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August 31, 2013

小樽の坂牛邸を訪れ坂牛さんにお会いする

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今回の学会では初日と3日目に司会が3つあり3日間札幌に居なければならない。というわけで中日の今日は建築見学ツアー。午前中小樽の「坂牛邸」を見て午後「上遠野邸」を見て夕方「モエレ沼公園」に行った。
小樽の坂牛邸(僕とは親戚でもなんでもないのだが)はNPO法人歴史的地域資産研究機構の原朋教さんの案内で見学をした。原さんたちは北海道の歴史建築を保存する運動をしている。そんな関係でいつもはいらっしゃらない坂牛邸のオーナーである坂牛さんともお会いして建物の話を聞くことができた。この建物はライトの弟子だった田上さんが27歳の時の設計。随所に見られる斜めの線がライトを髣髴とさせる。
それにしてもヴァーチャルな世界では親しみを覚えていた「坂牛邸」にひょんなことから訪れしかもその坂牛さんと会えたのは不思議な感覚。坂牛さんは岩手の出身とのことで、坂牛の発祥の地八戸が昔は岩手県だったことを考えると本家本元の坂牛さんなのだろう。
その後行った「上遠野邸」の上遠野さんに小樽の坂牛さんの親戚だと思われていたのが面白い。「上遠野邸」は『都市住宅』に掲載されていたのを学生時代に見た印象が強烈だった。ファンズワース邸をレンガと鉄骨で作ったような建物である。
風も雨もおさまらずモエレ沼では貝島さんと遭遇。彼女が山を二つ登ったというので張り合って登ったらびしょびしょになった。

August 30, 2013

学会コンペ最優秀賞!!!!!

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学会初日。北海道。朝5時起床。雨の中ジョギング。もうこちらは秋。何十年ぶりかの北大。学生たちの発表場所をかけづり回り、自分の司会も終えて4時半の電車に飛び乗り学生に付き合って水の教会へ。車中学会コンペの最終審査に残って公開審査をしている奥田、金沢に電話。結果は?「最優秀賞でした」とのこと。Congratulations!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
.水の教会を見てから札幌に戻り彼らの賞金で僕もM1も腹いっぱいジンギスカンをご馳走になる。教師冥利に尽きると言いたいところだが、またもや何の指導もしていないのにこの結果。つくづく教師は不要と思い知らされる。これで今年の研究室の獲得賞金は451万だとか。

アトムはもう要らない

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午後日建設計の亀井さん、山下さんと後期の大学院製図課題の打ち合わせを行う。前期は藤原さんと小西さんに構造的視点で建築を考えるトレーニングをしていただいたので後期は環境的視点から建築を見る訓練をしていただくことにした。山下さんは僕が在籍していたころ一緒に組合活動をしていた設備のエンジニアであり理科大理工の出身である。
外堀を環境利用した市ヶ谷駅の設計とか外堀周辺の開発とか神楽坂をcool town(涼しい街、かっこいい街)にしよう、などの課題案を議論。最終的には理科大神楽坂キャンパスタウンをいかに環境オリエンテッドに作れるかというテーマで行うこととした。キャスビーの知識をベースに多少の計算を行いながら試行錯誤する。電気を使わない大学なんて考えられたら最高である。
夕方の飛行機で札幌に向かう。時間が無いのに秋葉原から上野に向かうべきところを逆向きの電車に乗ってしましいあせった。
機内、吉見俊哉『夢の原子力』ちくま新書2013を読む。この本は単なる原子力開発ストーリ―ではなく、原子力が夢物語としてどのように社会に表象されてきたかをゴジラやアトムなどのメディアに登場するキャラクターの変遷を通じて分析している。ゴジラの顔がソフトになったのと原子力発電所が多く稼働し始めたのが同時期であったのは偶然ではないということである。
鉄腕アトムは100万馬力を生み出す原子力の象徴であり100万馬力を使いこなすのが半世紀前の夢だった。しかし現代は100万馬力なしでいかに同じ生活を維持できるかが課題なのである。キャンパスタウンも是非0エナジー建築にしたいものである。

