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September 30, 2009

1万冊

午前中長野市景観賞のバスツアーガイド。年に3回のご奉公。今日は屋根がきれいな建物を見ましょうというテーマで5つほど過去の景観賞から選んでそれらを見て回る。写真で選んで見に行ったが、当たりもあればはずれもある。終わって大学で雑用をこなし東京へ。車中、飯尾潤『日本の統治構造』中公新書2007を読む。大統領制より、議院内閣制の方が原理的には権力集中するものであることを知る。よく考えれば確かにそうだ。しかるに、それがそうならない日本の政治は原理とは裏腹に様々な阻害要因が紛れ込んでいるからだとか。全くその通り。民主政権はその阻害要因を払拭できるだろうか?期待したい。丸善で本を物色宅配。竹内薫の『竹内流の「書く、話す」知的アウトプット術』実務教育出版2009だけ持って帰る。地下鉄でペラペラめくると第一章が「一万冊読んできた私と本のつき合い方」。彼は僕の高校の一つ後輩だから49歳。生まれた時から読み始めたとしても1年間に200冊以上読んでいる計算である。その本どこに置いているのだろうか?事務所に戻り明日の打ち合わせの内容確認などなど打ち合わせ。

スピバック的

午前中甲府で打ち合わせ。政権交代の影響が見え隠れする。役所側の対応が鈍くなっているようである。それとは別にクライアントの検討依頼は尽きない。これだけ可能性を考えられるクライアントも珍しい。昼を一緒にとりクライアントは大学の講義に、スタッフのOさんは東京へ、私は小諸へ向かう。甲府から小諸は小淵沢乗り換えで小海線が最短だし運賃も安いのだが、いやすっかり乗り過ごしてしまった。松本回りで篠ノ井から「しなの鉄道」に乗る。車中スピヴァック(Spivak, G.C.)鈴木聡 他 訳『文化としての他者』紀伊国屋書店(1987)2000を読む。電車の中で片手間に読めるような本でもないので面白そうな数編と訳者あとがきを読む。「(スピヴァック)にできることといえばただ、あらゆる超越的、普遍的な理念から等しく距離をとることだけ・・・・・マルクス主義、フェミニズム、脱構築主義、ニュー・ヒストリシズム、サバルタン・スタディーズ、といった方法論や学問的規律に関しても、スピヴァックはそのいずれかに与することはしない」という言葉がこの面倒くさい本の内容に何となく筋道を与えてくれる。ポスコロの教科書と言われる本書だが、最近僕は外国に行き異文化に触れるとこういう気持ちに素直になれる。日本というメジャーであり辺境でもある島の文化を超越的にわが身に内在させるのだけはやめようと思うようになってきた。というより自然にそう考えるようになった。まあそれは日本国内でもそうである。小諸で夜から某プロジェクトのプレゼン。終わって助教のHさんの車で大学に戻る。学生と八潮の打ち合わせ。しち面倒臭い出張書類を入力していたら1時になった。

September 29, 2009

本いろいろ

一日事務所。そう言えば買って放っておいた本があった。ノルウエィのユニットスノヘッタの作品集である。アレクサンドリア図書館のコンペを勝ち取ったチームである。図書館は円盤を斜めにしたようなデザインで印象深かったが、ほかの案も結構似ている。地面を斜めにめくったり傾けたりするのが好きなようだ。ちょっと乱暴な気もするが、スケール次第だろう。本物が見てみたい。スノヘッタを見たら、やはり先日送られてきた岡田哲史さんの作品集が気になる。封を開けて時間がなくじっくり見ようとやはり放っておいた。何といってもエレクタから出ているし、序文はダルコだし、さすがイタリア研究家は違う。岡田さんは学生時代のコンペ荒らしのころから知っているし、その頃からずっと感じているけれど形を作るセンスが図抜けている。で、そういう人はだんだん年をとるとそのセンスだけで作っちゃうのだけれど彼は違う。理屈がとんでもなく面倒くさい、そして構造が絶妙(彼の構造は日建同期の陶器がやっているのだが彼が半端じゃない)。つまり彼は作ろうと思えば感性でさっさとできちゃうんだろうけれど、それをやらないために、理屈こねて、構造考えるわけだ。と思って日本語に訳されたダルコの序文を読んだらそんなことが書いてあった。あら、岡田さんのことよく分かっているもんだとびっくりした。夕方本屋さんがやってきた。ケレツがエルクロになっている。こういうビジュアル受けする作り方は雑誌にしやすいなあ。彼はもともと写真家だからフォトジェニックな作り方を本能的にできるのかもしれない。A+Tから高密度集合住宅のデーターブックが出ている。この本近年まれに見るよくできた使える本だ。もちろん英語だけれどグラフィックがとてもいいのでデーター比較が一目瞭然である。どこかの大学で取りまとめたような感がある。集合住宅を卒制でやる学生必携。

September 27, 2009

アデニア

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かみさんと娘に連れられ表参道に。遅めの朝食を食べ娘は洋服屋に我々は神宮前の裏の住宅地を歩いてワタリウムに。ワタリウムでルイス・バラガンの展覧会を覗き、隣の植物屋「フーガ」に行く。このお店は珍しい植物や樹形の不思議なものが多い。加えて花器がとてもよい。今回はお気に入りのオレンジ色のガラス花器に合う植物を探しにきた。オレンジ色の縦横高さが13センチくらいのガラスの器はベルギー製で前回このフーガで見つけたもの。中の植物はとても不思議な形をしていて大事に育てていたのだが、残念ながら、半年前に勢いが無くなって最近枯れてしまった。今日は漢字のような不思議な形をした高さ20センチくらいの植物を発見した。名前はアデニア。中東やアフリカあたり原産の植物らしい。乾燥地帯特有のオリーブのような少し白っぽい葉である。

街の雰囲気

A0勉強会。やっとエピローグの2度目の読み直しが終わりそう(あと1paragraph)これが終わってももう一章担当がある。これが結構長いのだ。いつ終わることやら。来年の春頃だろうか??
勉強会を終えてA0の皆にアルゼンチンのスライドをお見せする。別に見せるように整理したり地図を付けたりしたのではなく、ただ単に撮った写真を時系列に並べただけ。僕も初めて見る。アルゼンチンには世界に知られた名建築があるわけでもないから(と言って建築の質が低いと言うことではない)街の雰囲気を見せる。そして昔の記憶をたどりながらこの町に似た雰囲気があるとすればパリかバルセロナだろうと話すのだが心もとない。僕のスライドの後にA君が最近ハネムーンで行ってきたスペインのスライドを披露。こうして並べてみるとよく分かったが、ブエノスアイレスとバルセロナなんて全然似てない。いやもちろん似ているところはあるのだが、ブエノスアイレスにはバルセロナのような古さの汚れが無くとてもクリーン(よい意味とは限らないが)。次にブエノスアイレスにはバルセロナのような濃厚な色がなく白い。淡白である。最後に様式に関して言えば、古さが違う。下手すれば500年くらいの差が軽くあるから既に様式が違う場合もあるし、仮に同じ様式でも。密度が違うという感じ(これははなはだ直観的なことなのだが)。総じてエスプレッソなバルセロナに対して、ブエノスアイレスはアメリカンである。しかし面白いのはバルセロナもブエノスアイレスも100メートルくらいの正方形グリッドの街である。街区の大きさは街のスケールを作る。アメリカはニューヨーク(300メートル弱バツ50メートル)でもフィラデルフィア(100メートル強×30メートル)でもきれいなグリッドだが長方形グリッドである。都市計画の本を見れば名古屋城下町も50間方形街ほぼ100メートルと近いものがある。もちろんスケール感は平面に加え高さもあるので街区の大きさが同じだから同じ性格の街とは言えないのだが。

