最初のクライアント
昨日の取りこぼし案件の会議が8時半から。というつもりで目覚ましもセットしてあったのだが起きたら8時半だった。昨晩ちょっと遅くまで研究室にいたせいか?着のみ着のままで会議室に直行。そうしたら僕が最後ではなかったのでほっとした。終わって研究室で数か所メールして、さあ出ようと思うと、やるべきことを思い出す。そしてまた出ようとすると、また思い出す。そして駅に着いてさあ電車に乗ろうと思ってそう言えば昨晩深夜に洗った洗濯物が洗濯機の中に入ったままであることを思い出す。一度マンションに戻り干してから駅へ。結局乗った電車は昼。2時に来る来客にお詫びして時間を遅らせてもらう。
車中引き続き『リチャード・ローティ』を読み続ける。なかなかヴォリュームある本である。昨日書いたとおり極めて馴染みやすい話が続く、しかしローティにしばしば向けられる批判がそうであるように、こんなにいい加減ではあなたの主張って意味あるの?って言いたくなりそうである。でもやはり強い思想性を感じるのは①「残酷さ」と「苦痛」の減少②私的自由の保護というこの2点を除いて思想の一貫性と呼ぶべき様なものを徹底して排除するその姿勢。この排除への執着に彼の強靭さを感ずる。弱さを強く表すことは魅力的である。
事務所に戻り僕の最初のクライアントと打ち合わせ。建物は別荘。日建時代に夜中設計し、20年前にSD REVIEWに入選した懐かしい作品。メンテナンスをはしょったところ雨漏りがひどくなってきたとのこと。20年たち当時の施工者は倒産し、地元の工務店を数社探し見積もりをとって持って来た。不思議なもので全く同じおさまりの屋根でもダメになったり調子が良かったりである。太陽の方向や、木の有無で変わるのだろうか?クライアントは僕の中高の同級生。同じクラブで運動していた仲である。飛行機の仕事がしたく航空学科に行ったのだが、中退して家業の河豚屋を継いで約30年。店を賃貸にしてさっさと隠居生活を始めた。3人の子供はみな就職。確かに残りは夫婦水入らずの時間だろうが少々早くないか?