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July 31, 2008

プレゼン

7月30日
九州プロジェクト最初のプレゼン。施主の趣向を計りかねることと、設計期間がないことから案を5つ持っていくことにした。どこかでミートしてくれないと設計が伸びる。しかし5つも案があるとクライアントも迷い、各案のいいところを足して総合して欲しいというようないいとこどりの要望が出てくる危険もある。一か八かというところ。しかしそれは杞憂だった。ある一案を気に入ってくれてそれに修正要望をいただくこととなった。ほっとした。同時にどっと疲れがでた。夕刻某社でエコタウンの研究会。この会社はサステイナブルシティの研究所をつくり、ドイツ、中国から優秀な研究者を招聘した。その研究会で中核施設のコンセプト、デザインを進めていくこととなる。今時のサステイナブル建築についてやや懐疑的な私。しかし21世紀は少しまじめにこの点を考えてみるのもいいかもしれない。手弁当だがいつか仕事にもなるかもしれない。
今週月曜日我々の設計したリーテム東京工場を天皇陛下が視察のため訪れた。大変好評だったようで設計者としても嬉しい限りであるhttp://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080728/imp0807281220001-n1.htm

July 29, 2008

建築士法改悪に伴う大騒ぎ

最近建築士法の改正(悪)に伴い、大学院の2年を実務にカウントするか否かが議論を呼んでいる。国交省は実務に関連する授業を査定して認めた単位が30単位あれば2年実務にカウントしようと考えている。ところがこの認定基準がまだ定かではない。一方で来年の大学院入学者からこの制度を適用しようとしており、各大学どう対処するか右往左往している。この方向性を探るべく、あっちこっちの知り合いの先生に各大学の方向性についてヒアリングする。大きな国立大学、地方の国立大学、私立大学、美大系私立大学などなど。まあそれぞれ考えていることはさまざまであることが分かった。こんなに思惑が異なるというのは単に方針の差ではなく流布している国交省の方針があやふやであることに起因しているとしか考えられない。基準を明確にしてから再来年くらいから施行するのが筋というものではなかろうか?人騒がせである。
夕刻k-projectの見積りが届く。案の定1割オーバー。ただし内容をよく見ていくとまあなんとかクライアント予算には近いところに落とせそうな気がする。今回時間がないのでかなりコストに注意して設計してきた。それもあってこう言ってはなんだが1割オーバーというのは建築家人生においてオーバーの比率は最も小さい。見積書を見終わった頃やっと明日のプレゼンの模型が全部完成。最初のプレゼンで持って行く模型が5つというのは別に多い方ではないのだが、それぞれの完成度の高さから言うとこれもまれなケースである。こちらも時間が全然無いのでどの方向になろうともすんなり進めるようにかなり慎重。

e-mobile

午後学会の委員会に出席して夕刻戻る。この委員会、「木質バイオマスの有効利用」というタイトルでおよそ私の専門分野とはかけ離れている。しかし成り行きで参加している。それでも他の先生の発言を聞いているといろいろ勉強させられる。どこで使えるか分からないけれど知っておいて損は無い。ところでこの委員会に出席している先生の殆どがe-mobileのコンピューターを前にしている。皆様々な話題ごとにネットで検索しながらその情報を披露している。更には貴重な情報をその場でメールで飛ばしている。更に隣のs先生はちょっと空いた時間に外国の洋書をクレジットカードで購入したり出張のホテルの予約まで。なんと時間の有効利用。やはりe-mobileは必携だろうか?委員会が終り同じ委員会に出ているI先生が急いでいる。これから福岡に飛ぶという。昨日は同じ学会の支部大会で金沢におり、一昨日は帯広にいたという。なんと忙しい。僕などいい方だな。夕刻事務所に戻りメールと電話。夜友人達と暑気払い。バンカー、医者、弁護士、ゼネコン、新聞、ヘッドハンター。異業種の表話、裏話が飛び交う。この暑さだが皆元気そうである。

July 27, 2008

東京へとんぼ返り

6時半起床。ホテルの朝食をとり、駅前からバスに乗り9時前に金沢工大に到着。昨日始まった建築学会の北陸支部大会。今日は9時から研究発表会。計画系Ⅲ室の最初のセッションの司会を行なう。二つ目のセッションに僕の部屋の学生二人の発表がある。それを聞いて大学を後にしてバスに乗る。昼食をとり駅へ向かう。もっとゆっくりしたいところだが、貧乏性である。特に目的も無くぶらぶらできない。1時15分のはくたかにのる。在来特急から新幹線に乗り継ぐと割引があるので多少高いがグリーンにのる。グリーンは横3列片側一列なので実にゆったりしている。車中堂目卓生『アダム・スミス』中公新書2008を読む。国富論で有名なアダムスミス。彼の議論は博士論文でも少し引用した。そんなわけでもう少し知りたい人物。自由を尊重する見えざる手で有名な人物だが、彼にはもう一つ重要な著書がありそれが道徳感情論というものだそうだ。リベラリズムに潜むべき道徳とは何か?今知っておくべきことのような気がする。7時近く事務所に到着。皆頑張っている。水曜日プレゼンであることを伝えていたので、それに即した進捗であった。図面はだいたい出来ているようである。