September 25, 2009

科学哲学

午前中松本に向かう。姨捨の駅から見える風景はいつ見ても壮大。眼下に広がる町の中に北河原さんの黄金色の建物が見える。松本の会議に出てアズサで東京に戻る。戸田山和久『科学哲学の冒険』日本放送出版協会2005を読む。そもそも科学と言うのは一つの社会現象だと言う考え方が面白い。確かに宗教というものが一つの社会現象であるのと同じくらい科学と言うのも一つの社会現象である。何か科学は必然的にこの世の中にあり宗教というものは偶然この世の中に現われてきたものと感じるがそれは科学優勢の現代にたまたま生まれてきたから感じることなのであろう。だから科学とは一体どのようなものか?という問いは宗教とは一体何なのかと同じように神秘に満ちた問いなのだろう。妙に納得。さらに帰納と演繹について書かれたところを読み目から鱗。両方とも異なる証明の方法くらいにしか思っていなかったが、帰納は演繹に比べて確かさが低い。よく考えれば確かにそうなのだがそんなことは今まで気にも留めていなかった。などなど、面白いことがいろいろ書かれている。事務所に戻り多量のメールに多量の返事を書く。電子辞書の電源が切れた。昨今の電子辞書は電気を異様に消費する。

September 24, 2009

長野も残暑

昨晩長野に行けずに今朝早朝のアサマで大学へ。未だ長野も結構暑い。久しぶりのゼミ。一人30分で10人5時間。だいぶ間が空いたので前回までの流れを反芻しながら聞かせてもらう。なるほどうまく進んだなと思うものあり、遅々としているもの、ちょっと違う方向に行っちゃったもの。いろいろである。舵取りをしながら10人の話を聞く。終わってから八潮プロジェクトの打ち合わせ。時間切れで市役所へ。6時から市民会館建設委員会。行ってみると席がない。「あれ?先生は欠席予定でしたよ」と言われる。3つの委員会に毎度郵送で出欠の返事をしているのだが、1か月前くらいに聞かれているので、その間にスケジュールが変わることもある。急遽席を作っていただく。委員の方々は新しい市民会館を芸術文化の新たな拠点とすることに並々ならぬ熱意がある。皆活発に意見を述べられている。一方役所側は新たな何かではなく、現在ある市民会館の維持という認識(に聞こえる)。というのも彼らにとって重要なのは市民会館よりもむしろその跡地。それは市役所の建て替え用地なのである。そのあたりで議論がいつも振り出しに戻る。市民会館のコンセプトは何なのか?一気にたくさんのことをしようとすればすべてに力を注ぐのには無理が出る(ように見える)。終わって研究室に戻り雑用。

September 23, 2009

2通のメール

午前中、アルゼンチンから2通のメール。一通は建築家協会の会長であるシルベルファデンから。講演会へのお礼であった。むこうでは彼が忙しくあまり話もできなかったのでこうしてメールで交信できてよかった。もう一通はブエノスアイレス大学の講師で建築家協会の理事であるロベルトから。人づてに渡してもらうように頼んだ坂倉順三展のカタログへのお礼である。ロベルトは大学の授業で日本の現代住宅の分析をするとのことなので、それではその出発点ともいえる坂倉の住宅を勉強してくださいというつもりでおいてきた。こんな名前は知らないだろうと思いきや知っていると書いてあるのには驚いた。
まだ時差ぼけか?猪木武徳『戦後世界経済史』中公新書2009を読みながら午睡。これを読んでいてもラティンアメリカは気になってしまう。経済を作るのは人であると最初に書かれている。人とはすなわち教育だと。日本の教育も曲がり角に思える。政権交代とともにドラスティックに刷新されることを祈るのだが。

September 22, 2009

持続可能な社会

広井良典『持続可能な福祉社会』ちくま新書2006を読んだ。先日同著者の『グローバル定常型社会』が面白かったので買っておいたもの。内容は共通するところが多く、日本の目指すべき社会として,二つ挙げる。一つは成長を抑制し、その分の時間をコミュニティ、自然維持などに費やす社会。二つ目はフローが再配分され、スタートラインの平等(教育)及び人生後半の社会保障としての基礎収入が確保された社会である。
こういう姿の国としては理想的には北欧、フィンランドのような国が思い浮かぶ。しかしフィンランドはNokiaの圧倒的な外貨獲得力に負っていると前著には書いてあった。巨大優良企業が無いことを前提とした自給型定常型社会をイメージするならもう少し違う国がお手本として必要かもしれない。
アルゼンチンはだめだろうか?教育のスタートラインを平等にするために教育費は0。仕事は6時ころには終え、自然を楽しむ。まあ実は技術革新に乗り遅れ、農業だけやっていたがために、無意識的に非成長型社会になってしまったのだであり、税金は21%。教育費は0でもその他の福祉が上手くいっているとは聞かない。エコロジーとは程遠い黒煙をまき散らすバス。ゴミの分別などまだ先の先。その他にも無防備に入り込む不法入国者によるスラム街。貧富の差。などなど。それらの社会問題はとても日本の比ではないと向こうの国の人は言う。そうかもしれない。しかし定常型を目指し地産地消的な国を目指すなら、見習うところも多々あるように思う。

街のスケール

東京に着いて街を見渡すときれいで軽いという印象である。ヨーロッパから帰っても同じような印象。これは東京の特徴なのだろう。
向こうでの時差ボケも帰る頃には治る。だから残念ながら帰るとしっかりまた時差ボケである。日本アルゼンチンはまさにantipodasなので12時間の時差。昼の2時ころになると眠くなるし夜の3時ころには目が覚める。2時ころ眠い目をこすりながら事務所に行く。不在中のの報告を聞く。適宜メールで情報をもらっているので大体のことはわかっているのだが、会って話すとまたちがう情報があるものだ。アルゼンチンから戻り事務所で中国の話を聞くとどうもそのスケール感が飛躍しすぎて混乱する。ブエノスアイレスは徹底して100メートルグリッド街区だったのだが、、

