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August 31, 2006

空間否定

午後事務所に東工大の奥山さんと鹿島出版会の川島さんが来所。2時から7時頃まで延々新たな住宅論の本の企画の確認をした。篠原先生の遺作を最後に据え、70年代にデビューした建築家へのインタビュー5本ととその弟子の世代の論考10本をまとめた本を作ろうというもの。先生の死去に伴い企画を変えるかどうかという会議だったが、変えないでこのまま行こうということになった。内容の確認とギャラ、写真代などかなり細かいところまで打ち合わせ。しかしスケジュールは僕が論文で多忙なのと先生の遺作が来春着工ということもあり、インタビューも来春。出版予定は再来年の1月である。できたら教科書にできるような本になると思う。
ハイデッガーの「建てること、住むこと、考えること」の井上君の訳を読み直した。『言葉と建築』に書かれていたことを再確認する意味で。「建てることは、直接的にも、間接的にも、決して空間そのものを形づくるものではない」という言葉。ハイデッガーの空間否定が直接的に言い表されている。上記住宅論でも結局、空間の取り扱いに世代の意思が現われるはずである。篠原先生は空間だった。その次の世代は空間から生活になり、そしてその弟子の世代は?やはり空間ではもはや無い。

August 30, 2006

アキバ

朝面白い工務店の社長と会った。筒井康隆の家も水島慎司の家も作ったと言っていた。クライアントの既存家屋の施工業者なのだが、本気で頼む気があるなら、本気で値段下げると言う。「どうしてこんなに高いのか自分でも分からない」という変った社長であった。
一昨日クライアントに除湿機を買ってくれと頼まれた。そこで夕刻行ったことがないということもあり、秋葉原のヨドバシカメラに行ってみた。夜10時までやっている。その上床面積の大きなビルなのでびっくりした。しかし除湿機というものはほんの少ししか置いてなかった。在庫はないが種類は多い。その上少し機能的ヴァリエーションがある。こりゃお手上げ。自分で選ぶしかないのではとクライアントに言ってあげよう。
秋葉原でラーメン食べて帰宅。
新らしい住宅を「角窓の家」という名前にしたが10+1のオープンハウス情報にアップされたようだ。ご覧くださいhttp://tenplusone.inax.co.jp/archives/2006/08/29140058.html

August 29, 2006

ネゴ

朝一の新幹線で軽井沢に。去年竣工した別荘の改善工事の確認と費用のネゴを行う。8時に行って現場見て、工務店の事務所に粘って2時までいて金額のネゴ。現場所長はもと北野建設の工事部長でプライドがある。そもそもこの工務店は軽井沢の3本の指に入る有名なところで、林雅子の仕事は一手に引き受けていたようなところ。なかなかこちらの(クライアントの)理屈を「はいそうですか」と飲む相手でもない。こうなれば「うん」というまで帰らないぞという態度で昼食もとらず粘る。最後はもう僕の顔をたててこの線でお互い納得してくれと、所長に頭を下げ、クライアントにも電話をする。
帰りの新幹線では論文の草稿をひたすら読みひたすら朱を入れる。朱だけでもとの原稿が読めなくなりそうだ。文章というものは建築以上に書いたそばからとても不安にかられる。自信がないからだろうと思う。そう言えば昨晩コンペの打ち合わせを学生と12時頃までやっていた。最近建築家していない僕としては久しぶりに建築を考えた。やっぱり建築は楽しい。この間クライアントの一人に「坂牛さんは将来的には学校の先生になるんですか?建築家になるんですか?」という鋭い質問をされ言葉に窮した。僕としては両立させたいのだが。
昔バイオリンしていたころ、たまに本当のプロに公開レッスンを受けたことがあったが、本当のプロは弟子を取っていないものなのである。教える時間があったら練習するものだと言っていた。本当のプロになれない人が大学の先生して食いぶちを稼いでいるのであった。建築家もそうなのだろうか?林昌二もその昔断ったそうだし、噂では、磯崎さんだって、伊東さんだって断ったと聞く。

