仮説が命
まだ古市さんの『古市くん社会学を学び直しなさい』を読んでいるのだがこの中でやはり圧倒的に面白いのは次の2人である、宮台真司、大澤真幸、中でも二人が実証性、とかエビデンスに触れた部分。
宮台はマートンに棹さしながらこう言う「だからアカデミックポストを獲得するために、いかにも実証できそうな仮説をソーシャルリサーチで実証して、モノグラフ書いて一丁あがりみたいのは、マートンからいえば『クソヤロー』なんだよね」「そうではなくてデータを検分していると、、必ず調査者が解説できない偏差が出てくる・・・その偏差を説明するための仮説を考える」
大澤はこう言う「あまり実証性にこだわりすぎるとつまらないことしか言えなくなる、、、ゆるい意味での反証可能性をもつような仮説を出すことが重要だ、、、『進化』という概念もそうでしょう・・・厳密な検証は不可能だ・・だけどDNAは増殖する方向性に適応するという仮説を置くと非常にうまく説明できる」
意匠の論文もそうなのである。だからバルセロナでの博士論文での所見を書くシートにはこの論文の仮説は何かを書く欄が最初からあるわけである。なのでこれからは仮説のないデーターの追いかけはやめにするしさせるし、その仮説がやる前から分かっているようなものは絶対に認めない。仮説が論文のむしろ全てなのだと思う。