« July 2007 | メイン | September 2007 »

August 31, 2007

ヴェニス・ビエンナーレ

8月31日
水上バスで二駅乗りGiardiniで降りるとヴェニスでは珍しい緑豊かな公園が目の前に広がる。ここがヴェニスビエンナーレの二つある会場のひとつである。15ユーロの入場料はちょっと高いと思ったが帰るときには安いものだと気が変わるほど面白かった。エントランスすぐ先のベルギーはガラスの迷路、オランダが日常の風景、正面イタリアは地元であり40名余りのアーティストの作品が並ぶ、フィンランドはガラスの海、イスラエルは日本の建具のような紙芝居、アメリカはピストレットがおなじみの飴とポスターを並べている、持って行っていいのかどうか確認せず、ウルグアイは天井からぶら下がるドローイング、フランスはコンセプチャルなドローイング、オーストラリアのパビリオン内を延々と続くベニヤ板のリボンは昔我々が設計した家具のようである、ロシアのビデオインスタレーションは小さい画面の集積で楽しい、イギリスの細い木片を繋ぎとめたタワーは川俣風、ドイツではわざと稚拙なオブジェが所狭しと並ぶ、そして日本は岡部昌生の広島をモチーフとしたフロッタージュ、などなど2時間ほど見て周り庭のカフェで昼食をとると大雨。今回の旅で初めての本格的な雨。会場を飛び出し水上バスの駅で雨宿り。またこの水上バスで島巡りでもしようと思ったのだが、強烈な雨に身の危険を感じ、島巡りは止めて中世の教会(サンタ・マリア・グローリア・ディ・フラーリ)にティツィアーノの聖母被昇天を見に出かける。現代アートを見てからゴシックの教会でルネサンスの絵画を見るというこの感覚はイタリアならではかもしれない。幸せなひと時である。

August 30, 2007

ペギー・グッゲンハイム美術館

1985年のヴェニスビエンナーレにUCLAのチャールズ・ムーアスタジオは建築プロジェクトを出品した。僕もそのメンバーの一人だった。プロジェクトはヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム美術館の改修増築であった。どうしてそのテーマを選んだのかは覚えていない。見たことも無いその建物を写真と図面を頼りに模型で再現した。ヴェニスの路地のような細いアプローチと南向きの庭。そのシークエンスがムーアの気にするところであった。既存の建物は1階建てだが、もともとパラッツオとして建てられようとしたものであり、1階というのは未完というのが我々の解釈だった。しかし3層は作りすぎであり中途半端だが2階建てにするというのが我々の回答だった。
その建物をついに22年後に見ることになった。すばらしい美術館である。このアプローチと中庭のスケールとその彫刻の並び方はムーアの力説が本当に正しいことがよく分かる。今まで訪れた世界の美術館の中でも1~2を争うできのよさである。中庭にはヘンリームーアからカプーアまで、モダンから現代までが適度に並んでいる。本当に適度に並んでいる。常設展もピカソ、キリコ、フランシスまで。そして企画展はヨーゼフ・ボイスとマシュー・バーニーである。その全体の量といい間隔といい空間の変化といい。すべてが適度なのである。このバランスは例えば東京の国立新美術館のような展示場型美術館の対極を行く。
ボートに乗って島の周りを一周した。島の裏側に来ると所謂ヴェニスの風景は終り、コンテナと工場の煙突が林立している。ディズニーシーと東京湾が交互に見えるようなものである。