August 29, 2013

ジャコメッティと書

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国立新美術館で配偶者の作品を見る。家で見るのと美術館で見るのとまた見え方が違う。去年ブエノスアイレスで彼女が書のレクチャーをした時こんな質問があった。「あなたが書を書くにあたって影響を受けたアーティストがいますか?」と。僕は全く知らなかったが彼女は「ジャコメッティ」と答えていた。
ジョンバージャー(John Berger)飯沢耕太郎監修笠原美智子訳『見るということ』(About looking)ちくま学芸文庫(1980)1993の中に「ジャコメッティ」という短い論考がある。彼が言うにはジャコメッティは社会と何物をも共有しない人間の顔をしている(その真逆はル・コルビュジエだとも書いている)。それゆえ彼の死が彼を完成させ、彼の作品を深く意味づけて行ったと言う。なるほどあの細い肉体は人間が社会と関わる全てのものをはぎ取られたエッセンスの現れなのかもしれない。
配偶者が好むジャコメッティがバージャーの語るようなものであるかどうかは知らないけれど、明らかに彼女の線も不要なものをすべてはぎ取ったエキスの刻印であり、その点において彼女がジャコメッティを敬愛しているのは確かではないか。

August 27, 2013

ゆっくり生きましょう

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今朝の朝日新聞の朝刊に本川達雄東工大教授のコメントがオピニオンの欄に載っていた。本川さんと言えばベストセラーとなった『ゾウの時間 ネズミの時間』の著者である。すべての動物の生きている間の心拍数の合計は同じなど、生物学的な統計から種によって流れている時間が異なるということを言っている。
そんな本川さんが現代社会に流れる時間についてこう言う。
「現代人と言うのはエネルギーを大量に消費することで時間を買い取っているんだと思います」。飛行機しかり、パソコンしかり。人間が扱うものがモノから情報になればますます速さに歯止めがかからなくなるというわけだ。しかしその速さは人間が普通に扱えるものを超越している。そして話は人間の生命にまでおよび、医学の進歩は人間をどんどん長寿命化させている。生殖活動が終わってから何十年も生きる生命体は異常。これはもはや「べらぼうなエネルギーと技術が生み出した人工生命体」だと言う。
仕事をしなくていい日には人間の普通の速度に戻りなさいと提言している。

August 26, 2013

フォーティー本に遭遇

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現在翻訳中のAdrian Forty著‘Concrete and Culture`の中にかなり詳細なブラジルコンクリート建築の説明がある。「何故ブラジルのコンクリート建築はあそこまで薄いシェルなのか?」という技術的な話から、「ブラジルは世界で最初に国としてのモダニズムスタイルを確立した」という歴史的な位置づけまで。そして日本についても同様である。
フォーティーが日本に来た時に旺盛にコンクリートについての取材をしていたのを知っていたのでブラジルでも同様な取材をしていたのだろうなあと感心していた。
そんな矢先のこと、来月ブラジルに行くのでブラジル建築の本を探していたらその昔`Brazil`s Modern Architecture` Phaidon 2004なる本を買っていたのを思い出しイントロだけ読んでみようと本を開けた。するとそのイントロを書いていたのはFortyだった。なるほどここで十分勉強していたということだった。
さてついでにつらつらとページをくくるとブラジリアの写真が登場。あれ今まで気にも留めていなかったのだが、この角度から見るとなんだか見たことがある。そう、昨日僕はこの建物を見た。用事で行った代々木にあったな。そう代々木に建っている予備校の建物だ。代ゼミである。なかなかシャープなデザインと思っていたがオリジナルはニーマイヤーか(もちろんニーマイヤーのは本当にツインタワーなんだけれど)!

August 25, 2013

今気付かないで何時気付くのか?

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経済は成長しないといけないのか?という疑問はバブルが崩壊して少したってから湧いた疑問である。なぜそう思ったかというと、成長したことが生活を豊かにすることに寄与していないのではと思うようになったからである。
そしてそんな気持ちがしっかりとそうだと思うようになったのは春に北欧行って彼らの生き方を見てああGDPが少なくても豊かな生活は送れると感じた時である。
しかしその認識はいささか誤りっだった。実は北欧も一人当たりにするとGDPは高いのである。確かにGDP自体はアメリカ、中国、日本の順なのだが、国民一人当たりにすると10位までにアメリカも中国も日本も入っていないのである。そこには北欧の3つの国やスイス、カナダ、オーストラリアなどがあり、アメリカ11、日本は13なのである。
これは何を意味しているのだろうか?ブータンのようにGDPが少なくたって幸せだという主張もありうるかもしれない。しかし基本は経済がそこそこ回っている方がやはり豊かにはなりやすいのだろう。ただし、日本やアメリカがどうして豊かに感じられないかと言うと、GDPで自らが不幸になるものを多く生み出しているということなのだ。
実は今から半世紀以上も前にロバート・ケネディはそういう警告を鳴らしていたのである。殺人兵器を作り続けてもGNPは上がるけれどGNPは夫婦の絆や公務員の高潔さには関係しないと主張していたのである。半世紀もの間日本もアメリカも何していたのだろうか?そして今それに気付かなくて何時気付けと言うのだろうか?

