欲求の再生産
そう言えば昨日、御茶ノ水の駅でばったり佐藤光彦氏に会った「あれ事務所この辺でしたっけ?」と聞いたら「いや今日大に教えに来ているもので」と言う。そうか移ったんだ。名刺くださいと言ったらまだ無いとのこと。名古屋から東京に来られて楽になったろうなあとやや羨望の眼差し!!!
いや失言、長野もいい。本がゆっくり読める。今日は車中、ボードリヤールの『記号の経済学批判』を斜め読みした。ゼミで読んだ『物の体系』とともに前期の主要著書である。その中の第二章に相当する部分は「欲求のイデオロギー的生成」。欲求は僕の論文の中でも重要な概念なので少し丹念に読んで見た。その中にこんな一文がある。「欲求は、何であれ、もはや決して自然主義的/観念論的テーゼが言うような、生まれつきの天賦の力、自発的欲望、人間学的潜勢力ではなく、システムの内在的論理によって諸個人の内部に誘導された機能である。より正確に言えば、欲求は豊かな社会によって《解放された》消費力ではなくて、システム自身の機能、システムの再生産と延命の過程が要求する生産力である。いいかえれば、欲求が存在するのは、システムがそれを必要とするというただそれだけの理由による。
欲求は社会システムの中で再生産されるイデオロギーに連動してシステムを動かす原動力として必要不可欠なものということである。
アルチュセール『再生産について』を彷彿させる。因みにボードリヤールのこの本は『再生産について』の2年後、1972年に出版されている。多くの影響があったのだろうなと勝手に想像している。