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July 31, 2006

頭痛

梅雨明けだろうか?一日爽やかに晴れている。明日から出張。なのだが、いろいろと抱える問題が多くて頭が痛い。しかしそれはそれ。
今日一日現場にいて分かったことがある。それは当たり前だけれど、設計の基本が重要ということ。昔ディテール集をみながらどうしてこうなっているのだろうかということを結構不思議に思いよくノートにコピーしていた。性能を決めるディテールは音楽で言えば音階。デザインを決めるディテールはビブラート。両方知らないと設計はできない。音楽もできない。

July 30, 2006

梅雨明け

やっと梅雨明けの気配。爽やかな風が流れている。11時。青弓社の矢野さんが来社。図版の本と共に原稿のフロッピーお渡しする。ああのどにつっかえていたものが一つ取れた。中国行く前に渡せた。ほっとする。10月頭には出版ということなので。後期の院生の教科書にしようかな?
午後は大武と某プロジェクトのネゴの作戦会議。その後論文書き。論文は現在、構築性の歴史。テクトニックカルチャーを広げる。この本ほど何度も読んだ本は無いなあ。3回は真剣に読んでいる。しかしそれでもちょっと分からんところがある。建築における正しさ、正直さのようなものがテクトニクスに繋がるという話。それに対して建築を覆い尽くす虚偽性の骨頂がディズニーランド。岩波新書『聖地ディズニーランド』をぺらぺらめくる。ちょっと旧い新書は最近アマゾンの古本で100円しない。送料が300円くらいかかるけれど。

July 29, 2006

例の会

午前中原美術館。帰宅後仕事。夕刻例の会(坂本研ob会)。今日は余り人が居ない。僕も忙しくて行くかどうか迷ったが、地下鉄で一本だし、この間のオープンハウスに坂本先生も来ていただいているのにこちらは行かないわけにも行かない。仕事の続きを電車の中で生き返りワープロ打ちまくり。結構進むものだ。久しぶりに岩岡さんに会う。長野出身の人には最近親近感が湧く。石黒さんがクライアントの執拗な攻撃にあっていると嘆く。同情してしまう。更田氏がコンペの敷地を見てきたという。沢山の応募期待してます。若松に会う。オープンデスクの学生にアパートまで便宜を図っていただいたお礼をする。しかし思っていたのとは違い、かなり狭い場所のようである。うちの学生二人住めるのだろうか???ロー君にあう。1日から上海行くといったら、彼も2日から上海だそうだ3日の夜向こうで会おうということになる。ナントかれは日建の中国現地法人の社長になっていた。すごいものだ。鈴木明氏に会う。成分先生のこと言い忘れた。小川君にこの間の御礼をする。講評会のコメント自分のだけ長いと照れていた。などなど。今日は2次会に行く元気が無く退散。

納涼会したら梅雨明け?

一昨日の納涼会で飲みすぎて倒れてしまった斉藤君が朝から日直でお掃除電話番をきちんとしている。うんえらい(もちろん体調は最悪だったようだが)。ナカジも11時の打ち合わせに無事行ったようである。昔は心配される方だったが今は心配する方になってしまった。
今日もアスクルの整理棚が届けられる。それらを使って身の回りの整理。机回りの本や雑誌やcd、抜き刷りなど自分の書いたものや作ったものが載ったもの。やっときれいに片付いた。
2時に来る見積が来ない。どうしてこういうものを平気で守らないのだろうか?僕には理解できない。
天気は蒸し暑いがそろそろ梅雨明けだろうか

July 28, 2006

掃除と納涼

午後から事務所の中掃除。一年に一度の大掃除では追いつかない。特に模型室は嵐の後のようになっている。しかし次の日が打ち合わせ、現説、などなど皆忙しい。暇なのは、僕と、木島さんと柴田君、渡辺さんくらい。
7時からは事務所の納涼会+柴田君独立おめでとう会。近くの炙り焼きのお店で盛り上がる。伊藤君のコンペを手伝った理科大の学生さんも沢山やってきた。
7時から1時くらいまで同じ場所でよくしゃべった。柴田君、事務所の3番目の古株。頑張って。斉藤君は飲みすぎて倒れた。明日打ち合わせのナカジは大丈夫かな?結構飲んでいたが。加藤さんは1時からまた仕事をしに事務所に戻って行った。

