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July 31, 2016

建築批評

とある有名な外国の美術館キュレーターの方とお会いしてお話した。その美術館では来年日本の建築展覧会を行うので情報収集しているとのことであった。
そこで制作論としてArchitecture as Frame and Reframeの話を最近できた作品集をもとにした。次に、受容論としての建築の規則、建築の条件の話をした。彼女はこの受容論に大変興味を示してくれた、日本には建築の理論がなく、建築チーフキュレーターに日本の建築理論にはこういうものがあると勧められるものが無いと言っていた。その中では大変興味深いという話をいただき嬉しく思った。こういうことを言われたのは2度目である。おそらく日本にも建築理論はあるのかもしれ無いが、発信されていないのである。あるいはどんどんプラクティカルになっているのである。でも建築はやはりロジックなのだと思う。だからこういう実践を評価してくれる人がいると本当に救われる。
建築の規則はアブストラクトを英語化できているが、建築の条件についても英語化を前提に書籍化を考えたいところである。

Time flies

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昨晩は友人家族の提案で娘の渡米を祝っていただいた。娘同士が小学校1年生の同級生でそこからのおつきあいである。ぼくは娘が小学校へ入学する少し前に日建をやめ新しい人生をスタートさせたので昨晩はそんな二つの記憶が重なりあって感慨深いものがあった。
娘の友人は財務省で働き始め、娘はNYCに旅立とうとしている。小学生の面影はもはやない。光陰矢の如しである。僕の独立してからの歩みもあっという間で最近できた作品集の30作品のうち29個がその短い時間の中でできたものだった。16年前にできた建築にたまに会うことがあるがもちろんそれらはそのころと変わらない。むしろエイジングしている。そしてさらに数十年すると人間がエイジングしてもしかすると建築の方が若くなっているかもしれない。

July 30, 2016

モンゴル帝国

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第一代皇帝チンギス・カンが1206年に即位し、それから約200年続くモンゴル帝国は歴史、地図を作り世界で最も広い範囲を領土としていたのだが、全く身近な存在ではないのは建築物が残っていないからではなかろうか?帝国読書は神聖ローマ帝国に始まり、モンゴルへ来たさが、地図見れば、神聖ローマ帝国はモンゴルの10分の1くらいである。それだけ統治の仕方が緩かったのだろうと想像もできる。

July 29, 2016

松の支え

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Pine Galleryの松の木がやや不安定なのでサポートが欲しいとクライアントから電話があり、素敵なサポートを考えて欲しいと言われた。さて素敵なサポートというのは???おそらくサポートなるものは本来はない方がいいのだろうから見えないサポートにしたいと思い。幹の高さ1.5mくらいのところに幹を保護しながらリングをはめて(黒っぽい金属で、できればリン酸処理した亜鉛メッキの輪がいいが)それにワイヤーを(これも黒っぽいのもがいいのだが)数十本つけて周囲の土にアンカーする。基礎がいるかどうかはこれから検討。絵ではわかりやすく白く書いてあるが、これがワイヤーか細い鉄筋くらいなら消えないだろうか?

July 28, 2016

緑本完成

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最初の作品集『フレームとしての建築』を6年前に出版した。6年経ちその間に10以上の建物が竣工し、フレームの一部をリフレームするという考え方が芽生、そんな建築が増えてきた。それを一度まとめておこうと思いたった。やっとできた。嬉しい!!!前回のは黄色本、今回は緑本。もうすぐアマゾンに登場します。値段は税込2、970円。