August 28, 2006

k-projectの発表

朝から見積書と睨めっこ。どう敵を落とすか?最近敵が多すぎ。こちらの弾をよけるとあちらの弾が飛んできてそれをかわすと、後ろから飛んでくる。戦意を失う前に少し隠れていないとやられてしまう。
10+1のオープンハウスビデオが完成したという電話。サイトに仮にアップするので見てタイトルを決めてくれというのだが、これから大学なので長野から電話すると言い残し事務所を出る。長野に着いて用事を思い出す。盗まれていた自転車を取りに遠くの交番までタクシーで行く。本当に遠い。その上あれこれ書類を書かされて時間を食う。タイトル早く伝えなければとあせる。木島さんに電話してコーナー窓の家と提案。するとそれは少し平面的窓のイメージが強いと言う。というわけで時間もないので角窓の家ということで10+1に伝える。jtからもメールがはいる。jtの今度の発表(11月号)では第三者が建物を見てその方と対談するという趣向らしい。さて見てくれる方がきちんと建物を理解していただけるのだろうか?

August 27, 2006

文献表

論文の文献表を作った。建築のモノサシの参考文献があったので楽ではあったが、書式を変えたのでなかなか時間がかかった。やっとできたがもちろん網羅されていないし、不要なものも多々あり、未だ時間がかかりそう。とりあえずアルファベティカルにエクセルでソートした。これを見ると150冊くらいなのだが、最終的には200冊くらいだろう。たしか『言葉と建築』の文献表は600冊くらいあったような気がする。なんともフォーティーは博学だ。

August 26, 2006

建築家という仕事

一年目検査をした建物の駄目工事を一日監督。今日は余り暑くなくそれはそれで楽なのだが、塗装のやり直しをしていたら夕方雨が降ってきた。完了できずに今日は終了した。また月曜日である。日建時代、こういうことは監理部の仕事だったのだが小さな事務所ではボスはなんでもやらなければいけない。防水屋さんと相談し、塗装屋さんに塗り直しを頼み、大工を励まし、現場所長のいない留守をまもり、クライアントと雑談し、力仕事も手伝って、掃除もする。事務所戻れば金計算し、仕事もとってきて、スタッフの給料を貯金をくずして払い、それでも頑張る建築家という仕事は大変なもんである。林昌二さんが言っていたが、雅子さんが若いころ林さんのボーナスの日に会社まで来てそれをまるごと持っていったとのこと。スタッフの給料を払うためだそうだ。やあよくわかる。

建築の大きさ

ラスキンはこんなことを言っていた。「実際のところ、どれほど不都合なことがあるにしても、大きさはそれだけで何か決定的な価値をもつ・・・」
バックミンスターフラーはこんなことを言っている「ほとんどの建築家は、自分の設計した建物がどれほどの重量をもつのかを少しも考えていない」
そしてエドモンド・バーグはこう言ってる「無限には、心を喜ばしい恐怖で満たすという傾向がある」
という一の連言葉はアバークロンビーという人の『芸術としての建築』第一章「建築の大きさ」の中に引用される。僕の考えている建築の大きさについて同様の考えを持つ人がやっといた。ただこれを近代につなげるのと、単なる大きさだけではなく、大きさと小さの対比の中庸を説くのが僕の主旨。

August 24, 2006

団塊の世代

小阪修平の『思想としての全共闘世代』を読んだ。面白い本だった。60年代というのは僕等にとっては知っているようで知らないもの。でも現代の思想の原点のように僕等の世代は感じている。だから背伸びしてその時代を垣間見たい気になる。アートだって、建築だって、どうもこのあたりに原点があるように僕等は思っている。でも本当のことは分からない。そういう時代なのである。その時代を大学で過ごした人たち、つまり団塊の世代の言葉を本当は聞いてみたい。でも聞くと急に偉そうに構える屈折、転向全共闘世代をうざったく思っている僕等の世代の人間は山のようにいる。
この本は真摯にその時代を生きた小阪の自己の内面がさらりと書かれている。もちろん実感したり共感できたりはできないのだが歴史の1ページとして素直に読める本だった。