July 27, 2006

車のような建築

うそのような快晴。数日前に今日予定していた補修工事を雨が降るといやなので延期していた。行いが悪いとは思わないのだが。まあ天気ばかりはくじを引くようなものだから仕方ない。夕刻人と会うため六本木へ。青山ブックセンターに立ち寄ったら、un studioのbenz museumの本があった。三つの輪を組み合わせたような平面で外観は自動車のようである。僕はこのフォルムがとても気に入った。建築見てそんな風に思うのも久しぶりでそういうことに深い意味はないのだが久しぶりなので購入した。車の形を模しているのだろう。なんとなく流線型だけど車のように美しいわけでもない、潰れたおなべのような形である。でもだからどうだというわけでもない。
先日建築を考える気力が失せて、読売新聞社編の『トヨタ伝』というトヨタの歴史を書いた文庫本を新幹線で読んでいた。企業史だから車のデザインのことが書いてある訳ではないし、トヨタという会社はホンダと違ってオタクな会社ではない。だからデザイン的にどうだということは無い。でも車と建築の類似性と差異を考えさせられた。あたりまえだけど車は大量生産で建築は一品生産。この差はきっと建築の本質なのだろうと思う。大量生産を標榜した前世紀初頭の夢は夢でしかない。

July 25, 2006

透明

論文は今スケルトンの部分を書いている。あっちでもこっちでも時間があると書いている。資料を広げて煮詰めているような悠長な書き方はできない。全体の章割はできているから、章毎に目次立てを決めたらひたすらしゃべるように書く(打つ)参考文献が必要なところは○○についてのデーターとか意見とか書いて次へ進む。註も図版も全部後回し。ひたすらストーリーを書く。
スケルトンでは透明材料の技術的進歩について資料が必要。丸善でプラスチックの技術進歩の本を購入。なんで昨今透明プラスティックの開発が飛躍的に進んでいるかが書いてある。その答えは光技術の進歩と連動しているとのこと。なるほどと思った。ポリカだって昔はすぐ白濁したものだが昨今それが無くなったのはそれと無縁ではないだろう。ミースの本も何冊か買う。久しぶりに建築の本を購入した。

届かないデーター

昨日は朝一で長野、車窓から見えるものは雨、雨、雨。もううんざりである。午前中会議。午後仕事いろいろ。昨年度の自分の仕事を集約するペーパーチェックが回ってきてびっくり。自分のものがごっそり何も無い。驚き。学科のまとめ役に送ったデーターが学部のまとめ役のところに回る仕組みだがどこかで落っこちたのだろう。こわいなあデーター輸送。送ったつもりのメールが届かなかったり、もらってるはずのメールが無かったり。郵便屋さんは時間がかかっても確実に届いた(少なくとも僕の場合)。しかしメールの届かなさは郵便の比ではない。セキュリティが問題なのだろうが。これからはメール送った後に電話しないとならない。何のためのメールやら。とほほ。

July 23, 2006

梅雨は終わらず

朝からどんよりとした雨雲。九州では大水害がおきている。
夕方まで家で仕事。夜事務所でナカジと仕事。駐車場の設計。200台目標だが、どうしても180台くらいが限度のようだ。果たしてこれで条件がクリアできるだろうか?スポーツクラブの企画なのだが、昔、日建で企画プロジェクトしていた頃を思い出す。この手のことをよくやったなあ。と昔が懐かしくなる。明日は朝一で長野。どうも梅雨が長引きそうで困った。補修工事のスケジュールが延期になると中国出張と重なってしまう。工事をこの目で確認したいのだが、どうなるだろうか?明日工務店とスケジュールを打ち合わせよう。