August 24, 2013

麩まんじゅう

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午後から事務所でクライアントと打ち合わせ。「近所のお店ですけどとても美味しいんです」と言っておまんじゅうを頂いた。目黒「はちのや」の麩まんじゅうである。笹の緑が涼しげである。
本日の案はL字平面だったが打ち合わせしているうちに三角形プランもありそうな気がしてきた。この饅頭のように、、、、

August 23, 2013

新宿アートフェスタオープン

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新宿アートフェスタというイベントがある。プロのアーティストから学生までいろいろな形で参加する。3年前から始まり、僕らも研究室で初回から参加してきた。初回は僕も徹底して参戦。去年はちょくちょく参加。そして今年はまったくお任せ。「参加型アートがいいんじゃない?」くらいは言った気がするけれどそれだけ。
と言うわけで研究室の制作部屋(本来は教員部屋だけれど僕の研究室では教員部屋は制作部屋になっている)で日夜作っているのは知っていたが見ることもなかった。そして昨日搬入して今日から展示公開。さすがにできたものを見るくらいはしないと指導(しない)教員として罰があたりそうなので先ほど見てきた。
この作品は1万個近く集めたペットボトルのキャップを木枠に3層にかけ渡されたテグスに自由に参加してはめていくアートである。そして会期が終わればキャップは新宿区に寄付されてエコキャップ運動の足しにしてもらおうというものである。
主催者とのやりとりから、アイデア出しから、制作、搬入にいたるまで僕が何もしなくてもこれだけできるって大したものだと感心した。

小さなスケッチブック

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最近お気に入りの小さなスケッチブック、薄い合皮でくるまれている。大きさは15㎝×8.5㎝。背広の内ポケットにも入りそうな小ささである。ペンを刺すブラケットがついていおりそこにキャステルの0.9ミリのシャープペンをさしている、これはノックするところに細い消しゴムがついていて最も使いやすいシャープペンだと思う。さらに最後のページにはメモを挟める折り返しがあり、そこに20センチの竹の物差しをいれてある。これがまたいろいろと便利である。
以前もこの大きさのスケッチブックをだいぶ長く使っていたが、大きなスケッチができないのでしばらく大きいものを使っていた。そしてまた小さくスケッチしたくなりこのサイズに。まあ実際持ち運びも楽だし掌に広げたた時も楽である。

August 21, 2013

AV女優の社会学

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ここ数か月、朝4時半に起きている。そうすると9時ころには既にいろいろなことを終えてさあ昼飯でも、という気分なのだが未だ9時なわけである。あたりまえだけれど。それで本当はおなかも空いているのだが我慢してもう一仕事してから今日は大学へ。前期のレポートを読んで採点。80近くあるから結構時間がかかる。その後助手といくつか打ち合わせしてから大学を出て品川原美術館で坂田栄一郎の江ノ島の写真を見る。http://ofda.jp/column/
原美術館は水曜日8時までやっているので心地良いカフェで読書。この本の装丁は傑作である。なんと題名よりも著者名よりも帯の推薦者のフォントの方がはるかに大きいのである。まあこんな二人が応援するんだから出版社も著者もそうしたいかもしれない。小熊英二と北田暁大である。そんな二人が絶賛するこの本のタイトルは『「AV女優」の社会学』著者は鈴木涼美さん出版社は青土社である。本の内容は著者が慶応4年で書いたレポートを東大に移って修論としたものがベースとなっているようである。修論が本になるなんていうのはめったにないと思うがやはり話題性だろうか?内容はスキャンダラスになることなく、ジャーナリスティックになることなく、「性の商品化」と言うテーマに真摯にそして実直にまとめたレポートである。

August 20, 2013

展覧会に出すと次の展覧会がやって来る

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午後神楽坂で街づくり会議。帰りがけ市ヶ谷のハナマサで買い物して今日は一人で夕食。娘は早朝旅行にでかけ、配偶者は読売書法展の搬入で遅いとのこと。彼女はこの展覧会で奨励賞という賞をとりそれはそれで忙しいようである。一つの展覧会が終わると家の中が少しきれいになるがそれも束の間。次の展覧会がやって来て家は紙の山となる。
書の世界では賞の蓄積がポジションのアップにつながる。このレベルの賞をいくつかとると次の役職になるのだそうだ。
今年の読売書法展の賞のランクと点数は以下の通り。大賞1点、準大賞8点、読売新聞社賞(幹事対象)63点、読売俊英賞(幹事対象)127点、読売奨励賞(評議員対象)250点、特選(公募・会友対象)405点、秀逸(公募・会友対象)1,759点。なんだ、高だか上から数え500以内と言うところかと思うのだが、応募総数は25,991点。よって500の中に入ると言うことは50倍の難関で、それはそれで大変なことのようである。建築で言えば学会作品選集以上選奨以下というところだろうか?
それにしても書の世界はこうして賞の蓄積が地位の上昇につながるわけである。なんとも昔ながらの仕組みだけれどリーゾナブルナ気もする。先日とある建築家と話していて、異口同音に、「コンペも佳作がたまれば最優秀になるなんていう仕組みがあってもいいよね」と本音が出た。

August 19, 2013

ギャル的マネジメントはどこまで有効か?