July 26, 2008

メイロウィッツ

昼のアサマで軽井沢。学生時代に見た篠原先生の土間の家、そしてその傍の奥山さんの新作、続いてアトリエワンの新作を駆け足で見るhttp://ofda.jp/column/もう少し緩いスケジュールにしておけばよかったがそうも行かない。5時40分のアサマで高崎に行って上越新幹線に乗り換えて越後湯沢。そこから特急白鷹に乗り換え金沢へ。車中ジョシュア・メイロウィッツ『場所感の喪失』を読み終える。この本、電子メディアが場所感を喪失させたということが書いてあると思っていたがそれはどうもメインではない。そもそもネット社会のことが書いてあると思ったこの本だが主はテレビと本の差である。その差は本がコミュニケーション的、言説的、デジタル的、なのに対しテレビは表示的、現示的、アナログ的と言う。この対比で行くと、実はテレビの次ぎのウェッブの特徴はテレビ的というより、本的なのである。つまりメイロウィッツの視点だとウェッブの特徴が鮮明に見えてこないということとなる。そう思うと急にこの本の魅力が薄れそうなのだが、やはりマクルーハンと、ゴフマンを相補的に扱いながらつづるその語り口は新鮮な側面もある。

ssd

猛暑は続く。毎年こんなに暑かっただろうか?あまりの暑さに昼食に出るのをためらっているうちに3時。もちろんいっこうに涼しくなる気配はない。坂本先生と電話で話す。新建築の論考について。形式性とスケールと現実。これまで極めて観念的だった坂本先生の理念の中に、スケールというとても実体的な概念が(堂々と)入ってきたように思うと述べた。するとそれに呼応してかどうかは定かではないが、少し新たな地平を獲得できたような手ごたえを感じているとおっしゃていた。たまっていた雑用を片付け、大学の書類を作成しメール、学会の論文査読を行いメール、ネットで明日の出張の切符を手配。軽井沢、高崎、越後湯沢、金沢。空いた時間に来週のエコタウン研究会の予習をかねて、東京大学cSUR-SSD研究会編『世界のSSD100―都市持続再生のツボ』彰国社2008を読む。世界の地域開発(復興)の事例が電話帳のような写真の束となり、いくつかに分類されている。川を生かすとか、ブラウンフィールド再生とか、新しい郊外とか。多分切り口は既成概念の域を出ていないのだろうが、全てが事例なので見ていて楽しいし、説得力がある。エコタウンの参考に読んでいたのだが、八潮の街づくりについて考えさせられる。今信大チームは音に注目して、txや工場から出る、どちらかと言うとそれらの負の側面:騒音ををどう防ぐかを考えている。しかし再生や開発は負の価値よりやはり正の価値を正面に出す方が常道なのかもしれない。当たり前だが水、農地、太陽、これらは普遍的な正の価値(もちろん負の価値の転換も必要なのだが)。夜11時頃、3人束になってかかっている来週行なうプレゼン進捗をチェック。今週末の作業を確認して解散。最近の仕事は、担当はいるものの、締め切り近くなるととにかく全員体制である。

July 25, 2008

出張ゼミ

午前中事務所外でミーティング。午後プロジェクトの進行状況チェック。模型が並ぶ。敷地条件が厳しくないので解法はいろいろ登場する。前回3つに絞ったのだが、いろいろ増えて5つとなる。
夕刻東工大の篠野研究室のゼミに呼ばれる。ゼミ本は拙著『建築の規則』。最初僕の作品をスライドでお見せし、その後、m1が作ったレジメに沿って発表と議論。レジメが明快。先ずは全体の骨格を図式で書いているところが気に入った。またレジメをぐだぐだと読まないところがいい。内容を簡潔に要約して言う訓練がなされている。うちのゼミだと何度言ってもレジメの読み上げになってしまうのだが。
しかし議論はもっぱら篠野先生の独壇場。僕が学部の時の助手だからもう頭は上がらない。相変わらず意匠論の言葉の貧困と想像力の欠如を歴史論文と比較して指摘される。歴史は資料をもとにある一つの結論へ落とし込む時に筆者のロマンが注ぎ込まれるのだろうが、意匠論でそんなことをしたらただの戯言ではないか。意匠論を論文にまとめる難しさも分かってほしいのだが、、、、マニフェストはまた別に書きますよ。
篠野研究室は東工大長津田キャンパスにある。緑に囲まれた山奥。学部時代に一度だけ来た記憶がある。10時半頃おいとましたのに帰宅したのは12時を回っていた。

