« May 2008 | メイン | July 2008 »

June 30, 2008

査図

朝一で足のリハビリに行く。けがから2ヶ月たったが、まだ筋肉が硬いままでちょっと不安。しかし医者に言わせるとこんなものだと。毎日朝夕、壁に手を当ててかかと立ちをし、ふくらはぎの筋力を復元するように言われた。
事務所に戻り朝10時から夜10時までたっぷり査図。日建時代を思い出す。監理部長の査図は日建時代の宝。それを逆の立場でやっている。設計期間が短いこともあるが、なかなか図面のレベルを上げるのは大変である。そしてこう言う忙しい時に限って仕事の話しが舞い込み、業績リストや経歴を送れと言う。ありがたいことではあるが、、、、明日は長野なので、ナカジに頼む。そしてこう言うときに限って会計士から経理資料を送るように言われる。お腹は空くし、参ったなあ。

June 29, 2008

既視感

午前中事務所に行きk-projectの残りのディテールスケッチを描く。コンビニ弁当を食べながらロックやR&BのCDを大きな音でかけながら描き続ける。一通り終ったので帰宅。あっという間なのだが極度に集中していたからか帰ったらふらふら。風呂に入りながら『日本の黒幕』という変な本を読んでいたら思わず眠りに落ちお湯の中に本を落とすところだった。風呂と言えば、先日早稲田の生協に風呂の中で読む本と言うプラスチックの本が売っていた。ケースに入っていて中身が見れなかったが、、、。食後に昨日届いた多木浩二『森山大道論』淡交社2008を読んだ。と言うより眺めた?アマゾンに宣伝されていたのを見て、多木浩二の単著だと思い、それならと思って買ったのだが、森山論集であった。しかし二つほど写真と文章をみながら納得したり考えさせられたりしたり。一つは多木が森山の写真をリーグルの概念である「触視的」と形容したこと。そういわれて改めてこの本の中の森山の写真を見ると実に手触りが感じられる。ざらざらしてたりつるつるしてたりする。白黒だからということもあるのだが、彼は瞬間的に町のテクスチャーを感じられる人なのだと思った。二つ目は誰かが森山写真の廃墟性に言及していたこと。先日の早稲田の授業でアートをかなぐり捨て建築が固有な領域を切り開く時の一つの可能性は廃墟のようなものと言った。それは時間を感じることなのだが、森山の場合はそれが、既視感のようなもとと論じられていた。なるほどね。建築では既視感というのはなんだか人まねみたいなことで誉め言葉ではないけれど、懐かしさなら誉め言葉かもしれない。見たことがありそうでない。というのはなにかいいかもしれない。

誘拐

6月30日
新宿で人と会い昼食を共にし、曙橋でコーヒーを飲みながら読みかけの小説『誘拐』を読んでいたらつい止められなくなって全部読んだ。町中に誘拐された義展ちゃんの写真が貼られていたこの事件、当時4歳だった僕の脳裏にもその犯行の怖さが伝わってきた。そして犯人は捕まらなかったとばかり思っていたが逮捕されていた。その決め手は犯人の声がラジオ、テレビに流されそれを聞いたかなり多くの人間が警察に申し出たからである。
カフェを後にして事務所へ。k-projectの部分詳細のスケッチを描く。全部で30箇所くらい必要だと目星をつけていた。いい調子で描いていたのだが夜になると流石に疲れた。半分くらいは終わったので帰宅。後は明日。帰宅するとかみさんは作品製作に没頭中。自分で食事を作って食べる。その後娘の試験勉強のつきあい。物理は電磁誘導、化学は分解、化合。なつかしの元素記号。覚えたねえ!「スイヘーリーベ、、、、」なんて。

June 27, 2008

ディテール

午前中早稲田。講義は最終回。後は学生発表。今日はアート的⇔原初的というテーマ。そもそも造形芸術の一部だった建築はモダニズムの自律性、純粋性に則り芸術から分離独立。しかしポストモダニズム期の反省を契機にその純粋性に終止符を打ち、そしてもとの鞘に納まるべく現代はアートと建築の境界はもはや無いに等しい。しかし美術史は常にスパイラルしながら変容する。いずれまたこの曖昧な境界は確固としてものになるだろうと邪推する。そのとき建築を建築足らしめるものは何か?それが原初性だろう、、、、というのが今日の話しだった。本当だろうか?それはだれもわからない。
午後事務所でk-projectのディテールスケッチ。今回の建物では少しディテールへのこだわりがある。ディテールの納めは常に一定ではないだろう。建物の持っている特質と連動するはずである。ざっくりとした空間ならディテールも大雑把でよいし、繊細な空間はそれなりの緻密さが求められよう。土日もスケッチかな?

