夏のような日
様々打ち合わせがあった。夏のように暑い一日であった。リーテム往復したらへとへとになってしまった。昨日遅かったせいか少しばてている。
論文の3章を書き始めたのだが、ここは難しい。アートのことに触れるので、下手な書き方ができない。慎重に建築との関連性に絞っていかないと墓穴を掘ることになる。先ほどから、溜め込んであるカードと睨めっこしているのだがアートの記述が足りないか?モダニズムなのでグリンバーグばっかりである。ダントーの原文が欲しいのだが、見つからない。
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様々打ち合わせがあった。夏のように暑い一日であった。リーテム往復したらへとへとになってしまった。昨日遅かったせいか少しばてている。
論文の3章を書き始めたのだが、ここは難しい。アートのことに触れるので、下手な書き方ができない。慎重に建築との関連性に絞っていかないと墓穴を掘ることになる。先ほどから、溜め込んであるカードと睨めっこしているのだがアートの記述が足りないか?モダニズムなのでグリンバーグばっかりである。ダントーの原文が欲しいのだが、見つからない。
久しぶりに訪れた東工大。安田さんの耐震改修でファサードがルーバー状になっていたのは驚いた。玄関キャノピーが厚さ30ミリくらいの薄い板で鉄板かと思ったらコンクリートだったのにはまた驚いた。(さすが安田という感じ)。もっと驚いたのは、校舎内のトイレが全教員で一つづつ改修されているのだ、塚本トイレ、坂本トイレ、安田トイレ、奥山トイレ、八木トイレ、その上坂本休憩室と奥山休憩室もある。予算があるなあと驚いた。さて肝心の3年の課題。表参道と青山通りの交差点に建つ美術館という課題であった。まあ正直言ってかなりのレベルである。模型がでかい。作りこみも凄い。200分の1と50分の1と両方作っている学生もいる。その上中の家具も全部作っている。その上cad初めてという学生ばかりにしては凄い量の図面書いている。a15~6枚くらい。うーん。しかしデザインは割りと今風を貼り付けたような物結構ある。馬力がある割には凡庸でもある。まあ都会の学校によくあるパターンかもしれない。
さて再来週はこちらの講評会で安田氏に来てもらう。恥ずかしくない作品を作って欲しい物である。
明日やるべきことを今日全てやった。朝から4年のエスキスして夕刻から修士のゼミやって、夜は4年のゼミ。去年もそうだったけれど4年生の最初のレジメはたいへんだ。小田部さんのところでは(東大の美学)3年の前期にかなりのレジメを書かせるそうだが、そのくらいのカリキュラムが組みたいものだ。誰かがどこかの授業ですればいいと思うのだが。なかなか教員全員がアップアップでやれる暇がない。製図抜いてくれたら僕が3年の前期にそういう建築基礎文献購読というような授業をして徹底的にレジメの書き方を教えるのだが。そしてレジメが様にならないのは建築の基礎知識が少ないからである。雑誌読んで知識がついたと勘違いしては困る。意匠系に進む人は4年の最初までには是非とも西洋建築の通史の二つ三つくらいは読んでおいて欲しいし、更に本当の建築意匠論というような部類の本(そんなのあまり無いけれど)の二つ三つ読んでおかないと話にならない。来年の3年生には今から読まそう。坂牛研希望者の夏休みの宿題を出そう。決めた。
昨日買ったジョギングウエアで早速四谷の図書館までランニング。絶版になっていたロックの『人間知性論』がここにあることをネットで発見。以前も絶版のヒルデブラントをここで発見した。区立の図書館も捨てたものではない。その上特殊な人しか借りないせいか、発見して、更に借りられていないので助かる。人間知性論の部分だけ近所のキンコーズでコピー。谷川さんの対談で言われたこの書の中の一次性質(物の形、大きさ)と二次性質(匂い、味、色等)を確認したかったのである。谷川さんは対談の中でマルクスが資本論の中で産業革命の一番の罪は物の二次性質を抹殺したことだと記していると語った。物の何たるかは今ゼミでも話題の中心であり、経験論の中でこれらがどう位置づけられているのか興味深い。
