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写真的建築論

下村純一さんがお書きになった『写真的建築論』鹿島出版会2008という本がある。その中にこんな言葉があった「写真は世界を写し取る万能機械ではない。特性限界を明確に備えた、一つのメディアにすぎない。能力に限りのある機械ゆえに、人の感覚にはひっかかりもしない建築の何かを、拾っていると思う。」これはバルトの言うように写真には偶然何か意図しないものが写りこむことが楽しいというようなことではないようである。もっと写真機の持っている原理的な宿命が我々の印象とは違う何かを拾うということを指している。例えば日本建築は軒が深いので晴天で撮ると軒下が暗くなり過ぎる。これはカメラの原理である。そこで曇天で撮らざるを得ない。そうなると我々の印象ではコントラストの強い和風建築が写真では平面的なものとして現れたりするわけだ。また明暗と共に写真の原理として外せないのが写真の印画紙が矩形だということ。水平、垂直性という枠組みがあるという点である。つまり写真には撮る前から線がある。故に縦横線と撮るものをどう整合させるかということが暗黙の問題となっているのである。それ故例えば目地のようなものに対して写真は異常な気を使いそれを必要以上に顕在化させる。人間の目にはそんな感覚はないのであり、これも写真の特性限界だと思われる。
こうした限界を持っているにもかかわらず、僕等は未だにこのメディアに振り回されている。そして未だしばらく振り回され続けるのである。

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