参った
午前中午後と人と会い、その合間を縫って昔のクライアントにも会う。ギブスは取ったものの歩くのがやっとの足で都内を動き回るのはしんどい。ちょっと参った。帰宅すると床に倒れ眠りに落ちた。
夜、読みかけの『テレビ的教養』を読み終える。テレビを教養の源として研究した数少ない書である。テレビを教育の阻害要因ではなく教育装置として見直す視点はあってしかるべきである。その昔大宅壮一が日本テレビの「なんでもやりましょう」という番組を見て「一億総白痴化」と警鐘を鳴らしたのであるが、テレビは脳ミソを堕落もさせるが、刺激し活性化もする。単面的にみるのは片手落ちなはずだ。
その後菊竹清訓『代謝建築論か・かた・かたち』彰国社2008(1967)を読み始めた。有名な建築論としてよく名前の挙がる本であったが、実物がなく読んだことがなかった。このたび復刻版が出てやっと初めて読むことが出来る。しかし読んで赤面。考えてみれば日本の設計論の草分け的なものであり、これを読まずして論文を書いていたと言うことに自分ながらあきれた。菊竹氏も1967年の時点で現代において設計の方法論、原理論が無いと嘆いているではないか。ああ早く読まねば。