July 23, 2008

形式と現実

朝某ミーティング、午後九州プロジェクトの打合せ。打合せというよりはその場でスタディというところである。アクティビティの流れはある程度できてきたのだが、、、、
昨日坂本先生と電話で話をした時に、水無瀬の増築が新建築7月号に載っていると聞いた。そういえばその号は読まずに本棚に突っ込んでいた。水無瀬の母屋は相対的に強い垂直的な形式性を持ち、ハナレは緩く水平的な形式性を持つ。そしてそれらが中庭を介して接続する。と説明されている。この説明は本物を見た時に感じたことでもある。また、この号には久しぶりに坂本先生の論考「構成形式と現実の緊張関係によるスケールから生まれる詩的インパクト 」が掲載されている。この論考は読んで即座に理解される。建築家とはある種の形式を設定し、設計を始めるのだが、その形式性は変化無く持続できるものではない。様々現実的な条件(法律、コスト、敷地など)によって崩されていくものである。そしてこうした現実との衝突によって形式はよりリアルなものへと生まれ変わると述べる。あるいは形式が形式主義に陥らないためにもこうした現実化の過程が必要だと説く。この論考の主旨は明快である。しかしあまりに判明なこの趣旨が一体どれほどの内容を持つことなのか、何を本当に問い質したいのか、実はまだ本当の理解に到達できてはいないかもしれない。今度お会いした時によく聞いてみたいところである。

講評会

7月22日
今日は製図第3の講評会。ゲストにみかんぐみの曽我部氏をお迎えした。12時半から2時半まで55名全員の発表を聞き16名を選んだ。3時頃曽我部さんが到着。1時間レクチャーをしていただく。熊本の保育園。伊那の小学校。そのほかアート作品。これだけ笑わしてくれる建築レクチャーは始めてである。レクチャーの後選ばれた16人の再プレゼン。その中から3人の先生が一名ずつ優秀賞を選んだ。その後曽我部さんを囲み学生と打ち上げ。先週からの3連ちゃんのゲストパーティがやっと終わった。学生はこれから試験期間である。ラーメンを食べて帰宅。

July 21, 2008

場所感の喪失

朝事務所で模型を作る。なんだかこの「ダサい」感じはいいんだか悪いんだかよく分からない。もちろん正解ではないのだが、少しヒントがありそうな気がしている。来週からバイトがやっと来るということなのでわんさか模型を作ってもらおう。そのためにはスケッチもわんさか作らねばならないのだが。午後打合せ。スタッフの意見もあっち行ったり、こっち行ったり。まだまだスケッチの量が少ない。久々の自由な敷地なので打つ手が多すぎる。放っておくとフォルマリズムに流れていく。生活感が希薄なのである程度仕方ないとしてもそれだけでは意味が無い。見る風景、見られる風景。この緩やかな勾配との馴染み方。
休み無く出ずっぱりで少々ばててきた。帰宅後夕食まで大の字で倒れる。夕食後、ジョシュア・メイロウイッツ安川一他訳『場所感の喪失』新曜社2003を読む。A0勉強会に来る社会学者のm君に教えてもらった本である。イントロを読んでいるとゴッフマンの相互行為論とマクルーハンのメディア論を相補的に扱いながら現代のコミュニケーションを考えようというものらしい。ここからはこの本の内容についての想像だが、、、電子メディアにおける情報の発信や対応は特定少数より不特定多数に向けることの方がデフォルトな場合が多い。ブログもいい例である。これを特定の人だけに開示するのは結構面倒である。リアルな社会では不特定多数に情報を発信する(例えば駅まで演説する)方が個人に何かを伝える(手紙を書く)より物理的にも精神的にも大変なのだが、電子メディア上ではその差は殆ど無い。個人と言うものは常にその個人の居る場所との関連性が強く意識されるものだが、不特定多数ではまさに特定できない。相手がどこに居るのか皆目検討がつかない。そこに電子メディアコミュニケーションにおける場所感の喪失が起こる。イントロを読みながら内容をこう予想してみた。

今日も激暑

八潮市ワークショップ2日目。予報通り今日も激暑。小川、槻橋、寺内の三先生と私は自転車をこぎながら綾瀬川、葛西用水を見て周る。たまに現われる不思議な建築に槻橋氏が的確なコメントを飛ばす。さすが編集者。このあたりの川は流れが悪く、生活排水が流れ込んでいるので臭い。これらの川を繋ぐ用水路にたまに出くわすがこれらも臭い、汚い。昨日の市民の声にもあったが、用水路の生き残りは必ずしも賞賛できるものではないようである。綾瀬川を西に越えたところで用途地域が工業に変わる。大型の製紙工場があった。酸っぱい臭いが鼻をつく。少し戻り八潮市歴史資料館に立ち寄る。なかなか立派である。このあたりには縄文時代からの居住の歴史があったとのこと。新興住宅地かもしれないが歴史は古い。外部には明治初期の庄屋が曳き屋されて残っている。昼食後2時頃寿楽荘に戻る。次回ワークショップのスケジュールを学生に指示し、解散。明日が休みなので今日は長野に行かなくとも良い。東京に戻り事務所へ行き九州プロジェクトのスケッチ。なんとなく配置のアイデアがひとつ浮かぶ。明日午前中に模型を作ろう。帰宅、夕食後、山本まさき/古田雄介『ウィキペディアで何が起こっているのか-変わり始めるソーシャルメディア信仰』九天社2008を読む。匿名で書き込むことができるウィキペディアにおいてもipアドレスが残るので、ウイキィスキャナーを使うと書き込んだ人間の概要をつかめるらしい。外国版ウィキペディアでは実名でないと書き込めないとか。ネットの匿名性も揺れ動く時代か?