梅雨のような雨が降っている。これから夏休みに向けて少し運動しようかと思い立った。と言ってもジムに行くとかそんな大袈裟なものではない。週2回ジョギングか散歩をするという程度のものである。しかし思っているだけではやらないので、道具をそろえに行こうと思った。先づシャツである。何かこう夏に向けて派手な色で、機能的には汗が直ぐ乾き涼しいという流行の生地。できればサイクリング用の背中にポケットのあるやつがいい。そして足は怪我のもとなのでスポーツタイツが欲しい。そこで新宿にでかけヴィクトリアで購入。そこで帰ればいいものをつい、はす向かいなのでハンズによって自転車見ていたらとても欲しくなった。かみさんと娘と僕の3人で使えるものが欲しいと思いそんな小柄の自転車を買ってしまった。直ぐに乗りたい症候群の私は雨の中その自転車で帰宅。びしょ濡れ。その上娘はデザインがいやだと我が儘を言う。でも娘の意見も聞かずにかった親父が悪い。
昨日は朝から事務所で打ち合わせ、k,projectの竣工までのスケジュール、川崎の図面チェック、中国の質疑回答。夕刻工学院大学へ山本理顕さんとの打ち合わせに行く。工学院にはその昔JIAの模型展に出品するのに行ったことがあるだけ。1階の吹き抜けロビーでワークステーションの高橋晶子さんと待ち合わせる。高橋さんは武蔵美から直行で来る。ぴったり7時に着き9階の山本研究室へ。10分ほど遅れて山本さんも到着。となりの製図室では授業中。工学院には夜間部もある。
山本さんに会うのは2~3年ぶり。まあ殆ど初対面に近い。ご挨拶に監訳した『言葉と建築』を差し上げた。「これ評判の本ですよね。難波さんが激賞してました」と嬉しいお言葉を頂戴。お返しに山本さんの近著『建築の可能性山本理顕的想像力』を頂く。3人で某件の打ち合わせ1時間半。終了後奥山と進めている住宅の本の企画の協力を要請、快諾。ついでに夏休みのオープンデスク信大の学生の受け入れをお願い。「優秀な学生はどうぞ」と言われる。そこで9時。山本さんはこれからとある集まりだそうで。我々は退散。高橋さんとルノアールでお話。様々盛り上がり11時頃分かれる。
昨日は製図の後、6時半の新幹線に飛び乗り東京でD代理店のK部長とO部長、A新聞経済部のMデスクと会食。といっても話題は子供の教育の話。K部長はわたしと同じ年頃の娘を持つ。Mデスクは高2、中2の息子と小5の娘。O部長は女性で一人っ子なので思春期の女性心理を実体験に基づき語った。因みに私の娘は中1。いやはや皆自分の家が特殊解だと嘆いているが、O部長の女性心理を聞けば、どこも同じと言うことのようであり、まあ食えない話なのか?
1時頃店を出たのだが、新聞屋は夜更かしでもう一軒行こうとうるさい。それを無視して皆帰宅。帰るとかみさんが未だ起きていて3時頃まで雑談。留守中の子供の試験の話とか。
昨日山口大学から僕の部屋を見学に来た学生がいた。熱心な学生である。僕の『言葉と建築』を読んでやって来たとのこと。3年後期の小学校の課題の図面を見せてもらった。3年次に描いたものかどうか分からないが、もしそうなら、かなり力量がある。うちの学生もうかうかしてられない。世の中こんなものかなあと改めて思った。
うちの学生は努力が足りない。エスキスの時に一週間なにしてたのという学生が多すぎる。手を動かさないなら頭は動いているのかというとそうでもない。本当に何をしているのだろうか?皆がんばらないとちょっと頑張った学生が凄くやっていると勘違いしてしまうから恐ろしい。ボトムアップしないと大学のレベルは上がらないのだ。
昨日はゼミが終ったのが11時だったかな?へとへとになって帰宅。辺見からメール。Geoffrey Scott の‘The Architecture of Humanism‘について書いてあった。この本、5年くらい前に購入してぺらぺら参照していたもの。それは「建築のモノサシ」を作っているときに人間と妖怪という概念で建築を読み解くためだった。ウイットコウアーの『ヒューマニズム建築の源流』が手に入らず何か良い本はないかと物色していたときに、井上充夫の『建築美論の歩み』でこの本が高く評価されていたので、購入したものだった。古典主義を評価するために、ロマン的、倫理的、生物学的、機械的、建築論を片っ端からfallacy(謬見)として切り捨てるところが小気味良い本なのだが、でも最終的にhumanismという所の説得力は現代から見ると弱いように感じていた。しかし、きちんと読んだわけではないので再読の価値あるかな??