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阿部真大『地方にこもる若者たち』朝日新書2013によれば地方には郊外型の大型ショッピングセンター(イオンモール)があって、ほどほど楽しく、地方独特の面倒くさい人間関係もなく、そしてちょっと外に出ればほのぼのとした地方の良さもあって、だから若者は敢えて都会には出て行かない。と著者は言う。これは著者の膨大なアンケート調査の結果なのでそれを真実ではないなどと言っても仕方ないのだが、それが本当ならやはりこの大型ショッピングセンターって何なんだろう?と思ってしまう。
一方現代の若い男性は敢えて他者と交わりたいとは思わないが、そこに女性が聞き役として介入し全体を統合していく新たな人間の関係の仕方が生まれていると著者は言う。これを著者は「ギャル的マネジメント」と呼んでその昔の「ヤンキー的マネジメント」と対比させている。これはちょっと建設的で元気の出る結果である。そして納得する。というのも信大時代の坂牛研究室はこのギャル的マネジメントで持っていたからである。
しかしこのギャル的マネジメントが有効なのは地方においてのみでは??都会にはギャルもヤンキーもいない。良くも悪しくも。

August 18, 2013

1週間の親父生活終わり

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早朝、肉のハナマサで冷凍讃岐うどんを買い、親父最後の食事は讃岐うどんと思ったが薬味のネギを買うお金が無かった。しかたなく10時ころネギを買いに出て、ついでに夕飯の食材も買ってくることにしたのだが、またしても主菜のポワレにするメカジキを買い忘れた。仕方なくまた昼食後買いにいくことになりそれならついでに銀座のギャラリーにでも行こうと資生堂ギャラリーを目指した。するとその途中に博品館なるおもちゃ屋があり、そこには配偶者がその昔から欲しがっていた母校(女子美)の制服を着た人形があることを思い出してしまった。遅めの誕生日プレゼントと早めのクリスマスプレゼントということでそれを買って帰ったら配偶者は大喜び。椅子やら机やら作り書道遊びに興じていた。一方親父は今日で我が家の生活も終わり、夕方西荻の兄貴の家(内の家)に戻る。一週間のここでの生活はどうだっただろうか?僕は食事もたくさん作ってあげて、たくさん話しをし、楽しい一週間だった。相変わらずクールにドライに「おー世話になったなあ!!」と一言。
僕がこんな仕事だからけっこう一緒にいられて本当によかった。この先も元気であることを祈ろう。

漂白される社会

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朝から、大学の事務作業し、終わると原稿を書き、飽きると読書。開沼博『漂白される社会』ダイヤモンド社2013を読む。一言で言えば日本の裏社会を描いたルポ。よくそこまで調べたなと感心する。タイトルの漂白とは裏の猥雑さが今では薄れて、見えにくくなっているということの形容である。

August 16, 2013

江戸時代の石積みに明治時代のレンガ擁壁???

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事務所のはす向かいの建物が解体され、そこにあった擁壁が露わになった。それを見ると何とレンガ積みである。レンガ積みの擁壁というのは時代的にはいつごろの物なのだろうか?ネットで見るとどうも明治時代の炭鉱の擁壁などにレンガ積みがあるという記述がちらほら見えるが真相は分からない。
因みにこのレンガ擁壁の手前側の石積みは松平家の本屋敷があったところで、この石積みは江戸時代のものではないかという人もいる。誰か調べないかな?