August 29, 2007

ヴェネツィア

朝の電車でフィレンツェからヴェネツィアへ。フィレンツェ駅で遅れている電車の事情を尋ねるのだが英語は全く通じない。24年前にこの駅からミラノに向かったのだが、そのときも英語が全く通じなかった。イタリアではレストランでもホテルでも英語が通じるのに、駅では通じない。
ヴェネツィアに来たのは初めてである。観光客がとてつもなく多い。暑さと喧騒ですっかり憔悴してしまう。観光で持っている都市なのだろう。為替レートもとんでもなく悪いし、(手数料も入れればフィレンツェは1ユーロ170円くらい、ヴェネツィアは200円である)物価も高い。
サンマルコ広場のカンパニーレは修論の重要な検討対象だった。アメリカのスカイスクレーパーは新たな縦長の形を作るのにヴェネツィアのこのカンパニーレをモデルにしていたのである。サンマルコ広場の脇にあるデュカレ宮にはバロックの画家ティントレットの世界一大きな油絵がある。この部屋は数百㎡の平面形に天高10メートルくらいあるだろうか。バロックの宮廷の大広間でこれだけのものを見たのは初めてである。とんでもないスケールに驚く。
ヴェネツィアはネット環境が無いと言われていたのだが、どこかの無線ランに乗ったようだ。

August 28, 2007

マザッチョ

念願のマザッチョのフレスコ画を見ることができた。ブランカッチ礼拝堂の一角にこのフレスコ画はある。マザッチョの先生であるマンゾリーニとマンゾリーニに呼ばれたマザッチョそしてマンゾリーニがフィレンツェからいなくなってその後を完成させたフィリッポリッピの3人の作なのだが僕から見ればほぼ一人の作である。フレスコ画がこれだけ近くでしかも撮影も自由なのはここぐらいかもしれない。岡崎乾二郎の『経験としてのルネサンス』(だったかな??)で詳細に論じられていたのがこのフレスコ画である。その論考は出版時に読んだのだが、すっかり、まったく忘れてしまった。本物を見ても何も思い出せない。今回やっと本物を見られたので日本に帰ったらまた読み返してみよう。
今日は自由に乗り降りできる観光バスのチケットを買い、自由に乗り降りした。コレのおかげで校外の歴史地区フィエゾーレに行くことができた。イタリアの都市もその中心地にいると時代は1000年も2000年も前に遡ってしまう。が、少し中心を外れるとここ100年くらいでできた町並みが現れる。フィエゾーレに登る町並みは僕が学生時代を少しすごしたバーゼルのように少し新しくしかし古い町に敬意を払ったつくりである。
この2階建てサイトシーングバスにはイヤホーンジャックがあり8ヶ国語のガイドが流れている。このガイドが殆ど建築や都市の話でとても参考になる。メディチ家のパラッツォの前でアルベルティの名前が出て思わず降車。有名な中庭に邂逅。都市型パラッツォのコートはアーチも3連しかなく縦長である。この都市では写真でしか見たこと無いものが次から次へと目の前に現れてくる。

August 27, 2007

フィレンツェも40度近い気がする

昨日までの運動靴ではなく、革靴を履いて出たのが運の尽き。夕刻にはまるで亀のように歩いて宿に戻った。フィレンツェはタクシー乗り場が見つからない。狭い街だから元気ならタクシーが要らないとも言えるのだが、昔から足の裏が弱い僕には長く歩くのはこたえる。
この街ではドゥモ、ストロッツィ宮、ピッティ宮、洗礼堂が撮影のノルマ。大きな建物がひしめき合って建っているこの街では撮影のためのひきがなかなか取れない。GRの広角は大きな画角でひきが無くともたいていの建物は入るのだが、縦線が大きく歪むのは言うまでも無い。
撮影は行き当たりばったり。美術館のはしごの途中に現れるだろうと楽観的である。朝一でバルジェロにてブルネレスキとギベルティの洗礼堂の扉彫刻のコンペ案を見る。本物よりも全然小さい。ミケランジェロのバッカスは酔っ払いの目をしている。ブルータスは未完。ウフッツィでは余りに多くのものを見すぎてしまった。ボッティチェリはもちろんすごいのだが、それだけではない。ロマネスクのチマブーエ、ドウッチョ、ゴシックのジョット、この3人の金色が印象的である。ボッティチェリとその先生であるフィッリッポ・リッピはそっくり。ダヴィンチの受胎告知はひどく小さく感じられた。
午後ピッティ宮のパラティーナ美術館でラファエロをたっぷり見る。ラファエロは絵が上手い。ここにはヴネツィア派ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレット、も数多くある。そしてタクシーを捕まえ北上。サンマルコ美術館で念願のフラアンジェリコの受胎告知を見て南下してブルネレスキのサンロレンツォ宮に入り、ドゥモ、洗礼堂、そしてストロッツィ宮を見て宿に戻る。足が痛いのと気温の高さにはほとほと参る。東京はコンクリートジャングルだがイタリアはストーンジャングル。街は巨大な輻射暖房機である。

