民主主義の適用領域
早稲田大学の次々回の講義で主体性・他者性の話をする。そこでは主体に内在する他者を乗り越えた時に主体は確立すると言う江藤淳的なストーリーで話しをする。そして近代建築において主体に内在する他者のひとつとして民主制をあげる。つまり平等に与えられる建築のあるべき姿というものが希求された時期のそうした建築への批判である。民主制なるものは一体何なの?ということで森政稔『変貌する民主主義』を先日読み始め、本日午後急遽東京往復するはめになり、車中残りを読んだ。その中でハイエクの民主主義の適用領域の限定の話しが腑に落ちた。マジョリテイが是とは限らないわけである(裏で金をばらまけばマジョリティはどうにでも作ることができる)、多くの人が望む建築が豊かさを生むとは限らないのである(宣伝などの情報操作は基本的に営利目的なのだから)。つまり、多数決の原理が正常に機能する状態を我々は慎重に見極めないといけないと言うことである。