August 15, 2013

戦争も原発も根っこにあるのは無責任体質である

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ディム・ヴェンダースの最近の写真も含む「Places strange and quiet」2013年editionには3.11以降に福島に来て撮った写真が3枚載っている。撮りながら計ったであろうガイガーカウンターの数値がそれぞれにつけられていた。そしてどの写真にもぼーっと霞むサインカーブが写っている。まるで心霊写真のようである。
3枚の内の最後の写真には下記(英語)テキストがついている。

「ほんの数週間してから私は自分の写真を現像した。
福島で撮ったネガは壊れ、崩れていた。
それらにはすべて同じサインカーブが写っていた。
セルロイドフィルムには不可視の放射線が究極のところ可視化されていた

と言うテキストとこの写真。

放射線が写るかどうかはこの際どうでもいい。問題はヴェンダースを含めおそらく多くのアーティストが国内外を問わずこの地をおとずれ、様々な発信をし事故の再発を恐れ警告している。しかるに、日本の首相はこの惨事の原因を世界に売ろうとしている。これを厚顔無恥と言わず何と形容できようか?この写真が「お前の父ちゃん相当ノータリンだな」と訴えているように見えてくるのである。

8月15日の終戦記念日に思う。日本が負けると分かっている戦争に突入して負けたことと、壊れると分かっている原子力発電所を稼働し続け壊れたことには必ずや同質の無責任体質が共有されている
我々国民はそれに対してある種の責任があるはずだ。しかし我々はそれを変えようとしない。それどころかそんな政治を応援している。見せかけの経済政策を代償に。悲しいほど恥ずかしいことと思う。

August 14, 2013

退屈を恐れる僕たちは会う必要もない人と会い、飲む必要のない酒を飲み、、、、、、

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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』朝日出版社2011を読んだ。退屈というテーマがこれほど人間にとって重要な問題だということをこれほど分かりやすく書いてくれた本はないのだろうと思った。是非皆さんに読んでほしい。
そもそもなんでこんな本を読んだかというと、この退屈という言葉に惹かれたからである。というのも僕の娘が生まれたころ子育てで重要なことは何かという沢山ある教えの中でも今でも覚えている誰かの言葉が「子供を退屈に馴れさせろ」というものだったのである。これってふつう逆じゃないの?と思いそうだが、これで正しい。この教えの言わんとすることは子供に毎日のように朝から晩までわくわくするような楽しい刺激を与えると与えない環境になった時何もできなくなってしまうということだったように思う。僕はその考え方にたいそう共感したし、しているし、いまでも子供にはそんなつもりで接している。なぜかと言えば自分が子供のころの日常生活は実に退屈な同じことの繰り返しだったからであり、それが自分を作ってきたし、少なくとも退屈な生活の中での主体性こそが様々な技や思考力を生み出してきたと確信しているからである。 
と言うわけでこの本を読んでみて、著者にすこぶる共感すると同時に、現代人の悲しい性に同情する。現代人は退屈になることを極度に恐れ、手帳を予定で満たし、会う必要もない人と会い、飲む必要のない酒を飲み、見る必要のない建築を見て、行く必要の無い展覧会やら建築ツアーに行き、そして読む必要の無い本を読んでいるのかもしれない。いやーまさに自分がそうだと気付かされる。退屈こそが日常生活の重要なアイテムだと思っていたのも束の間、現代人病にかかっている自分が本の中にいるわけだ。さてどうしたものだろうか?もっと思考せよと反省しきり。
國分さんによれば消費するのではなく浪費せよと言うのだが、そう簡単にわれわれは消費社会から脱却できるわけもなく、、、

August 13, 2013

親父の背中を流す

10時からゼミ。発表者10人で2時に終わり、帰宅後親父を銭湯に連れて行く予定。終わらなかったらどうしようと焦っていたのだが、研究室に着いたら「ゼミ発表者は結局4人でした」とのこと。「ええ?大丈夫かなあ?」早く終わるならそれに越したことは無いのだが、、、、、発表しなくてもきちんとした論文を最後に書いてくれるのならそれでいいのだがそうなった試はない。僕自身は論文を書くことに何の不安も無く、面白い論文が書けると信じていたけれど、それでも坂本先生の首に縄をつけるようにしょっちゅうゼミしてもらったものなのだが、、、、、、
3時に帰宅親父を銭湯に連れて行こうと思ったら娘がタイから帰国。親父が嬉しそうに孫と会話。一通り終わったところで親父を連れてやっと銭湯へ。四ツ谷駅の近くにある塩湯と言いう名の銭湯に初めて行った。まあこんなことでもなければ来ることはないだろう。こんな都心の銭湯ってどんな客が来るのかと思えば常連のおっさんが来て番台と長々話している。都心のコミュニテイである。銭湯のお湯は家より熱い。親父大丈夫かなあ?ちょっと熱そうだったがスーッと音もなく静かに入り終始無言である。90近い親父の背中を流した。いや背中だけではなく頭の先から足の指まで隈なく洗った。最近リハビリで鍛えているだけあってなかなかこの歳の体とは思えない逞しさである。
それにしても親父の背中を流すなんて小学校以来だろうなあ?よかったよかった。