September 20, 2009

東京へ

機内で映画を二本見た。最初はエディー・マーフィー主演のImagine that。マーフィー扮する証券会社の一流ビジネスマンが投資の指針を霊と話せる娘から得るという話。二つ目はSoloistというチェロの才能にたけたホームレスの話。LAタイムズの記者が彼を発見して記事にすると多くの読者の共感を得て記者はそのコラムで賞を獲得。ホームレスは社会の表舞台に引っ張り出されて混乱するのだが、単なる取材対象だったホームレスは最後には真の友人となるという話。現代社会に輻輳する複数の世界の葛藤やら矛盾やらが描かれている。手法としては当たり前だし、そんなことはどこに行ってもある。それは日本にもあるしアルゼンチンにもある。コロン劇場の改修が10年たっても終わらなかったり、大学の教員の8割が無給だったり、金欠の結果がこうなるかと驚く。一方で、金が無くても広大な公園は美しく保たれ、大学の授業料は低(国立は無料)く、食費も安く、莫大なエネルーギー(石油)が眠っている。この輻輳さが地球の裏側から来たものにはとても強烈に印象付けられた。金がないけれど引かないところは引かないと言う頑固さなのか、本気を出せばいくらでも金は作れると言う余裕なのかは知らないが。
戦後日本は勤勉を売り物にしてきた。僕がアメリカ留学中、日本人の特徴と言えばindustriousと一言で言われた。ラテンの国民性はこの対局をいくようによく言われる。Indusrious自体を悪いことだとは言わない。しかし勤勉は時として価値観の統制に繋がる。グループ作業での勤勉は特にそれを必要とする。サッカーで言えばアルゼンチンのそれはブラジルほどではないが、やはりスタープレーヤーのエゴが目立つ。組織のために自分を殺しはしない。現在のナショナルチームの低迷はそこに原因があり、特に自らがそうだったマラドーナが指揮をとるからますますそうなるとブエノスの人たちは言う。理性に統御された組織か?感性に導かれた個人か?どちらにも軍配は上がらないだろうが、日本はもう少し感覚的に自由になっていいと感じる旅だった。

September 19, 2009

Hasta pronto

散らかした荷物をパッキング。持ってきた結構たくさんの写真やら本やらは皆人にあげたのだが。その分たくさんの本やら資料やらをいただいた。差し引き0と言いたいところだがどうも帰りの方が多い。小さなカバンがはち切れそうである。ホテルをチェックアウトして荷物を預け、残り少ない時間で建築家協会の本屋、テスタの銀行とマルバ美術館を見に出かける。

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テスタの銀行
本屋にはアルゼンチン建築史の分厚い本があったのだが、すべてスペイン語だし、重そうなのであきらめて、アルゼンチンの新建築のような雑誌を一冊だけ買う。銀行は迫力。テスタは国立図書館の設計者でもあるが、銀行も同様ブルータリズムである。

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マルバ美術館
マルバ美術館は石とガラスのコンテンポラリーなデザイン。ラテンアメリカのモダニズム以降の歴史的展示がされていた。当り前だろうけれど、ラテンアメリカが一つの文化的なまとまりを持っていることを感じさせる。少々買い物をして急いでホテルに戻る。
リカルドがホテルに来てくれた。借りていた携帯電話を返して、お土産を頂き最後のお別れ。一週間とってもお世話になった。昨晩は真剣に数時間建築論をしたし、今後の大学間の交流の可能性についてもお話しできた。アルゼンチンは物価も安いし、家賃も月4万円位。学費は私立でも日本の国立大学より安い。その上ヨーロッパからの留学生が結構多いし建築の質も高い。日本にはそれほど宣伝されていないがかなりのポテンシャルがある。井の中の蛙である日本の学生が自分の考えを相対化するには格好の場である。言葉の問題があるが、英語がしっかりできれば建築ならなんとかなるだろうとリカルドは言う。最後はアルゼンチン式に頬を擦り寄せ再会を誓う(hasta pronto)。

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来たときは古いターミナル。帰りは新ターミナル。
結局荷物は3つに増えその上どれもぱんぱん。空港はひどい混雑。結構チェックがうるさくて僕の荷物を開けて見せろと言う。中身を全部出して放り投げたら係官が「怒っているの?」と聞くので「腹減ってるの」と答えると「まあまあ」となだめられる。10時間飛んでワシントンDCへ。

September 18, 2009

Casa Curutchet

今日は喜納さんの案内でブエノスアイレスの南60キロにあるLa Plataへ向かう。ブエノスアイレスの市境を出るとそこはパンパ(壮大な草原)である。40分くらいで到着。ここはブエノスアイレスの州都。ブエノスアイレスへの一極集中をさけるために19世紀末に計画された都市。この都市の計画者のベノイトがフリーメーソンであることから、フリーメーソンのシンボルを模して正方形の街に縦横のグリッドと45度ふられた斜めの道が大きく十字に入れられた(コルビュジエのボワザン計画のようである)。

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Le Corbusier Casa Curutchet La Plata 1955
ここにル・コルビュジエのデザインしたクルチェット邸がある。市の南端の広場に面して建つこの建物は1955年に完成。戦後のコルビュジエの住宅にこういう白い繊細なものがあったとは知らなかった。今はラプラタの建築家協会が管理し見学できるようになっている。今日は地元の建築学生300人が順番に見に来ておりラッシュである。
建物は地下の受水槽から始まりすべての個所が見られる上に、長い間空家(医者であるクルチェット氏の奥さんがこの家を嫌い住まなかったそうだ)になっていたにもかかわらず保存状態がかなりいい。外部に面するところを含めてすべて木のサッシュ、外部のスロープに設置された木の握り棒、室内だが吹き抜けに面する寝室に付けられた可動ルーバーなどがほとんどオリジナルの状態を維持している。アメリカ大陸にもう一つあるコルの建物であるカーペンターセンター(1952)のブリーズ・ソレイユ、細い丸柱、開放感などがここに現われている。
じっくりと2時間ほど見ることができた。伊東豊雄さんも2度ほど来られたと聞いておりどうしてだろうかと思っていたのが、来てみるとまた来たくなる気持ちが理解できた。僕もまた来たい。4時に展覧会場にもどりケーブルテレビのインタビュー。ラプラタからの帰りが渋滞、4時ぎりぎりに滑り込む。テレビ局のクルー2人と館長のビスマンが待っていた。Zona comunicacionというカルチャー専門のチャンネルだそうだ。インタビュアーがスペイン語で質問し、喜納さんがそれを日本語に訳し、答えは英語でお願いしたいと言われる。日本語の部分はカットするとのこと。この展覧会での日本建築のキュレーションの正当性、などなど20分くらいのやりとりをした。まあカットされると3分くらいになるのだろうが。
終わってからビスマンとカフェに行く。どうしてこの展覧会のタイトルをantipodasとしたのかを初めて聞いた。これは文学作品からとったタイトルで、Alessandro Baricco のSilk(イタリアの商人が日本から絹を持ち帰る話らしいが)にこの言葉が使われていたので借用したとか、英語版があればぜひ読めと言われ、さらにブエノスアイレスを理解するための一冊を紹介された。それは Juan Jose SaerによるEl Rio Sin Orillaという本。英語訳があるはずだという。直訳すれば縁の無い川となるが、つまり対岸の見えないラプラタ川に思いを馳せたアルゼンチン人の幻が描かれていると言う。
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大雨のパレルモ(カメラが濡れる)
その後車でボルヘスの育った町パレルモを案内してもらう。ここは黄熱病の流行で多くの人が亡くなり廃墟化した後、30年前にアーテイストが住み始めたところ。そこへ、ファッション飲食が集まってきて市民の散歩、ウィンドウショッピングの場となったそうだ。

一昨日のSCAでの講演はすでにSCAのホームページ上にアップされたそうだ。素早い。
http://www.socearq.org/index.php/actividades/debates/desde-japon-taku-sakaushi-en-la-sca.html