August 26, 2007

ベルニーニ

ボルゲーゼ美術館でベルニーニの彫刻をこれでもかというほど見た。サンピエトロの楕円の前庭広場を設計したことで有名だと建築家は思っているが、ここに来るとバロックの彫刻家としての名声の方が高いのであろうと想像される。ボルゲーゼの中でもベルニーニの彫刻はその躍動感において他を寄せ付けない。この彫刻にしてあの建築ありである。ボルゲーゼにはカラバッジョやティッツィアーノなどの後期ルネサンスの有名芸術家の多くの作品が展示されている。ボルゲーゼからホテルに戻り、ボッロミーニのサン・クワトロ・フォンターネの写真を撮りにでかける、気温は37度。灼熱の東京から来たので体は慣れているが、かなりの暑さである。その後フィレンツェ行きの電車に乗り込む。奮発して1等を買ったのに、故障中らしくクーラーが効かない。金返せ。と言いたいところだが、イタリアではけんかもできない。そう言えばクアトロフォンターネのそばでpoliceの写真を撮っていたら、すかさず寄ってきて消去しろと抑圧的な言い方で迫ってきた。policeも風景だろうがと言ってやろうかと思ったが、、、やっとフィレンツェに着くと駅前のサンタ・マリア・デラ・ノッベラは修復中らしく、あののっぺりした意匠が足場で隠れて見えない。残念である。夕食に食べたティラミスは日本のものより少しおいしかった。値段は6urくらいである。

August 25, 2007

ルネサンスの巨匠たち

8月24日
今日はローマでしか見られないフレスコ画を集中的に見た。ダヴィンチの受胎告知が日本に送られてくることはあってもアテネの学堂や最後の審判は日本には送れない。フレスコ画は建築の一部である。ミケランジェロやラファエロの絵が上手いのは言うまでも無いのだがそれにも増してすごいのは建築の内部が絵で埋め尽くされてしまうそのしつこさである。システィーナ礼拝堂の薄暗さとその天井の高さと大きさと人の量。その全てがミケランジェロの巨大な天井画を特異なものに変化させている。ラファエロも同様である。ラファエロの間の数々のラファエロとその弟子たちの絵はその技量もさることながらその量に圧倒される。その後サンピエトロに入る。25年ぶりに見てその大きさを再認識した。
タクシーで、ローマ市内のパラッツォを手当たり次第見て回る。見ながらやっとローやマレーの所謂ルネサンスの教科書に普通に出てくる定番建築の位置づけが見えてきた。ブラマンテ、サンガッロ、ヴィニョーラ、ベルッツィ、時間がなく写真に費やす時間が少ないのだが瞬間でも目に入れていると違うものである。

ローマへ

8月23日
成田でnumberの別冊と文庫本を数冊買い込み飛行機に。アリタリアだが機材はJAL。久しぶりに遠くまで飛行機に乗るのでたっぷり時間がある。保坂和志の『羽生』が面白い。哲学的小説家保坂による羽生分析である。それによると羽生は棋風を持たぬ棋士だそうだ。つまり強い指し方のスタイルを持たず、あくまで勝つという目標に向かって極めて冷静な判断を下す棋士だというのである。さらに面白いのは、例えば羽生の前時代を気付いた谷川は高速の寄せという読みの早さと深さで相手を圧倒したのに対し、羽生は自分の考えの優越性を前提としないという。相手も自分も同じ地平にあるというところから微差のつみあげで勝つのだそうだ。
将棋はある意味表現である。読んでいると建築に通ずることが多々あるなあと感じる。特にコンペをしている今はいかに勝つかという点でいろいろ教えられる。こちらの手の内は全て読まれていると思ってそれでも勝つ、訴求力があるということはどういうことなのかなどなど。
成田~ローマ14時間は長い。現地時間の夕刻七時に到着。飛行場から市内への道と風景は世界各国同じに見える。夕刻になるとなおさらである。上海もローマも変わらない。などと思ったのもつかの間。市内に入るとやはりローマはローマ。まるで巨大な遺跡ランド。ホテルについて湯が出ない。やはりローマはローマ。