August 23, 2006

ブログとか日記とか

ブログはやはり日記とは違う。余り本当のことは書けない。人に見せるものなのだから仕方ない。そして見られることを前提にしてるから自分を美化する傾向がある。人のブログを見ていてもそう思う。そんなに格好つけなくてもいいではないかと思うブログもある。建築家の○氏のなどは結構面白く読んでいたが、だんだん鼻につくようになってきた。僕のブログも無意識に格好つけていたり、偉そうになっているから、胸糞悪くなる人も多くいるだろう。まあそんな人はもう読まないだろうけれど。
ではブログとは一体なんの為に書いているのだろうか?備忘録・自己顕示欲・一日の節目、僕の場合この3つの合計みたいなものだと思う。しかし最近心の苛立ちを書きたいと思うことが多い。そんなことは日記のようなものをつけて数十年たつがあまり無かった。一体この苛立ちは何なのか?と反省してみる。自分で物事を解決できないもどかしさなのだろうと最近分かってきた。
さっき2000年頃の日記を引っ張りだしてきて何書いているか読んでみると、つらいことをあまり書かないように元気をだすようなことを一生懸命書いているが、ふと創るつらさみたいなことを書いてることがある。それはまさに自己との葛藤を書いている。本当につらそうである。最近はそういうつらさは無いのだが(別に創ることが楽になったわけではないのだが)人を動かすつらさ、動かないつらさに変わっている。でもどっちがつらいのかと考えてみると、前者の方がつらい。人を動かすのはテクニックだしどうしても動かなければ排除すれば済む話。でも動かない自分は捨てるわけに行かない。一生同居しなければならないこの自己に幻滅した時はもう取り返しがつかない。だから今のほうが昔より楽なのかもしれない。
と、とりあえず考えておくことにしよう。

August 22, 2006

見えるもの

東京駅で丸善の洋書コーナーに寄った。ぺらぺらと眺めていると、自分の作品が出ている本があった。新刊である。びっくり。出版したら送って欲しいものだ。その本をとりあえず購入し、心理学のところに行くゲシュタルトの本が欲しいのだが2万もするのでやめて解説本のようなものを2冊買う。事務所に戻る。見積査定の打ち合わせと中国の業務計画の打ち合わせ。信大の宮尾さんのオープンデスクは今日まで。明日からは工藤さんが来る。帰宅後食事。
心理学の本が欲しくなったのは、ものの視覚的属性とは何か?と考えていたから。それは結局それが何かではなく何が見えているのかを知ることなのだろういう思いに至った。それに答えてくれるのは視覚心理学?。実はそういう思いは周期的に訪れ以前ギブソンを読んでいる頃、エドワード・リードの『魂から心へ』とかD.W.ハムリンの『知覚の心理学』など読んでいた。これらの本からは知覚心理の一般的知見は得られる。が、もう少し美術側から見たものはないのだろうかと思い心理学の書架に行ったというわけであ。そこで芸術知覚心理学(というジャンルはないだろうが)の本を買ってきて読み始めた。
人間には何から見えるという見える順番がないのだろうか?それは個人差なのだろうか?一般的な傾向はないのだろうか?

モダニズムの闘い

長野も異常に暑い。台風が暖気を連れてきたのだろうか。午後博士課程の入学試験を行い、その後コンペのゼミ。商業施設のコンペだが、その昔台場のコンペ(現在のデックス東京ビーチ)をしていた頃を思い出す。しかしあの頃の常識と現在のそれは大きく変わってきているだろうことは想像に難くない。ゼミ中にファックスが届く、今晩の朝日夕刊に掲載されるという篠原先生の追悼記事である。朝日は訃報も顔写真入りだったし、大西さんがいるせいか扱いが丁寧である。伊東、坂本、長谷川のコメント。最後に奥山のコメントも載っている。ついに奥山が最後の弟子となった観がある。奥山は「モダニズムの闘いはこれから始まるのです」と先生が言っていたとコメントしている。モダニズムの闘いとは何なのだろうか?昔ポストモダニズム華やかな頃先生は「これは幕間劇である」と述べてその通りになったが、世紀末に多発した(している)アールヌーヴォーのような建築群もまた一過性の現象だと言いたかったのだろうか?

August 20, 2006

建築における量の問題

建築における量の問題というのはかねてからの僕なりのテーマ。それは修士の時に摩天楼研究をした時からのもの。論文の最後に残ったこの問題。実はこれは僕のモノサシには入っていないテーマ。だから重要な問題なのだが、なかなか書けない。朝からうーうー唸って、気分転換に四谷図書館に行こうと思ったのだが、今日は休館日。ダムの話や橋の話など、土木的なテーマを少しずつネットで調べる。David E. Nyeの American Technological Sublime を補助線に技術革新と量と数学的崇高に話を関連付けようというのが最初の狙い。そしてじつは崇高以外に量の問題は塔性という高さへの希求へと繋がるというのが二つ目の狙いである。そこへつなげていく筋道がまだ甘い。

