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October 31, 2007

キャンパス計画

昼に松本へキャンパス計画のミーティング。新しい施設課長が二人来られる。一人は東工大から、一人は文科省からである。そろそろ全体のまとめを睨んでこの手の会議では結構活発な議論が行なわれる。しかしたまに施設課は他力本願役人体質が出るときがある。いかんともしがたい。私としてはそういう時はひそかに切れている。密かにと抑制をかけつつ明らかに、顔に出ているようだが。私の大人気ないところである。しかしこれは本能なので仕方ない。まあとはいえ無口な「しゃんしゃん会議」よりかは遥かに意味のある会議である。
終了したら既に暗い。腹が減って学食で夕飯をとり駅へ。特急あずさは出たばかり。高速バスで東京へ。曙橋でスタッフの平井君とすれ違い。「事務所は無人ですよ」と声をかけられ、事務所に寄らず帰宅。

October 30, 2007

小布施のコンペ

夕方学生に連れられ小布施町の図書館コンペの公開審査会を覗いた。160名から選ばれた5名がプレゼンを行なうという。5人に残っているのは古谷、伊東、隈、新井、藤原というベテランの方々である。最初学生がこのヒアリングのことを知らせるために持ってきたネットからのプリントアウトを見て驚いた。田舎の1,000㎡の施設にしては凄い審査員の顔ぶれだと。しかしよくよく見れば選ばれた方々ではないか!!!プロポーザルの提出書類に実績表があったからだろうと帰りがけに会った某出版社の方が言っていた。そうかもしれない。皆さんこの手の施設実績は十分である。しかし巨大施設ではないだろうし、もう少し新人の可能性を評価できるシステムにしてはどうなのだろうか?国交省型のプロポ基準はもういい加減に止めたらと思わなくも無い。
しかし、プレゼンはとても面白かった、短期間であったろうが5名のプレゼンにはエネルギーを感じた。しかしコストが厳しいせいか皆抑えた提案だったように思う。僕なりの感想は次のとおりである。藤原さんの案は何の提案も見られないので建築家の審査員には評価されないだろう。隈さんの案は路地と分棟。小布施的なのかもしれないが、管理に難あり。新井さんの案は敷地段差をスロープ状の図書館とすることで逆手にとり面白い。しかし上がりきったところが普段あまり使われない隣接ホールに繋がっておりやや理不尽。古谷さんの案は一番きれいになりそう。しかし駅と結ぶと言うわりには結ばれているようには見えない。森を作るというわりには建築が敷地一杯に建っていて植樹スペースが足りない。こうした4人のデメリットに比べ、伊東さんの案は欠点が少ない。誰も質問しなかった構造とトップライトのあたりの謎を除けば、最も提案性が強く、分かりやすかった。戦い慣れている。

October 29, 2007

17世紀オランダ美術

10月28日
すっかり17世紀オランダ絵画のとりこになってしまった。発端は国立新美術館の展覧界だが、その後有吉さんのフェルメールを読み、マーティン・ジェイが17世紀オランダ美術の視覚を近代3大視覚の一つにとりあげていたからである。そしてこのジェイの主張を裏付けているのはは出版ともに美術史界に物議をかもしたスヴェトラーナ・アルパースの『描写の芸術ー17世紀のオランダ絵画』ありな書房1995(1983)である。残念ながらこの本は絶版で見つからないのだが、ありがたいことに四谷図書館にあり午後自転車で出かける。今日は台風が通り過ぎ穏やかないい日である。アルパースは17世紀オランダ美術をイタリア美術を評価する視点で見る過ちを説く。そして当時オランダの視覚特質をオランダ総督の秘書コンスタンティン・ハイヘンスの膨大な資料を読み解くことから始める。ハイヘンスはイタリア人文主義を擁護するかたわら、当時の科学的発明である顕微鏡、望遠鏡に夢中になり自らその収集家となる。アルパースは次にケプラーの発見に言及し、網膜上の像と視覚表象の差を明確にしたことをとりあげる。
ここまでしかまだ読んでいないのだが要するに、こうした当時オランダの文化的コンテクストは絵画というものの社会的位置づけをイタリアのそれとは大きく変更し、神学的、物語的なものから、日常的、観察的、写真的なものへ移行したというのである。
こうした芸術の社会構築的な説明のしかたは必ずしも100%正しいとは限らないのだが、しかし僕は個人的には興味があるし、きっとそうなのだろうと思っている。