August 22, 2007

猛暑去らず

朝のアサマで東京へ。午前中スタバで打ち合わせ。午後一中国リーテム打ち合わせ。ファサードの少し大きな模型を前にデザインが収斂する一方で地元の技術でできることなのか?地元にこうした製品はあるのか?などなど疑問が湧く。やはりナカジは少し長く中国に滞在し地元の設計院といっしょに設計を進める方が良いと判断。渡中の日程を組む。その後T邸の打ち合わせ。今週末の定例は出られないので打ち合わせ内容をチェック。そろそそ色見本作りをしなければ。赤い壁の赤は朱かローズか?コンペ案について昨日のファックスについて金箱さんと℡で打ち合わせ。基本の考え方は変わらず。テーテンスとも℡で打ち合わせ。パースは中国に外注することとした。中国のパース屋はかなりの実力である。打ち合わせがどの程度上手くいくのかは分からないが、後は学生とスタッフとの共同作業。綱渡りである。しかし学生ももう頼れるものはないのだから自分で判断して進むしかない。その昔日建2年目に部署が代わりある先輩の下につくことになりその次の日基本設計書を残しその先輩が入院してしまったコトを思い出した。僕はその図面を元に一人で確認を出し、実施図をまとめ着工まで進めた。火事場の馬鹿力である。頼れるものがいなくなることが一番人間を成長させるものである。
東京は暑い。長野は秋近しなのに東京はまだまだ夏である。

秋近し

午前中コンペのスケッチ。しばらく留守をするのである程度の目処をつけてから出かけたい。そう思うと気になることばかり。午前中のスケッチを学生に渡し、ヴァリエーションを含めて模型制作を依頼する。午後はひたすら会議。今日は半日で行なった会議数としては過去最高。6つの会議が1時から7時まで延々と続いた。そしてその後コンペの打ち合わせ。長野の夜は既に虫が鳴いている。秋が近い。

August 21, 2007

設計

午前中にキャンパス計画。思いのほか駐車場がとれそうなのでほっとする。外来患者用の車台数確保が松本キャンパスでは要。このキャンパスは医学部の密度が異常に高く、他の学部は密度が低い。それは空地率だけではなく建物高さに反映し、スカイラインに如実に現れている。キャンパス内に二つの用途地域あるかの如くである。
夕刻からコンペ作業。模型を切った貼ったしながら作り上げていく。のだが、500分の1なので迫力は無い。しかし来週から僕が海外に行くのでここである程度見通しを立てないといけない。ある方向性は作れたように思う。後は運を天に任せ、、、ではなく運を学生に任せるしかない。しかし皆スケールや形に慣れてきているし、いい案にまとまるような気がしてきた。

August 20, 2007

地図

最近バスで長野に行かないせいかまとまった時間がとれず本が読めない。どうも切れ切れである。だいぶ前に読み始めたヴィヴィアン・バーの『社会的構築主義への招待』がまだ130ページ。朝方少し読み進めたところでイタリア行きの準備のために新宿に買い物。帰宅すると義姉来訪中。皆で甘いものなど食し歓談。その後イタリアの計画を練る。三都市の地図の縮尺が少しずつ違うので今1つ距離感がつかめない。それにしてもすごい縮尺。フィレンツェが6500分の1、ヴェネツィアが5500分の1、ローマは9600分の1である。

August 18, 2007

猛暑去り

昨日までの猛暑がひと段落。ほっとする。昼からA0勉強会。いやいやなかなか進まない。結構面倒臭い文章である。これでは年内脱稿は厳しいか?今月からイギリスに留学してしまった天野君が消え、フランス留学する星野君は今日で最後。早くイギリスから光岡君が帰ってこないかな?
夕刻高校のクラス会。数十年ぶりに会う人間もいて顔を見ても誰かわからなかった。がしかし、話し方は人間変わらないものである。声を聞くとすぐに分かる。最近この手の宴会でずっとジュースやウーロン茶を飲んでいるとお腹がたぷたぷになってしまう。近所に引っ越してきた小説家の草上仁さんとタクシーで帰宅。

