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March 31, 2013

アアルトを見ながら日本を思う

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アアルトをこの年齢になって初めて見た(本屋、自邸、スタジオ、ホール、オフィス)。その昔1970年大阪万博のフィンランド館を見たことはあるがそれはもう記憶の中から零れ落ちているので実質的には初めてである。トータルにこの建築家の良さとか凄さを体系立てて理論的に説明しようとするのは僕にはとても難しい。どうしても箇条書きのようになってしまう。
・階段が緩くてのぼりやすい
・室内のスケールが家具の延長上にあり、使いやすい
・室内のスケールが家具の延長上にあり、スケールアウトしていない
・光が柔らかく劇的ではなく緩やかに入るようになっている
・建具のディテールがきめ細やか
・取っ手のディテールが家具のようである
・外観は多少目立ち彫刻的な場合もあるけれど、物静か
・外装のディテールがきめ細やか
・ヘルシンキのアアルトの外装は全て白かった。レンガに白塗りか、ビアンコカララ
・外装周りの建具は木が多く、アクセントがつけられていた

目立ち過ぎず、使いやすく、気持ちよく、欲しいものが欲しい場所にあるような建築。アアルト建築の一日の感想を敢えて言えばそんなことになる。
アアルトの時代がどうだったかは知る由もないが、こんな場所で生活して、仕事して生きているのが今の北欧の人たちには似つかわしい。地図を持って道に立っていれば99%誰かが道を教えに来てくれるのは彼らの生活のゆとりなのだとこちらの人が教えてくれた。大きな政府に守られてのんびり生きている彼らは自己責任の競争性や攻撃性は少ない。日本のゲーム社会に馴れてしまった僕などは、こんな北欧の世界に仮に生きたらばきっと飽きるだろうなあと思いつつ。またあの不必要に攻撃的な社会に戻って仕事するのかと思うと憂鬱にもなる。

March 30, 2013

ウッツォンの教会

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北欧は昨日がイースターで今日も祝日と土日を挟んで連休。アルゼンチンの時もそうなのだが、国外出張はここしか行けないという時に限って相手国は連休がはいる。その間建築見られていいと言えばいいのだが。
というわけで今日はコペンハーゲン郊外のバクスバルトにあるウッツォンの教会を見た。この教会についての最初のコメントを読んだのは、おそらくフランプトンの『テクトニックカルチャー』においてである。テクトニック(結構的)とはフランプトンの意味においては、構成が明確で何によってこの建築ができているかがよく理解できるということである。確かにこの建物はセメント板のようなものが組みあがっていて、構成要素は写真で見ても明快である。
その次にこの建物について言及されているものを読んだのは、やはりフランプトンによる「批判的地域主義」の中においてだったと思う。曰く、外観はインターナショナルな量産的な作り方をし、内部はもっと地域的でクラフト的で信仰を形にしている。というようなコメントだった(と記憶している。間違っていたらごめんなさい)。
という理屈っぽいフランプトンの二つの説明を聞いてこれを見に行った。さて、言っていることはその通りだと思ったが、この建物の良さを、どちらの説明も言い尽くしているとは言えないし、そんなことよりこの建物の良さは他にあると僕には感じられた。
一つはランドスケープ。道路と建物の間の芝生のアンジュレーションとそこにランダムに植えられた木。二つ目はセメント板のように写真では見えた板が石のようなテクスチャーを持っている。おそらくコンクリート板を磨いて、いわゆる人研ぎのような板にしてあること。三つ目はこの人研ぎ板の横目地はシールだけれど、縦目地はアルミで押さえてちょっとしたディテールがあること。四つ目は白い外壁に部分的にとても微妙に大判のタイルを使ってテクスチャーを変えていること。
つまりランドスケープと、ディテールと、素材感がいいことによって、この建物の周りに独特の風合いと気品が漂っていることがこの建物をこの建物らしくしていると感じたのである。確かに構成的であり、一見インターナショナルでローカリズムだという指摘は正しいが。他にも重要なことがいろいろある。