July 22, 2006

気分転換

朝コンピューターが起動しない。まったくvaioは粗悪品が多い。事務所に別のノートをとりに行く。戻って来たらvaioが起動した。気ままなパソコンだ。参考文献をいくつか読み直し、原稿の随所の確認をして推敲。ひととおりやったので今日はもう終わり。午後小川君から一昨日の講評会の小川賞の講評が届く。丁寧な講評に感謝。
夕刻ジョギング。女子医大まで往復。15分くらいで往復できる。入院するならここがいい。おっと慶応も近い。どっちが近いのだろうか?
夕方部活から娘が帰る。気分転換に家族で外食。新宿の車屋で肉を食べた。少し気分転換。昔ロサンゼルスで知り合ったお金持ちが、気分が滅入ったら美味しいものを食べるに限るわよと言っていた。そうかもしれない。

人を動かす

仕事がたまる。届きそうで手が届かないようなもどかしさ。だんだん人を使うことが仕事になるのがいやだけれど仕方ない。自分でできないと人のやっていることはもどかしい。その人の能力の問題ではなく自分とのペースのずれがストレスを生む。大した量の仕事をしているわけではないのだが問題の性質がその昔と違う。それに加え仕事の種類と場所がばらばらということもある。
帰宅後、「ふー」とため息をついて「こんないらいらの募る状態は昔あったかなあ?」とかみさんに聞くと「昔はもっと忙しくてそのまま体を壊していたけれど、いまは体じゃやくて精神にきているみたいね。」と言う。まあ日建にあのままいたってこの年になってやることは人を使うことだろうからもっとストレスがたまっているかもしれない。それに比べれば今ましか?30個くらい仕事抱えていた人いたもんなあ日建には。

暗い話ばかり、でもない。イタリアの雑誌にAREAと言うのがあって東京特集号が出た。その一角にRE-TEM東京工場が掲載された。ANDO,AOKI,BAN,HERZOG,DYTHAM,KUMA,KUROKAWA,MAKI,RYUI,PIANO,ROGERS,UEYAMA,SANAA,MAKOTO WATANABE,TEKUTO,YAMAMOTO,ATELIER BOW-WOW,F.O.B.A.ISHIKAWA,NAYA,IRIE,TEZUKA,と言う顔ぶれで、エルクロのような本だが、さすがイタリア産。ブックデザインが抜群である。リーテムが掲載されたものの中では一番美しい。

July 20, 2006

講評会

製図の講評会という話題が多い。前期は2つも持っているからなのだが、今日は3年の後半課題。非常勤の片倉先生とゲストで日工大の小川次郎氏に来校してもらった。小川君には現在設計中の日工大図書館と妻有の芸術祭の出品作のレクチャーをしてもらった。これが本当にすごい。彼はバイタリティの塊である。敬意を表する。
後半課題は前半よりやや短めだし、皆4年生の製図手伝ったりしていたのだが頑張ったと思う。小川君は、全体のレベルが平均的に高いことを感心していた。トップのレベルは似たようなものだが、学年の半分とはいえ、(発表者は25人にしているので学年の半分である)全員があるレベルに達しているのがすごいとびっくりしていた。
確かに今回は短い期間によくやったと思う。ダッシュする力がついてきた。しかし僕が大学3年の時は前期第一課題伊東豊雄のホテル、第二課題、同じく伊東さんのヴォリュームを4分割して機能を与えるという概念的なプログラム、第三課題香山壽夫の小学校、後期第一課題倉俣史朗のショップ、第二課題磯崎新の劇場、第三課題大高正人の美術館、年間6課題やっていたのを思えば短いといっても大したことは無い。
帰りは小川君と一緒に東京へ。建築談義に花が咲く。なんとか彼と合同で面白いことをしようと考えているのだが、まだいい案が浮かばない。