朝から事務所で打ち合わせ、今日は川崎の敷地で金箱事務所の方にも来ていただいて庭の試掘。事務所の人間で試掘するのは始めて。行ったついでに案の修正の説明。クライアントに受け入れられるか?夕刻某プロジェクトのため来客。とりあえず少しお手伝いをすることとする。
打ち合わせ後東京駅丸善に寄ってロックの『人間知性論』を探すも3巻しかない。他は絶版とのこと。ちょっとショック。そのまま新幹線に飛び乗る。車中東工大奥山氏から電話。k出版との打ち合わせの内容を聞く。基本的に企画どおり進められそうとのこと。インタビュー相手の一人である建築家のI氏は大変乗り気だとのこと。大体骨格はできたとなると、次はその為のコンセプトのつめで奥山ともう少しディープな議論をしなければならない。年内に原稿をあげるというのはちょっと胃が痛い。しかし蒔いた種だから刈らない訳にも行かない。
一日家にいて、娘の試験勉強を見てやり、自分の論文書いて、夜は近くで焼肉食べた。山星という美味しい焼肉屋がある。やることが沢山あるとあれもこもしなければと思って気が滅入りとても非効率的にしか物事は進まないのだが、小さなことでもとにかくやってしまい数を減らすと、なんだかすっきりする。昨日新幹線の中で小さな原稿をとにかく二つ書いてしまった。スーパースタジオと藤森照信。いや本当に短いのだが、やってしまうと(完成して無くても)気分よく次の仕事に入れるものだ。
その意味で新幹線というのはうってつけ。時間は2時間無い。その時間でできることをとにかく片付けるしかない場所なのである。
建築学会の北陸支部総会なるものが信州大学で開かれるということで初めて参加。今年度から常議員なる役割を頂いた。しかし今のところ何をするものなのかよく理解していない。まあゆっくりと。総会の後に学会長の村上先生の講演があった。村上先生は日建時代横断道の換気塔の設計をしていた時に一年間かけて風洞実験をしていただいた先生である。久しぶりにお会いしてご挨拶した。
講演はヴァナキュラー建築のサスティナビリティというテーマでありとても興味深いものであった。講演には坂牛研の院生を初め多くの学生が参加。我が研究室のobである中根君も来校。一緒に夕食をとった。最終で東京へ。新幹線の中で日建の石川君にばったり会う。彼の証言によると、僕が信大に来た頃彼は市役所の街づくり課の課長に呼ばれ、坂牛は何者だ信用できる男かと聞かれたそうだ。おお恐ろしい。
現在工事中のkprojetの施工をしてくれいてる渡辺組の渡辺社長(彼は篠原研の後輩。house sa の施工者でもある)とみかん組の竹内氏と佐々木龍郎さんの4人で会食。渡辺さんの音頭で設計者と施工者の腹を割った話をしようという企画。しかしそんな話が出たのは分かれ際の15分くらい。後は何話していたのだろうか?佐々木さんが東海大の特認教授になった話とか(おめでとう!!)、渡辺さんの子供の話とか、竹内氏の切れる話などなど。
ところで、竹内氏のおかげで(彼は信大に特別講義に来てくれて、その上レポートの採点もしてくれた)授業が盛り上がったことに御礼。ついでにそうして盛り上がってやる気の出た学生のオープンデスクをお願いした。竹内賞の方は申し込んでみたら。
安田さんから留守電、東工大の講評会にゲストクリティークに来てくれとのこと。何とか日程やりくりできるか?明日大学で調整してみよう。土曜日だが学会長の村上先生がいらっしゃるとのことで出勤である。
そう言えば昨日、御茶ノ水の駅でばったり佐藤光彦氏に会った「あれ事務所この辺でしたっけ?」と聞いたら「いや今日大に教えに来ているもので」と言う。そうか移ったんだ。名刺くださいと言ったらまだ無いとのこと。名古屋から東京に来られて楽になったろうなあとやや羨望の眼差し!!!