June 26, 2008

日本住宅の平面変化

早起きして昨日届いた出たばかりの新刊大岡敏昭『日本の住まいその源流探る』相模書房2008を読んでみた。日本建築史に属するこの手の研究書を余り読んだこともなかったし、西洋のものに比べてそれほど興味が沸かなかったのだが、DMが一昨日研究室に届きその内容に惹かれた。その理由は4月ころ早稲田で講義したジェンダーと建築の話しに関係する。そこで僕は日本の封建的住宅の間取りの解体を説明した。それはざっとこんなことだ、日本の近代住宅のプランは近世書院造りの伝統を受け継いでいる。そして書院は書斎と化して家父長の勉強部屋となり、それに連続する客間が住宅の南側の良好な環境を占める。そして主婦やその他家族の場である茶の間は北側の悪い環境に追いやられる。それが大正期に女性の地位向上とともに客間が消滅し、居間と呼ばれる家族の部屋が南側に進出する。
しかし、この本はそうした定説を覆し、近代住宅の源流は近世武家屋敷にあり、そこでは必ずしも客間に相当する座敷は南側の良好な環境にあるとは限らないというのである。座敷は道からアプローチする玄関の脇にあることを様々なプランを例示しながら検証する。つまり南入りなら座敷も南だが北入りなら座敷も北、東なら東、西なら西だと言うのである。そして近世武家屋敷はこうして道に面してパブリックスペースを配置することで道を重要なコミュニティの空間として作り上げていたと説明する。更に昭和にはいってもこうした伝統は地方都市において十分伝承されていたというのである。
うーん何が正しいのかにわかに判断できないが、著者が言うように、都市部においては西欧の影響をうけた啓蒙建築家が南信仰と女性解放を目指し南家族スペースのプランを作っていたのだろうが、地方では伝統的な武家空間が残り、それは必ずしもかつて考えられていたような南接客空間では無かったと言うことなのだろう。
まあこんな理解が浅学の私にはやっとのところ。しかし日本住宅の平面変化と言うのはなかなか住宅設計に示唆するところ大である。
夕刻k-projectのクライアントが来所。来週確認。時のたつのは早い。図面の進捗は???

June 25, 2008

文文先生

一コマ目の大学院講義。終わって八潮市ワークショップの次回発表について学生と打合せ。研究室でお弁当を食べ終わったころ市役所の都市計画課の方が来られ某審議委員の依頼。オープンコンペ審査以外は基本的に地元のために頑張る方針。午後4年のエスキス。講評会前最後の発表。今日はプレゼン方法の発表と思っていたのだが、、、、プレゼンがありきたりなんだよなあ!全員同じ。A1、一枚目コンセプト、2枚目ダイアグラム、三枚目平面図、、、、パワポには空虚なコンテンツが並ぶだけ。どうしてどれもこれも同じなのだろうか?彼等にはcompetitiveな精神はないのかねえ?幾ら教えてもできないのなら、その原因はどちらかにしかない。こっちかあっち?根競べだ。
大学で夕食後帰宅。新幹線では疲れがたまりノンフィクション:本田靖春『誘拐』を読む。これは我々の世代は誰でも知っている吉展ちゃん誘拐事件の顛末が書かれたもの。帰宅すると鈴木成文さんから文文日記なる、彼のweb日記をまとめた本が届いていた。毎日一つのテーマでタイトルがついてほぼ正確に320字記されれている。お見事。ぺらぺらめくっていたら「民主党小沢一郎に喝采」というタイトルでテロ対策特別措置法の延長に反対する小沢一郎を賞賛。その4日前では「成蹊学園理事長・成蹊会長へ」と題して安部総理就任を祝おうとする成蹊理事長に異議申し立て。などなど他にも徹底して自民党批判が続く。計画学などやり東大教授が長ければさぞかしお上とのつながりが深いと想像されるのだが筋を通す方なのであろう。敬意を表したい。

June 24, 2008

大学で

午前中修了ゼミ。最近このゼミに興味深く没頭できる。去年までは工学的な基準が先にたち無事修了させることで頭が一杯だった。今年はそれを少し忘れることにした。まあ諦観だろうか、いや少し信念を持って工学部的でない基盤をも認めようと考えることにした。言い換えると、建築作品を作る場合に美学的思考の蓄積と分析をもとに作品を作るフィールドがあってもよいと考えるようになった。工学部的基準を少々切り崩すことに挑んでいる。そしてこの割り切りと、新ジャンルが、気持ちを楽にさせ、そのジャンルで語りあうことに意義と意味を感じている。しかし正直言えばこれでどこに着地するのか不安もないわけではない。
昼にキャンパス計画を手伝ってくれた春原さんが来研。昼食をとりながら近況を聞く。最近ご結婚をされたが、仕事は続けた方がよいとアドバイス。
午後三年生の製図。形はいろいろできている。しかし、スケールや色や材料など、とにかく作る術の重要性を言い過ぎたせいか、今度は着目点がありきたりになってきた。子供と言えば、○○○と、三流育児本に書いてあるようなありきたりの定説を説明されてもつまらない。子供育てたことないのだからしょうがないのだろうか?それなら幼稚園にでも行って一日観察してくれば?
夕食後、先日読み始めた『ファッションと身体』読み続ける。翻訳がいいのか原文がシンプルなのか、久しぶりに読みやすい翻訳本である。ところで読む度にどこかしら、ファッションと建築の共通性を感ずる部分を見つける。例えば今日はこんな件に出会う。「十八世紀中葉までは、外見は自分を表現するものとはみなされることなく、むしろ『自分とは隔離された』演出であるとみなされていた。(・・・)しかしロマン主義が力を持つにれて、偽装が攻撃され、『自然』で『偽装していない』人格が賞賛されるようになり、衣服や外見はその人の内面性と結びついているべきであるという感覚が生まれてきた。こうして近代的個人は(・・・)外見によって判断される存在であることを意識するようになる」。これはモダニズム建築において内部の機能が外観に発露する状態をよしとしたことと見事に対応している。

