アルテポーヴェラとスーパースタジオ
早朝のアサマで東京。家により朝食、午前中に事務所で様々打ち合わせ。午後リーテムで中国プロジェクトの打ち合わせ。3社の見積もりを見ながら、副社長の厳しい予算設定を聞く。うーんその額でできるのだろうか?今まで多くのクライアントトップの厳しい査定を聞いてきたが、今回はまた一段と厳しい。
昨日のゼミでアルテ・ポーヴェラとヘルツォーグの関係が話題になった。双方ともモノの質料性への執着が見られるのである。ヘルツォーグの植物拡大模様のようなことをバオリーニあたりが既にやっていたのではないかと盛り上がった。
さて数年前東現美で行われた20世紀イタリア美術展のカタログをめくって見るならアルテポーヴェラは1968年以後というところに分類されている。建築では時あたかもスーパースタジオやアーキズームが活躍しているころである。シングルデザインというグリッドの網をかぶせたようなテーブルやら住宅やら、あるいはコンティニュアスモニュメントと呼ぶ都市の幻想的コラージュを作成していた。建築や都市を概念で包みその質料性を除去するその姿はアルテポーヴェラとは対極を行くものだったに違いない。そしてその両者が4分の1世紀を経て再び浮上してくるのは面白い。
そのころをまた客観視できるようになったということか。