July 19, 2006

胃が痛い

昔こういうことがあった。まだ建築を始めて5年くらいの時だったと思う。10人くらいのクライアントを連れてその当時共同設計をしていたアメリカの設計事務所に行ったときである。我々の作った基本骨格をキャッチボールでアメリカに投げ彼等がそれをデヴェロップしてその結果をプレゼンするというミーティングであった。彼等のプレゼンテーションルームで1時間近く行われたミーティングの後クライアントは不満の顔を示した。不満が怒りに変わった。プレゼンが気に入らなかったようである。アメリカの事務所の失態は我々の責任というのがクライアントの言い分である。それは当たり前かもしれない。私は事務所の代表として上に誰も居ない出張で東京に電話をしたところ「全部丸く納めて帰って来い」と言われアメリカの事務所に残り図面を描き戻ってきた記憶がある。とてもつらいことだった。自分のプレゼンに文句を言われたならいざ知らず、、、、
この数日あの悪夢が再来してストレスフルである。建築家の宿命ではあるものの、、、

July 18, 2006

ベンヤミンの参考書

朝の新幹線で長野。ひどい雨。これから梅雨かという感じである。しかも長野は寒い。朝から4年生の卒論ゼミ昼から修士のゼミ、夜からコンペのゼミ。
話は変わるが長野に来る車中ベンヤミンの参考書を読んでいた。
ベンヤミンは複製技術とパッサージュ論を2冊ほどその昔に申し訳程度に読んだだけであった。昨日目を通したドイツ悲哀劇の根源をきっかけにもう少しきちんと読もうかと思っていたところ本棚の積読スペースに1年以上も前に買った鹿島茂の『パッサージュ論熟読玩味』を発見。ちょっと読んだら実に楽しい。中分さんが薦めてくれただけのことはある本である。ベンヤミンに興味のある方は(もちろん専門家以外の方で)是非ご一読を。

July 17, 2006

ヴィドラー

昨日の勉強会で井上君の解説したヴィドラーの‘Dead End Street Walter Benjamin and the Space of Distraction`はとても面白そうな論文だった。特に気散じの空間というのが僕の考えていることと関係ありそうである。ベンヤミンの無意識というのはこのことであり、ハイデッガーとともにベンヤミンの主要概念だったということが昨日分かった(お恥ずかしい)。その論考で話題になったベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』を帰りがけに買ってきた。原稿に関係ありそうなところだけさらりと読んでみた。
昨日とは打って変わって今日は一日雨である。

篠原一男逝く

一昨日午後1時、恩師篠原一男がこの世を去った。81歳。突然の幕切れであった。氏はこの一年くらい。最後の蓼科の作品作りと、本作りのために、奥山氏と私を含めごく少数の人間にしか会っていなかった。蓼科の家は着工寸前であったし、本についても出版社の企画会議も通りさあこれからという時であった。一月前くらいから安定しない病状を知っていたものの氏の生命力は常人のものではないと勝手に想像していたもののやはり自然の摂理には勝てなかった。通夜の席に喪主から「本は坂牛と奥山が立派に作ってくれる。篠原スクールの弟子たちはもう一人前になった」と申しておりました。と言われた時には、目頭が熱くなった。

僕は4年にスチュワート氏に習い、院で篠原研に入り、卒業するときは篠原坂本研であり、ハイブリッドと呼ばれている。しかし、篠原から受けたものはもちろん多大に血肉化している。設計で言えば形態の貫通や融合、スケールなどで自然と篠原のそれが現れる時がある。また文章においては学生の時には直接指導された記憶は無いのだが、卒業後鼎談を行い、共著で本を出し、誌上で篠原の趣意書に返信を書き毎回氏の手厚い指導を頂いた。氏は常に文章の人称に拘っていた。「私たち」ではなく「私」に拘った。建築家とは「私」であるというのが一生篠原の信念だった。作家性が云々される昨今、ここまで作家性に拘った建築家は少ないと思う。