October 27, 2007

台風

朝から自分の部屋に閉じこもり机の上の整理をはじめる。部屋を片付けるのにうってつけの天気(台風)である。読んでない本と読んだ本と読みかけの本を分ける。読んだ物は本棚へ、読んでないのものは脇に寄せ、読みかけは、どうでもよいものは本棚へ、残りが気になる物は読みきり、残りも重要そうなものは未読で脇に、そしてとりあえず床に移動。机の上を先ず空にして原稿書くのに必要そうな本だけ机に戻す。更に必要そうな本を本棚から引っ張り出して並べる。それらを眺めながらコンピューターに向かい筋を作る。
半分できたところで、少し休憩。先日スタバで買った紅茶を入れるようなコーヒーメーカーでコーヒーを入れる。これが結構美味しく出る。調子に乗ってたくさん作っていたら、豆が切れた。今日は台風だしとても豆を買いに外に出る気にはなれない。仕方なく紅茶を飲む。
コーヒー飲んでまた必要な本とにらめっこ、合間にアドルノの『美の理論』を眺める。そう読むのではなく眺める。この本はしばし絶版で古本屋にもなかったのだが新装で登場した。先日本屋に積んであったので眼を疑ったが本物。しかし1万2千円もするのには驚いた。しかしここでケチるわけにもいかず、買って飾ってあるのである。それでたまにこうして眺めている。何時読めるだろうか???

視覚

アサマの最終に乗り東京へ。帰路マーティン・ジェイの「近代性における複数の『視の制度』」ハル・フォスター編『視覚論』平凡社2007所収を読む。マーティンによれば、近代を支配した視覚は主として3つある。一つはデカルト的遠近法主義。これはさもありなんである。二つ目を飛ばし、三つめはバロックである。これはヴェルフリンを引き合いに出して説明される。これは近代の視覚と言えばそうだが特にモダニズムの基盤となった視覚と一般には言われていないと思われる(マーティンの「近代」という言葉の射程が曖昧ではあるが)。90年代後半でこそバロック的なものが世に多く登場してはいるのだがこのテクストが書かれたのは1987年以前ということを考えると時代を先取りしていると言えなくも無い。しかしそれにしてもこの二つはよしとして、この二つにはさまれた二つ目の視覚は予想外である。それは主体性が強調されたデカルト的遠近法に対して、同じ遠近法ではあるが主体性が欠如して見られるものの物語性が喪失した17世紀のオランダ美術の視覚だと言うのである。その典型としてあげられるのがフェルメールである。マーティンはスヴェトラーナ・アルパースのフェルメールの描写術の説明を引用するのだが、要はフェルメールの描き方の特徴はルネッサンスに比べて構図がランダムであり、対象は多数、対象の輪郭よりかその表面の物質感が重要だとするのである。言われてみれば確かにそのとおりなのだがこれがモダニズムを支えていた視覚の典型かと言われるとこれもやや疑問であり、むしろこれまた恐ろしく今日的で87年という年代を考えると時代を先取りしていると思えるのである。面白い論考に興奮しているうちに東京。
東京は長野同様雨のようだがかなり気温が高い。行く時着ていたウールのジャケットは東京では着ていられない。この季節は当分着るものに苦労しそうである。

October 25, 2007

コミュニティ批判

大学へ向かう車中竹井隆人『集合住宅と日本人ー新たな共同性を求めて』平凡社2007を読む。著者は建築畑ではなく法律を専門とする。とはいっても弁護士だとか法学者というわけではなく、あくまで集合住宅やコーポラティブハウジングの研究や建設の実践の場に加わっている方である。彼の主張は一言で言えば、現代のコミュニテイとは強い絆で結ばれた古典的な村社会のようなももではなく弱い絆に組織された統治体であるというものである。そもそも集合住宅が生まれるような都市部において古典的なコミュニティは望むべくも無く自由を謳歌しながら発生すべきコミュニティにおいては他人を尊重するweak tie(弱い絆)が重要である。そしてそれを実現するのは極めてシステマティックな住民熟議の場の設定であると言う。
信州大学にいるからか?当世学生気質か分からないけれど、昨今、コミュニティを渇望する学生をよく見かける。建築家として良いか悪いか分からないけれど僕は個人的には村的な暑苦しい人間関係は好みではない。よってこの手のコミュニティ渇望者に弱い。そもそもコミュニティは建築の問題とは考えにくいと思っている方である。だからと言って公共空間とか集合住宅における中間領域のようなものをデザインすることに意味を見出せないと思っているわけではない。それはそれで建築の空間としての意味を持っている。しかしそうした空間がコミュニティを創出するとは思っていない。それは別の問題だと思ってきたし思っているのである。
そうした自分の苛立ちがこの本を読むと少し解消される。僕の気持ちを多少代弁してくれている。もちろん、では、竹井氏のやり方で100%コミュニティができるのかどうか僕には確信はないし、未だにコミュニティを作ることが集合住宅にとって常に最良のことかどうかは分からない。しかし、少なくとも建築プロパーの人間たちが持つコミュニティ幻想に対してかなり的確な批判を与える良書であるように思う。

