晒す覆う
中国プロジェクトの進捗報告を聞く。やっとできた現場小屋の写真を見た。なんとゼネコンの小屋以外に労務者を寝泊りさせる小屋ができていてこちらの方が大きい。確かに周りが収容された何も無い農地なのだから労務者はここに寝泊りさせるのが合理的。ではあるのだが、風呂とか食事とかどうするつもりなのだろうか?毎度毎度予期せぬ出来事に驚く。
週の前半(長野にいる間)に天内君や平倉君たちが作った『ディスポジション』現代企画室というタイトルの本が届いていた。未だ目を通していないのだが、さーっと目次を見ると主として哲学系の若き学者達が配置をキーワードとして論を認めている。なかなか興味深い。しかしこれだけ様々な分野の文章が果たして一貫したテーマを共有できているのだろうか?まあ読んでみよう。
夜早稲田でレクチャー。これは「晒す覆うの構造学」という講義名で7人くらいの先生が交代で講義するもの。僕は二コマ担当。今日は2回目。前回は「スケルトンとブラックボックス」の話し。建築の物質的な晒す覆うの話しをした。今日は建築受容空間において受容者の意識が覆われている(気散じ)状態から晒されている(覚醒)状態へ移行する契機がテーマ。それを広告、携帯電話を例に出して説明。広告は北田暁大、携帯は和田伸一郎の論を引用した。そしてこうした受容空間に埋没している受容者の意識を覚醒させる契機をデザインすることが僕の興味であることを実作を通して話した。