July 19, 2008

八潮ワークショップ

梅雨明けの激暑の中、昨日の疲れを体にためて、八潮市の第二回のワークショップに出かける。短パンに麦わら帽という出で立ち。皆そんな姿で来るとと思いきや、キチンとした格好じゃないか!小川君に「市長も来ますよ」と脅かされたが、こちらは体が一番。ところが、午前中の自転車視察をするつもりが、先生達は別室で会議。そして昼をとってから市民を交えた各大学の発表会。この会場がまた以上に冷房が効いて寒いのなんの。なんだか今日は裏目である。各大学の発表の後は市民が去年一年かけて都市計画のコンサルとともにまとめた自分の町の評価分析をプレゼンした。昨日安さんが学生に何度と無く言っていた、建築と都市計画の違いを感じるものだった。都市計画は規制的、論理的、マクロ的。建築は創造的、感性的、ミクロ的。と言っていた。日建では双方を一社の中でまとめるのだが、その間には埋めがたい溝があるものである。どこかの時点でどちらかが折れて妥協するものである。その場合どちらが折れるかというと、だいたいは建築なのである。何故か?都市計画のほうが論理的だからである。今回も都市計画の論理と建築の論理が正面からぶつかったら都市計画の論理に軍配が上がるだろう。夜は学生を交え夕食。学生はそのままそこに泊まり先生達は帰宅。明日も激暑だろうか?

建築学科設立記念講演会

午前中のアサマに乗る。ひどい暑さ。大宮の少し手前でひどい雨。長野も一雨あったのだろうか地面が濡れている。そのせいかひどく蒸し暑い。今日は午後3時半から建築学科設立記念講演会。日建設計の安(副社長)さんに来ていただき都市づくりの話をしてもらうことになっている。2時頃会場を確認に行ったら机を全部倉庫に入れて椅子だけが170並んでいた。ちょっとした行き違い。指示ミスだった。これでは学生がメモをとれない。机をだして会場を並べ替える。
3時頃日建から安さんはじめスタッフ到着。会場は2年生、3年生で埋まり。満員。学外からも建築家の方が数名いらしていた。話は明治から始まる東京の都市計画史、日建の街づくりの事例、そして地方都市のこれからの生き方へと続く。なかなか聞き応えがある。役所的な都市計画については学生も知っているのだろうが、民間の都市づくりの実体というはなかなか理解できるものではない。学生全員に感想を書かせたのだが、都市づくりへの興味の高まりが感じられる。安さんに来ていただいたかいがあった。夕食をご一緒して最終で東京へ帰る。東京は一段と暑い、四谷からの道が長かった。

July 17, 2008

模型

朝一のアサマに乗る。昨夜の疲れがたまり車内は熟睡。事務所にk-projectの質疑が届く。仕様の書き忘れが多い。追加の図面は未だ出来ておらず明日発送になりそうである。日建から明日の講演会のパワポがメールされてくる。なんと150ページ。90分の予定だから1分2枚くらい?とんでもない速さになる。九州プロジェクトの模型がいくつか出来ている。L字案を大学から送ったつもりが着いていなかったようで、自ら模型を作る。傾斜敷地から作るのでやたらとスチレンボードが消費される。もったいない。夕刻の打合せまでに模型が5個並ぶ。そのうち配置の可能性から3案を削除。2案を洗練させ1案を加え更に進めることとする。

講評会

7月16日
午前中、週末の八潮市での発表の内容を聞く。画像が今ひとつインパクトないのだが、、、お昼頃、額に汗を浮かべて金箱さん到着。今日の長野は一段と暑い。2年生から院生まで80人くらいは集まっただろうか講評会前に金箱さんのショートレクチャ。「構造設計の発想」をお話いただく。改めて金箱さんの設計思想を聞いた。いままでのお付き合いの中で感じてきたことが言語化された感じである。v事例の中には僕の作品も二つ入っていた。ありがたい配慮。
講評会は15人3時間の発表と講評。最後に、常勤、非常勤、ゲスト計7名での投票を行なった。最優秀一つと優秀二つを選ぶもの。その結果ある一名に6名が最優秀の票を入れ。ある一名に全員が優秀の票を入れた。すごい偏りである。7名もいて建築の考え方も違えば普通はばらけるものなのだがそうならない。これはどういうことだろうか?多分、基本的な部分でレベル差が明確にあるということなのだと思う。しかしこのレベル差は個人の力量もさることながら、テーマ設定によるところも大きい。最初の興味が上手くはまった人は得をしたという側面もあるだろう。
夜は講評会の懇親会としては珍しく構造系の学生教員も大集合。40名近くで金箱氏を囲む。

