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マジな建築

後期の講義が始まった。前期に比べ、後期は非常勤がないのと講義時間が少ないので楽なのだが、時間割が悪い。金曜2コマ目は2年生のデザイン論。長野にやって来た新らしい建築学科生と初めて会う講義である。さて今年はいい学生がいるだろうか?楽しみである。今日は一回目でもありアルゼンチンのスライドを披露する。まあ寝ている学生も相変わらず多い。こういう輩は頼むから来ないで欲しい。選択授業だから取らないでほしいのだが、それでもとるのは授業のチョイスが少ないからだろうか?ああ先生が少ない。やれやれ。外国の大学の建築の先生が聞いたら、日本の大半の大学の建築学科なんて建築教育の体を成してないと思うだろうなあ。文科省の役人よ海外視察しておいで。あほみたいな電子黒板買う予算があったらもう少しマジな教育のこと考えてみたら?
この間面白い話がネットに転がっていた。スペインの事務所に就職しようとやってきた日本人が事務所のセクレタリーに大学の卒業証書を見せたところ、セクレタリーはその卒業証書にfaculty of engineering と書いてあるのを見て、「うちは建築の卒業生であることが条件だよ」と言って相手にされなかったという話。
午後は2年の製図「住宅」。学生とともに敷地見学。今年も場所は須坂。この敷地見学のころになると雨が多い。今日もかなりの雨である。
長野駅でたらふく夕飯を食べてからアサマに。車中、先日ブログで勝也君にサジェストされたローティ(Rorty, R.)富田恭彦訳『連帯と自由の哲学』(1988)1999を読み始める。前のブログで科学と宗教はどちらも人間社会の似たような現象だと書いたら、そういうことをローティーも言ってますよと勝也君に指摘された。それでこれを読んでみるとなんだか難しいのだが、確かになんとなくそんなことを言いたげである。プラグマティズムというものは宗教を科学のようにして、科学を宗教のように考えるのだと。はたまた自然科学に比べると人文科学なんてものは真理に到達しないぶんだけいい加減なものかと言えばまあどっちもどっちだというようなことも書いてある。へーまあ適当。こういうものの言い方はきっと戸田山さんのような科学実在論を信望する方からするとちょっと困るという感じなんだろうなあ。日和見な僕はどちらもいいような気がするのだが、というかそのどちらも許容するような考え方はないかと思ってしまうのだが。つまり時と場合によってということなのだが、そりゃあまりにいい加減か??

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