いや失言、長野もいい。本がゆっくり読める。今日は車中、ボードリヤールの『記号の経済学批判』を斜め読みした。ゼミで読んだ『物の体系』とともに前期の主要著書である。その中の第二章に相当する部分は「欲求のイデオロギー的生成」。欲求は僕の論文の中でも重要な概念なので少し丹念に読んで見た。その中にこんな一文がある。「欲求は、何であれ、もはや決して自然主義的/観念論的テーゼが言うような、生まれつきの天賦の力、自発的欲望、人間学的潜勢力ではなく、システムの内在的論理によって諸個人の内部に誘導された機能である。より正確に言えば、欲求は豊かな社会によって《解放された》消費力ではなくて、システム自身の機能、システムの再生産と延命の過程が要求する生産力である。いいかえれば、欲求が存在するのは、システムがそれを必要とするというただそれだけの理由による。
欲求は社会システムの中で再生産されるイデオロギーに連動してシステムを動かす原動力として必要不可欠なものということである。
アルチュセール『再生産について』を彷彿させる。因みにボードリヤールのこの本は『再生産について』の2年後、1972年に出版されている。多くの影響があったのだろうなと勝手に想像している。
早朝のアサマで東京。家により朝食、午前中に事務所で様々打ち合わせ。午後リーテムで中国プロジェクトの打ち合わせ。3社の見積もりを見ながら、副社長の厳しい予算設定を聞く。うーんその額でできるのだろうか?今まで多くのクライアントトップの厳しい査定を聞いてきたが、今回はまた一段と厳しい。
昨日のゼミでアルテ・ポーヴェラとヘルツォーグの関係が話題になった。双方ともモノの質料性への執着が見られるのである。ヘルツォーグの植物拡大模様のようなことをバオリーニあたりが既にやっていたのではないかと盛り上がった。
さて数年前東現美で行われた20世紀イタリア美術展のカタログをめくって見るならアルテポーヴェラは1968年以後というところに分類されている。建築では時あたかもスーパースタジオやアーキズームが活躍しているころである。シングルデザインというグリッドの網をかぶせたようなテーブルやら住宅やら、あるいはコンティニュアスモニュメントと呼ぶ都市の幻想的コラージュを作成していた。建築や都市を概念で包みその質料性を除去するその姿はアルテポーヴェラとは対極を行くものだったに違いない。そしてその両者が4分の1世紀を経て再び浮上してくるのは面白い。
そのころをまた客観視できるようになったということか。
私の勤める大学の同じ学科の先輩の先生の中に、とても子供思いの方がいる。鋭い論文を数多く書かれ、大学運営の要職も数多くこなし、学外での様々な役職もこなしながら、家には6時に帰り子供と時間を共有していると聞く。その理由は自分の親が同じように自分と過ごしてくれ、それによって今の自分があるからだという。
自らを振り返ると、自分は幼少の頃父親と時間を共有し、それによって自分が成長したという実感がない。細かく考えると父親が夜家にいなかったわけではないのだが、一家団欒というい状態ではなかった。お互いに忙しすぎてゆっくり語るなどと言うことにはならなかった。めいめいが好きな時間に食事をし、好きな時間に退席し、自分の仕事、勉強をしていたように思う。そして恐ろしいことに、今の自分はその頃の親父とまったく同じことをしている。
別に親父と過ごす時間が短いから僕は不良になったわけでもないし、つらい思いをしたわけでもない。それはしかしたまたま僕がそうだっただけのような気がする。子供思いの某先生のように子供と共有する時間がある程度確保されていることは重要なはずである。しかるに、私の現状では、それは望むべくもなく、手も足ももがれたハエのような気持ちである。
未だに外から響く学生の歓声。元気炸裂である。建築の学生2年から大学院まで全員のパーティーである。東工大にはこういう風習はなかったので新鮮である。しかし明日は朝からゼミ、皆遅刻するなよ。心配。
今日も某市の方が3人で研究室におい出になりコンペの打ち合わせであった。既に業界新聞には報道されてしまったのでコンペ自体は知る人は知るところとなったようである。しかしこういう仕事はそれなりに大変なものである。人事の調整というのは気を遣う。
