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February 28, 2017

公共の宿泊所

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まだ行ったことのないカトマンズ市の南に位置するPATANに行ってみた。カトマンズの王宮より迫力の建物が結構あり、内部にも入れてよく整備されている。そこのミュージアムショップにカトマンズバレーの伝統建築という本があり買って飛行場で読んでみた。カトマンズバレーの伝統建築がビルディングタイプごとにスケッチ、図面、説明がある。
1年の集落、2防御、3ネワール人の家、4仏教の修道院、5ヒンヅー司祭の家、6王宮、7寺院、8公共の宿泊所、という分類である。さてこの公共の宿泊所とは何か?説明文を見ると旅行者が無料で泊まれる場所と説明がありこの図面が付いている。つまりただ雨風凌げるベランダである。実は前回来た時サクの街でこういうベランダをみてこれは一体何なのだろうかと思っていたのである。飛行場に山のようにいるバックパッカーもこういう場所に泊まるのだろう。

カトマンズの明日

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ネパール震災復興の協力として環境省とリーテムがネパール政府にプレゼンをした。僕はその復興のまちづくりの部分をお手伝いした。駐ネパール日本大使、ネパール工業大臣他関係各省の次官も出席した中でのプレゼンを行い珍しく朝からプレゼンの練習をして臨みみなさん真剣に聞いていただけて満足いく結果だった。これがこの後どのようにつながるのか分からないが、世界の最貧国で何ができるのかひとつのチャレンジだと感じた1日だった。

February 26, 2017

公園は別世界

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今回のホテルはラディソン。前回のシャングリラよりはグレード高い。110usdである。ホテルについて夕食まで時間があるので西田さんと街の中心部の方に10分ほど言ったところの有料のヨーロピアンガーデンに行ってみた。明日相手国の大臣、次官級を前に避難公園を作りましょうという話をして、既存の有名な公園をみておくべきだろうとちょっと思った。一人200ルピー(200円くらい)だから新宿御苑の入場料である。日本人からみたって安くないけれど地元のカップルがけっこういた。残りは観光客。英語を話す若い元気な女の子の集団がいて写真を撮って欲しいと言われて聞いてみたらアメリカ人。西田さんと僕がアメリカに住んでいたと言ったら喜んでいた。道路は誇りと喧騒だがガーデン内にはリスがいて水が流れ別世界である

官能性

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島原万丈+HOME`S 総研『本当に住んで幸せな街—全国「官能都市」ランキング』光文社2016を積んどいた。ちょっとよくある俗な本だと思って放っておいたが読んでみたらなかなか客観的データーに基づく貴重な本である。都市は利便性や機能性だけで評価されるべきではなく「官能性」が重要だと著者は言うそして官能性は関係性と身体性からうまれる。さらに関係性には4つの指標がある。
① 共同性
② 匿名性
③ ロマンス可能性
④ 機会取得可能性
一方身体性はというと
① 豊かな食文化
② 街の風景
③ 自然
④ 歩ける

この5つの指標で日本中の街を評価するとベスト1は文京区だそうだ。まあそれはおいておいてこの官能性と居住満足度、幸福実感度には相関関係があるそうだ。これはサスティナビリティを超えてに通ずる指標と見た。最終的には幸福実感が最重要であり、それを実現するためのフィジカルな側面としてサスティナブルがありメンタルな側面として官能性があるのだろう。

February 25, 2017

頭も手も動く

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午前中の博士入試を終えて、千葉工大に向かう。遠いと思っていたが、京成高砂に出ると京成船橋までそう遠くなく、そこから津田沼は目と鼻の先。しかも千葉工大は駅前大学である。こんなに駅に近い大学電気大くらいしか知らない。
学部と修士の優秀作を一気に同じ時間で見るというのも新鮮だし、専任と非常勤ゲストがいっぺんにみるというもあまりないかも。専任の、遠藤さん、多田さん、石原さん、田島さん、今村さんとそうそうたる顔ぶれに混じって上田実さん、木下庸子さん、古澤大輔さん、と私である。2時間ほど発表質疑したあと投票してそれを見ながらディスカッション1時間半。そして最後はゲストクリティークだけで議論。だいぶ意外な最終順位となったがそれもまた一興である。
しかしはっきり言ってかなりレベルは高いし幅が広い。一等に選ばれた案はobject oriented ontology をベースに街の中に1次機能を失ったオブジェクトをかき集めてきて公園のペリフェリーを作るという提案だった。これほど難解なプロジェクトが圧倒的多数で一等になれたのは抜群の説明能力とそして、設計能力にあったと思う。理科大生も見習わないと頭も手も動くというのはこういうことである。