August 12, 2013

肺結核小説は嫌いだけれどヴァレリーの言葉は好きである

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親父が昨日から我が家で暮らしている。兄貴家族がオーストラリアに就職した甥っ子、つまりは自分たちの息子に会いに行ったので同居している親父はその間我々と暮らしている。たまに家族編成が変わると話題も変わって楽しい。
テレビで宮崎駿の「風立ちぬ」人気が報道されていた。親父が堀辰雄はいい作家だとしきりに言う。なんであんな肺結核小説がいいのだろうかと僕は思う。なんて僕は別に堀辰雄をじっくり読んだことなどない。ただそんな風に友達が言っていたのを聞いて(中学の頃だろうか)そう思っているに過ぎない。親父が言う「風立ちぬ、いざ生きめやも」。これはヴァレリーの有名な一句であるLe vent se leve, il faut tenter de vivre.肺結核小説は嫌いだけれどこの言葉は好きである。

August 11, 2013

久しぶりにカント

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お盆の一週間は大学もお休みだし(ゼミとかは普通にあるし、事務所も行くけれど)、東京を出ることもなく少しゆったり時間があるので、気になる本を精読しようと思いカントの実践理性批判の新訳(熊野純彦訳作品社2013)を読んでいる。以前ぼろぼろになった岩波文庫を読んだが字が小さいし、旧かな使いですこぶる時間がかかった割には良く分からなかった。新訳は『実践理性批判』とそれに関連の深い『倫理の形而上学の基礎づけ』が左右のページに対照できるように配置されている。これによる理解の深まりはかなり大きい。なんでまた「カント」の「倫理」なの?と思う向きもあるかもしれない。カントはある時『純粋離異性批判』を精読したことがある。一度読んでも良く分からないけれど当たり前だけれど読まないより分かる。まあそんな程度である。でもカントは人間の物の考え方のロジックを見極めた人だけあってカントの書物を読むと頭がとても整理されるのである。カントの考え方にのめりこむと言うのではなく概念を整理する方法を学ぶと言ったらいいのだろうか?そしてなぜ「倫理」かというと早稲田の授業で「倫理性と悪党性」という回があってカントの倫理観のアプリオリ性を話すのだがその点について再考してみたくなったからである。本当か?という疑念もある。毎日4時間くらい読んでいれば一週間で終わるかな?

August 10, 2013

ロジカル・ノンーヒエラルキー(Logical non-hieralchy)

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さて夏休みは「どっぷり勉強しよう」と丸善に行く。ドバっと買った本の一冊に昨日平瀬さんと行った建築グラフィックの4分類の一つに相当するいい事例があった。これはある意図を伝える樹系図である。その意味ではある論理性を持っている。だがそんなものはぱっと見では目えてこない。見えるのはヒエラルキーの無い字の羅列である。この論理性を持ちながらヒエラルキーが無い、「ロジカルノンヒエラルキー」という属性が昨今のビジュアルの傾向のように思える。

夏休み!!勉強しよう!!

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佐賀大の平瀬さんと理科大でとある本の企画打ち合わせ。1時から5時までびっちり4時間。結構詰まってきました。面白くなりそう。
6時から北千住で前期坂牛研納会。さあ夏休み勉強しようね!!!さあこれから一週間誰にも邪魔されず勉強勉強!!

August 8, 2013

一年目検査、汗止まらず

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午前中は主任会議で神楽坂。今日は本当に暑い。終わって新宿へ急ぐ。湘南ライナーに飛び乗って野木へ向かう。去年竣工した児童養護施設アリスとテレスの一年目検査。現場では手際よく不具合箇所をとりまとめていただいていたので2時間程度で検査は終わり、大きな問題もなかった。ほっとする。一面の畑か陽炎があがりそうな暑さだが、一昨日行った甲府では40度近いから、栃木はまだいい方かもしれない。

August 7, 2013

金町でオープンキャンパスそして夏休み

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年に一度のオープンキャンパス。今年は金町キャンパスができて初めての開催。僕も学科主任になって最初のOCで学科説明会を2回ほど行った。暑い中多くの高校生が来校してくれたようである。大学も今日から夏休みだが坂牛研は最後の輪読ゼミ。暑かろうが、夏休みだろうが淡々と平凡な毎日を着実にこなすことができるかどうかが4年生やM2に求められていることである。