alienation

6月23日
作曲家や振付家同様、建築家という職能も最終の表現はその職能だけでは実現できない。作曲家には演奏家が振付家にはダンサーが、建築家には施工者がその最終表現のパートナーとして必要である。もちろん世の中には作曲家兼演奏家もいれば振付家兼ダンサーもいる(建築家兼施工者というのはなかなかいないのだが)にはいるが。当たり前の話だがこの最終表現者が見事な技を発揮すればその作品は充実したものになる。そして最初の計画者(作曲家、振付家、建築家)はその作品ととても親和的関係になれるだろう。一方その逆の場合はその作品から疎遠な位置におかれ、寂しい気持ちになるだろう。
マルクスは人間(労働者)が自己の作り出したものであるにもかかわらずそれが他の制度(資本や生産手段)を介在することで、その成果物と疎遠な関係になることを「疎外」と呼んだのだが、これと似たようなことがここでも起こる。因みに疎外は英語でalienation。つまりつくったものが「エイリアン」化するということである。自分が生み出した物が自分にとってエイリアンになることが疎外である。
マルクスは資本主義における労働者の立場にたってこの疎外を問題にしたのだが、現代社会では上記アートシーンだけではなく、様々な場所で、計画者と遂行者の分離をひきおこしているように思う。つまり知的労働という名のものとに汗をかかない仕事が多く生まれている。そしてそういう場では様々な形で意識的無意識的を問わず疎外が発生しているのではかなろうか?そして発生しているにもかかわらず、現代社会はここに規約的な一線をひいてそれぞれの権利義務を明確にしている。このことによってますます「疎外」は目に見えないかたちで社会を蝕んでいるように思われる。もちろんその発生の強度は経済的弱者の側に不利に働くのであろうが。

June 22, 2008

自己模倣禁止

午後から雨の予報。それを聞いて午前中に若松のオープンハウスにでかける。久しぶりに見たいと思った建物。研究室obの片岡君が受付をしていた。なかなか勉強するところの多い建物だった。http://ofda.jp/column/流石にコンペで勝った建物だけあって見学者が多い。渡辺真理さんが夫婦で、新建築の四方さんなどなど。少し立ち話。研究室obが昼に来るので昼食をどうかと片岡君に誘われる。12時頃明大前で松永、中尾、深沢という懐かしいメンバーに会いランチ。
帰宅後ジョアン・エントウィスル鈴木信雄監訳『ファッションと身体』日本経済評論社2005を読む。ファッションの生産的側面と文化的側面の双方に光を当てようという視点が新しい。文化的側面においては、フーコーの社会性、ポンティの身体性、そしてブルデューのハビトゥスという3つの柱で分析されているようである。分かりやすい組み立てだし、ファッション分析で20世紀の主要な哲学概念を網羅的に検討したものは今までなかったのではなかろうか?マークポスターが『情報様式論』で行なったことをこの著者ははファッションの分野で行なったわけである。
風呂に入りながら、鷲田清一と永江朗の哲学言説をめぐる対談を読む。ベンヤミンのアウラの話からファッションのそれに話しが飛ぶ。プレタポルテにアウラはないのだが、鷲田は服は複製されていても着られた時に個人のアウラが出るのではないかと言う。なるほどそうかもね。さらにコムデギャルソン(川久保)の自己模倣禁止に話しが展開。川久保のこの姿勢はアウラ創出のためではなく他のファッションデザイナーとの差異化を図るものだろうが、少し反省させられる。その昔、連窓の家#1,2,3とかやって篠原先生に怒られて、もううやめたけれど、作品の精神的コンシステンシーは連続させても技法的にあるいは表現的には自己模倣を禁止しないとやはり人間は成長しないのかもしれない。

June 21, 2008

disposition

梅雨空。先日送られてきた柳澤田実編『ディスポジション』現代企画社2008のいくつかの論考を読んだ。なかなか興味深い話が載っている。人間は主体的に環境を認識するという近代的(デカルト的)な考え方に対して、むしろ人間は環境の要素の布置(disposition)から多くの影響を受けながらその影響要素の合計値として環境をむしろ受動的に認識するというようなことが書かれている。まあその例としてギブソンが出ていたりする。まあ人間と言うのはパチンコ玉のようなものであり釘の布置の中である傾向性を獲得して大当たりしやすい状態になったりスカになったりするというわけである。
午後原広司の講演会を聞きに国士舘大学に行った。宇野求さにお会いした。そうか宇野さんは原研である。原さんの話しっぷりはわざとかどうか知らないがdiscreteしていた。建築においていかに数学が不可欠かという話しをされていた。最初のうちはその真意を計りかねたのだが、最後に話されたことが数学の必要性を納得させるものだった。ちょっと説明が難しいのだが、数学上のある概念はものの軌跡の無限の可能性を保証するというようなことだった(ように勝手に解釈した)。原さんはこう言う概念がこれからの計画学の基礎になるだろうという。そうかもしれない。不確かなことを確かに語るためにはやはり数学が大きな役割を果たすのかもしれない。というような話しを聞き、朝読んだdispositionなる概念を思い起こした。dispositionはまさに建築的な概念である。しかしこうした行動主義的概念は間違って使うとひどく時代遅れになってしまう。つまり建築とはまさにものの布置でありその布置で人の行動や心理にある傾向性をあたえる作業なのだが、原さんが言うように、建築家の布置など使う側はいとも簡単にのりこえていってしまう。彼等の動きは無限の可能性を持ち、想定外なのである。かといってそれでは我々の布置の作業はまったく無意味かと言えばそうでもない。それは確率の問題なのかもしれない。釘師という仕事が意味を持つ程度に建築家の布置は意味を持っているのだろう。