September 17, 2009

フリーな一日

やっとフリーな1日。今日は町の骨格を見たく、南へ向かう。先日のベルグラーノ大学の課題がそうだったように、この町は南北が不連続。唯一南北に走る地下鉄の終点で降りる。ここは地上鉄道の始発駅でもある。地下鉄を上がるとヨーロッパ風の壮大な鉄道駅に出る。フィラデルフィアのように巨大。しかしそこから一歩外に出ると、突如町が荒廃した感じである。タクシーでカニミートという大西洋の入り込んだ小さな漁港の町に辿り着く。ボカジュニアーズの本拠地もここにある。ボカは漁港の労働者が作ったチームだそうだ。この比較的荒れた(と言えば言い過ぎだろうが)ダウンタウンにスタジアムは建っている。タクシーの運ちゃんが分らぬスペイン語で何か叫びながら何度もスタジアムを誇らしげに指さしている。カニミートにはアルゼンチンの代表的画家キンケラ・マルティンがカラフルに仕上げた町。町にはキンケラにあやかった画家が絵を売っている。モンマルトルのようであるが、彩度の強い色は南である。
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カニミートにいたキュートな子供たち

昼を食べて市内を巡回する二階建てバスに乗る。24時間以内ならいくら乗っても600円。一気に北へ向かう。町が徐々に整備されていくのがよく分かる。海に面して新しく埋め立てられてできたお台場のような島に入ると超高層が林立している。
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ブエノスアイレスの超高層

かなり意識的に街区に対して45度振って建てている。当たり前の手法だが効果的。カルトラバの橋を横に見ながら西に向かう。
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カルトラバっていくつ橋作っているのだろうか?

セントラルパークの4倍ある(と聞いた)公園を横に見る。これだけ大きい公園を維持するのはかなり大変だろうが金が無くても、国の借金を返さなくても、こういうことをやる所がラテンのおおらかさだ。バスは再び南に向かう。途中で降りて、パレルモ地区に行くべく地下鉄に乗ろうと駅で待っていたが、人もいなけりゃ電車も来ない。すると駅の係員がやってきてなんだか言っている。どうも電車は来ないぞと言っているように感ずる。すごすごと改札を逆戻りする。どうもストのようである。喜納さんの話ではこの国ではデモやら、ストは当たり前。デモで道路を封鎖しても警官は排除さえしないそうだ。仕方ないので進路変更してサン・テルモという昔の面影が色濃く残る街並みに向かう。ボカ地区同様北のヨーロッパ的な小奇麗な街と対照的に泥臭い(メキシコのような)低層の町である。現在では骨董屋が数百と立ち並ぶ。パンパの民芸を現代的にアレンジした店を覗く。このあたりは観光客も多いせいか兄ちゃんは英語がよく話せる。僕が東京から来たと知ると、トヨタカップ常連のボカジュニアの話をし始めた。今日はボカの大事な試合があると言う。今晩見に行くと言うと羨ましがられた。
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サンテルモの市場食料品と骨董店が同じくらいずつ並んでいる

6時ごろ、ぎりぎりホテルでバスに乗り込む。今日の試合はてっきりさっき見たボカスタジアムでやるのだとばかり思っていたのだがアウェイである。相手はベレス。ブエノスアイレスの西の方に向かっているのだが、結構遠い。いろいろ客をピックアップして着いたら8時半。バスの兄ちゃんがくれぐれもスタジアムで写真を撮るなという。べレスの本拠地だから荒れるのでカメラは危険だと言う。
この試合は「ニッサン南米チャンピオンシップ」と言う。最近はスポーツの試合を宣伝用にスポンサーするのが常識だろうが、ここまで来てニッサンに会うとは思わなかった。巨大スクリーンからは何と大音量で日本語の宣伝が流れている。日系人がいるからか?
サッカースタイルは実に日本に似ている(ような気がする)。試合前の応援合戦は激しいが最近ではJリーグも負けてない。ゴール裏の公式サポーター以外も殆どの客はベレスのサポーターであり、年季の入った酔っぱらい労働者たち。ボカは港湾労働者に支持されているというがベレスも負けてはいない。僕らの席は放送席前のかなりいいところだが周囲はこの過激な親父たちが飛び跳ねるは叫ぶは歌うはの大騒ぎである。入る時にボディーチェックはされるしペットボトルは没収されるのに当然のようにサポーターたちからはテープの嵐、発煙筒、花火である。どうやって持って入ってくるのだろうか?サッカーよりも彼らに圧倒された。恐ろしくてひたすらベレスの勝利を祈っていたら見事1-0でベレスが勝った。
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試合前の興奮

アルゼンチンと言えばサッカーだがこれはどうも下層階級の楽しみのようである。上流階層はポロや競馬。これらの競技場はブエノスアイレスでも北のいいところにあるし。

September 16, 2009

SCAでの講演会

昨日のパーティーで紹介されたビエルガルドさんが午前中自宅に招待してくれた。広大な敷地に福井県から移築した民家を建て全体を吉村順三事務所が再設計したそうだ。内部は人間国宝級の陶器から工芸品にいたるまで所狭しと並んでいる。聞けば日本のとんでもない有名人が多数来られている。バーンズコレクションなどを日本で見てもたいていその蒐集家など気にも留めない。けれど実際にそういう人を目の当たりにするとちょっと圧倒される。夫婦そろって日本語、英語ぺらぺら、麻布に数10年滞在し葉山に別荘があったとか?いったい何している人なの??

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ブエノスアイレス大学建築学部のアトリウム
Minkaを後にしてそこで合流したブエノスアイレス大学の講師であるロベルト・ブスネリが僕をブエノススアイレス大学の建築・デザイン・アーバニズム学部に連れて行ってくれた。巨大なコンクリートの建物に、巨大な吹き抜け。学生のびらやポスターがいたる所に貼られている。学生の自治選挙まっ最中。

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ブエノスアイレス大学建築学部の模型保管室
ここには昨日展示されていた学生模型のすべてが保管展示されている。毎年4年生がつくる名建築の模型。20年分、500個くらいはある。コルビュジエ、ライト、カーン、ノイトラ、、、、そして今年は現代日本住宅建築がテーマ。前期に作られたものが展覧会におかれているが後期では僕の「山」も対象だそうだ。どうしてこんなこと始めたのか聞くと、留学先のコロンビアでフランプトンにこういうものは保存しておけと言われたそうだ。ランチは近くのサンドイッチ屋へ。サンドイッチと言ってもでかいステーキを炭火で焼きそれをパンにはさむ。ラプラタ河畔の公園脇、空は快晴、空気は爽やか(ちなみにブエノス・アイレスとはgood airである)。レストランのロゴplaya(ビーチ)を見ると、まるでサンタモニカあたりにいるような気分である。

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国立図書館:エスタ
ホテルに戻り、夜のレクチャーまで市内を散策。テスタ(アルゼンチンの巨匠のひとり)国立図書館の巨大キャンチレバーのブルータリズムを見てから様式風の装飾博物館でコルビュジエ展を見る。タクシーでランダムな壁、階段のxul美術館へ。やっと少し市内の地理がわかりだした。戻ってジェットバスの風呂に浸かっていたら、今晩のレクチャーの待ち合わせ時間の6時を過ぎている。アルゼンチンタイムだ。