October 24, 2007

自分を支えるもの

日中、某出版社からの℡である雑誌の廃刊を知る。驚くとともに残念だ。理由は分からないのだが建築界にとってはとても重要な雑誌であると僕は思っていた。少なくとも編集方針が不明な写真だけ綺麗な専門誌よりか僕は好きだった。最後の号への寄稿依頼を快諾した。こういう雑誌が廃刊に追い込まれる日本と言う国はとても悲しい国なのかもしれない。一日出ずっぱりであちらこちらで打ち合わせ。移動の合間に村上春樹の新しい単行本を読んでいた。『走ることについて語るときに僕の語ること』このまどろこっしいタイトルはともかく、読みながらつくづくこの人と僕はフィジカルにもメンタルにもよく似ていると感じた(感じてきた)。彼は小説家になるために必要なことは、才能と集中力と持続力だと言う。そして彼が走るという行為は(彼はフルマラソンを20回以上走り、コンスタントに3時間半で走る)この小説家としての持続力を培う上でプラスに働いてきたのであろう。とにかく週6日欠かさずコンスタントに10キロ週に60キロ月に250キロ走るのだそうだ。これは並大抵のことではない。凄いのはその距離ではなく週に6日欠かさず走るその持続力である。そのためには誘惑を断ち切り、人間関係を狭め、仕事を効率よくこなさなければならない。そうしたビジネスライクと言えるような律儀さがなければこの数字は達成できるものではない。
でも結局才能が溢れている人で無い以上は(村上は自分は凡庸、シェイクスピア、バルザックなどが能力に溢れた人だと言う)そうした方法をとらない限り成長しないのだと思う。と村上が言うことを僕はよく分かる。自分が正にそうだからである。きちんと毎日ちょっとずつでもいいから前に進むために何をしたのか言えることしか自分を支えるものは無い。

愚行

T邸のスツールと事務椅子と絨毯をショールームでチェックするために新宿、五反田と回る。新宿アクタスを見た後で昼食。このあたりには餃子屋が多い。餃子を食べながら有吉さんのフェルメールを読む。小さい頃に両親が離婚したので父親を知らずに育った有吉さんは25年ぶりに会った父親にフェルメールの話をしたそうだ。日本で初めてピカソ展をやり、ボリショイオペラを呼んだ昭和の嵐と呼ばれた父親はフェルメールを熱く語る娘に静かに聞き入った後で一言こう言ったそうだ「なぜ芸術を説明しようとするのか」。その言葉の余りの正しさに餃子を食べながら涙が出た。僕と言う生き物は恐ろしく単純である。本当のことに弱い。大学の教員等になる前から、そういうものごとの原理をなんとか言葉で説明しようと一生懸命なのだが、そんなことの空しさも一番分かっている。でも原理は好きなのだ。だから哲学的にあるいは科学的に、物事の原理を知りたいと思う。しかし原理を超えた、あるいは原理から逸脱したところに常に美やそれにかかわる物があることが多い。ということもよく知っている。それゆえに自分の原理探求はどこかで常に壁に突き当たるのである。そんなことを見越している人たちが世の中にはいてそういう人たちの素朴な言葉に出会うともう勝ち目が無いという気持ちになるのである。しかしまた舌の根も乾かぬうちに同じ愚行を繰り返すことも分かっているのである。

October 23, 2007

10月23日

10月23日
サーバーを変えたらとんでもない量のspamメールが入るようになった。内容は全部同じ英語の宣伝。コンピューターがゴミ箱と化している。辺見からジョフリースコット『ヒューマニズムの建築』英語版の序文が届く(我々が翻訳している原本はアメリカ版であるし初版ではない)。この序文はディビッド・ワトキンが書いている。ワトキンは有名な『モラリティと建築』(SD選書)の著者だが彼がこの本で言いたかったことは次のようなことである。モダニズムが純粋性と自律性を標榜したがために、その正当化のために建築は建築の外から様々な論理を借用してきた。その主要な一つがモラリティであったということだ。もちろんこうした論理の端緒はスコットによって切られていたのである。そのスコットの本をワトキンはどう分析しているのだろうか?興味深いところである。
昨日読み始めた有吉さんのフェルメール。とても面白い。彼女はフェルメールの存在感をこう言う。フェルメールの絵はどれもが少しおかしい、パースが狂っていたり、影が整合してなかったり。でもその狂いが狂いとは見えない。そのときそうとしか見えないだろうというその迫力だと言う。うーん分かるような気がする。もう一つ。彼女はある時東武トラベルの「フェルメールとゴッホに会う旅」というツアーに出かけた。そのツアーのパンフレットに「たった一枚の絵のために出かける旅があってもいい」というコピーが記されていたそうだ。なかなか素敵である。たった一つの建築のために出かける旅というのもたまにはある。