June 20, 2008

ぐったり

朝一、アフタケアで昔のクライアントの家に行く。10時においとまし、早稲田へ向かう。滑り込み少々遅刻。今日のテーマは倫理性⇔悪党性。午後事務所に戻ると急に頼まれたエコタウンのスケッチのコンセプトが届いている。夕刻k-projectの図面進捗打合せ。
足が大分直ってきたのだがやはりその足をかばって歩くせいかひどく疲れる。代々木早稲田と半日移動するだけで午後ぐったりである。

June 19, 2008

晒す覆う

中国プロジェクトの進捗報告を聞く。やっとできた現場小屋の写真を見た。なんとゼネコンの小屋以外に労務者を寝泊りさせる小屋ができていてこちらの方が大きい。確かに周りが収容された何も無い農地なのだから労務者はここに寝泊りさせるのが合理的。ではあるのだが、風呂とか食事とかどうするつもりなのだろうか?毎度毎度予期せぬ出来事に驚く。
週の前半(長野にいる間)に天内君や平倉君たちが作った『ディスポジション』現代企画室というタイトルの本が届いていた。未だ目を通していないのだが、さーっと目次を見ると主として哲学系の若き学者達が配置をキーワードとして論を認めている。なかなか興味深い。しかしこれだけ様々な分野の文章が果たして一貫したテーマを共有できているのだろうか?まあ読んでみよう。
夜早稲田でレクチャー。これは「晒す覆うの構造学」という講義名で7人くらいの先生が交代で講義するもの。僕は二コマ担当。今日は2回目。前回は「スケルトンとブラックボックス」の話し。建築の物質的な晒す覆うの話しをした。今日は建築受容空間において受容者の意識が覆われている(気散じ)状態から晒されている(覚醒)状態へ移行する契機がテーマ。それを広告、携帯電話を例に出して説明。広告は北田暁大、携帯は和田伸一郎の論を引用した。そしてこうした受容空間に埋没している受容者の意識を覚醒させる契機をデザインすることが僕の興味であることを実作を通して話した。

June 18, 2008

格差

4年の製図を見る。今年は構造のことを考えるように指導している。それは講評で金箱氏に来てもらうからではない。どうも信大の学生は概念を建築化する力がないと感じてきたからである。それはつまりものの成り立ち=構造が分かってないからだろうと思うようになった。多少コンセプトがいい加減だろうと、社会的ニーズが浅かろうとこの際まあいい。物として建築が成り立つことを今は最優先にエスキスしている。そのせいか例年にくらべてものの成り立ちが明確になってきた。
橋本健二『新しい階級社会新しい階級闘争』光文社2007を読み始める。今時過激なタイトル。著者は僕と同い年の武蔵大学の先生である。大学教育も格差拡大の発生装置と書いてある。それはいろいろな大学で教えていると如実に感ずるところである。

June 17, 2008

憑依されぬように

午前中は修論ゼミ、装飾論、山岳景観論、運動密度論、そしてメディア論。論文は長距離レース。粛々と休まずさぼらず継続して欲しい。そうすればどこかに着陸するだろう。ちょっとでもブランクを入れるとあっという間にだめになる。1日さぼれば回復に2日かかる。1週間さぼれば2週間。2週間さぼれば1ヶ月。そうなるともう回復不能である。
午後3年生の製図第二課題。幼児の施設。前の課題も難しいがこれも結構考え込む。子供の気持ちを想像するのに頭を使う。終わるとへろへろ。夕食後製図室で4年生の製図の進捗を見る。リラックスするつもりがここでも考えさせられてしまい疲れる。その後部屋に戻り昨日王国社の山岸さんから送って頂いた青木さんの原っぱと遊園地2をぺらぺらめくる。僕はどういうわけか自分がとても好きな文章とか建築とかを見るのを極度に恐れる。目次を見ると装飾だとか、写真だとか、時間だとか、今日の朝のゼミで議論していたようなテーマが転がっている。興味深い。読みたい。が、だからこそ、読めない。読むとひどく理解できてしまいスーッと腑に落ちていつの間にか自分の考え方に憑依してしまいそうである。自分で考えた結果が同じになるのならまだしも知らぬ間にとり憑かれてしまうことが怖い。洋書屋さんに届けられたエルクロキースのビニール包装を半年も封を切らないことがある。これも同じ心理である。結局青木さんの本は積読。明後日夜、早稲田で行なうレクチャーのパワポ作り。和田伸一郎の『存在論的メディア論』を読み返す。