集中

最近ひどく集中力が低下しているように思われる。英語を読むとてきめんである。困ったものである。その理由は悩ましいことがいろいろあるからである。そんなことはこの歳になれば当たり前であろうが大学のこと、事務所のこと、家のこと。人より少し考えることが多いかもしれない。何かしているとアレはどうしたか?コレはどうしたか?意識の中に不要な問題が登場してくる。最近読んだとある本にはそうした心配事が頭をもたげないためには深呼吸を10回してそれを数えるといいと書いてある。さらにその10回の間にそうした心配事が頭をもたげたらまた1からやり直すのだそうだ。それを実践してみると多少効くようである。まあ集中力増強法である。今日も電車でそれをやってから英語を読む。1時間くらいは効く。そしてまた深呼吸。そして又読む。うーん1時間半で1ページ。やれやれ。

August 16, 2007

花火

金箱スケッチが届く。テーテンスからのアドバイスもメールと電話でやり取りする。その後、ヘンリケの構造案を見てナカジとしばらくディスカッション。なんとなく2案のうちアリーナを浮かすのは展開可能性が乏しい気がしてきた。オーソドックス案をリアルに展開しよう。腹は決まった。
夕刻ちょっと抜け出しN君のマンションの屋上で神宮の花火を見る。大京町の10階だから神宮は目の前だがそれでも少し距離があるせいか美しいのだが迫力はなかった。でも音は結構すごい。見ながら思う。幼少の頃から花火の造形はそう変わらないものだ。花火師が考え抜いた結晶なのであろうが。そう簡単に見たことも無いものは登場しない。「四角いスイカがあるのだから四角い花火はないのか?」とか「もっと美しいメロディを奏でるものはないのか?」などぶつぶつ独り言を呟く。

メールの力

朝からせっせと本に使う図版の許可を得るため、手紙書いたり、メール打ったり。外国の出版社はだいたいホームページにcontact usがあるのでそこに送ってみた。まあ一週間くらいなしのつぶてだろうと余り期待せずとりあえず送ったのだが、どうしてどうして。イギリスのphaidon、同じくイギリスのAA Publications、ドイツのHatje Cantz Verlag、同じくドイツのLars Muller Publishers、これら4つの出版社からはものの2時間くらいのうちに返事が来た。7社送って4社だから驚きである。しかしその返事は実はどれも自分たちが著作権保持者ではないので○○をあたれと言うものである。早いのは嬉しいが内容は悲しい。仕事が減らない。外国はすごいと思っていたら日本も唯一メールした中央公論美術出版は出展を明記することを条件にokのメールをくれた。早い。メールの時代のすごさである。外国など郵便でコトを進めていると軽く往復で一週間以上かかるだろう。メールのすごさである。

August 15, 2007

コンペ

朝から、学生と研修生のヘンリケといっしょにコンペの打ち合わせ。学生といっしょに設計していると事務所のスタッフは優秀だなあとつくづく感じる。学生はやはり学生の域を出ない。特に実施のコンペになるとそうである。構造、設備、あるいは機能的な構成などを含めてまだまだ現実の分からない学生にとっては抑えるべきところが見えていない。そのためどこで違反していいのかも分からないから売りができない。しかし人のせいにしているとどっかのアホな政党と同じになってしまう。図面をみながらあれこれ考える、、、この敷地形状だとそう簡単に造形力で勝負しにくいのかもしれない。普通の構成、異様な吹き抜け、細い構造。この辺であろうか?そのためには構成がまだまだ煩雑。もっとミニマルに納めないとダメである。10時まで飯を食わず事務所で考えていたらぐったりしてしまった。

