。本のあとがき(まあ正確には解説だが)ばかりあつめて本にできるなんてこの人くらいだろう。その本の、そのまた「あとがき」を立ち読みする。彼は何十冊という本を翻訳しているがそれを常に出張先(彼は立派なサラリーマンである)のホテルで仕事がオフの時にしているそうだ。外国出張を羨ましがる人もいるが、旅行で行くのとは大違いで行きたくもないところ、見たくもないところを見ざるを得ない。だからこの仕事は羨ましがれる様なものではないという。そして翻訳という作業もそれに近く、書きたいことを書けるわけではなく著者のいやなところも馬鹿なところにも付き合わざるを得ないのだという。しかし出張で外国に行くのも、翻訳で著者に付き合うのもどちらもいやなところもある一方、自分の知らぬ世界に連れて行かれる魅力もあるのだという。短いあとがきをそれなりに読ませてくれるのはさすが山形。しかし一言言えば、出張で外国にいくのはなんたって楽しい。飛行機乗れば電話も来ないし、土日は休みだし、それが証拠にあなたはオフの時間にこれだけの楽しい翻訳ができたではないか。言葉の上手な人はどうも上滑る時がある。

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