March 29, 2013

スカンジナビアン経験主義

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やっと念願のルイジアナ美術館に来ることができた。ルイジアナと言ってもアメリカではない。名前の由来は創設者の3人の奥さん(三回離婚した)がすべてルイーズだったことだとものの本には書いてある。
なぜ念願の建物かと言うと、ここでは彫刻を野外においてそれを建物内から見るように設計されている。つまりこれこそ「フレームとしての建築」を最もプラクティカルに実現していると思っていたからである。
拍子抜けなくらい思った通りの建築だった。昨日買ったDanish Architecture since 1754 の中ではデンマーク建築が1754から2007の間で10のフェイズに区切られている。デンマークと言えば僕の中ではラスムッセンの『経験としての建築』くらいしか知らなかったのだが、この本において彼はスカンジナビア経験主義(Scandinavian empiricism)と称され。ルイジアナ美術館の設計者である、Jorgen Bo, Vilhelm Wohlertはラスムッセン達の次世代のようで、経験主義に加え、contrapuntalな設計手法で(開く、閉じる、高い、低いなどの対になる性格を並置する)を用いる建築家群を形成したとのこと。
確かにそういわれると天井高さの高低や展示室の開閉のコントラストはかなり意図的に行われている。これは良くやられることだけれどかなり効くものである。
総じてとてもいい建築であることは確かだが、自分が類似した考え方を持っているだけに、批判的に見てしまう。こんな素晴らしい敷地なら自動的にこういう設計にならないとも限らないだろうなあ???なんて(とはいえ、素晴らしい湖を見せる巨大な部屋を作ってジャコメッティ2個しか置かないってなかなかできないとは思うが)。

March 28, 2013

王立アカデミーでレネと再会

例によって海外に来ると早朝目が覚め、暗いうちからジョギングとなる。地図を片手に市内を走りまわると少なからぬ朝のジョガーに出会って嬉しくなる。寒さを予測して気張って出たがそうでもない。
10時にデンマーク王立アカデミー建築学科のレネ・クーラルのオフィスを訪ねる。彼は建築学科とスポーツ文化研究所の教授を兼任しており、オフィスは研究所内にある。この建物がすごい、200年前のボート小屋である。今にも壊れそうな10個くらい並ぶその小屋の一つを改装して使っている。改装と言っても最低限の手入を最高級のデザインで行っている。ボートハウスだから河縁に建っているので景色は抜群。白鳥が群れで見える。
レネは数十年前、篠原研を訪れ、その後坂本研に2年間ほどいた。僕とは大学時代はかぶっていないが何度も飲み、その後一緒に本も書いた。今回は大学間協定や共同プロジェクトの話をしにやってきた。
打ち合わせ後建築学科を案内してもらう。スタジオは模型の残骸の山。どこも同じである。その後学食で昼食。オープンサンドのビュフエだが、食材が新鮮で豊富、学食のレベルを超えている。日本の学食もう少しましなもの出さないと外国の方が来たら恥ずかしい。
MIMOAで調べた数十あるコペンハーゲン建築のデーターから見るべき建物をレネに選別してもらった。海沿いに建つウッツォンの家具屋+レストランはガラス張りでもないのにとても明るく僕が勝手に抱いている北欧の空間になっていた。

●200年前のボートハウスをコンヴァージョンしたレネのオフィス

●レネ・クーラルの英語はとてもジェントル

●王立アカデミーは90年代後半に冷戦終了とともに不要となった海軍の施設のあった場所に移転したため、それらをリノベして使っている。これがすごくいいわけだ。

●製図室は熱気

●鉄骨で補強された学食のボールと屋根が美しい

●ウッツォンの家具屋さん

March 27, 2013

スイス=クール


数十年ぶりにチューリッヒ空港に来たけれど、こんなにクールなデザインだったかな?スイスっぽいと言えばスイスっぽい。この後トランジットしてコペンハーゲンに来たらこちらはとてもウォーム。時差ボケ解消なんて思って昨晩は余り寝なかったのだが、結局飛行機の中ではほとんど寝ずに映画を見でいた。

March 25, 2013

僕にとってのテクトニクスとは?