長野東京往復で母子家庭は続き、思春期の娘を抱える私はそれなりに心が痛む。娘と過ごす時間を長くするにはどうしたらよいのだろうか?ちょっと悩む。
3時半ごろ来訪者。井上君ではないか。一体何事かと思ったのだが、とっさに手帳を見ると、なんと今日はA0の集まりだった。しまった。こんなことは初めてである。事務所には鍵がかかっているし、携帯は返事がないし家まで来たとのこと。なんとも申し訳が無い。一緒に事務所に行き、次の勉強本の検討。いろいろ議論の上、コロミーナか、ヴィドラーを読もうという結論。とりあえず、中身を推測する意味でも、皆で少しづつ読んできて次回感触を話合おうということにする。
桐建会と称する高校の建築家同窓会があり、本日はそれをリーテム東京工場で行った。バスをチャーターし5時にリーテム到着。操業中の工場を見学するのは実は僕も初めてだった。建物の説明を私がして、ライトアップの説明を近田さん。7時には真っ暗になり光もとてもきれいに工場を照らし出していた。再びチャーターバスで懇親会場のクリスタルヨットクラブへ。鈴木成文先生の乾杯。私も一言。近田さんも一言。学会選奨に選ばれたアーキテクトファイブの川村さんの一言。学会論文賞をとられた野城先生の一言。渡辺武信さんの一言は最高に傑作。さすがうまい。同級生だった木島安史さんに仕事を盗られた話は笑った。急遽こられなくなった林昌二さんからは祝電が届き励ましの言葉をいただいた。最後は長老岡田信一。いや重みのあるお言葉。その後2次会で居酒屋に若い人だけ移動。と思ったのだが、鈴木先生もいらっしゃった。なんとお元気なことか。話は尽きず、2時にお開き。
準備をしてくださった関係者の皆様ご苦労様でした。ありがとうございます。
『物の体系』のAとBが次回のゼミ範囲。再読しているのだが、読みずらい日本語である。原書があるわけではないので、正確にはわからないが、うわさでは英訳の方がはるかに読みやすいという。まあそれはよしとして、一作日話題にしたスーパースタジオ同様、『物の体系』も五月革命と同時期の出版である。やはりあの時期世界の知は権力をめぐりとてもラディカルになったのであり、その後の20年は世界は死んでいたのかもしれない。なんと言うことだろうか?僕等にしてみれば高等教育を受け始める頃から就職退職するまで世界はまったくクリエィティブではなかったということである。であれば、しかしこれから本当の時代が訪れるのだろうか?磯崎さんの『建築の解体』の復刻版への前書きで彼はフランシスフクヤマの歴史の終わり1989にはまったく賛同できない、歴史はこれから始まると書いてあるがそれは喜ぶべきことか悲しむべきことか?僕にしてみれば複雑な心境である。
3年生の製図のエスキスを終えて帰宅(東京へ)。娘は修学旅行のようなものにでかけ、かみさんは友人と都内某ホテルに遊びに行った。誰もいない我が家に帰るのは調度一年前の今頃の様である。
昨晩ベッドの中で読んでいた『崇高とは何か』の訳者(梅木達郎)の解説が面白かった。というか凄く納得がいった。一般に崇高という概念はカントを基礎に、例えばリオタール等の理解は、人間の有限性で把捉しきれないものとしての「大きさ」や「力」なのだが、梅木氏はジャン=リュック・ナンシーをきっかけに、カントをもう少し詳細に読むことで、崇高を単に人間の有限性を超えた無限の中に見るのではなく有限と無限の境界上における往還運動と見るのである。有限がちらつくからこそ無限が意識されるというものである。この手の感覚の捉え方は僕の「建築のモノサシ」の主眼とするところである。僕の建築のモノサシも2項対立を言うのではなく、どちらかに偏る表現には強度が現われず、常に対立項の影が見え隠れするところにこそ表現の強度が現われるというもの。だからこの解釈がカントの正しい読解かどうかはべつとしてとても納得いくのである。
昨日は朝一で東京、最終で長野であった。事務所でたっぷり打ち合わせ。雑務。このwarp感覚は結構好きである。