February 24, 2017

The sooner is the better

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卒業生や修了生が年末に時間切れになって死にそうになるのなら分かった、こちらもそれなりの努力をしようじゃないか。さまざまな準備を3週間はやめることにした。ゼミのことを2月から考え今日決めた。ゼミ、輪読の方法を変え、研究室内に8つの学習サークルを作ってそれを選択してついに自主登録制にした。理科大の中にもう一つの学校を作った。坂牛スクールである。そして履修登録して4回欠席したら単位を出さないし次回から出席させない。いくつ履修しても本人の自由。あくまで自らのモーチベーションで参加するというものにしたい。そういう方法を研究室内に本日告知した。そして来季はすでに今年より研究室が膨れ上がることが分かっており、ついに40人を超える。来週は研究室内大改造である。そうしないとはいらない。研究室総出で3日かけてレイアウトを大変更。そして週末はキックオフミーティングである。いつもより3週間以上早いと思う(去年は25日)。3月から頑張ってください、卒論、修論。だからいつもより2週間早く終わるはずです。いいですね!!

ペルーカトリカ大学でのWS

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ペルーカトリカ大学でのワークショップのシラバスのようなものが来た。いつもはポスター一枚が送られてくるのだが、今回はデザインカリキュラムの一部として7ページの説明の1ページがワークショップ。きちんと学部のカリキュラムの中に織り込まれているのが驚く。よくオーガナイズされている。ちなみにペルーの大学ランキングでカトリか大学はナンバー1。どんな学生と会えるか今からとても楽しみである。

February 23, 2017

面白さに対する嗅覚

今年の(だけでもないのだけれど)修士論文の不出来は僕らの研究室が多様性保護地域で魚から哺乳類までいて、教育のレベルの設定が難しいからだと思っていた。あるいは彼らが単に怠惰なのだと思っていた。しかし昨日修論の最終形のチェックをしながら、一番大きな理由はそこにはないだろうと思うに至った。
彼らに11月に入ったら設計に移行するようにと4月から言ってもそうならないのは怠惰に加えて、設計に移行するには論文があまりに心もとない、自信がないという状態なのだろうと推測した。というのも彼らの修論を読んでもどれも面白くないし、発見がないのである。「へええそうなんだ」と思うことが本当にないのである。僕が読んでこんなにつまらないのだから本人もさぞかしつまらないだろう。修士を2年間やってこんなものしか書けないとするなら自信も持てないだろうと思う。
そこで思うのだがなぜ彼らは面白いところにたどり着かないのか??それは面白いものを読んだ経験がないからなのではないかと思うに至るのである。面白いという理屈はどこに潜むのかがわかっていないのであろう。
読む経験を多く積んでいれば、面白くない本を買ったり借りたりして無駄に時間と金を費やしたことに腹が立ち、その分なんとか面白いものを読んで取り返そうとする。そして面白いものの面白さを貴重に思うものである。本を読むとはその嗅覚を養うことであり、その嗅覚無くして面白いものやことを考えることはできないのである。卒論とか修論とかはその嗅覚が勝負なのである。その嗅覚を大学生のしかも4年生になってからやるのではすでに遅いのだが、一生懸命やればそれも成せるとまだ信じている。しかしその一生懸命さもなければどうしたらいいのだろうか??
この嗅覚をものの本にはセンスと書いてあった。センスと書いてしまうと元も子もないのだが、確かにそういう気もする。もしかしたら生まれ持ったものかもしれない。しかしそう思うとゼミなんてやるだけ無駄ということになってしまう。養うことはできると信じて来季を頑張ろう。

