思い過ごし?
朝、病院で電気や超音波や足湯でリハビリ。その後エコーで診断。大分筋肉細胞が増えてきたとのこと。とりあえず順調に回復。これだけやっていただき260円とは安い。
午後k-projectの図面をチェック。詳細を詰めるべきことがまだまだいろいろある。完成していない図面もたくさんある。かたや残された時間は余り無い。弱ったね。少しピッチをあげなければ。
帰宅後『刺青とヌードの美術史』を読んでいて(と言うよりはその絵を眺めていて)日本の江戸時代の裸体画は西洋のヌードと比べると色がべた塗りで平面的なグラフィックであることに気付く(まあ今まで気付かない方が不思議かもしれないが)。そしてヌードが写実的になるのは明治になって西欧の描き方が輸入されてからである。ヌードに限らず日本の絵は明治までリアリズムではなかった。もちろん西洋だって透視図ができて初めて構図も色も本物っぽくなる。中世の絵はポスターみたいである。500年の時間差で日本は写実を描くのだが、ほっときゃ、つまり西洋の教えがなければずっとポスター描いていたかもしれない。しかし、西欧も日本も絵を描くということがこれほど長く写実ではなかったということが不思議でならない。何かを描くということが先ずは写実だと言う僕等の思いは思い過ごし?