日大の芸術学部にスーパースタジオがやって来て伊東豊雄さんとセッションするという。それにあたり文章を書いて欲しいとの依頼が来る。スーパースタジオとは懐かしい。僕らの世代においてはいわずと知れた磯崎さんの『建築の解体』に登場するスーパーグループである。『建築の解体』はサブタイトルに1968年の建築状況とあるように、ボン、フィレンツェへ飛び火した5月革命の建築的回答であった。
先日ニューヨークの友人に今一番「ホット?cool」な本を送ってと頼んだら、60年代の本を送ってきたのだが、昨今この時期への眼差しが熱い。
長野も28度。なんと授業中クーラーを入れた。夜のゼミでも思わずクーラー。この時間になるとやっと少し涼しい。窓をあけると風が心地よい。今日は地獄の火曜日。目一杯詰まったスケジュールに加えて、とある面倒臭い作業のしこりで、精神的に忙殺されてどうも集中を欠く。必死でそれを避けるために静かに、静かに、妙に神妙な一日だった。本当に疲れる暑い一日であった。
連休明けの会議、予想以上に時間がかかる。午後県内某市での打ち合わせ。電車で1時間。まるで小旅行。天気がよく景色がいい。風光明媚を絵に描いたような車窓からの眺めである。夕方研究室に戻る。明日のゼミの本を読む。グリーンバーグ批評選集。結構重い。
gw最終日は天気も悪く、家でじっとしていた(いや、今日に限らず現場に行く時以外はじっとしていたのだが)。そこで犬と戯れたり、娘とじゃれたり、かみさんと無駄話したりして過ごした。その間にリオタールとバルトを飛ばし読みした。リオタールはA0の星野君が書いた論文に触発されて読み返した。崇高論関係をよく読んでみた。しかしどうして彼はあれほどニューマンに拘るのかよく分からない。本物見てないのによく言うよと自分でも思うのだが、この手の作品はモダニズム期アメリカにいろいろあるようにも思うのだが、、、、、どこに言ったら本物見られるのだろうか?知っている人がいたら教えてください。
バルトは『映像の修辞学』。クラウスの指標論Ⅱの骨格となっているのがこれなので読み返した。コードなきメッセージは本当言うとまだ正確には理解できていないような気がする。
夜長野に向かう。車中 岡田暁生『西洋音楽史』と森田慶一『建築論』を読む。西洋音楽史はなんと言っても西洋芸術音楽の定義が面白い。それは知的エリート階級によって支えられ、主としてイタリア・フランス・ドイツを中心に発達し、紙に書かれ設計される、音楽文化となっている。つまり紙に書かれて設計されない、民謡とかジャズをはずし、800年以前のローマ時代をはずし、紙に書かれても読めない人たちははずすのである。明快。
森田さんの建築論は始めて読むが、なんとその骨格はヴィトルヴィウス「用」「強」「美」でした。
長野もすっかり暖かくなっている。やっと春だろうか?
僕の部屋の本棚は3列のスライド型である。2列のスライド型はよくあるが、3列は少ない。幅3メートルくらいのところに3列あると結構はいる。しかし入るだけに床加重がかなりになる。トン/メートルの線加重で鉄筋コンクリートの建物でも注意しないと床がたわむ。そこでこの本棚を設置するにあたっては、構造の専門化にも聞いてokをもらった。
さてそんな本棚にしたせいか、どうも自分で持っている本を自分で把握しきれていない。3列目の本は常に裏だから目につきにくいのである。最近このスライド本棚をスライドして本を探すと、買ったばかりの本に出会って愕然とする。
ロラン・バルト『モードの体系』(単行本)、樋口忠彦『日本の景観』(文庫版)、リオタール『非人間的なもの』、カリネスク『モダン五つの顔』。
事務所に来てくれたら差し上げます。
fmラジオを付けたら三谷幸喜がモンマルトルに行きたいと言っている。ゴッホとゴーギャンに興味があるようで、彼等が同居していた話をしている。ゴッホが耳を切ったのは、ゴーギャンにかまって欲しかったからだとか。本当かどうか?まるで我家の犬のようだ。さすがに犬だからそういう自虐的行為に走ることはできないのだが、ちょっと無視したり遊んでやらないと、かまって欲しくて変な場所に糞をする。かまって欲しいと生物は何かする。娘やかみさんも同じで、かまって欲しいと何かする。むくれたり、わめいたり。自分だってかまって欲しいと何かする。「おーい」とか「わーい」とか「コーヒー」とか。