August 13, 2007

ディオール

%E7%89%9B-dior.jpg

妹島さんのディオールの写真を撮りに出かけと思ったところに研修生のヘンリケが来たので連れて行くことにした。彼女はそもそも3年生ということもあり余り日本建築に詳しくはない。まあ安藤忠雄くらいは知っていると言うところである。ディオールの前に六本木ヒルズのツタヤに行き日本建築の本を買わせる(少し勉強してもらわないと)。スタバでサンドイッチを食べてから表参道建築見学コースを歩きディオールに着く。今まで気付かなかったが晴天の表参道の建物は実に写真が撮り難い。建物の低層部と上層部で余りに明るさが異なる。これはケヤキ並木のせいかもしれない。上に露出をあわすと下は真っ暗。下にあわすと上は真っ白である。仕方なく新宿に用事を済ませに行き夕刻再びディオールに戻る。そこでパチリ。写真を撮っていると長岡の建築家に声をかけられた「いろいろなところに出没しますね」と。僕は東京人であり原宿にいるのは普通であり、その方のほうがよほど神出鬼没なはずであるが。
帰宅して風呂に入り上野千鶴子の『おひとりさまの老後』2007なるけったいな本を読む。老後子供夫婦と同居するのは中流。下流はそもそも同居する経済力がない。上流はそれなりの介護を自ら雇えるので同居しない。同居することがお互いのニーズに合致するのは中流層であり、それもあくまで妥協の産物だというのは確かにそうかもしれない。

朝から昨日と同様の青空である。しかし冷房の効きが違う。気温がやや低いようである。読書をしながらリラックスする。夕食後テラスで雲の流れを眺める。とても早い。今日で終わったアンリ・ミショーの展覧会「アンリ・ミショーひとのかたち」に展示されたひとのかたちのような雲が流れていた。昨日とは異なり夕刻の風は気持ちよかった。

August 12, 2007

パーティー2連ちゃん

DSCN0428.JPG

8月11日
今日は昼から事務所スタッフたちを拙宅に招待し、納涼パーティ。今年最高の36度を超す気温となる。朝からクーラーを最高にして家を冷やすが追いつかない。去年オープンデスクに来てくれた学生のフィンランド旅行のスライドを見る。僕にとってはものめずらしい場所だが結構訪れた人がいるようである。続いて研修生のヘンリケに地元シュトゥットガルトのスライドを見せてもらう。ヨーロッパは同じ国でも地方色が強いものだがここも例外ではないようである。5時に終了して、僕と木島さんは研究室のob会に行く。東工大の百周年記念館もエアコンがあまり効かず暑い。先生のプロジェクトをスライドで見る。お盆前で参加者が少ない。2次会で研究室に行く。柳の塩尻基本設計を見せてもらう。コンペ案が十分キープされている。楽しみである。今日は2次会で帰ろうと思っていたが、つい誘いに乗り次の店へ。奥山、塚本、柳沢、木島たちと自由が丘の居酒屋で先ほどまで見ていた坂本プロジェクトについて熱い(暑い)議論。

コンペ

8月10日
朝から院生二人とコンペ打ち合わせ。なるほどという案が少しずつ出てくる。やっと学生たちにも建物の成り立ちが頭に入ってきたのだろう。案は2案程度に絞られる。僕は途中他の打ち合わせに出かけたりしながら打ち合わせは夜の7時まで続く。

August 9, 2007

山田守

霞ヶ関で東海大の岩岡さんにお会いし、彼の車に乗って東海大の湘南校舎に向かう。10時過ぎに上松先生の研究室に着く。ここで岩岡さんの司会で3人の美学トークを行なう。美的なものにおけ客観的質についてその普遍性と社会性に話は及んだ。僕としてはとても面白いテーマであった。内容は今年の東海大の卒計雑誌に掲載されるそうである。上松先生は今年で退官とのこと。美学の講義を現在本にすべく講義のテープおこしをしているそうである。
鼎談の後岩岡さんの車でキャンパスを案内してもらう。車がないと見て回れないほど広い。大学のキャンパスと言うよりは巨大なスポーツ公園である。山田守のいくつかの建物を見せてもらう。最近行なわれた山田守展と同時に出版された山田守作品集で青木淳が言っていたことが良く分かる。一般人が重要と思うようなデザインのクオリティを追及しない人なのである。なんだかよく分からないところに力が入っているのである。この価値観のずれのようなものが未開な土地にやってきたような楽しさを覚える。

