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東京西郊の暮らしとはなんだったのか?


三浦展『東京高級住宅地探訪』晶文社2012は東京西郊の高級住宅地を扱っている。山手線の外側の西側が対象である。つまりそれらは山手線のターミナル駅から西に延びる私鉄沿線に生まれた町である。僕は西武池袋線の江古田に生まれ、やはり池袋線の大泉学園に6歳の時引っ越し結婚までここで暮らした。その後山手線の東(早稲田)で数年暮らしたがマンションを買うはめになって引っ越したところが方南町。その後かみさんの母が亡くなりマスオさんとしてかみさんの実家上北沢で数年暮らした後、40年を越える西郊での暮らしにピリオドをつけて四谷に引っ越した。
私が住んだところは西郊の普通の住宅地である。高級な場所の横だったこともあるし、および出ない場所もあった。でも三浦の挙げた町の状況はなんとなく知っている。
その間実はこの西郊の暮らしが素敵だと思ったことはない。実に不便で暮らしにくく、自然の破壊を見ながら、ああいやだと思ってばかりであった。もちろん高級なところは快適だったのかもしれない。でもたまに高級な町の横に住んでいた時に高級なエリアに散歩など行ってもここに住みたいと思ったことはこれっぽっちもない。三浦は図らずも西郊の高級住宅地は日本の近代化という特殊な歴史状況のなかで、ごく一時的に必要とされたものと言っているがその意味が痛いほど分かる。なんだか西郊の町と言うものは明治以降の衛生思想に後押しされたきれいを装った鳥かごのようにしか映らなかったのである。三浦も言うように、これからの小子高齢化の中で西郊の高級住宅地は衰退を上手に受け入れざるを得ないであろう。もちろんすべてがそうだとは言えないが多くはそうなるのではなかろうか?まったく何のためにこんな町ができたのだろうかと思わないこともない。しかしかと言ってこれも東京の事実であり、無視するわけにもいかない。我々がしょってしまった街をこれからどう考えていくかは僕らの責任でもある。

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