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既視感

午前中事務所に行きk-projectの残りのディテールスケッチを描く。コンビニ弁当を食べながらロックやR&BのCDを大きな音でかけながら描き続ける。一通り終ったので帰宅。あっという間なのだが極度に集中していたからか帰ったらふらふら。風呂に入りながら『日本の黒幕』という変な本を読んでいたら思わず眠りに落ちお湯の中に本を落とすところだった。風呂と言えば、先日早稲田の生協に風呂の中で読む本と言うプラスチックの本が売っていた。ケースに入っていて中身が見れなかったが、、、。食後に昨日届いた多木浩二『森山大道論』淡交社2008を読んだ。と言うより眺めた?アマゾンに宣伝されていたのを見て、多木浩二の単著だと思い、それならと思って買ったのだが、森山論集であった。しかし二つほど写真と文章をみながら納得したり考えさせられたりしたり。一つは多木が森山の写真をリーグルの概念である「触視的」と形容したこと。そういわれて改めてこの本の中の森山の写真を見ると実に手触りが感じられる。ざらざらしてたりつるつるしてたりする。白黒だからということもあるのだが、彼は瞬間的に町のテクスチャーを感じられる人なのだと思った。二つ目は誰かが森山写真の廃墟性に言及していたこと。先日の早稲田の授業でアートをかなぐり捨て建築が固有な領域を切り開く時の一つの可能性は廃墟のようなものと言った。それは時間を感じることなのだが、森山の場合はそれが、既視感のようなもとと論じられていた。なるほどね。建築では既視感というのはなんだか人まねみたいなことで誉め言葉ではないけれど、懐かしさなら誉め言葉かもしれない。見たことがありそうでない。というのはなにかいいかもしれない。

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