全ては建築の為にあるような人生だったと思う。昨年建築学会大賞を受賞した時にもお祝い会の提案を拒否され、そんな暇があったら本作りの打ち合わせをしようとおっしゃっていた。最後まで、本当に最後まで建築家を生きた人であった。

July 15, 2006

ヤマ

ヤマの学会選集の現地審査、石井さん、東さん、宮さんが訪れた。東さんはリーテムも見てもらい連ちゃんである。宮さんはk-projectのオープンハウスに来ていただいていたようである。石井さんは昨日も書いたが僕の留学、就職、の恩人でもある。本当に20年以上ぶりにお会いして嬉しかった。ひとしきり審査していただいた後石井さんに「この建物にLAの雰囲気を感じる」と言われて、なるほどそうかもしれないと思った。今LA論を書いていて話が病理に届いたところであった。まったく自分のことなど考えていなかったのだが、僕の中にもある種の病理が巣食っているのかもしれない。本当に病気になりそうだけれど。午後その場所で一年目検査を行う。数箇所の指摘を受ける。速やかに直したい。今日は異常な暑さと雨である。

July 14, 2006

図渡し

川崎の家の図渡し。何とか図面は間に合った。早朝事務所で最終図面チェック。でもまだ少し落ちがある。追加指示でなんとか切り抜けよう。この暑い中遠路はるばる事務所に来てくれた工務店の方には本当に感謝します。よろしくお願いします。35度まで上がった今日の空を見るとこれで梅雨も明けたかと思いたくなるのだが、どうもまだ明けてはいないようだ。来週はまた天気が崩れるとの予報。明けてから補修しようとしている工事もありそれはまだ先になりそうである。明日はヤマの学会選集の現地審査である。今朝学会から電話があり、審査に石井和紘氏も来られるとのこと。石井さんには留学の時の推薦状を書いていただいたり、就職の時に相談したり、その昔いろいろとお世話になった。20年以上ぶりに再会である。

July 13, 2006

打ち込み

帰りの新幹線の車中、ひたすら原稿を打ちまくっていた。今朝までは、溜め込んだカードや本と睨めっこ。この順番あの順番とカードを動かしては内容を読み、そしてまた動かしては内容を読み、そしてカードの裏に小さな字で目次を書く。大きい字だとどうも集中できない。不思議なものである。そしてなんとなく頭が整理されると後は一気に打ちまくる。最近どうもこういう原稿の書き方が多い。ずーっと書かない、ぎりぎりまで書かない。そしてなんとなく書きたいことが固まるまで周辺をうろつく。そしてバーっと吐き出す。電車の中では研究室で出掛けにプリントアウトした書きかけ原稿に赤を入れてそれを打ち込んだ。
後ろの席にひどい酔っ払いがいて集中が途切れる。酔っ払っているくせに車内販売が来るとまた買っては飲んでいる。もうろれつも回らないから寝てなさいと言いたくなる。
東京はひどい湿気だ。四谷から事務所に電話、明日の現説の準備を確認。事務所に行かなくてもよさそうだ。一安心。自宅までの間でひどい汗。すぐシャワーを浴びる。

July 12, 2006

人と都市の共同性

県立図書館で調べもの。ナンシーの『無為の共同体』における共同の相手は果たして人だけなのだろうか?人は死を自ら体験できないが他者の死は経験できる。そこにおいて死という観念を分有するところから人は《ともに生きる》というナンシーの思考はスタートし、共同性の根源的なあり方が説明されていく。ここにおいてはやはり共同を形成する因子は人と人なのだが、人と物の間では共同はありえないのだろうか?例えば家というものを考えた時、それが生きられた家であれば、例えばその家が崩壊(死)する時同様のことが起こらないだろうか?と考えてみた。家あるいは建築、もっと言えば都市という環境も共同するのではなかろうかというのが僕の仮説。もちろん『無為の共同体』にそんなことは書いて無いのだが。県立図書館を出て大学の図書館へ。マンフォードの『歴史の都市明日の都市』を借りてくる。中世都市が崩壊しバロック都市へ変貌するのは政治経済の変化によって説明されるのが一般である。もちろんその後の都市の変化もそれらの要因による。それは間違ってはいないであろう。しかしその陰で人と環境とはどのようなやりとりが行われていたのであろうか?再開発が人を土地から引き剥がす現代的な都市の殺伐とした風景を見るならば、過去においても同様の関係が生じており、そこにも人の根源的な共同のあり方としての都市が存在していたはずである。