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SCAでの講演会
建築家協会は古い建物の改修。こういう場合たいてい壁はレンガか白く塗られ、天井はrcスラブむき出しである。オーディーはエントランスホールと連続し、素敵なスペースである。三々五々人が集まっている。通訳が結局マルタだと分り、お互いあやふやな英語でどこまで通じるのか不安。全部日本語で話そうかとも思ったが(日本語通訳もいるので)聴衆の半分は英語を理解できるということなのでやはり英語で行う。7時に初めて1時間半。何度もマルタに聞き返されながら、やっと終わらせた。最初に建築のライブ性についてかたり、だから建築をつくるのではなく、フレームをつくるのだという日常建築についておぼろげに感じていることを話す。そして展示されている作品の説明。住宅。上海の工場。駆け足で終わらせた。会場には遅れてきた人の立ち見も含めて200人くらいの人で盛況でだった地球の裏側からやってきた見も知らぬ人間の講演にこれだけの人が集まるというのはちょっと驚きである。ありがたいこった。

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北千住の居酒屋のようなピザ屋、サッカーのポスターが所狭しと貼られている。最近この国でサッカーの話はタブー。テニスの話をすると皆喜ぶ

終了後ロベルトお勧めの1937年にできたピザ屋へ。日本でいえば北千住あたりの居酒屋と同じ。聴衆の反応をロベルトに聞くと、最初のコンセプトあるいは原理とそれを現実化していく過程にみな興味を持ったと言う。とは言うもののこんなメディア論的なことそれ自体に興味があるのだろうか??UBAの教授たちは僕のスケッチやドローイングを褒めていたのもそう感じる原因だが、思い出してみるとベルグラーノ大学もブエノスアイレス大学もそれぞれの建築学部の内容は日本でいえば美術学部である。絵画、グラフィック、インダストリアルデザイン、ファッションなどの学科が建築学部のなかにあるのだ(ファッションがあるっていい)。彼らにとって建築はコンセプトや原理、まして社会構築的な視点などより、やはりもっと視覚的な何かなのでは??

September 15, 2009

アルゼンチンの学生、先生、建築家と話す

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エスキス室での学生とエスキス中の1/500模型(彼らの模型はだいたいがカードボードでできている)

ブエノスアイレスには建築を教える大学が国立のブエノスアイレス大学と私立のベルグラーノ大学があるようである(まだあるかもしれないが)。午前中このベルグラーノ大学に向行き、3年生の課題を見せてもらう。一学年60人の学生を3チームに分け、それぞれを2人のスタッフで指導している。大学には製図室はなく、エスキスをするワークショップルームだけがある。課題はブエノスアイレスの南北を結ぶ結節点の再開発である。前期に都市計画的な現地調査と街区割、そしてヴォリューム配置、機能配置を行う。後期はその中に建てるスカイスクレーパーの機能プログラム作りとデザインを行うもの。こういう再開発が課題のテーマとして選ばれるところが、今の日本とはかなり違う。デザインの傾向はかなり雑誌情報に左右されているのだろうか?スペイン語圏ということもあり、エル・クロは彼らの重要な教科書のようである。
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エントランスに貼られた後援会のポスター

30分ほど課題を見せてもらい、学生と対話しその後、講演を行う。100人入るレクチャールームで1時間半ほど。するが幼稚園、大小の窓、角窓の家、リーテム東京工場の4つ。みな熱心に聞いていた。終了後に多数の質問がでるかとも思ったが、質問したのは教授陣だけ。比較的静かな学生だと思いきや、自分の作品を持ってきて、サジェスチョンを欲しいと食い下がる学生がいたのはさもありなんである。
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建築学部長とデザインの教授

終了後建築学部長を囲んで昼食。話はリサイクル、サスティナブルに及び、アルゼンチンはまだ段ボールの再利用くらいだと嘆きつつも、サスティナブル以前にやることがたくさんあると言っていた。
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建築博物館外観

夕方建築博物館でのオープニングカクテルパーティに招かれる。この建物が素敵である。その昔暖房スチーム用のタンクとスチーム機械を入れておいた建物をSCA(日本でいえば建築学会のようなものらしい)が買い取り改修したものである。鉄骨造レンガ壁(こちらでは標準の施工法だそうだ。中国ではコンクリートラーメンレンガ壁が標準だったが、所変われば基準も変わる)。
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できたてのフライヤー

会場には新たに作られたとてもいかしたフライヤーが置かれていた。そして1~2階には日本建築の模型(丹下さんからsannaまで、とにかくよく作られている。ブエノスアイレス・大学で作られたそうだ)3階はブエノスアイレス大学の演習で行われた世界の建築研究日本編。去年の成果だそうで、日本の住宅がテーマ。アトリエワン、千葉さん、そのほかたくさんの建築家の作品がある。そして4階が日本の現代建築というテーマでプロジェクターで2~30の作品がエンドレスで映し出されている。スクリーンが大きくてとても印象的である。この映像に我々の作品も映し出されていた。

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スピーチが始り訪れた人が1階に集まる

200人近い人が訪れていたと思われる。平日の夕方にこれだけの建築家を集めるのだから日本建築はけっこうすごい。スピーチを頼まれ、少々話す。昼のレクチャーと異なり、相手は全員建築家。久しぶりにちょっと緊張。

September 14, 2009

ブエノス・アイレスの街並み

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エセイサ空港に9時半に到着。アメリカとはうって変わって入国はスムース。迎えに来てくれた喜納リカルドさんとすぐに会えてホテルへ。時差をうまく解消できなかったせいで体が浮いているような感じである。その上乾燥した飛行機に24時間缶詰にされていたために喉がひりひりする。
ブエノス・アイレスの街並みはパリのようでもありバルセロナのようでもある。しかし少し違うのは新旧がごっちゃ混ぜになりながら壁を共有して建っている点。喜納さんの説明だと、共有する壁は30センチと決まっていてそれぞれが15センチずつの持ち分。もし隣に建物がない場合は30センチの壁で建てておいて、以後に新しく隣接して建てる建物は、その壁をはつって自らの構造体をその中に15センチ分埋め込むのだそうだ。この新旧あるいは玉石混淆の建て方は独特の街のイメージを作っているように思える。
今日やっと開幕の準備が整った展覧会場を覗きホテルに戻る。3時に部屋に入れると言っていたのにしばらく待たされた。そしたら、申し訳ないのでと言ってペントハウスの部屋にアップグレードしてくれた。なんとメゾネット。のどの痛みがひどかったが、イソジンでうがいをしていたら少し良くなる。風邪薬を飲んで洗濯してベッドにもぐりこむ。
夜はタンゴショー。典型的なツーリストプレースである。タンゴもすごいが、ガウチョ(アルゼンチンの牧童)の踊りが迫力である。ラテンアメリカの原住民はもともとアジアからやってきたわけで、顔つきは日本人によく似ている人も多い。