Preface to revised and enlarged Edition
Architecture as Frame and Reframe
This book, “Architecture as Frame and Reframe”, is the revised and enlarged
edition of “Architecture as Frame” published in 2010. The book contains 30 of
my works. 9 works including the works done when I was at Nikken Sekkei Ltd.,
those not have been built, competition proposals, and interior designs have been
dropped from the previous edition. Instead, 12 new works that were completed
between 2011 and 2016 have been added.
At the time the previous version was published, I began to form a fundamental
view on architecture: an impression of a piece of architecture is primarily made
under a strong influence from various elements around it, including plants,
passers-by, or weather outside, and the dwellers or pets inside, and a piece of
architecture is merely an open frame which frames these non-architectural
elements. The idea still hasn’t changed basically, but these days I am thinking that
the architecture itself has more potential.
It is evident in the four private homes and three homes for the abused children I
designed recently. In each building I deliberately designed a space or a structure
that gives strong and distinctive impressions so that the residents get a strong
impact to their senses whenever they pass by. A building as a whole is like a
frame, open to inside and outside, and various elements are interacting. The
space or the structure that stands out, which sits in between the rooms, is isolated
and independent from the other rooms, and acting as the center of gravity and the
spiritual core of the building. If an entire building is a frame, it is re-framing the
frame. Therefore, inside it is a reframed space. The common characteristic of the
reframed space is that it is the space for reflection, while the building itself is a
framed space that indicates openness.
For the time being, my design will be dictated by the consideration of a fine
balances between the potential of architecture itself and the influence of nonarchitectural
elements, and framing and re-framing.
増補改訂版への序
フレーム・リフレームとしての建築
本書Architecture as Frame and Reframe は2010 年に出版したArchitecture as
Frame の増補改訂版である。前書に掲載されていた作品のうち、日建設計時代の
作品、アンビルト、コンペ、インテリア9 作品を除き2010 年以降竣工した12 個
の建物を付加し全部で30 作品を掲載している。
ところで前著「Architecture as Frame」( フレームとしての建築) とは建築におけ
る、建築以外のもの、例えば建築外部の植物、人、空模様、あるいは建築内部のペッ
トや住人達に建築の雰囲気を作る大きな力があるように思い始め建築はそうした
建築以外の物を切り取るフレームのようなものではないかという仮説から上梓し
た本であった。その考えは今でも基本的には変わらないが、最近建築それ自体にも、
もう少し力があるのではないかと思うようになった。というのも最近設計した4
つの住宅や3つの児童養護施設においてどの建物にも部屋と部屋の間にかなり強
い印象を持った性格のはっきりした空間や構造体を挿入し、印象の強弱を作り部
屋の移動時にそれらを強く認識するようにデザインしているのである。建物全体
は内外部に開かれ多様な関係性を持ったフレームのようなものと考えているが、
建物内部の空間と空間の間にはある強い独立性を持った空間やモノを作りそれが
全体を引き締める、あるいは異なる箍(たが)をはめる効果を作ろうとしている。
つまり建築全体がフレームであるならばその中で再度強いフレーミングをしよう
としているのである。その意味でこれはリフレームされた空間と言えるであろう。
これらリフレームされた空間に共通することは建物全体コンセプトである「フレー
ムとしての建築」が外向きであるのに対して、内省的な場と言えるであろう。
これからしばらくは建築以外と建築自体、フレームとリフレームとのデュアルな
力のバランスに建築を載せていきたいと考えている。

July 26, 2016

イギリス帝国

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帝国に関する読書第二弾は秋田茂『イギリス帝国の歴史−アジアから考える』中公新書2012を富士吉田への道中で読む。かつて世界の陸地の4分の1を占めていたイギリスと言われてもにわかにはピンとこないが確かに、カナダ、オーストラリア、インド、アフリカ南部、そして結構忘れがちなのがアメリカである。アメリカ東部はイギリスの流刑地だったのである。こうしてみるとアフリカ以外は全て訪れたことがあるのだが、果たしてイギリススタイルの建築がこれらの地に建てられていたのだろうか?もちろん本書からはわからないのだが、例えばアメリカのジョージアン様式はイギリスのスタイルに他ならない。カナダ、オーストラリア、インドは???それぞれの国の建築史をおさらいしてみたい。

July 25, 2016

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ちょっと前まで朝起きてストレッチしながらNHKワールドニュースを見ていたのだが最近はCNNをネットで見ている。9月までは月480円かかるが9月からは無料。また歩いていたり、研究室で周りがうるさいとRadio Americaというアプリを使ってBBC(どういうわけかアメリカのアプリだがイギリスの放送が聴ける)やアメリカのFM曲;ロサンゼルスのkiss fm とかchicago public radioなどを聞いている。本当にこの手のネットラジオは本当のラジオに比べてはるかに鮮明に聞こえるわけで便利である。

July 24, 2016

ソ連という帝国

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帝国に関する読書第一弾は佐藤優『自壊する帝国』新潮文庫2008である。この帝国とはソ連のことであり、しかもソ連が他国に侵略したという意味ではなくソ連という連邦が既に目に見えない宗主国(あえて言えばモスクワ)を中心に、ソ連邦を構成する共和国を属国化したという意味である。佐藤優は外交官ではあったが、7年以上ロシアにおり、とても普通の外交官では踏み込まない危険な一線を飛び越えた人のようである。読み応えがある。さてしかし、属帝国調査の目的は属国の建築が宗主国に同化したかどうかを見極めるためである。残念ながらこの本からはわからない。まずはバルト3国に行ってみるか?