June 16, 2008

散漫な大衆

午前中二つの会議。お昼に某市役所の方と打合せ。コンペの審査委員の打診だが、コンペではコンペティターとなりたいと我がままを言い、辞退の方向で頭を下げる。午後大学院の講義。今年の講義は自分自身の理解も深まってきたせいか講義をするのが少し楽しい。複雑な内容を簡単に話す気持ちよさのようなものを感ずるようになってきた。講義後、工学部全体の会議。そして夕刻輪読ゼミ。今日は井上充夫さんの『建築美論の歩み』。m2は4年の時から数えて3回目。この本はそのくらい読んでも損はあるまい。夕食後ベンヤミンの『複製技術時代における芸術』を読み返す。正直言えばこの本は「アウラ」について書かれたものと高をくくって最後までキチンと読んだことは無かった(お恥かしい)。ところが先日、早稲田での学生発表において、とある学生が「ベンヤミンは『建築は大衆が散漫に接してきたもの』」と発言。思わず「本当?」と聞き返すと「そうですよ」と言う。「どこで言っているの?」と聞くと複製技術、、、、という答え。それは気付かなかった。
建築は広告同様、人々が殆ど気付かないもの。建築はじっくり見るなどという対象にはそう簡単にはならない。そのことこそが建築の重要な本質の一つ。というのが僕の建築把握なのだが、そういうことは既にベンヤミンが言っていたのね!ということを学生から教わった。
というわけでざーと読み返してみると一番最後の2ページにそのことがしっかり書かれていた。曰く「建築は、古来、つねに人間の集団が散漫に接してきた芸術の典型であった。・・・建築物にたいする接しかたには、二重の姿勢がある。・・・実際型と視覚型である。実際型の姿勢は注意力の集中という道ではなく、むしろ習慣という道をとる。・・・建築にたいするばあいは・・・視覚型の姿勢にしても、がんらい精神の緊張と結びつくよりはむしろなんでもないふとした印象と結びつくことのほうが多い」更にベンヤミンはこうした注意深い観察ではなく、習慣的ななかでのふとした印象が歴史の転換点での人間の知覚の刷新を生むと述べる。
ベンヤミンが建築にこうした指摘をしていたのを知って、いままであたかも自分の意見であるかのごとく話していたのが恥かしいやら、我が意を得たりと嬉しいやら、複雑な心境。しかし考えてみれば僕の発送はベンヤミンの「気散じ」概念に想を得た北田暁大の『広告の誕生』の影響である。そこで北田は広告が大衆の散漫な意識の中で浮上してくる様を描写している。そして僕はその広告の現れ方が余りに建築とよく似ていると感じたわけである。気散じを広告と結びつけたベンヤミンが建築も語っているはずだと思わない自分は想像力不足?!

八潮ミーティング

6月15日
今日は日本工業大学で昼から八潮プロジェクトのミーティング。今週は木曜日の夜に授業とは別に早稲田でレクチャー予定。そのパワポができていない。北田暁大と和田伸一郎とベンヤミンが参考書。月火水と長野なので重いが仕方なく3冊鞄に突っ込み出かける。八潮は家から40分もあればつくのだが、日工大はその倍かかる。場所は東武線の東武動物公園駅。そこから車で5分。先ずは先生、学生皆一緒に小川君の設計した100周年記念館を見学。僕は2回目。前回見たときは雨だった。今日は快晴。ガラス張りのその建物はまた違う異彩を放っている。1年たったが特に大きな問題もなくまた内部もよくメンテされているのか美しい。ふと東北工大チームがいないことに気付く。地震のせいだろうか?がそれは杞憂でミーティングが始まり、遅れて到着。総勢20名くらい。次回ワークショップへの方向性を議論。
5時頃修了。学生とともに長野へ向かう。お腹がぺこぺこ。帰路、鉄板焼きのお店を発見。ゆっくりと夕食。ゆっくりしすぎて長野に着いたのは12時近い。

June 14, 2008

脳疲労

脳疲労という言葉がある。大脳は理性を指令する新皮質と本能を指示する旧皮質のバランスによって最終行為を決める。ここで理性が本能を押さえつけ過ぎると脳疲労するという。するってーと何かい。本能のおもむくままに行動するのが最も脳疲労しないということなのか?どうもそのようである。食で言えば好きなときに好きなだけ楽しく食べる。それが脳を疲労させないと言う。えっ本当?と思うだろうがそういうことを言っている医者がいる。横倉恒雄(『脳疲労に克つ』角川2008)という人で聖路加の日野原氏の教え子だそうだ。実際この著者はこの考えで体重は15キロ減り体脂肪も一桁になったという。つまり消化器官をいたわるより、脳をいたわる方がお得ということなのかもしれない。特に重要なのは禁を禁ずるということ。何をしてはいけない、何をしなければいけないという発送が最も悪いと言う。うーんそうかもしれない。ストレスフリーにするためにはもっとルーズに。

June 13, 2008

アーキリテラシー

午前中早稲田。学生の発表。テーマはグローバリズム⇔ローカリズム、主体性⇔他者性。今日は3回目の発表。一人約十分。自分で撮ってきた建築(あるいはそれ以外の料理や服飾)写真をもとにこれらのテーマに即してプレゼンする。中身がなかなか濃くなってきた。学習能力があるなあ。今までの発表は、自分の意見に終止していた。それに対して僕は、もっと自分の意見を相対化するように、一冊でもいいから何か定説と言われる本を読みそれをもとに自分の意見を述べるように言ってきた。今日は半分くらいがそうしたプレゼンであった。ラスベガスもとにローカリズムを語る学生もいた。2年生にしては大したものである。理工学部で非常勤している友人が昨今文化構想学部は人気があり優秀な学生が多いと言っていたがそうなのかもしれない。午後事務所にmdrの荻原氏来所。とある企画の相談。大変そうだが面白そうなので快諾。夕刻k-projjectのクライアント来所。細かな備品のもの決め。実施設計になっても毎週打合せなのは設計期間が短いからか?
今橋映子『フォトリテラシー』中公新書2008を読み始める。フォトリテラシーという言葉が目新しいがこれはれっきとした英語だそうだ。この言葉の定義は写真メディアを芸術史、社会的文脈双方から批判分析評価できる力。そしてその力をもって歴史認識を洗練し、現在におけるコミュニケーションを創りだす力となっている。この言葉で閃いたのだが、アーキリテラシーという概念があり得るのではないかということ。その定義は「建築を芸術史、社会的文脈から批判分析評価する力。そしてその力をもって建築環境認識を洗練し、現在における建築環境と人間のコミュニケーションを作り出す力」。この本を読みながら考えてみたい。

June 12, 2008

思い過ごし?

