似非民主主義建築
先日早稲田出身の中堅の建築家とお話ししていたら、「似非民主主義建築」の潮流の中では早稲田の特色は出ないということを言っていた。なるほどそういえば早稲田の人と話してソーシャルなんて言う言葉を聞くことはない。しかし「今の若い人はこの似非民主主義に少々飽き飽きしていますよ」と言うとそれは嬉しいと言っていた。僕としては名前はともあれ、彼の言う「似非民主主義」が「他者性の建築」とするならば「主体性の建築」が同様に並走する状態が健全であると思う。どちらかが暴走するのは政治でも建築でもいいことではない。