July 16, 2008

シンプル

午前中修論ゼミ。翳、山、装飾、メディア。徐々に前進しているかな?後退しないように。夏休みが勝負。お昼に市役所の方と打合せ。市のデザイン専門部会の仕事を引き受ける。最近役所の方との打合せは全部お昼休み。そのせいで、昼食をとり損ねることしきり。午後少し時間が空いたので、メールで返信をもらえていないような相手に電話しまくり。すっきり。空いた時間に『ファッションの歴史(下)』を読む。分からない服飾専門用語連発。画像がないとさっぱり分からない。ネットで絵を見るとよく理解できる。夕刻製図第五の講評会会場作りを確認しに行く。選択製図で17人の発表の予定が2人脱落で15人となった。明日のゲストクリティークは金箱さん。それから非常勤講師が3名。常勤3名。なんと15人の発表に講評者が7名。どういう講評になるのか楽しみである。夕食後スケッチ。昨日没にした案をもう少し考え直す。最近工期がない工費がないと言う木造設計の連続である。そのせいか先ず構造を先に考えるようになった。歩留まりがよく施工者が間違わず簡単。であるためには構造をシンプルにせざるを得ない。こんな風に設計をする態度は日建時代を通じても殆ど無かったことである。弱気?いやいや、単純だけど奥深いということを考えている。できあがったスケッチをpdfで事務所に送る。さあ帰ろう。

July 14, 2008

パノフスキー

講義、会議、ゼミ、今日はパノフスキーの『象徴形式としての遠近法』を読む。パノフスキーはジェンクスの先生だった人。uclaでジェンクスは再三パノフスキーを引き合いに出し、イコノロジーとイコノグラフィーの差を説明していた。正直言ってその当時その差を正確に理解できなかったのだが。
輪読の後、前期ゼミ最後の即日設計。大学院を受けたいという理科大のT君も参加。2時間で800㎡の美術館の設計をしてもらったが、前回の住宅に比べるとかなり描けている。時間配分が分かったのかな?学生の設計中こちらもスケッチ。1案出来て、事務所にファックスしようかと思ったが、冷静に考えると欠点がかなりありそうなので没。夕飯抜きでやっていたので空腹である。時刻は10時半。先ほどの製図を採点して帰ろう。

July 13, 2008

メディア

昼から事務所でA0翻訳読み合わせ。今日でやっとethical fallacyの章が終わった。終わったのはいいが次は自分の章conclusionの読み合わせである。訳を作らなければ。この夏休みがいい機会ではあるのだが。時間が取れるだろうか?
今日も外は暑い。クーラーは全開。少し早く終り、またプロジェクトのスケッチをしていたのだがまとまらない。しかたなく帰宅。夕食後昨日読みかけの『ネット君臨』を読み終え、デビッド・ワインバーガー著柏野零訳『インターネットはいかに知の秩序を変えるか?』エナジクス2008を読み始めた。最近メディアとしてのネットの特質を調べている。修士論文でウェッブ上の建築について書こうとしている学生がいるからである。勉強会の時、m君にネットのメディアとしての特質をマクルーハンのように書いた本を知らないかと聞いたら、ジョシュア メイロウィッツの『場所の喪失』という本を教えてくれた。マクルーハン後のマクルーハン流のメディア研究の定番だそうだ。アマゾンで調べると上下巻の上巻のみ売られている。下巻は未訳?売り切れ?とりあえず上巻のみ注文する。

July 12, 2008

シーランチ

午前中、J.アンダーソン・ブラック、マッジ・ガーランド 山内沙織訳『ファッションの歴史(下)』パルコ出版1993を読む。上巻は古代から16世紀まで。こちらは未読。下巻は17世紀から始まる。ファッションは建築同等に機能性と機能性を超えた何かの融合物。一つのデザインを構成する機能的要素はある程度想像がつくものの、それを超えた部分は分からない。いやその境界が読み解けない。17世紀の西欧の服飾が一体どうしてこんな形をしているのか?この本は少しはその謎を解いてくれる。午後事務所でスケッチ。今日も30度を超えているだろうか?事務所の冷房を最高にする。ポツポツと人が現れる。九州プロジェクトのスケッチを1/100で描いてみる。基礎が高くなるところに車を入れてしまうというのはあり得そうだが、法的には3層になるのとアプローチがやや大げさになる。1階と2階とで開口の方向性をずらしたいのだが構造的には通らなくなるので少しつらいかな?しかし木造でいくなら構成はこの辺が基本だろうか?外装は無塗装の木か、鉛。無塗装の木と言えばシーランチ。レッドウッドが風化するこの味わいは悪くないのでは?海が遠くに見えるこの草原もシーランチ的かもしれない。
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帰宅して夕食。浴室のカランのサーモスタットが壊れて混合栓からは熱湯しか出てこない。洗面から洗面器で水を汲んで浴槽に足してなんとか入れる温度にする。風呂につかりながら毎日新聞社取材班『ネット君臨』2007を読む。匿名性に包まれるネット上の人間をなんとか追いかけてよく取材しているのだが今ひとつ切り口が単純か?新聞記事の宿命である。