●昨年竣工した児童養護施設管理棟の屋根の鉄構造の露出

自分が建築を創る時にテクトニクス(構築)についてどう考えているのか?それをこの一週間考えているのだがなかなか答えが出ない。そもそもフランプトンの言葉ではなく、自分自身の言葉でテクトニクスをどう定義するのか?
テクトニクスは見る方にとっては3つの側面を持っているように思う。
① 建築の成り立ち(formation)が理解可能であること
例:デスティールの要素主義とか、日本の真壁づくりの建物など
② 力の流れが(flow of forces)が可視的であること
例:オーギュストペレの柱梁が良く見えるラーメン構造など
③ 素材性(ontologic materiality)が感じられること
例:ズントーのテルメなど
それで自分はこのどれを重要と考えているのだろうか?
建築の成り立ちは分かりやすい方がいいと思っている。妙に複雑である必要性を感じないから。でもわかりやす過ぎると深みが無いので7割くらい分かるのがいい。
力はとても感情移入しやすいので全部見えるとそれで建築が終わってしまう。なので3割くらい可視的であれば十分である。
素材は視覚だけでなく触覚も参加する側面なのでこれも影響力が強い。そこでインテリアの5割くらいが感じられると丁度良い。
テクトニクスは建築の本質ではない。建築の本質を作るためのテクニークである。しかしこれを外すと建築を作れない。言えば建築の修辞である(というと軽すぎるだろうか)?デンマークでの講演のお題がテクトニクス。正攻法で直球で返すか????

March 24, 2013

胡錦濤路線の継続が及ぼす影響


やっと最後のc入試が終わった。明日学長との会議が終われば今年度の入試業務は全て終了。私大の入試はとにかく大変だ。その仕事がすべて主任マターだというのも辛い。信大時代は入試委員という役があったのだがここでは主任が入試の責任者。入試は失敗が許されないから気を張る。
帰宅してだらだら読んでいた沈才淋『大研究中国共産党』角川新書2013を読み終える。習近平就任の前段としての薄 熙来の失脚劇が、彼の打黒唱紅(中国共産主義の原理的な復活)を阻止するためのモノであったことを知る。これによって胡錦濤の社会主義市場経済は継続され未曾有の経済発展はおそらく継続し、世界は中国から多くのことを見習うことを余儀なくされる。これは何を意味するのだろうか?社会主義市場経済成功の最大の原因は優秀な少数の集団独裁体制にあるのではないか?中国では習近平を含む7人の政治局常務委員が意思決定すれば物事は進む。決定から行動まで時間がかからない。これは日本の企業、あるいは大学などにも大きな影響を及ぼすような気がする。つまり私企業、私大の取締役会、理事会での決定が社員、教員などの合議を得ることなく、アクションプランとして進められる可能性が高くなると言うことである。これにはメリットデメリットがあるのだが、中国の成功はこれらを正当化していくはずである。

March 23, 2013

デンマークの建築家にあげる印を彫る


午前中、来週行く北欧の荷物をチェックしながら、王立アカデミーで会う予定のRene Kuralに思いを馳せる。最後にあったのがいつだったのかよく覚えていない。日本のどこかの居酒屋だったような気がする。何かお土産を持っていこうと思い、日本好きの彼に僕の大事にしている遊印(書や日本画に押すはんこう)をあげようかと思ったが、ちょっと惜しい。家にそういうの余ってない?と配偶者に聞くと彼女が「ちょちょっと彫れば?」といとも簡単にできそうに言う。確かに中学生のころ書道の時間に「卓」という字を彫った。そんなに難しくなかった記憶が蘇る。そこで配偶者に道具を借りて彫り始めたのだが、あれれ、結構難しい。こんなだったかな?Reneに挙げるので礼根と彫ることにしたのだがなかなか終わらない。

引っ越した先の金町研究室の整理


午前中はこの間作った住宅の取材を受けて、午後金町キャンパスに向かった。事務所から丸の内線を使って国会議事堂前に行き千代田線に乗り換える。運悪く北綾瀬行きが来たのだがそれにのって北千住で後から来た取手行きに乗り換える。金町で降りて徒歩8分。だいたい1時間かかる。
研究室は未だ段ボールの山。研究室の学生が殆ど全員来てそれを開けてしかるべき場所に移動。研究室は二部屋あり大きな学生部屋と小さな教員部屋。「小さな」と言っても20㎡以上あり、それを僕が占有するのはもったいないので教員部屋を模型作成部屋として 僕は学生部屋の片隅にコーナーを作って座ることにした。新しい家具を買うお金もないので、古い事務機器はそのまま移動。その代りすべての机の上には4×8のランバーコアを切ってクリア塗って乗っけて少しは見栄えをよくした。
5時過ぎに大学を出て新建築のある霞が関に向かう。金町から千代田線で一本と高をくくっていたのだが結構かかる。あの霞が関ビルに初めて入ったが、45年たったビルとは思えず中はとてもきれい。新建築のインテリアもすっきりして一望できる使いやすそうなオフィスランドスケープ。席は職位に関係なくフラットに並んで仕事されているようである。最近はどこもそうである。

March 21, 2013

儲かるまで働くか?