July 11, 2006

講評会

昨日は製図第五(四年生前期)の講評会、非常勤講師の川上先生、片倉先生、広瀬先生に加え東工大の奥山先生を招き講評いただく。発表は12人に絞り、一人15分程度の持ち時間でじっくりと行った。最後に一人一作品ずつを優秀賞に選んでいただいた。作品の質は比較的上がってきたと数年前から見てきた非常勤の先生の弁。しかしそれでも未だ4年生の製図としては、もう一つ物足りない。問の立て方が凡庸。制作が未完。リアリティが不足。もちろんこれらの問題はここ(信大)だけの問題とは限らないが、やはりそれらの点をクリアしたものが光るものになるのである。しかし彼等を最初に3年生の時に見たときから比べれば格段に進歩していることが嬉しい。路傍の石も磨けが光る。そして今年の3年生は確実に今年を超えると確信している。ただ3年の後期の一番大事な時期をどう過ごすかにかかってはいるが。講評会後バーベキューパーティー。小雨交じりだったがなんとか持ちこたえた。

July 10, 2006

もろもろ

川崎の家の査図(図面チェック)。1時から始めて8時まで。結局2軒分だから結構時間がかかる。これでも完全ではない。昔日建時代は二日がかりの査図もあったけど見てくれる人は大変だった。
学会発表の様子を電話で聞いたが、思ったとおり、論文と設計の両方をやっているからどっちつかずとの厳しい質問があったようだ。しかし今のシステムだといたしかたないという気がする。
明日は4年生の発表会である。奥山が東京から来てくれるなるべく実りある講評会にしたいものである。
再来週の中国出張にそなえ原稿の締め切りを一週間延ばしてもらう。若林さんの方は締め切りどおり提出するとのことで少し焦る。しかしこの出張はどうもはずせない。
明日は朝一でゼミ。これから長野に向かう。

July 9, 2006

読書

今日はあちこち駆けずり回った。25度だが湿気がひどい。梅雨は明けそうで明けない。家の除湿機は一日で一杯になってしまう。夜帰宅後ひたすら原稿のための資料読み。かみさんは書道の稽古(をされに)国立博物館に、娘は試験が終わり友人と遊びに。もう直ぐ夏休みである。大学は未だ先なのに。

July 8, 2006

アレフ

ホルへ・ルイス・ボルヘスの「アレフ」という短い小説を読んだ。アレフという名の小さな球体をめぐる話。「アレフ」という語はヘブライ語のアルファベットの最初の文字である。同名の宗教団体の方が今では有名かもしれない。因みにそちらの団体名もこのヘブライ語から取っているようである(ホームページによると)。さてそれは世界中が映りこむ不思議な球体である。「アレフの直径は恐らく二、三センチメートルにすぎなかったが、そこに全宇宙が、縮小されることもなく、そっくりそのまま包含されていた。」占い師の水晶体のようなものである。その球体の話を読んでいたらグーグルアースを思い出した。世界中が一瞬にして覗き込めるその速さと正確さはアレフそのものである。50年以上も前の奇想天外なお話が今では普通の現実になっているという一例である。