October 22, 2007

牛乳を注ぐ女

朝からまた英語漬け。昼からA0勉強会。一生懸命読んでいるつもりなのだが進まない。本当に骨の折れる英文である。二人で5時間かけて2ページ進んだだろうか?それもラフな訳は既にあってのことである。それを前にしてこのざまなのだから情けない。聖書からの引用と思しき言葉やシェイクスピアからの引用やら、その意味合いが掴みきれない。でもこうして建築を忘れる時間(もちろん建築の本を読んでいるので建築の世界の中にはいるのだが、建築を相手にしていると言うよりは英語を相手にしているという感じである)は言ってみれば汗を流して無心に運動しているようなもの。終わったときは疲れるが清清しい。
夕食後先日買った『恋するフェルメール36作品への旅』白水社2007を読む。著者は有吉佐和子の娘、有吉玉青。僕より5つ若く既に著書はたくさんある。東大美学で学者の道を志すも自分には向かないと感じ、物書きに転向したよなことが書かれていた。夫の留学に同行しボストン、ニューヨークと住み換えた。世界に36ある作品のおよそ半分はアメリカにあり、そのうち7つはメトロポリタンにあるそうだ。ここでフェルメールに出会った有吉の旅はヨーロッパへ移り、アムステルダムで牛乳を注ぐ女に出逢う。もちろんその絵を写真では見ていたそうだが、本物を見たときにガツンときたと書いてある。そして全てを見る前に、彼女はこれが彼女のベストオブフェルメールだと感じたそうだ。
牛乳を注ぐ女は先日国立新美術館で見たものではないか。ほー。確かにネットでフェルメールの全ての作品を眺めてみても確かにこれは一番素敵に見える。そうか有吉のベストオブフェルメールを最初に見れた僕はラッキーだったのかもしれない。

October 20, 2007

英文とにらめっこ

明日の勉強会のためにジョフリースコットの本を読んでいた。結構面倒臭い本である。昼に中華を食べに出て、夜はうどんを食べに行く。後はひたすら読んでいた。こんな日もある。

October 19, 2007

ヴィダル・サスーン

午前中の講義と午後の製図。今年の2年生は去年より元気がありそうな気がして嬉しい。あくまで最初の印象だけど。これが半年続くと豊作なのである。そしてそうした印象があると講義も製図も力がはいるのだが、相変わらず講義では寝ている輩が2割くらいる。そういうやつは来なければいい。別に選択なんだから取らないで欲しいのだ。いちいち寝ているやつに起きろという気も起こらないし。
帰宅の車中で『ヘアー・カルチャー』を読む。読みはじめは余り惹かれない本だったのだが、途中からがぜん面白くなってきた。ヘアデザインにもモダニズムがあったというあたりが興味をそそる。50年代まで、欧米のヘアデザインは彫刻の如くパーマをかけて逆毛を立てて形を作ってスプレーで固めると言うものだったという。60年代になってもビッグヘアーと呼ばれるそうした彫刻のようなヘアーデザインは全盛で一晩寝るともう崩壊とうい代物だった。それを革命的に変えたのがヴィダル・サスーンだった。英国生まれの彼のヘアーデザインポリシーは「ただ正しく切ればいい」というものでその人の髪質と頭の形にあった切り方を目指したものだったそうである。そして彼のカットは一日で崩れる彫刻ではなく、固定的な定型を保つのではなく髪に合った自然の形に戻るような切り方だったそうだ。『ヴォーグ』の編集者グレース・コディントンはモダニズムの理念をヘアデザインに導入したのはサスーンであると主張した。更に『ヴィダル・サスーンとバウハウス』なる本まで出ているとのこと。
確かにカタチ優先から機能的な髪型へのデザインとはいかにもモダニズム。しかしサスーンがアメリカに最初の店を出したのは1965年でコルビュジエが死んだ年である。なんともその時代差は不思議と言えば不思議である。

レートショー

10月18日
午後一杯使ってやっと科研の資料作りが終わった。強がりではなく、補助金を取るためにやっているわけではなく研究の頭の整理として資料を作っている。意匠の研究は金がかかることはあまりない。地道な肉体労働と頭脳労働で器具や設備がいるわけではない。むしろ金がかかるという意味ではコンペにお金を出して欲しいのだが、コンペに補助金は出ない。8時に資料ができたので少し迷ったがシネコンにレートショーを見に行く。9時からやっているのは「キングダム」というテロの映画だけ。最近のアメリカ映画も少しは考えているのか、アメリカの勧善懲悪で終止すしない、しばしば映るアラブの普通の平和な生活がそのムードを和らげる。ラストシーンは双方の憎悪が解決しないまま終わる。
しかしここのレートショー前回は6人、今日は5人しかいなかった。このまま行くとなくなってしまうのでは?やっと見付けた長野での楽しみなのだが。

October 17, 2007

優秀建築選

昨日の焼酎がちょっと残る。朝事務所により、昼のアサマに乗る。車中成実弘至編『モードと身体』を読み終え、グラント・マクラッケン 成実弘至訳『ヘア・カルチャー』PARCO出版1998を読む。最近は成実さんが関わった本を片っ端から読んでいるが、面白いなあ。夕方の会議に出席。たいした内容ではなかった。これなら誰かに代理出席してもらって、大阪でやっている日建会に行くべきだった。夕食後、木島さんからメール。角窓の家とするが幼稚園 両方とも日本建築家協会優秀建築選 2007 に選出されたようである。応募資料を作った労力が報われた。200も選ばれるのだから狂喜乱舞ではないのだがまあ何もないよりはましである。大学などというところでは、こう言う賞が唯一実績の質を保証するものということになるのである。