February 22, 2017

国際会議れんちゃん

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午前中EU japan 建築会議の打ち合わせでセルバンテスインスティチュートに出向く。およそ1時間の会議ではあったがとんとん拍子にテーマが前進。
「Blue Architecture サスティナビリティを超えて」のサブテーマとしてヒューマニティとテクノロジーが浮上しその下に移民問題、災害問題、そしてそれを支える社会と技術へと発展した。一見サスティナビリティと関係なさそうだが、建築という技術的に語られすぎた領域に社会という視点を組み込むことで本当のサスティナビリティが語られるはずである。これは例えばエコシティを作るにはまずコミュニティを作らなければいけないという最先端の知見を知れば納得のいくことであろう。
夕方山名先生のお誘いでリスボン工科大学教授、DOCOMOMO 議長のアナ・エストエスの「アフリカ建築における近代性」の話を駒場に聞きに行った。実に面白い。やはり大航海時代に世界を制覇した二つの国そしてその後の帝国主義の国々は世界に彼らの建築を流出しているのである)。松村先生はそうした流出物をクレオールと称して新しいものとして生まれてきていることを指摘していた。この辺りのローマ時代から起こる建築のグローバリズムは実に興味深い。執筆中の本に書いていることが壮大に話されていて迫力のあるものだった第一回から聞けばよかった。そしてもうすぐいく研究室の学生の語学力の低さをお詫びした。

February 21, 2017

OFDA+2Aの時期はずれの坂町新年会

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やっと2月の終わりになって新年会ができました。そもそも去年の忘年会の時に1月の日時を決めたのだがその後誰かが駄目になり何度か日時を変更してやっと今日である。新年会というにはあまりに日が適当ではないのだがまあとにかく。宮さんがクライアントから頂いた90年代のヴィンテージワインと肉を焼いて野菜を持ってあけましておめでとうございます。

February 20, 2017

労働者はゴミか?

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稲葉剛『貧困の現場から社会を変える』堀内出版2016を読む日本の餓死者数は95年あたりまでは年間20人そこから急激に増え2003年にピークを迎え90人を突破すると記されている。4日に一人餓死者が出たことになる。ちょうどその頃親父が書いた本の序文に隅田川あたりを散歩してはホームレスと話をし、彼らがリストラされた労働者であることが多く、「労働者はゴミか?」と警鐘を鳴らしていた。彼らは一歩間違うと餓死していたことがうかがえる。そしてそれから10年経ち日本は一向に貧困者が減少しているようには見えない。一度落ちた人たちが這い上がるルートが閉ざされているのである。政治の問題でもあるが社会の視線の問題でもある。

February 19, 2017

ノート切り替え

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だいたい半年で一冊のノートが埋まって次のノートに切り替わる。このノートは自作のカレンダーが最後の30ページを占めており、残りはなんとなく勘でページを割ってタグを付けている。ちなみにこの69番目のノートは、最初の2ページに、様々なパスワードが書かれている。そしてその後からポストイット型の黄色や赤の丸いタグを付けて以下のように分類している。
1,univ  2,文 3,office 4,ネパール、ダッカ 5,memo 6,workhop 7,international conference 8.出版 9,lecture  10,建築の条件 11,言葉と建築  そしてなんでも書いてしまう。講義ノート、学生レポートへの感想、主任会議のメモ、外国での打ち合わせ、外国でのレクチャーのメモ、、、スケッチは別にあるのでこちらには書かない。でもスケッチブックが手元になければここに書いてしまう。ついに70冊目。ノートもスケッチブックも通し番号なので35年経ったわけではない。働き始めて未だ30年くらいである。

February 18, 2017

ダン ・フレィヴィンとディビッド・ボーイ

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エスパス ルイヴィトンでダンフレィヴィンの展覧会が行われている。60年代にミニマリズムをsソル・ルウィット、ドナルド・ジャッドたちと牽引した。既製品の蛍光灯に何の細工もせずに並べるだけで、なんの思いも込めず、状況と見るものとの関係のなかから導かれる物のみに依拠した表現である。このクールネスが時代を超えるのかもしれない。
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表参道から天王洲へ足を運びデッィビッドボーイの軌跡を見る。この人音楽だけでなく絵もとんでもなくうまい。三島由紀夫の肖像画などプロの絵である。

二部ヴァーティカルレビュー

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やっと二部は今日で一区切りのヴァーティカルレビューを行った。2年生後期課題、3年生後期課題、卒業設計を一堂に会しての講評会である。後期の非常勤講師が11名集まり実に充実した講評会。昨日都市大の卒計を見てきたが、理科大二部もいい勝負である。学生の票を1点、先生の票を5点で集計して最終的に一番理解を得られたのはこの案である。面と線と題して無数の弱々しいたて部材で構成した建築である。これは高橋堅さんが考案したスタジオで建築エレメントを再考するというもの。この課題は奥が深く建築の面白みを引き出すいい課題だった。それゆえのこの案が皆の心をつかんだと言える。鳥海さんには今後とも素晴らしい案を考えていってほしい。