我が家の傍のお店の看板にこう書いてあります。営業時間、夕方5時から儲かるまで。いいですねこれ。でも設計事務所でこれやったら24時間不眠不休だね。

March 20, 2013

紅白の梅が今日開いた


一日中、明後日締め切りの原稿書いたり、デンマークで使うパワポを作ったりしていた。夕方配偶者と近くに寿司を食べに出ると、向かいのマンションに紅白の梅が咲いていた。全然気が付かなかった。いつも通るところなのだから今日咲いたに違いない。それにしても、最近とても暖かい。

高校のクラス会


筑波で物理をやっている高校の同級生が京都に移ると言うのでクラス会をやった。京都は最も自由に研究できる環境があるとのこと。ノーベル賞を多く輩出しているのには理由があるようだ。物理学の芥川賞である仁科賞というのを昨年受賞したので「次はノーベル賞!」と皆に言われ、まんざらでもないという顔であった。
男子
建築2、小説、鉄、リース、金融、コンピューター、物理
女子
主婦、医者、高校教師、芸術、出版
皆違う分野で仕事中。建築だけ二人。

March 18, 2013

最高の料理を作ってください


本日は理科大の卒業式。1983年、30年前に自分の卒業式に出た記憶が無いしその後卒業式なるものには、教員時代を含めて出たことが無かった。しかし本日初めて出席した。そして「ああ卒業式っていいものだなあ」と思った。理科大管弦楽団がワーグナーを演奏した時は理由もなく涙がこぼれ「建築は音楽に及ばないなあと」感じた。いい音楽を聴くといつも建築をやっている自分に嫌気がさす。しかしなんとか建築にしがみついている。その後秋山仁さんの記念講演があり、「人生山あり谷ありだがゴールを見失うな、自分もそうだ」という言葉を聞きほっとした。「才能は努力の後についてくる」という秋山さんの言葉は僕もいつも言い続けている。「天才は努力する才」だと。
さて本日の卒業証書、修了証書という一枚の紙っぺらの重みは大きい。これで君たちは私大の高い学費をこれ以上払わなくていいということが証明されたわけである。そのことに対しておめでとうと申し上げたい。そしてこれからこの紙っぺらを使って思う存分今まで注ぎ込んだ資金を回収していただきたい。
この紙っぺらは君たちが星のついたレストランで働く資格を保証する。しかしまだ料理を客に食べさせたことのない君たちにとって何が一番重要なことなのか?食材か?料理法か?no! まだ君たちが全く経験したことのない、習ったことのない最も重要なことは、客が食べたいと思う時に一番いい温度で料理を出すタイミングの取り方である。
欲しいと思っている相手の気持ちを読むすべである。タイミングを逃すとだれも何も食べてくれない。これを肝に命じて最高の料理を作っていただきたい。おめでとう。

March 17, 2013

ちゃりんこで建築家会館へ、こぶし満開


JIAで修士設計展のシンポジウムに出かける。ちゃりんこでのんびり15分くらい。今日は天気も良く気持ちいい。建築家会館のホールに30近い作品が展示されている。昨日槇文彦さんが審査をされて最優秀賞、優秀賞、佳作が選ばれていた。しかしさすがに甲乙つけがたい力作で槇先生も順位をつけるのは難しいという発言をされたそうである。
パネラーは小林克弘(首都大学東京 教授)、杉浦久子(昭和女子大学 教授)、               古市徹雄(千葉工業大学 教授)、安森亮雄(宇都宮大学 准教授)そして私。各大学の修士設計の取り組み方、これまでの作品紹介などしたうえで、JIAの修士設計展と東京コレクションとの違いなど、かなりつっこんだディスカッションが展開された。なかなか貴重な情報交換の場であった。終わってまた外苑東通りを四ツ谷にぶらぶら帰る。こぶしが満開。