小川君来所

川崎の家の納図。午後某スポーツクラブと打ち合わせ。夕刻小川次郎さんと繁昌朗さんが来所、最近彼等の設計で着工した日本工業大の百周年記念館と新潟のアートトリエンナーレの作品をレクチャしてもらった。記念館は蔵書20万冊の図書館を主体とした学生交流施設。プランはL。断面は敷地にそって揺るやかな傾斜の連続そして斜めのタワー。構造は金箱さんで細いメンバーで統一された網の目のような鳥かご。外装はダブルスキン。設備は床噴出し、霧吹きだし、自然換気。材料がやたらすごい。泡入りガラス、コンクリートゆか、リシン吹きつけ天井。セメント研ぎ出しコンパネ壁、、、、、とにかく眼が回る。凄い量の内容がつまった設計なのである。
アートトリエンナーレがまたすごい。細骨材に土を使った土コンクリート。現場で土を採取し、大学に持ち帰り構造の先生に実験してもらい。また現場に持ち帰り生コンプラントで混ぜる。形は人間32体を模した7面体。高々10㎡の小屋だが形が複雑で10回くらいに分けて打ったという。そしてこれらを90%学生の力でやっているところが驚異である。
レクチャー後伊藤、木島を含め荒木町でジンギスカンを食べながらこの驚異の設計に盛り上がり、東京周辺(中心ではなく)大学建築学科で何かしようと話あう。何か作ろうか??と言ったところでではまた20日信大に来ていただいた後で続きを語ろうと約し別れる。

July 6, 2006

色の衝動とは?

昨年OFDAで木島と共同設計した「するが幼稚園」が公共の色彩賞という賞を受賞した。事務所にもどるとその審査評のようなものがまとまった冊子が届いていた。その中で審査委員長の言葉がとても嬉しい。曰く「幼稚園と言いますと、とかく、原色を使って、コミックあるいはアニメ風のものが多いんですが、ここでは、非常に洗練された幼稚園のあるべき姿を創造された点が高く評価されました。・・・大人が『幼稚園というのはこんなものだろう』ということで作った幼稚園とはまったく違ったアイデアに大変敬服しております」
一見原色に見えるのだが、ベースの色は全て少しずつトーンを少し落とした微妙な色をかなり根気よく作ったのである。現場でも柱一本一本に数種類の色見本を貼り付けて最終の色決定をした。そんな色選定が報われた。
色といえば、東京に戻る新幹線の中で論文の色の節を打っていた。その中で頭をよぎる疑問。ゼンパーは何で多色にこだわったのだろうか????人が色を使う根源的な動機はどこにあるのか?ポンペイの色はとても美しかったがあれは壁画である。ベルサイユのように金色を塗るのは財力の証であろう。単純に建築を色で埋める衝動とは???

July 5, 2006

ストレス

7年ぶりに人間ドッグを受けた。場所は長野の日赤である。大学からよく見える大きな病院。今まで幸いお世話になることは無かったので今日始めて足を踏み入れた。一つの大きなヴォリュームだと思っていたのだが、さにあらず。3本のタワーが低層で繋がっている。ドッグはいろいろな科に行ってはスタート地点に戻らなければならないのだが、複雑で戻れない。知らぬ間に重篤患者のゾーンに入り込んだり、手術室ゾーンに迷い込んだり、もっと分かりやすいプランにならないのだろうかと思ってしまうが病院建築は難しいのでなんともいえない。日建の頃は残業が増えると無料でドックだったが大学はそんな甘くないのでしっかり有料。幸いこれといった危険信号はなく良かった。でも最後に医者に「お酒も飲まないのに胃の内壁が荒れてますねえ。胃炎の症状ですよ。ポリープもある。胃カメラを勧めます」と言われた。やはりストレスだろうか?