August 6, 2013

きし麺トラス

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建築作品選集の審査(をしていただくたく)で久しぶりに甲府に来た。久米設計の嵐山さんと実践女子大の高田先生が遠路はるばる来られた。お暑い中ご苦労様である。たまさか甲府駅でお会いしたのでタクシーを少し遠回りして竜王駅の安藤さんの駅舎を見ながら現地へ向かう。竣工後2年半たっているが建物(住宅)はとてもきれいにお使いいただいておりびっくりである。一部犬が壁をひっかいたところがあるくらいで後は新品同様。
帰りはクライアントが駅まで送ってくれた。丹下さんの山梨文化会館の隣に県立図書館が新築されていたので嵐山さんと見学。設計は久米設計で壁面緑化がぶどう棚のイメージとのこと。室内もおおらかな空間でここも天井はぶどう棚のイメージ。板状の鉄をたわませてきし麺のようなトラスを組んでいる。自然光を入れるのこぎり屋根の固さがこのきし麺トラスでほぐれている。最近の図書館は都会の広場のようで人がたくさんいて楽しい場所になっている。静かに読書するスペースが逆にガラスで囲われてsilent roomなんて看板がついているところが面白い。

August 5, 2013

ヒートブリッジを減らす構造

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昼から構造の梅沢さんのオフィスと自邸の見学に出かける。できた時から一度拝見したかったのだがやっとチャンス到来。今回も秩父セメント工場に続いて今本先生の授業の一環で拝見できることになった。オフィスは意匠設計がアーキテクトファイブで自邸は椎名英三さん。空間の作り方にそれぞれの味が出ていて素敵だ。
学生の見学会なので梅沢さんが丁寧な説明をしてくれた。僕は最後に二つ質問をした。一つはなぜ鉄を構造として選んだのか?二つ目は面材の可能性とは何か?
その答えは、どうも面材を選ぶというのが先にある。線(柱や梁)は意匠では不要なものだけれど、面である床や壁というものは意匠の不可欠な要素。だから面で構造を作れば意匠と整合する。というのが梅沢さんの主張。そこで世の中の構造部材を考えてみると比較的コンクリートも木も面として使うことが多く。鉄だけが未だに線として使っている。そこで鉄を面として使うことを考えた。というのが質問へのメインの答え。そしてそれをメンテフリーで200年持つ建築にしようと考えた末にコルテン鋼の殻となったとのこと。明快な説明である。お見事。

まあこういう根源的な受け答えとは別にやはり技術的なことはいろいろ気になる。暑さのことを聞くと二つ目に作った住宅ではヒートブリッジを作らない構造にしたのだとスケッチを描いてくれた。

August 4, 2013

走って泳ぐフィジカル・アーキテクトを目指す

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今朝は昨日届いたSUUNTOの心拍測定ベルトを装着して心拍数120を切らないように走ったら結構しんどかった。そのせいか12時からの翻訳勉強会が眠くて参った。英語読みながらふと意識があっちへ飛んでいた。5時に終えてジムで500メートル泳ぐ。水泳グッズはその昔亡き母が「たまには運動したら」と送ってくれたものであることを思い出し懐かしい。
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帰宅後楠見清『ロックの美術館』シンコーミュージックエンターティメント2013を読む。昨今CDの発売は「フィジカル・リリース」と呼ばれるそうである。もちろんネット配信を「デジタル・リリース」と呼ぶのに対応した言い方である。本来digitalの反対語はanalogだろうけれどアナログ盤(レコード)もCDもモノがあるからphysicalと呼ぶわけだ。
そう言えば建築家もデジタル・アーキテクトという呼び方がある。の対義語としてはアナログ・アーキテクトもありだがはフィジカル・アーキテクトも意味が出る。つまりコンピューター上で作るデジタル派に対して実際にモノ作る人たちをフィジカル派と分類するわけだ。いやもちろん言葉の本来の意味からすれば肉体派建築家もフィジカル派だ。僕はそっちの意味で走って泳ぐフィジカル・アーキテクトを目指そうかな?
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ワイン入れ

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昨日に続き大学院入試。夕方神楽に移動して某設計事務所のワークショップエスキスチェク。この事務所には信大の教え子や理科大の卒業生たちが数名おりそんなわけでこのワークショプを引き受けた。さすがに学生よりきちんとしているがまだ若い。
帰宅すると大きな段ボールが届いていた。ワインセラーである。先日家にあった商品券でワインを10本くらい買ったのだがそのワインの置き場に困ってしまった。しばらく僕の部屋のファンコイルのわきに置いていた。ここにはいつも冷水が流れているので輻射冷房効果があるから。しかしずーっと置いておくのも邪魔で。買う気もなくネットでワインセラーと検索したら。12本入るものが1万円で売っていた。大きさもまあまあ。これなら機械室(というものがこの古いマンションにはあるのだが)の一画にちょうどはまる。というわけで注文。

August 2, 2013

オネエがモテる理由その2

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今日も明日も大学院の入試で採点したり、待機したり、取りまとめたり。待機中に柏木恵子さんの『おとなが育つ条件―発達心理学から考える』岩波新書2013を読んでいて昨晩読んでいた「オネエがモテる理由」を裏付けるようなグラフを発見。それは自己の性格分析グラフである。それによると男も女も自分は「アンドロジニー(両性具有的)」型とする分析結果が多い。そして高齢期になるとますます社会が脱ジェンダー化を期待し、そしてその結果自らもそれを望むと著者は言う。つまりオネエは現代社会の期待とそうありたい自分が交差する地点なのであろう。

現代に必要なのはファリックマザー建築

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●親父オフクロ建築のイントロ写真Robert Frank Hotel Lobby
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●マツコが受けるのは社会がファリックマザーを要請しているから?