分からない設計

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10月16日
ビルの中の茶室の設計を頼まれた。伝統的なそれではなく現代的な茶室が欲しいようである。とりあえず大きさなどは決まったのだが材料が問題である。エコロジーの会社なのだからなるべく少ない材料であまり何もしないで作りたい、例えば布とか、、、シースルー茶室、、、、それじゃあ蚊帳か?
午後日本工業大学の小川先生を訪ねる。来年ワークショップをやろうかという相談。打ち合わせ後に小川先生の設計した日本工業大学の百周年記念図書館を見せてもらう。この建物は設計が終わったころにその設計プロセスを事務所でも信大でもレクチャーしてもらっており内容はよく知るところ。テトラポットの枝が一つ取れたような形をし、断面的な斜め線が様々なところに現れる。単に壁が斜めというだけではなく床や天井も斜めのところが多い。機能的には図書館であるが、一般的な図書館のイメージに比較すればもう少し学生の溜まり場としてのスペースが多く取られている。
この建物は不思議がところがいろいろある、ダブルスキンのようでダブルスキンではないところがある。図書館としての静寂さを作るための材料は殆ど使われてない(床、モルタル、或いは木、壁モルタル、天井ボードリシン)のだが、そんなに煩くない。構造を晒そうとするように見せかけ見えないところもある。などなど、いろいろなことが中途半端なのである。何故だかよく分からないのである。という話を小川さんにするとそういう風に設計したという。すなわち何故そうなっているのかその理由が分からないように設計しようとしたそうである。
こういうのをすごく大雑把に言うと演繹的でない設計というのだろうがどうも昨今この言葉は誉め言葉の常套句のようなので演繹的でなく何なのかを言わなければなるまい。あるいはだから何故いいのか悪いのか?なんて話を、実施設計と現場をまとめた繁昌さんを入れて北千住で延々と語り合った。

October 15, 2007

建築とファッションと

「建築の条件」を朝から考えていた。そして成実弘至の「ファッションシステム」という論考を読み、こんな文章に出会う「ファッションを流行の意味とすると、それは衣服やイメージの消費だけに限られるものではない。・・・・・芸術・文化、長期間にわたって使われる建築や都市計画まで、流行とは遠い場所にあるはずのジャンルであっても、よく観察すると一過性の様式に支配されていることが分かる・・・・」そう、建築もファッションの一つ。そしてこんな文章にも出会う。「ファッションは実際にそれを着る消費者と流行を仕掛ける作り手や売り手との相互作用から生まれてくる」。この文章をちょっと変えるとこうなる「建築は実際にそれに住む住み手と流行を仕掛ける建築家やジャーナリズムとの相互作用から生まれてくる」。ちょっと前までならここまで建築とファッションは似たものではなかったのかもしれないが、現在では普通に理解できる文章である。ファッションに見られる流行の構造は現代の「建築の条件」となっているということである。

建築の条件

10月14日
朝晩東京も少し冷え込むようになってきた。掛け布団が2枚になった。せっかくの日曜日だが、かみさんはお茶へ、娘は図書館へ。そこでこれ幸いと新しいゼミ構想を練る。結構思いつきはいいと思っているのだが、切り口をうまく作らないと凡庸に終わるものである。先ずはタイトルが重要なので「建築の規則2」なんていうのはやめることにする。そこでいろいろ考えたのだがたいした案も浮かばないので、先輩の力を借りて「建築の条件」というのはどうか?これは小田部先生の『芸術の条件』を拝借したわけである。
まあタイトルはさておき内容である。いろいろ考えると8つくらいは何かありそうである。1)形式的であること、2)消費的であること、3) 写真的であること、4)階級的であること、5)地域的であること、6)美的であること、7)道徳的であること、8)アート的であること。先ずは手始めに地域的であることあたりから考えてみるか?それは世界的に見れば建築のオリエンタリズムであり、国内的に見れば地域主義的な問題である。ファッションとの類比で問題が深まればと思っているのだが。

October 14, 2007

書類作り

10月13日
大学の書類をせっせと作る。やってもやっても終わらない。こういう仕事は民間なら事務の人がいてやってくれるようなことなのかもしれないが、、、雑用メールを打ちたいのだが我が家の無線ランは時として送信できない。まったく馬鹿みたいな話だがメールしに事務所まで行く。富山のコンペの再修成果品がプリントアウトされていた。きれいに仕上がっている。いい線いかないだろうか?事務所を出て森美術館へ。六本木クロッシングが今日から始まった。なかなか面白かった。感想はコラムを。http://ofda.jp/column/

October 12, 2007

金曜日

金曜日は午前中デザイン論、午後製図で後期の忙しい曜日である。朝健康診断を受け損ねたので3コマ目と4コマ目の間に受診。尿、血液、レントゲン、身長、体重、視力、そして問診。庶務から絶対受けろと言われたので理由を問うと、受けないと労働基準監督局からお咎めを受けるのだそうだ。製図は住宅の設計。55名のうち分担して一先生10名強を見る。今年から設備の先生を一人入れて意匠のエスキス後設備の講義を受けるような方式をとっている。基本的な断熱、換気、採光を学ばせようとの配慮である。このクラスには中国からの留学生が二人いる。今年の留学生の実力はいかに?頑張って欲しい。夕刻アサマで帰宅。昨夜の寝不足のせいかうとうとしながら東京。