July 23, 2016

富山

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大学の用事で富山へ。信大にいた頃は金沢によく来たが、富山は素通りだった。富山の駅舎がコンペになった時があり、西澤君、ナカジと出したが勝てなかった。駅の東西をつなぐことと、LTEの駅舎をつくることがじょうけんだった。コンペで勝った案の特徴はよくわからなったが駅前は気持ちのいい広場になっていた。LTEにのって一周して街をもいていたらウィーンを思い出した。

July 22, 2016

三年生の合評会

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三年生の製図合評会。ゲストはフェデリコ・レルネル。一昨日来日し今晩ホンコンに行くと言う過密スケジュールの合間に来てもらいレクチャー、クリティクをしてもらった。課題は水元公園の美術館。最終一等賞は比嘉スタジオのアーキペラーゴと題した、水上で動く美術館。比嘉さんの師匠長谷川逸子のコンセプトだね、そう言えば。

大学院の設計

FullSizeRender-27daigakuinndaigakuinn.jpg大学院製図の講評会。竹中さんと小西さんのご指導で今ピューテーショナルの構造設計の試み。六角形の追求提案が面白かった。これをもう一回ブラッシュアップすると良いものになりそうである。

July 20, 2016

帝国

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帝国主義が帝国を生み出すのは資本主義の原理である。しかし資本主義でもない国々が古来帝国となるのは人間の本能としての支配欲による。ということは人間は本来的に戦争をする運命にあるということである。しかしそれを抑制する倫理を持っているのが人間であるというのもまた事実である。
支配欲の帝国があり、帝国主義の帝国があり、昨今は国家を単位としない「帝国」があると言われている。これは経済的な帝国であり戦いをともなわないはずだが、未だに戦争が後をたたないのはなぜだろうか?それは帝国の原理ではない別の戦いの理屈があるということだろうか?
僕の興味は実は戦いの原理ではなく、宗主国は属国でどういう建築を作るかというところにある。属国の文化をそのままにするのか破壊するのかということである。ここには原理原則があり破壊し属国を宗主国のコピーとする方がが帝国は長持ちするのか?それとも放っておいて属国の地力の生命力を生かす方が長持ちするのか?その辺りが知りたいところである。

似非民主主義建築

先日早稲田出身の中堅の建築家とお話ししていたら、「似非民主主義建築」の潮流の中では早稲田の特色は出ないということを言っていた。なるほどそういえば早稲田の人と話してソーシャルなんて言う言葉を聞くことはない。しかし「今の若い人はこの似非民主主義に少々飽き飽きしていますよ」と言うとそれは嬉しいと言っていた。僕としては名前はともあれ、彼の言う「似非民主主義」が「他者性の建築」とするならば「主体性の建築」が同様に並走する状態が健全であると思う。どちらかが暴走するのは政治でも建築でもいいことではない。

プレディプロマ

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4年生の前期プレディプロマは最初の課題はプログラムを与えて敷地を探させ、後半課題は敷地を与えてプログラムを考えさせるトレーニングを試みた。後半課題の敷地は金町イトーヨーカドーの裏側の1.5haである。写真のS君の案は現イトーヨーカドーを駐車駐輪スペースとして前面道路のカオスのような混雑を緩和して、この敷地に商業施設と電車の見える広場を作ろうというもの。
考え方がまっとうで、ボリューム配置が十分なスタディーのもとに行われ、プラザの作り方に電車方向への広がりとうい確たるコンセプトがあり、ヴォリュームを建築へ作り上げるディテールのスタディがきちんとなされている。ステップバイステップで進化した優等生的な提案である。

ル・コルビュジエ

「坂牛。建築家として、ル・コルビュジエの建築の作品が世界遺産になった事に関して、FACEBOOKでコメントしてくれ。よかった、万歳報道ではわからない、プロのコメントが聞きたい」

友達からこんなメールをもらった。しかし僕も数十年前の卒業論文がル・コルビュジエについてだったくらいなので、ル・コルビュジエを客観的に見られる立場にない。また世界遺産の審査基準がどういうもの厳密にかわからないのでそれが妥当かどうかという質問にも答えられない。異国の世界遺産を見て、「嘘これが?」と思うものはよくある。でも僕が知らない目に見えない理由があるのだろうとあえて追求もしていない。またこの手のものに政治性が絡まないわけはない。

というわけでル・コルビュジエの複数の建物の世界遺産認定の妥当性について私にはそれを云々できない。

世界遺産ということを脇において、例えば、日本の中で20世紀に作られた建築物の中で国立西洋美術館の価値を日本の近代建築が成立していく上での一里塚として見るならば、その歴史的意義は確実に日本の中で10本の指に入るものと僕は思う。

もちろんル・コルビュジは世界の近代建築を完成に導いた建築家の中で、その言説と作品の意義から鑑み、その存在意義は5本の指に間違いなく数えられる。残り4人を挙げろと言われれば、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、アドルフ・ロース、アルバ・アアルトをあげることになろう。