February 16, 2017

都市大で講評会

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都市大学の修士設計、卒計の講評会に招かれました。まずはこの建物が岩崎先生の設計で素晴らしい。そして教員陣がまたすごい。浅石さん、新居さん、手塚さん、堀場さん、福島さん、この5人がみなさん建築学会作品賞なのである。こんな学校は他にはない。やりにくいったらない。吉村さんと一緒にcriticしているのだが、一番喋っているのは新居さん。

February 15, 2017

小さな出版社の愛のある本

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永江朗『小さな出版社のつくり方』猿江商會2016というこの本、えっ今時出版社?ついでに小さい?と虚を突かれる。さらに電子書籍を売るのでもなければ、ベストセラー作家を扱うのでもない。つまり一儲けしようという魂胆はこれっぽっちもない。一人か二人でしかも出版社を途中退社か定年退社した人たちがこれからは自分の本当につくりたい本だけ作ろうとして作った出版社なのである。11紹介された出版社のホームページを見ると実に手にとって読みたくなるような本ばかりが並んでいる。一冊たりとも適当に作った本がない。羽鳥書店など、目録に装丁者も著者とならんで列記されているとか。作った人の愛を感じるではないですか。

建築を恋人に

卒業や修了の季節になるとさてこの学生たちがどういう風にこれから生きていくのだろうかとちょっとは考える。建築の世界はデザインをしようとすればするほど働く条件は過酷になる。これは労働環境という視点で考えると改善するべきこと思う一方、例えば建築デザインが大学の研究のようなものであると考えるとそれを純粋に労働として捉えるのも難しいと思う。例えば寺田虎彦はこう言った。
「頭のいいに人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人しなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである」建築家というのはどこかこの科学者のようなものである。建築を恋人としなければ建築から真心は送られてこないもののようだ。
建築を恋人にした瞬間に建築は労働ではないことになり、それは苦しいものから楽しいものになるはずである。日本の世の中にそうした楽しさを享受できる場所がどれほどあるかわからないが、建築を恋人にできる人はそういう場所をみつけて建築を楽しんでほしいと切に願う。しかしもちろん楽しさを得るために苦しさは表裏一体で付きまとうことを忘れてはいけない。

February 14, 2017

Variety of living things

My Kenkyushitsu is the place preserving the variety of living things. 11members of Master course students who presented their thesis projects yesterday consists of 4 from 2nd division of TUS, 3 from other Universities, 2 of post-professional course, 1from 1st division of TUS, 1 from abroad. Varieties as matter of course have both advantages and disadvantages. Because they have different academic backgrounds, one single language could not always be useful.

Although it should be I who control those various members keeping their variety intact, it is sometimes very difficult to do that. I have tried to pull up the bottom and pull up the top simultaneously. But actually you cannot do that at the same time. Because they are different things.

Easier said than done

修論発表会終了。11人なんとか発表できて幸いだったけれど、内容はちょっと不満。そういうことは自分以外の人も気づく訳でいろいろとクレームもつく。全部のクレームに納得しているわけではないけれどまあ7割正しいので返す言葉もない。我が研究室は生物多様性保護地域なのでよく言えばヴァラエティに富み悪く言えば統制がとれない。多様性を維持しながら統制をとるのが僕の役目なのだろうがなかなか難しい。ボトムアップとトップアップを同時にするのは言うは易し行うは難し。

February 12, 2017

みんなファッションデザイナーだった

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⚫️Le Corbusier, dress design, Forms et vie contained Mark Wigley White Walls , Designer Dresses MIT Press