昨日記した稲葉振一郎さんの『モダンのクールダウン』に紹介されていたカリネスクの『モダンの五つの顔』を読んでみた。
「二つの鋭く対立しあうまったく別個のモダンの存在・・・・科学的進歩主義、産業革命、資本主義によってもたらされた圧倒的な経済的社会的変化の産物と美的概念としてのモダン・・・・の関係は敵対的なものとなった」と記され、その前者とは市民革命によるブルジョア文化であり後者はそれに敵対する反ブルジョアを標榜するアヴァンギャルドなのである。建築の場合まさにこの遅れてやってくるモダニズムがコルビュジエでありブルジョア文化を体現したのがルドゥー以降の建築家となる。カウフマンの『ルドゥーからコルビュジエ』がその二つのモダンを架橋していることになる。そう考えるとカウフマンはそこに決定的な溝を描いてはいない。むしろカントに棹差し、自律的な建築への歴史が記されていたように記憶する。昨日の日記にその差はどれほどか?と疑問を呈したが、その謎はそう簡単に明かされるものでもなさそうである。
二人の時代認識
先日読んでいたオギュスタン・ベルクの『日本の風景・西欧の景観』では、近代の始まりをルネサンスにみて、そこで発明された透視図法に対して、20世紀モダニズム絵画におけるキュビズムは多視点的な見方を作り透視図を否定したものとされている。近代の主体と同時的に発生したこの透視図の否定をベルクはポストモダニズムの先取りと表現していた。呼び方はどうであろうと、近代とモダニズムとを明らかに違うものとして見る視点がここにある。一方今読み始めた稲葉振一郎『モダニズムのクールダウン』でも近代に対してモダニズムは一種の異議申し立てであり大きな物語の普及であり、ポストモダニズムも異議申し立てであり大きな物語の腐朽だというのである。ここにも近代とモダニズムを一枚岩として見ない見方が提示されているのである。
近代とモダニズムのずれというのはなんとなく頭の中ではちょっと違う何かだけどとりあえず同じグループだったのだが、こうして違うグループとして言葉にされると。少し驚きなのだが、果たしてその差はどの程度のことなのだろうか?
火曜日は9時から昼までゼミ、昼食後18時まで製図、18時半から院生ゼミ、今まで(22時半)。13時間長距離マラソンである。ふー。
昨日長野に向かう新幹線の中で読んでいた本のあとがきにこう書いてあった。
「ブラームスはブルッフのヴァイオリン協奏曲(1番か2番は不明)を聴いて、こう言ったそうだ。『こんなのでいいなら、私は10年前に書いている』。筆者も本書を読み返してみて、自分自身に向かってそういいたくなった・・・・・・・」
昨日ある原稿を出版社に出してきた。出版社が事務所のそばなので散歩がてらもって行った。原稿でも建築でもそうなのだが、これでできたと思うたびにその日の夜、次の日の朝、とてつもなく憂鬱な気分になる。「こんなのでよければ10年前に考えていた、作っていた、やっていた、」そう考えて滅入るのである。
オリジナリティの望めない現代社会において、創作物の独創性など微差の集積でしかない。ここ数十年間。これは見たことも無いなどというものに出会ったことはない。40年以上も生きていればしょうがないことである。そして自分の創作物を思い起こし、その僅かな差を確認し少し安堵するだけである。
夕刻、日本橋高島屋の美術画廊に山田宴三(やまだえんぞう)さんの絵を見に行った。宴三さんはもともと日本画出身の方なのだが、岩絵の具とアクリル(あるものは墨)とアクリルのメディウムを和紙の上に垂らしたり、広げたりしながら(ちょっとサムフランシスのように)面を構成し、重ね塗りしながらある箇所その乾ききらぬ皮膜をめくり下の層をむき出しにするのである。それによって2次元のキャンバスに奥行性を出そうとしている。
それほど大きな絵ではないが、少ない画材でとても多様な世界が出来ていると感じた。一種類の青いアクリルで10色分くらいの色が出ているのには驚いた。墨も水墨画が作り上げる多様性よりもっと奥行きを感じる。
少ない手数で多様な表現というのは建築に通ずるとても大事な手法だなと感じた。