July 17, 2016

白好き

IMG_1996uligurlhowaito.jpg午後コンクリートカルチャーの翻訳チーム辺見、呉、天内、と僕で集まり次の勉強本の相談をする。『アチューンメント』は建築の雰囲気を現象学的に分析する本。『建築の理解』は1年生の教科書に最適。ウィグリーの『ラジオ』はバックミンスターフラーのより詳細なモノグラフ。コロミーナの『戦時のドメスティシティ』は戦争が家庭性をより強化したという話。『小さいスケールと大きな変化』はmomaのカタログであり今のソーシャル建築のバイブル。そしてバンハムの『ロサンゼルス』はポップカルチャーを最初に評価したバンハムの真骨頂。という本を前にしてさて次はという議論の中で浮上したのは研究室においてきたウィグリーのWhite Walls, Designer Dresses: The Fashioning of Modern Architecture (MIT Press)
https://www.amazon.co.jp/White-Walls-Designer-Dresses-Architecture/dp/0262731452/ref=sr_1_7?ie=UTF8&qid=1468749140&sr=8-7&keywords=mark+wigley
というモダニズムの白を分析した本である。
僕が中国で「内の家」のスライドを見せたときにヴァージニア大学のリーシーチャオが黒いリビングルームが興味深い今時何でも白くするのにその逆だからだという。そしてその白についてウィグリーが書いているよと教えてくれのがこの本である。モダニズムの白はそもそも様式を脱ぎ捨てた色として建築に使われ始めたがその後それは着る色として今に至っているという。形式性重視の挙句に無視された色としての白ではなく、質料性重視の選ばれた色としての白が存在したということである。確かに無視されたから白が残るというのでは白好きの理由は説明できない。

July 16, 2016

懐かしい

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Wooly の出版記念パーティーで、菊池まことちゃんとそのお母さんと記念撮影。西小山のウェアハウスで、ミニコンサート、写真展と若い空気が、ながれていました。

July 15, 2016

ちゃぶ台引っくり返せ

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ジャック・アタリの派手な表紙の本タイトルは『ちゃぶ台返しのススメ−運命を変えるための5つのステップ』橘明美訳飛鳥新社2016(2012)。経済が停滞して政治が腐敗して市民は受け身で文句ばかり言う。こういうときこそ自ら問題にたち向かう人間になるチャンスであるとアタリは言う。そんな人生を自分らしく生きるための5つのステップとは。
① 自分を疎外する要因を明らかにする
(僕の場合、建築の質の劣化、教育の反応の劣化、自らの能力の後退)
② 生きる上で大事にしたい5つのことを書き出してみる
(僕の場合人生のノマド化、仕事の脱労働化、教育の脱典型化、集団への非帰属化)
③ 人を頼らない
④ 自らの唯一性を自覚する
⑤ 何をするかを決定する

さて何をするか?

July 14, 2016

近代性と家庭性

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1月に中国で行った二つのレクチャーを原稿にして送る締め切りが7月末。日本における建築の男女性の系譜をパワポを見ながら書いているとどうもレクチャーした時の内容が心もとななくなり再度そのレクチャーで大いに参考にしたヒルデ・ハイネン(Hilde Heynen)の近代性と家庭性—緊張と矛盾(Mmodernity and domesticity Tensions and contradicitions)を読み返した。この論考の趣旨は次のようなものである。
19世紀イギリスビクトリア朝時代のイギリスをはじめヨーロッパの家においては、それ以前まで家族以外にも多くの血の繋がらない仕事上の弟子やお手伝いさんなどが住んでいたのとは異なり、家族が水入らずで住むようになった。また産業革命の進展は家庭と職場を分離し、父は職場で稼ぎ、母は家庭で家族を管理するという役割分担ができた。よって家庭というものが母の愛情で包まれたもの(domesticity)となった。これは女性的なものとされる。

ところが19世紀の終わりころ、そういう家庭性の中で育った子供が職場世界で通用するか父は不安になり、加えてモダニズムという新たな社会の潮流が起こり、過去との断絶のもとに新しい世界を求める風潮の中でこの家庭性が崩壊し加えて建築デザイン的にも愛に包まれた家庭的な空気を排除する傾向が生まれた。これは一般には男性的なものとされる。

再度、しかし、19世紀の家庭性=女性性というのは19世紀の女性の役割というジェンダーであり、20性の女性性は変化してかつての男性性と=になった。ここに置いて職場=男性、家庭=女性という等式は意味を持たず、むしろモダニティの主題としての女性というものが登場してきた。そして家庭性という概念が希薄化してきた。