DC出発

アメリカも変わった。ダレス空港の入国審査に並ぶ長蛇の列には東欧、ロシアの人間が多くなった。やっと入った空港ターミナルもすごい人。まるで日本のターミナル駅さながら。新宿か?飲食店はすべて満員。床で寝る奴もいれば座り込んでコンピュータのノート開く奴もいる。特にコンセント周りは人気である。天井にぶら下がるモニターからはさまざまなインフォメーションが英語とスペイン語で流れている。ヒスパニックの多いLAなら普通だが、(映画館ではスペイン語吹き替え英語字幕なんてのさえあったくらいである)ここは首都である。ちょっと驚きだ。確かに聞き耳をたてるとスペイン語と思しき音がここかしこに聞こえる。空いた椅子をやっと見つけてコーヒー片手にノートを開くとattの無線を傍受。6ドルで2時間のネット接続。けちだねえ!!成田でnttがこんなサービスしたら不満の声が上がるに決まっている。それはnttが公社だったから。アメリカは昔から電話は民間だから文句が出にくい。バッテリーの電池が残っている間にメールを片付ける。後期にレクチャーをお願いしている、ダンサーの北村明子さんから時期と内容についての返事が届く。モロッコマラケシュからである、モロッコのメールをアメリカで開けるのだから世界は近い。ブエノスアイレスからはオープニングセレモニーが14日に決まったとの知らせ。ついに10日遅れたわけである。なんともアルゼンチンらしい。しかしこのいい加減さがあればこそヴェーバーのような神経症を生まないのである。因みにアルゼンチンは言うまでもなくカソリックが多い。日程を遅らせた罪は懺悔して許される。カルヴィニズムのもとでこんなことをしたら担当者は怠慢の謗りを受けて死ぬまでその罪から解放されない。
夜10時のuaに乗る。東京からの便もそうなのだが今回も乗務員が皆さん大きい。僕より高さ方向に1.3倍、横方向に1.2倍。重さにして下手すると2倍。これはあきらかに意図的な採用と思われる。あの重いカートを軽く動かしている。みんな半そでで二の腕の太さは僕の2倍。この飛行機は冷蔵庫のように寒く熱容量の小さなアジア人は全身ブランケットで体を包みそれでも寒いのに、彼女らはまったく平気そうである。時差と寒さでとても眠れない。もう途中であきらめて、マックス・ウェーバー中山元訳『職業としての政治』日系BP社2009を読み始める。いや実に簡明で分かりやすい。

September 13, 2009

ワシントンDC到着

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朝、半分しか終わってないパッキングを終わらせる。10日の旅にしてはカバンが小さい。昔のボスがバッゲージ待ちを嫌ったので機内持ち込みサイズのカバンしかない。本や雑誌、電気機器のアダプターなどが多く、小さいカバンだが20kgぐらいありそうだ。転がらないかばんは老体にはこたえる。
出発寸前に展覧会のフライヤーがメールされてきた。最初の一番大きな文字antipodasの意味は「地球の裏側」である。なかなか強烈なタイトルである。やはり我々の建築はかの地ではまったく異なる何かに映るのだろうか??
11時に家を出て、東京駅のデパートで「地球の裏側」へのお土産を買う。鮫小紋の絹のふろしき、手拭いに包んだお香、などなど。午後4時のUAでワシントンDCに向かう。ブエノスアイレスへの直行便はもちろん無い。機中マックス・ウェーバーを読み続ける。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が生まれる経緯は、彼自身がプロテスタンティズムの勤勉合理性に浸かり、それゆえにまったく余裕の無い生活に追われ、精神の病にかかったことが発端である。それを勤勉なるプロテスタントである母親が揶揄したことが追い打ちをかけた。そこから這い上がるために勤勉なる北の世界から抜け出しイタリアでの療養によって恢復し、そこから執筆が始まった。なるほどだからこそこの書は近代合理主義賛美ではなく批判として読まねばならないわけである。なんか身につまされる。自分もプロテスタンティズム的だった。よく精神の病にかからなかったものだ。それは宗教的プレッシャーが無かったからだろうか?ひと眠りしてワシントンDCの上空。最近見なれた中国の風景とは異なり、緑の中に曲線の街路に立ち並ぶ家並み。その昔マリオットホテルの本社に打ち合わせにきたことを思い出す。トランスファーのラウンジはあのサーリネンの建物ではなく掘立小屋である。入国に1時間半待たされた。いつもこんなに混んでいるのと聞くとこの時間は特にそうだと言う。いやはや混むときは人を増やせと言いたくなる。並ばないアジアのハビトゥスも嫌いだが、並んで待っても文句を言わないアメリカのそれも嫌いである。

September 11, 2009

ADHD

朝のアサマで長野に。今日はセミナーと会議。夏休みのど真ん中とあって、会議の出席者が少ない。教授会に至っては建築学科で出席しているのは僕だけである。会議に先立って行われた発達障害セミナーは面白かった。発達障害とは昔なら自閉症とひとことで言われた病気。今では知能の高い自閉症と知能の低い自閉症に分かれ、知能の高い自閉症にはADHD(attention deficit hyper activity disorder)とアスペルガー症候群がある。今日の説明はADHDについてだった。日本語で言うと「注意欠陥多動性障害」。セミナーの先生によると注意欠陥はあるものの、異常な能力を持っている場合があるそうである。そして昨今この手の病を持った学生が結構増えており、今日はそういう学生の指導の仕方が講義された。しかし僕に指導する資格があるのだろうか?先日甲府に打ちあわせに行った時にクライアント(大学教授だが)にスタッフのOさんは「君はアスぺ」「あなたは(ぼくのこと)ADHD」と言われたばっかりである。セミナーの先生によると、学生だけではなく先生も注意せよとのこと。僕のこと????
帰りの電車で山之内靖『マックスウェーバー入門』岩波新書1997を読む。高校を卒業して浪人に突入したころ、我が家に遊びにきた現役法学部合格の友人に親父が酒を飲みながらヴェバーの『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』について数時間講義をしたのを思い出す。その講義が実に面白かった。しかし覚えているのは「アメリカで資本主義が発展したのはプロティスタンティズムの勤勉な精神があったからだ」ということだけ。それ以来ヴェーバーなんてまったく関係のない世界で生きてきたのだが、この本を読んで30年以上前のヴェーバーが蘇った。マルクスに遅れること半世紀、経済という客観的指標に対し、倫理という精神的指標に社会変化の要因を見たのは今更ながら新鮮に映る。
事務所に戻り、「蟻vs象」プロジェクトの今日の打ち合わせ内容を聞く。不在中の仕事の進行などについて各担当者と打ち合わせ。

リヴァイアサン

ナカジが話題の本と教えてくれた稲葉振一郎の『「資本」論』ちくま新書2005をぺらぺらめくると先日読んだ『社会学入門』と全く同じことが丁寧に書かれている。たくさん本を書く人はこういう風にたくさん書くわけだと頷く。載っている図版まで全く同じなのには少々びっくりであるが。
この人の話で面白いのはホッブスが『リヴァイアサン』で言うところの「自然状態」の解釈にあり、この「自然状態」がロック、ヒューム、ルソーにおいてどのように取り扱われていて、誰の議論が一番リアリティがあるか?というあたりである。
「自然状態」とは、人は放っておくと自分の欲求のままに行動するという状態のことである。そこでホッブスはその状態を放っておくと戦争状態になるから「自然法」を作って人をしばり、戦争をやめさせなければいけないと言う。しかしロックは、そうは言っても人間は馬鹿じゃないから自然法は意図的に作らなくても自ずとできると主張する。さらにヒュームに至っては、ロックの議論をさらに進めて未だかつて人間が「自然状態」におかれたことはないという。
ヒュームの議論はしかし理性的な人間には当てはまるものの、いまだ感情を理性で抑えられない子供社会では通用しない。ここでは立派に自然状態が存在する。毎日がけんかである。なんて考えていたが、いやそうでもない、子供世界にはとどまらないと思い直した。最近そういうことを感じる大人に出会うことが多い。大人世界でもやはり理性を感情が乗り越えてしまう人たちの間には立派に自然状態が発生するようだ。であればヒューム的世界の方が好ましいと思う僕だが、やはりリヴァイアサンには登場していただく必要があるのだろうか?と少々憂鬱な気持ちになってしまう。