バシリカと民家

7月11日
早稲田に行く前に事務所に寄る。徹夜のT君が眠そうな顔で最後の図面をプリント中。聞けば完徹とのこと。プリントアウトして青図屋さんに図面を出したら仮眠をとるように言う。今日は早稲田の最終講義。といっても学生の発表。口を酸っぱくして、参考文献で自分の考えを相対化するように言っていたせいか、全員パワポの最後は参考文献であり、なかなか興味深い本が並んでいる。講義の最後にひとこと話した。
「建築家が幾ら頑張ったって日本の建築環境はよくならない。いい建築ができるためにはいい施工者といい施主が必要。しかしいい建築家・施工者・施主のいる確率は全て1/10。だからいい建築のできる確率は1/1000なのである。この確率を上げるにはもちろん自己研鑽もあるのだが、施主つまりは社会全体の建築民度向上が必須。いつかは施主になり、加えて日本の文化になんらかの形でかかわるであろう「文化構想学部」の君達に建築を理解してもらうことは大変意義深いのである」。と述べて講義を終了。事務所にもどり3時、5時と図説。図面が間に合わず詳細はフリーハンドスケッチを暫定的に提出。こんなことは初めてである。夜九州プロジェクト打合せ。何しろ時間がない。シンプルで重い建築。中世のバシリカ?磯崎の影響?そんなことを考えて下に降りると、伊藤君はロマネスクの本を読んでいる。集合住宅の居室に作る架構の連続体の参考にとのこと。僕の重い建築の話をしたら、民家の本を見せてくれた。バシリカと民家。和洋が錯綜する。

July 10, 2008

重厚

図説前の第二回めの査図。出来てない図は追加変更で出すし、それらはとりあえずスケッチで勘弁してもらうのだが、それにしてもまだ間違いも多々ある。明日の11時までに(青焼き屋が取りに来るまでに)直しきるかな?
夕刻中国出張中のナカジからメール。やっと工程表がでてきた。6月の初頭上海近郊は大雨で着工が遅れたのだが、やっと杭打ちが始まったようである。とりあえず着工できたのでほっとする。
九州プロジェクトのスケッチを開始。いかに「重厚」を建築化できるのだろうか?ここが当面のポイント。現代の軽い建築をアイロニカルに批判するにはいいテーマなのだが、やり慣れないことなので前へ進めない。ふと磯崎が唯一日本建築で心を動かされた建物が東大寺の南大門であったことを思い出す。そしてあの豪快な形状が空中都市に繋がったことがヒントかもしれない。細さを消す。太さを面にする。少しスケッチは進みそうである。

July 9, 2008

広さ、長さ、高さ

朝から来週末のワークショップで発表するための打合せ、うっ、なんだこれ?2週間でこれ?何してたの?なんて問い詰めたところで何かが進むわけでもない。仕方なく一緒に考える。もう小学生の先生みたい。最初の直感は面白いのに、そこから展開する力が無いのか、単に時間をかけてないのか?ワークショップに魅力がないのか遠くて面倒臭いのか?信大に来た当初はこんなの見たら烈火のごとく怒っていたのだが、最近だんだん慣れてきてしまった。教師失格?
午後のアサマに乗る。社内で読みかけの『磯崎新の都庁』を読み続ける。磯崎さんは僕等から見れば能力はもちろん天下一品としても仕事に恵まれたラッキーな人だと思っていたが、この自伝のような本を読むと、それなりに苦労されているのを知る。変な話だが、スーパースターの苦労話は自らを勇気付ける。事務所に戻り様々報告を聞く。k-projectの確認の疑義が役所から届いていたが、瑣末なものでほっとする。坂本昭さんから本の御礼で感想のお手紙と大阪の菓子が届いていた。スタッフと食す。美味である。こんな丁寧な対応をしてくれるなんて本当にありがたいいことである。夕食を食べてから、来月頭に行なう女子高校生を対象としたワークショップのパワポを作る。善光寺宿坊に一泊させて、一日目は東山魁夷館を見せて二日目は善光寺を見せる。宿坊でレクチャーするのだが、一枚目は「建築は何で出来ているの?」と言うタイトルにする。大学時代の教科書だった学会の「構造用教材」を探したら奇跡的に雑誌の間から出てきた。組積造と木造から何故鉄骨やrcが発展したのか、その理由を探していたら日建の小堀さん編著の本『広さ、長さ、高さの構造デザイン』建築技術2008が目に留まる。これだな。広さ、長さ、高さ、この人間の欲望と要望が鉄とrc発展の原動力。そういうストーリーは高校生には分かりやすかろう。ちょっとお借りします。

July 8, 2008

合理性

修論ゼミを終えてあわてて昼食。休む暇なく午後の製図。製図の授業は5回休むと不受講というルールがあるのだが、逆に5回休んでもよいものと捉える学生もいる。確かに製図は成果物勝負なのだが、3年生でエスキス受けずにいいものが作れるなんてケースは先ずあり得ない。今週の長野は蒸し暑い。夕食後しばしスケッチ。『ファッションと身体』第五章ファッションとジェンダーを読む。ヴィクトリア朝時代、ファッションでは男女を問わず、不要に体を抑圧するもの(コルセット、堅いカラー、きついベストにジャケット)は「非合理的」として批判されたと言う。建築ではゴシックが評価されていた。それはゴシックの構造合理性によるとも言われている。19cも理性の時代(the age of reason 18c)だったということか?