August 8, 2007

午前中コンペのスケッチ。アリーナを浮かす案を昨日議論していた。寝ながら考えた案を絵にして学生たちにおいてきた。当たり前かもしれないが学生たちのスケッチは遅い。その原因はデヴェロップの方法が分かっていないことにある。しかしそれは勉強の仕方が分からないから成績が上がらないというようなもので、試行錯誤するしか無いはずである。そうは言ってもそんな呑気なペースにつきあっているわけにもいない。放っておくと何も進まないのかもしれないという恐怖に襲われる。去年のm2はもう少し開拓力があったような気がする。今年のm1は気分だけで建築をやっている。
午後一のアサマで東京に。丸善で目に付く本を購入宅配する。事務所で中国の打ち合わせの報告を聞きそして次の進め方を検討する。東京も暑い。空が夏である。しかしニュースでは既に秋の気配等と言っている。

August 7, 2007

定番

夏休みの定番。キャンパス計画、卒業ゼミ、そしてコンペゼミ。これで一日が終わる。そう言えば明後日は東海大で上松先生と岩岡先生との鼎談をする予定。一体何を話すのか。ストーリーを聞いたのだがなかなか大変そうである。予習をする時間があるのだろうか??
ヴィヴィアン・バーの『社会構築主義への招待ー言説分析とは何か』川島書店1997を読み始めた。とても丁寧な入門書である。

August 6, 2007

スコール

午前、午後とも大学の重要な仕事に追われた一日だった。その責任者ということもあり結構神経が疲れた。その後ブラジルからの留学希望の大使館給費留学生のアクセプタンスレターを書くのに英語の研究計画書を丹念に読む。のだが、これが結構難解である。話が異様に抽象的で参った。何とか読み込みレターを書く。その他雑用をこなしていたら既に深夜。事務所からのの様々な書類は明朝目を通すことにする。
ひどく暑い日中だったが午後突如訪れたスコールで一挙に気温が7~8度下がったような気がする。この時間は快適である。

August 5, 2007

若松の新作

図版整理を午前中行なう。今日も殺人的な暑さである。我が家は3方向に窓があり上はセットバックしたテラスとなったマンションの一部屋である。プランとしてはとても優秀だがその分外部環境の影響を受けやすい。暑さには特に弱い。壁が熱気を帯びるのである。12時30分に家を出て1時の新幹線に飛び乗り2時に軽井沢で降りる。学生の車に乗り若松のオープンハウスを見せてもらう。面白そうな断面図にそそられて皆で行く。100坪の別荘だから、別荘というよりは豪邸である。3世帯で使うとのことでベッドルームが3つある。建物はコンクリートスラブで浮かし、1階にはジャクージだけ。湿気の多い軽井沢ではこの断面がベストかもしれない。大きな屋根の下にいくつかの空間が集積しているというのがコンセプトとのこと。そのためそれら空間を示す垂れ壁が高さ1950のところに見えてくる。大屋根でありながら多様な空間を作る方法の模索である。
帰りがけアトリエワンの新作(オープンハウスが延期になった)ハウスアサマの脇を通る。ガラス張りの外観だけ見えたがまあまたゆっくり見せてもらおうと思い素通りし大学へ。

August 4, 2007

同窓会講演会

朝一現場。1階は2回目の防蟻剤散布。3階はテラスの手すり縦桟取り付けで地響きのようなボルト締め騒音。上と下にはさまれて2階で打ち合わせ。今日はまた一段と暑い。午後は付属盲学校で同級生の盲学校の先生に視覚障害者の指導や社会生活など、講義を受ける。そもそも中学同級生のクラス会を毎回講演会付にしようとの提案があり今日はその一回目。15名程度集まった。富山から来た人までいる。講師寺西先生はパラリンピックのメダリストを何人も出しならが、視覚障害者を愛情で育ていている愛すべき友人であり、私のクライアントでもある。3時から5時までの講演を聞き。その後食事会。久しぶりに池袋で降りたった。断酒中の私は水ばかり飲んでいたら汗ばかり出てきて店を出たらもう玉の汗である。気温の下がらない東京の夜。