July 13, 2016

都市装飾としてのマネキン

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20世紀初頭のアールヌーヴォーがすたれ、その次を担うアートを模索するために生まれた展覧会の一つがサロン・ドートンヌ(1903初回開催)。それはキュビズム、フォービズムの誕生の場として有名だが、1922年には「都市芸術部門」が創設された。オースマンのパリがさらに近代化されるにあたり無味乾燥なオースマンのパリを装飾された華やかなものにするのが目的だった。そこで重視されたのが都市装飾としてのブティックでありショーウィンドーである。そしてそのショーウィンドーを飾るオブジェとして注目を集めたのは、服はもとより、マネキンだそうである。マネキンは一時蝋人形のように本物に肉薄することをよしとしたが、それでは主役である服が映えないのである時から徹底した抽象化に進んだそうである。(徳井淑子、他『フランスモード史への招待』悠書館2016)

July 12, 2016

すごい本

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紀伊国屋じんぶん大賞という賞があって2016年の1位に輝いたのがこの岸政彦の『断片的なものの社会学』。この賞ウェッブサイトを見るとなんと30位までランク付けされていて。選んでいるのは店長さんたちのようである。さらにこの本の帯がまたすごくて上野千鶴子、高橋源一郎が推薦の言葉を書いていて、佐々木敦、千葉雅也が絶賛と褒め称えている。こんなすごい本見たことない。こういうのに限って大したことないよくある、それこそ断片的なエッセイ集なのだろうと思って読んだら、この賞と帯に価するということが分かった。その理由の一つはこの大学の先生の学生時代の数年の日雇い経験、不妊症の治療の末に子供ができない境遇、そして独特の感性と文体なのだろうと思った。あまり関係のなさそうに見えるいくつかの事象をアナロジカルに平行に書き、読み手の想像力でそれらを繋ぎ留めさせる筆力。平易な文体でエキセントリックな聞き取りを披露する力である。面白い。お勧めである。

ファッションを変えたのは

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横田尚美『20世紀からのファッション史−リバイバルとリスタイル』原書房2012は成実弘至『20世紀のファッション文化史』河出書房新社2007と類似するテーマの本だが、後者がデザイナー別の章立てなのに対して、事柄で章立てている。面白かったのは20世紀ファッションの流れを変えたのは戦争、エキゾシズム、リバイバルという認識である。

例えば20世紀初頭にコルセットの呪縛から解き放たれた要素は3つあって、着物などの東洋の服のゆったり感の影響(エキゾチシズム)。二つ目は古代ギリシアローマの緩い服の再考(リバイバル)。三つ目は戦争に人が駆り出されたことでメイドがいなくなり人手を借りないと着られないような服は望まれなくなったということである(戦争)。またアメリカの消費文化で一躍名をあげたマッカーデルのジーンズ生地のドレスは普通の服を作る物資不足から考案されたものでもあるなどなど。さてこのリバイバリズムだが20世紀初頭はローマなどのはるか昔を省みたが、今では10年前のリバイバルというようなことがよく怒っている。つまりリバイバルのインターバルが短くなってきているというのである。

こうした傾向は建築にも同様にあてはまる。20世紀建築の流れを変えたのはエキゾチシズム(異文化の影響)、リバイバリズム(新古典主義、90年代のモダニズムリバイバル)、戦争(ファシズムデザイン、機能主義)。といえば言い過ぎか?

July 11, 2016

目地は見せる

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今日来ていたTシャツはグレーと白の幅の違う3種類のボーダーの生地が19パーツに分かれていてそれが縫い合わされている。森永さん独特のパッチワークデザインである。建築的に言えば異常に目地の多い、目地デザインの建物である。ハリーウィーズの設計したアメリカ大使館宿舎なんかそれに相当する。目地は普通細くしたいものだが、あの建物は必要に迫られたというのもあろうが、そうなったら見せるというデザインである。

July 10, 2016

家か士か師か

私の大辞泉によると、「家」とつく職業は「そのことに従事している人であることを表す」。例として噺家、革命家、芸術家が挙げられている。一方「士」がつく場合は「一定の資格・職業の人」で弁護士、イエズス会士が例示されている。また「師」がつく職業もありこれは」技術・技芸などを表す語について、その技術の専門家であること表す」とあり例として「医師」「理髪師」などが挙がっている。その技術の専門家はすなわちその資格を持っているようなものだから士でもいいと思うのだがそうはなっていない。