新しい活動

10月11日
電車の中で成実弘至の『問いかけるファッション』せりか書房2001を読みながら建築の社会構築性をどうしたら記述できるか考えていた。メモ帳が無かったのであるページの上にメモしていたらそのページが三色ボールペンで三色に染まった。しかしなんとなくおぼろげにできそうな気がしてきてこれをゼミでやろうと考えた。輪読は学生の自主研究会として、こちらの話をm1のメイン活動として毎回発表させることにした。夕刻ゼミ後研究室皆で食事。久しぶりに楽しく飲んだ。

October 11, 2007

理系と文系の狭間

早稲田大学の酒井先生から電話があった。前から言われていたのだが、新しい学部を創設するので力を貸して欲しいと。言われたのは一昨年だっただろうか、何時になるとも知らず、快諾していた。今日詳しく話しを聞くと、文学部が二つに分かれて今までの文学部と文化構想学部というものができたとのこと。この文化構想学部とは6つの系に分かれており、それぞれ多元文化論、複合文化論、表象・メディア論、文芸・ジャーナリズム論、現代人間論、社会構築論である。酒井先生は複合文化論系でありそこにいろいろな講座が作られていくようである。衣食住というのも一つのテーマであるようでなかなか面白そうである。さて何を手伝えるのだろうか?しかし短い時間だが話しをしているといろいろと楽しそうである。文系で建築を考える楽しさはいつもの理系頭では考え付かない発想を得られるからだろうか?
一方、11月に行なう講演のテーマjは「技術と美の統合」という硬いテーマである。技術史教育学会というところでやるから技術を入れざるを得ないのだが。そこで昨日から日本近代建築技術史というのを読んでいる。読み終わって分かったことがある。建築技術史なんていう文献はこの本以外殆ど無いのだが、唯一あるこの本には設備環境系の話がこれっぽっちも書かれていない。ここにあるのは構造、材料、施工のことのみである。一体設備技術の歴史はどこに記録されているのだろうか?技術史をまとめているのが建築史(意匠系)か工法史(構造)の先生であるところに問題があるのだろうが。

October 10, 2007

建築家

11月の講演会の準備で村松貞次郎の日本近代建築技術史なる本を読む。三井の本館(石積みの洋式建築)が鉄骨造であることを知る。それだけでも新鮮なのだが、その鉄骨は床と屋根を支えるだけで壁は壁で持っていると書いてある。そう言われればさもありなんだが、結構目の前にある建物のことを知らないものである。夕刻クリスチャン・ケレツの講演会を東工大に聞きに行く。クリスチャンの建物は最近のA+Uにいろいろ紹介されている。スイスの建築はロケーションがひときわすばらしい。彼の建築は構造がとてつもなくアクロバティックでそのことを質問したが構造はあくまで空間を作る道具であるというのが彼の答えであった。レクチャー終了後食事会がありクリスチャンの娘や奥さんと話をした。娘は14歳で我が子と同じ。「将来パパのような建築家になるつもりはありますか?」と聞くと「いいえ」との答え「何故?」と聞くと、「建築家はストレスがたまる仕事だから」。それを横で聞いていたクリスチャンは「I‘m always relaxed」と強がりを言っていた。しかしストレスのたまらない仕事など世の中には殆ど無い。

October 9, 2007

うまい

今日は昨日手をつけられなかった計画書を朝から作り始める。学会のホームぺージにアクセスして既往研究の分析。そして少しずつ書き始める。午後5時終わってないが作業は終了。夕方ジョギングを兼ねて伊勢丹に食材を買いに行こうと決めていた。我が家から2km弱である。片道約15分くらい?ジョギングのかっこうでデパートに入るのは少し恥かしいが混んでいるので余り見えない。ローマで食べたステーキが忘れられず牛肉を買う。と言っても松坂牛を買う金は無い。四国の牛。セロリとミカンを買ってバックパックに詰めて帰宅。風呂に入り早速肉を焼く準備。娘は図書館。夫婦で食べようと焼きはじめる。これがかなり美味い。自分の分を食べ終わった頃娘も帰宅。娘の肉を焼いてやる。この値段でこの味ならお買い得である。近所のスーパーよりはるかに美味しいとはかみさん。

