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近代性と家庭性

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1月に中国で行った二つのレクチャーを原稿にして送る締め切りが7月末。日本における建築の男女性の系譜をパワポを見ながら書いているとどうもレクチャーした時の内容が心もとななくなり再度そのレクチャーで大いに参考にしたヒルデ・ハイネン(Hilde Heynen)の近代性と家庭性—緊張と矛盾(Mmodernity and domesticity Tensions and contradicitions)を読み返した。この論考の趣旨は次のようなものである。
19世紀イギリスビクトリア朝時代のイギリスをはじめヨーロッパの家においては、それ以前まで家族以外にも多くの血の繋がらない仕事上の弟子やお手伝いさんなどが住んでいたのとは異なり、家族が水入らずで住むようになった。また産業革命の進展は家庭と職場を分離し、父は職場で稼ぎ、母は家庭で家族を管理するという役割分担ができた。よって家庭というものが母の愛情で包まれたもの(domesticity)となった。これは女性的なものとされる。

ところが19世紀の終わりころ、そういう家庭性の中で育った子供が職場世界で通用するか父は不安になり、加えてモダニズムという新たな社会の潮流が起こり、過去との断絶のもとに新しい世界を求める風潮の中でこの家庭性が崩壊し加えて建築デザイン的にも愛に包まれた家庭的な空気を排除する傾向が生まれた。これは一般には男性的なものとされる。

再度、しかし、19世紀の家庭性=女性性というのは19世紀の女性の役割というジェンダーであり、20性の女性性は変化してかつての男性性と=になった。ここに置いて職場=男性、家庭=女性という等式は意味を持たず、むしろモダニティの主題としての女性というものが登場してきた。そして家庭性という概念が希薄化してきた。

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