上記例以外にも家だったら書家、建築家、(身近なところで)、士だと会計士、税理士、技術士、師なら薬剤師などあり建築家も資格で言う時は一級建築士となる。こうしてみると士と家の違いは、士や師は技術や資格が前面に出る特殊技能であり間違いが許されない厳格な内容の職能である。かたや家の仕事は生活がそのまま仕事であり、特殊技能ではなくその人の信念と感性によってどうにでも変化しその良し悪しは一義的に判断できるようなものではない場合が多い(ように思う)。職業に貴賎はないのでどちらが上、下ということは全くない。ただ期せずして、そういう差がありそうだということである。
そうしてみると私の父は革命できなかった革命家であり母は薬剤に触ったこともない(だろう)薬剤師であり私は建築家であり建築士、配偶者は書家、兄はエンジニアだったが営業に変わり家でも士でもない人になった。僕の職能だけ家と士の双方の職責が課されているというのが面白い。こういうプロフェッションは世の中に他にあるのだろうか。二枚舌で生きろということであろうか?家だけの人、士、師だけの人、何もない人が少々羨ましい。

参議院議員へ

早朝に選挙に行った。参議院はThe House of Councilors(評議員:重要案件の相談、確認者)で衆議院のThe House of Representatives(代議員:投票者の代理、代表)とは違いそれを意識して投票せよとテレビで言っているが現状の制度のままで投票者にそれを求めるのは酷である。そう言われていろいろ考えたがだから投票者が変わるかというと僕の場合は少なくとも変わらない。つまりこの選挙が衆議院であろうと投票者が選ぶ人間は一番信頼できる人になる(と僕には思える)。しかし選ばれた人がすべきことは衆議院とは異なる。仮に現与党が大躍進をしたとしても衆議院と一体となって暴政を進めるのが参議院ではないのである。当選者は心して欲しい。

世界の大学学年歴

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僕は手作りの手帳を使っている。カレンダーとノートが一体となっているノート(カレンダー?手帳?)が欲しいのだがそういうものがないので普通のノートの最後の方に自分でカレンダーを作っている。だいたい10ヶ月分くらい作るのだが、ノート自体は8ヶ月くらいで使い切ってしまうのでその頃に新しいノートに更新する。更新するときに古いノートから新しいノートに引き継ぐ内容があって、それらはコピーをとって新しいノートに切り貼る。そういう情報の一つでとても大事なものがこれである。今付き合っている世界の大学の学年歴である。一年間いつが休みでいつセミスターが始まるかが書かれている。こういうことをパッと作れるアプリがあったら売れると思うのだが。
必要な大学をチョイスすると自動的にこういう表になると実に便利である。この表には上からウィーン工科大学(オーストリア)、パレルモ大学(アルゼンチン)、カタルーニャ工科大学(スペイン)、オールボー大学(デンマーク)、理科大(東京)、ニューヨーク州立大学(アメリカ)というわけである。これがあると双方の様々な交換、国際会議の企画をしたりするのに便利である。というかこういうものがないと何もできない。

July 9, 2016

トゥオンブリーのボケ写真

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その中で学芸員の前田希世子さんはこう書いている。トゥオンブリーのドローイングが暗闇の中で視覚を捨象した状態で描いていたことからロラン・バルトが盲目性ということばで彼のドローイングを形容していた。彼が写真を撮り始めたのは写真にも撮った瞬間はわからない盲目性があることに気がついていたからだという。さらに80年代の彼の写真はクローズアップで輪郭線はボケているこの近視眼的な距離感はかれのドローイングが鉛筆(画面に近づかないと描けない)を使用することと関連するという。されにトゥオンブリー写真はポライドをカラーコピー機で拡大することで作者の意図を超越している。前田はそれを「目からの専制を逃れ、・・光によってもののディテールと色が消し去られ、世界の手触りだけが残されている」と表現している。

競争すること

万民を相手にする一律の競争原理であるネオリベラリズムの主張に与する気はないが、ある土俵に乗った人々が競争するのは当然である。その昔日建設計が一律平等な呑気で平和な時代に競争原理を導入することを組合として提案した。考えてみればやることがあべこべでそういうことは経営側がすることだったかもしれないが日建の組合というのは経営をするというのが昔からの習わしである。またあるレベルの高等教育も競争原理の上に成り立っているのも当然である。そこまで来られる社会的条件を得た人間たちの集合なのだから。切磋琢磨しない教育に向上はない。だから大学では意識的に順位をつけている。1と2と3の間に厳密な差はないのだが、社会ではごく当たり前に1と2を識別する。ある建物の設計者は1がやるのであって1と2と共同することはないのである。まして10や11に順番がまわることは絶対にない。1でなければ仕事がないのである。
2番じゃダメかと言っていた国会議員がいたが、建築の世界ではダメなのである。だから学生時代から1をとる癖をつけておかないと設計者になる人は浮かばれない。しんどい仕事である。