October 7, 2007

計画書作成失敗

月末締め切りの科研費の申込書と計画書の作成をこの連休中にやろうと思いたつ。意匠系の科研費は取得がかなり困難なようだが研究テーマをじっくり考えるのにはいい機会である。
ここ数年のテーマはメディアか風景か装飾と決めてある。なんとなくそれぞれのテーマはそれなりに研究室で誰かが取り組んでいる。それをもう少しつっこむためにここ1ヶ月くらい関係書籍を読んではきっかけを探している。そろそろそのきっかけをもとに方向を出したいところだがつい書籍渉猟にはしり、写真系の本をぺらぺらとめくる。photo graphicaの最新号が届いている。蜷川特集である。相変わらず鮮烈な色の組み合わせである。ヴィレム・フルッサー『写真の哲学のために』勁草書房1999を読む。フルッサーの文化コード論によれば、我々は世界や経験を理解可能な記号に変換する。この変換システムへの組織化への規則をフルッサーはコードと呼ぶ。そして人間社会のコードは紀元前1500年までが画像コードでそこから文字コートとなりその後写真以降テクノコードが位置づけられる。そして後から出てきたコードはそれまでのコードの説明に使われる。つまりメタ言語になる。例えばあるときまではテキストは絵を説明するキャプションだったが、現在写真はテキストを説明する何かになっているのだという。それってどういうこと?まだよく分からないが、、、なかなか疲れる本だったので少しリラックスして『森山大道とその時代』青弓社2007を読む。60年代から現在まで森山について語られた言説集である。鈴木了二の「都市の質感」という論考が面白い。写真は絵画と同様二次元芸術だが写真と異なり同じ二次元芸術でも完全に質感の表現を原理的に放棄しているという。そしてそれにもかかわらず、森山の写真は質感があるという。物質試行の建築家ならでなの論考である。写真の本ばかりで飽きてしまった。風呂でドナルド・キーン『私と20世紀クロニクル』角地幸男訳、中央公論新社2007を読む。読売新聞の土日版に去年連載されたもののまとめである。簡単な言葉で驚くほどの事実が並べられている。読み応えがある。
というあたりで世もふけ計画書はできなかった。明日また頑張ろう。

October 6, 2007

風土

朝一で現場。窓回りを枠とボードのちりを取らず紗を貼ってパテしてペンキを塗りこむディテールにしているのだが、ひびが入ると指摘される。コーナービードを入れたり、紗を貼ったり、シールしたりいろいろ対処してもらう。工期は残り一ヶ月である。
夜、この間読んでいた『風景の哲学』に何度か引用されていた和辻哲郎の『風土』の最初を読み返してみた。この本は大学1年くらいに読んだ記憶がある。読み返してみて感ずる。ああ、この本は景観論なんていうものではなく、現象学の本なんだということ。大学一年の頃はこの本の実例部分を読んでいたのだが、やはり重要なのは風土の基礎理論という最初の20ページである。その部分は僕の大学1年の頃の知識でとても理解できるようなものではなかったことが今分かるのだが、その頃はそもそも見向きもしていなかったのかもしれない。

須坂

10月5日
後期最初の講義と製図。2年生のデザイン論と2年生の製図第2。今年の2年生はどんな学生だろうか興味津々である。製図の敷地は長野から電車で30分の須坂。市といっしょになって蔵のまちキャンパス計画という市の活性化を行なっている。それにあわせて課題もここで行なうことにした。敷地見学は去年はどしゃぶりの雨だったが今年はいい天気である。敷地を見る前にせっかくだから市の有名な蔵や屋敷を見学した。なかなか見ごたえのある屋敷があるものである。天高二間、障子は一間という部屋が続く。つまり垂れ壁一間の部屋の連続である。先日見た若松の別荘のようである。
敷地見学後アサマで東京に、転職した友人と夕食。新しい会社は国際的ヘッドハンティング会社。一人探すと基本料金800万。加えてその人の年収の15%だそうだ。800万ならなかなか発注者のokが出ないだろうと聞くと出ないそうで、連日ひたする人に会うのが仕事。リサーチャーが彼のスケジュラーに人をはめ込んでいくそうである。会社の人材データーベースは膨大でちょっと検索する友人の殆どが出てくるそうだ。オー怖い。どこからデーターが流出しているのだろうか?

October 4, 2007

倫理としてのモード

倫理とは平たく言えば「人間のあり方」「世間のありさま」であり、倫理の構造を考える契機は、習俗と道徳と法律だと佐藤俊夫の『倫理学』に記されている。更にこの習俗とは習慣と風俗から構成され、これらは礼儀(marnner)と流行(mode)という対極的概念を両極に持つ型によって生み出されるという。modeなるもの社会倫理を形成する極めて重要な要素であることがよく分かる。こうしたmode研究ではもちろんバルトが有名(『モードの体系』)であるが、もう少し社会学的視点から語られたものがないものか探していたらなかなかよい本を見つけた。ジョアン・フィンケルシュタインというオーストラリアの社会学者が書いた『ファッションの文化社会学』成実弘至訳、せりか書房2007である。ここでは数々のmode研究が紹介されている。その一つ、ソースティン・ヴエブレンの『有閑階級の理論』(1899)はなかなか示唆に富む。「流行とは上流階級の人々が自分たちを下層階級と区別するためにつくったトリックなのだ。・・・流行が下層階級へと『滴り落ちていく』とき、上流階級はまた新しい美学を作らねばならない」。
100年前の階級社会のこうした理論が現代日本に直接当てはまるわけではないのだが、流行の本質は殆ど変わらない。つまり、経済的な格差が小さい日本でも感覚的格差と呼ばれるものが構造化されている。そして流行とはこうした感覚上流階級(として位置づけられている)が生み出し下層階級(と位置づけられている)へ滴り落ちていくのである。そしてある普及をした時点で感覚上流階級は差異化を図る(ことで自らの地位を確保する)ために、新たな美学を創らねばならなくなるのである。結局アートもモードも建築もこの滴り落ちる時間に若干の差があるだけでその基本構造は同じと思われる。