マーク・ウィグリーの350ページの大部の書(White Walls , Designer Dresses)をとりあえず6人がかりでざっと荒訳を作り要約を作り読み合わせを終了。といっても全体の内容をラフに掴んだに過ぎないし、この本は10に分かれていてそれぞれが章(Chapter)ではなく場面(take)と付いている。つまりWhite Walls が現れる場面が思いつくまま書き連ねられているのであり場面と場面の間には関連性が必ずしもある訳ではない。言って見れば歴史の断片が散りばめられているのである。
白い壁とは言わずと知れたモダニズムの白い壁である。この壁の出処は19世紀のビクトリア朝時代の服装改革運動に端を発する。衣食住の衣の機能化が住の機能化を先導して機能化が装飾を剥ぎ取り、経済合理性を高め色の経済性としての白が生まれたというわけでわる。
この衣と住を結ぶ地点に実はムテジウスがおりムテジウスはモダニズムのスタート地点にいたものの、ペブスナー、ギーディオンというモダニズムのプロモーターは彼を抹殺して彼の知識を駆使してモダニズムを作り上げ、そして実は多色であったモダニズム建築を白として喧伝し、住が衣と密接に絡むことも隠蔽してしまったのである。実はムテジムスもヴァンデベルデもワーグナーもロースもホフマンもそしてル・コルビュジエも皆ファッションデザイナーでもあったのである。

February 11, 2017

あっぱれ

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理科大工学部一部建築学科の最終講評会、午前中10時から始まり、6時頃終了。あらかじめ専任教員で選んだ15作品を午後にOBによって見ていただきOBによる最優秀賞を決めるのが恒例となっている。とはいえ午後に選ばれなかった午前中の作品の中には午後のものより私の評価では高いもが5つもあった。それはそれとして、去年はインフルエンザでこの卒計発表会を欠席したので2年ぶりに見たし、今年はかなり力を入れて講評しようと思って例年にも増して真剣に見た。とても面白かった。これだけの幅の広さと深みのある作品の連続(量)はなかなか他大でもないのではないか勝手に想像する。月曜日は修士の発表会である。これ以上のものが出るのは当然であろうと思いつつやや不安。来週は他大の修士設計のゲストに二つ行くことになっているが、他に行ってもヤッパリ理科大が一番と思えるようであれば嬉しい。

インドって初めて

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先日チェコのサイトに掲載いただいたが、今度はインドである。Madder red houseは海外で受けるのかな?(日本では3月号の住宅特集に載せていただきます)

ドイツの懐

昨日配偶者の新しい書道のお弟子さんとしてドイツ人のアナさんが来られた。帰り際に少しお話しすると、彼女はドイツが誇るマックスプランク研究所の研究員で学問分野は美学。東大の小田部さんものとでドイツから日本への美学の伝達経路を後付けいているとのこと。
マックスプランク研究所は世界に50くらいのブランチを持ち、年間予算は1700億円くらい。理科大の年間予算の7倍弱、MITの1.3倍である。物理学者であるプランクに因み物理学研究がメインだったが派生して現在は彼女のような人文科学系の研究も行われている。アインシュタインも国外に追われる前は所長を務めていたところでノーベル賞受賞者は40名近く排出されている。
大学とはまた別のこうした国立の巨大な研究機関というものの存在に驚く。勉強したい人が勉強できる環境というものがあるんだなあと思う。しかも研究分野は理学、医学、文学、法学見るからに即お金になるようなものはない。大学の学費も無料でしかもこれだけの国家予算をかけた研究施設が存在するドイツという国に畏敬の念を持つ。

February 10, 2017

何が貧困を?

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この手の本(飯島優子『ルポ貧困女子』岩波新書2016)を読むと毎度いくつかのことが頭をよぎる国の支援の甘さと新自由主義に舵を切った中曽根、それを加速させた小泉の結果的な読みの甘さ。しかし、ここで正確に当時を振り返れば、自分は今を予見できていたか?自民党を否定はしても(観念的に),仕事の中で競争原理を否定できただろうか?甚だ疑問である。むしろ率先して年功序列を否定してまるで会社側が言うようなことを組合の立場から言っていた。
まずはそんな自分を少し反省した上でしかし今は今である。厳しい時代である。不必要なまでの手助けは不要だが常に個別にそれぞれの状況を聞く耳を持つことが大事だと思う。