September 9, 2009

ベン・アンダーソン

午前中の「かいじ」で塩山に向かう。車中ベネディクト・アンダーソン加藤剛訳『ヤシガラ椀の外へ』NTT出版2009を読む。彼の伝記とでもいうような本である。『想像の共同体』を読んだ後だったからか、丸善の新刊コーナーで目に留った。ああいう発想をした人の生い立ちはどんなものか興味が湧いた。予想通り、生まれは中国でアメリカ経由で父の故郷アイルランド育ち、イングランドのイートンからケンブリッジに進みそしてコーネルでTAをし、東南アジアに長く(特にインドネシア)滞在し博士論文をまとめ教職に就く。物心つくまでにこれだけの地を移動しながら各地で自分の英語を笑われながら言語と国民を意識したわけである。そして『想像の共同体』はそうした経験を踏まえ反大英帝国を前提にイギリスインテリゲンチアを相手にイヤミをこめて書いたものだという。日本人には理解しにくいさまざまな隠喩や引用に満ちているのもそうした理由からだと著者は説明している。
塩山の施設では「疥癬」なる病が流行っているとのことで、打ち合わせは施設ではなく、公民館を借りて行われた。補助金がらみの県からの情報をいろいろ聞くとまあ理屈に合わないことが多い。4月に補助金の内示がおりてそこから仮宿舎の入札が可能となり、それができて既存建物が解体できてやっと工事が着工できるのが年末くらいでそれでその年度内に建物を完成させなさいということになる。こういうスケジュールは予算の編成、承認という行政の理屈からだけでできており、執行する側の立場はほぼ無視されている。こういうことは少しずつでもいいから改善されていく時期ではなかろうか??


September 8, 2009

象VS蟻

中国のとある場所の大開発に乗り込もうとしている某企業のために絵を描くことを頼まれた。しかしそこにはすでに基本設計レベルの絵を描いているコンサルがいる。イギリスのA社。なんとなく聞いたことがあるなあと思って事務所に戻りネットで調べて仰天した。純粋な設計事務所ではないようだが、施工会社ではなく、さまざまなエンジニアリングからデザインからすべてをやるという会社である。ドバイの有名なスイカを切ったような形をしたホテルもこの会社の設計である。従業員はなんと世界各地に合わせて13000人。日建は世界一の設計事務所だなんて思っていたけれどとんでもない。こんな会社があるわけだ。それにしてもこんな資本主義の大車輪のような会社に立ち向かうなんて。象対蟻の対決である。一体何を武器に戦えるのだろうか?しかもクライアントの要求はすでにある基本設計の骨格を変えないで考えろ、である。しかも2週間で。武器を考えている暇もない。この間見たサマーウォーズのようである。しかし彼らは最終的に勝利できた。花札という特技があったから。僕らの特技は??日本の伝統??

September 7, 2009

カサベラ

午前中、学科会議。後期のシンポジウムやショートトリップなどの打ち合わせ。授業は無くとも議題は結構ある。午後、八潮の打ち合わせを学生とする。終わって帰ろうかと思ったが、明日の打ち合わせのことを考えて予習してから帰ることにした。そこで「サステイナブルナな工場団地ってなんだろう」と考えてみた。たまさか最新号のカサベラにフェラーリの大工場が載っている。工場の建物それぞれが大建築家の設計。ヌーベル以外の名前は忘れたが、聞けば知っているものばかり。もうひとつどこかの製薬会社(だったと思うが)の工場群が載っていた。こっちはもっとすごい。sanna、槇、げーりー、メリクリ、などなどなどなど。しかしものの見事にゲーリー以外は直方体でありしかもすべて(これはゲーリーも含めて)ガラスカーテンウォールである。デザインコードなのだろうか?双方の日本語訳を読んでみたが、どちらにもサステイナブルという言葉は見当たらず、あるのは広告としての建築というようなニュアンスであった。もちろんいまどきの企業建築がサスティナビリティをネグルはずもないのだが、それは中心的テーマではないということか?しかしこの全方位ガラスカーテンウォールには熱への配慮のようなものは微塵も感じられないが、どうなってるのだろうか???気を良くしてカサベラを全部眺めてみたが工場が載っている号はこの最新号のみだった。ダルコが編集長だからかもしれないが、徹底して歴史的である。その方が正直言って楽しいけれど、、、、夕方のアサマで東京へ丸善で本を宅配ボルヘスの詩集(斎藤幸男訳)『ブエノスアイレスの熱情』水声社2008を買う。

坂倉の住宅

爽やかな秋晴れ。午後事務所で打ち合わせをしてから新橋で行われている坂倉順三展を覗く。とは言っても坂倉事務所の作品展ではなく、坂倉順三個人に焦点をあてた展覧会である。だから坂倉がコルビュジエのところで担当した住宅から始まり、当時の同僚であるシャルロット・ペリアンが日本で行った展覧会なども含まれている。そしてなんと言ってもメインテーマは坂倉の作った住宅である。坂倉の住宅と聞いてもイメージが湧かない。展覧会を見るまで坂倉が住宅をこんなに作っていたとは知らなかった。しかも切妻の住宅をである。カタログに藤森も記しているように坂倉の住宅はさほど有名ではない。これらを見て連想するのは前川国男の自邸である。あの骨太で堂々とした切妻住宅。同じコルビュジエの弟子だからまあさもありなんと言えばそうなのだが、その後の作風の違いはまだ顕著には顕れていない。しかしその住宅の質の高さは確かなものである。カタログの最初に篠原一男が坂倉に行ったインタビュー記事が再録されている。篠原も坂倉の住宅に興味を抱きその質の高さを認識してしただろうことを伺わせる。
新橋で夕飯をとって長野に向かう。車中稲葉振一郎『社会学入門』NHKブックス2009を飛ばし読む。モダニズム学問としての社会学を建築、アートのモダニズムと類比的に語る語り口を見てみたかった。なるほどモダニズムとは「自分では自由で自立しているつもりの人間精神をあらかじめ規定し限界づけている形式」を自覚する自意識であると著者はいう。つまりはメタレベルの探求、絵を描くのではなく、描き方を自覚する自意識。建築を設計するのではなく、設計方法を自覚する自意識がモダニズムだという。と同様に、社会を分析するのではなく、社会を規定している形式を分析しその時代(モダニズム)を知ることが社会学であると言う。それは著者自身言うように、つまるところ構造主義や社会構築主義的態度へと向かう。とは言えそれも社会学の一部である。こんなに広い領域を扱う学問だけに社会学とは何かとは一言では言えないようである。まあ当たり前だとは思うが。

September 6, 2009

サマーウォーズ

すっかり秋風になった。例年の残暑を今年は感じない。今日は家にいてブエノスアイレスの地図と睨めっこ。何を見るか地図にプロット。近郊にはアルゼンチン唯一つのコルビュジエの住宅Casa Curuchetがある。南半球の風土にコルビュジエの白い繊細な建物がどう映るのか見てみたい。
ベエネディクト・アンダーソン(Anderson, B)白石隆、さや訳『想像の共同体』書籍工房早山(1983)2007を読み始めた。近代以降のナショナリズムが醸造されるメカニズムについて書かれた古典と言われるが、僕の興味は、国家意識が芽生えるメカニズムをローカル文化醸造のメカニズムに重ねて理解するところにある。まあ勝手な仮定だけれど。夕方新宿に新しくできたシネコンで家族とおちあう。このシネコンは映画館が9個あり、収容人数約2000人。ヒルズとほぼ同規模だが。隣駅だから近くて便利。昼を食べていた時「サマーウォーズ」を話題にしたら、なんとなくじゃあ見る?ということになった。この映画を見ながらふと村上春樹木の『ねじまき鳥クロニクル』を思い出した。ローカルな出来事とグローバルなシステムの並走という構図の類似性が感じられたから。ねじまき鳥はそれほど明確ではなかったけれど、東京とはいえどもとてもヴァナキュラーなどこかと井戸から繋がる世界のどこかが並走していたように記憶する。サマーウォーズはもちろんヴァーチャルでグローバルなozシステムと長野県上田が繋がっていた。
グローバルな話題だけでもちょっとつらいし、ローカルだけでも元気が出ない。足して二で割るのが今のトレンドだろうか?それにしても満席の映画館を久しぶりに見た。娘も前作(時をかける少女)より面白いと興奮気味。

September 4, 2009

政権交代の影響は?