August 19, 2006

松本経由新宿

長野から松本へ、松本市美術館でかみさんの師である上條信山の展覧会を見る。二ヶ月ほど前学生を連れて見学に来た時、先生の常設の部屋があるのに驚き、企画展をすると予告のポスターが出ていたのでこのチャンスに家族でやって来た。その昔東急デパートでやった時のものだいぶあるし、芸術院賞を受賞した汲古も出品されていた。世界中でやられたパフォーマンスの映像もあり、充実した展覧会だし、先日上海で見た中国の書より、やはり僕は好きである。
帰りは松本からアズサで新宿に。車中駅で買った小阪修平の『思想としての全共闘世代』を読む。

避暑地で勉強

8月18日
今回の飯綱は家族そろって避暑地で勉強というコンセプト。飯綱山荘には日建がコンペなどやる時の合宿ができるように、40畳くらいの勉強部屋がある。僕は論文、かみさんはレクチャーの資料まとめ、娘は宿題。と皆それぞれに勝手きままに好きなことをする。本当は軽い登山をしたかったのだが、娘の友人の祖父がそばの別荘で小熊を見たというのでビビッテ登山は中止。その代わり夕方三人で散歩。音の無い林の中を歩くのは爽快である。
来る時東京駅で買った『オシムの言葉』を読んだ。指導者たるものこうなんだなあといろいろと反省中。

飯綱山荘へ

8月17日
12時のアサマで長野に、今回は大学ではなく飯綱の日建の山荘へ家族と共に向かう。僕も休暇である。娘の友人家族が近くの別荘に来ており彼らとしばしテニス。30分でもうへとへとである。山荘にもどりラウンジでくつろいでいると声を掛けてきたやつがいる。おおなんとサトケンではないか。その昔の後輩である。今では9月に竣工する名古屋駅前の超高層の設計者。キャナルの図面に色を塗らせていた15年くらい前のことが昨日のように蘇る。彼は三つ子の父。1歳の頃会ったことがある三つ子が登場した。なんとも愛らしい。もう6つ。女、男、女の三卵性の三つ子である。うちの娘の後ろをずーと着いて回って遊んでいる。

August 16, 2006

ジェンクスの味

ジェンクスのポストモダニズムの建築言語を読み返した。彼はメタフォリカルな建築を称揚するのだが、メタフォリカルなものは結局生物的なものが多い。すなわち有機的な形はイメージ喚起力があると言う。一方でモダニズムの建築に死刑宣告するのだが、それらは幾何学的で無機的な直線直角建築であるという。
もちろんジェンクスは形それ自体よりその意味を語るのだが結果的には直線を嫌い、曲線に期待を寄せている。それはジェンクスが明示しているわけではないけれど、意味が豊富なものは自然のものに多く、自然のものは直線が少ないからである。ジェンクスにはちょっと飽き飽きしていたけれど、こう言う風に解釈し直すと少し味が出てくる。
今日は神宮の花火大会があり四谷周辺には浴衣姿の女性が多くいた。台風接近だったがなんとか打ち上げられたようである。9時頃には最終の連続打ち上げがまるで雷のように鳴り響いていた。

August 15, 2006

お盆二日目

今日もお盆休みのスタッフが多くて事務所はがらんどうである。電話もかかってこないしシーンとしている。皆思い思いの仕事をしている。僕は図説世界建築史を斜め読む。この全集は全部で16巻くらいある。定価は一冊12000円くらいする。著者も翻訳者も超一流である。写真が今一だが、僕の知っている建築史の本では最も充実していると思う。去年ネットの古本で全部かき集めた。この手の本はザーッと一気に目を通すと映画を見ているように目に焼きつく。
巨大建築の歴史を調べているのだが、やはりクフのピラミッドは大きい。容積は257万5千㎥。これに匹敵する建物はワールドトレードセンター。しかし一本では165万㎥でピラミッドには追いつかない。2本でやっと追い越せる。単体の建物ではピラミッドがやはり世界一だろうか?