July 8, 2016

建築は大変だ

建築意匠は未だに前近代的な職人芸的なところがある。大学の成績が良いことと建築家としてうまく行くことにはまったく相関関係はない。

私立大学の研究室は4年生だけで20人近い。その20人がいくら自分の研究室を志望してきたとしても全員ピュアに建築家を目指そうとしているとは思えない。いやもちろん志望するならそれに越したことはないがそうは見えない。いや全員志望してなれるものでもないだろうからこのことが悲劇を生むということでもなければ教育に欠陥があるとも思わない。しかしもちろんその何割かは建築家を目指すのであろう。そして目指すのであればそういう人間は肝に銘じるべきである。人生の時間をどれだけ建築に傾けるかで将来は決まる。建築が職人芸的であるということはそういうことである。音楽やスポーツとなんら変わらない。音楽は1日何時間練習するかで一生が決まる。スポーツは一日中練習していたら体が壊れるけれど、食べることから遊ぶことまでスポーツ中心に生活を動かさない人間は一流にはなれない。建築もまったくそうである。
1日のすべての時間は建築中心に動くのである。世界に羽ばたきたければ語学を毎日勉強せよ。世界の動向を知りたければ世界の本を読め。毎日1時間スケッチを描け。友と議論せよ。必要な美術展はすべて見る。反省せよ。どれだけそういう努力を惜しんでいないか?そしてそうでないのであれば今すぐに生活を改めよ。即座にその気にならないなら即座に違う職業を探せ。建築家を目指すなんてやめたほうがいい。時間の無駄である。建築家以外にも建築の仕事はいろいろある。
藤村龍至さんが大学1年の時に教授にこのクラスで建築家になれる人間は一人もいないだろうと言われて奮起したと言っていたが僕も同様なことを言われた記憶がある。それは嫌味ではなく確率的にそんなものである。だから大変なのである。努力できる人がやる仕事なのである。建築とは。

今時、美術館課題

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3年生の製図。課題は美術館。信大から考えても、美術館を課題にするのは初めて。今まで
どこかで社会性を課題設定の重要項目にしてきたが、そレだけでは教育が片寄ると反省。空間の美しさ、形の楽しさと向き合える課題とした。その期待に応えて欲しい。

July 7, 2016

レイモンド・カヴァーのダーティーリアリズム

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グランタのダーティーリアリズム特集vol.8のブフォードによるイントロを読んでいたら、そういう傾向を持つ70年代後半から80年代のアメリカ文学の一つの潮流がミニマリズムで、不要な表現を削ぎ落としたシンプルな文体を特徴としていることが書かれている。そしてその代表選手がレイモンド・カヴァーであることを知った。そもそもアメリカ文学など興味もなかったがカヴァーは村上春樹が昔から翻訳していたのは知っていた。そこでカヴァーを読んでみると村上がカヴァーの文体に影響されているのだろうことが推測される。
カヴァーのこの短編集では日常の中に暴力、不倫、ドラックがさらりと表現されているのだが、村上もそういうところがある。
ブフォードによればカヴァーはダーティーリアリズムの代表選手の一人である。とするなら村上もそうだということなのだろうか??村上のデビューとカヴァーのそれはほぼ同時期だし。

July 6, 2016

Luisa Lambriのバルセロナパビリオン

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Luisa Lambri が2004年にメニルコレクションで行われたLoccationと題する展覧会のカタログを見直していた。彼女の視覚が部分から始まるものであり、形の全体ゲシュタルトを捉えようとせず、少々視点を変えて起こるその部分の変化、光が変わることで起こるその部分の変化を見ようとしている。
鈴木理策もそんな見方をする時がある。

気を付けないと日本からもなくなってしまう

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私の研究室にいるグアテマラからの文部省給費留学生のルイスと昨日御茶ノ水でばったり会って大学までずーっと吉祥寺の話をした。彼は日本に来て外語大で日本語を半年学ばなければならなかったので理科大からはかなり遠いが外語大に近い吉祥寺に住み始めた。そして中央線が気に入って修士論文も駅を核とした街の発展の歴史を調べている。そんな彼の吉祥寺のお気に入りの場所はハーモニカ横丁であり、吉祥寺に限らず○○横丁を色々と知っている。おそらくこの横丁というようなかなりインフォーマルな場の形成は西欧文化には生まれなかったものだろう(アジアには色々と見られる)。
言うまでもなくこうした路地的、横丁空間は近代都市計画で相手にされなかった過去の遺物であるものの、50年代にジェイン・ジェイコブズが再評価した空間でもある。小さい街区、多様性、密度、多用途という有名な4つのテーゼをすべて実現しているわけではないが多くが具現化されているのが横丁である。
『ジェイン・ジェイコブズの世界1916-2006』別冊環22、藤原書店2016で佐藤慈教授が「モクミツから学んだこと」と題して書いているが、ジェイコブズの言う空間は日本には(東京には)たくさんあると過信していたらあっという間になくなってきていると警鐘を鳴らしている。東京の横丁がどうしたらそのクオリティを維持しながら脱皮していけるのか。これからの東京のとても重要な問題である。