朝一のあずさで甲府へ向かう。いつもは土日に行っているのだが今日は平日。そのせいか電車は空いている。『逆さまの地球儀』を読み続ける。著者はもと日経新聞のサンパウロ特派員をしていた方。自ら語るように几帳面なアングロサクソン社会に対してゆったりとしたラテン社会を応援している。今や結託して北のアメリカに反旗をひるがえす南のアメリカがこれからは世界的に力を持つだろうと予想する。なるほどそれなら付け焼刃で耳を慣らしているスペイン語も後々役に立つかもしれない(なんて、1か月やったからといってどうということもないのだろうが、、、)。
甲府のプロジェクトは補助金プロジェクトであり、この政権交代がどのように影響するかが見えなくなってきている。クライアントが厚労省に問い合わせしても現段階では分かりませんとのこと。五里霧中を右往左往し始めた。この手の仕事は日建時代もやったことがないので本当によく分からない。
甲府の打ち合わせは毎回10時半に始まり昼をともにする。クライアントはかなりのグルメで毎度美味しいところに連れて行ってくれる。どこもこだわりの店だし、どこもマスターがクライアントと友達である。ゆっくり昼を食べ、その上今日は美味しいパンを買いに行こうとこだわりのパン屋に連れて行かれた。戻るともう3時である。話が2重螺旋のように錯綜し、結論が出ないのか出さないのか?夕方のかいじで東京へ戻る。事務所に戻り打ち合わせ。

September 3, 2009

ダメな国?

朝一のアサマで大学へ、午前中の会議に出席。5キャンパスをテレビでつないだテレビ会議である。これをやると信州タコ足大学を実感する。午後は市役所で駅前整備検討委員会へ。この手の市の整備にはだいたいコンサルがくっついているものだが、見ると市側の席の後ろに知った顔。昔の先輩後輩。バスバースがたくさん欲しいバス会社とタクシーバースがたくさん欲しいタクシー協会と広場がたくさん欲しい市民。しかし駅前の面積は限られている。ペデデッキを可能な限りたくさん欲しい地元商店会とペデデッキは景観上邪魔という有識者と。まあ、真っ向からいろいろな意見が対立し議長も大変である。自分も意見を言いながら、それを調停するようなデッキプランが思い浮かぶ。委員会終了後、それとなくコンサルI君に「こんなのどう?」と見せてから会場を後にする。
帰りのアサマで『逆さまの地球儀』を読み続ける。ラテンアメリカについて書かれた本であるが、要は日本人を含めて北半球の人間は南半球を地球の裏であるかのごとく思っているが、どっちが裏ということはないという視点で書かれた本である。アルゼンチンの説明は今まで読んだダメな国アルゼンチンの見方を少し変えてくれる。経済危機が起ころうが、ダメだと言われようが、かの国の国民は実に豊かであると。誰が何と言おうとマイペースで幸福である。ただし甘えがあるのでなかなか世界的には認められない。野球でいえば阪神タイガースのようなものだという。そう言われると何となく了解。なるほどそういう国か。しかし依然読んだ『グローバル定常型社会』の著者広井良典によればこういう国は小地域自給モデルの国として世界市場とは関係なく、豊かにマイペースで存続していければそれに越したことがないようにも思う。事務所に戻り明日の資料を確認。

September 2, 2009

レクチャーづくり

さてそろそろアルゼンチンでの講演の準備をせねばと思い立つ。あらかた作ってもらっていたパワポを前にストーリを考えなおす。ベルグラーノ大学と建築家協会と二つの場所でレクチャーをすることになっている。一体どんな人が来られるのか?何に興味があるのか?機材はそろっているかなどなどメールで質問。答えは明日かと思ったがこちらの朝は向こうの夕方で返事がすぐやってきた。大学は100人のホールで通訳付き。協会はオーディトリアム。英語でやって欲しいとのこと。大学は学生だけ、協会は建築家、ブエノスアイレス大学の学生などいろいろな人が来るようである。そこで二つのレクチャーの内容を少々変えることにする。大学は展覧会に展示されているものを中心に、比較的即物的に、丁寧に。協会ではデザインを深く突っ込んで語ることにする。しかし突っ込んだ方を英語でやるのは自暴自棄でもある。パワポを見ながら試しに英語で話しているとかみさんが部屋に入ってきて「あれ英語でやるの?」と聞く。頷くと「スペイン語でやるのかと思った」とのたまう。まさか!
午後事務所で打ち合わせ後、千葉さんの学会賞の授賞パーティーに参じる。国際文化会館に300人。すごい人。主賓槇さんのスピーチがふるっている。「昨今の建築は豆腐派(ミニマル型)かスパゲッティ派(ぐにゃぐにゃ型)に分かれますが、千葉さんは濃密な豆腐ですね」だと。なるほどその通り(過ぎる)。主賓あいさつ語食事しながら会場を一周。いやはや先週学会でお会いした同じ顔ぶれオンパレード。途中で失礼し、事務所に戻る。

September 1, 2009

校正

お昼まで雑用。たまっていた雑用の一つに原稿チェックがあった。去年長野で行ったスイス人建築家とのシンポジウムやレクチャーをまとめて本にしたいという出版社が現れた。主催者の一人が働きかけたらしい。そんなわけで急に僕のレクチャーも本の一部にしたいということになりテープ起こしした文章をチェックするはめになった。実はチェック依頼はだいぶ前に来ていたのだが、そもそもどんな本かという説明もないし、できることなら載せないで欲しいと思っていたので放っておいた。のだが、きちんと断ることもせずにいたので、出版間際にドタキャンもできず、建物の写真4枚とテープ起こしした原稿を読めるように修正して送り返した。さてあっという間に夕方、本の6ページのレイアウトになって送り返されてきた。なんと素早い。素早いのはいいがまさか全文そのまま使うとは思ってもいない。そもそもスライドレクチャーの内容だからスライドなしだとよくわからない。これはまずい。レクチャーを全文使うなら、もう少し別の校正をしなければ、、、、しかしこんな進め方ってあるか???いきなりこんな使い方をされるとは??ちょいと戸惑う。午後構造、設備事務所の人たちと打ち合わせ。久しぶりにどっぷり打ち合わせ。金箱さんも学会には4日間いたそうでお疲れさまである。帰宅後、和田昌親『逆さまの地球儀』日本経済新聞出版社2008を読み始める。