February 9, 2017

正しいか

とある雑誌の原稿をだいぶ前に書いて出していたのだが、他の図面や写真などの最終校正の段になってちょっと分かりづらいですというダメ出しをいただいた。言われてみれば確かにわかりづらいかもしれないと思い、言われたことを直すというよりはかなり変えて送るとまた次の日に「少々唐突な表現が、、、、」と指摘を受けた。確かに言われてみればと思いまた変更を加えて送り了解されたのだが限られた字数で修正を加えることの難しさがよくわかった。まだ若い編集の方(おそらく)にダメだしをされることは一向に意に介さない。むしろ書く人(私)は編集者に育てられるのだと謙虚に思っている。それはそれとして、あることを説明すると400字はかかるのに100字しかスペースがないとするならどうしたらいいのだろうか?言いたいことを減らすしかない。そうすると3つの考えがあっても1つしか書けない。1つに絞れるならそれでいいかと思いつつ、3つ合わさって自分の考えなのであり一つでは違う物になってしまうという気持ちもする。でも時間がないのでひとつだけ書いたのだが、これは自分の思っていることではないのではと思ったりする。3つのことをまとめて抽象化して言うと正確には伝わらないけれど嘘を言っていないのだが、ひとつのことをわかりやすく言うと伝わるのだがほかの二つが欠落するのでこれは本当ではないのではと思うわけである。

February 8, 2017

5月にブラジル建築展

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5月の後半に寺田倉庫でブラジル建築の展覧会を行う。オリンピックがリオから東京へという流れに乗っている。東京がリオから学べることは何か?日本の建築がブラジルから学べることは何か?ラテンアメリカ建築の意味。それらを深めようという狙いがある。ブラジル大使は言わずと知れた建築評論家。2014年のヴェネチアビエンナーレのブラジル館のチーフキュレーターである。彼を含めてブラジルのアーバニスとワシントン、そして日本から数名の登壇をしていただき私がモデレーターをする予定。
今日はブラジル大使館でその打ち合わせ、打ち合わせ後に地下の新しくできた展示スペースを見る。そこには去年GAギャラリーで展示されたパウロ・メンデス・ダ・ロチャのMDF模型が置いてあった。すごい模型である。

February 7, 2017

狙いを外さない

月末のある国でのプレゼンの打ち合わせをクライアントの会議室で行う。スタッフがプレゼンの日程出席者その他を説明している。相手国の行政のトップクラスや次官などは出席されるが、市長がとある理由で欠席ということがわかった。それを聞いた社長が珍しくやや憤る。市長のいないプレゼンは意味ないからリスケしようと言う。すでに航空券も発券しているのだが社長は譲らず秘書に電話して市長の携帯番号を聞き即座に電話した。国際電話で日程調整。そして市長の空いている日を聞き、僕らをはじめ日本政府の参加者の日程もあっという間に調整してリスケ完了。この素早さがビジネスを成功させるのだと感心した。プレゼンのターゲットを逃さない。ここまで陣頭指揮するならついていくかということで僕もこれから自分のリスケに追われる。いろいろと不義理を働くことになりそうだがお許しを。

February 6, 2017

うーん

うーん、、、、修士論文の仮とじなるものが本日締切だった。自分の研究室11編。他研究室の論文(自分が副査を務めるもの)7編。あわせて18編の論文を通読した。なんで18本の論文が1時から始まって4時間くらいで読み終わるかというと、字数がこれっぽっちしかないからである。一番長いだろう歴史の論文でさえ多くは史料となった図版である。そしてエンジニアリング系のものは式と表。設計のものは主は図版(それもまだないのだが)。しかし前半の論理構成のところに読むべき文章が並ぶはずなのだが、ほとんど文章がない。それにもかかわらず、節ごとにページを変えるので真っ白な部分だらけである。重要なのは設計で論理構成のところは分析対象と分析とその結果と考察という一連の論理が明快ならばいいとも言えるが、意匠の論理は文章自体のレトリックも重要なのである。一体こんな数式みたいな文章だけってどういうつもりだ。寒くなる。これまでウェッブレポートを一部生も二部生も半期を2回はやってきて、そして苦労して輪読なんてやっているのにこんな結果しか出ないならもうウェッブレポートなんてアホくさくてやってられないし、輪読なんてごく限られた優秀なやつとだけやったほうがはるかに実りある。