July 4, 2006

図書館

朝のゼミでハーバート・リードの『モダンアートの哲学』を読む。『物の体系』『空間の生産』を読んだあとだから、とても読みやすいし内容もイギリス系の知らないアーティストが一人いるくらいでとても分かりやすい。午後は4年の製図だが、もう締め切り3日前なので後はレイアウトに助言するくらいである。皆枚数は多いが中身はスカスカの模様。授業を早く切り上げ自転車で5分のところにある県立図書館に本を借りに行く。フーコーの思考集成がここには全巻そろっている。フーコー二冊、ついでに『人文地理学の発展』という本を見つけたので借りる。大学の図書館は工学部だから工学系の本しかない(人文系は松本キャンパスにあるので請求してから3日くらいしないと届かない)。だから県立図書館は人文系の本が欲しいときには便利だし、県立だからそこそこ蔵書は多い60万冊。僕がよく行く区立四谷図書館が11万冊だから使った感じはまあよい。

July 3, 2006

長野は爽やか

7時半のアサマで長野へ。このアサマは大宮の次が上田で長野に8時50分に着く。最速のアサマ。途中霞、霧の中を通り抜け上田に着いたら快晴。長野は爽やかな秋晴れのような天気である。朝から会議。午後は資料をいろいろと読むのだが余り冴えない。昨日は少し進んだ着想があまり展開しない。この天気のように爽やかになりたいところである。明日は8時に院に入学希望の京都造形大の4年生が来研予定。今日はもう帰ろう。

July 2, 2006

気分入れ替え

昨日までの気分を入れ替えて読書。と思ったが娘の試験勉強(日本史)に付き合わされた、日本の古代というのはうっすらと覚えているのだが細かいところはてんで駄目である。娘のノート見ながら問題を出して答えを言わせるのだが、答えの意味が分からないので、答えの解説をしてもらうというどちらが先生か分からない状態。でもこれは結構楽しい。その後エドワード・ソジャ『第三空間』青土社2005を読み始めた。だいぶ前に確か井上君に勧められて買い、積読してあった。ルフェーヴルをゼミで読んだのを良い機会と思い、『第三空間』と『ポストモダン地理学』両方一気に読んでしまおうというところである。
昨日のpc運びで腰が痛いが致命的ではなかった。毎朝の背筋トレーニングが効いているのだと思う。夕方ちょっとジョギング。ワタリウムまで行ってパイクの展覧会を見てこようと思ったが、外苑西通りの途中で疲れて引き返した。慶応病院の裏手には病院の歴史的な建物が結構建っていることが分かった。

July 1, 2006

自作改修

朝東急ハンズでゴムラバーなどを買い現場へ。所長の車でホームセンターに行き駐車場用の段差解消pcを買う。いつもこういうことがおこるのだが、現場の最後、あるいは竣工後の問題は、いてもたってもいられなく自分たちで探して自腹で買って、つける。誰かに請求しているのがもう馬鹿らしくなってくる。その時間が勿体ない。でもこういうのは仕事としては馬鹿なのかもしれない。建築家が職能としてやることは明確にすべきなのだろうが、、、、、重いpcを持ったせいか腰が痛い。ヘルニアにならなければ良いが。そう言えば千葉さんもヘルニアと言っていた。
事務所に戻り事務仕事。今後の改善問題を加藤と打ち合わせ。これ以上の大工事が発生すると事務所はちょっと厳しいかもしれない。今回ばかりは施工者の問題ではない。何でだろう。毎年6月に災厄がおこる。去年もこのときに問題が噴出し、自分の勉強も家族との時間も無くなった。今年もまただろうか?

へこみっぱなし

午前中リーテム東京工場の学会選集現地審査。千葉さん、坂倉の東さんがいらっしゃる。1時間半ほどじっくり見てもらった。しかし建築よりもその工場の内容の方がお二人には興味深いようである。午後リーテム本社にそのまま行き中国プロジェクトの打ち合わせ、7月半ばにナカジが中国出張し施工業者を決定する予定。事務所に戻りk-projct修正工事の確認。しかし今回は引渡しまで本当に順調だったのに。最後で躓いた。明日現場に行く。夜、GEの風発電会社のpresidetのk氏に会い社長業の危機管理を食事しながら相談(というより愚痴を聞いてもらう)そしたら自分も不良品クレームのお詫び回りで胃潰瘍になったと言っていた。「トラブルの無いビジネスなんてないよ」と激励された。のだが。