10月3日
ゼミに会議で夕刻。後期の始まりで会議が多く今週はずっと長野である。会議後、研究室で『倫理学』を読む。やっとカントに到着。近代倫理学を完成させたと言われるだけのことはある。「およそこの世のなかで、いなあえてこの世とかぎらず、いかなる限定もなしに善といわれ得るものは、ただひとり善き意思のみである」。善きものはいろいろあれども、善きことを行おうとする意思は一つであるというような意味である。善きことが限定されていたそれまでの倫理思想(プラトン、アウグスティヌス、トマスアクィナス、などなど)からは大きな飛躍である。
8時ごろ研究室を出て今年長野にもできたシネコンに行ってみる。1200円のレイトショー。夕食を売店で買いシアターへ。客は10人くらいしかいないので貸切のようで快適である。

October 2, 2007

下手な考え、、、、

夕刻研究室で学生と話す。就職などの進路についてである。設計者になるかどうかの悩み時である。自分の能力との相談をしているようだが果たして建築家の能力など生まれつきかどうか疑わしい。そこで少し自分の話をした。一体自分はどうして設計者になることを決意したのだろうか?都合の悪いことは忘れてしまったから思い出すことは美談にしかならないのかもしれないが、そんな決意をした覚えはない。ということはよほど自分に自信があったのかというとそんな自覚は無い。コンペ荒らしだったわけではないし、製図の成績がいつでもトップだったわけでもない。ただ自分は設計者になると決めただけでそこに判断材料はない。そうただそう決めたに過ぎない。もとより設計がうまいか下手なのかというようなことは時代と適合するかどうかだけの問題などと大それたことをその時代から考えていたのかもしれない。つまりは誰かに上手い下手を判断される言われは無いとおぼろげに思っていたのかもしれない。だから後はやるかどうかだけの問題だったように記憶する。
もちろん最低限の能力は必要だが設計力はむしろ努力である。生まれ持った才能は20%くらいだと思う。それは天才的建築家の生き様を見ているとそう思う。サーリネンは朝食のバター壺の中でバーターをこねくり回して建築の形を作っていて離婚されたとある人が言っていた。これを努力といわずなんと言おうか。むしろ設計者になるための才能がいるとするなら、その努力をする能力である。さらに言えば努力でカバーできる設計力ではなく設計者としての人間力のほうである。それらはコミュニケーション能力とマネージメント能力。これは残念ながら生まれつきであることが多いように思われる。能力との相談をするなら自分のこれらの力と相談するべきだ。しかしこれも誰かのもとで一生やるなら不要である。となると生まれつき持った何かと相談する必要は無い。やるかやらないかを決めるだけの話である。ということは建築と一生付き合う気があるかどうかだけの問題である。ここでまた一生なんていうとやたら気が重くなるだろうが、それもたいしたことは無い。まあ結婚するようなものである。別にいやになったら離婚するだけのことである。そんなしかめっ面して考えるほどのことでもない。離婚が怖い人はやめたらいい。しかしそういう人は結婚だってできないということになる。

古谷さんおめでとう

10月1日
午前中ナカジから先週の中国滞在中の報告を聞く。相変わらずレベルの低い設計院の無責任な仕事の仕方に腹が立つ。かと言ってレベルが高いというものがどの程度のものかもよく分からない現状では無責任ぶりが改善できるものとして文句を言えるものなのか、それは単に文化の違いだと言うことなのか判断できない。それにしてもこんなことを続けていると単に建物を作って終わってしまう。作るではなく創るムードを全体に築いていかないとまずいのだが。模型材料も売ってない場所だから全部買って持っていくようにナカジに指示したのだが、成田でスチノリと55は没収されたそうだ。やれやれ。
長岡のコンペの落選通知が来た。今回はそれなりに全力投球したのだが5人のヒアリングには選出されなかった。ちょっと悔しい。しかしそれなりに納得する部分もある。お勉強で終わらないコンペにするにはどうしたらよいのだろうか?私の課題である。
夕刻審査員の一人の古谷さんの学会賞受賞パーティーに顔を出す。本当はここで5人に選んでいただいた御礼を言うはずだったが夢叶わず祝辞を述べる。都庁の展望台とうい突拍子もないところで行なわれたパーティーには何百人来ているのだろうか?さすが早稲田人脈である。滅多に会わないみかん組の曽我部や加茂さんなどにも会った(これは早稲田人脈ならぬ青山高校人脈らしいが)。この建築家コミュニティというのは政治家のパーティみたいなものでありなかなか会えない人に会いたいときには出席する価値がある。帰りがけ2次会を誘われるが私は最終で長野に。明日から後期が始まる。