朝、病院で電気や超音波や足湯でリハビリ。その後エコーで診断。大分筋肉細胞が増えてきたとのこと。とりあえず順調に回復。これだけやっていただき260円とは安い。
午後k-projectの図面をチェック。詳細を詰めるべきことがまだまだいろいろある。完成していない図面もたくさんある。かたや残された時間は余り無い。弱ったね。少しピッチをあげなければ。
帰宅後『刺青とヌードの美術史』を読んでいて(と言うよりはその絵を眺めていて)日本の江戸時代の裸体画は西洋のヌードと比べると色がべた塗りで平面的なグラフィックであることに気付く(まあ今まで気付かない方が不思議かもしれないが)。そしてヌードが写実的になるのは明治になって西欧の描き方が輸入されてからである。ヌードに限らず日本の絵は明治までリアリズムではなかった。もちろん西洋だって透視図ができて初めて構図も色も本物っぽくなる。中世の絵はポスターみたいである。500年の時間差で日本は写実を描くのだが、ほっときゃ、つまり西洋の教えがなければずっとポスター描いていたかもしれない。しかし、西欧も日本も絵を描くということがこれほど長く写実ではなかったということが不思議でならない。何かを描くということが先ずは写実だと言う僕等の思いは思い過ごし?

June 11, 2008

自然

朝一大学院の講義。今日のテーマは自然。前半木田元の反哲学に基づいて話をした。日本は自然の中で思考する。西欧は超自然から自然を把捉しようとする。それが哲学である。よって日本に哲学は生まれなかった。近代に入り哲学は科学と言う援軍を得てついに自然を拒否するに至る、一方でニーチェハイデガーという人々によって反哲学が生まれる。そして日本でも近代とは自然を拒否する時代となりそれを丸山真男は作為という言葉で呼び、それまでの自然(じねん)の対概念として近代を作り上げる主要な概念とした。
というあたりまで木田の受け売りをしたところで先日読んだ磯崎の話しを思い出した。それは磯崎が大分県医師会館を学生の身分で依頼された時の話し。クライアントは岸田日出刀に名前を貸り、実際の仕事は磯崎にやらせるようお願いしたそうである。そこで磯崎は岸田に挨拶に行く。岸田はもちろん丹下の先生であり、あの丹下を怒鳴るほどの強面だったそうだ。緊張して挨拶に行った磯崎に岸田は「作為に溺れるな」と言ったとか。それはこの丸山の作為と自然が下敷きにあったと磯崎は解説している。そして磯崎はもちろん、作為の建築家の道を進むこととなる。
ギリシア以来の自然概念は近代に敬遠され、そして磯崎もそれから距離をとり、しかし21世紀この概念を我々は拒否できない。ではしかしどう受容するのか???というのが今日の講義だった。
午後4年生の製図。東大では4年の製図は院生も受講できるとバイトの武田君が言っていた。信大でもそうするかな?
帰りがけ丸善による。建築書のコーナーに自著が平積み。気恥ずかしいやら、嬉しいやら。モネオの新刊、ファッションのコーナーで服飾史など5~6冊放り込み宅配。足が未だ言うことを効かないせいか体の疲れ方が早い。事務所に寄らず帰宅。最近いろいろな方から謹呈本への御礼の手紙を頂く。勝手に遅らせていただいたのにご丁寧な激励やお褒めの言葉など。存外の喜び。

June 10, 2008

快晴

朝一でゼミ。グロテスク研究をしている学生がいる。僕の知らない世界なので彼の文献渉猟は勉強になった。論理展開は甘いが、自己の興味で文献を漁りながら発見をしていく姿は若々しくて気持ちいい。建築に繋がることを祈りたい。午後3年生の製図第二課題の説明。キャンパス近くの若里公園(オリンピック聖火ランナーの到着地点)に幼児の施設を設計せよという課題である。今日は天気も良いし、先ずはこの公園で皆子供の大きさと気持ちになって50メモをとりなさい、そして子供がいたら一緒になって遊ぶように指示。そのせいか夕方学食で食事をして出てきたら広場に子供連れのお母さんがお散歩中。何やら子供が学生さんに遊んでもらってそのお礼がしたいとか。
夜菊竹さんの残りを読んでいたら、素材論や色彩論が登場した。ますます今まで読まなかったことを恥じる。しかしこの本は後半少し弛緩する。どうも寄せ集め論考なので、首尾一貫していない。やはり迫力があるのは第一章である。読み終わり、宮下規久朗『刺青とヌードの美術史』日本放送出版協会2008を読み始める。しばし読み、11時もまわり帰ろうと思ったところに学生がやって来た。人生相談。悩むことは学生の特権!