篠原の遺言

今日は朝から本作りのための図版の整理を行なうことに決めていた。この作業は前期が終わるまでは手が付けられない代物。まとまった時間が取れるようになったらやろうと思っていたものである。しかしそうして放っておくとやるときには少し気合を入れないとできない。図版を減らしながら可能なものは自分で撮影したものに入れ代えどうしても他に頼まなければならないもを厳選するという作業である。自分のスライドをひっくり返し、先ずは何が使えるかを見ていく。これが結構時間を食う。ライトテーブルでもあればいいのだが、、、チャンディガールは自分の写真で行こう、妹島さんのディオールは来週撮りに行こう、ボロミーニのクアトロフォンターネはイタリアで撮ってくる、白の家は先日撮ったものが使えるか?うーんダメだねこれは、多木さんの写真をお借りしよう、坂本先生の写真は別途お願いにあがろう、などなど、外国の出版社にお手紙を書くのはちょっと手間だし、時間がかかりそうだからなんとかそれを避けつつ、あれやこれや。半分くらい整理したところで時間。今日は奥山と鹿島出版会の川嶋さんとちゃんこ鍋を食べる約束。まあそれはミーティングの後の話。いつもはうちの事務所でやるミーティングだが今日は奥山研に出かける。篠原先生の最後の設計の模型や図面を見ながらいろいろ議論。この建物は外観模型しか見たことがなかったので内部は知らなかった。しかし内部が凄い。かなり凄い。いや最後に篠原先生は生涯の思想を結実させた。うーん今日はいいものを見た。

August 2, 2007

また台風

娘が臨海学校に出かけるのを狙うように台風が来た。波の高さは3メートルと気象情報の伝えるところだが泳いでいるのだろうか?夕刻信大の学生がやってきて金箱さんをまじえてコンペの打ち合わせ。うーんなかなか方向が定まらない。難しいものだ。新建築が届く若松の集合住宅が表紙になっている。単純な形の連続だけれど間合いの取り方がうまい。

August 1, 2007

calm

昨日松本に行く電車で読もうと朝日と読売の朝刊を買った。選挙結果に座談会が組まれていた。朝日は辻井喬他2名で安部続投を批判。読売は中曽根他2名で安部続投支持の論調だった。さもありなんである。朝日は社会面には鈴木謙介のコラムがあり若者の政治への関心の高さについて語っていた。小泉によって敷かれたグローバリゼーションへの参画路線で今のところ最も損しているという被害者意識が高いのが若者だと言うのが彼の説である。彼の名が記憶に新しいところで積読本の中から彼の『ウェッブ社会の思想』 NHK出版 2007を読み始める。ubiquious copmputing の説明がある。この語は偏在するという意味だが、どこにでもありながら静かに姿カタチを見せずその力を発揮するところから最近ではcalm computingとも呼ばれるそうである。この言い方気に入った。calm architectureなんていう言い方もできそうである。環境に埋め込まれ静かに力を発揮する建築である。

スケッチ

7月31日
キャンパス計画案作成のため何度目かの松本キャンパス視察。ここは医学、理学、経済人文、一年の共通教育に加え本部管理の6ゾーンがある。コンセプトの目処やその処理はだいたい歩きながら話し決まってきているが至上命令である駐車場の設計が難しそうである。それにしても昨日の長野はかなりの日射でちょっと参った。顔はゆでだこのように赤く焼けた。夕刻大学に戻り自分のメールボックスを覗くと大量な郵便物。7月一杯締め切りのレポート。先月松本で1年生対象に行なった、美術館(宮本忠長)と芸術ホール(伊東豊雄)での見学スケッチである。100近いスケッチを見る以前に封筒を切るのが大変である。封を切りながら去年、一昨年の記憶が蘇る。なんだかひどいものが多かった。今年もそんな程度だろうと思い、見るだけ見るつもりで封を切っていたのだが、どっこいそうでもない。なかなかいいのがある。3つほど、気に入って自分の部屋にピンナップした。来年彼らに会うのが楽しみである。