日本住宅の平面変化
早起きして昨日届いた出たばかりの新刊大岡敏昭『日本の住まいその源流探る』相模書房2008を読んでみた。日本建築史に属するこの手の研究書を余り読んだこともなかったし、西洋のものに比べてそれほど興味が沸かなかったのだが、DMが一昨日研究室に届きその内容に惹かれた。その理由は4月ころ早稲田で講義したジェンダーと建築の話しに関係する。そこで僕は日本の封建的住宅の間取りの解体を説明した。それはざっとこんなことだ、日本の近代住宅のプランは近世書院造りの伝統を受け継いでいる。そして書院は書斎と化して家父長の勉強部屋となり、それに連続する客間が住宅の南側の良好な環境を占める。そして主婦やその他家族の場である茶の間は北側の悪い環境に追いやられる。それが大正期に女性の地位向上とともに客間が消滅し、居間と呼ばれる家族の部屋が南側に進出する。
しかし、この本はそうした定説を覆し、近代住宅の源流は近世武家屋敷にあり、そこでは必ずしも客間に相当する座敷は南側の良好な環境にあるとは限らないというのである。座敷は道からアプローチする玄関の脇にあることを様々なプランを例示しながら検証する。つまり南入りなら座敷も南だが北入りなら座敷も北、東なら東、西なら西だと言うのである。そして近世武家屋敷はこうして道に面してパブリックスペースを配置することで道を重要なコミュニティの空間として作り上げていたと説明する。更に昭和にはいってもこうした伝統は地方都市において十分伝承されていたというのである。
うーん何が正しいのかにわかに判断できないが、著者が言うように、都市部においては西欧の影響をうけた啓蒙建築家が南信仰と女性解放を目指し南家族スペースのプランを作っていたのだろうが、地方では伝統的な武家空間が残り、それは必ずしもかつて考えられていたような南接客空間では無かったと言うことなのだろう。
まあこんな理解が浅学の私にはやっとのところ。しかし日本住宅の平面変化と言うのはなかなか住宅設計に示唆するところ大である。
夕刻k-projectのクライアントが来所。来週確認。時のたつのは早い。図面の進捗は???