March 16, 2013

今村君から現代都市理論講義をいただく


今日は朝9時から翻訳勉強会。土曜日は大学のメールも少ないし、午前中は頭が冴えていて集中できる。今日はコンクリート製造におけるco2 放出の話。すごいなセメントの生産量。マヤ文明の遺跡を見た時にセメント作る石灰焼く窯見たけれど、いまだにこいつの効率が問題だというのが面白い。
午後帰宅すると今村君から著書が届いていた。この間ヴィドラーの訳書を頂き今度は都市論講義。まあ精力的でこのヴァイタリティ―はたいしたものだ。おめでとうございます。目次を見ながら、はて?この既視感。そうだこれって『建築の解体』にちょっと似た人選。解体で取り上げられている建築家8人の内半分近くがかぶっている。
あとがきで今村君自身書かれているが、20世紀の都市論で刺激的で今でも有効なものは60年代、70年代の20年に集中しているという。75年に出版された『建築の解体』とかぶるのも無理はない。
それにしても未だに50年前を超えられないというのはどういうことか?つまりそれはもはや都市の時代ではないということなのではなかろうか?都市は僕も大好きだけれどこれがこれ以上の何かになると言う可能性はまだあるのだろうか?そこが問題なのだろうが。今度理科大で今村君に教えてもらおう。

March 15, 2013

寺の庫裡


朝、家の傍をジョギングしていたらこんな急こう配でしかもむくりのついた屋根が遠くに見えた。何を葺いているのかと近づいてみると瓦である。一体この建物は何かとあたりを見渡すと、ここは寺の境内である。庫裏だろうか?この境内をよく見ると奥の方にこれと全く同じ形をした建物がもう一つ建っていた。境内に向かって急こう配で境内の空間をなるべく広く取ろうということのようだが、、、、、普通の建物は隣地側に勾配ついていることが多いからこういう建ち方って目立つね。

March 14, 2013

親父到着、子供の一人旅のようである


今日は兄家族と同居している親父が西荻からタクシーで家に来る日。兄家族引っ越しのため4日ほどこちらで暮らす。昨晩届くはずのレンタル布団が僕の注文ミスで届いていなかった。あわてて今朝近くのレンタル布団屋を探していたら神田に即届けてくれるお店があり事なきを得た。
2時にタクシーに乗せたと言う電話があってから1時間、待てど暮らせど来ない。すると義姉から電話、迷子になって戻ってきてしまったとのこと。なんとまあ。アクシデント続きである。こちらは、孫でも(いないけれど)待つような気分である。それから1時間くらいして到着。受付の管理人さんが玄関まで連れてきてくれた。イヤー良かった良かった。まるで10年以上前にシンガポールの兄の家に娘を一人で送り出して到着できた時のような喜びである。
到着した親父はお茶を飲みながら持ってきた小説を読んでいたが、僕の部屋から哲学書を持ち出し読み始めた。

March 13, 2013

歯を抜く

歯医者行ってぐらぐらしている歯を見てもらった。歯周ポケットからゴミが入り歯を支えている骨がだいぶ痛んでいるようである。去年末に見てもらって掃除して消毒したけれどまたゴミが入って化膿している。
先生「また掃除して消毒しましょうか?」
僕「それって抜本的じゃないですよね?」
先生「そうですね」
僕「抜本的なのは何ですか」
先生「ブリッジですね、隣の親知らずは元気だし」
僕「でも親知らずもいつまでも持たないでしょう。持って5年ですかね?」
先生「まあそのくらいかしら」
僕「もっと抜本的なのは?」
先生「インプラント」
僕「それぞれいくらですか?」
先生「ブリッジ5万、インプラント40万」
僕「では問題先送りでブリッジにします。なので抜いてください」
先生「えっ抜きます?」
僕「ええ」
先生「では抜きましょう」
5分で抜いてさっぱりした。帰りがけに、こういう風にその場で抜くっていう人はあまりいませんよと言う。まあそうかもしれない。きっと歯に限らず、何か悪くなった即、取ってくださいと言うだろう。レストラン行ってメニュー見て30秒以上考えることないし、人生いつもこんな調子である。