February 5, 2017

コスモポリタンであれ

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2001年9月の同時多発テロの2ヶ月後社会学者のウルリッヒ・ベックがロシアで行った講演が『世界リスク社会論』(島村賢一訳ちくま文庫2010。ちなみに本書は後期近代社会を知る上で社会学の定番教科書である)の第一部である。この講演でベックの現代社会観察は1)テロと戦争と題して昔の国家同士の戦いが今は個人的なテロ行為という形で発生しうる。2)経済的グローバリズムと新自由主義と称して、そうしたテロ社会の中で新自由主義社会は政府をダウンサイズして内政的安全管理に予算を投じないが対外的には軍事介入して予算を投じることがある。3)国家と主権と称して、それゆえグローバル社会においては国家はその権力を最小化、脱国家化してコスモポリタンな関係性を築かなければならないと説いている。ベックがこの時念頭においていた批判の対象はブッシュなのだがトランプのしていることはまさにベックの主張の真逆である。グローバルな社会の流れと調和を取るためのコスモポリタンなセンスがない人間が一国の宰相となるのはまったくもって危険である。

February 4, 2017

大事に使う

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最近iphoneが突如バッテリー0になる。ついさっきまで50%くらいあったのに突如である。ところが再起動かけると復活したり、やっぱりダメだったり気まぐれである。学生に聞いたら3年使ったもうダメですといわれたので諦めて今日機種変更しようと思ったらSEという小さいサイズの機種は人気で当分手に入りませんと言われた。それなら仕方ない今のこのiphoneを大事に使うことにした。まずはもう一度コーナーのガラスが割れているところをSUGRUというアメリカ製のセルフセッティングラバーで補強した。そして充電器をアマゾンで買った。これであと半年SEが余裕で買えるころまで持つだろう。そのころはまたサービスが良くなっているかもしれないし。

February 3, 2017

人事異動

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サラリーマンは人事異動の話しが大好きだ。と書いてあるか自分が会社員していた頃会社の人事で酒を飲むことはなかった。上司の悪口はたまにしたが酒がまずくなるので、飲んだらしないが決まりだった。しかるに最近古巣の人と飲むと好きだね、人事。この本に書いてあることは正しい。友人宅でも社内人事は酒の肴のようである。うちはそういう話とはあまり関係のない世界きに生きており、たまにこういい話を聞くとご苦労様といいたくなると同時にそういう世界から足を洗っておいて良かったとつくづく思う。

狂気

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二日連続一般入試の試験監督が終わってほっとした。一生懸命問題解いている高校生の姿を見るのは清々しい。終わって研究室に戻るとO君の修士設計セメントモデルが現れ驚く。セメント周り切らずにかなり補修が必要な模様。それにしてもこんなラーメンフレームをセメント打って作るって狂気。でもこのくらいの狂気が欲しいよな設計って。
(周辺を歩くのが怖いひっくり返したら確実に壊れそう)

February 2, 2017

仮説が命

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まだ古市さんの『古市くん社会学を学び直しなさい』を読んでいるのだがこの中でやはり圧倒的に面白いのは次の2人である、宮台真司、大澤真幸、中でも二人が実証性、とかエビデンスに触れた部分。
宮台はマートンに棹さしながらこう言う「だからアカデミックポストを獲得するために、いかにも実証できそうな仮説をソーシャルリサーチで実証して、モノグラフ書いて一丁あがりみたいのは、マートンからいえば『クソヤロー』なんだよね」「そうではなくてデータを検分していると、、必ず調査者が解説できない偏差が出てくる・・・その偏差を説明するための仮説を考える」
大澤はこう言う「あまり実証性にこだわりすぎるとつまらないことしか言えなくなる、、、ゆるい意味での反証可能性をもつような仮説を出すことが重要だ、、、『進化』という概念もそうでしょう・・・厳密な検証は不可能だ・・だけどDNAは増殖する方向性に適応するという仮説を置くと非常にうまく説明できる」
意匠の論文もそうなのである。だからバルセロナでの博士論文での所見を書くシートにはこの論文の仮説は何かを書く欄が最初からあるわけである。なのでこれからは仮説のないデーターの追いかけはやめにするしさせるし、その仮説がやる前から分かっているようなものは絶対に認めない。仮説が論文のむしろ全てなのだと思う。

February 1, 2017

竪穴区画

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近所のペンシルビルの工事が終わりそうで囲いがとれてファサードが露わになった。なんだか透明感の階段室だなと思ってよく見ると前面側が5層吹き抜けになっている。こういう設計始めてみるね。ペンシルビルで一層の面積精一杯取りたいところでこんな吹き抜け作っちゃうのは珍しい。ここしかし階段室のようでもありそうでもない??区画しなくてもいいのだろうか??