August 14, 2006

お盆初日

お盆のまっただ中。事務所も4名休暇中で閑散としている。外は地獄だが事務所内は冷蔵庫。特に僕の席は冷風直撃。明日はカーディガンを羽織っていこう。
朝から論文打ち。午後は工務店探し。jtをめくっては城南川崎地区で良さそうなところを探す。規模や構造が近ければ設計者にメールして紹介いただくわけだ。先ほどミリグラムの打海さんから返事が来た。ありがたいことだ。しかしその業者はちょっと遠いのであまり勧められないとのこと。残念。
夕方ナカジと打ち合わせ。
事務所からプロジェクタを持って帰宅。かみさんが稽古の時にパワポを使ってレクチャするとのこと。一昨年早稲田でレクチャした時のパワポを二人で眺める。懐かしい。パワポは僕が作った。信大のインタビュー用のパワポやら上さんのレクチャのパワポやらあの頃はあんなに忙しかったのに体はびくともしなかったのにこのごろはどうも精神的なプレッシャーがかかって疲れる。

August 13, 2006

疲労

早朝事務所で仕事、見積書見たり、いろいろ事務処理。
最近異様に体調が悪い。その一 持病再発、 そのニ 急に腰痛、 その三 力が出ない、なんということだろう。
昼前に国博でプライスコレクションを見る。今日はひどく暑い。見終わって休憩室で休む。帰る元気が出ない。国博から上野まで歩く間に数度木陰で休む。普段じゃあり得ない。やっと駅につき電車に乗るが、電車の中で立っている元気がない。四谷から炎天下家まで歩く気が出ない。なんということだろう。帰宅後昼をとりぐたっと床に寝そべる。
体に鞭打ち2時からのA0の勉強会。やっと今後の方針決定でジェフリースコットを読むことにする。1914年に何故こんな本が書かれたのかは興味深い。皆と話していたら少し元気が出たが、帰宅後また力が出なくなりベッドに横になる。

August 12, 2006

バーベキュー、、、

リーテム東京工場のバーベキュー大会に呼ばれ、信大のインターンシップの宮尾さんを見学がてら連れて行く。久々にバスに揺られ城南島に。彰良副社長、や小さんなどこの間の上海出張メンバーに会う。先日上海で1400万元を提示していた会社に1000万元の指値をしたら先日980万元の見積がメールされてきた。バナナじゃあるまいし1週間で400万元何もしないで下がるなんてありうるだろうか?いい加減んなものだ。今日副社長に会ったら、あそこは使わないよと言う。そりゃそうだ、そんなところ信頼できない。
1時半頃工場を出て浜松町に、そこの本屋で建築東京マップを学生に買わせ、僕は広尾の図書館に行く。学生時代以来である。佐々木宏の『インターナショナル・スタイルの研究』を読んでみたくやって来た。買うには少し高い本である。インターナショナルスタイルという名を何故つけたか知りたかったのだが、これを読むと、どうもグロピウスの『国際建築』をヒッチコックが読んでいたのではと買いてある。帰宅後『国際建築』を読んでみる。
建築は個人的なものであると同時に人類的で(科学的な普遍的真実へ向かうべきで)あると力説されている。なるほど、やはりここにも科学への憧憬があるようだ。
夕刻今村君と会い、フォーティーを日本に呼ぶという話をする予定だったが急遽クライアントに呼ばれキャンセル。ごめんなさい、また今度。

August 11, 2006

設計士の役割

昔のクライアントが自邸の隣の空き地に建物が建ち始めたと電話をしてきた。いろいろ聞いていみると、建物がかなり近くに建つようである。敷地境界から30センチである。「民法上は50センチ以上ということなので裁判で争う気なら文句は言えるよ」と言うと、知っている人だからそういう争いはしたくないという。更にいろいろ聞いてみると工務店が説明に来たが、前に来た時は図面も見せず、今回着工してやっと図面を見せるのはずるいと言う。「いや工務店は図面を見せる義務はないのでむしろクライアントへの守秘義務上やたら図面なんて見せられるものではないのだよ」と説明する。
建築関係の職能倫理はこう言うとき難しいものがある。僕等は公共性を持って社会的な視点を持たなければならないこともあるが、一方で厳然とオーナーコンサルという部分を持っている。そこではオーナーの利益を損ねるわけにはいかない。まあ建築に限らず発注業務はどの業界でも同様な倫理的矛盾に直面するのだろうが。

August 10, 2006

湿気

軽井沢出張。去年竣工した別荘の検査である。床下の湿気がひどいという話。行きのタクシーの中でナカジとそんな話をしてたら、タクシーの運転手さんがこう言う「このあたりじゃ何やったってだめだよ。防湿シート、床下換気扇、炭、どれも効かない。半年もすれば畳はかびる。除湿機入れないとだめだよ。群馬から湿気た空気が流れてくる」。現場について管理をしている長岡さんがこう言う「軽井沢は突如ガスる。自分の家も除湿機3台フル稼働」。湿気が多いとは聞いていたが、、、、、。床下もぐり写真撮ること2時間。今日は湿度60%、気温26度程度。確かに大引きが結露している。やはり換気扇をつけるか???長岡さんに聞くと「やらないよりまし」という答え。
帰りの新幹線は混んでいる。事務所にもどり作戦会議。今年はいろいろと建築の基本性能を再度勉強中というところである。