July 7, 2008

恥かしい

朝一で会議。午後講義。そしてゼミ。ゼミの最後に即日設計。2時間で住宅。これまで住宅の図面を暗記させてきて、少しはその効果を期待したが、甘かった。まだまだ寸法がめちゃくちゃ。特に駐車場と階段は殆ど全滅である。先ず車の寸法があまりにいい加減。3メートル×2メートルなんて平気で書いている。3メートルの車って何?その上超絶技巧をこらして壁とのクリアランス10センチで車庫入れしてもドアが開かない。つまり人は出られない。階段はのきなみ2メートルしかない。全長2メートルの階段って梯子じゃないんだから登れないだろうそんなもの。まあ他にも赤ちゃん用の6人がけテーブルとか、奥行き1メートルの流しとか、はば50センチのトイレとか、まああげだすと笑っちゃうもの連発である。一晩酒無しで楽しめそうである。車のサイズを知らない建築家の学生ってドレミファを歌えない声楽科の学生のようなものだと思うのだが。ちょっと恥かしくないか?
飯を食って事務所からのメールをチェック。新しい仕事のスケジュールを見ながら、まあこれでやるしかない、と腹をくくる。案が出てくるだろうか?一抹の不安。いつもは、どこかで何かが出てくだろうと高をくくっているのだが今回に限ってそういう確証の無い楽観主義に立てないでいる。まあそんなペシミスティックになっても仕方のないことだが。


常識

7月6日
朝日が山裾から昇るのを見たく5時半に起きる。その日の出の場所を確認したかったが雲が邪魔して見えなかった。朝食前にもう一度敷地周辺を見て回る。隣地の保養所や電信柱が視界をさえぎる。なかなか方向性の見つけにくい場所であることを再認識。朝食後空港まで車で送っていただく。昼ごろ帰宅。昨日、今日のおもてなしの御礼をしたためる。その昔、林昌二さんにとある件で礼状を書いておいてくよう言われたことがある。投函前にその文面を真っ赤にされた。礼状の書き方を教わった。「人に何かを頼まれたら断ってはいけない。人に何かをしていただいたら御礼せよ」と当たり前のことを再三言われた記憶がある。若い頃はなんと小うるさい舅のような人だと思っていたが、そういうことはやはり必要なのである。彼は建築もうるさかったが、それ以外も(いやむしろそれ以外の方が)小うるさかった。でもそれらは単なる常識ばかり、その常識から逸脱すると怒られたものである。九州からの機内で読み終えた『裁判の秘密』の中で裁判官とはオタクばかり、裁判とは常識で人を裁くことであるはずなのにその裁く側に常識人が少ない。法の番人としてのプライドばかり高いと書いてあった。建築家という人種も下手をするとそういうプライドがこびりつきやすい。「先生」と呼ばれることの多い職業はそうした陥穽が待ち受けている。その意味でも林さんの教えは有難い。
夕刻少し早めに家を出て長野に向かう。社中平松剛『磯崎新の都庁』文芸春秋2008を読む。著者は木村俊彦事務所出身の構造設計者であるが、ノンフィクションライター顔負けの筆力である。

July 6, 2008

胃が痛い

7月5日
9時40分発JAL大分空港行きに乗る。11時10分くらい着陸態勢にはいり降下。厚い雲の中に突入。後少しで着陸という瞬間にエンジンがフルスロットルで機体は急上昇を始める。再び機体は雲の上。しばらく水平飛行を続けたところでアナウンス。「大分空港は急激な天候悪化のため滑走路が確認できず着陸を断念。福岡空港に着陸します」とのこと。大分空港で初めてのクライアントと会うはずだったのに。しかし実は福岡から高速バスんで大分まで100分。最終目的地を考えるとこれでも良かったのかもしれない。高速バスを降りたところに迎えの車がきており、クライアントの保持する会員制のホテルに。ここはレセプション棟にレストランラウンジ等があり、宿泊室は離れになっている。この会員制ホテルの周りに分譲別荘の敷地が数十あり、その中には大手企業の保養所もある。その別荘地の中に、別荘のモデルハウス機能をそなえたゲストハウスを作ろうというものである。
敷地を見ながらいろいろ話を聞いていると、こうしたゲストハウスが必要とするホスピタリティについて遥かに僕より経験が豊富であることが分かる。かつてこうした埋めきれない経験の落差を感ずることが数回あった。先ずは日建入ってまだ若かりし頃のことである。日建のクライアントである企業は担当者が営繕20年というような人ばかりだった。全然経験が違うのであり、こっちの言っていることなどまるで厚みがない。自分の主張などまるで役立たずだった気がする。次はこちらも少し建築的経験が増し、建築の話なら負けないと思えるようになった頃に出あったスポーツウエアメーカーの社長。ここの社長は自らの指導で志賀高原にホテルを作った。このホテルは文化人の溜まり場となっている。僕は先ずこのホテルに泊まらせられた。そしてその後の設計現場においては材料、空間に関してそのオーセンティシティを徹底的に説かれた。今回のクライアントも同じ。京都俵屋に20年間通うというこの方はこの会員制ホテルの拘りを切々とを語ってくれた。このホテルはスーパーゼネコンの設計施工なのだが設計者はさぞ大変だっただろうと想像する。しかし次は自分の番である。
ゲストハウスに寄せるクライアントの要望は「重厚で、斬新で、周囲のスーパーゼネコン設計の建物に負けない」ことである。こんな仕事ができて嬉しいような胃が痛いようなである。