June 9, 2008

篠原と菊竹

朝から事務所で雑用に追われる。昼食時我々夫婦の中高の同級生が配偶者を訪ねて我が家に遊びに来た。事務所を少し抜けて自宅で彼女達と少しお茶を飲む。なんだか一瞬中学時代に戻ったような錯覚。事務所に戻り、6月のスケジュールについてスタッフミーティング。なかなかリノヴェーションに取りかかれずにやきもきするのだが、こう言うときにアイデアを貯めるということか。
篠原一男の白の家(1967)の抜き刷りを読んでいたら、この住宅のテーマの一つが永遠性であると記されている。そしてその永遠性について、こう書いている「多くの人びとは社会の生産力に強い関心を持ち、住宅の新陳代謝方式を考える」そして、暗にその態度を批判し、自らは人間の本能的な永遠性への希求を建築化していると述べる。ここで新陳代謝とは10年前とはいえ菊竹さんのスカイハウス(1958)が念頭にあったのだろう。この新陳代謝理論が『代謝建築論か・かた・かたち』にまとまるのは1969年であるし。
菊竹さんはこの代謝建築論で「空間は機能を捨てる」という節を設けてその中でこう述べる「形態の美しさは、常に生々と建築が機能しているところにのみ生まれるものではない。むしろ建築から機能が欠落し、存在としての環境的空間に立ちかえっていることによって、より容易に、より強烈に発見される場合があり、、、」
篠原は当時のトップランナーである菊竹を批判することで自己を鮮明にしようとしたのだろうが、どうも僕には両者が何かを共有したように思えてしかたない。いやもちろん表面上の志向は異なっている。しかし、両者ともにモダニズムのある種の機械的な割りきりに対するアンチテーゼを保持している。そして尚且つ双方とも狂気とも思える空間の美へのこだわりがある。スカイハウスの空間から白の家を想起させられるのは僕だけだろうか?それは平面形が同じ(一辺約10メートルの正方形)輪郭を持っているということとは関係ない。

June 8, 2008

写真的建築論

下村純一さんがお書きになった『写真的建築論』鹿島出版会2008という本がある。その中にこんな言葉があった「写真は世界を写し取る万能機械ではない。特性限界を明確に備えた、一つのメディアにすぎない。能力に限りのある機械ゆえに、人の感覚にはひっかかりもしない建築の何かを、拾っていると思う。」これはバルトの言うように写真には偶然何か意図しないものが写りこむことが楽しいというようなことではないようである。もっと写真機の持っている原理的な宿命が我々の印象とは違う何かを拾うということを指している。例えば日本建築は軒が深いので晴天で撮ると軒下が暗くなり過ぎる。これはカメラの原理である。そこで曇天で撮らざるを得ない。そうなると我々の印象ではコントラストの強い和風建築が写真では平面的なものとして現れたりするわけだ。また明暗と共に写真の原理として外せないのが写真の印画紙が矩形だということ。水平、垂直性という枠組みがあるという点である。つまり写真には撮る前から線がある。故に縦横線と撮るものをどう整合させるかということが暗黙の問題となっているのである。それ故例えば目地のようなものに対して写真は異常な気を使いそれを必要以上に顕在化させる。人間の目にはそんな感覚はないのであり、これも写真の特性限界だと思われる。
こうした限界を持っているにもかかわらず、僕等は未だにこのメディアに振り回されている。そして未だしばらく振り回され続けるのである。

June 7, 2008

参った

午前中午後と人と会い、その合間を縫って昔のクライアントにも会う。ギブスは取ったものの歩くのがやっとの足で都内を動き回るのはしんどい。ちょっと参った。帰宅すると床に倒れ眠りに落ちた。
夜、読みかけの『テレビ的教養』を読み終える。テレビを教養の源として研究した数少ない書である。テレビを教育の阻害要因ではなく教育装置として見直す視点はあってしかるべきである。その昔大宅壮一が日本テレビの「なんでもやりましょう」という番組を見て「一億総白痴化」と警鐘を鳴らしたのであるが、テレビは脳ミソを堕落もさせるが、刺激し活性化もする。単面的にみるのは片手落ちなはずだ。
その後菊竹清訓『代謝建築論か・かた・かたち』彰国社2008(1967)を読み始めた。有名な建築論としてよく名前の挙がる本であったが、実物がなく読んだことがなかった。このたび復刻版が出てやっと初めて読むことが出来る。しかし読んで赤面。考えてみれば日本の設計論の草分け的なものであり、これを読まずして論文を書いていたと言うことに自分ながらあきれた。菊竹氏も1967年の時点で現代において設計の方法論、原理論が無いと嘆いているではないか。ああ早く読まねば。

林さん

ギャラリー大成の林美佐さんから著書謹呈の御礼の小包が届く。中にはギャラリー大成が創立15周年記念で作成した冊子と林さんが協力した展覧会「ル・コルビュジエ光の遺産」(現在四日市立博物館で開催中)のカタログが同封されていた。林さんには1999年に東大で講義をするときに様々な資料を閲覧させていただき、当時20回目くらいだったコルビュジエ展覧会の小冊子をすべて見せていただいた。
バブル時代日本の企業はメセナの掛け声で猫も杓子もアートへ投資し、バブル崩壊とともに手放した。メセナなんていう言葉も死語になりつつある。しかし一方このギャラリーはコルビュジエに特化し、尚且つこの個人の企画展示のみ15年間に30回以上も行なってきた。実に稀有な企業ギャラリーである。その活動は評価されてしかるべきと思う。そのキュレーターとしてコルビュジエの多様な側面を照らし続けてきた林さんは特筆すべきコルビュジエ研究家ではなかろうか。ギャラリー大成では各展覧会ごとに非売品の小さな冊子を作ってきたが、これらを全部合体して一冊の本にして欲しい。実に貴重なコルビュジエ資料なのである。