March 12, 2013

沢尻エリカのドレスの色に魅入る

大した話ではないのだが、今朝、朝食をとりながら新聞を読んでいたら、テレビに日本アカデミー賞受賞式が映されていた(ようだ)。映画通でもない僕にはどうでもいいことで、眼は字を追い、耳は音を聞いていた。「樹木希林全身がん衝撃告白、沢尻エリカを食った」と大騒ぎ。テレビって本当にくだらないよなあと聞き流していたのだが、ふと顔を挙げると、その沢尻エリカが映っていた。あれあれ、いいねえ、沢尻エリカがというより、その着ているドレスの色がいい。「ああいい色だなあ」と思った。色なんて好みの問題なので別にただ、「ああいい色だなあ」以上でも以下でもないので独り言のようなものである。どんな色かと言うとこんにゃくみたいな色だった。こんにゃくにもいろいろあるけれどうすーいグレーに茶色を三滴くらい混ぜた色だった。色を言葉で説明するのは限界があるのでもし興味があればネット見てください。この色でコンクリート表面をスポンジで叩くと結構いい感じになりそうな気がする。もう一つよかったのはこのドレスが少しシースルーなのである。建築の素材はシースルーというとガラスかポリカかとても硬質になる。もちろんカーテンたらせばリテラルに布の感触なのだが、それってバカみたいな話。固い素材が布のシースルー感を持たせられないだろうかと沢尻エリカのドレスを見ながら思った。そんなことをひたすら考えていると配偶者が横で映画の話をしているのが聞こえず、無視して怒られた。
その昔サーリネンがバター坪の中でバターこねくり回して建築作って離婚されたと言う話を聞いた(本当か嘘か知らないが、まあどっちでもいい)。僕もこの年になって離婚されないようにしないと。

気が散るフレームとは


ああもう少しゆっくり勉強できる環境が欲しい、雑用多過ぎだ。
ノーマン・ブライソンの「拡張された場における<眼差し」>を何度も読んでいる。これはハル・フオスター『視覚論』平凡社2007所収の論考である。この論考の趣旨を簡単に言うと、近代の視覚はある限定されたフレーミングの対象に焦点があっているのだが、実は僕らの自然な視覚とはその限定されたフレーミングの「見えない」ことになっている「周辺」を感じ取っているということなのである。それでそういう<眼差し>を表象するにはどうしたらいいかと言うとそのフレーム自体を崩すような技法しかないとブライソンは言う。
つまり壊れたタブロー、額縁がちょん切れて壁に垂れ流されたような絵画なわけである。なんていうと実にべたであってそういうことでもない。でも絵を見ながら絵が置かれている世界を感じるようなことだと思う。ブライソンは雪舟の禅画を挙げていたけれどわからなくもない。
何でこんなことを書くかと言うとこのブライソンの視覚は僕が建築に思うことと重なるからである。僕が建築はフレームだと言う時に思うことがこれにかなり近い。建築が切り取る対象に人の意識を集中させたいと思いつつ、僕はその意識が散って、つまり「気が散る」ようなフレームを作りたいと常々思っているのである。

March 10, 2013

広島大学キャンパスには蛇注意の看板がある


広島大学の学士会館というところに泊まらせてもらった。その辺のビジネスホテルより広くて快適だった。それにしてもこういう施設があるというのは驚きである。東大、東工大、首都大の先生が皆「うちにはないね」と言っていた。実に広いキャンパスを見ながら東大のキャンパス計画やっていた岸田先生に本郷の容積率どのくらいですかと聞いたら、約200だそうだ。金町の容積率は200以上なのだから。あの本郷の密度感をこえているということだ。まあ金町といえども都会ということか。
それに比べるとここは山の中である。朝起きてキャンパス内をジョギング。山あり森あり谷あり池ありである。蛇注意の看板は笑える。これ以外に溺れ注意の看板もあった。

建築周期説


広島大学で建築学会の意匠委員会連続セミナーを行う。広島大学の杉本先生、岡河先生、大阪市大の宮本先生のレクチャーを聞く。杉本先生の建築120年説は面白い。120年周期で建築は単純複雑を繰り返すという説である。しかしチャールズジェンクスは30年説を唱えていたように思う。奥山先生も同じことを言っていた。小林克弘先生はすごく昔はもう少し長い周期だろうから周期は徐々に小さくなっていると言うことではないかと言っていた。そんな気がする。レクチャー最後は岸田先生のしめの言葉で終了。