August 9, 2006

明け方の大雨は寝ていて余り気がつかなかったが、某住宅に雨水浸入。夕刻電話を受ける。駆けつけてみるとどうも犯人は排気口のガラリ、よこなぐりの雨のためガラリが効いていなかった。雨は横からも下からも降るというのは鉄則か。今年は本当に水に呪われている。
信大の宮尾さんがオープンデスクで今日からofdaで働いている。伊藤君の住宅の模型作り。2週間頑張れ。明日は軽井沢にこれも床下の検査。

August 8, 2006

台風参上

だいぶ前から梅雨明けのこの時期を狙って防水工事の補修をしようと決めていたのに、台風が来た。悪いことは起こるというのはマーフィーの法則だったか?呪われている。
そういうことにいちいちイライラしないと思っていても体は正直でまた持病再発である。
台風シーズンにかからないように今年から1週間早く設定された娘の林間学校は今日から。早朝元気よく出かけたがまあ可愛そうに連日宿の中だろうか?
気を取り直して論文と睨めっこ。いろいろと考えてみると無理のある論理だという部分も多い。しかし多きなメスは今のところ不要。とにかくひたすら打つ。まるで野球選手のトレーニングのようだ。確かにこう言うのは集中力と根気でバッティングの素振りのようなものかもしれない。王選手とか学者にしても一流になれるような気がする。
そう言えばエクスノレッジの藤森特集が届く。僕も100字ほど寄稿。

考えよ

暑い一日。大学院の入試面接。終って院生のゼミ。彼等はあれもこれもといろいろ手を伸ばしている。それはそれで結構なことだが、自分のストーリーがどっかに行ってしまっている。何をしようとしているのかを常に念頭においていないと勉強していることが位置づかない。とりあえず、ここまでの作業を目次立てしてまとめるよう指示をする。「僕等の頃は」というフレーズは禁句だけれども言いたくなる。あの頃は教師をうんと言わせるまで自説を説明した。うんと言わないなら何故うんと言わないのか食って掛かった覚えもある。そこまで自説に対して(過剰に)自信を持っていた。今から思えば本当に迷惑かけたと思う。しかし自説には考え抜いた上での自信があった。それに比べると彼等は常に宙を彷徨うように不安だらけである。その不安は僕から言わせれば考えが足りないからにしか見えない。準備不足なのである。

『クライマーズ・ハイ』まだ途中だけれど、久しぶりに心動かされる小説である。彼等ブンヤも考え抜いた確信で行動している。

August 6, 2006

ゼミ

午後のアサマで大学へ。1年生の建物スケッチが100人分届いている。封を切るのに時間がかかる。数枚上手なスケッチがあり嬉しくなる。夏休みだがコンペのゼミと卒論のゼミ。あっちもこっちも少し休みボケかもしれない。なかなか先が見えない。論理を展開し設計につなげるというのは確かに容易なことではない。そうだよなあ。そうは思う。でもそこをつなげる頭が欲しい。
アサマの車中『クライマーズ・ハイ』という本を読んでいた。ブンヤの話だが、友人の記者の気持ちがよく分かるものである。

フェールセーフ

突如夏になった日本。ビール業界もプール業界もほっとしたことだろう。しかしプールでは悲惨な事故があった。流れるプールの吸水口に子供が吸い込まれ死亡した。吸水口の前のステンレスの柵がとれてしまっていたのが原因だが、僕なら吸水口の大きさをもっと小さくして数を増やす設計にしたと思う。柵は取れるものだと考えるべき。取れても最悪の事態はおこらないというのがフェ-ルセーフの設計。
もちろんそういう設計は機械の能力を上げるためコストアップに繋がる。コストをあげれば何でもできると逆に批判されそうだが、人の命には代えられない。建築の設計はひとごとではない。命を預かっているという使命と責任を持たなければいけない。