10年くらい前から建築の規則の8回目の講義は「親父(排他的)建築VSオフクロ(包容)建築」と称して篠原一男的建築と坂本一成的建築を説明する。そんな言い方をするとお二人からは叱られそうだが、篠原的父性と坂本的母性を語るのである。そして21世紀は単なる母性ではなく強い母性が求められると結論する。
一体強い母性って何だ???昨晩、藤井誠二の『「オネエ」がメディアにモテる理由』春秋社2013を読んでいたらなんとなくうなずいた。最初の鼎談で中村うさぎが自分の夫がゲイでそれを精神科医に相談した話が書かれている。するとその医師は最近の女子はお母さんが欲しいので旦那に父性より母性を求めるのだと言う。つまり旦那がゲイと言うのは十分「アリ」だというわけだ。昔は京塚昌子のような肝っ玉母さんがいてなんでも引き受けてくれたのだが現代にはそんな母性がどこにもない、、、そこに登場したのがマツコデラックスである。マツコが受けるのは京塚昌子の代わりにファリックマザー(男根のあるお母さん)として社会要請があるからだと著者は言う。
建築もアナロジカルに考えたらいい。強い母性というのは言い換えれば毒のある母性である。マツコ建築(Phallic mother architecture)が求められているのである。と言っても外観の話ではない。世界の引き受け度の問題である。

August 1, 2013

今日はメール漬け

今日はメール漬

ブラジル情報をいろいろな方から頂きそれに質問したり、お礼したり。ありがとうございます。

サンパウロ大学のHUGO教授からレクチャー日程が届きそれに合わせてスケジュール調整。

東南大学のシー先生から去年のシンポジウムでの講演を本にするのでエッセイにまとめて欲しいとの依頼。8月は時間があるので快諾。
!!
グアテマラのルイス君から日本政府給費奨学金がおりたので理科大でアクセプトして欲しいとの依頼。テーマはサステイナブル・アーバン・デヴェロップメント。今まさに学科で取り組んでいることでもある。

昨日ブエノスアイレスの切符を手配したのでビエンナーレ事務局のエンリケに旅程を伝えホテルのリザーブを依頼。

一月にヘルナンの代理で来ることになったパレルモ大学建築学部長のシルベルファーデンのCVがメールで来た。すごい経歴だなこりゃ!!助手に国際交流基金に送るよう指示。

コペンハーゲンのレネに年末のワークショップのテーマの作り方で事前にノーティス。

グロービッシュ打ちまくり。

カッパの本は強烈だった

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栗本慎一郎『パンツをはいたサル』が世に出たのは僕が大学二年生の時で23万部売れた。上野千鶴子『セクシィ・ギャルの大研究』が大学三年生の時で11万部売れた。栗本は明治大学の教授となったが早くに他界し、上野はご存じのとおりこの本が大当たりしてフェミニストして有名になり東大教授となった。どちらの本も目を皿のようにして読み、特に上野の本から受けた影響は相当のものだった。
これらの本はユニークな表紙と企画で知られたカッパの本だった。今は光文社新書にとって代わってしまったがそれまでのカッパのいくつかのシリーズはとても有名でとんでもなく売れた。
『英語に強くなる本』132万部
『頭の体操第1集』185万部
『頭の体操第2集』118万部
『冠婚葬祭入門』263万部
『日本沈没(上)』202万部
『日本沈没(下)』180万部
売れたカッパの本のタイトルを聞くといずれも自分が読まなくても家にあったか見たことはあった。岩波新書に対抗して作られたカッパブックスは新書と体裁も表紙もタイトルもそして何と言っても企画がちょっと違っていた。一言で言えば「アンチペダンチズム」と著者は言う。カッパは「屁の河童」を連想させるし、ユーモラスにアンチ権力を漂わせるところが何とも言えぬ。時代と一言で言えばそうなのかもしれないが、普通の新書に代わってしまったのは残念でならない。(新海均『カッパブックスの時代』河出ブックス2013