March 8, 2013

去る人を祝いながら自らを省みる


理科大工学部建築学科教員のご苦労さん会を神楽坂のフランス料理屋で行った。毎年この時期に皆で美味しいものを食べながら出ていく方の功績に感謝する。今年は定年の先生がお二人、別の大学に移る方が一人である。皆のそれぞれの活躍が大学を築いていくのだと思う。組織は人であり人が組織を良くもすれば悪くもする。去る人を祝いながら自らを省みる。

ひーひーだ


大学の山のような資料とにらめっこして、ああしんどい。主任業務にひーひーである。この先大学の引っ越し、入試の判定、年老いた親父を4日預かり、広島に出張し、JIAのシンポジウム、雑誌の原稿二つ、そして入試、、海外でのレクチャー二つのパワポ作って(同じことが言えないレクチャーで)、、、、ああマジでしんどい。乗り切れるだろうか??
レクチャーポスター届き嬉しいやら苦しいやら。

March 7, 2013

坂牛研最初のゼミ


坂牛研来年度に向けての初回ゼミを行った。去年までは修士二年がいなかったけれど、今年はついに満杯。4年生18人、修士一年7人、修士二年6人、研究生2人、ポスドク研究員1人、捕手1人。合計36人。彼らと一緒に場所は葛飾と神楽坂を横断しながら活動する。さて、うまくいくでしょうか?36人で最初の食事。
みなさん4月からがんばりましょう。it`s up to you!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

March 5, 2013

東京西郊の暮らしとはなんだったのか?


三浦展『東京高級住宅地探訪』晶文社2012は東京西郊の高級住宅地を扱っている。山手線の外側の西側が対象である。つまりそれらは山手線のターミナル駅から西に延びる私鉄沿線に生まれた町である。僕は西武池袋線の江古田に生まれ、やはり池袋線の大泉学園に6歳の時引っ越し結婚までここで暮らした。その後山手線の東(早稲田)で数年暮らしたがマンションを買うはめになって引っ越したところが方南町。その後かみさんの母が亡くなりマスオさんとしてかみさんの実家上北沢で数年暮らした後、40年を越える西郊での暮らしにピリオドをつけて四谷に引っ越した。
私が住んだところは西郊の普通の住宅地である。高級な場所の横だったこともあるし、および出ない場所もあった。でも三浦の挙げた町の状況はなんとなく知っている。
その間実はこの西郊の暮らしが素敵だと思ったことはない。実に不便で暮らしにくく、自然の破壊を見ながら、ああいやだと思ってばかりであった。もちろん高級なところは快適だったのかもしれない。でもたまに高級な町の横に住んでいた時に高級なエリアに散歩など行ってもここに住みたいと思ったことはこれっぽっちもない。三浦は図らずも西郊の高級住宅地は日本の近代化という特殊な歴史状況のなかで、ごく一時的に必要とされたものと言っているがその意味が痛いほど分かる。なんだか西郊の町と言うものは明治以降の衛生思想に後押しされたきれいを装った鳥かごのようにしか映らなかったのである。三浦も言うように、これからの小子高齢化の中で西郊の高級住宅地は衰退を上手に受け入れざるを得ないであろう。もちろんすべてがそうだとは言えないが多くはそうなるのではなかろうか?まったく何のためにこんな町ができたのだろうかと思わないこともない。しかしかと言ってこれも東京の事実であり、無視するわけにもいかない。我々がしょってしまった街をこれからどう考えていくかは僕らの責任でもある。

March 4, 2013

石造の灯台


○野口毅撮影 水ノ子島灯台

先日カメラマンの野口毅さんにお会いした。靖国通りの梵さんが設計したマンションに事務所を構えていらっしゃる。野口さんは日本中の灯台を撮り続けている。私が無知なだけかもしれないが、灯台はほとんどがコンクリートでできているのかと思いきや、そうでもない。そもそも灯台がつくられたのは明治以降の外圧によるもので、最初はその場所で採れる石やレンガで作られていたそうだ。そこにデザインのローカリティが求められていたのかどうかわからないが、西欧ではコンクリートが土木構造物に使われ始めたころにコンクリートが景観を破壊すると言う議論があり、ダムや橋をあえてその場所で採れる石で被覆したそうだ。そんな発想が日本にも流れ着いていたのか?単純にまだコンクリート技術が無かったのか?興味深い。
例えばこの灯台は豊後水道(大分沖)の無人島水ノ子島にある1903年にできた石造の灯台である。灯台の横に建っている建物は1904年に完成したレンガ造の宿舎である。
石の上に白黒で縞模様に塗装しているのは視認性を上げるためであり、かつ対候性を上げるためだそうだ。でもこんな風に塗ってしまったということはローカルな景観なんていう発想があったのではないのでしょうね???