July 5, 2016

デザイン・クリティーク

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デザインクリティークをする時に行ってはいけないことが二つあって一つは直感的に反応すること。もう一つは自分の案を押し付け指示すること。
するべきはクリティカルシンキング(批判的思考)。その要諦は以下三つ。
①批評が対象のどの部分について語っているのか、
②批評がそのデザインの目的とどう関係しているか
③批評が目的接近にどう貢献するか
を明示すること。
(アーロン・イリザリー、アダム・コナー 安藤貴子訳『みんなではじめるデザイン批評—目的達成のためのコラボレーション&コミュニケーション改善ガイド』ピー・エヌ・エス新社2016)

July 4, 2016

ダーティーリアリズム

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「ダーティ・リアリズム」という呼称は、イギリスの文芸誌『グランタ』上で編集者のビル・ブフォード(1954-)が80年代後半のアメリカ文学をめぐる若い世代の運動を説明するために用いたものである。この新たな文学運動においては未婚の母、麻薬中毒、泥棒、スリなど資本主義の暗部が活写された。そうした表現の形容詞として生まれた「ダーティ・リアリズム」を建築の表現に見出して批評の言葉として使い始めたのもまた「批判的地域主義」という呼称を生んだツォーニスとルフェーヴルである。

grannta 手に入れた初版は1983年である。

July 3, 2016

意匠論の帰りに

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細々と続けている意匠論会議。関西からも田路さん朽木さんがこられ、関東からは奥山さんをはじめ、能作、塩崎、山村、天内さんたちが集まり本当に内容の濃い議論が生まれ楽しかった。帰りがけ四谷の駅に犬が二匹。主人が出てくるのを待っていた。

July 2, 2016

地域アート

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藤田直哉の「前衛のゾンビたち−地域アートの諸問題」2014年『すばる』初出(『地域アート−美学 制度 日本』堀内出版2016所収)をやっと読んだ。加えてその周辺の議論を読んでみて藤田氏の話題の本論考の意図に共感するに至る。そしてこれはアートのみならず建築にも相当部分当てはまる議論だろうと思わざるを得ないと感じた。
本論考の趣旨はこうである。現代地域アートという名で妻有、瀬戸内海などで行われている地方芸術祭が国の地方起こしの政策や、芸術系大学における指導にも導かれながら行われている。しかしそれらを語る理論は68年のそれであり、あたかも前衛たちがゾンビのごとく蘇り、しかし前衛が持っていた未知の世界の開示や拡張の感覚がここにはなく、ただただ国策の一環であるかのような「地域活性化」に奉仕してしまって閉じてしまっていることを批判的に指摘するものである。
藤田は会田誠との対談においては大学の教育の問題もあげている。あたかも地方アートの姿が正常で、資本主義社会で売り買いされる高額アートは商売でありアートではないという指導がまたアートを閉塞化させているというものである。
建築も似た状況である。社会性がなければ建築ではないというオブセッションに取り憑かれた学生は藤田のいう未知の世界の開示や拡張の感覚を完全に忘れてしまったし、もしかすると最初からその存在を知らされていない。出口を考えてそれにあった教育をと思うのは当然だが、建築の本当の喜びと、建築に求められているものは実は藤田の指摘する「未知」にもあるのである。僕らは堂々とその喜びを学生に伝えてやるべきなのである。
あきらかに僕らが学生時代、磯崎や篠原の建築を見に行って固唾を飲んだあの喜びと興奮を今の学生には知らせることができていない。これは教員の落ち度である。

July 1, 2016

雰囲気の美学建築版があった

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辺見が進めてくれた次の本が届いた。アルベルト・ペレス=ゴメスの『ATTUNMENT ---Architectural Meaning After the Crisis of Modern Science』MIT Press 2016出来立てほやほやの本でアマゾンアメリカでは5星がついている。この本の醍醐味は昨今の建築は「形の発明」か「サステナビリティ技術」の両極に引き裂かれ本当の人々のための建築がないという状況認識である。そして彼のテーマはドイツ語でいうStimmung(気分)。英語で言うとMoods とかAtmosphereとなりこれらをキーワードにして分析が進む。これは美学者ベルノート・ベーメの考察に近い。しかしゴメスはこの考察を建築からスタートさせている。