June 5, 2008

教養

朝一で医者に行き超音波をとる。今日でギブスは外し、包帯で緩く固定することになる。これで少し楽に歩けそうだ。しかしまだ筋肉が固まっている。事務所に行くと僕等の作品が掲載されたスペインの本が届いていた。世界の住宅17作品。1作品に20ページを使って紹介している。写真模型図面。特にディテール図面の密度がすごい。写真もすべてポジのデュープを送っているだけあってどの作品も妥協無く解像度が高い。アマゾンでも13000円と高い本だが値打ちはある。http://www.amazon.co.jp/Single-family-Housing-Antonio-Gimenez/dp/849359802X/ref=sr_1_6?ie=UTF8&s=english-books&qid=1212670040&sr=1-6午後溜まった事務所内の打合せ。中国の進捗状況報告。
帰宅後読んでいた、とある本に教養=教育ー選抜という公式が載っていた。つまり入試のあるところでは教養は生まれないという説明である。その昔、教養とは大学入試のない旧制高校で醸造された。しかしその後入る帝国大学では国家公務員試験のためにやはり教養は生まれず、旧制高校に入るための旧制中学では高校入試でやはり教養は生まれなかったとのこと。ということは現代で教養が生まれる可能性は唯一社会人になってからと言うことになる。しかしそれはそうかもしれない。

June 4, 2008

すごい模型

昨晩は学生の家に行き、少し建築論。そのせいか今日は寝坊。9時に家を出てタクシーで研究室へ。相変わらず長距離を歩けない。午前中雑用を片付ける。午後は4年生の製図。第二次発表会。今日はスゴイ模型を見た。北九州の古いオフィスビルのコンヴァージョンを計画している学生がいる。柱梁を完全に残しファサードにも手をつけないという方針。その柱梁のジャングルジムの中にサイコロのような住居ユニットをはめ込む設計。1/100のこの模型の立体グリッドの精度の良さに感動。まるで模型屋の作った模型のようであった。違う研究室にも設計力のある人がいる。
授業後家へ。車中佐藤卓己著『テレビ的教養』ntt出版2008を読む。途中眠りに陥り、高崎で目覚め週刊朝日と週刊新潮を読んでいたらまた眠りに陥り上野で目覚める。

講評会

午前中はゼミ。ゼミ室に入って「遅くなりました、さあやりましょうか」と席に着いたら、周りにいたのは違う研究室の学生だった。赤面。僕の部屋でやることになっていたようである。午後は製図第3前半課題の講評会。ゲストクリティークとして竹中工務店の萩原剛氏をお呼びした。講評会の前にスライドレクチャーをやっていただく。1時間の予定だったが熱がはいって2時間になった。しかし面白かった。最近のコンペ入選案、足立学園中・高等学校、サンケイ新聞本社ビルなど。彼は常に敷地の地勢、文化、気候、法などを建築を創る条件へと変換する。その変換の仕方が鮮やかである。レクチャーの後講評。課題は三沢浩さん設計の60年代モダニズム建築のコンヴァージョン。今まで、住宅とオフィスしかやったことのない学生にはちょっと難しいものだった。僕自身経験上、コンヴァージョンの難しさは痛感するところ。学生が困惑するのは当然である。60人の中から選ばれた25名が発表。その中からゲストを含めて3人の先生で6点の優秀者を選ぶ。その後ゲストを交え学生と懇親会。

June 3, 2008

民主主義の適用領域

早稲田大学の次々回の講義で主体性・他者性の話をする。そこでは主体に内在する他者を乗り越えた時に主体は確立すると言う江藤淳的なストーリーで話しをする。そして近代建築において主体に内在する他者のひとつとして民主制をあげる。つまり平等に与えられる建築のあるべき姿というものが希求された時期のそうした建築への批判である。民主制なるものは一体何なの?ということで森政稔『変貌する民主主義』を先日読み始め、本日午後急遽東京往復するはめになり、車中残りを読んだ。その中でハイエクの民主主義の適用領域の限定の話しが腑に落ちた。マジョリテイが是とは限らないわけである(裏で金をばらまけばマジョリティはどうにでも作ることができる)、多くの人が望む建築が豊かさを生むとは限らないのである(宣伝などの情報操作は基本的に営利目的なのだから)。つまり、多数決の原理が正常に機能する状態を我々は慎重に見極めないといけないと言うことである。

June 2, 2008

乙一

6月2日
快晴。ワークショップ2日目。朝から各大学の発表。昨晩の徹夜(?)の成果か、1日の観察からいろいろと収穫が見られた。5大学あるということは多種多様な意見が相対化され、学生にとってもとても勉強になったと思う。3時に解散し学生の車に便乗し長野へ。途中掃除機を買い(現状の掃除機が吸引力がなくなってしまった)帰宅後家じゅう掃除。ここ半年くらい、掃除機が壊れたおかげでひどく埃っぽい家になってしまっていた。やっと人の住む環境となった。きれいな部屋で娘に読めと勧められた乙一『暗いところで待ち合わせ』なる小説を読む。殺人の濡れ衣を着せられた逃亡者が盲目の女性の家に隠れこむという始まり。1週間音も立てずに同居し、徐々に女性がこれに気付く。しかしそこで女性がこの男を追い出すこともなくお互いの意志がかすかに通じ合う。そして彼女の友人が真犯人であることが判明するというストーリー。気乗りせず読み始めたがなかなか面白かった。評判の才能は十分感じられる。