March 3, 2013

空間概念の断絶と縫合


昼間理科大二部の編入試験で大学へ。午後帰宅して多木浩二『視線とテクスト―多木浩二遺稿集』青土社2013の膨大なテクストの中から、雑誌『デザイン』に収録されていた篠原論「篠原一男についての覚え書き 「花山の家」まで」を読んでみた。1969年の文章であるから40年以上も前のものである。そこで多木は空間概念を二分し、一つを人間の内在的な衝動や直感につながるものもう一つを抽象的な記号論のレベルで扱われるものと言い、言い換えて実存と半人間的な構造とも呼ぶ。其のうえで、篠原はこの二つを接続するのではなく断絶させて前者に焦点を当てていると述べる。
そのあとの文脈からして、この半人間的な構造とはどうも建築にまつわる、資本、生産、消費と言うようものと思われるのだが、この篠原の方向性が磯崎と同調しながらその後の建築を閉塞的にしていったというのが伊東豊雄等の建築内向批判へとつながるのである。おそらく篠原はあまり意識していなかったのだろうが、篠原の断絶は「社会」をも無意識のうちに切り離したものと思われる。今となってはそこが一番の問題となっていると言えよう。しかしそうした現在の建築内向批判は断絶された社会を再評価するあまり、空間のもう一つの概念を無視しているかの様相を呈しているところに難がある。建築の思潮とは(建築に限らないが)いつでも極端である、白が駄目だと黒を目指す。分かりやすいからなのだろうが、物事はそう簡単ではない。現状がすべて悪いと言うことはありえないのである。つまり社会を再評価するのはよしとして衝動や直感につながる空間と言うのも当然重要なものであり、そのことに話が及ばないということはおかしな話なのである。今こそ断絶した概念の縫合が必要なのであろう。

March 2, 2013

建築におけるメディア分析の基礎


午前中西荻の家の施主検収を行い午後帰宅。読みかけの赤川学『社会問題の社会学』弘文堂2012を読む。赤川さんは元信大助教授で現在は母校東大に戻られた。彼は社会学の中でも構築主義を推奨する学者である。社会問題は一体だれがそれを社会問題と同定できるのかと考えそれが社会学者にあるのではなく社会にあると考えるのが構築主義的発想の基礎にある。つまり誰かが何かを問題だとして活動した時に社会問題は発生し、それに対するリアクションの連鎖を追うことがこのイズムの方法論となる。別の言い方をすれば社会問題とは客観的に存在するのではなく、人々の発言によって生まれるものだと言うことだ。
このことは例えば建築の美と言うようなものにもあてはまるものだと思っている。すなわち、建築の美的なるものとは客観的に存在するのではなく、誰かがそれを「美しい」あるいは「いいね」と言った時に発生するということである。ちょっと聞くといやいや黄金比のような絶対的な価値基準があるではないかという反論もあるかもしれない。もちろんそれは否定しない。しかし『インターナショナルスタイル』のようにヒッチコックとジョンソンが「これこそが20世紀の建築美」だと言ったことがシンプルボックスを加速させたこともまた事実なのである。
構築主義には客観性を欠くし、実態をとらえていないと言う批判があるそうだ。建築でこういうことをやるとたとえば雑誌における言説分析のような形になるが、全く同様の批判を浴びる。しかしこのことも現実の一部を表すものなのである。

March 1, 2013

柔らかい光


朝8時半から撮影。2誌の撮影が同時進行。大野さんにとってもらうのは8年位ぶりである。学生3人にもアシスタントとモデルとしてはいってもらう。曇りぎみの空が緩い光を落している。今回は大きなトップライトもあり、また外装も銀色がぎらぎらと光らないためにも柔らかい光が欲しかったので丁度良い。2時ころ現場を後にして大学に。週末の入試の打ち合わせから始まり延々と、延々と続く会議。終わったら8時半である。6時間半も会議したのは初めてである。今日は久しぶりに韓国から休暇で一時帰国した友人と食事の約束が、、、、、、、申し訳ない。