August 4, 2006

東京も暑い

昼ごろの中国東方航空で成田に向かう。機中クライアントとどのようにどの会社を選べば、時間、コスト、質が担保できるのか?その作戦を考える。定刻に成田に到着。東京も成田同様かなり暑い。リムジンの中で上海で買った上海住宅の変遷を読む。英語なのでこれは読める。30年代までの租界地の伝統や中国古来の伝統住宅の中にモダンハウスがどのように取り込まれてきたかが示されている。面白い本である。事務所に戻り、不在中の報告打ち合わせ。今日の補修工事、見積査定の進捗を聞く。

August 3, 2006

上海いろいろ

今日も朝から三社と面接。その内一社の作った建物が敷地のそばにあるということで急遽案内して貰うことにする。こちらの建物は4万平米クラスの建物でも、コンクリートの柱梁の間の壁をレンガで埋めてその上にモルタルペンキやら薄っぺらい金属板をビス止めしたりしている。一年たった建物を見ると見るも無残な状態になっている。これでいいの?という感じである。その会社は今のところ一番安い見積を出しているのだが、建物を見て納得した。
それにしても上海の建物の汚れはひどい。1年で薄汚れる。理由を考えているのだが、ほこりが多いこと以外どうも決定的な理由が見つからない。ディテールの問題ではない。壁全体が汚かったり、パネルの真ん中が薄汚れていたりする。日本ならディテールが悪ければ軒の周りとか窓の水切りの両側とか汚れるところは大体想像できるのだが、それではないのである。
夕食後日建のロー君、ロー君の坂本研の同級生でこちらで事務所を開いている藤岡君、東海大の岩岡研から藤岡君の所にアルバイトに来ている磯山君とナカジで今クールなバーレストランで一杯。ロー君の計画面積は既に100万平米を超え、藤岡君の仕事はリニューアルとはいえ100億の工事費スタッフは既に10人。中国には仕事が転がっている。

August 2, 2006

面接

東京と同様朝は早く目が覚める。そして出張の常として朝から食欲がある。9時の会議の前に一仕事、ワープロと睨めっこ。そして9時から一社、10時半から一社、午後1時半から一社。三社の面接。中国には日本のゼネコンのようなものはなく、あるのは各種工事会社を束ねる工程管理会社があるだけである。面接だけで全てが分かるわけではないが、感触はつかめる。明日も三社と面接し方向性を決めていかなければならない。暗闇を手探りであるくようなものである。
午後の面接の後夕食まで時間があるのでぶらりと町にでる。上海博物館に地下鉄で行ってみる。中国の古代青銅器やら陶磁器などは東京の国博で少し見たのと歴史の教科書で目にした程度。しかし大方そのイメージは頭にあるからたいしたことはないとたかをくくっていたがどうしてどうして、膨大な量がクロノロジカルに並んでいるのをザーッと見るというのは、ばらばらのイメージが歴史の棚の中に秩序だって並んでいくような快感がある。こんな量と質はやはり本場でなければ得られない経験である。
その後ホテル近くの本屋に寄る。さすがに中国語ばかりだから面白くは無いのだが、建築書のコーナーにはa+uやdetailなどの中国語版があり値段も日本の半分であるのは面白い。

August 1, 2006

上海へ

1時50分の飛行機で上海へ。今回の飛行機はフルフラットになるシートだった。電動で椅子が化け物のようにいろいろ動く。しかし上昇安定飛行の後は、食事もとらずひたすらワープロたたいていたら着陸10分前。このフルフラットの快感を味わう前に着いてしまった。
プードンにはいつものようにルーちゃんが迎えに来ていてくれて市内に直行。浦東から浦西へ渡る橋のたもとに広がる広大な造船所と鉄工所の一帯は万博の会場になるとのこと。車から写真。そのあたりから見る市内はの風景は圧巻である。普通空港から市内にアプローチするとダウンタウンのあたりに高層ビルが集中してヤマのようなスカイラインができるものだが、上海は中央が無い。延々と続く高層ビルが城壁のように周囲を取り囲んでいる。万里の長城である。市内にはいり、花園飯店へ。今回は初めてクライアント副社長の彰良氏が同行。彼の好みで夕食は昔の洋館を改造したレストランに行く。旧くて床が傾いているような建物だが、一見の価値がある。庭がまたよく、白金の庭園美術館のようである。彼に連れられ食後は指圧。悲鳴が出るほど痛い。腰が悪いと言われたがストレスは腰に出るのだろうか?しかし余りの痛さにスポーツをしたような快感。こんばんはゆっくり眠れそうである。