July 4, 2008

真夏日

午前中早稲田での講義。今日は学生の発表である。独り10分の発表だけど面白いなあ。理系の学生だとこんな風にはいなかないような気がする。もちろん僕のテーマが建築の社会構築性だから自ずと話は理系的にはならない。だから文系の学生の方がはるかに自分の専門分野にひきつけて理解しそれを昇華して発表できるわけだ。更に言えば彼等の引っ張ってくる参考文献が楽しい。僕の知らないようなものもいろいろ登場する。こちらも勉強させていただいている。更に、彼等が2年生だということを考えるとそのプレゼンはなかなか堂に入っている。誉めすぎかもしれないが、安い講師料を補うだけの教える手ごたえを感じる。
午後事務所に戻るとすぐにクライアント来所。額に汗をにじませながらフーフー言って入ってきた。今日は32度。いきなり真夏日である。今日に限ってスタッフもパートナーも11人全員いる。クーラー全開でもまだ暑い。クライアントが買ってきてくれた高級アイスクリームを皆で食す。ありがたいお土産である。

July 3, 2008

申請

朝から図面の赤入れ。電気図のスイッチングに赤を入れる。終わって申請図のチェックリストなるものにチェックを入れる。このチェックリストは目黒区では提出を義務付けているようなのだが、43ページもある。こんなの見るのは建築家人生で初めてだ。一体これは法改正に伴うものなのか?目黒区の伝統なのか?基準法の殆ど全ての項目が書かれているのだから分厚いわけである。まあいい加減な申請書が多いからちゃんとやれよということなのだろうが、面倒臭い。しかしそのおかげで、久しぶりに基準法をよく読んだ。読んだのはいいが時間は過ぎる。結局提出は明日に持ち越し。
夕刻クライアント候補から電話をいただく。九州のある場所にゲストハウスを作りたいとのこと。土日で行くことにするのだが、飛行機の予約というのは最近したことが無い。ネットでこわごわしてみたが、これで切符を本当に貰えるのだろうか?
帰宅後娘の英文解釈に付き合う。理数科目は忘れているので難しく感じるが、英語はその点楽である。中学の英語ってこんなもんだったっけ?
ベッドに入り山口宏『裁判の秘密』宝島社2008を読む。いやー目から鱗、裁判官とか弁護士とかってこういう人たちなのか!!とうなる。まあ僕等にはこう言う正義の味方にはある種の幻想を抱いているのだが、それを思い切り裏切ってくれる。きっと医者の秘密とか建築家の秘密とか誰かが書くと業界外の人たちは皆驚くのかもしれない。

July 2, 2008

構造

大学院の講義。今日のテーマはストラクチャー。『言葉と建築』に登場する言葉は基本的にモダニズムに多用された言葉である。つまり空間とか機能とか。例えば、「空間」は一見昔から建築の重要な概念と思われがちだが、実は重要になるのはゼンパー以降。建築にとって壁と壁の間はどうでもよかったのである。重要なのは壁についている装飾であり、ステンドグラスだった。機能がモダニズム以降の概念であるのは言うまでも無い。しかし、構造と言うのはちょっと違うのではないか??建築である以上構造無しには作れないものではないか!それがモダニズムまで存在しなかった言葉というのはどういうことだ??ちょっと不思議である。最初にこの本を訳す時にそう感じた。しかし読んでみればなるほど、それまで建物の重力は経験と勘で地球に伝えられていたに過ぎない。構造を構造として自覚的に認識したのが近代であり、それを促したのが生物学だったという訳である。
夕刻大学を後にしようと思ったのだが景観賞の予備審査書類を送っていないのに気付く。あわててFAX。アサマ車中に方々からメール。携帯の返信は慣れない。東京駅でちょっと丸善に。その昔絶版で、四ツ谷図書館でコピーしたロックの『人間知性論』が復刻されていた。岩波文庫でももこういうことがあるのか。しかしこの本全四巻。なかなか重い。でもこう言うときに買っておかないと無くなるものである。その他メディア、写真、中国でのエコタウン計画に備え、ssd(sustainable site design)の本など購入宅配。

July 1, 2008

快晴

7時半のアサマに乗り研究室には9時ちょっと過ぎに着く。長野は快晴気持ちがいい。今日はゼミ。欠席一名。4人発表。12時半に終了。学生にお弁当を買ってきてもらい研究室で食べながらメールへの返信。1時から3年の製図。少しづつ前進しているのかな?面白いものは面白いしよく考えられている。しかしその量は少ない。製図の後学科長と一級建築士の受験資格問題を話す。やらなければならないことが多々あるものである。夕食後製図室に顔を出し4年生の製図を見る。昨日まで2分の1とか5分の1のスケッチをしこたま描いていたせいか学生の図面が図面に見えない。不動産屋のチラシか?200分の1の内容を50分の1で描くのはもうやめにしないと。4年生なんだから。
部屋に戻り『ファッションと身体』を読み続ける。やっと4章。ファッションとアイデンティティ。この話しになるといつも登場するのがジンメルの模倣と差異化の理論。しかしこれは現在でも通用する。普遍的である。昨日の睡眠不足のせいか10時半だがちょっとくらくら。